吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

AED使わず学校で小5死亡、両親が市を提訴 その4

2013年10月31日 07時13分25秒 | インポート

  必要性や重要性をわかっていただけたら研修の一環に入れてもらえるのであろうが、結局は「やりたい教諭が自腹で心肺蘇生の講習に自発的参加すればよい」というような結論にもっていかれそうになった。そこでそれなら少なくとも教員向けの心肺蘇生のCDDVD)を作成してそれを図書室に置くか、あるいは教員個人個人に配布しましょうというところに当時は落ち着いたのである。そしてそのDVDのシナリオ作りに取り掛かったのであるが、なんでこんな遠回りしなくちゃならないのかは訳がわからなかった。あれから13-14年くらいたった現在ではそんな当時のDVDなど見ている教諭はいないだろう。そんなDVD使わなくとも今ではきちんと心肺蘇生講習に参加している教諭も増えてきたようである。ただ講習を終了して時間が経過すると色々なことは忘れてしまうものである。これはしょうがない。今回の事故は現場で心肺蘇生が教諭によってなされたのである。救命はできなかったが自分としては教師が心肺蘇生をしてくれただけで隔世の感があるのである。<o:p></o:p> 


AED使わず学校で小5死亡、両親が市を提訴 その3

2013年10月30日 07時34分29秒 | インポート

  

 まずは教育委員の方々へご理解いただくことが先決であった。すでに世の中では1分蘇生が遅れるごとに救命率がどんどん落ちていくデータもあったし、救急車を待っているうちに助かる命も救えないということは救急医療では常識であった。また一般市民でも心肺蘇生法の講習を受けた人たちにとってもこの早い対応が救命に重要であることは常識であった。この常識がまずは教育界の常識になってくれなければ子供たちの突然死は救えない。その委員会では「教員の皆さんにも心肺蘇生の講習を受けていただけたらかなり救命率もあがるだろう」という意見も出た。しかし教育委員の先生のコメントは「教育の現場はかなりたくさんの問題を抱えている。学業問題だけではなくありとあらゆる研修項目があり教員の日程などとても空けられる余裕はない。心肺蘇生の講習などを教員研修として義務化する余地はない」とい言われたのを覚えている。<o:p></o:p>

 


AED使わず学校で小5死亡、両親が市を提訴 その2

2013年10月29日 07時06分55秒 | インポート

 

 何とも痛ましい事故(事件?)である。昔から学校教育の現場はいろいろな意味でなかなか壁が厚かった記憶がある。昔は「心肺蘇生? それは医療行為だから素人の教員が手出しをしてはいけないものである」とけんもほろろであった。大昔、自分が某財団の推進する「教員に対する心肺蘇生法の普及啓発に関する委員会」の委員をしていた頃の話である。教育委員会からも委員として参加をいただいた委員会である。当時、ヨーロッパ各国や米国では学校はもちろんのこと不特定多数の人たちが集まる施設ではきちんと健康管理者を選任して、職員に心肺蘇生を普及させ、そしてAEDを設置しましょうということが実際に行われていた時代である。その観点から言えば日本はかなり遅れていた。実はモノ(AED)はすでに輸入品ではあるが現物として利用可能な時代であった。小児用のパッドは確かまだなかったかと思ったが大人用が流用可であった。<o:p></o:p>

 


AED使わず学校で小5死亡、両親が市を提訴 その1

2013年10月28日 07時12分52秒 | インポート

ネットでこのような記事を見かけた。

 長岡市内の市立小学校で2010年10月、小学5年の次男(当時11歳)を亡くした両親が、「学校がAED(自動体外式除細動器)を使用すれば助かった」として、長岡市を相手取り、9186万円の損害賠償などを求める訴訟を新潟地裁長岡支部に起こした。訴状によると、男児は同月20日、昼休みにサッカーをするために校庭に出ようとしたところ、校舎の通路で左胸を押さえるように倒れた。教諭や校長が駆けつけ、人工呼吸や心臓マッサージなどで心肺蘇生を行った。倒れてから4分後、1人の教諭が校内に備え付けてあったAEDを持ってきたが、誰も使用しなかった。児童はその後病院に搬送されたが、約4時間後に死亡した。校長らは、事故の4か月前にAEDの使用法について救急講習会で受けていたという。両親は、AEDを使わなかったのは「故意、重過失による作為義務違反」と主張している。20131051338 読売新聞)<o:p></o:p>

 


お知らせ

2013年10月26日 06時46分28秒 | インポート

  

 さて本日も台風が接近して東京は風雨が強くなっています。前回の台風26号の時は午前中休診とし急患のみとしましたが、通常の患者さんも多かったです。そのため本日は休診にせず通常診療といたします。ところで長寿健診の受診期間は10月一杯までです。まだお受けになっていない方はぜひお早めにお受けください。年齢によりますが最大限、心電図、胸部レントゲン、採血、尿検査がおうけになれます。普段クリニックにおかかりのかたでも風邪ひとつひかない方は胸部レントゲン検査を1年以上しない場合もあります。「私は血圧の薬をもらっているから調べなくて大丈夫」と思われている方がかなり多いようです。薬を内服していても検査しなければわかりません。また「通院しているので普段の診察で癌もわかる」とお思いの方もいらっしゃいます。癌は別途がん検診をぜひお受けになるようお願いいたします。<o:p></o:p>

 


美談?安全管理? その8

2013年10月25日 06時53分36秒 | インポート

   はっきり言えば殉職(という表現が適切かどうかはわからないが)した隊員は、好き好んで現場に飛び込んだわけではない。これは己の職務だから飛び込んだのである。そしてその飛び込む基準の安全性を担保するのは統括する組織が責任を持つべきなのである。したがって「彼らの行動は勇気があって・・・」などという会見に終始したのは少しイラッとした。どうも組織の責任の所在を個人の美談にすり替えられたような思いがしたのである。本来であれば「安全管理を徹底した隊行動を十分に行えなかったのは指導上の問題であり、今後は現場での安全教育を徹底し二度とこのような二次災害を起こさないよう・・・」といって頭をさげるのが正しいのである。亡くなった彼らにもともと勇気があるのはわかる。しかしそれは組織管理統括者が波風を抑えるべくTVの会見で「水戸黄門の印籠」的に用いるべき言葉ではない。しかも彼らは勇気をもって飛び込んだのではなく、職務に忠実だったのである。あの会見を聞いていて、見方を変えれば「彼らが好んで、進んでやったことです。彼らは賞賛できます。(で、我々の責任はウヤムヤにしました)」という印象がいまも拭い去れないのである。その件についても当時指摘したマスメディアはなかったのである。<o:p></o:p> 


美談?安全管理? その7

2013年10月24日 06時57分53秒 | インポート

  大分、前の話である。ある町での火事であるが、消火に際し消防隊員が火災現場に入ったところ2階部分の天井が焼け落ちて、消火に当たった隊員が死亡した話をTVで見た。TVの場面はその消防本部の責任者と思われる上司が会見で話をしていた。「彼らの勇気ある行為は賞賛されるべきで・・・」などと美談に終始していた。彼ら消防隊員の行動は常時、勇気あるものであるのは明白である。しかし切羽詰まった勇気ある行為を火事のたびにしなければならないのでは隊員はたまったものではない。これは一般人の勇気ある行動に対する賞賛とはわけが違う。組織としていかに安全管理の徹底教育をしてきたのかが重要なのである。なんとなく当時、その放映を見ていて「なんかコメントすべき話の方向性がちがうんじゃないか~?」とこの消防本部の責任者の会見を聞いていた。<o:p></o:p> 

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美談?安全管理? その6

2013年10月23日 07時27分09秒 | インポート

  数年前であるが、JRの某駅でホームから線路に落ちた酔客を助けようとした韓国青年が電車にはねられて亡くなった。自分もその現場に遭遇したなら「安全管理」などとはいっているがどのような行動をとるかは皆目見当がつかない。反射的にどう動くは動物的な勘でしかない。そしてそれがうまくいくか、いかないかもわからないが、彼の場合は最悪不幸な結果になったのである。しかし彼の救助しようとする精神性の高さは立派なものである。両国間ではいまだに深い溝があり、その歴史的認識の違いから相互理解に乏しい部分が多々見られている。でもお互い市民レベルでみればどちらも儒教の影響を受けた国である。その部分での共通認識は十分に同じように共有しているものと考える。彼のとった行動はきっと蛮勇ではなくもっと高い位置での精神性に裏付けされたものと思われる。<o:p></o:p> 


美談?安全管理? その5

2013年10月22日 07時02分01秒 | インポート

   大昔、日赤の心肺蘇生の講習で教わった。倒れている人を見かけた場合、その傷病者に取り付く前に必ず「周囲の安全よし」と現状の安全確認を励行させた。また米国の病院前救護(主として救急隊員向け)の外傷対応法習得コースにBTLSというものがあるが、これも現場の傷病者に近づく前に「size up the scene」といって現場の状況が危険ではないかを救助の前に確認させる手順を教えている。たとえば傷病者が倒れていても車から漏れたガソリンに引火しそうな状況であれば引火防止処理のできるチームが到着するまで傷病者に近づいてはいけないのである。これはプロの救急隊員に対しても教えていることである。一般人が現場に急に入って傷病者に近づくことの危険性は特に啓蒙の必要があるだろう。とは言え、目の前の踏切の中で出られない老人を見かけたら、思わず入ってしまうであろうその行動背景も理解できる。この場面に遭遇したら自分もどう動くかはその時にならないとわからない。<o:p></o:p> 


美談?安全管理? その4

2013年10月21日 07時24分18秒 | インポート

  この部分をきちんとわけて報道しないと、美談を装飾化し救助精神を高揚させるだけ高揚し、実は一番大事なことである安全管理を落としてしまうことになる。美談を美談として賞賛し報道することはよいことである。しかしあまりにも見栄えをよくするためか過度にストーリー性をもたせたりドラマ仕立てで報道したりすることは、この一番重要な「安全管理」も伝えることのフォーカスがぼやけてしまうので好ましいものではない。今回、安全管理を徹底した報道は一つもなかった。とにかく安全管理を徹底報道してもこの亡くなった救助者の精神性の高さを損なうものではないのである。<o:p></o:p> 報道担当者はこの安全管理についての認識があるのか、もしあったとしてもあえて何らかの理由で報道していないのかどうかはわからない。いずれにせよ画面片隅のテロップにでもいいので「注意書き」として一言でも入れるべきであった。最近ではアニメの放映前に「お部屋を暗くしたり近づいてみないように」とか「小さなお子さんはマネしないように」とかやたらと注意喚起している割にはこのような美談に隠れた注意喚起が足りないと思うのだが。<o:p></o:p> 


美談?安全管理? その3

2013年10月19日 06時52分17秒 | インポート

 

 救助者が事故に巻き込まれたならどうなるか? それは次に続く救助者の手間が2倍に増えるのである。救助すべき人がもう一人増えるので以後の対応人数や危険度がより高くもなるのである。「危険をかえりみずに救助に向かう」ことは訓練された組織や団体の隊員が行う場合は理解できる。それこそ彼らは毎日辛い訓練をして救助のプロとして就業しているのである。それでも事故が起これば「組織としての安全管理に問題はなかったのか?」と内部で大きな問題として議論されているのである。かれらは蛮勇をふるっているのではない。最大限の、かつ細心の注意を払って現場に飛び込んでいるのである。救助のプロと一般人の初動では当然かなりの差が出てくるのである。<o:p></o:p>

 


美談?安全管理? その2

2013年10月18日 07時02分15秒 | インポート

  この事故を報道する場合は、テロップの片隅でもいいし、あるいはアナウンサーが最後の結びにでもいいのであるが、一言「遮断機のおりた踏切内は大変危険です。今回の報道は安易に遮断機内に侵入することを推奨したりするものではありません」と断りを入れるべきである。この事件の救助者に対してこぞってマスメディア各社が称賛することは、救命救助の精神の高さを伝えるということでよいことである。これはこれでよい。しかしその次のステップとして「危険をかえりみずに救助に向かう」ところまでマスメディが推奨していると誤解されるのが怖いのである。救助精神の精神性の高さと救助方法の良否は別問題なのであるがこの部分をきちんと報道しないと混同してしまう可能性がある。自己犠牲的に命を賭してまで他人を救助する行為は、結果論的には美談となるが、方法論的には蛮勇であり勧められるものではない。<o:p></o:p> 


美談?安全管理? その1

2013年10月17日 06時44分42秒 | インポート

  この間のことである。ある老人が遮断機の降りた踏切の中で出られず、それを救出しようとして踏切の中に入った40歳の女性が電車にはねられて亡くなった。痛ましい事故である。そしてほどなくしてこの勇気ある行為に国は彼女に紅綬褒章を贈ることを決めたようである。この亡くなった女性の勇気と救助精神に対してはもちろん最大の畏敬の念をもつ。しかしながらこの事件の報道に対しては最大限の注意を払わないととんでもない誤解が生ずる恐れがある。何人かのキャスターがほんのわずか核心に触れただけであるが、ほとんどの報道はこの事件を美談化している。もちろん美談なのであるが、美談に終わらせてはいけないのである。また彼女の行為に対して国が紅綬褒章を授与したことも、安易な「賞賛」や美談のみに終わってしまうことに拍車をかけているような気がする。<o:p></o:p> 


本日台風

2013年10月16日 07時08分59秒 | インポート

  先週、というか数日前までは直射日光も肌に痛いくらいで、東京でも30℃を記録するような天候でした。北陸ではもっとも遅い猛暑日を記録するなど10月になっても暑い日は続き、クリニックでは風邪などの体調不良を訴える方が来院しています。この前、漢方の勉強会に参加してきましたが、夏から秋にかけては「陽から陰に」かわる季節であり、この狭間の時期は精神的にも肉体的にも変調をきたしやすいと聞きました。日替わりで半袖でも大汗をかくような気温から、一転して長袖の薄手のセーターが翌日に必要になるのでは身体もびっくりして対応しきれなくなるのは理解できます。流石に今後はもう30℃はないと思いますが、今夏の猛暑の影響で台風がたくさん発生しているようです。本日はすごい台風です。本日は午前中のみ臨時休診いたします。開業以来、天候不順による休診は初めてです。不要不急の外出はお控えください。午後からは診療いたします。<o:p></o:p> 


お手伝い? その7

2013年10月15日 07時41分16秒 | インポート

  小児ということで思い出した。同級生に内科専門医と小児科専門医がいる。彼らの話である。内科専門医は「小児なんて診たくもない。子供の話はよくわからんし、よく泣くし、そして本人だけでなく母親も相手しなければならいので、とにかく面倒くさい」とのこと。なるほど一理ある。大泣きされたり大暴れされるとこちらの血圧が上がってしまう。まあ、しかしウチでは小児科はあげていないがよくお子さんが来る。みんな概ねおとなしいので苦にはならない。ただ小児科専門の看板をあげたならきっと逞しい子?もくるんだろうなと想像できる。さて一方、同級の小児科専門医であるが、彼曰く「大人の身体なんて気持ち悪くてとても診る気がしない。冗談じゃない、内科なんてとてもできない」と言っていた。ひとそれぞれである。うちは基本的には大人も子供も診る。地域のかかりつけ医院では何でもやらなければならない。ま 地域の中で各家庭の保健衛生管理のお手伝いをしていると思えば自分の存在意義もあるのかなあと思うのだが。<o:p></o:p>