吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

風評 その1

2013年08月31日 06時09分41秒 | インポート

 風評被害という言葉がある。噂が噂を呼び、尾ひれがつき葉ひれがついて、当初の事実から全くかけ離れて広まってしまうことである。この末端まで広がった噂は事実無根ではあるがその伝播力と妄信性はかなり強力で否定したとしてもほとんどその噂を覆すことはできない。この多くの人間を介した非生産的なリンクは事実無根であればあるほど人の心に強力に刻まれるようである。とにかく医療機関も含めた各種の業界にとっては顧客からの評判が一番怖い。もちろんいい噂ならよいが一度悪い(しかも事実無根の)噂でもたったら大打撃となる。おそらく噂の出所は現場におけるささいなトラブルによるものなのであろう。顧客(医療機関では患者さん)すべてに対して、一人たりとも説明不足があったらその人が風評の出所となる可能性がある。そうなのである、たった一人にでも気が抜けない。100人の人が喜んで帰宅しても、たった一人が不満に思ってそれを誰かに告げたらそれが大きく広がる可能性があるのだ。幸いうちにはまだないが、今後も気を引き締める必要がある。


個人情報? その6

2013年08月30日 06時33分15秒 | インポート

 今回の藤圭子さんの自殺報道についていろいろな人のコメントをTVでみた。「真面目に人生に直面していたからこそ自分から死ぬことになったんだろう」とコメントした著作者がいた。有名人である。もちろん亡くなった方に対し生き方を美化しても構わないが、しかしその死に方(方法)を美化してはならない。いろいろな人のコメントを聞いたがみな故人の生き方や生活ぶりやらを偲ぶコメントばかりである。これらをずっと聞いていたら一瞬「自殺礼賛」まではいかなくとも、そのような雰囲気に一瞬陥ってしまった自分に違和感を感じた。そこまで大げさでなくとも「自殺やむなし」と思想誘導されるような報道は控えるべきである。でもまあ、そのような風潮に釘をさすべく、一人のコメンテイターだけがその点を指摘していたのが救いだった。本来であればコメンテイターではなくマスメディアが自発的に「釘を刺す」報道姿勢をみせないといけないのであろう。ただそれをすると番組が重くなり、特に報道バラエティ番組では故人の話に集中させたほうが視聴率がとれるのは分かっているのですがねぇ・・・。


個人情報? その5

2013年08月29日 06時10分44秒 | インポート

まず自殺未遂でも完遂でもいいのであるが、いわゆるそれら傷病者が病院に搬入されてきた場合の療養費は誰が払うのかという問題である。医療保険は自殺は反社会的行為としてとりあつかわれるので保険診療にはならない。つまり患者本人に自費請求される形になる。一時期(今でも?)リストカットなどで病院に搬入される青年層が多発した。まさに流行り病のように、マスメディアで報道されればされるほど「後追い模倣犯」のように増え続けた。なかには狂言自殺も多かった。本来は全員が自費での診療費の請求なのであるが、ほとんど払えるような額ではない。またそれにともなう救急車や警察などの公的出動による社会経済の負担も馬鹿にならない。これら負担は国民の税金であったり、病院の持ち出しであったりする。狂言であろうと本気であろうとこれほど社会的基盤に打撃を与える自殺行為というものはやはり精神性云々ではなく実社会では反社会的行為として抑止しなければいけないことになるだろう。


個人情報? その4

2013年08月28日 06時25分27秒 | インポート

この項で「模倣犯の急増」について触れた。先日、元歌手の藤圭子さんが自殺された。朝のTVの番組で某コメンテイターが述べていたが「藤さんの冥福を祈ることはよいが、勢い、自殺という行為を美化するような論調になってはいけない」と述べていた。同感である。大昔、トップアイドルの飛び降り自殺のあとに後追い自殺が頻発した。今回、藤圭子さんはアイドルではないので同年代のものが後を追うことはないと思う。しかし報道するならば、その行為自体を否定したり抑止するような形でのコメントを入れるべきである。「自殺とは人間にのみ与えられた高度な精神活動の発露である」と捉えている人もいるかもしれない。明治時代、藤村青年の華厳の滝入水、「曰く不可解」自殺も当時、後追い自殺を招いた。高度な精神性の終着地点として自殺行為が成り立つのかどうかの議論はここではしないが、実社会での「自殺」というもののとらえられかたはやはり「反社会的行為」なのである。


個人情報? その3

2013年08月27日 05時54分12秒 | インポート

すでに自分から自身の情報を公開している。だから情報公開は許諾されているとみなしてもよいと思われる。最近では顔写真を公開する報道は少なくなってきたものの、「社会性がある」事件やある種の犯罪などでは、容疑者の段階でも顔写真が公開されている。今回の「人間冷凍食品事件」では、後追い模倣犯が続いているということで社会的に拡大しているわけである。これは社会性がないとはいえない。しかも前述のようにすでに自身で自身の顔をネットにアップしているのである。ここまできて、なぜマスメディアがプライバシーに配慮して顔写真をぼかすのかその真意が見えてこない。マスメディアが名前や顔写真を報道する条件は報道機関によってバラバラのようである。いわゆる自社規定とやらで制限しているようである。中東の油田で人質となり殺害された日本人の名前も某TV局1社のみが、事件は「社会性がある」ということで実名報道していた。各々の報道機関で統一されていないこの規定とやらはとても奇妙なのである。もし取材を受ける場合があれば今後はその公表内容のcriteriaを提出させないとどこまで報道されるのかたまったものではない


個人情報? その2

2013年08月26日 06時57分08秒 | インポート

マスメディアは事件報道後に模倣犯が急増することも知っているはずである。本来は模倣犯を抑制するような報道姿勢が求められる。でもそのような姿勢はあまり認めない。マスメディア論について語るつもりもないが、本来報道とは事実の伝達だけではなく反社会的事件の報道ならば事件の再発について否定的、かつ抑止的になるような報道形態を心がけるべきである。また今回の事件はネットに投稿した写真はすべて最初から自分の顔も公開している。ということは、為している反社会的行為の主体が自分自身であることを社会にむけて己が公表していることになる。ここで奇妙に思えたのであるが、すでに社会に公表された自身の情報が、いざマスメディアに取り上げられて報道される時はこの行為の主体者の顔にボカシがかけられるのである。これはいわゆる個人情報の保護というとらえかたをしているのであろうか? その真意は図りかねる。


個人情報? その1

2013年08月24日 06時05分59秒 | インポート

 最近、コンビニや飲食店の巨大食品冷凍庫に入り込んで、そこに寝転んだ自分の写真を撮ってネット上にアップしている人達がいる。このような不潔行為は普通に考えれば反社会的行為であることはすぐ分かる。しかしこのような事件があるとまるで感染したかのように次から次へと同じ事をする人達が続くのである。このように後に続く人達の思考過程はどうなっているのか理解に苦しむ。「こんなことしたら社会的に糾弾される」ということは経緯をみていれば分かっているだろう。分かっていないはずはないが「軽い気持ちでやってしまった」などとコメントがなされている。「軽い気持ち」とは言うものの、社会では重く扱われていることは知っての上でということになるため、逆に罪は重くなるはずである。このような後追い模倣犯においては情状が酌量される余地はどこにもない。この類の事件は報道されれば後追いが必ずあることは報道する側のマスメディアも十分知っているはずである。


優先席 その4

2013年08月23日 06時24分52秒 | インポート

そしてこの席を譲られたご婦人は、いかにも当然とばかりに「うむ」とうなずいてから、わざとらしく「あらーすみませんねー」と口では言うが、当然のような態度でしかもためらうことなく瞬時に着座したのであった。以後、目的地まで私はこのお二人の前に立っているのも気分が悪い。かといって、当然、私はこの高齢者の代わりに着座の権利を持っているはずであるが、それでもその後ろの空いている優先席なんぞには座る気はしない。善行のあとは通常は気分がいいものであるが今日はとても気分がすぐれないのである。この日はなんだか不可抗力の交通事故にあったような思いである。なにげなく件のご婦人二人をみると楽しげに会話をしている。それはそれでよかったのかもしれないが、でも車内は譲り合いである。高齢者とはいえ「常に譲られる立場」にあるわけではない。このお二人が最初から優先席に座れば車両内は大団円であったはずである。高齢者は車内では自由気ままで気配りをしなくてもいいというマナーはないと思うのであるが・・・。


優先席 その3

2013年08月22日 06時06分37秒 | インポート

この意地悪な高齢婦人達の「するどい目線による真綿で首を絞めるような攻撃」に敵うわけがない。キレた私は「なんなんだよっ、その目線はっ!」と言いたかったのであるが、情けなく「はぁ~、じゃあ~、どうぞ、お座り下さい」と席を立った。もちろん彼女達の思考背景など確認もしていないしそれが正しいかどうかもわからない。でも2人の態度はみればわかる。そして確かに私は「じゃあ~」と吐き捨てるように言った。何が「じゃあ~」なのかは経過を知らない局外者にはわからないであろう。この意味は「後ろに二人分の優先席が空いているんですよ。そっちに二人で座ればいいでしょ? なんで私に『席譲らないの?』という視線を投げかけるのですか? はぁ・・・、でももういいです、ハイわかりました、じゃあいいですよ・・」という意味なのである。この無抵抗でおとなしい子羊のほんの些細な抵抗のつもりで言った言葉が「じゃあ」なのである。もちろん彼女達にはそんな私の心の奥底からの吐露を感じるわけもない・・・。


優先席 その2

2013年08月21日 06時56分37秒 | インポート

 でも、ですね・・・、あなたの斜め後ろの優先席は2名分並んで空いているのですが・・・。すでに私の隣に着座しているご婦人からはそこの空席状況は良く見えるのである。この先着した婦人がちょっと気を利かして「あ あそこ2つ空いてるわよ、そっちに行きましょう」と言えばいいのである。優先席なのでそちらへの移動中に他の客に着座されるおそれは極めて少ない。しかも車両内はすいていてほとんど立っている乗客はいなかった。でもこの先着しているご婦人は自分が着座している安堵感からか友人の座席確保については無頓着なのである。「おいおい、俺はあんたの友人に悪者扱いの眼で見られているんだ。斜め後方に優先席が2つ空いているからそっちいきましょうとなんで言ってくれないんだ」とこの哀れな子羊は思ったのである。しかし隣に着座しているこのご婦人も「席、譲らないのかしら?」とばかりに私の方をちらりちらり見るのである。何で積極的な空席への移動を提案しないのか、ついに私はキレた。


優先席 その1

2013年08月20日 06時46分50秒 | インポート

 先日、山手線に乗った。席が2つ並んで空いている。その一つに腰を掛けたところ、直後に高齢と思われるご婦人が2人やってきた。一人は自分の横に座ったが、もう一人は座れない。タッチの差ではなく少し間があったが、私のほうが先に座ったのである。その座れなかったご婦人は私に一瞬だけ一瞥をくれた。表情は憮然としていた。「あっ、遅かったぁ~」と呟いたが、内心は「あ~あ~この人より早ければ二人並んで座って楽しく会話がはずむのになー」といったものであろう。もちろんそう思っているのか聞いたわけではないけど、一瞬遭った目線の鋭さがそう言っているのである。そして次の瞬間またそのご婦人は私に一瞥くれた。今度の目線の鋭さは趣が違った。明らかに射るような眼差しである。たぶん「この人、目の前の高齢者に席を譲らないのかしら?ずうずうしい人よね、この人ったら」と私は解釈した。眼は口よりもものを言うである。この状況に自分は生き残れるほど強い生き物ではない。


本日より診療開始

2013年08月19日 06時00分35秒 | インポート

 さて本日より診療を開始いたします。

 夏休み中はお盆の大渋滞やら熱中症やらのニュースが沢山報道されていましたが如何でしたでしょうか? 今夏は猛暑で、まだまだ暑い日も続きます。自分が子供の頃は冷房なんてなかったですが、今では冷房がないと生活できないような気候になったようです。ただし冷房の掛けすぎでくれぐれも風邪を引かないように。


明日から夏休み

2013年08月10日 05時59分57秒 | インポート

 明日8月11日(日)より8月18日(日)まで夏季休暇をいただきます。その間ブログもお休みいたします。その後、8月19日(月)より平常診療を開始いたします。

毎年の夏休みには自身の健診をかねて胃と大腸の内視鏡検査をしてもらっています。それから最近では電子カルテのせいか眼が悪くなってきました。眼科受診もするつもりです。

大学時代は学会などで年に2回くらいは海外に行っていましたが、開業してもうすぐ6年、海外にはまったく行っていません。患者さんには「先生は夏休み中海外にでも行かれるのですか」と聞かれますが、自身の健康管理をします。

あぁ海外旅行したいなぁ~・・・。


「日本でのみ起こりうること」 その5

2013年08月09日 06時52分31秒 | インポート

 もし今後、こういった出来事が米国化してくるとしたら「善きサマリア人法」が日本には存在しないことを自分は危惧するのである。日本人のこのような善行に対しては現在のところ法的な擁護はない。米国のメディア報道の本意は知らないが、このように各国メディアが絶賛した日本人的行為が、今後かなりリスキーなものになっていくのだとしたらとても悲しいことである。今回、この南浦和での出来事のニュースを見て「ふーん、そうなんだ」程度であった。しかしそれを各国メディアが絶賛しているニュースのほうが自分には随分奇妙に思えたのである。まあそれでも「うん、自分は日本人でよかった」と思えるのであるが、実はこの電車を押そうと音頭をとったのは日本人ではなく外国人(もしかして日本国籍かもしれないが)だったそうである。確かに、そう言われれば先頭に立って音頭をとるよりも、何となく動き出した流れに我も我もと皆が乗ってくるほうが典型的な日本人なのかもしれない。悪くいえば付和雷同なのであろうが、まあまあ付和雷同でもこのような時は大歓迎である。それにしても最初に救助しようと声をかけた外国人って一体、何人だったのか知りたいところである。外国のメディアが日本人を賞賛したのだが、そのどこか外国メディアの国の人だったら話としてはもっと面白くなるのであるが。


「日本だけでこりうること」 その4

2013年08月08日 06時25分58秒 | インポート

 日本的感覚では砂埃の多い日や、暑い日などは自分の店の前の道路に打ち水をする。ところが米国とは、この水に滑ったかあるいは滑らなくともいいのだがここで転倒した歩行者がその店を相手取って訴訟を起こし、結局のところその店側は敗訴するという事例をもつお国柄なのである。これは民度が高い低いの問題でもない。おそらくは多種多様な民族の集合体の中において、これまた多種多様な価値観をすり合わせた結果なのであろう。だから助けようとした人が平気で訴えられることが起きるのである。日本では「善きサマリア人法」は存在しない。一時期、AEDが導入されようとした時に議論されたが立法化には至らなかった。日本では「緊急事務管理」という法律があるのでこれを代用したのである。実際はこの二つの法律は根本的には異なるのであるが結局、救助者を擁護する新たな法律は作られることはなかった。日本で見ず知らずの人が集まって団結して救助しようとした行為は、まさに日本人の民度の表れである。はたしてそんな日本人の傷病者においても、「少しでも怪我したらこいつらのせいだ、訴えてやるからな」という感情は沸き起こってくるものなのであろうか? でも日本で最近クレーマーが増えてきたことをみると今後は少し心配なのであるが。