確かにいまだにAEDの使用方法が校内に浸透していなかったことも問題ではあるが、このような訴訟があると善意の救助者が見ず知らずの傷病者に手を差し伸べるという善意の行為が委縮してしまうだろう。
善行をなした人よりも、見て見ぬふりをしてその場を立ち去ったほうが得であるというのはどう考えてもおかしいと思う。
我々がAEDを市民に普及させようとした15年くらい前であるが、この時すでにいろいろ応急救護者への法的擁護が議論されている。日本版「よきサマリア人法」を成立させなくとも「緊急事務管理」があるので、救護に参加した人は、結果の如何にかかわらず法的に擁護されていると結論がでている。
それにもかかわらず提訴されてしまうというのは、これは弁護士が自分の功名を目的とした「焚き付け」なのかと勘ぐってしまう。提訴されるだけで一般人の「善意の行為」は委縮する。この事例は後世まで「知らんふりしたもの勝ち」という汚点を残しかねないのである。
ここ20~30年かけてようやく実りつつある「倒れている人に声をかけて救助する」という機運がこの事例で一挙に萎みかねない。
救命できなかった方には冥福を祈る。
では今後どうしたらこのような人を救命できるようになるのかは、自分は「訴訟」という手段ではないと思うのだが・・・。
つまりは今後より一層の心肺蘇生講習の展開が重要であり、一個人、一施設の落ち度としてペナルティを求めるのはどうも方向が違うのではないかと思う。
哀しくなる。