吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

10月より定期接種化 その1

2014年09月30日 06時18分49秒 | インポート

    10月より水痘ワクチンと高齢者肺炎球菌ワクチンが定期接種化される。ただし水痘は全額補助があるが、高齢者肺炎球菌ワクチンは4000円の自己負担が必要である。この自己負担額は、以前の任意接種時の自己負担額とかわらない。そして定期接種になったといっても、過去にこのワクチンを1度でも打っている人には助成はおりないとか、補助がでるのは1回きりで今回接種したら5年後以降の再接種は自費で続けることになるとかの制限が以降ついてくるのである。以前の任意接種は5年毎に接種補助がおりるはずとの理解であった。しかし逆に定期化されて1回のみの補助になるというのはどうも解せないのである。該当者は65歳から5歳ごとの年齢該当者のみである。まあ今後5年たてば、ほぼ65歳以上の人達は全員「1度は接種する」であろう勘定にはなるのである。<o:p></o:p> 


赤ちゃん整体死亡事件 その4

2014年09月29日 06時04分17秒 | インポート

   いわゆる、このような民間療法は、もともと効能の保証もないし有害反応の有無も明らかにされているわけではない。すべては消費者の口コミによるニーズで成り立っている。免疫力がアップするなどと言っていたようだが、そんな検証はしているわけではなかろう。消費者もきちんと医療と民間療法の区分けをする必要がある。これら境界を明らかにしていないとトラブルの原因になる。いつも診療して頭を悩せられるのがこの「口コミ」なのである。「私の知り合いが、○○(商品名や施術名)がとてもよく効くといっていますので・・・」とよく耳にする。私は「ほお、そんなによく効くといっているのはお医者さんですか?」と聞くと、「いいえ、隣の主婦ですが」と答えるのである。とりあえず「その○○の効能は確認されていないので、効くとも効かないとも言えませんよ」とマイルドに話をするのだが、たかだか医者である私の話なんぞ聞き入れてもらえない。それほど「隣の主婦」のパワーは大きいのである。なんだかなー。<o:p></o:p> 


赤ちゃん整体死亡事件 その3

2014年09月27日 05時31分10秒 | インポート

 「施術後に呼吸が止まった」とあるが、施術後いつ呼吸停止したかも問題である。「直後」であれば施術との因果関係は疑われる。あるいは施術後数時間くらいまでも可能性は否定できない。ただ数日後~1週間後となるとこれは可能性は極めて薄いようにも思われる。基本的に「施術が原因で死亡した」というのであれば、検察側は整体と死因の因果関係を証明しなくてはならず、実はこの証明は極めて難しいのである。しかしながら施術直後に呼吸が停止したというのであれば、当然施術者には「応急救護義務」があるので、人工呼吸などの心肺蘇生をしたかどうかも論点となる。病院で予期せずに患者の呼吸停止があった場合、もし何もしなかったら問題になる。医者より高い「時給」でありながら、施術後に起きた呼吸停止の救護をしなくてもよいということはない。もちろん本件がいつ呼吸停止したのかは報道になかったので定かではないが。<o:p></o:p>

 


赤ちゃん整体死亡事件 その2

2014年09月26日 06時26分12秒 | インポート

   これら効能を保証する医学的データはなく、しかも医療従事者以外のものが医学的な効能を保証するのも最初から胡散臭い感じがする。このような民間レベルにおける効能・効果を保証するパターンは健康食品でもよくおこなわれている。この整体の施術は、1時間1万円で、これまで10年以上にわたり、6,000人ほど施術してきたという。我々医師でもこんなに報酬はいただけない。結構「いい」額である。しかし少なくとも4カ月の赤ちゃんに病院で整体施術などをすることはないし、そんなことをしなければいけない病態はない。ところがその施術が必要か不必要かは、消費者のニーズにより成り立つのである。効能が疑わしくとも、消費者が「効く」と判断すればその「商品」は成立するのである。「○○に効く」と謳う健康食品も同じである。明らかに医学的に効能がないものも多いが、効能を大々的に謳った結果、人気がでる商品も多い。つまり医学的根拠ではなく商品経済原理に左右されている。その原動力の多くは「私、とても効いたからあなたもためしてみなさいよ」という口コミである。この口コミは結構「伝播力」と「確信性」が強く、一向に効能のない商品が年余にわたって市場に流通しているのが現状である。<o:p></o:p> 


赤ちゃん整体死亡事件 その1

2014年09月25日 06時32分44秒 | インポート

  生後4カ月の男の子が、整体の施術を受けた6日後に死亡した事件で、この男の子の施術をしたNPO法人の女性代表が98日、TVの取材に答えたニュースをみた。このNPO法人では、以前にも施術を受けた子どもが死亡していた。この赤ちゃん整体は、夜泣きがなくなるなどと宣伝しており、同時に「病気をしにくい」、「アトピー性皮膚炎などにも効果がある」などと効能を保証するような宣伝もしていたようである。また「(赤ちゃんの)呼吸が深くなることとか、代謝がよくなって、血流が促進されることを目の当たりにしていたので」とはいうが、これは個人の経験的かつ主観的判断であり医学的な効能を保証するレベルではない。これら事由をもってして医学的効能・効果を謳うのは法的に少し問題があるのではないかと思われる。通常、医学的なレベルで効能を保証するためには、膨大な母集団の人数において検証したデータが要求されるのであるが。<o:p></o:p> 


難病指定医 その3

2014年09月24日 06時04分06秒 | インポート

    都からの説明書では、この50以上もあげられている学会専門医のうち難病とあまり関連のない専門医もある。また厚労省指定の難病はゴマンとあるが、どうやらこのリストにある学会専門医のうちどれか一つでも保持していれば難病の診断書がかけるようであると理解した。自分の場合は内視鏡専門医と外科専門医と救急科専門医をもっている。この都の専門医リストには救急科専門医や外科専門医は含まれているものの内視鏡専門医はない。これはどう考えても変である。潰瘍性大腸炎を診断して難病診断書を書ける資格に、内視鏡専門医ではダメで、救急専門医ならOKであるということに極めて違和感を覚えるのである。潰瘍性大腸炎は下血で発症するものの、分単位を争う救急の疾患ではない。救急専門の医師よりは内視鏡専門の医師のほうがはるかに多く診断・治療している。だからこの資格基準はきっと何かの間違いかミスなのであろう。それにしても何を基準にしてこの専門医リストを作成したのか知りたいところである。<o:p></o:p> 


難病指定医 その2

2014年09月22日 06時39分36秒 | インポート

 この難病指定医になれる基準とは、(1)診断又は治療に5年以上従事した経験を有すること (2) 診断書を作成するのに必要な知識と技能を有すること (3学会が認定する専門医の資格を有すること その専門医のリストが添付されていた。しかしこのリストをみて驚いた。自分は以前、厚労省指定の難病で急性重症膵炎と潰瘍性大腸炎の診断書を記載している。潰瘍性大腸炎の診断は大腸内視鏡をしないとわからないにもかかわらず、50以上もの専門医があげられているリストの中には日本消化器内視鏡専門医の名前がないのである。これでは潰瘍性大腸炎と診断しても、内視鏡専門医の資格しか保持していない医師は潰瘍性大腸炎の難病診断書がかけないことになる。


難病指定医 その1

2014年09月20日 05時39分55秒 | インポート

    来年から厚労省で指定されたいわゆる難病について、その診断書発行は都から認可された医師のみしか書けなくなるようである。この前、医師会を通じて都から連絡がきた。都の所定の書式で難病の診断書を発行すると、都から患者さんに治療費の助成がおりる。過去にも何人か記載したことがあるが、以前は医師ならだれでも書けたのである。しかし今後は都に申請をだし認可された医師にしか難病診断書がかけないことになる。何だか専門医制度が定着してからは医師であってもいろいろの資格がないと日常診療に支障をきたすことが多くなってきた。とりあえず身障者の認定資格は昔からとりあえず取得はしているが、今度は難病認定の資格も申請しなくてはならないのかといろいろ面倒である。9月一杯の期限までに申請しなければいけないのであるがこの資格をとるための審査基準をみておどろいた。<o:p></o:p> 


CPAと死亡確認 その3

2014年09月19日 06時36分22秒 | インポート

 災害現場の救助映像をTVニュースでよくみる。救助に当たっている人たちの現場でのご苦労は痛いほどわかるし、ありがたいことである。被災者に心肺蘇生をおこなわず、ブルーシートで覆って収容、搬送している映像をみると「ああ、ダメだったんだな」と残念に思うが、それはそれでやむをえないことである。しかしその状況の解説に「心肺停止の状態で発見され・・・」などとマスメディアの注釈が付けられると極めて違和感を覚えるのである。心肺蘇生講習で今まで「心肺停止の場合はすぐに心肺蘇生を開始しないと助かりません」と市民への救命意識の向上に努めてきたにもかかわらず、あの心肺停止なのに心肺蘇生をしないで搬送している映像が流されると、「え? 心肺停止で何もしなくても助かるの?」と誤解される可能性がある。災害現場の救助スタッフの努力及び市民に心肺蘇生を普及させている人たちの努力を無にするようなマスメディアの表現は改めるべきと思うのである。マスメディアにおける「心肺停止」という言葉の使用法は誤っている。今後なお一層検討する余地がある。<o:p></o:p>

 


CPAと死亡確認 その2

2014年09月18日 06時32分15秒 | インポート

 自分の言葉の定義としては、「心肺停止(CPA)」は、救命の余地が残っている状態と解釈している。しかしながら救命されるであろう必要最低限の条件は、前述のように心停止して少なくともすぐに居合わせた人が間断ない心肺蘇生をおこなっていることである。この現場でのアクションがなされていないのであれば「救命の可能性を最初から放棄している」と言わざるを得ない。過去、救命された事例をみるとすべて、倒れた直後から通行者による心肺蘇生がなされ、AEDが用いられ、そして救急隊に引き継ぎ病院にスムーズに収容されたものである。この連携が1か所でも欠けていれば救命の可能性はほとんどなくなる。つまり「心肺停止」とは助かる可能性を残している状態であるが、しかし最低限の心肺蘇生すら行わないのであれば現場ですでに「死亡確認」したことと同じことになる。<o:p></o:p>

 


CPAと死亡確認 その1

2014年09月17日 06時02分36秒 | インポート

   何とも重い話であるが一つどうも納得できないことがある。災害現場で被災者が発見された場合、「救助時、心肺停止の状態でありヘリで病院に搬送されましたが死亡が確認されました」という報道がなされることがある。心肺蘇生の市民講習を受けた人であればこの表現や対処方法に「あれ?」と思われるであろう。例えば、居合わせた人や通りがかった人が、心臓停止した人に遭遇した時、なぜすぐ応急手当をする必要があるのか? それは心臓停止してから分単位で救命率が7~10%程度落ちていくからである。心臓停止の原因にもよるが、いずれにせよ心肺蘇生法をおこなわないで10分も経過すればその傷病者の社会復帰はありえないのである。マスメディアの報道では「心肺停止」と「死亡」をわけて用いている。分けてまで表現を変えているのであれば、きちんとその使い分けを知りたいところである。


猪木の闘魂注入ビンタではない その3

2014年09月16日 05時54分00秒 | インポート

   次の瞬間、「バチーン」と激しい音がした。この男が店員を殴ったのである。店員は慌てて男の手を押さえて「あ 暴力です、暴力はだめです、警察呼びます」といったところ、その男は店員の手を振り払って逃げていったのである。当たり前であるが店員は憤まんやるかたない。しかし次に自分が順番をまっているので仕事を中断できるわけはない。自分のカットの順番は運が悪いことにこの殴られた店員であった。こんなに興奮して血圧のあがっている店員がカットしたのでは乱れてしまうのではないだろうかと少々不安になった。案の定、カットしながらのこの店員の呼吸状態というか鼻息は「ふーっ、ふー」と荒いのである。こちらも何も触れに訳にはいかないだろうと思って「世の中、おかしい人がいますね」と声をかけるにとどまった。店員は「髪の毛なんて背中に1本も入ってないんですよ」と答えるのに精いっぱいだった。その後は何事も会話もなく10分が過ぎたが、自分の場合、クリニックでの診療内容にクレームをつけようと思えばいくらでもつけられるので、世の中本当に厳しいことを実感した次第である。それにしても¥1000単価で、ビンタまでされたこの店員は「割が合わない、理不尽である」と思ったろう。同情する。<o:p></o:p> 


猪木の闘魂注入ビンタではない その2

2014年09月13日 06時14分42秒 | インポート

    店員は「きちんと首に紙テープ巻きました」「今、首から背中をみましたが髪の毛は入ってないようです」とか対応している。こちらは次の順番をまっているので少し焦れてきた。例え少しくらい切れ毛が背中に入ったとしても1000円カットなのだから、そこまで厳しいことを言わなくてもいいのにと自分は思った(実際には毛は入ってもいないようである)。しかしこの男は追撃の手を緩めない。店員も次の客がいるので早めにこのやり取りを終息させるためであろう、やむなく「本当に申し訳ありませんでした」と謝罪を始めたのである。これは商売をやっていて本当に辛いことである。ここでこの男は引くのかと思ったら、自分の首筋を鏡に映して見ながら「この落とし前はどうつけてくれるんだ」とすごみはじめたのである。風体は「その筋の方」ではなくごく普通の市民である。なんでこんなに憤っているのか分からなかった。<o:p></o:p> 


猪木の闘魂注入ビンタではない その1

2014年09月12日 06時38分48秒 | インポート

   簡易頭髪カットのチェーン店での最近での話である。コストダウンは大歓迎である。またカット時間が10分も魅力である。それ以上多くは期待はしない。それで技術やサービスもよければそれに越したことはないが、そこまで多くを望むのは酷であると述べた。しかしながら、お客の中には、これだけ格安の店でも通常と同じ技術やサービスやらを「当然のように」期待している人もいるのに驚いたのである。1か月前のことである。自分があるチェーン店に入ったところ、待ち客が一人いた。しばらくして順番が来たと思ったら、どうやらこのお客は先ほどカットを終えて一度退店したお客のようだった。なにやら店員にクレームをつけている。このお客の風体はごく普通の一般人である。普通の色付きのポロシャツをきているし、街中を普通に歩いているような小太りでごく普通の市民のようである。この男が「襟から背中に切れ毛が入っている」とか「きちんと首に紙テープを巻かなかったからだ」とか言っているのが聞こえる。


簡易頭髪カットのチェーン店 その4

2014年09月11日 05時59分45秒 | インポート

   文句があるなら二度と行かなければいいのであるが、自分は通常の美容院や理髪店は苦手である。自分のライフスタイルにもあっているので、その後もずっと通っている。しかしながら、全員がそうであるのだが、終わった段階でかならず鏡で見せながら「宜しいでしょうか?」と聞いてくるのである。サービス割愛はコストダウンに必要なので大歓迎ではあるが、これは誤ったサービス提供のものである。「宜しくても宜しくなくてもこれ以上はうちではカットしませんよ」というのであれば、やはり「宜しいでしょうか?」と聞いてくるのは間違いである。通常のサービス形態を打破して新しい職種として始めたのであれば、通常使われている「宜しいでしょうか?」という顧客にお伺いを立てるような聞き方も改めるべきであろう。