早いもので10月もそろそろ終わりです。長寿健診は今月一杯が期限ですので受けられる方はお早めに・・・って今日で終わりなんですけども・・・(笑)。インフルエンザもまだ爆発的発生はみておりませんが早めの接種がよいでしょう。ここ数日の気温の変化は体調管理が難しく風邪をひいたり、あるいは気管支炎で激しい咳の見られる方も多いです。咳のひどい方はマスクを忘れないようにしましょう。昨日、混んだ電車の中で激しい咳をしている高齢男性がいました。マスクをしないで咳を立て続けにしているため、周囲の乗客は一歩引いており、その人の周囲だけ円形に人がいない状態でした。あの咳と密閉された空間は危ない・・・。マスクはそろそろ外出時に必要でしょう。
8月から地元のA小学校の校医を拝命した。自分もこの小学校に通っていたので愛着がある。しかし最近は学区というものがなくなったらしく、区域をこえて好きな学校を選択できるようである。この小学校も近隣の人気校に随分と生徒が流れているようだ。したがって1学年1クラスしかなく、自分が通学していたころと比べ隔世の感がある。もっとも今では子供の数も少なくなり小学校もあまりたくさんは必要なくなってきたのかもしれない。自分は区立中学、都立高校であったが、すでにこれらは統廃合の憂き目にあい今ではどちらも存在しない。
ようやく寺に着いたがご夫婦からは特に何の言葉もない。別に自分は感謝の言葉を期待して案内したわけではないのでそれでもかまわない。普通いわゆる「いいこと」をした後は気分がいいものである。あまり基本的生活態度がよろしくない自分でも善行のあとは清々しい気持ちになる・・・・はずである。 しかし、今日だけは胸の辺りに何かがつかえているような気がするのである。先ほどから何回もいろんな言葉を飲み込んでいるので、きっとこれが消化不良をおこしているのだろう。あとで喉に指を入れて全部はきだすことにしよう。路上で吐いても今回は許してくれますよね?(笑) それにしても達人の高齢ご夫婦だった。でももう二度と行き逢わないほうが健康にはよさそうだ(爆)。
そのお寺への道すがら、私とご夫婦とは特に会話らしい会話はなかった。「ほぉ~この辺は立派なお屋敷もあるなぁ~」「そうですねぇ~駅から少し遠いですけど、いい所ですねぇ~」などと夫婦のむつまじい会話が続くので自分は介入するつもりはなかった。というか、傍らでの私の存在は最初から眼中にないようである。さながら自家用車に乗った社長夫妻とお抱え運転手のような光景である。さていよいよ着いた。「・・・あ どうもあそこのお寺のようですよ」と私が指を指した。すると「うむ、おぉ、そうじゃ、そうじゃの、ほれ見てごらん」「まぁ、立派なお寺ですこと」と相変わらず案内人の存在には無頓着なのである。
このまま、この高齢夫婦をここに置き去りにしても罰は当たらないと思う。 でもここで置き去りにすると、このような上から目線の高齢の方はもしかしたら新聞の読者欄にでも投書するかもしれない。いかにも一般大衆や弱者の味方の振りをする新聞であれば、これこそ「待ってました」の読者投稿と大歓迎である。「路頭に迷う高齢者を置き去り。暴走ジョガーのマナーの悪さ」などという題名は容易に想像がつく。しかし自分ひとりのせいで全国の多くのジョガーを十把一からげに論調されてはたまらない。しょうがないここまできたら、お寺まで同行することにした。はぁ~・・・なんでこうなるの? ・・・ところであなた方、ご夫婦は何者?(本当は「あなた達はいったい何様?」と聞きたかったがその言葉もゴックンと美味しく飲み干した)(笑)
2回目の説明である。「・・・T字路を左折し・・・」 2回目はかなり丁寧にゆっくり説明した。私は「それでは、失礼します」と走り始めようとしたが、なんとそこでまた制止された。その高齢男性は「あんたの説明はよいが、正しく理解したかどうか自分が復唱するので確認してくれ」と・・・。(あーー、もういい加減してくれないかなぁ)という言葉も出かかったが私はそれも美味しく飲み込んだ。普通ならここで横から奥様なりが「あなた、もうご迷惑だからそのぐらいにしては?」とかツッコミを入れるはずである。しかし彼女は横でニコニコと佇んでいるだけであった。夫婦そろって達人である。私は観念した。「はぁ~、あ じゃあいいですよ、では復唱してください」 わざとぶっきらぼうに返事をしたのだが、そんなこちらの態度など意に介さず、その男性は復唱しはじめた。「え~っと、さて・・・T字路を右折し・・」 ・・・あぁ もう最初からダメだ・・
なんとか、右だの左だの複雑な道順を説明した。自分も馬鹿である。「・・・という道順になります。どうですか?分かりましたか?」と、分かったかどうかを確認してしまった。案の定「そんな複雑なもの1回じゃ覚えきらん。もう1度ゆっくり教えてくれ」と・・・。私は(だから最初から複雑だといったじゃないですか、それを「分かる」とも言ったじゃないですか)という言葉を吐きそうになったが、でも嘔気を感じながら美味しくそれを飲み込んだ。今日はたくさん言葉を飲み込む日だ。「では、よろしいでしょうか、この交差点を行くとT字路がありそこを左に・・・」 今度はかなり丁寧にゆっくり話し始めた。メモでも取ってくれれば確実なのに、何となく手ぶらで「ウムウム」と高飛車に聞いている。しばらくして「あっ、そうかこちらがこの男性にメモを書いてさし上げなければいけないのかな」とまで思うようになった(笑)。私をそうまで思わせたのは、きっとこの男性が人生の達人(?)だったからなのだろう。
「戻りましょう」と言ったところ、その高齢男性は「何をおっしゃるか! 私は足こそ不自由だが頭はしっかりしている。戻るのは自分の気持ちが許さない。複雑といってもきちんと説明してくれれば分かるのでここからの最短距離を教えてくれ」という。(えっ?・・・だって私は一応ジョギングの最中なんですけど・・しかも「自分の気持ちが許さない」といいますが、それよりも私を許して開放してくださいよ)という言葉を私はゴックンと飲み込んだ。だめだ、怒らせたらとても怖そうだ(というか面倒くさそうだ)。私は諦めた。「では、いいですか? この交差点をまっすぐに行くとT字路に当たりますから、そこを左に・・・」 私はその高齢男性に最短距離の説明を始めた。
さてその高齢男性、自分の荷物の底から目的地であるお寺のへの地図を探し出した。見てみると最近のパソコンソフトで書いたようなデザイン性の高い地図である。最近このような地図が増えてきて困る。見てくれはハイカラでいいが、道路の太さや地図の縮尺率がまったくデタラメである。このような地図をたよりにすると曲がり角を間違える。案の定、このご夫婦は随分手前で道を間違えている。ここの現在地からは比較的最短距離でお寺までいけるが、ここから行くとなるとかなり道順が複雑になる。そのため分かりやすいのは一旦間違った交差点まで戻って行き直した方が時間的にも早い。「ここからは近いのですが道が複雑なので、一旦間違えた交差点まで戻りましょう」と言ったところ・・・。
自分はジョギングしているとよくティッシュやビラ配り、また居酒屋の客引きに声をかけられる。(見りゃぁ~分かるだろが、俺は走ってるんだっつーの)と思いつつ、その呼びかけを無視して横を走り去る。ところで自分の知り合いに赤羽で開業しているM原先生という人がいる。その人に言われた。「声かけられる?そりゃしょーがないでしょ、あんたは走るのが遅いんだから」と。昔、彼は山岳部で鍛え最近キリマンジャロも踏破し、現在では東京マラソンを着ぐるみで3時間台で走るというツワモノである。M原先生、あなたにだけは言われたくないです。あなたのレベルで私の豚足、いやっ鈍足をコメントしないでください。・・・で、今度は何を着て走るつもりですか?(笑)
走り出した自分を突然呼び止めたのは高齢のご夫婦であった。走り出した時の急ブレーキは精神的、肉体的に気持ちの良いものではない。「うむ、ちょっと道を尋ねたいのじゃが」(といったような上から目線の口調である) 「え~と、何だ、お寺に行きたいのだが何と言ったかな・・・はて今まで覚えていたのじゃ、う~ん、ほれこの辺りにお寺があるじゃろが?」 お寺など、この辺りにはたくさんある。寺だけでは分からない。「おーそうじゃ、地図があった」といって自分の手提げカバンの中を探し始めたが、それも一向に見つかる気配はない。私の足は走り出そうとして小刻みに足踏みしている状態である。ここまで呼び止められてから1分以上は本題に入っていないのである。
3年前、自分が開業したころの話である。あまりにも運動不足だったのであっという間に10kg太った。これではいかんと思いジョギングを始めた。始めてみて分かったのであるが、途中信号などで止められるとリズムが狂い結構辛いのである。皇居周囲は信号がなく、走行を遮られるものがないので皇居周辺は人気が高い。まあ自分はジョギングというよりもウォーキングといった程度のスピードである。それでも自分だって走行を妨げられるとどっと疲れるのである。あるとき自分は家の周りで走っていた。信号が赤なので足踏みをしながら待っていた。さて青に変わり走り出したその瞬間、ふいに呼び止められた・・・。
最近またマンション購入の勧誘電話がよくかかってくる。先日の電話は奇妙だった。「私、〇〇ですが、大阪の一等地に分譲マンションを・・・」と最初から畳み掛けるように話を続ける手法は以前どおりである。こちらから口を挟む暇も与えぬほどのタイミングでしゃべり続けるのである。しかし途中で「あの、ちょっと・・」とこちらから話を挟んだ瞬間、急に「ガチャ」と音がして急に声色が変わった。「ハイッ! このようなマンションいかがでしょう?」と口調が変わったのである。実は最初の声はすべて「録音音声による商品説明」だった。最初から購入の意思はないが、録音の声を聞かされているのかと思うとますます購入意欲はなくなるのである。
まあ人間、社会に出れば人との対応や自分の表現の仕方など、自分の「出し方」を覚えるはずである。社会人としてのマナーやルールを覚え、その結果自分が変わっていくのである。ところがどっこい驚いたのは皆、寸分の変化もないのである。もちろん患者さんとの対応ではたぶん「営業顔」になるのであろうが、このようなOFFの時にでも少しは大人の対応になろうかと思っていた。ところがまさに「部室の続き」なのである。些細なことで口論になり、「馬鹿ヤロー」呼ばわりなのである。「お前なんか、次から会には呼ばないからな」といえば、「それはこっちのセリフだ。呼ばないのはお前だ」といった調子である。はたで見ていてハラハラしたが、あっと言う間に収束して、何事もなかったようにまたコップのビールを飲み談笑している。まさにこんな様は学生時代の部室のままなのである。もちろん自分もこの連中とは「昨日部室で会った」つもりになっていた。「同じ釜の飯」とはかくも恐ろしいものである。
つまり四半世紀のブランクはなかったのである。25年前、部室で最後にあって以来、それから今日が「その翌日」であり、時間は続いているのである。これには驚いた。身構えた自分を完全に無視するかのように果てしなくどうでもいい会話が続いている。まさに部室の続きなのである。時折、「お前はよくそんなくだらない学生時代のことを覚えているなぁ~」とツッコミは入るが、概ね昨日、部室で別れて、また今日、集まって飲んでいる・・といった感じなのである。たぶん当時の我々の密着度の濃さに起因するのであろう。練習が辛い合宿では、夜逃げすらも企んだこともある。まさに皆、同じ釜の飯を喰らったのである。