吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

大便が出ない その5

2015年09月30日 06時20分59秒 | 日記
 もともと小食が原因で便が少ない方は、野菜など「消化の悪い」ものを多く食べてもらい、作られる便の量を増やしていただく。しかし腸の一部に通過障害のある便通異常(これも患者さんは「便秘」と申告してくる)では、上記の逆であり、繊維のものを控えていただき便が大量に作られないような食生活を心がけていただくのである。生活指導はまったく逆なのである。今まで腸閉塞の患者さんを散々診療した。多くは腹部手術後の腸閉塞である。「ちょっと食べ過ぎたらお腹がいたくなりました」というのはまだいい。「食べ放題に行きました」というのも少し私は「めまい」がするが、でもまだいい方である。自分が経験したもっとも危ない食べ物は「白菜」であると実感している。大体これは白菜の漬物か、あるいは白菜鍋であるが、料理された時の一切れが大きいのである。

大便が出ない その4

2015年09月29日 06時25分50秒 | 日記
 時々他の医療機関で誤った療養指示を聞くことがある。このように腹部手術後の患者さんで便通不良(多くは便秘)を訴えている方に「野菜を多く食べなさい」と指導することがある。これは逆である。正しくは野菜などの繊維ものはなるべく食べないでくださいと言うのが正しい。どうしても食べたいのであれば細かく刻んで粉々にして食べるか、あるいはミキサーにかけて食べてくれと、まるで鳥のエサのような指導になる。これは前回述べたように、繊維の多いものは消化が悪い。食物の塊が腸の狭窄部を通過しようとすれば当然そこが「詰まる」わけである。まあ道幅の狭い地点に大型車を通行させるようなものである。「消化の良いものを食べてくださいね」という言葉の裏には「胃や腸で形がなくなるよう食物」と言う意味である。つまり便塊にならないようなものが理想である。生野菜や大きく切った漬物などは論外である。

大便が出ない その3

2015年09月28日 06時13分57秒 | 日記
 それは開腹手術を過去にされた方の便通不良である。これの対処は難しい。これら人たちの便秘というのは、イレウス(腸閉塞)の場合もあるからである。どんな開腹手術であったとしても、一度でも開腹すると程度の差こそあれ必ず腸は癒着するのである。例えば腸が折れ曲がった状態で腹壁などに癒着すれば、そこの腸の内径は細くなり、腸の通り具合は悪くなる。
道路に例えれば2車線道路の一車線を工事などで通行止めにした状態といえる。交通量が少なければ渋滞しないが、交通量が増えれば道路は車で渋滞するのである。
腸の流れも同じである。腸が細くなった所(工事個所)では、食物残差(車の量)が少なければ流れはスムーズである(渋滞はない)。しかし野菜片など消化の悪いものや大量の腸内容物が一気にその狭くなっているところを通過しようとすれば、そこで渋滞や閉塞が起こるのである。これが腸閉塞である。

大便が出ない その2

2015年09月26日 05時29分12秒 | 日記
 このように便が肛門付近で固まっている時に、腸の動きを高める下剤を飲むというのは、まさに歯磨きチューブの出口が詰まった状態で、一生懸命チューブを絞っている状態である。これではお腹も痛くなるのは当然である。この場合は、まずは下から浣腸して固く詰まっている便を取り除くしかないのである。浣腸しても出なければ指をいれて掻きだして出すしか方法はない。このようにして肛門部分の「栓」をとれば、上からの少し柔らかい便もおりて開通するのである。もしも肛門付近に固い便が存在していない場合では、便が硬くならないように日頃から継続的に下剤ではなく「便を柔らかくする薬(緩下剤)」を毎日服用させる。これで継続的にやわらかい便となり通じがスムーズになる。このように便が出ない場合での対処法はややこしいのである。しかしもっとややこしい人もいる・・・。

大便が出ない その1

2015年09月25日 06時32分48秒 | 日記
 通常の医療機関に「便がでない」といって訪れる患者さんは多い。しかし便が出ない場合の対処の仕方は千差万別である。まず食べる量が少なくて、その結果便が出なかったりする場合はしょうがない。便の元となる食べ物、特に残差が多くなるような繊維ものを多く食べることである。つまり野菜物がよい。このような患者さんに下剤出しても出てくる残差が腸にないため便はほとんど出ない。さて次は腸の動きが低下したため腸内にたまった便が出ない場合である。これはまず理論的には腸の動きを高めてあげる下剤を処方する。しかしここで注意すべきは肛門付近にかたい便が詰まっている場合は、上から便を移動させても出口が詰まっているのでなかなか出てこない。この場合はむしろ腹痛の原因となる。どんな場合でも下剤が効くというわけではないのである。

紀州犬に13発発砲 その3

2015年09月24日 06時07分52秒 | 日記
 この犬は以前より近所でトラブルを起こしていたらしい。つまり今回の事件の原因はすべてに飼い主の躾に原因がある。大型犬の飼い方はどうもいろいろと特殊性があるようである。ある一定の飼い方を履行しないとこのような結果になるというのは予測できたはずある。今回、近所の人を恐怖のどん底に突き落とし、そして罪もない人にケガを負わせ警察の手を煩わせることになり、「発砲」ということで警察はマスコミの「餌食」となった。きちんと犬を躾けていればこのような大ごとにはならなかったはずである。犬も可哀想であろうが一番かわいそうなのは、被害者であり、近所の住民であり、警察である。また正しく大型犬を飼育している他の人たちにも今後、風評被害が及ぶかもしれないし、大型犬の正しい飼育法を普及させている協会などあれば彼らの努力を無にしたわけである。あらゆる理由をもって飼い主が一番の責任者であり断罪されるべきなのである。

紀州犬に13発発砲 その2

2015年09月19日 06時29分41秒 | 日記
 事態の収束に「13発も」の銃弾が使用されたことが強調されていたような気がするが、犬とは言え愛玩用の小型犬などではない。凶暴性を帯び、現在進行形で人に噛みついている大型犬である。しかも1発で急所に入らなければ手負いの狂犬である。余計に大暴れしたのであるから、その事態が鎮圧するまでは続けて発砲せざるをえないことになる。しかも飼い主(正確には飼い主の夫らしいが)の上に覆いかぶさり噛み続けていたような状況である。この飼い主にあてないように発砲するのは難しかったであろう。13発というのはやむを得ない数と思うのだが。さて件のコメンテーターの話しでは「犬なのに13発も」、「捕獲しないのか?」、「麻酔銃使えばいいのに」、「犬が可哀想」・・・等の印象を受けた。そうではないだろう。可哀想なのは噛みつかれケガを負わされた2人の何の罪もない通行人である。彼らに関して誰も何のコメントもなかった。この被害者は憤まんやるかたない気持ちであろう。「犬が可哀想」とTVで言われたら、「じゃあ、噛みつかれた俺たちは可哀そうではないのかよ~」と愚痴の一つもでるはずである。

紀州犬に13発発砲 その1

2015年09月18日 05時45分01秒 | 日記
 9月14日ニュースでみた。飼われていた大型犬である紀州犬が逃げ出し、18歳の男性、23歳の女性にケガを負わせ尚も逃走したとのこと。警察は通報を受け、現場に駆け付けると飼い主の男性の上に追いかぶさり噛みついていた。そこで警察官は「誰の犬か?」を確認した後に「発砲の許可」を得て犬を射殺したという。さてこのニュースを朝の情報バラエティでみたがコメンテーターのトンチンカンなコメントに驚いた。ニュースは警官が犬を射殺するに「13発」も発砲したとのことを大事(おおごと)にしていた。もちろん発砲などしないに越したことはない。しかし相手はすでに2人にケガを負わせ今も目の前で3人目に噛みついている大型犬である。コメンテーター曰く、警察官は出動する際に捕獲の準備をし射殺せず捕獲すべきであったとか、麻酔銃を使うべきであったとか言っていた。緊急出動の際にそんなものを悠長に準備などできるはずがないし、目の前で襲われている人をみて、「じゃあ、(無手勝流で)捕獲しますか」などとは思わない。自分は、一番安全でかつ早急に解決できる手段を考慮するなら、今回の銃の使用は適切であったと考える。このコメンテーターは自分が現場にいて、眼前で人が襲われており、それを自分が救助しなければならないとしたらそんな悠長なことがいえるのであろうか?

口のきき方 その3

2015年09月17日 06時16分47秒 | 日記
 口のきき方で思い出した。昔、根津に住んでいた頃のことである。
地下鉄に乗ろうとして根津駅の券売機に行ったら、ある中年の外人女性が路線図を見上げながら自分の行き先を探しているようだった。
もちろんローマ字表記もなされているが、都内の地下鉄路線図は結構複雑である。とてもソワソワして困っていたようなので、英語で「お助けしましょうか?」と声をかけた。
彼女はどうやらとても急いでいる様子である。(以下、英語での会話)
彼女:「・・あー○○へ行きたい。どうしたらいいんだ? 教えて頂戴!!」(かなり焦っている)。 
私:「ええっと~、○○ですね~・・・、(少し路線図を見ながら)、それは、えー、××で乗り換えてー・・」  
彼女:(いきなり突沸して)「早くして頂戴! 何してるの? 分からないの?!」  
私:「えっ?・・・」 
彼女:「××乗り換えね! もういいわよ!」といってさっさと切符を買っていってしまった。

何だか余計なおせっかいだったのか?


口のきき方 その2

2015年09月16日 06時06分20秒 | 日記
 どだい都区内で無料で止められる駐車場なんてあるわけはない。この男の車のナンバーは都内ナンバーである。都区内の道路事情や交通事情は知っているはずである。にもかかわらず「金払ってもいいから駐車場はないのか?」という問いかけは、普段は違法駐車をいつもおこなっているということであろう。
私:「えっ? お金払う? その駐車場はコインパーキングです。もちろんお金はかかります」  
男:「ああ払ってもいいよ、でも遠いの?」  
私:「歩いて数分ですけど・・・、でも今日は地蔵通りが縁日なのでこの時間は満車かも・・」  
男:「それじゃ意味ないじゃない!」  
私:(何よ、なんで私が責められるの?)「はぁ・・・、でも行ってみないとなんとも・・・」  
男:「もういいよ、はいどうも」  
私:「・・・。」
 本当に身なりや風貌はごく普通の人である。しかしこの態度で今までの人生を普通に送れてきたのかと思うと、この人の職業は何なのか知りたくなった。何だかとても清々しいひと時であった・・・・。。。

口のきき方 その1

2015年09月15日 06時01分19秒 | 日記
 この間、国道17号(中山道)を駅に向かって歩いていたら、中年男性(普通の)にいきなり声をかけられた。国道沿いに乗用車を止めて、駐車場を探しているのであった

男:「あのさー、ちょっといいかな?」
 (私:何いきなりこの言葉遣いは?)(添削:「恐れ入ります、ちょっと宜しいですか?」でしょうが)

男:「ここいらで駐車場ない? この道路、駐禁だよね?」
  
私:(都区内の幹線道路は駐禁が常識でしょうに。と思いつつ)
  「え~っと、地蔵通り側にいくと2~3駐車場が・・・」
 
男:「ダメダメ! この辺りでって言ったでしょ!」

私:(何この態度は)「あ でもそこの信号まがってすぐですよ」
  
男:「はぁ~、歩くの~、金払ってもいいからさー近場にない?」 
 
 普通の身なりの初老の男性である。きちんと教育を受けてきた人なのだろうか?

東京五輪ロゴ盗作疑惑 その7

2015年09月14日 05時38分48秒 | 日記
 我々の医学論文もそうである。自身の研究にオリジナリティがなければ採択されない。その際、過去の他の研究者の論文の検索、渉猟、吟味などは自分の論文発表の前に徹底的に、自分自身で行うのが当然なのである。医学と言う科学の分野と、デザインというアートの分野では考え方が違うと言われればそれまでであるが、オリジナリティという考えは皆同じである。特に五輪エンブレムなどという世界中から一番目立つところにあるものでは、そのオリジナリティは唯一無二であることが当然のごとく当たり前なのである。意識的に盗作したのでなくても、似たようなデザインの検索を省略したのであるのだから佐野氏の責任は重大なのである。例え最初から佐野氏の受賞に決まっており、細かいデザインの手直しが組織委員会から独断で秘密裏に指示されていたとしても、ものをクリエイトする立場のものが自作のオリジナリティを追及しなかったのは如何かと思う。
 佐野氏には厳しい物言いで申し訳なかったが、彼は才能のある人である。彼の才能はいわば日本の宝でもある。今後、組織委員会の役人は保身工作するであろうから埋もれていくことはないが、彼の才能こそ埋もれることがないよう以降の氏の活躍におおいに期待する。

東京五輪ロゴ盗作疑惑 その6

2015年09月12日 06時06分12秒 | 日記
 その後の報道では、デザイナーだけではなく、選考委員会もわるいのだとか、五輪組織委員会の横やりで最初から受賞は佐野氏にきまっていただのの疑惑が噴出している。たぶん全員が悪いのであると思う。ところが組織委員のコメントでは、特に誰がわるいというわけではなく、またそこでこの責任の所在を追及するべきではないとのコメントがあった。言語道断である。周辺産業への影響も入れたらたぶん何億円も損失しているのである。競技場建設も併せて「だれも悪くない」という気がしれない。ここで責任追及しなくていいというのは、それこそ無責任である。しかし一番悪いのは、盗作していないといっても、自身の作品において唯一無二のオリジナリティ確認を怠った佐野氏である。トカゲのしっぽ切りではない。佐野氏一人に全責任をかぶせるつもりはない。しかし「こと」の起こりはこの盗作疑惑から始まったのである。きちんと自分で、今までの他の作品をチェックし、疑いの余地が入らないまでのオリジナリティを確認するまで受賞の発表を控えさせるべきであった。クリエイターのプライドの問題である。

東京五輪ロゴ盗作疑惑 その5

2015年09月11日 05時43分11秒 | 日記
さていろいろエンブレムの件でスタート段階から躓いているが、今回その非はデザイナー自身にも責任があると考える。実際、(本人ではなく自分のスタッフなのであろうが)別件で種々デザインを流用、盗用している人が「五輪のエンブレムだけはパクっていないです」といっても、それは信用できないのは当然である。本人が盗作していないといっても、どうみてもあのロゴは、他の引き合いに出されたデザインと酷似していると思うのだが、そう思うのは私だけであろうか? このようなアートの世界は直観であり主観の世界である。自分が似ていると思えば似ているのである。専門家仲間が彼を擁護する意見で「完成に至るまでのコンセプトが異なるので別物である」という意見がでたがそれは違う。世界中の多くの人にとってコンセプトの違いなど分かるわけではない。完成に至るまでの経緯よりそのロゴを見て「あ 東京五輪だ。いいデザインだな」と思わせるものでなくてはならない。「あれ どこかで見たようなデザインだな?」ではだめなのである。自分もデザイン専門家の言う「ど素人」であり、デザイン界の慣習にのっとった専門的感性がないので、彼らの言うこのロゴの独自性を理解しえないのかもしれないのだが。

東京五輪ロゴ盗作疑惑 その4

2015年09月10日 06時23分30秒 | 日記
 近年のオリンピックはいろいろな面でごたごた続きである。中国のオリンピックでは少女の唄が口パクだったとか、空中に浮かぶ動物の足跡を模した花火が実はCGだったとか、またリオ五輪では競技場設営が間に合うのか、治安管理はどうするのだとかいろいろな問題点や疑惑があった。東京五輪では「さすが日本、気配りが行き届いている。コンパクトでシンプルだが機能面でも安全面でも至れり尽くせりである」と、他国とは異なる圧倒的な「おもてなし」を示してほしかった。それがまだ開催5年も前なのだが何となくすでに残念な結果も予想されて不安なのである。今回の新国立競技場も最初から「えっ? 何で建てなおすの?」と思った。1964年の東京五輪の時に使った競技場でも、「改修を加え過去の思い出を大事にしながら未来につなぐよう使っていますよ」というコンセプトでもいいのではないだろうか?なんだか森さんのいう「未来の遺産として誇れる立派な新国立競技場建設を」などとは自分は全く思わない。未来の遺産として残すなら、戦後の混乱期から見事に復興して感動的な東京五輪を開催した競技場というもののほうが遺産的価値は高いような気がする。