最近では摘便を看護師さんに任せることにしているが、摘便はこんなにも手順やら手間などがかかるわりに点数は極めて安く設定されている。行政の方々の点数の配分のお考えの深さには本当に頭の下がる思いなのである。それにしても大量の直腸内の便を幾度も幾度も掻き出して、そのあと浣腸をかけて噴出しそうになる薬液を肛門で手で押えながら我慢させ、もっと上に存在する便も粗方だしてしまうと、患者さんは「あー本当に楽になりました」と生き返ったような表情でおおいに感謝してくれるのである。本当にビフォア・アフターではこれほどまでに患者さんの表情(症状)が激変する疾患(?)も珍しい。・・と、このように書いたが「院長、最近、患者さんにやっているのは私たちでしょ!」とスタッフに怒られそうである(笑)。申し訳ありません。スタッフの皆さん、感謝しています。
続けて何人か来院するはやり病のような疾病といったが、時々便秘で便が数日出ず苦しいので何とかしてくれという患者さんが何名か続いてくることがある。すでに下剤も飲んでいる、水分も取っている、家で浣腸もした、それでも出なくて苦しいといわれるのだ。特にご高齢になると便秘は多い。こちらも大変である。まず診察やレントゲンにて腸閉塞でないことを確認する。そして肛門診をして直腸癌などないことも確認する。そして肛門深くに指を挿入して便を掻き出すのである。このようなときの便の感触は、そう、ちょうど柔らかい粘土に指をグニュッといれたような感触であるが、これが人間的で生温かく患者さんのぬくもりが伝わってくるようで、患者さんとの一体感を感じる瞬間なのである。
とにかく外来で患者さんが混んでいる時にこの「とげぬき処置」をはじめると時間も食うし眼も疲れるのである。実は再診にきた内科患者さんに処方箋1枚きったほうがよっぽど時間も速いし点数も高い。街の開業医が小処置を行なわなくなった理由はここにあるのだ。街でちょっとした怪我でも診なくなったのは行政の責任である。なのでうちでも混雑時にこのような患者さんにこられるとちょっと慌ててしまう。あまりうちは「トゲをとりますよ」とは宣伝していないが、続く時は流行り病のように何人か続けて来られるのである。とげ抜き地蔵の高岩寺の住職先生と懇意にしているので、お地蔵様のお導きでうちに来院すると考えればいいのであろう・・・か? あるいはトゲが取れないときは高岩寺さんに行くようにといったら患者さんに怒られる・・かも?
別に流行り病というわけではないが、時々面白い(こちらには面白くもないが)傷病の患者さんが、続けて来院することがある。まずは指や足の裏にさしたトゲである。実は正直言ってこれを取るのはかなり面倒くさいのである。まずは老眼も入ってきた自分にとってかなり細かい作業になること。そして細かいところの皮膚に先の細いピンセットを差し込んでほじくるのである。当然これは痛い。痛くて我慢できないといわれたら局所麻酔をするが、この注射もまた痛いのである。そして迷入した大きなトゲがとれればいいが、結構何も入っていないことも多い。これはトゲのカスやわずかなゴミで黒く皮下が着色し、トゲのように見えているだけのことも多いのである。私が困るのは「こんなに痛い思いをさせておきながら何にも取れないのかよぉ~」といいたげな患者さんの恨めしそうな表情なのである。しかもこんなに手間が掛かる割には保険点数はただの45点の処置料しか取れないのである。
「あっ、あの・・そろそろ・・・」といいかけたが、患者さんの「私はたまにしか、おたくを受診しないのでいろいろ聞くことが沢山あるんですよ」とのやや強めの口調に負けてしまった。(「その理屈もちょっと無理があると思うのだけどなぁ~」と思ったが何もいえなかった) しばらくは質問にもお答えはしていたが、そちらの病院での情報がまったく自分にはないので正確に答えようがない。「あの~やはりこれは診療を受けられている病院の先生に直接伺ったほうが正確なお答えが得られると思うのですが・・」といったところ、「えっ、そちらの病院の先生にこんなことを聞いたら失礼じゃないんですか?」と・・・。(「えっ??? 私にはこんなに質問するのはいいのですか?」とは言えなかった。) 腑に落ちない点も多々あったがこれも地域医療サービスであると無理やり腑に落とした。 開業医は「なんでも相談室」でいいのだ。でもなんだかなぁ~、やはり「世の中に達人はいる!」のである。
他の中規模病院で慢性疾患の治療・処方を受けている患者さんである。半年に1回くらい風邪などで当クリニックにお越しになる。このような場合、かかりつけはどちらになるのであろうか? 少なくともうちでは定期的な診療はしていないので、あちらの病院さんがかかりつけと思われる。先日も風邪で半年振りにこられた。風邪はたいしたことはない。しかし風邪の診察後、あちらの病院で治療している慢性疾患の診療内容を逐一ご報告くださるのだ。「あの病院で○○の検査をしたのですが、一体どうなんでしょうか?」「えっ・・?(検査してどうなんでしょうかといわれても検査結果を自分は知らないのでコメントしようがない)」、「この薬が出ているのですが、大丈夫ですか?」「えっ・・?(大丈夫もなにも私の処方ではないのでコメントしようがない)」 うちでの診療は「風邪薬を出しましょう」で終わりなのだが、延々と他病院の診療の質問が続くのである・・・。(ちょっ、ちょっとなんで私が関係していない他の病院の診療内容の説明するんでしょうか?)ともいえず、うずたかく積まれていく後の患者さんのカルテの高さにも追い立てられている。
とにかく産廃業界ももっと監視体制や罰則体制を強化してほしい。片手間に排出者に重い罰則をつけるのはいかがかと思う。医療をおこなえば確実に医療廃棄物は「出る」のである。医療自体には色々規制をかけているわりに、確実にでる廃棄物の流れをもっと管理しないのはどうであろうか。自分の知り合いで産廃関係の行政団体に勤務している方から数年前に聞いた話である。「いやぁ~この業界はなかなか百鬼夜行で魑魅魍魎が跋扈していますよ」と。なかなか行政の規制もかけにくのかもしれない。しかしだからといって表立って一番規制のかけやすい、換言すれば責任をおっかぶせやすい弱者?である排出者(医療従事者)の責任を重くするというのはどうなのであろうか?
とりあえず行政も、独自の判断基準にて優良産廃業者には「廃棄物エキスパート」なるマークをだす制度をはじめた。とりあえず業界の中では安心できるであろうと思われる業者と考えられるが、それでも「これは不法投棄がおこなわれないことを保証する資格ではありませんよ」と釘をさされた。我々医療業界はありとあらゆる規制でガンジガラメである。違反したものには厳しい罰則規定もある。そしてそれらは公表されて世人の知るところとなり、地域住民からの信用を失うことになる。我々罰則も辛いが、一番辛いのは地域から信用を失うことである。信用を勝ち得るのに数年以上もかかるが、失うのは「一瞬」なのである。対価を支払ってさえも信用が置けない医療廃棄物業界では困るのである。
通常、医療は診療を提供するだけではなく、それ以前の大前提として「安心、安全」という信用も提供している(まあ一定の割合で医療事故もあるので、100%安全確実というわけではないが)。少なくとも医療は契約書こそないが信頼に基づいた契約行為なのである。そこから派生した医療廃棄物の処分も対価を払えば信用を得られるものだと思っていた。しかしどっこいそうではないようである。医療従事者はどうも人がよすぎるようである。廃棄対価を払いなさい、マニフェストをきちんと管理しなさい、処分場まで行って確認することも必要ですよ、それでも不法投棄や違法放置があったら排出者であるあなたの責任ですよと・・・。「廃棄物」だけあって、そこまで信用ができない業界のまま「放置」されているものなのかとガッカリしてしまうのである。 えっ? 大喜利の落ちじゃないって?
産廃業者も自治体の指定を必要とするのであるが、そのあとの事業内容の詳細にはチェック機構が働いていないようなのである。自治体もいちいちすべてをチェックできないから廃棄物排出者が処分されるまで自分でチェックして責任持ちなさいよということのようである。確かに運搬業者が複数入り、中間処分業者も入って最終処分業者に廃棄物が行くまでにはたくさんの業者を経由することになる。どこかで不法投棄されても複雑な流れになるので分からなくなる。だから「出した者が全責任をもちなさいよ」ということになるのであろう。地方自治体が排出者に排出責任をおっかぶせる気持ちもわからないではないが、でも不法投棄する業者の管理は条例などでどうにかならないのであろうか?
そもそも業者に対価を支払って廃棄を依頼するということは、廃棄業務の代行のみならず、信用も買うことであると思っていた。ところが今回の説明で「市場価格より極端に安いところや『うちはどんな廃棄物でも処理できますよ』というところは怪しいから敬遠するように」といわれた。何となく、えっ?と違和感を覚えたのは、まるで言葉巧みに客を引くキャッチバーには乗らないように気をつけなさいねという印象だった。路上での客引きは「そこの〇〇さん、うちの店にどうぞ」と人物を特定しての勧誘は違法だそうである。少なくとも路上客引きにも行政での規制はかかっているのである。ならば廃棄物業界にもきちんと管理の眼を行き届かせてほしいものである。
その流れのチェックとは各段階の業者が廃棄物を受け取ったときに出さなければならないマニフェストという受け取り票を排出者が集約しチェックすることである。しかしこれは昔から義務付けられている。特に今回新たに加わったものとして排出者は「実際、処分現場に行ってみるなどして確認し・・・」という説明がなされた。お金を払って業者に処理を依頼し、マニフェストもチェックし、現場に行って処分がなされているか自分で確認し・・・とこれでは、診療の合間にちょっと片手間にできるというものではない。これではなんだか排出するのが最初から悪いんだというような印象である。医療廃棄物は医療をやっていれば絶対に出るのである。それを安心して廃棄できる行政の枠組み作りが先決なのではないか? 医療に確実に伴うものであるのだから処理料を保険点数に組み入れてほしいと思うの自分だけであろうか?
少し前の話になるが、3月下旬に都が開催する医療廃棄物の講習会に参加した。開業後半年頃に参加して以来なので4年ぶりになる。今回この講習会に参加したのは法律改正があったと聞いたからである。まあ昔から廃棄物は出した者の責任(排出者責任)であるといわれている。これはお金を払って処分業者に依頼した場合でも、業者が不法投棄したならそれは排出者の責任であるというところは変っていない。むしろもっと廃棄物を排出した者の責任が重く課せられてきたようなのだ。運搬業者→中間処理業者→運搬業者→最終処分業者などと複雑な流れがあるような場合、排出者(医療機関)はこの流れをすべて把握して管理することが義務付けられているのである。かなり厳しい規則である。
当時でも、今で言う「こころの病気」の児童も多かったろう。しかしそれらをすべてまとめて暴力で封じ込めてしまうのは、ある意味乱暴な方法論で肯定はしないが一定の効果もあげていたような気がする。何より「あ 大人をなめると痛い目にあうんだ」ということが理解でき、方法論としては疑問が残るものの大人に対する畏怖心は植えつけられたような気がする。いかんせん最近の児童の中にはまったく大人に一目置かない児童もいる。当時、自分が小中学生の頃は少なくとも個人的に尊敬に値するかどうかは別として大人というものに対してある程度の敬意や畏怖心をもっていた。これは自発的習得云々ではなく、体罰で学習した悲しいものであったかもしれない。今では学校教育の現場では「体罰は絶対に禁止」されているようである。なぜそうなったのかその経緯は知らない。時に「必要悪」としてもいいような場面もあるのではないかと思うこともあるのだが。学校健診の話題から随分それてしまった。この話はよそう。
自分が小~中学校時代はすごかった。戦前の教育を受けてきた教師が沢山いた。彼らも戦前の教育内容から戦後はガラッと方針変換がなされ随分と戸惑っていたこともあるかもしれない。まあいずれにせよ戦前の教育方法も随分残っていた。例えば「体罰」である。まあ私のように当時の小生意気な子供に分からせるには体罰が一番であった。だいたい小中学生の世の中の仕組みや機微を理解していない連中には理屈や道理を言って聞かせても、よく分かるはずがない(と私は思う)。というか、当時自分もさんざん言って聞かせられたのだろうが、やはり全然分かっていなかっただろうし馬耳東風であった。そこで実際小学校高学年や中学時代では担任教師やクラブ顧問にはよく殴られたのだが、どっこいこれが一番利いた。理屈ではない。「こういうことをすると痛い目にあうんだな」という体験的学習の始まりなのである。もちろん「こういうこと」とは理に適っているとかいう次元のものではなかったのであるが・・・。