吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

押印 その5

2011年09月30日 06時37分53秒 | インポート

 患者さんの中には健康診断書を希望されて来院される方も多い。会社や保険関係、また雇用時に必要なためである。先日も教員関係の方が健康診断書を提出するため来院した。まあ一通りチェックして記載した。その教育庁とやらに提出する健康診断書の雛形の裏面に書き方の注意があった。これには驚いた。「医師の署名は自署にておこない、押印にあっては朱色の印肉による認印を用いること」とあった。PCでも捺印できる今の時代、ここまでアナログにおいて微にいり細にわたり規定するのは如何なものか? 他の省庁でもどんどん書類関係は簡素化されている時代である。内容ではなく形式にこだわり、形式が髪の毛1本分でも異なればすべて書き直しさせるという行政機関もまだたくさんある。提出させた書類に細かく目を通し書類の形式不備を捜すことが彼らの仕事なのかと勘ぐってしまうのである。これでは日本の復興も遅々として進まないだろう。


押印 その4

2011年09月29日 06時58分58秒 | インポート

 昔、大学病院勤務時代にも似たようなことがあった。受け持ちの患者さんがなくなったので死亡診断書をかいた。すでに自署署名があれば捺印は必要としないと厚労省から通達があった後のことである。自署のサインのみで認印を押さずに事務担当者に提出した。ところが事務:「先生、判子忘れていますよ。押して下さい」  私:「いやっ、もう印鑑はおさなくていいんですよ」 事務:「困ります。きちんと病院のルールは守ってください」 ・・・と押し問答が続いた。厚労省からの印鑑不要の旨が記載された通達書類を見せても「病院のルール」だからというわけの分からない理屈でついに自分も折れた。だまって印鑑押せば数秒で済む。ここで抵抗して数十分もエネルギーを使うのは得策ではない。しかし本来、病院事務方に医師が書く死亡診断書の生殺与奪の権限はないはずである。しかも当時、自分は彼らの命令系統には入っていないはずである。まあ面倒臭いので黙って従ったが今でも不愉快である。


押印 その3

2011年09月28日 08時11分50秒 | インポート

 ということで死亡診断書を作成し、ご家族にお渡しした。ところが数時間後ご家族がその死亡診断書をもってクリニックに戻ってきた。「先生の署名の後に印鑑が押していないので受けられないと葬儀社の人がいっています」と・・・。あぁ・・10年もたつのにまだこんなことを言っている人がいるのかと残念な思いである。死亡診断書のサインが医師の自署であれば押印は必要ないのである。これは10年以上も前に厚労省から通達が出ていることなのである。なので行政の最終組織である役所でも当然押印なしで引き受けるはずである。ところがそこの間に入る葬儀社の社員が「印鑑がないと受けられない」などと頓珍漢なことを言われたら困るのである。患者さんが亡くなられた後はいろいろと多忙である。そんなご家族に無駄な動きをさせるのは罪なことである。三文判でいいのですぐに押してあげた。もちろんこちらは釈然としないのである。


押印 その2

2011年09月27日 06時52分30秒 | インポート

 東京の場合は亡くなられた後に監察医務に搬送するか、あるいはかかりつけ医が死亡診断書を作成することになる。というわけで当院がかかりつけなので自分が最後に検案をして死亡診断書を作成した。難しくなるが医師法10条に「診察をしないで診断書を作成してはいけない」とある。例外的に「継続的な通院において最終の診察から24時間以内の死亡であれば診察しないで死亡診断書が作成できる」とある。しかしながら今回、この患者さんの最終診察日は約3週間前であったので、最後は自分が死亡確認をしなければ死亡診断書は書けないのである。警察から診断書の依頼の電話があったときは「あぁ、とうとうきたか」と思った。かなりご高齢でもあったし最後に診た時はかなりやつれていたのでそろそろだとは感じていた。やはり自分のクリニックに長く通院していた患者さんなので検案時は万感の思いがあった。


押印 その1

2011年09月26日 06時22分04秒 | インポート

 先日、うちに通院されていた患者さんが亡くなられた。私の代では当院二人目の死亡診断書発行になる。大学病院の救命センター勤務時代にはよく遭遇したパターンであるが、今回の患者さんも同様デイケア滞在時における急変である。とりあえず周囲の人は救急車を呼ぶわけであるが救急隊もそこそこ大きな病院に患者さんを搬送することが多い。かかりつけ医に急変患者を搬送しても設備的に対応できないことが多いので正しい判断といえる。ところが搬送された病院では、その病院に患者さんの「過去の診療歴」がないと死亡診断書は書かないのが通例なので、かかりつけ医に死亡診断書発行の依頼がある。もちろん各県によって細かい部分でのローカルルールが異なるため、事情の如何を問わず最初に死亡確認した医者が死亡診断書を書くという県もあるようである。ところがいろいろな意味でこの死亡診断書というのはやっかいなのである。


23年度インフルエンザワクチン

2011年09月24日 06時42分47秒 | インポート

 今年も10月1日よりインフルエンザワクチン接種が開始されます。今年度は区からの補助は小児にはありません。高齢者の方のみ補助がおります。補助対象者は区から予診票が送付されます。これを持参しないと自費になります。当院での自費の場合の料金は¥3150です。また今年度より生後半年のお子さんから接種が可能になりました。ただし乳幼児、学童期では免疫がつきにくいので2回接種をお勧めします。さて、今では新型インフルエンザ流行時に施行した「年齢別順番接種」のバタバタ騒ぎは懐かしく感じます。あの時の品薄状態にはならないと思いますが、なるべく小児のお子さんはご予約をいただけると助かります。例年、特に小児のお子さんの場合、ダブルブッキング、ドタキャン、ノーリターンがあるのでご予約されたらお守り頂くようお願い申し上げます。


台風

2011年09月22日 06時48分45秒 | インポート

 昨日の台風はすごかった。患者さんも夕方の台風上陸を予想して午前中に集中しました。午後外来ではほとんど患者さんは来ませんでした。夕方になって電車や地下鉄が運休しはじめたのでスタッフを早あがりさせましたが、結局以降はまったく患者さんはきません。結局、夜遅くになると雨はやみ、今朝には一転して快晴になっています。まさに台風一過の状況です。昨夜は医師会を休んでしまいましたが、東京のひどい天候は数時間だけで通り過ぎたようでした。皆さんの地域は如何だったでしょうか? 昨夜は台風が荒れ狂う中、地震もありました。なんだか今年は試練の年のようです。


患者さんから その7

2011年09月21日 06時39分17秒 | インポート

うちのクリニックはまだまだ発展途上ではあるが、もちろん業務上ではプロの仕事はするつもりである。しかし仕事を離れて父のような付き合いをするかといえば難しいであろう。自分もあまり望むようなものではない。しかしながらこのシリーズの冒頭に書いた謹厳実直で痛いほどこちらに信頼をよせてくれているご夫婦には、正直対応は違うものになるだろう。奥様が言っていた。「うちの主人は『工場の油の臭いを嗅ぐとホッと気が休まる。自分が死ぬときは工場にベッドを持ち込みそこで死にたい』といっているんです」と。昔から工場で働くことが好きで、ずっと情熱をもってやってきたそうである。この患者さん達の願いなら自分が工場で最後を看取ってもいいなと思った。お安い御用である。信頼関係とはお互い知らないうちに構築されるものなんだなと今更ながらに不思議に思った。患者さんから学ぶことも多い。感謝である。


患者さんから その6

2011年09月20日 06時12分12秒 | インポート

 いいのか悪いのかわからないが、今と父の時代の患者さんとの距離感はかなり違うものがある。父の時代の患者さんからは「お父様とよく飲みに行きましたよ」とか「よくゴルフにいきましたよ」などという声をよく聞く。まあ父のキャラクターもあったのだろうが仕事を離れて父は患者さんと付き合う機会が多かったようである。昔、中学時代、帰宅したら父が茶の間で患者と酒を飲んでいた。「おう、息子だ」と紹介されると、そのヘロヘロに酔った男はいきなり「何?息子?おい、いいかこの先生を悲しませるようなことがあったら、この俺が許さないからな!」といきなり初対面にもかかわらず一喝された。何が何だかわからない。しかしどうやら話の流れで自分は酒の肴になっていたようである。しかし余計なお世話で失礼な話だ。きっとこの患者は父のシンパだったのだろう。まあ今の時代では利害関係のともなう付き合いは避けたほうが安全であると自分は今まで何となく教えられてきた。これはこれで正しいと思う。昔とは時代が違うのである。


患者さんから その5

2011年09月17日 05時56分17秒 | インポート

 ところが日本でも徐々に医療訴訟が増加して、ありとあらゆることにまで説明と同意が求められる時代になり、日本も当時の米国よりも分厚い説明書の厚さになっている。医療とはもともと不確定であり予測不可能な場面も多いのである。確定的な結果を求める患者側とは今後も溝が埋まることはない。説明が必要であることは論を待たないが、納得いくまで説明して治療の選択肢からようやく患者さんの意思決定が出るころにはすでに手遅れになっている場合もある。過去自分がずっとやってきた大学での救急医療では、それでも同意書をとるべきという病院側の提示に断固反対した思い出がある。まあもっとも日本で「同意書」というのはその処置や検査や手術の施行を同意しただけなのであって、患者さんが最悪の結果に同意したというものではない。したがって事後に起こった転帰を免罪するものではないのであるから、説明を十分にして説明書をわたすのみで同意書にサインまでしてもらう必要はないと思うのだ。もしも「説明を聞きましたよ」ということの証明としてのサインであるなら「同意書」などという呼称はやめてほしい。


患者さんから その4

2011年09月16日 05時46分07秒 | インポート

 最近では医療とは、契約書をかわさない暗黙の契約によって成り立っているといわれているが、それはお互いの信頼関係が土台にあることが要求される。しかし昔はこんな面倒くさいことは言わなかった。「とにかくよくわからないので先生にすべてお任せしますよ」という場合も多かった。そうなるとすべて下駄を預けられたわけなので責任は重い。おいそれと放棄するわけにはいかず、それこそ最後まで患者さんの面倒を見ることが父の時代の開業医であったような気がする。自分が医者になった当初は米国帰りの医師から「向こうじゃ、入院すると週刊誌よりも厚い説明書と同意書が渡されて、患者はそれに目を通し納得したら同意書にサインするんだ。一つでも納得しないとそれだけで一仕事だ」と聞かされた。米国は訴訟大国である。どんな小さなことも、すべてに同意書が要求される米国の医療は異常だとおもった。そして日本ではこんなことはありえないと思っていた。


患者さんから その3

2011年09月15日 06時02分15秒 | インポート

 昔から生活態度の宜しくない自分にとって、このように腰が低く謹厳実直なご夫婦をみるとこちらの背筋も伸びてしまうので不思議である。そしてこの開業医としてはごく平均的な早期の病院紹介をかくも過分に評価してくれて以来、どうやらこちらに信頼を寄せてくれているようなのである。まあ誤解で患者さんから恨まれるよりは誤解で信頼されているようなものであるのでいいとしようか? しかしながら「ちっ、違うんだ。僕はそんな大層なもんじゃないんだ」といいたい気持ちである。こうなると「この患者さんたちには精一杯の医療を提供してあげよう」という気持ちになってしまうので不思議である。たぶん今の自分はこの二人に「よく思われている」ので、このままよく思われ続けたいという深層心理がそうさせているのであろう。人間とはかくも単純なものか? いや、ただ自分が単純なだけなのだろう。


患者さんから その2

2011年09月14日 05時32分49秒 | インポート

 X線検査では、心肥大と両側肺門部増強、そして軽度胸水が貯留していた。またair-bronchogramもあったので、典型的な心不全に肺炎も合併しているかもしれない。急いで心カテを施行したK市の病院に紹介状を持たせてすぐ行くように指示した。その後、少し心配であったが、数週して元気な様子で当院にやってきた。「いやぁ~先生の対応が早かったので命拾いをしました。本当にありがとうございます」と・・・。過分に感謝されたが、別に開業医としてはごく平均的な診断・対応をしただけなので、お尻がこそばゆい感じであった。いつも痛感しているが、患者さんから感謝されようと恨まれようと医療というものは結果がすべてなんだろうなと・・・。今更ながらに開業医の厳しさを痛感した。確かに一歩判断が遅れたらと思うとゾッとすることもある。


患者さんから その1

2011年09月13日 07時34分10秒 | インポート

 患者さんから学ぶこともかなり多くある。ある年配のご夫婦が通院されている。近隣K市で工場を経営していたが、いろいろな病気をされ手術後のこともあったため工場は人に貸して自分たちは数年前にクリニックの近くに引っ越してきた。来院するときはいつも仲良くご夫婦で来る。二人とも腰が低く穏やかで丁寧で礼儀正しいご夫婦である。数年も通院されていると、その人の「人と成り」は自然と伝わってくるもので、とても誠実な人柄であることを感じている。通院してから半年位して、ご主人が労作時の息切れを訴えて来院した。以前心臓を患ってカテーテル治療をK市の病院でおこなっていた既往があった。胸部の聴診では胸膜摩擦音などが聴かれ、心不全か肺水腫などを疑いX線検査をしたところ・・・。


同窓会支部会

2011年09月12日 06時27分46秒 | インポート

 一昨日の土曜に大学の同窓会の支部会にいった。卒業以来同窓会関係など一度も出たことはなかった。実はその前に、豊島区の前任の幹事の先生から「私も歳なので交代してくれないか?」と依頼があったのである。本当は少し困惑したのであるが、近所で昔から知っている先輩なので断る理由はない。しかも支部会長が同級生なのでまあしょうがないOKし、そして初めて出席したのだ。まあどこも同じなのであろうが研修会講師を除いて自分よりも若手の会員はほとんどいない。どこも出席者は高齢化しているようである。250名くらいいる会員のうち出席したのは20名くらいであろうか? 今後、何らか活性化の手段を講じないと消滅の危惧がありそうである。