吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

6月より区の健診開始 お知らせ

2015年05月30日 05時34分23秒 | 日記
 さて、いよいよ6月より平成27年度の区の健診が開始されます。長寿健診は8月からですが、特定健診は誕生月によって受診期間が異なりますのでご注意ください。
4-7月生まれの方は6月から9月までの期間、8―11月生まれの方は7月から10月までの期間、12月―3月生まれの方は8月から11月の期間が受診可能となります。受診可能月の前月下旬には関係書類が送付されますので必ずご一読くださり必要事項をご記入ください。
受診に際しては電話で受診日のご予約をお願いいたします。ご予約いただけない場合でも健診受診できますが、予約優先のためかなりお待ちいただく可能性もあります。
健診受診できなかった方のために翌年の1月一杯まで予備期間もありますが、ぜひ指定期間内での受診をお勧めします。もちろんうちにおかかりではない患者さんでもご遠慮なく受診ください。

全裸選挙ポスター その4

2015年05月29日 05時02分20秒 | 日記
 メディア側はどうやら「選管法にのっとったポスターが破られたこと」よりも「公序良俗に反するグロ・ポスター」のことを報道したいのであろう。しかしポスター破りについてなにもコメントしないのであればそれは、破ったという行為を認めていることになる。ポスターに関する通行人の感想をすべて「けしからん」というネガティブなものでまとめ、そして破られたポスターを映せば、悪いポスターは撤去しましょうと「間接的」にすすめている誤った思想誘導である。メディアは平等でなければならないはずである。ポスター破りこそが明らかに悪いのである。「公選法で管理されているポスターを破るのは法律違反です」と言うことを報道しないのであれば、今後「安易に」ポスターは破られる可能性がある。こちらの方が問題の根は深い。何だか今回報道した(私が見た)TVの編集内容はトンチンカンであった。それにしてもこの候補者は130票も獲得した。それはそれで何だかすごいんだかすごくないんだか・・・。

全裸選挙ポスター その3

2015年05月28日 05時38分48秒 | 日記
 大昔である。小学校低学年の頃、同級生がたまたま選挙のポスターをほんのいたずら心で剥がしたのである。もちろん悪気などないし、選挙妨害の意図などもない。しかしそこに通りかかった学校教諭につかまって、職員室に連れていかれ、かなり厳重に怒られたのである。ことはかなり大きくなり事後処理やら何やら、あとあとまでの大問題にまで発展したのである。子供心に何がどうで、こんな学校のみならず地域を含めた大騒動になったかは知らないが、とにかく「このポスターは触っちゃいけないんだ」と自分は反面教師的に学んだのである。だから今回の破られたポスターをTVで映しておきながら、それについてのコメントが全くないのは片手落ちだと思っている。こんな編集したTV担当者はそれこそ全員「職員室行き」である。それとも現在では公選法が改正されこのポスターは第三者が破り捨ててよいものになってのであろうか?

全裸選挙ポスター その2

2015年05月27日 05時38分27秒 | 日記
 しかしこれは選挙である。目立ち度はトップでも、そのポスターで得票できるかは別問題である。通常はどう考えても得票できるわけはない。常識的に考えれば当選するための立候補ではないと判断できる。言ってしまえば彼は泡沫候補なのである。泡沫候補のポスターをTVでとりあげて話題にしてしまうことこそ相手の思う壺なのである。この候補者の目的は知らないが、立候補するにもお金がかかるであろう。何のための立候補なのか知る由もない。さてTV画面で一瞬のみ映ったが、このポスターが破られている画像が映った。こちらのほうが問題である。おそらく不快に感じた人がやったのであろう。しかしなぜこれをTVでコメントしないのか不思議である(というか片手落ちである)。公選法にのっとった候補者のポスターは法律で擁護されているはずである。

全裸選挙ポスター その1

2015年05月26日 05時07分54秒 | 日記
 さる4月26日、全国地方選挙が行われた。千代田区議会選挙で有名になったのであるが、ある立候補者が立候補ポスターに自分の全裸姿の写真を掲載した。TVインタビューでは街頭の通行人らの「選挙を愚弄している」「なんとか取り締まれないのか」といった論調で否定的な編集をしていた。しかしこのポスターは選管法違反ではないらしい。だから張り出されたのである。それでは他人の目から見て公序良俗に反するということで取り締まれるかについては、これは芸術論でいつも持ち出される議論に似ている。どこまでをラインとしてとらえるのかという問題になり判断の難しい所でもある。確かに数ある候補者のポスターの中では異質である。候補者は「目立つ」という観点からすると十分目立っているので当初の目的は達成したことになる。

ドローンが官邸屋上に その4

2015年05月25日 05時16分31秒 | 日記
 けが人がでなかったのが幸いであったが、認知症のあるお年寄りや運転能力が伴わない方が運転することも規制されていないのである。これは数年前から自分は区の介護認定会議の席上でも指摘してきた問題である(ただしそんな席上で指摘してもお門違いで相手にされなかったが)。おそらくこの車に規制がないのは「弱者の利便性を損ねる」ということから誰も手をつけようとしないのであろう。弱者の味方のフリをする議員であれば尚更、避けて通る問題である。これは世の中の仕組み(「弱者に優しい世の中に」)の中で手を付けにくい部分なのである。だから園児の隊列に突っ込みこれで園児の1人や2人くらい大怪我や死亡事故でもないと、きっと世の中は動かないんだろうなと感じる。官邸ドローンは事件になったので「法規制」という言葉がでた。このまったく規制もルールもない電動カートも、何か重大事件にならないと動かないのかと思うと少し怖い。この電動カートについては弱者にとって利便性の高いものではあるが、今は「事故待ち、けが待ち、死人待ち」の状態であることが変なのであると感じる。

ドローンが官邸屋上に その3

2015年05月23日 05時00分23秒 | 日記
 まあとにかく官邸側も「メンツ丸つぶれ」であろう。しかしこのドローンという新たなツールは今後、いろいろな分野で活躍するであろう可能性をもっている。おそらく使い方次第で種々の恩恵をもたらしてくれるツールになるのである。それを「まずは法規制」などというタガをはめてしまうと今後のドローンの発展性に制限をかけてしまうように気がする。ある程度のルールとマナーは必要になるであろうが、いきなり「法規制」などという言葉が出たというのも如何かと感じた。くどいようであるが官邸警備強化はどうなったのでしょうか? 
さて法規制といって思い出したものがある。それは足腰の悪い高齢者が街中を自由に運転する電動カートである。実はこれには何ら法規制はない。規制がなければ気軽に足腰の悪い高齢のかたでも街中を移動できる。とてもいい乗り物である。しかし自分は幼稚園児の列にこの電動カートが突っ込んだのを目撃したのである。

ドローンが官邸屋上に その2

2015年05月22日 05時24分32秒 | 日記
 世の中に新しいツールが出現し、それがいろいろな不都合を起こしてくると、それを規制する動きがでてくるのはやむを得ない。今回のドローン事件でも、官邸側のコメントでは「ドローンの購入、保持、使用については、法整備をして悪用されないように規制をかける必要がある」などと言っていた。確かにそうであるが、それを聞いて「ふ~ん」と感じた。法規制云々の前に「官邸の警備強化」の方が重要でしょうといいたい。まずは日本の最高中枢である首相官邸の屋上にやすやすと侵入を許したという警備体制の脆弱性が、それこそひろく国際的に知れ渡ったのである。このテロの標的にもなりうるであろう時代において、この脆弱性は大げさに言えば国家機密レベルの情報でもあり日本の恥でもある。これら警備体制の不備における責任問題のほうが重要であり、国民に対する謝罪や、今後のシステム強化における方策提示などが優先されるはずである。

ドローンが官邸屋上に その1

2015年05月21日 06時10分15秒 | 日記
 ドローンには最初から興味があった。たぶん小さい頃の竹トンボの感覚なのである。あの青空をフワリと飛び回る姿は小さい頃のワクワク感を蘇がえらせるに十分なツールなのである。しかもドローンにはCCD小型カメラを搭載できるようである。これは自分がまるでそれに乗っているような臨場感をも体感できるのである。そして今後、このドローンは災害現場や一般生活の中に置いて、ますます有用なツールとして汎用されるようになるであろう。さて今回このドローンに放射能汚染された土砂を搭載し官邸に不時着させたとして富山県の男が警察に出頭し逮捕された。男は「原発反対を主張する目的でおこなった」と言っているが、さほど思想信条的なモチベーションは感じられなかった。また不時着したドローンが職員によって発見されたのもずいぶん後になってからであり、まあ官邸の警備体制もそんなに厳重ではないのだと露呈したわけである。

萩原流行さんバイク事故 その9

2015年05月20日 05時18分31秒 | 日記
 5月15日、警察側から賠償金支払いの提案があると萩原さんの弁護人が明かした。もちろん賠償金は税金から支払われるのである。萩原さんの妻は警察に不信感を抱いているというのでこのまま、民事、刑事の裁判に持ち込み責任の所在を明らかにしたいとの意向であるらしい。警察の護送車が車線変更し、それを避けようとして転倒したという事故らしいが真相は定かではない。賠償金の提案をしたということは警察側も半ば早めにこの事件の幕引きをはかりたいのであろう。しかし裁判になれば、運転を禁止されている薬剤服用中(運転の時だけやめていたというが)のできごとであり、しかも過去4回も交通事故を起こしている事実を勘案して過失相殺割合が問題になるであろう。夫の名誉を守りたいのであれば奥様もこのまま賠償金を黙って受けたほうが得策と思えるが・・・。「薬は運転している時はやめていたので問題ない」という文言を、社会がだまって鵜呑みして勘違いしているところが怖いのである。

萩原流行さんバイク事故 その8

2015年05月19日 05時54分34秒 | 日記
 実は車線変更して萩原さんのバイクに接触したワゴン車というのは警察関係の車輛だったらしい。TVでは「なぜすぐにそのことを発表しなかったのか」などとトンチンカンな論評をしていた。いずれにせよ運転手(警察官)の側方不注意、および転倒したところに後方から轢いてしまった運転手の責任というところに論点が集中しているようである。確かにそうであろうが、でももし自分が彼らのどちらか立場であったらと思うとゾッとするのである。萩原さんの「運転禁止」というルール違反と比べ、特段、彼らは目に余るほど交通法規を逸脱していたわけでもないし、乱暴な運転で暴走していたわけでもない。でも「運悪く」当事者なのである。もし自分が当事者であったなら「申し訳ありませんでした・・。えっ、でも彼、本当は運転禁止だったんじゃないですか?」と公に言うと叩かれるような本音が出るかもしれないのだが・・・。とにかく何か腑に落ちないのであるがご冥福をお祈りします。

萩原流行さんバイク事故 その7

2015年05月18日 05時43分01秒 | 日記
 服用している薬は違法ドラッグではなく合法の治療薬ではある。しかし抗精神薬なのである。1回や2回くらい抜いても正常な運転ができるかどうか疑わしい所であり「1回内服抜けば運転できるだろう」などという考え自体が脱法なのである。奥さんの証言かメディアの論調かは知らないが「薬は飲まなかったので薬の影響はない」とのコメントをみたがそれは間違いである。1回抜いたからといって薬の効果はすぐ消失するわけではない。運転させることを阻止できなかった周囲の関係者の責任は大きいであろう。飲酒運転でもお酒を勧めた人に責任が問われる時代である。酒を飲んでいるのを知っていながら「気を付けて運転してね」とは誰も言わないだろう。なぜ抗精神薬なら許せるのか不思議である。他に死者がでなかったことだけが幸いである。

萩原流行さんバイク事故 その6

2015年05月16日 05時03分18秒 | 日記
 彼はバイクで亡くなった。別に好きな俳優さんというわけではなかったが個性派俳優だったので残念である。しかしこの事故でほかに死亡者が出なかったことは幸いである。今回の事故形態がどうであったかは詳しくは知らない。並走する車線からワゴン車が車線変更してきて、そこで萩原さんのバイクと接触したと聞いている。しかも視界の悪い大雨の暗い夕方である。事故はおこりやすい状況である。もしかしたら萩原さんは不運にも「もらい事故」だったかもしれない。でも彼は運転が禁止されている状態で運転していたのである。これは最初からアウトである。もしかしたら薬の作用が残っていたため尚更よけきれなかったかもしれない。

萩原流行さんバイク事故 その5

2015年05月15日 05時41分44秒 | 日記
 今回は、同業者ではあるが処方した医師の判断に疑問がもたれるところである。しかしもしかしたら医師から「バイクの運転は絶対にやめてくださいね」と言われていたかもしれない。事実関係がわからないので何とも言えない。もし医師に運転禁止と言われていながら、運転することが常態化していたのであればこれは萩原さんの問題である。奥さんは「気をつけてね」との言葉が夫に送った最後の言葉になったといっていたが「気を付けてね」などと運転を容認するような態度は言語道断である。本来であれば「運転はやめてちょうだい」が正しいのである。ここ最近4回ぐらい交通事故を起こしている事実は病勢を推し量るうえで重要な予兆であったはずである。これを阻止できなかったのは本人の自覚と周囲の人の配慮が足りなかったのである。

萩原流行さんバイク事故 その4

2015年05月14日 06時12分46秒 | 日記
 最近の花粉症ではよく抗アレルギー薬が処方される。これら薬ですら「車の運転禁止」または「車の運転注意」のしばりがある。運転制限のない薬はアレグラとクラリチンだけである。運転制限のある薬を処方する時は必ず「運転しないで下さい」と注意をする。それでも運転が必要なときは「自己責任で」と付け加える。しかし世の中甘くない。これで対人交通事故が起こった場合、運転制限のある薬を処方した医師も責任は追及されるのである。「自己責任で」などと話したことなどは訴訟の現場ではなんら免罪にならないのである。むしろ「自己責任なら運転してもよい」と運転を許可したととられかねない。サービスのつもりが仇になりかねないのである。さて今回は睡眠導入剤よりもはるかに強力な抗精神薬服用中(運転時は内服中止したというが)の事故である。弁解の余地はない。しかも死亡される前に彼は何回も交通事故を起こしているのだ。これが原疾患によるものか、あるいは薬の作用によるものなのかはわからないが、どこかで安全弁が働かなかったのがおかしい。