随分前であるが、夜中の十二時過ぎに携帯が鳴った。自分は医師会がないときは夜11時ごろには就眠している。在宅支援診療所をしているので診療時間以外のクリニックへの電話は携帯に転送するようにしている。携帯に出ると「寝坊したらこんな時間になっちゃったの。今すぐ受診してもいいですか?」 と(・・・・・・???)。 過去、救急・集中医療を長いことやってきたので就眠中の電話対応などはごく当たり前のようにやらされていた。 しかし救急医療から離れ開業し3年以上が経っており、こちらも身体のリズムが慢性医療のペースになっている。就眠中いきなりの電話なので寝ぼけており何が何だか分からない。はて自分は「朝寝坊をして午前の診療時間終了まぎわまで寝ていたのか」、いやそれなら「午前中の外来はだれか代診」してくれているのか?と頭が混乱している。とにかく患者さんは診療を受けたいといっているのだから、訳もわからず「あっ、えっ、あ はい どうぞすぐ来てください」と返事をしてしまった。
少なくとも、あの「たこ焼き事件」のような想いは子供にさせてはいけない。泣いたり、笑ったり、喜んだり、怒ったりするような感情の起伏が正しいあり方なのである。クリニックには子供も沢山来る。いい子もいるし、かわいい子もいる、憎たらしいおガキ君もいる。でもそれでいいのだ。感情が動かない子供にしてはいけない。うちのクリニックでは受診後に小さなキャラクターグッズをお土産にあげることにしている。取り合いの喧嘩をされることもあるし、うるさく騒がれることもある。また逆に喜ぶ様を見るとこちらも楽しくなってくる。グッズで釣って受診させるのは教育上好ましくないと思われるかもしれないが、少なくとも子供の感情が動いてくれればそれでいいのである。数十年後にうちのクリニックにきた子供達が、昔アンズ飴屋で自分が体験したような感情を持っていてくれたなら私の勝ちなのである。
一方、ある時、アンズ飴屋のおばさんに呼び止められたことがある。夕方も遅くなってそろそろ店じまいの時間である。「ちょっと、僕、こっちおいで」と手招きされた。屋台の裏手に行くと「これお飲み。内緒だよ」とばかりにアンズが漬けてあったシロップをコップに入れてくれた。嬉しかった。これはもちろん売り物ではない。おそらく店じまいするので捨てるものなのであろう。しかし通りかかった自分を呼びとめ、そのシロップを隠れてご馳走してくれたことはとても嬉しかった。その味は甘くてちょっと酸っぱくて、確かに「内緒話の密の味」のようであった。このことも「内緒話のいかがわしさ」に修飾された小児期における強烈な刷り込みになった。まったく公平な評価ではないのだが、顔すら覚えていないこのアンズ飴屋のおばさんは「とてもいい人」として自分の中に残っている。人の評価とはかくもいい加減なものである。
まるで他人が自分を見ているような第三者的な目で、当時のトボトボ帰宅する自分の光景が今でも甦ってくる。その度に「あぁ、あの子は可哀想だなぁ」と自分自身を評価してしまうのだ。別に自分可愛さの感覚からではない。きっとこのような感情を子供に与えてはいけないという気持ちからそう思うのであろう。あの時の感情は今でも覚えているが嬉しいのでもない、楽しいのでもない、または哀しかったり、悔しかったり、寂しかったりという感情のものでもない。表現が難しいのだが感情がまったく動いていないのである。「空虚な生体」であるといったほうがいい。あと少し待っていればたこ焼きが来るかもしれないし、あるいはこないかもしれない。この待ちつづけているという現在進行形の状況こそが、自分の感情をどのように発現させてよいかわからなくなった理由なのかもしれない。しかしながら多感な子供の時期に感情が停止するという、この痛手というか刷り込みは当時の自分にとってはかなり強烈な体験であった。もちろんたこ焼き屋のオヤジを恨んでいるわけではない。
ところが屋台には大勢の客がおり、焼きながらたこ焼きを経木に包んで忙しく他の客に手渡している。自分はすでに5円玉を手渡して、たこ焼き1個がくるのを楽しみに待っていた。ところがいつまで待ってもこないのである。やがて客は自分しかいなくなったが、店の人は屋台の前に佇む自分の存在に一瞥もくれずにたこ焼きを焼いている。間違いなくこちらの注文を忘れているのである。当時、自分は幼稚園児であった。今なら「たこ焼きまだですか?」と聞くのであろうが、当時の自分には「お金を渡したのに品物をもらっていない」状況の打開策が分からなかった。いつまで待ってもたこ焼きを渡してくれないので、そのうち黙って帰宅したことを今でも覚えている。
その屋台群の中で自分が一番利用したのは、お好み焼き、たこ焼き、そしてアンズ飴である。アンズ飴の屋台ではパチンコ台があり上から球を落として入賞したら、もう1本アンズ飴をおまけしてくれた。当時のお好み焼きは薄くて小さな生地であり、市販の餃子の皮を一回り大きくしたくらいのものでおやつ感覚で手軽に何枚も食べられた。当時の地蔵通りの縁日では、たこ焼きよりもお好み焼きが優勢であり、あまり大阪の文化?は流入していなかったと記憶している。当時のたこ焼き屋の屋台では1個売りからあり1個5円くらいであった。縁日の屋台での買い食いは魅力的である。5円玉を差し出し「1個下さい」と注文した。
特に小児期における経験は、記憶の中への刷り込みが強烈であると感じている。幼稚園か小学校の低学年の頃であったと思うが、よく一人で地蔵通りの縁日に出かけた。今よりも屋台の数は多く、香具師的なものも数多くあった。バナナの叩き売りはその口上が面白かった。また丼や食器の啖呵売(たんかばい)も興味をひいた。セルロイドの舟の船尾に樟脳をつけてアメンボウのように水面を走らせる手作り玩具なども売られていた。またみるみるうちに膨らんでくるカルメ焼も飽きずによく見ていたものである。とにかくあの時代、地蔵通りの縁日の屋台は、いかがわしさや楽しさも全て包含した極彩色の輝きがあった。
昨日でインフルエンザ予防接種のワクチンがすべてなくなりました。今月上旬にどっと接種の方がお見えになってから、それ以降は一人もこられませんでした。とりあえず今シーズンのインフルエンザワクチンの接種はおしまいです。今ではむしろインフルエンザに罹患した人のほうが多くなっています。先日も2月になってワクチンを打ったけれど翌日にインフルエンザにかかっている人と接触したため、うつってしまったという患者さんがこられました。確かにワクチン打った翌日では阻止効果はありません。これはもう残念としか言いようがありません。やはりシーズンはじめの接種が望ましいですね。しかしながら10月に接種をしたけれど今月になってインフルエンザにかかった人もいましたので、あまり早い接種でも抗体が持続しないようです。まあ効き目は3~4ヶ月くらいなんでしょうか? あ 2回接種すれば完璧とも思いますが。
記載依頼がある書類の中で一番多いものは、介護保険用の医師意見書です。これは本人やご家族が役所に介護保険の申請をすると、役所からかかりつけ医に患者さんの状態を記載するよう送られてくる書類です。ところが、各区によって微妙に書式が異なり、また書き方も異なるようです。また記入項目の中で記入漏れがあっても容認される場合と、区によっては書き直しを必要とし送り返してくるところもあり神経を使うところです。しかも文書料の請求方法も区や自治体によってバラバラで一度振込先を登録すれば以後そこに振り込んでくれるところもあれば、記載したその都度、請求書をかかなければならないところもあります。いまだに「お役所仕事」と思われるような朱肉の印鑑を必要とするところもあり、時代遅れの自治体もあることにとても嬉しく?なってしまいます。仕事を簡素化しようと思えばいくらでもできるのに、これだけの手間をこなすには職員さんが潤沢なんだ、人件費が潤沢につかえる自治体なんだとうらやましく思ってしまいます・・・。
このような疑惑騒動のときによくテレビに出てくる相撲記者クラブ会友の評論家がいっていた。「相撲は格闘技ではないのです」と。これも、けだし名言だと思います。単に格闘技ではなく神事でありセレモニーであり、また郷土力士の立身出世のマイルストーンでもあるのです。相撲に入る前は地元では嫌われていた札付きの悪童が、相撲に入り番付が上がると今度は故郷で立身出世のお手本として歓迎され応援を受けるというパターンがよくある。この例などはまるで「大衆の手のひら返し」のようで自分は納得がいきません。でもこの図式は当然のように広く受け入れられており相撲が格闘技ではないという所以になっているのかもしれません。だから勝ち負けにこだわるガチンコ相撲のみ追及するのはよくないと思いますけども。協会理事長が「過去に八百長はなかった」と言い切っていますが、そう言わざるを得ない立場だから気持ちはわかります。そしてそれを「嘘だ! そんなはずはない」と糾弾するのは野暮というものでしょう。『お兄ちゃん勝ってよかったねぇ~、初優勝おめでとー』という時の感覚でこの言葉を受容してあげればいいのですよね。
「予定調和」というのは、7勝7敗の力士と9勝5敗の力士が対戦したら高率に7勝7敗の力士が勝つのかなぁということです。「あ~よかったね。給金直したね」と喜ばしいことになります。また史上初の兄弟同士の優勝決定戦が昔ありました。弟はすでに優勝数回あり、兄には初優勝がかかっていました。たぶん大多数の人が『お兄ちゃん頑張れ』と思っていたと思います。そして勝敗は徳俵に足もかけないであっけなく弟が土俵を割りました。気迫があふれ粘り腰が身上である弟の相撲は、このとき見られませんでした。でもおそらくみんな「お兄ちゃんよかったねー」と満足したと思います。四角四面に勝敗の行方だけを追及したらギスギスして面白くはないのです。これでいいのだー。
自称大相撲評論家のつもりです。最近、八百長疑惑、賭博疑惑が盛んに報道されています。相撲は国技として認められ手厚い有形無形の保護を受けているため、がんじがらめで身動きが取れなくなっているようです。でも個人的には柔道だって国技だと思うのですが・・・。相撲が国技になってしまったのは、他の格闘技の要素を取り入れることのない排他性と、かたくなに伝統を固持しつづけているセレモニー的な様式美があるためでしょう。ところで石原都知事の言には賛成です。「八百長? だってそんなもんだろ? だまされて観てりゃいいんだ」 まあ「だまされて」というのは過激ですが、「すべてを納得した上で楽しんで観ること」ということでしょう。まさに水戸黄門のドラマをみるようにお約束の「予定調和」で観ていれば楽しいのです。
毎日、認知症の患者さんと対応するご家族はもちろん大変なことである。自分は相手の話が作話とわかり脱力感を覚えたとしても、このような診療が仕事であり、しかも数週に1回の診察なので大変なことはない。ところがこのように認知症の患者さんが何人も続くと、毎日の診療の中の会話で「あれ この話は作話かな? え? もしかして認知症かも?」と疑い深くなってしまうのが辛いのである。病気の診断は「疑うこと」からはじめるのが重要なのでこれもまたやむをえないが、どうも人と話をすると疑い深くなる癖がつくのはまさに職業病なのかもしれない。患者さんと雑談していても「なんだかなぁ~自分は営業の会話をしているのかなー」と思ってしまうと楽しくはないのである。
この患者さんの場合、毎日の花への水やりやら夏の別荘への避暑の話やらをするので、自分はその情景を想像しながら拝聴していた。しかしそれがすべて事実の話ではないとなると少し虚無感を憶えてしまう。病名としては「作話」であるが、もちろん本人には作り話をしているという記憶はない。つまり認知症では、種々の行為において本人はまったく「悪気」はないのである。したがって「何故、そんな嘘を言うの!」と家人が怒ると、本人には作話をしたという感覚はないので「なんでそんなに怒るんだ!」とばかりにトラブルになる。つまり認知症の患者さんをかかえる家庭では「患者さんを諌めてはいけない」のである。認知症と診断されたら家族、同居人は「あきらめて受け入れること」が肝腎だそうである。でも、つらいです・・。
机の引き出しに財布を入れておいた場合、財布をしまったことは憶えているがどこに入れたのかを忘れるのは「物忘れ」であり、自分が机に入れたという事実を忘れてしまうのが「認知症」である。したがって認知症の場合、財布が見当たらないので「財布を盗まれた」と騒ぎになるのである。また忘れたという事実に気がつかないので「取り繕い」をすることもある。例えば「今日はお昼に何を食べましたか?」と聞くと「いやぁ~残り物ですよ。たいしたものは食べていません」と答えたり、あるいは「今日は何曜日ですか?」と聞くと「退職したので毎日が日曜日みたいなものですよ」と答えたりもするそうである。一見、会話がやりとりされているので異常はないと勘違いしてしまうのである。自分の場合、1年弱もこのような会話だったので患者さんの認知症に気がつかなかったのである(ヘボ医者の言い訳だが)。それにしても家人が付き添ってこない認知症の患者さんには要注意である。開業して分かったが、ご家族と一度もお会いしたことがなく、かつ一人で通院してくる認知症の患者さんは結構多いのである。