吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

Hand in hand その2

2018年02月28日 06時11分07秒 | 日記
 冬季五輪に格闘技はないが、格闘競技では試合後の握手はいらないと思っている。特に武道はなおさらである。武道の試合の意味は「果し合い」である。勝者は敗者に対して最大限の敬意を表するものである。それは「お見事な最後でした」なのである。決してお互いの健闘をたたえ合ったり、試合が終わればノーサイドとなったり・・ではないのである。相手への敬意の表し方は、黙って一礼するのが正しい。
 特に古来の精神性では武道で負けは死を意味する。北の湖は土俵の下に突き落とした相手に手を差し伸べることはなかった。それは敗者のプライドを守る行為である。お互い笑って肩を抱き合って健闘をたたえ合う・・のではない。
 
 もちろん冬季五輪には武道はないが、でも敗者は無茶苦茶悔しいのである。五輪の精神は、おそらく世界平和・・なのだから健闘を讃えあうのは美しく感動的で好ましい姿なのだろう。
 でも悔しい敗者は誰にも触られることなく控室で悔しさを処理したいのである(たぶん)。試合場で自分を負かした相手と笑顔で肩を抱き合うのは極めて酷な話である。しかもその映像が世界に配信されるのである。この姿をみれば見る側は感動するのかもしれないが、当事者である敗者の気持ちはどうなのであろうか?

Hand in hand その1

2018年02月27日 05時43分10秒 | 日記
 小平奈緒選手がスケートで金メダルをとった。彼女のライバルで韓国のイ・サンファ選手は、過去五輪の金メダリストであるが、今回は銀メダルで自国開催の大会では金が取れなかった。
 さぞ悔しい思いをしているだろうが、小平選手が駆け寄り肩を抱いて寄り添う姿がとても感動的だった・・・と画面には映ったのである。確かにこのところ韓国とのいろいろなトラブルがありウンザリしていたところなので一服の清々しい清涼剤となった・・・はずである。
 この2人はもともと「大親友」らしいし、プライベートでの付き合いもあるくらい仲が良いらしいので、それならばそれでもいいのである。

 ただ、まあ・・ひねくれて考えなくともよいのであろうが、勝利した競技者が、敗者をなぐさめに行くにはちょっと注意が必要である。
 勝利者には、勝ったということで「勝利者特有の安堵感と平等観を根底に持つ、ちょっと上から目線のhand in handの感情」がどこかしらにあるかもしれないからである。
 そしてそれは時に敗者を傷つけているかもしれない。

羽生の国民栄誉賞は? その6

2018年02月26日 05時30分54秒 | 日記
 昔「反戦フォーク」を謳っていた自分は、当時は訳も分からず完全に左翼であった。ハーモニカホルダーにハーモニカを挟みギターを弾きながら「南の空がもえてるぜ~、大砲の弾が破裂してる。お前は殺しのできる歳。でも選挙権もまだ持たされちゃいない~・・・(「破滅の前夜」)」などと唄っていた。
 ところが今となっては、当時の社会科の教師の教えをまったく守らず、完全な愛国者に自分は「成り下がって」いるのである。きっと当時の社会科教師が今の自分の考えを知ったら嘆き悲しむだろう。

 もちろん羽生選手は、反日教師によって教育を受けた世代ではなかろう。自国の国旗にきちんと敬意を払えるような姿勢は誰から学んだというわけではなく、国際的に他国選手と切磋琢磨されて醸成された感覚なのであろう。
 そしておそらく・・・反日教師の行ってきた行為(例えば卒業式で国旗に拳をあげるたり国歌斉唱を拒否したりという行動)にて得られる教育効果より、羽生選手のこの映像をみせるだけのほうがはるかに若い世代に与える影響は強いものと思われるのである。

 今回彼のささいな言動は、たかだか二十歳のくらいの若造なのだがウルっときてしまい、これは国民栄誉賞ものだと考えてしまうのは自分だけではないと思う。

羽生の国民栄誉賞は? その5

2018年02月24日 05時43分28秒 | 日記
 やっぱり五輪で真ん中のポールに国旗が掲揚されて国家が流れてそれを選手が口ずさんだら、その光景は嬉しいものだし感動的になるのが普通の感覚だと思う。
 前述の反日的教師は、金メダルを取った選手が国旗掲揚、および国歌を流すことを拒否する姿を感動的だと考えているのだろうか?
 まあ自分の世代は「勝利を我らに」「戦争を知らない子供たち」なのである。訳も分からず昔は自分も「べ平連」的だったのである。何だか愛国心・・・などと口走ると「お前は右翼か?」とか「ナ~ンセ~ンス」とか頭越しに否定されそうな時代であったのである。

 今、国民の何割が愛国心をもち、またどのくらいの日本国民が反日感情をもっているのか知らない。日本国国民が反日感情・・・これって何だか変なのである。

羽生の国民栄誉賞は? その4

2018年02月23日 06時36分28秒 | 日記
 自分の世代で受けた中高での教育は、ものすごい教師もいた。
 特に中学時代の社会科の教師は
「政府の言うことを信じちゃいけない。またいつ何時自分が身に覚えのない逮捕をされることもある。その時は慌てずに『逮捕状をまずきちんと見せてください』というんだぞ」
 と授業中に言われた覚えがある。
 今考えるとなんだかこんなことを中学の授業でやるのかと違和感を覚えるのである。

 また自分の世代にはなかったが、卒業式で国歌斉唱拒否、日の丸掲揚拒否という姿勢を崩さず、生徒にもその主張を通した教師も沢山いた。
 これら行為が戦争につながるのだというのであろうか? 日本を好きになるとか愛国心を持ったら即「戦争受容」の思想だという考えであり、もし生徒に対してもそのような授業をしていたとしたら、どうしたって偏気的教育とおもってしまうのである。

羽生の国民栄誉賞は? その3

2018年02月22日 06時27分50秒 | 日記
 個人的な偏った意見ではあるが、ある言動だけで羽生には国民栄誉賞をあげてもいいと思ったのである。それは最近見たネット上での彼が20歳の時の動画である。

 何かの大会で優勝し日の丸の国旗を背負ってウィニングランをして戻ってきたときのことである。TVクルーのインタビューに呼び止められた時、手には一杯の荷物を抱えていた。
 インタビューを受けるため、それら荷物をまず床に置いた時に、

「あ 日の丸は床に置くわけにはいかない。ちょっとこれ持っていてください」

 と同行する関係者にきちんと折り畳まれた国旗を委ねたのである。
 この動画を最近見たが、たかだか二十歳くらいの若者がこのようなきちんとした態度をとれるのかと驚きもし、また感動もしたのである。
 この国旗に対して敬意をあらわす言動は、左翼的教育者がみたら「国旗に敬意→愛国者→戦争肯定」と写ってしまうのだろうか? ま そんなことはないですよね。きっと。

羽生の国民栄誉賞は? その2

2018年02月21日 05時38分12秒 | 日記
 また、長嶋、松井の国民栄誉賞も何だか、え?何でと言う感じだった。記憶には残るが大記録を立てたわけでもない。しかも2人そろってのバーター的受賞は何なの?と感じた。
 それなら大リーグに行くツテも手段もない時代に、大リーグで先駆的に大活躍した野茂英雄の方が実績もあると思われる。
 なんだか、もちろん実績もある程度は必要なのだが、「有名である」「人気がある」「華がある」と言う人が選考されているようである。

 結局、国民栄誉賞の選考基準なんてものは総理大臣の胸先三寸で決まってしまうのかと・・・。ちょっと政局が怪しくなってきたときに国民の目を、このお目出度い行事にそらさせてしまうという手段なのかも?と考えてしまう。

 とすると、国内政局が危ういときに国民の目先を慰安婦問題や反日話題にそらし自身の保身を図ろうとする某国家に似ていなくもない・・・。
 あ~でも日本の場合は隣国への攻撃ではなく、自国内での慶事に目をそらさせることなのでまあ御目でたいことではあるが。
 とにかく、もし今回、羽生が国民栄誉賞と言うのであれば実績、人気ともに申し分ないと思うのである。
 とんでもない奴が現れたなと感じた。

羽生の国民栄誉賞は? その1

2018年02月20日 06時20分09秒 | 日記
 羽生結弦がオリンピック2連覇した。すごい視聴率であった。すでに県民栄誉賞は決定したが、もしかしたら今後、国民栄誉賞なんて話題が出てくるかもしれない。もちろん演技も結果も感動的で素晴らしいものであった。もし国民栄誉賞なんて話がでたら自分も大賛成である。
 が、しかしである。いままでの国民栄誉賞の選考基準(そんなものがあるのか?)はなんだかものすごく曖昧模糊として闇の中の印象がある。
 例えばレスリングの吉田沙保里は金、金、銀で三連覇を逃したが、五輪三連覇の伊調馨よりも国民栄誉賞を先にもらった。また柔道の山下は確かロスで金1回のみであったが国民栄誉賞をもらい、一方五輪三連覇した野村には何もなかった。また五輪女子マラソンの高橋尚子は金1回なるも国民栄誉賞をもらい、野口みづきには何もないのである。


診療報酬改定

2018年02月19日 05時45分08秒 | 日記
 今年の4月からは診療報酬が改定になる。
 2年に一度の改定時期である。定期的に改定になるのであるが、いつも不思議に思うのは改定になると、ほとんどのものは点数がひきさげられるのである。
 世の中、経済の流れであるがもちろん昔からみて、卵など値段の変わらないものもある。
 しかし多くのものが10年前と比べれば少しは値は上昇しているものがほとんどなのである。

 ところが医療経済は、薬価や医療技術は時の流れとともにどんどん点数(価格)がさげられてくるのである。例えばトゲをさした場合の、異物除去(トゲぬき)は、いまでは点数にすらない。
 なので簡単な消毒などの処置点数しかとれない。それでも器機の準備や消毒など行うと赤字である。

 次第にこのような小外科を扱う開業医がへってくるのは頷けるのである。
 この近辺でトゲを抜いてくれるところは、うちと・・・、それから、ええっと、思い出せないな・・、ああそうだ、うちと「巣鴨トゲぬき地蔵さん」しかないな(笑)。
 

時代考証

2018年02月17日 06時03分18秒 | 日記
 TV-CMである。給湯器のCMなのだが、生ごみを器機に入れてそれをエネルギーにし給湯する製品のCMなのである。極めてエコな製品であるがCMの作りがいただけない。
 江戸時代の設定で、殿さまが城下の町を見に来る設定で家来が町内の現状を説明している。
 そして「このお茶は旨いな。どこで湯を沸かした?」というと、生ごみを器械に入れて給湯するシステムが画面に出るのである。
 そして入れる生ごみは果物の皮とか野菜の切れ端とかを使用している。変なのは江戸時代はもともと究極のエコ社会である。野菜の皮だの切れ端は刻んでキンピラにして食べる等して徹底的に生ごみが出ない生活をしていたはずである。
 なのであのCMはありえないのである。・・・というところに目が行ってしまったが、よく考えれば江戸時代にあのようなエコ給湯器が存在するわけもなかろう。
 最初から演出上の画像にもかかわらず、なんだかつまらないところにツッコミを入れてしまったようである。

ネットで拾った面白会話 ⑤

2018年02月16日 05時42分01秒 | 日記
『高校生くらいの男の子2人の会話』

A「俺さー最近すげぇ洗顔にはまっててさあー」
B「まぢで? すっきりするもんな」
A「あのーなんだっけ? ツブツブの入った。あっ、あれだ! タピオカ入りの洗顔。あれマヂでいいよ」
B「あーあれか、あれは俺も好きだわー」

 は? ええっと?・・・あれはスクラブじゃなくてタピオカなんだ。笑

富山の県立高校 髪切り事件 その2

2018年02月15日 05時58分10秒 | 日記
 一般社会での罰則適用は「本人の了承得てから」行なわれるということはありえない。今回の校内での話はユルユルで「温情ある」罰則履行である。そいうことでこの一連の流れの中で何が悪いのか。

 校長は何を謝罪しているのか全く意味不明。確かに今どき公立高校で校則に「髪型」が盛り込まれているのは規制し過ぎである。でももしルールが正当でなければそれを変えればいいのである。

 自分が中学時代は襟足の髪の長さが指で挟んで指の間から出る様な長さであると学校で髪が切られた。公立中学である。
 しかし自分が進んだ公立高校ではそんな髪型のルールなどなく、ほとんど長髪で自由な髪型と服装も自由になった。昔であっても高校生になったら好きな髪型は可能であったが、現在の富山県のこの県立高校の髪型校則には極めて違和感を覚える。
 もし校則がおかしいのなら改定すべきは校則の内容ある。しかし現行の法であるならば「悪法も法」ということになる。ルールには従うべきで、現時点でルール違反はルール違反なのである。
 この校長の謝罪は何を意味しているのか不明。校長はこのルールやシステムのどこが悪いのか検証していない。謝罪に値するのはシステム検証しない校長自身である。

 それにしたって世の中に出てみれば道交法だって、会社の中のルールだって「俺は悪くないのに何で俺が責任とるんだよ」という理不尽な場面はいくらでもある。
 でも今回の話はとても理不尽なことが校内で行われているとは思えないのである。学校内で「断じてあっては~・・」なんて、校長先生・・・あなたねそういうけど・・・ちゃんちゃらおかしいと思うのですが。

富山の県立高校 髪切り事件 その1

2018年02月14日 05時59分14秒 | 日記
 2/9のニュースで、校則違反の髪型(髪の長さか髪型か染毛の有無かは不明)に対して、再三の注意にもかかわらず聞き入れなかった生徒に対して、生徒の許可を得て髪を切ったというニュースがあった。校長は「断じてあってはならないこと」と謝罪した記者会見がオンエアされた。
 でも・・自分は何がいけないの?と疑問を感じている。もともと校則違反というのはルール破りのことである。ルールを遵守しないと罰せられるというのは社会に出てからも当たり前のこと。校則であっても校内というコミュニティ(社会)におけるルールである。当然これは守る必要がある。社会に出てからルールを遵守しないと罰せられますよといういい経験になるだろう。

 一般社会では1回のルール違反で問答無用に罰せられることも多いのである。にもかかわらず「再三の注意にもかかわらず髪をなおさない」と猶予されていること、そしてそれに対して「本人の了承を得て」髪を切るという罰則規定が適用されたのである(嫌がる生徒を無理やり・・・ではない、了承の上なのである)。
 こんなに緩い罰則適用なのに何が悪いのかと思う。
 「髪を切るという罰則」がいけないのか? でもそれは「再三の忠告」と「本人の了承」という2段階のステップを経てのことである。

平昌五輪開幕

2018年02月13日 06時17分27秒 | 日記
 韓国で五輪が開幕になった。開会式をみたが感動的な演出や映像が作り出されており見ごたえがあった。CGを駆使した演出は最近の五輪開会式の特徴である。いつの頃であったか、たぶんあれはロス五輪あたりだったかもしれないが、派手な演出で度肝を抜かれた記憶がある。あれ以来、開会式の演出はどんどん派手になってきたような感じである。
 しかし正直、もう食傷気味になってきた。もうお金をかけるだけかけて派手にして諸外国に対し国威発揚を示すような開会式はうんざりである。
 東京五輪はコンセプトの一つに「コンパクトに」という目標がある。それは予算的にもそうであるが、でもますます膨らみそうである。そして開会式もすでに概略が決まっているようだがどうやら映像クリエーター集団に任せられているようである。これでは絶対「ど派手」で「度肝を抜く」ものが目に見えている。なんだかもうあざとい演出が想像できるのである。「コンパクト」にするって謳っているのであるから、前回の東京五輪のような入場行進が開会式のメインであるような演出の方がいい。最後に日本選手団が入団してきたときは感動した記憶がある。そして家の屋上の物干し台から東京の空に五輪のマークを自衛隊機が作ってくれたのも見た。天候にも恵まれたが、雲一つない快晴の空であの演出は今思ってもなお最高の演出だったと感じる。
 平昌五輪開会式をみてど派手合戦はうんざりであると感じた。

手乗り文鳥

2018年02月10日 05時35分33秒 | 日記
 白い手乗り文鳥を預かった。
 確かに手の上に乗る。しかも落ち着いて座り込むと餅が溶けたように丸く平べったくなるので「おもち」と名前がついている。

 しかしオスのようで気が荒い。静かにしている時はかわらしいのだが、一旦暴れるとどこでもつつきまくって痛いのである。特に目の前で動くものがあると、威嚇しながらつついてくる。

 掌を上に向けているとその上に座り込んでくるし、手の甲にも乗ってくる。
 座り込むと結構、文鳥の体温って高いんだなと実感できる。