創部をみると、コロイド被覆材の残りカスか、あるいはべラーク(フィブリン(線維素)の白苔)が創の表面に付着している。外科専門医の自分がみてもどちらなのか判断に迷う。一般の人がみたら「すわっ、化膿している。大変だ」と思うだろう。一般の人にここまで「感染の有無を観察し感染徴候があれば医療機関受診・・・」という判断を課すのは難しいであろう。一般の人が見たなら見た目の創の派手さで化膿しているようにみえるだろうが、自分であれば局所の炎症所見がないので「感染してない」と言い切れる。やはりこの閉鎖療法が一般に広まるまでにはまだまだ難しいと思われる。医療機関でも、創に蓋をして見えないようにしているので感染徴候の判断は難しい。しかも被覆材のコストは高くこのコストは処置点数に算入されているため請求できない。ガーゼのほうがはるかに安いので、うちのような貧乏開業医には大きな負担なのである。で、肝心の創傷治癒の早さはどうかというと、ガーゼを用いた開放療法とほとんど変わりがない・・・。なんだかね・・。
全身に何ヶ所も挫創やら擦過創やらがある。そしてまさに路上にバウンドして2回転転がったわけである。大学時代は柔道部であった。これでも柔道三段をもっている。しかし今回のことで分かったが受身が取れていないのだ。情けない、受身も忘れてしまったようである。身体中打撲で痛いが、受身が取れないくらい衰えたということが一番堪えた。まあそれはそれでいいが全身の数ある傷のうち清潔そうな1ヶ所にためしにこの閉鎖療法をやってみた。自分の身体の創で、一つはこの閉鎖療法を行い、残りはガーゼと軟膏をもちいた通常の方法をして比較するわけである。2~3日に1度感染徴候がないかどうかはがして確認することとあるので2日目に交換予定とした。しかし1日ですでにコロイド被覆材は浸軟し周囲に体液が漏れてベタベタになってきた。しばらくはその上から折りたたんだティッシュを置いて体液を吸わせた(この方法は適応外使用法である)。いずれにせよ限界であろうと思われたので2日目の夜にその被覆材を交換した。
目に見えないがほこりなどは怪我した創には必ず混入するだろう。知らない間に怪我していた原因不明の創もよくあるだろう。あるいは時間が経過した怪我の創もよくあるだろう。また事故現場に水道水がないと洗浄までに時間が経過するのでコロイド被覆材は使用してはいけないことになる。つまり説明書通りにきちんと禁止項目を守るとほとんど適応外使用になってしまうのだ。そして時々、適応外使用の患者さんが数日後感染を起こして外来に来られる。確かに閉鎖療法は今後、医療機関での処置法の主流になるかもしれないが、まだまだ一般の方の判断で使用するにはハードルが高いのではないかと思われる。そしてしかも値段が高い! 8×5cm大のパッドが3枚で¥800した。 え? 何故値段知っているかって? 実は自分の傷に使用してみたのですが・・・。
確かに今後の主流は被覆材による閉鎖療法であろう。しかしこの市販の被覆材の取扱説明書を読んだが、来られたほとんどの患者さんが誤用しているようである。というよりもかなり適応が限られているのでほとんどこの被覆材を一般の方が使用される場面は少ないようにおもえるのだ。例えば使用してはいけない場合として「深い創の場合」「動物や人にかまれた場合」「受傷後時間の経過した創」「ガラス、木片、砂、ほこり、衣服の繊維など異物が混入した創」「傷口のまわりが赤くなったりズキズキしたり膿を持っていたり熱や腫れがある場合」「すでにかさぶたがある創」「原因不明の創」「すでに家庭で他の手当てをした創」「にきび、湿疹、皮膚炎など」が書いてある。しかも使用前には十分、水道水などで創を洗浄するようにとある。我々医療従事者にとってみれば感染防止のためにはごく当たり前の知識ばかりであるが、一般の方がこれをすべてクリアするには判断が難しいと思うのだが・・・。
汚い傷はとにかく流水による物理的な洗浄が重要である。自分の傷を洗浄しながらふっと思い出した。数年前より創部の閉鎖療法が実は医学界では主流になっている。つまり創部をそのままコロイド被覆材でフタをして数日以上そのまま放置することである。創からの浸出液には組織を修復する大事な因子が含まれているのでそれをガーゼで吸い取ったり乾かしたりしないほうがいいというのだ。確かの理論的にはその通りである。納得する。しかし大前提がある。感染を起こしそうな汚い傷や、時間の経過した創は、ばい菌が付着しているのでそのままフタをして閉鎖すると菌が繁殖して大変なことになるのだ。最近ではこの閉鎖療法の被覆材が薬局に売られているので、時々これを貼った患者さんが受傷後数日ごろ感染を起こしてからお見えになることがあるのだ。
私はまるで仏様の御心のように慈愛に満ちあふれた感覚で運転手のことを許すことにした。しかしどうしても許せなかったのは助手席の女性の「あぶないねぇ~」という言葉と、変な光景を見てしまったというような眉をひそめたあの表情なのだ。確かに自分は路上に転がっているため、もともと相手は上から目線なのである。そのままで済まそうとしたが、しかしそんな表情とつぶやきである。自分はキレた。 思わず「おいっ! そっちが悪いんだろがー」と言おうとしたが、身体中が痛くて声にならない。そうこうするうちにその車は走り去ってしまった。しばらく路上で転がっていた。出血はたいしたことはないが、たちあがると血液がタラーっと垂れてきた。本日の御茶ノ水行きは中止して、クリニックに戻り一人で泣きながら創の処置をした。砂が創にこびりついているのでとらなければ感染をおこすか外傷性刺青となってしまう。水道の蛇口の下に膝を置き流水で創をこすって洗った。いつも患者さんには「ちょっと痛いけど我慢してねー、これ大事なんですよー」と他人事のようにゴシゴシ洗っていたが今日はじめて分かった。本当にこれは痛いんですね。ううっ(泣)。
私も乗用車は運転する。だからバイクや自転車が並走するときは「鬱陶しい奴らだなー」という感じになるのはわかる。でもそのように感じるのは「もし引っ掛けたら完全に車が悪いのだからこちらが気をつけないといけない」というルールを理解しているからである。この車は確かに私にはぶつかってはいない。なのでぶつけていないよと言われればそれまでである。でもこのまま黙って並走したなら必ず私は引っ掛けられていたはずである。私が逃げたのは車のサイドミラーとの接触を回避するためである。きっと運転手は「自転車が勝手に転んだんだ」と思っているに違いない。自分も自転車を鬱陶しいと感じているのでまあそれは許そう。そして百歩譲って道義的責任を果たすべく車を降りてきて「お怪我はありませんか?」くらいの声すらかけなかったことも許そう。しかしこれだけは許せないことがあるのだ。
歩道上で2回転して倒れた。左肩、左肘、左ひざを思い切り打ち付けてしまった。短パンだったので、左膝は開放創となり挫滅し出血している。痛くて起き上がれなかった。行き交う歩行者からは「大丈夫ですか?」と声をかけられた。恥ずかしかった。明らかに左方確認せずに左折しようとした乗用車が悪い。私が瞬時に避けたのでギリギリ車のサイドミラーにはあたっていない。ちょうど車は赤信号のため私の横で停車していた。本来であれば「私の側方確認不足でした。大丈夫ですか?」と車をおりてくるべきであろう。ところが自分の目線からは運転手はみえず助手席の初老の女性のみが見えた。冷房をかけているためか窓ガラスは閉まっている。しかし硝子越しに彼女の唇の動きが確かに読めた。なんと「危ないねぇ~」といっている。しかも眼差しはまるで道端で犬の死骸を見かけたときのような憫みの表情なのだ。 おいっ! そうじゃないだろうがぁ~(泣)。
自転車事故などの外傷の方はよくうちのクリニックに来られるのだ。しかし今回は自分が患者になってしまった。この前の日曜日、自転車で御茶ノ水の本屋に向かう途中の出来事であった。白山通りを南下していたが、一番左の車線をノロノロスピードで走行する軽自動車があった。速度は自転車より遅く、車線をまたいで走ったり、右や左にすこしフラフラして走行していた。おそらくどこか道をさがしている様子である。自分は一番左からその車を追い抜くようにすり抜けようとした。私がその車に並んだとたん急に左折のウインカーが点滅して、自分のほうへ車が幅寄せしてきたのであった。車のサイドミラーで擦られそうになったので、慌てて自分は車道に乗り上げるべくハンドルを左にきったところ、歩道との段差に引っかかり自分は歩道の上に横転したのだ。
別に彼女たちはCM撮影の役者ではない。演技で美味しそうな表情をしていたのではないのである。自分も高校時代は三度の食事を腹いっぱい食べても、いつもすぐおなかがすいていた。彼女たちもきっと部活のあとなのですごくお腹がすいていたのであろう・・・などと思いをめぐらせたのである。演技であの表情をCMでやられたら確かに購買意欲をそそられてしまう。しかし実際は現実の話でありPVではない。演技していない実際の感覚から湧き出てくる表情に勝るものはないのである。それにしても正統的女子高生のホッコリとした美味しそうな表情をみていると「これが日本のあるべき原風景なのだ。まだまだ日本も捨てたものではない」と大げさな気持ちになった。TVのCMで「美味しい顔って、どんな顔?」というキャッチコピーがあったが、まさにこれがそうなのである。金髪で睫毛エクステンションの化粧した女子高生が菓子パンにかぶりついて「おいっ、やべ~、これ超うめぇ~よ」といっても、ちっとも美味そうではないのである。
この前の平日の夜、医師会に行くときに電車の車内で見かけた光景である。5~6名のセーラー服をきた女子高生が乗車してきた。格好としては化粧などせず、髪も染めず、黒髪を後ろに束ねたオーセンティックな女子高生の一群である。正統的で正しい日本の女子高生の格好であろうか。おそらくは部活の帰りかなにかであろう。するとやにわにみんなが手提げバッグから菓子パンを取り出し、少し恥ずかしそうにためらいながらそれを食べ始めたのである。夜7時も過ぎた山手線なので車内は混雑しておらず周りに迷惑になることはない。全員がやや下向き加減で食べている表情はどの子も嬉しそうで、そしていかにも美味しそうな表情をしているのだ。たかがその辺で購入した¥100程度の菓子パンであろう。でもその食べている表情をみると、まるでものすごく美味しいもの(まあ実際は美味しいのであろうが)を食べているように見えて、こちらも食欲をそそられてしまったのである。
訪問看護指示書の話ではないが、他にも似たようなやりにくさが在宅医療にある。種々の介護医療サービスを受けている患者さんが車椅子でヘルパーと来院している。この患者さんは認知症があるので薬の飲み忘れが多い。ところがヘルパーが患者宅に来訪する時間帯がまちまちであり内服が本人任せになるため怠薬されることが多いのだ。これには困った。1日3回の薬もある。これにはヘルパーに1日3回きてもらわねばならない。ところが介護度の限度目一杯にサービスが提供されているためヘルパー来訪の回数はこれ以上増やせないというのだ。それならと無理やりすべての薬を朝夕の1日2回内服に調整したが、ヘルパー側の言い分は、「日によって、朝昼くることも、昼夕くることも、朝夕来ることあるのですべて薬の処方にあわせた朝夕の来訪には統一できません」とピシャリ。結局、どうやら施設側の都合らしい。しかも「我々はケアマネの指示で動いていますので、(我々に言わず)ケアマネのほうに言ってください」と私の提案(言い分)は暗に却下された。でも怠薬の問題はどうするんだよっ、おいっ?
だから訪問看護指示書の「緊急連絡先」の記載欄には、それからは絶対に記載してやるもんかとばかりに空欄のままにしている。看護ステーションには教えないが、もちろん患者家族には緊急連絡先は伝えてあるので患者急変で少なくとも自分の対応が遅れることはない。本来の綿密な連携をもった在宅医療とはこのような場合における緊急連絡網の構築である。本来であればケアマネージャーが中心となってきちんと患者、医師、看護師、ヘルパー、諸施設などとの仲立ちを行なうべきである。いずれにせよ医師からは緊急連絡先を提出させるが自分達の緊急連絡先をこちらに提示しないのは看護ステーション側の怠慢であろう。自分も大人気ないとは感じているが、最初にステーション側が緊急連絡先を提示してきたなら、こちらも緊急連絡先を教えるつもりである(プンプン!)。・・・とはいいながら実は時間外にクリニックに電話した場合、自分の携帯に転送されるようセットしてあるので、いつでも自分と「緊急連絡」がとれてしまうのだ・・・(泣)。
まあ看護師に「当たり外れ」があるのもしょうがない。黙ってそのようにさせていた。これはこれでまあ我慢もする。ところが自分が訪問診療中に患者さんは新たに定期処置の追加が必要とされるような状態になった。しかし今日は12月30日である。いそいで担当看護師に連絡を取ろうと看護ステーションに電話するも、年末年始の休業を伝える冷たい留守電の声・・・。おいっ! 担当看護師はこちらに24時間いつでも好き放題連絡できるのに、こちらは看護師には連絡できないのかよっ!とばかりに腹が立ってきたのだ。これは極めてアンフェアである。年が明けるまでは訪問看護師は患者宅には訪れる予定はないらしい。どう考えても「綿密な連携をもった在宅医療」というものをこの看護ステーションは最初から拒否しているようである。たぶん担当の訪問看護師が毎回日替わりなので緊急の連絡システムを構築するのが難しいのかもしれない。しかしその不都合の「ツケ」をすべて医師側に押し付けるのはどうもいただけないのだ。
ある呼吸器疾患の末期の患者さんである。時々自分も訪問診療しつつ、別系統で某看護ステーションから訪問看護師も患者宅にきていた。このステーションから記載依頼された「訪問看護指示書」の緊急連絡先のところには、24時間連絡のつく携帯電話の番号を記載しておいた。患者さんの急変にそなえすぐに連携ができるようにと考えこのステーションに緊急連絡先を提示しておいた。ところが患宅に訪問する看護師はどうも一人ではなくその都度、日替わりで違う看護師が行っているようなのである。「できる」看護師はほとんど指示書の内容をみて自分の才覚で対処するが、どうも新人なのか能力の劣る看護師なのかは知らないが、昼夜なく「緊急に」連絡をかけてくる看護師もいたのである。こちらが診療中でも食事中でもお構いなく「緊急連絡」をとってくるのだ。あまりにも節度がないのでよほどステーションの所長に苦情でも入れようかと思っていた。