さて夕刻になって空港に着いた。すでに航空券も座席も確定しているため時間的な余裕は十分あった。しかし日曜の夕刻である。早めに搭乗口にいたほうが無難と考え手荷物検査ゲートに向かった。順番待ちの列はさほど混んではおらず10分程度で手荷物ゲートを通過できた。搭乗ゲートの近くの土産物屋でビールを飲みながら随分時間を潰して待っていた。さていよいよ飛行機に搭乗したがいつまでたっても離陸しない。しばらくして機内アナウンスがあった。「手荷物検査場が混雑のため搭乗予定のお客様がこれない」のだそうである。こちらは「それ」を見越して早めに予定を切り上げて来たのである。比較の対象にはならないだろうが新幹線なら理由の如何にかかわらず時間が来れば発車する。遅れてきた乗客を待って1時間近くも離陸を遅らせるのは如何なものかとも思われた。「離陸時刻に搭乗ゲートにいなければ飛行機に乗れない」のは当然のことであり自己責任だと米国の国内線で昔学んだ。日本ではサービス過剰ではないのか? 釈然としない。
さて日曜の夕方近くまで学会に出席したが、夜の飛行機の時間まで少し時間があったので大至急、太宰府天満宮にいった。西鉄大牟田線というローカル線にのっていくのだが、途中、車窓にはいかにものどかな地方都市といった風景が流れていた。最近どうも物忘れも多くなった。やはり学会で勉強したら忘れないように学問の神様にお願いしないと効果はないだろう・・・? お参りをしてから学業成就のお守りを買って、帰りに参道で梅ヶ枝餅をたべてお土産を買って帰途に着いた。お参りはまず手を洗い、口を漱ぎ、そしてきちんと二礼二拍手一礼してお願いしてきたので万全であろう。まあこれで頭がよくなれば安いものである。でも老化現象の物忘れだから効かないか?
まさにPCでの学会発表も日進月歩である。昔は総天然色のカラースライドでも驚きであったが、その後は写真も自由に貼り付けられるようになった。しかも今では動画が「きちんと動いて」観られるのである。これを成しえたのは急速なメモリーの増設であろう。メモリーが多くないといろいろな作業やデスクトップ上での活動ができない。写真などの画像情報は特にメモリーを必要とするが、それを動かす動画となるともっとメモリーを必要とするだろう。手書きの原稿を写真に写して、そのポジフィルムをスライドの枠に装着していたアナログの時代は何だったのだろうか。そこまでに介在するタイプ代書屋、写真屋関係の職種は、これらPCの進歩で職をなくしたようだ。昔、学会発表直前に写真屋によってスライドを受け取り大急ぎで会場に飛んでいったことも懐かしい思い出である。現在ではノートPCさえあれば発表会場でチョコチョコっとスライドの手直しができるのである。
最近の学会では発表に動画を用いることが多くなってきた。特に内視鏡学会ではビジュアルに理解してもらうには動画での発表がよい。発表方法もPCができてからはめまぐるしく進歩してきた。自分が医者になったころの発表スライド作成は手書きの原稿を活字で打ってもらいそれをポジフィルムに撮影して手作業でスライドの枠にはめ込んだ。PCができてからはすべて自分でカラースライドをデザインしその画面をポジ写真にとってスライド作成した。画期的だったのは現在の主流であるがPCでスライドを作成し、そのままPCを映写機(プロジェクター)につなげば拡大投影できる。しかもデジカメの普及で簡単に写真も貼り付けられるのだ。手書き原稿をポジ撮影していた時代はなんだったのだろうか?
根本的な問題とは、最近、内視鏡カメラで多用されているNBIという特殊フィルターをかけた画像処理法のことなのである。これでみると病変部と健常部の境界がはっきりと描写されるので見落としが少なくなってきた。ところがうちにはこの装置は高くて導入できないのである。とても元をとれるようなシロモノではない。学会では最先端の発表なので、すでにこのNBIシステムをもちいた観察法での話が当然のように出てくるのである。自分のような貧乏開業医にはどうしようもない。ただあと数年すればこのシステムも安くなってくるだろうし、今からその画像の勉強をしておくに越したことはない。今まで大学の救命センター勤務時代では吐血の内視鏡的止血などが多かったが、今では内視鏡的スクリーニングや診断が多い。見落としたら困るのである。
今回行ったのは内視鏡学会である。普段から胃カメラや大腸カメラをやっているが、ぜひとも聞きたいセッションがあった。それは咽頭、喉頭、食道入口部のあたりの観察方法についてである。大体この部位は耳鼻咽喉科の範疇であるので自分は食道、胃、十二指腸のみきちんと観ればいいと思っていた。胃カメラをやるときにはこの場所は必ず通過する場所であるが、おそらく自分は耳鼻咽喉科まかせにしてほとんど観察していない。もしかしたらいままでここの病変を見落としてきた可能性はある。咽頭癌は見落したけども胃がんは見落しませんでしたでは納得していただけないだろう。いろいろ咽頭、喉頭をみるテクニックを学ぶこともできた。しかし胃カメラで咽頭喉頭をすべてみることは難しく死角もある。また根本的な問題もあった・・・。
昨日は開業後初めて福岡への学会出張をしました。診療を休めないので土曜日の午後に出発し日曜日の1日のみの出席としました。慌しかったです。大学時代は最短福岡へは日帰りでいったこともあります。あれは当時病院長からの出張指令で、「航空身体検査指定医」というパイロットさんの航空免許取得時における認定医の資格を取らされたときでした。たまたま福岡で講習会があるのでそれに出席させられました。朝行って1日講習と筆記試験を受けて夜帰ってくる旅程は結構きつかったです。今回は1泊としましたのでそこそこ余裕があり、さほど疲れずに学会発表を聞くことができました。開業してから4年になりますが学会活動から遠ざかると世の中の最先端から置いていかれたようで少し不安になります。今回は専門医更新のためクレジットをとるため出席したようなものなのですが、でもいざいろいろな発表を聞くと新しい知見に驚かされます。まさに日進月歩です。浦島太郎にならないようにしないと・・・。
もしかしたら糖尿関連の合併症かも?と思い、その病院の屈強な理学療法士を頼み数人で押さえつけて採血した。もし何でもなかったら「あの医者の命令で私は無理やり押さえつけられて暴力を受けた」と後からいわれる危険性もあった。危ない橋である。ところが幸か不幸か結果は血糖値が30mg/dlと低血糖状態であった。あわてて唸って暴れている患者をまた皆で押さえつけてブドウ糖の注射をおこなった。3本目くらいになると患者は「は? えっ? ここはどこ? 僕は何をしていたんですか」と我に返りおとなしくなった。劇的だった。話によると持病の糖尿病の薬を飲んだはよいが急に配達の仕事が入り食事をとらなかったそうだ。こんな低血糖症状など教科書には書いていない。いつも思うが教科書というのは必ずしも経験豊かな人が書いているんじゃないんだなと感じている。
昔自分が週1回アルバイトにいっていた病院でのできごとである。救急隊からトラックの運転手の単独事故であると連絡が入った。どうも不穏状態で暴言を吐いている。これは頭部外傷が疑われるとの前情報であった。ところが搬送されてみて驚いた。患者さんはストレッチャーの上に座っており両手で顔を覆い、前のめりにうずくまって黙っている。とにかく診察させてくれない。救急隊は「本人この姿勢のままで頑なに動こうとしないのですよ」と。何を聞いても答えようとしない。「顔を見せて事情を聞かせてください」といって手を握ると「う~っ」とうめき声をあげて手をふりほどくのである。意識がないわけではない。体表面や胸腹部に外傷があるわけでもない。困り果てて患者さんの手荷物を見たらカバンのそこには薬が見つかった。血糖降下薬であった。もしかして・・・。
その講演で症例が提示されたが、高齢者の糖尿病で内服治療中の患者さんである。最近、言動がおかしい、つじつまが合わないことをいう、やたら怒りっぽくなってきたということで周囲の人は認知症を考えていたようである。ここで通常なら、認知症かあるいは気の利いた医師なら「いや、それもあるけど慢性硬膜下血腫も除外すべき」というだろう。ということで病院に連れてこられた。そしてこの患者さんの頭部CTをとったが特に脳や海馬の萎縮もない。また硬膜下に占拠性病変もみあたらなかったので帰宅させられたそうである。以後も言動不穏が続いたそうだがこの先生が診て血糖をはかったところ食後にもかかわらず42mg/dlと低血糖状態だったそうである。この高齢の患者さんが呈した低血糖の症状はほとんど教科書には記載されていない。でも臨床の現場では時々こんなのに出っくわすのだ。
糖尿病といえば内服薬やインスリンで治療中の患者さんには低血糖発作という心配がつきまとう。血糖値がさがりすぎておこる種々の症状である。軽ければ、イライラ感、手の振るえ、冷や汗、空腹感などがあり、重ければこん睡状態になる。教科書にはこの程度しか記載がない。ところが実際の臨床ではこのような症状を知っていてもまだまだ事足りないのである。大体、症状が軽ければ患者さんが察知して「あ これは血糖が下がっているな。飴をなめよう」と自ら悪化を防止する。重症の低血糖なら意識がなくなるので、周囲の人はあわてて救急車をよんで病院に直行する。ところがその中間の状態、あるいは非定型的な症状の場合がもっともやっかいなのである。どだい症状なんてもともとごまんとある。最初からその疾患が念頭にないと見つけられるわけはない。見つければ名医、見逃せば「ヤブ」というのは荷が重い。しかも見つけても「低血糖になったのは薬のさじ加減が悪いためであんたのせいだろう」と言われかねない。辛いはなしである。
その講演した先生は某病院の創傷センターの医師である。彼の話の内容は今まで自分が経験しおこなってきたこととまったく同じ話であったので、別段新しい知見というわけではなかった。しかしながらその先生も提示したのだが「○○整形外科学書ではこの部分の記載は1ページ、また△△整形外科マニュアルには半ページしか書いてありません。治療法は『保存的治療』のたった4文字しかありません」と嘆いていた。これにはおどろいた何十年もの間、治療法はまったく進歩していないのである。というかおそらく教科書を書いている専門医たる整形外科医には興味がないところなのであろう。その講演した先生も整形外科医ではなく一般外科医であった。整形外科や形成外科や皮膚科がボーダーラインの疾患として取り扱う可能性があるが、どこの科も触れたがらないところなのであろう。確かに極めて治りにくい病態なのである。
昔から「教科書」といえばその科目のスタンダードやら規範やらが記載されているはずである。ところが医学のスタンダードはどうも教科書がすべてではないようである。先日、糖尿病の足壊疽の治療の講演を聴きに行った。自分も救命センター時代には糖尿病の下肢壊疽からガス壊疽に陥った患者さんを何人も治療してきた経験がある。当時の教科書では「原疾患(糖尿病)のコントロール」「創部は保存的治療」としか書いていない。方法が記載されていないのだ。しかし当時救命センターで覚えたことは、「創部を開放にする(縫合しない)」「壊死組織を毎日きれいに切除する(デブリドマン)」「毎日創を洗浄しながらブラッシングする」ことであった。これは並大抵の手間ではない。患者さんもかなりの激痛を伴う。教科書に書いてある「保存的治療」というのは何も経験したことのない人が書いているのだなと当時落胆した思い出がある。
大学時代は診療は非常にエキサイティングであり研究生活も大変楽しかった。特に海外で発表する機会が何回もありこれもまたとても緊張した思い出がある。ところが一度海外で発表の経験をすると、以後国内学会での発表ではあまりあがらなくなってくるのである。人間慣れとはおそろしいものである。来週、都内で自分がよく参加していた学会が開かれる。開業してからは学会参加の機会がほとんどなくなった。まあ昼休みの時間を利用して少し参加しようかと考えている。この学会でも毎年必ず発表していた。開業してから研究はほとんどしていないので人の発表を聞くだけである。今の業務内容にはほとんど役にはたたないがまあライフワークみたいなものである。それと学会参加しないと専門医を更新できないので・・・。
石の上にも3年というが、満4年が経過したわけである。医院をついで4年ということはその時生まれた子供はもうすでに幼稚園に通っているわけである。救命センター勤務時代と比べると格段に規則正しい生活になったものの仕事をしている時間はそれほど減ったわけではない。開業して驚いたのはいろいろ勉強しなければいけないことが次から次へと現れることである。保険請求関係、届出関係、介護認定会議関係、予防接種関係、医師会の委員会関係、健診事務関係・・・枚挙にいとまがない。これを診療の合間にやらなければならないが合間にできなければ診療時間以外に持ち越すことになる。大学時代も大変だったが、そこそこ国際学会にもいけたし、そこそこ年1回長期休暇もとれた。今では1泊の国内旅行も難しい・・・。