ついこの間までの勤務場所、救命センターでは、糖尿病が悪化してこん睡状態の人や足が壊疽を起こした人とか、透析中の急変とか、はたまた喘息発作や慢性呼吸器疾患の悪化した患者さんもかなり多く搬入されました。すべてではないですが「普段から治療されている、かかりつけ医がもう少し綿密に診ていれば悪化しなかっただろうに」と思われる患者さんも結構いました。これら患者さんの重症管理をしている最中も、何か割り切れない思いで治療に当たっていた記憶があります。しかし今はその「かかりつけ医」になってしまいました。あたりまえですが患者さんは個人個人全部キャラクターが違います。治療に前向きな人ばかりならいいのですが、中にはこちらが頭を抱えてしまうような人もいます。なかなか難しいですね。「もう少しかかりつけ医が綿密に診ていれば・・・」なんてことは不遜でした。すみません。
今度から75歳以上の患者さんの枠組みを「後期高齢者」と言う名称にするらしい。この前、75歳を超えた患者さんが見えられて怒っておられた。「昔は『老人』という名称じゃあ失礼とのことで高齢者にしたが、それならなぜ高齢者をわけるのに『後期高齢者』という失礼な名前にするんだ」と。確かに「後期」という言葉は不適切かもしれない。たぶん、ただの年齢区分で後期と使ったのかもしれないが、どうせわけるなら75歳未満を「前期高齢者」とし75歳以上をただ「高齢者」とすれば波風はたたなかったろうに。運転初心者は「若葉マーク」だが、80歳以上(でしたっけ?)を「落葉マーク」といったやつがいた。同様であろう。
先日、東京都主催の「認知症かかりつけ医」の研修会に参加してきた。認知症の特徴は物忘れだが、進行すると忘れたことも覚えていない。だから家族に忘れていたことを注意されてもまったく「身に覚え」がないため、ここで「なんでいつも家族にしかられるのか?」とストレスになる。ストレス回避の自己防衛のために、「話を取り繕う」(作話、虚言)、あるいは「家族とやりあう」(攻撃的、暴力的)ことになるそうだ。周りの家族もいつも同じ注意ばかりし続けなくてはいけないのでこちらもものすごいストレスになるということだ。結局、周囲は、忘れないよう本人に注意したり治そうとすることを諦めて、早々に認知症であることを受け入れることが重要であると。でもそれもまた大変。
前回、1000円カットの店ではクレームや追加オーダーを受け付けないと書いた。自分はこれには至極納得する。コストパフォーマンスの問題で「安くて早いこと」が「できばえ」を上回ると考える。ところが、この店で、後ろに多くの客が待っているにもかかわらず、あれやこれやできばえに文句をつけて居坐り、しまいには割引券?のようなものをもらっていた若いKYさんがいた。この人は10分1000円であっても、うしろに大勢の客がまっていようと、自分の仕上がりのことしか頭にないのであろう。価値観の違いなのだろうか? いやただのKYさんかな。私はむしろ一定レベルのカットをなんとわずか10分で済ましてくれる方に最大限の評価をしているのだが。
自分は音楽関係、特に楽器関係以外の多くのことについては拘りや頓着はない。例えば、髪のカットはどこそこの美容院や床屋へ決めていくということもない。しいて言えば駅構内などによくある「10分1000円カット」というお店には行く。まあ、ここは安かろう、悪かろう、早かろうで気に入っている。悪かろうといっても、ほとんど悪くない。4000円の床屋とカットはかわりないと思う。しかしながら、終了したときに鏡で頭の横と後ろの出来具合を見せてくれて「いかがでしょうか?」と聞いてくる。だもんで一度「あ ここもう少しカットして下さい」といったら、「できません」と断られた。どうも追加オーダーや10分越えが受けられないみたい。だったら「如何でしょうか?」と聞かないで「終了しました。ご覧ください」と言えばいい。追加オーダーが可能であるような言い方はとても混乱する。
昨日「構えばっかり立派で味の伴わない蕎麦や」のことを書いた。「もう二度と来ないよー」ともかいた。いやっ、これはもって自分を律しなければいけないだろう。患者さんがきても、「もう2度とこない」と思われたらいけない。常に満足度を考慮しなければいけないのは飲食店と同じ。まずは待ち時間を短縮化しなければならないけど・・。いまだに電子カルテに四苦八苦することがある。今更もう慣れないといかんのだが、いかんせん診療内容がバラエティに富んでいる。内科、外科にかぎらず、何でもくるので何でも診るつもり。「来るものは拒まず、去るものは追わ・・・・」、・・・いや追わんといかん。
医者の世界には専門医制度というのがある。学会独自の資格基準をみたした場合に広告できるという厚生省が認めた資格制度である。つまり自分は医者ですが○○の付加価値がありますよという身分証明みたいなものである。これは是非、蕎麦業界でもやってほしい。挽きたて、打ち立て、茹でたてなどの手間ひまかけて供する蕎麦と、駅の立ち食いソバと、ご飯ものも一緒にメニューにある街のソバやで供されるソバがみんな一緒の蕎麦であるはずかない(でもとりあえず全部好きですが)。例えば発泡酒がビールを名乗れないように、きちんと「蕎麦や」と名乗れる専門店制度があるといい。時々、構えばかり立派で、店を出るときは「なに気取っちゃってさー、もう来ないよ」と思うような蕎麦屋にでっくわすことがある。
酒やビールに関しては酒税法などの関連法規があるためか、その格付けがなされている。例えばビールでは麦芽だかホップだかが何%以上含まれないと、それはビールとはいえず発泡酒となる。これは蕎麦の業界にもやってほしい。自分の好みでいえばツナギの割合や種類などを厳密にすべきと思う。時に「特上の蕎麦」と称して、一番いいそば粉のそば殻を削り落として厳選した部分だけ使用するようであるが、いかんせん蕎麦の香りにかけることもある。またツナギにフノリを用いるのもあるが、蕎麦は蕎麦の香りを楽しむのであって磯の香りを楽しむものではない。ビールのように「蕎麦」を名乗れる基準を作ってほしい。
もうすでに亡くなった目白の叔父の影響で昔から蕎麦が好きだ。叔父は新蕎麦がはいると自分で打っては親戚に声をかけご馳走してくれた。やはり蕎麦はあの喉越しもさることながら、独特の蕎麦の香りがないと蕎麦ではない。自分の好みは蕎麦の殻も挽いて少しだけ入ったやや黒目の蕎麦の香りと味がする蕎麦である。つけ汁はよくねかしたやや甘みの強い濃厚なもので、最後に供される蕎麦湯はそば粉がたくさん混じってとろとろしたものがいい。「蕎麦湯で~す」といって持ってこられたもので、ほとんどただのお湯であった店があったが、それを注意したら「うちは茹で汁は毎回新しいお湯ととりかえるため蕎麦湯は極めて薄くなります」と。そこまで「茹で」にこだわるつもりなら「うちには蕎麦湯はありません」といってほしかった。中途半端で店主の心意気が感じられない。
前回、サプライズとかいた。これは「びっくりするもの、こと」「プレゼント」などであろう。今まで日本語として存在するのに、近年それをどうもカタカナにしてしまう風潮がある。とてもけしからんと思う。しかもオリジナルの意味とニュアンスをかえてしまうような・・。例えばパフォーマンスやセレブ(リティ)などがそうである。前者では「やらせ」「ポーズ」の意味が含まれ、後者では「金持ち」の意味がこめられてしまった。昔、中学時代ホームルーム終了時に「吉田、あとで職員室きなさい。いいものをあげよう」と言われ、喜びいさんで職員室行ったらいきなりゲンコツをもらった。でもどうやらこれは今で言うサプライズとは異なるようである。
開業して4ヶ月がたちました。あっという間です。大学でやっていた医療内容と、開業してみるとまったく診療内容、業務内容が異なることに驚いております。例えば予防接種業務などは、どんな種類のものがあって、そのうち行政が行うものは何で、一般医家が行うのは何で、そしてそのうち補助があるものはどれでとか・・・。また診療内容ではメタボからコドモからオデキからオシリから何でもござれ・・・。でもとってもバラエティに富んでいていいですね。毎日がエキサイティングです。ただ患者さんがくればいいですが、なかなか患者さんの数は増えません。特に雪の日はてきめんで、一桁しか患者さんがきませんでした。まあ足元が悪いのでしょうがないですね。よく飲食店では雨の日に来店すると割引券など配りますが、何かこのようなサービスをクリニックでもしたいのですがダメですね。怒られそうです。あっ、雨の日以外でも子供さんにはサプライズがありますけど。
昨日、新聞で4月よりの医療保険点数改定が報じられた。産科・小児科、救急医療の分野への点数加算が決定されているが実に安直である。何故その部門で医者が足りないのか議論されているのだろうか? お金をつければ人(医者)が集まるとでも思っているのだろうか? 病院勤務医の場合、この部門に従事する者の給料はあがらないことは前にも触れた。しかし特にお金が安いから人が離れていくのではない。全力を尽くしても結果が悪いと「医療過誤か?」と言われ、近年すぐに訴訟になるリスクが高いことも原因の一つである。クレイマーやモンスターペアレントが増えたのも事実。しかし、どこも他に引き受ける病院がなかったので、やむなく専門外であったが脳外科医が収容、診療したら、その救急患者が亡くなったということで起こされた裁判が過去にあった。これは医師の全面敗訴という判例が出ているが、これが一番怖い。みんな「一生懸命仕事をして訴えられるくらいなら、診療しなければ怖くない」ということになる。
ワタアメの割箸が喉に刺さって埋もれてしまい発見が困難で翌日亡くなってしまったお子さんの事件はいまだ耳に新しい。ご両親が控訴するというニュースを本日聞いた。このような形の医療訴訟は近年増加傾向であり、自分はこのような裁判の成り行きにいつも注目している。なぜなら、もし自分がその時の医者だったら・・・と考えるからである。自分は救急医療を20年以上やってきたが、果たしてこれが自分だったら適切に対応できたかどうかいまだに不安である。どちらが正しいかについては言及しない。しかし裁判の結果一つで今後の救急医療はまた大きく様相を変えそうだ。もし有罪判決が出たなら「現場にそこまでのレベルを要求するなら、うちの病院ではそこまでの対応はとてもできない。救急医療から撤退します」という病院も増加する。また自分もそのような部署に勤務することをためらうだろう。 今回の事例では、自分がその当事者でなかったことが幸運としか言いようがない。 複雑であるが、ご冥福をお祈りする。
花粉症やアレルギーの抗原同定検査ですが、検査会社から抗原(アレルゲン)の一覧表がおくられてきました。まあ通常のハウスダストとかコナヒョウダニとか、またスギ、ヒノキ、ブタクサなどはよく目にします。そして動物性のものをみていたらイヌ、ネコ・・・そして、ん?・・・ゴキブリ?・・ゴキブリアレルギーというのもあるようです。しかしゴキブリといっても確かに嫌ですよね。見るのもつかむのもはばかられます。見ただけでも気持ち悪くなるので、それも一般的に「忌み嫌う」ことの表現としてアレルギーともいいますね。でも実際の医学的なアレルギーとは発疹や蕁麻疹、鼻水、くしゃみ、そしてひどいときには喘息のような呼吸困難に陥ることもあります。まあどっちの場合もアレルギーとよぶのでしょうけど、ゴキブリにも医学的なアレルギー反応があるなんて知りませんでした。
医学書ひらくととたんに眠くなるのは医学書アレルギーかしらん?
今年の花粉症対策の一環として、昨年の暮れにクリニックの待合室に強力そうな「加湿空気清浄機」を買った。これをフル回転させておけば、花粉症の季節には対応できそうだ。きっと患者さんからも「あっ・・・ここの待合室は鼻がむずむずしませんね~、涙も出てこないし」という評判が得られるだろうと目論んでいた。ところがつい先日ある本で「花粉は粒子が大きく重いので風がないと空中からすぐ床におちてしまい、上層の空気だけをかき混ぜる空気清浄機は効果がない」と書かれていた。むしろこまめに床に掃除機をかけたほうがいいらしい。そんなぁ~~大枚はたいて買ったのに・・・。だったら「効能書き」に「花粉」なんて書かないでほしいわぁ~。・・・ったく、もう・・・。