吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

応急手当普及啓発活動 その1

2014年07月31日 06時06分40秒 | インポート

    東京防災救急教会の「てあて」という雑誌が定期的に送られてくる。自分は昔、この協会で少し仕事をさせてもらっていた。ここは東京消防庁の関連機関であり、市民への応急手当の普及啓発を仕事にしている。その他にも種々の調査研究もしているが、自分は昔ある研究班の委員をしていたことがあった。その関係で今でも機関誌が送られてくるのだが最近の刊行誌の記事である。市民が応急手当をして見ず知らずの傷病者を救命したということで表彰された事例がいくつも紹介されていた。この表彰された人のある談話である。見ず知らずの人が倒れていた。心肺停止のようである。講習で習ったように人をよんでAEDを依頼し、そしてCPR(心肺蘇生)に着手したところ、やじ馬から「手を出さないほうがいい」といわれたそうである。これは応急手当てをしていて気持ちが萎える。手伝わないなら邪魔をせず通り過ぎてほしいものである。<o:p></o:p> 

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うぐいすへの応援 その3

2014年07月30日 05時18分05秒 | インポート

    今日たまたまこの空間でであった見ず知らずのこの7~8名の「在籍者」はしばらくの間は黙って耳を傾けていたのであるから、おそらくは同様の想いでこの時間を楽しみ、なんとなく連帯感に似たものも感じていたのだろうと思っていた。しかしそれは自分の勘違いだったのである。優しく鳴いている鶯に声援を送って何が悪いといわれるかもしれない。しかしながらその音色と薫風を隣で楽しんでいる者にとってはその声援はとんだ迷惑なのである。自分はクラッシック音楽のコンサート会場にいるつもりだったのだが、隣のご婦人はそうは考えていなかったようである。小学生でもわかるだろうが、その美しい名演を奏でている演奏者は人間ではなく鶯なのである。いくら声援を送るといっても、鶯に向かって人間の気配をさとらせるような行為はかえって逆効果になるだろうという配慮は必要である。そして周囲の数名が黙ってこの名演を楽しんでいるという空気も読めなかったのであろうか? このご婦人は、知らず知らずの間にこの半径10mが周囲複数名の共有空間になっていたことに気が付いていないのである。とりあえずお寺の境内ではあるが、まあ天下の往来ともいえる。好き勝手にどう振舞おうとも自由である。しかしやっぱりウグイスへの応援は「無粋」と言わせていただく。残念だ。・・・というか、まあ単刀直入に言えばこのご婦人の悪びれない満面笑顔でのこの行為にイラッとしたのである(溜息)。<o:p></o:p> 


うぐいすへの応援 その2

2014年07月29日 05時45分41秒 | インポート

   自分は一瞬このご婦人が何をしているのかわからなかった。次の瞬間「がんばれぇ~、頑張れ、頑張れぇ~」と決してつぶやき声ではない、明らかに話しかけるくらいの勢いと声量で頭上の木々の枝に向かって声をかけ始めたのである。それは鶯が鳴く度に数度にわたって行われた。彼女は屈託のない笑顔である。この傍若無人な行為で、とたんに興が醒めた。もちろんここで誰が何をしようと勝手である。この半径10m以内に、通りすがりの局外者が入ってきたなら、この「空間」で何が行われるかに気が付かず大きな声で話しながら通過していくかもしれない。これは「無粋」とはいえないだろう。ところがこのご婦人は最初からこの空間に在籍しており、しかも周囲の7~8人と同様な意識でとても安穏とした時間を共有していたはずである。この空間の在籍者であれば、黙って鶯に耳を傾けていれば全員が同様にいい雰囲気を体験できることはわかっていたはずであり、所謂「黙契」であったともいえる。<o:p></o:p> 


うぐいすへの応援 その1

2014年07月28日 06時21分09秒 | インポート

    先代院長である父の命日は5月である。先だって5月の好日に法事をおこなった。そのあとに精進落としというわけではないが、霊園近くのお寺の境内にあるレストランにいった。開店まで時間があったので店前のベンチに座り待機していたのである。当日はかなり日差しが強かったものの、そのベンチは大きな木の下で木陰になっており、静かで心地よい風が吹き抜けてとても居心地がよかった。しかもすぐ真上では木の中で鶯が数羽鳴いており、この薫風の爽やかさと耳から入る数羽の鶯の協演によって、この半径10m程度の空間は極楽浄土(大袈裟な!)になっていたのである。しばらくの間、この空間にいる自分を含む7~8名の来訪者は、この静寂の中に聞こえる何とも洒落た歌声によって癒しのひと時に浸っていたのである。ところがである。急に「パチパチパチ・・・」という音が聞こえた。なんと隣のベンチに座っていた初老とおもわれる二人連れご婦人のうち一人が拍手をはじめ、この静寂をやぶり始めたのである。<o:p></o:p> 


飲酒運転の事故 その2

2014年07月26日 05時47分52秒 | インポート

   それに引き続き北海道の海水浴場では12時間飲酒したあとに乗用車を運転、歩行者3人を即死させた事件があった。「ちょっとタバコを買いに」ということらしいが、事故後のコメントで「事故を起こさなければ(飲酒して)運転してもいいと思っていた」と供述していたそうである。川口市職員の時もそうであるが、事故後の発言内容としては、これもかなり幼稚である。「酒が強ければ飲酒運転してもいい」とか「事故さえ起こさなければ飲酒運転はしてもよい」などという法規があると本当におもっていたのだろうか? 言い訳にしても程度が低い。自動車教習所の講義の中でも散々教えられるはずである。運転免許の学科試験にも飲酒運転関連の設問は必ず出題される。知らない訳はない。運転免許を持たない人ですら飲酒運転が禁止されていることは「常識」である。それを事故さえおこさなければ飲酒運転してもよいと思っていたとは、嘘だとしてもかなりレベルが低い発言である。あの福岡の公務員による飲酒運転事故以来、飲酒運転は厳罰化されてきている。その流れも散々ニュースで報道されてきていることも「常識」である。本当は知っているのであろうがそれを「知らなかった」と言い逃れ的に発言することの幼児性がなんとも情けないのである。<o:p></o:p> 


飲酒運転の事故 その1

2014年07月25日 06時09分14秒 | インポート

   脱法ドラッグは「脱法」であるため、なかなか未然に取り締まれないのが現状である。しかし飲酒運転についてはすでに数十年以上も前からすでに禁止となっている。それにもかかわらず飲酒運転事故はあとをたたない。以前、福岡の県庁職員による飲酒ひき逃げ事件から危険運転致死傷罪という法律がつくられ、また最近では運転するとわかっていて人に酒を勧めただけでも罰せられるという法規も加わっている。最近も脱法ドラッグによる事故に引き続き、川口市役所職員による飲酒ひき逃げ事件が発生した。父親の経営する居酒屋で飲酒したあとでの事故である。父親も息子が飲酒したので店前においてある車を放置し帰宅するとでも本気で思っていたのであろうか? 当初「事故後に飲酒した」などと供述していたらしいが、フェイスブックに「ただいま宴会中」ということで半分以上空いたジョッキを持っている写真がアップされていたとのこと。事故後の発言としてはきわめて幼稚で悪質である。<o:p></o:p> 


脱法ドラック その5

2014年07月24日 05時36分43秒 | インポート

   最近、知らない間に「車の運転禁止」という一文が入った薬がどんどん増えてきている。こちらとしては病気の診断や検査の説明や日常の暮らしの注意をしたうえで、なおかつ処方する際には必ず「車運転しますか?」などと聞かなければならない。昔とくらべてずいぶん大変になったのは説明に要する時間が長くなったことである。これをしないと「説明義務違反」などといわれることになる。患者さんによっては一度話せば理解される方もいるが、高齢の方の場合は難聴であったり、ご理解を頂けなかったりで一度の説明では無理なことも多い。診療時間の半分以上を説明だけにかけていることも結構あるのだ。こうなると薬を処方する場合、薬の効果は劣っても、車の運転制限などない薬剤を選んで処方するほうが楽なのである。日常生活に禁止項目が加えられてきた原因をたどると、使用者の不適切な用法、用量に端を発していることもあるのはすでに述べた。そうであるとしたらこの「不適切服用」という行為は社会的に罪が重いのである。それにより正当な便宜を享受していた患者さんたちが有形無形で不利益を被ることになる。脱法ドラッグではないが、特に医薬品の不適切使用者は、狂言目的でも後追い的模倣犯であっても、社会的に多大な不利益をもたらしているのであるから厳罰に処するべきである。<o:p></o:p> 


脱法ドラック その4

2014年07月23日 05時39分17秒 | インポート

  開業医で頻繁に処方している風邪薬や花粉症の薬のほとんどには運転制限がかけられている。また糖尿病の命綱でもあるインスリンが低血糖発作による交通事故のため、運転制限がかけられそうになっているらしい。この話は自分の聞き違いであるといいのだが。これらの薬物は脱法ドラッグではなく純粋な治療薬である。脱法ドラッグによる運転に制限をかけずに(かけられずに)、純粋な治療薬であるインスリンにいとも簡単に制限をかけてしまうのは順番がちがうのではないかと複雑な気持ちである。世の中には糖尿病をインスリンで克服しながら車で営業の仕事をしている人はたくさんいるのである。それら人たちから仕事の機会を奪うのであり、もし失職にまで至ったら「医療が人のため」になっていないことになる。<o:p></o:p> 


脱法ドラック その3

2014年07月22日 05時43分01秒 | インポート

     それにしても、そのあと何件か同じように脱法ドラッグを使用して車を運転する者の事故が続いている。この手の事件が起こると大抵、真似て同じことをする者が必ず出現するのである。善行を真似るのは好ましいがこのような反社会的行為では迷惑である。このような事件の「流行」を防ぐには模倣犯はより厳罰に処すべきである。以前もこの付和雷同的な後追い事件がたくさんあった。例えばリストカットが流行るとみんなそれに続いた。狂言自殺目的の睡眠薬大量服用も多発したことがあった。睡眠薬の大量服用などでそう簡単に死ねるはずがない。しかしそのような行為の多発により世の中では本末転倒的な規制がかかるのである。例えば医療機関において睡眠薬の長期処方ができなくなったことである。不適切な反社会的使用法で本来、便宜を享受していた患者さんたちが不利益を被ることになった。このような「流行り病」は社会的に多くの人たちに対して種々の規制が加わるため極めて迷惑なのである。


脱法ドラッグ その2

2014年07月19日 05時56分50秒 | インポート

  未然に防ぐことができないのであれば厳罰に処するべきで、危険運転致傷罪などを適用したらいいのではないだろうか。京都府でおきた事件であるが無免許の若者が一晩寝ないで遊び歩き朝方幼稚園児や付き添いの母親をはねた事件があった。もちろん脱法ドラッグは使用していない。それにもかかわらず危険運転致死傷罪を適応すべきかが議論されたらしい。どう考えても「危険運転」であろうと思うのだが。今回の脱法ドラッグではどのような道交法が適用されるのかわからない。しかし吸引して運転すれば人をはねるとわかっているわけであるのだからこの意図的行為には危険運転致死傷罪などというものを最大限に適用する必要がある。脱法ドラッグを未然に法規制できないのであれば、罰則を最大限にするしか抑止力はないのかもしれない。しかしながら極刑適用しても凶悪犯罪の抑止力にならないとまでいわれていることから、最大限の罰則でも脱法ドラッグ撲滅にはならないと言われればそれまでである。<o:p></o:p> 


脱法ドラッグ その1

2014年07月18日 06時02分31秒 | インポート

 最近、脱法ハーブを吸引して車を運転し暴走して人をはねるという事件が多発している(ちなみに脱法ハーブという呼称はしないような動きになっているが)。これだけ多くのニュースで取り上げられて社会問題化しているのであるからこの脱法ドラックを吸引すれば正常な精神状態ではなくなるということは誰にでもわかっているはずである。それにもかかわらず車を運転するということは間違いなく「人にケガをさせてやる」という確信犯なのである。この確信犯を未然に防ぐことができないことは異常なことである。個々の薬物の指定をいちいちしていたら、まさにいたちごっこであり、いつまでも脱法のままである。薬物規制と並行して道交法改正も行うべきと思うのだが。しかしながら道交法は現行犯であり、事故を起こせば規制の対象になるが現行法で使用した薬物が規制の対象でなければ車の運転を取りしまることはできないらしい。脱法ドラッグを使用したという包括的な法規制で未然に防ぐことは不可能なのか? 例えば「精神状態に異常をきたす可能性のある食品、物質の摂取による運転」という包括的規制がよいのだが。「安全運転義務違反」などといういいかげんな規制項目すらあるのだから可能であろう。<o:p></o:p>

 


格安航空会社での着陸ミス その3

2014年07月17日 06時17分41秒 | インポート

 ところでTPPの問題がある。「聖域なき改革」とも言われているが、もしTPPに「医療」も組み入れられるとしたら、日本で行われている国民皆保険制度は崩壊するだろう。ヒラリー・クリントンが2000年ごろに「日本の国民皆保険制度は米国でも手本にすべき」とコメントを出したのは遠い昔である。今後TPPに「医療」が含まれたなら安い海外の医療がどんどん参入してくることになる。前述のようにあまりにも低コストにすると安全性の担保ができなくなるという話は、たぶんここのLCCならぬLCM(Low Cost Medicine:私の造語であるが)の分野でも起こりうるのである。もともと日本の医療は自分で価格を決められない統制経済である。すべてに医療点数が決められておりその価格で請求することになっている。その統制的な経済環境の中に、もしも海外からもっと安い医療を供給する企業が入ってきたらどうなるのであろうか? 日本の国民皆保険制度の行く末は暗い。<o:p></o:p>

 


格安航空会社での着陸ミス その2

2014年07月16日 06時19分06秒 | インポート

 今回の着陸ミスが大事に至らなくてよかった。しかしやはり格安運賃では安全性の担保ができないというのは無理からぬところと考えざるをえない。やはり安全を維持するにはコストがかかるのである。安全とは目に見えぬところなので手を抜いても表面上はわからない。そして少し手を抜いても安全性は保たれている場合が多いのである。ところが一度事故が起こってしまうと、安全性を疎かにしていたという事実が明るみに出て社会的問題となるのである。一方、どんなに安全管理に力を入れていても事故というものは一定確率でおこるのである。問題は、事故が起こらないであろう最低限レベルの安全管理を、いかに低コストで企業内で展開できるかである。しかしそのレベルとコストを事前に推し量ることは難しい。もちろん過大すぎる安全管理も「羹に懲りて膾を吹く」ことになるのであはあるが、安全の担保とはとにかく経費を惜しんではいけないのであるし、その分を運賃に上乗せすることはやむを得ないと考えるしかないと思う。<o:p></o:p>

 


格安航空会社での着陸ミス その1

2014年07月15日 05時53分29秒 | インポート

   4月下旬の話であるが、沖縄空港に着陸しようとしたLCCのジェット機が滑走路のずいぶん手前で高度を落としたため、慌てて機首を急上昇させた事件があった。この会社は、その時パイロットの多くが病欠しており運航スケジュールの割り振りに支障をきたしていたらしい。また大手航空会社でリストラされたパイロットを再雇用したり、海外のパイロットも雇い入れたりしてlow costを維持していたようである。自前で一からパイロットを育成するにはものすごく経済的な投資が必要となる。航空運賃が格安になるのは良い。いろいろな部署の経費を削減しコストを減らすのはよいが、安全性が落ちるような経済的削減は困るのである。今回運転のパイロットの技量は我々の知るところではない。しかし過密な勤務スケジュールでのシフトであったなら、これは問題なのである。<o:p></o:p> 


ASKA氏保釈 その4

2014年07月14日 05時52分08秒 | インポート

   警察署の前で出待ちしていたファンがTVカメラに映った。彼女たちの態度はどうも奇妙である。彼が警察署の玄関に出てくると、思わず泣きながらデジカメで彼の姿を撮影しているのである。まず、その泣くという感情の起伏の理由がわからない。彼に対する感動なのか、同感なのか、怒りなのか、あるいは哀憐の情なのか、はたまた侮蔑なのか一向に理解しがたい。何が理由で彼の姿を見て泣くのか? もしかしたら彼女たちは意味もなく、ただ涙を流せる技を身につけているのであろうか? しかも一方では手にはデジカメを携えており、感情の高ぶりとは対側に位置する行為である「写真撮影」を同時に行うという、その行動パターンが自分には一向に理解できないのだ。どうかんがえても奇妙である。写真を撮るという行為は感情の起伏がない冷静沈着な精神状態で撮るものであるとばかり思っていた。しかし彼女たちにはそうではなさそうである。昔、「新人類」などという言葉もあったが、彼女たちはそのような生命体なのであろうか? あるいは女性の涙というものがもともと不可思議なものなのであろうか? なんだかな~?<o:p></o:p>