吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

学会セミナー参加 その7

2012年01月31日 06時53分17秒 | インポート

 缶ビールの影響と1日の疲れから少しウトウトしていた。ところが高齢とおぼしき女性の大きな声で目が覚めた。どこかの駅を出発した直後であったようだ。「ちょ、ちょっと車掌さん、ドアがしまっちゃったのよ!」 ちょうど自分の座っている横の通路を車掌が歩いている時のことであった。そのご婦人は車両のドアを開けて中に入ったところで車掌を発見したので声をはりあげたのであった。「乗ったらねー、すぐにドアが閉まっちゃったもんだから・・・。この列車は違うのよ! 切符換えてちょうだいな」 車掌は切符を見ながら「あーこの切符は換えられません。再度お買い求めということになりますが・・・」 するとそのご婦人は声高に「えっ! 何でなの? だって乗ったらすぐにドアがしまっちゃったのよ!」と・・。何だかまるですぐにドアが閉まったことが悪いような口ぶりである。


学会セミナー参加 その6

2012年01月30日 06時42分29秒 | インポート

 まあなんだかんだで出席してはみたが、かなり面白かったし有意義であった。遠出したかいがあった。帰りの新幹線での楽しみは地元の名産おつまみで飲む缶ビールである。日帰りの強行軍のスケジュールであったが充実感はあった。というかこの帰路における缶ビールが最初からの楽しみのようなものである。だから朝からなるべく水分は控えめにして、そして講演中は眠くなるといけないので会場で出された弁当にも手をつけず血糖を下げる。これだけ身体を脱水状態にするので、ようやく新幹線で飲むビールは格別の味がするのである。いつも患者さんには「水分とらないと血液濃縮になり脳梗塞や心筋梗塞のリスクが高くなるのでとにかく水分摂りなさい」と連呼する割りには自分ではまったく正反対のことをしているのである。これは鍛え上げられた私のようなプロだけが行えるのであって、一般の人には危険すぎるため真似しないようにしてほしい(笑)。反面教師である。


学会セミナー参加 その5

2012年01月28日 06時47分41秒 | インポート

 セミナーの内容は胃や大腸の内視鏡的診断、治療、トラブルシューティングなどであった。また自分ではほとんど行わない肝胆膵の内視鏡的造影に関する手技的説明もあった。診断のところではまだまだ開業医には手の届かないNBIFICEなどの高額機器による診断法の解説もあったが、とにかく新しい知識に触れることができて有意義な1日ではあった。それにしても朝9時から夕方5時頃まで途中10分休憩が2~3回入っただけで昼食時もランチョンセミナーと称しぶっ通しで講義が行われた。まあでもゆったりした時間割で2日にわたってセミナーをやられるよりもよっぽどいい。とても今の仕事のシフトからみると2日間拘束されるのは無理である。ひさしぶりの集中的なセミナーで脳細胞は活発化したが、脳体力の衰えからこのうち何%が自分の頭に定着するのやら・・・。脳の血流シンチでもやってみたら、きっと血流低下をきたしている部分もふえているのだろうなぁ~・・・。


学会セミナー参加 その4

2012年01月27日 06時38分45秒 | インポート

 <msnctyst w:st="on" addresslist="07:福島県福島市;" address="福島市"></msnctyst>福島市は学生時代に柔道部の試合で行ったことがある。それ以来なので数十年ぶりである。当時は新幹線もない時代だったので東北本線の特急でたしか4時間くらいかかったと思う。夏の暑い盛りであった。宿は近郊の温泉旅館であり、風呂がグラグラと煮えたぎるような熱さであったような記憶がある。冬場ならちょうどよい温度だったかもしれない。試合の結果? 散々だった。情けなかった思い出だけである。まあ今回は冬場であるが日帰りなので温泉にも行くわけにはいかない。また震災後の福島であり、駅前の所々に「頑張ろう、福島」的な横断幕も見かけた。さてセミナーが開催されたが主催者の挨拶でも「この震災後の福島へお越しいただけるのは、皆様方の復興支援のお気持ちの表れだと理解しております」とコメントがあった。駅前の様子しかみなかったがさほど外観上、震災の影響がみえるところはなかった。しかしやはり市民にはかなりのダメージが今も引き続いてあるものだと実感できたのである。


学会セミナー参加 その3

2012年01月26日 06時48分45秒 | インポート

 渋々、学会の地方会セミナーを探してみたところ、九州、神戸、および四国などでセミナーの散発的開催を発見した。自分が出席できる条件は日曜日の1日開催であり、かつ日帰り可能圏内がベストである。そして最悪でも土曜の夜には現地入りししかも日曜の夜には帰京できることである。飛行機を使うのもやむをえない。まあ、しかしながら東京セミナーを受講できないがため溢れ出てしまい、高い交通費を払って地方にまで「密航」(受講)するという現状は尋常ではない。とりあえずそんなこんなで福島開催のセミナーを発見したので申し込んだ。東京セミナーはすぐに満席になるので福島セミナーでは開催告知後すぐに申し込んだら受講者番号2番だった。なんだ地方会のセミナーでは出足はそんなに早くないんだなと安心した。福島なら当日朝出発での日帰りが十分可能である。というわけで福島に日帰りで行くことにした。


学会セミナー参加 その2

2012年01月25日 06時43分09秒 | インポート

 それにしても愚痴である。消化器内視鏡学会の専門医更新の要件で「セミナーを受講すること」と新たに決定され、その通知がきたのは昨年の秋であった。さて専門医の更新は5年毎ではあるが、自分の更新年は今年である。つまりわずか1年弱の間に是が非でもこのセミナーを受講しなければならないのである。人によっては更新年は最大5年間の余裕があるが、自分の場合はほとんど時間的余裕がない。しかも東京セミナーは定員が200名くらいしかない割りには出席希望者が多くてすぐに予約が一杯になる。しかも平日や土日の2日間開催であり、平日診療をしている自分のような開業医には参加しにくいのである。このまま専門医を更新できなくなる開業医も絶対に出現するはずである。何を考えているのか、内視鏡学会の関係者に猛省を促したいところである。


学会セミナー参加 その1

2012年01月24日 07時03分03秒 | インポート

 専門医の資格更新をするためには学会主催のセミナーに参加しなければならない。ところが開業してからは診療を休めないので平日には学会などの出張ができなくなった。しかしこのセミナーというのが平日開催のことが多い。内視鏡学会の東京セミナーの開催は土曜日が多く診療時間に重なる。しかも参加を申し込んだところすでに満席であった・・・。でも今年は専門医更新の年の為、是が非でもこのセミナーを受講しなければ専門医を失うことになる。頭をかかえていたところ、この学会の東北地方会主催で資格更新の単位が取れるセミナーの開催を見つけた。そこで急遽申し込んだのだが、日曜日開催ということでこちらとしても都合がよい。というわけで1月15日にセミナー開催地の福島に日帰りの出張をしてきた。


忠臣蔵 その5

2012年01月23日 07時16分09秒 | インポート

討ち入り後、47士の処遇について学者間でも議論がかわされた。林信篤や室鳩巣は義挙として助命を主張したそうだ。しかし荻生徂徠は「47士の行為は義ではあるが私的な仇討ちである。浅野は殿中抜刀の犯罪で死罪なのに、吉良を仇と言うのはおかしい。幕府の旗本屋敷に乗り込み多数を殺害する騒動には死罪が当然である」と主張した。この荻生の主張が採用されて浪士には切腹が命じられた。本来であれば磔獄門であってもおかしくない。ところが江戸の町では「赤穂の侍の仇討ち」というシナリオが作られてしまっている。「さすが赤穂のお侍、見事な仇討ち」と最大限の賛辞に湧いている。ここでもし素浪人の盗賊として磔獄門の沙汰を出したら江戸の町は混乱するだろう。というわけで幕府側は仇討ちの大義名分としては意味不明の部分を指摘しながらも、武士として最高に名誉である処遇として「切腹」を出さざるを得なかったのである。つまり大石は「してやったり」のはずなのである。だからこの正月のドラマでも「切腹に処する」と沙汰が読み上げられた時に大石は「ははっ、ありがたき幸せ」という喜びを満面で表してほしかったのである。それは水戸黄門の「印籠シーン」の予定調和に匹敵するものである。数時間もあのドラマをみて肝腎の最後が締まらなかったので疲れた。まっ、でも虚構の部分の多いドラマにこんな沢山コメントするのも、どーなんでしょーか。これまた新年早々くたびれましたわ(笑)。


忠臣蔵 その4

2012年01月21日 06時36分58秒 | インポート

 大石らがもし討ち入るとなるとその身分は「もと赤穂藩士」である。つまり現在はただの素浪人である。吉良の首をとったとしても、へたをすると「素浪人盗賊集団の押し込み殺人」として磔獄門である。これでは不逞の輩のテロ行為として処理されてしまい「主君の仇」をうったことにはならない。大石は、討ち入りを素浪人集団の強盗行為とされないためにいろいろ策を練る必要があった。例えば討ち入り装束である。どうも脚色との説らしいが派手な羽織袴や山我流の陣太鼓などのアイテムにより、主君の仇討ちをアピールするようなパフォーマンスをしたのである。とにかく仇討ちであるということを幕府に認めさせるような花火を打ち上げる必要があった。つまりどうせ極刑になるなら武士の大義名分を全うできる御沙汰になるようにしなければ討ち入りの意味がない。つまり討ち入り後の幕府の裁定こそがこのドラマの最大のポイントなのである。


忠臣蔵 その3

2012年01月20日 06時45分47秒 | インポート

江戸の町も仇討ちを後押しする風潮になってきた。しかしいよいよ仇討ちをすることになった場合、問題はその際の大義名分である。これは難しい。片手落ちの不公平判決とはいえ、浅野の即日切腹の沙汰は将軍綱吉が出したものである。これから事を起こすとなると将軍のこの裁定に対して「不公平だ。おかしな判断だ」といちゃもんをつけたととられかねない。一方、「仇討ち」とはいうものの吉良が直接浅野を殺害したわけではないため、吉良に対して仇討ちが成り立つのであろうかという疑問も生ずる。不公平といわれるが吉良は幕府の裁定に黙って従っただけである。吉良は仇討ちの相手に自分がなるなんて夢想だにしなかったであろう。「えっ何で俺が悪いの?拙者は切り付けられながらも刀は抜きませんでしたよ。しかもあの時、殿からお褒めの言葉も頂きました。恨むのは幕府の裁定であって拙者じゃないでしょ」と吉良は思うであろう。彼も被害者なのである。


忠臣蔵 その2

2012年01月19日 06時47分16秒 | インポート

 ことの起こりとしてはご存知のように江戸城内で浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかったことにある。理由の如何にかかわらず城内での揉め事はすべて「喧嘩両成敗」のルールである。したがって吉良の全く「お咎めなし」はどのような判断があったのであろうか真相は闇の中である。「殿中にもかかわらず吉良は刀を抜かなかった」ということが褒められたらしく、それで両成敗のルールは適用されなかったのであろうか。一説によると浅野は癇癪もちだったとか、饗応指南役の吉良に指導料を納めなかったとか、あるいは禄高は自分よりはるかに低いが高家に位置している吉良に教わることが嫌だったとか・・・。いずれにせよ浅野御乱心という判断だったのだろうが、取り潰された浅野の家臣には「片手落ち」の不公平判決として以後いろいろと遺恨が生じたのである。


忠臣蔵 その1

2012年01月18日 06時48分59秒 | インポート

 1月2日にテレビ東京で忠臣蔵のドラマをやっていた。なかなか配役も豪華であり、しかも切り口を少しかえて堀部安兵衛を中心に脚本が作られていて面白かった。ところがドラマの最後のお約束の部分であるが、主君の仇討ちを成し遂げた大石内蔵助への沙汰が下される場面であった。「大石内蔵助、以下46名の者を切腹に処する」という幕府側の通達が読み上げられている時の内蔵助の表情であるが複雑な表情をして黙ったままであった。配役は館ヒロシであったが、台本どおりにそうしたのであろうから役者には文句はない。しかしこちらの感想としては物足りなかったのだ。やはりここは「ドヤ顔」と言わずも、少し勝ち誇った表情か、あるいは「ははっ、このたびのご沙汰、ありがたき幸せ」と言うくらいがお約束であろう。ここは「水戸黄門の印籠」と同じように、最後のシメとして予定調和を期待したいところであったのだが・・・。


平成24年診療開始 その8-4

2012年01月17日 07時05分18秒 | インポート

とにかく「今日は休診日であること」「私は今、電話に出ているがこれは出先への転送電話であってクリニックには現在いない」こと、「一度も診療したことのない患者さんに処方箋を発行してはいけないこと(医師法)」等を説明しても事情を理解して頂けない。(ついでに「今、手打ち蕎麦を食べる寸前」であることも言おうとしたがそれはやめた) しばらくしてうちから薬の追加処方ができないと分かると、「へぇ~なんでなの?ダメなの・・あっそ」といって電話が切られた。何やらクレームをつけられているような雰囲気だったので「お役に立てなく本当に申し訳ありません」と最後に追加せざるをえなかった。あとで考えるとなんでこちらが謝罪するのかいな?と・・・。手打ち蕎麦屋での電話だったが、席にもどると名物の蕎麦がすっかり乾いておりモソモソととても美味しい喉越し・・・。実感したのはやはり人生の達人はいる・・であった。今年も恙無く年越しができました()


平成24年診療開始 その8-3

2012年01月16日 07時03分45秒 | インポート

 自分では処方しないような薬剤なので恐る恐る尋ねた。「あの~、大変失礼なことを伺いますが、そのお薬はうちから処方したものでしょうか?」 すると 「・・・・えっ? 何言ってんの? 私はおたくにかかったことは一度もありませんよ!」と語調も荒い返答が帰ってきた。「□□医院さんに行ってもらった薬なのよ。さっき□□に電話してもだれも出ないからおたくに電話したんじゃないの」 まるで「何でそんなこと聞くのよ」といわんばかりの様子で、なぜか私は怒られているような雰囲気でもあった。 困り果てて「え~それではうちで診療したのでなければ追加処方はお受けできかねますが・・・」と説明しても馬耳東風、今の自分の風邪の症状を延々と繰り返すだけでこちらの話を全くきいていないのである。「それで、鼻水がどんどんでてきてね、かんでもかんで止まらないの。そしてね、朝起きたら痰が絡んで切れないくて・・・」  あぁ同じ話の繰り返しである。


平成24年診療開始 その8-2

2012年01月14日 06時56分41秒 | インポート

 どうも口調としては「上から目線」なのである。こちらもかなり遠くに外出中のことなので手も足も出ない。「もうすでに年末年始休暇でしかも今、外出中なので診療できません。それではお薬はどちらの薬局さんからもらいましたか?そちらに私からお話して薬切れということで追加処方お願いすることにしましょう」  その電話の主は少しおかんむりのご様子。「え~っと、カルテが手元にないので分からないのですが、ちなみにどのような薬なのか教えていただけますか」と聞いたところ「薬? ちょっと待ってね? (ガサゴソ・・) ええっと、××と△△と・・・」 はぁ?? 聞くと血圧などの長期処方薬の薬切れではなさそうである。しかも薬品名はほとんど自分では処方したことのない風邪薬と消炎酵素剤である。