吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

コッツン頭部外傷 その7

2013年01月31日 06時44分31秒 | インポート

 それにしても救命センター時代に頭部外傷は嫌というほど診療した。急性期にCTを撮ったほうがよいであろうcriteriaは①脳震盪があった ②高齢者である ③普段大酒を飲む ④抗凝固薬、抗血小板薬服用中である ⑤肝疾患がある などである。 とりあえず今回の患者さんは①はあったかどうか本人はっきりしない。まあそりゃそうである。意識を自分が失ったかどうかは横で見ていた第三者でないとわからない。一瞬のめまい発作でも数分の脳震盪でも1時間の意識障害でも、その間の時間経過は本人はわからないのである。さてそしてこの患者さんは④を内服していた。やはりこの薬の内服は些細なことで出血性合併症を起すようである。紹介先の病院から紹介状の返事が来た。経過観察入院し問題なければ1~2日で退院とのことであった。よかった。でも受傷時の様子がわからないとこちらも困るのである。


コッツン頭部外傷 その6

2013年01月30日 06時48分05秒 | インポート

 3枚の写真のうち1枚にだけどうもあやしい線がわずかにみえる。いや見えるような気がする。これが2枚以上の写真に映っていれば再現性ありということで「頭蓋骨骨折」ということになる。しかしどうにも血管溝にもみえるのである。まあ神経症状もなにもないので「このまま様子見ましょう」でも問題はないようである。しかしやはり何か引っかかるところがあったので「CT撮りましょうか」とCTスキャンの予約をした。翌日検査を依頼したセンターより連絡があった。なんと頭蓋内出血が軽度見られるとのこと。すぐにクリニックに来院させ、大きな病院に紹介状を書いた。まあこのぐらいのものであれば受傷後2日以上経過しているので万が一見落としても重症化することはないだろう。1~3ヵ月後における慢性硬膜下血腫の可能性をのぞけば、今後何かが起こる可能性はほとんど急性期にはない。まー、しかしとりあえず見落とさなくてよかった。これは前述の子供の頭部打撲の場合とは訳が違う。


コッツン頭部外傷 その5

2013年01月29日 06時54分42秒 | インポート

 ついこの間、雪のときである。初老の男性が来院した。「昨日雪の上で転倒して頭を打った。周りの人が『すごい音がしましたよ』と教えてくれたんです」と。 「教えてくれた」というのは自分では覚えていないのだろうか? もしかして脳震盪(一過性意識障害)もあったかもしれない。しかし「意識は失いましたか?」の質問には「あ すぐわかりましたよ」としか答えず意識障害の有無は本人はっきり「yes」とは言ってくれない。頭皮をみても打撲痕やコブはない。現在は軽い頭痛のみで神経学的異常所見は全くないのである。いつもならこれ以上の検査はせず「家で様子見てください」で終わりなのである。しかし既往症で心臓の冠動脈にステントが入っており抗血小板薬を服用していた。つまり血が固まらないようにする薬である。なぜか嫌な予感がした。そこで頭部のレントゲンを撮影してみた。すると・・・


コッツン頭部外傷 その4

2013年01月28日 06時34分41秒 | インポート

 これがもしやたら正義感ぶった医療ドラマの主人公なら、きっとこんな時に「院長、なんてこというのですか! 子供にいらぬ被爆をさせてそれでいいというのですか」といって院長と揉めて、そして病院をやめてしまうか、クビされるかのシナリオ展開になる。そしてラストシーンは颯爽と病院を出て行く主人公が映り、最後のナレーションで「不器用かもしれないがひたすら前向きに患者のための医療を・・・」なんて出てくるのであろう。うーん、当時たしかに院長も、患者の家族も、全員が自分をよく思っていないし感謝もしていないのですよね。「患者のために」が自己満足で終わっちゃっている。ドラマなら、それでも主人公を正しいかのようにカッコよくみせる脚本にしてくれるが現実の医療は流れに逆らわなよう協調しあっていくことが大事なのである。・・・ということを自分は今までの経験で学んだ。とにかく正しい医療哲学とかは、本来は答えがないのである。


コッツン頭部外傷 その3

2013年01月26日 06時53分05秒 | インポート

 しばらくして、その病院の院長から呼び出された。このような患者が何件か続いた後のことであった。患者家族から院長へクレームがいったのであろう。事情を院長に説明した。それを聞いた院長は言った。「はぁー、吉田君ね、確かに君のほうが正しいよ。間違っていない。でもね患者家族は不満に思っているだろ。そしてそれが積もりに積もれば医療不信に陥る。どちらが正しいということではなくて患者が不信感をいだけば、どんなにこちらが正しくてもだめなんですよ。しかもね夜中でもCT検査は可能な体制ですよ。検査すればそれなりに病院収益になる。技師の当直代くらいは出るよね。しかも夜中に君が30分以上もの労力をかけて説得し不満に思われるのと、『はい検査しましょう』といって結果をみせて5分で満足させて帰宅させるのではどちらが君の睡眠時間が長く取れるのかよく考えてごらん。君も翌日だって朝から通常の診療勤務なんだからね」といわれた。ショックだった。でもこれが正しい「裏の医療哲学」なんだと勉強になった。


コッツン頭部外傷 その2

2013年01月25日 06時57分30秒 | インポート

 夜中である。当直の技師さんを起してまでレントゲンやCTをとる必要はまったくないのである。診断的価値と放射線被爆の罪悪を天秤にかければ後者が重い。臨床的には放射線検査は不必要と判断するが、親御さんに「いいですよこのままお帰りください」と診察だけで終了すると、一応に不機嫌な顔をされた。そうである。医師の診断よりも検査を希望しているのである。つまり彼らの頭の中には医師の存在は介在せず検査の結果のみが優先されているのである。当時、自分が若かりし頃はなぜかしら正しい医療哲学に燃えていた。このような医師の判断を無視し、「夜中に来たのは検査をしてほしいからだ」という態度を示されると自分もムキになった。十分に説明し夜中に30分以上掛けて説得した。でも彼らは帰るときはあからさまに不満そうな顔をしていた。「ああ子供に無駄な放射線被爆をさせなくてよかった」と自己満足しても、患者家族は満足していなかったのである。


コッツン頭部外傷 その1

2013年01月24日 07時07分38秒 | インポート

 近年の状況は知らないが、昔、地方都市に派遣され救急医療をやっていた頃のことである。昼夜なく小児の「頭部外傷もどき」が親御さんによって連れてこられた。「もどき」というのは「ただ頭をぶつけただけ」というものである。受傷時に脳震盪もなく、そして頭にコブもなく、打撲の強さも不明のまま、本当に頭をちょっとぶつけたらしい?(見ていないがどうもぶつけたようだ)というものまで病院に、ひどい場合は夜中に親御さんが連れてくることがよくあった。夜中にくる理由は一応に「今は何ともないが後で大変なことになるといけないので」というのがほとんどであった。受傷時に意識障害(脳震盪)がなく、受傷後からの時間が経過しており現在も特に親御さんが気がつくような症状がなければ、眠いお子さんを起こしてまで夜中につれてくる必要はない。昔、CTのない時代に頭にコブを作って泣いていた子供もほとんど現在元気に働いているのである。コブや打撲痕すらないのなら、何もないのである。


医療ドラマの功罪 その4

2013年01月23日 06時43分09秒 | インポート

まあ自分は、医療ドラマなど見る気はしないのでほとんど見ることはない。でも好きで見ている人は、現実の医療経済基盤を無視し精神論や道徳論のみに立脚した「かくあるべき正しい医師像」のドラマ作りを見せられると誤解するのではないかと危惧している。医師のモラルやら何やらも含めてこのようなTVドラマの脚本家の「誘導」を許してしまうのは医療人としての自立性の問題もあるのかもしれない。まあ現実的には多くの医師は、こんなあざといTVドラマに左右されることなく、自分のスタンスで毎日診療している。医師によって興味の対象は各人様々である。多忙で毎日の診療に埋もれている医師ほど、このような「外野が確立した理想の医師像」は気にならないはずである。ということはこんなことが気になっている自分は確かに忙しくないのかもしれない。あまり「外野の評価」や「思想誘導」にとらわれることなく毎日の診療に集中したいものである。「吉田、お前は毎日の勉強が足りないのだ、心乱すことなく診療に集中しろ」とお叱りを受ける前に居住まいを正そう。


医療ドラマの功罪 その3

2013年01月22日 07時02分34秒 | インポート

自分がいざ開業するときにある開業セミナーに参加した。経営コンサルタントの講演を聴いた。「現在、医療において医師も経営に参加して経営努力をしないと潰れる時代です。医療だけやって生活できる時代ではありません」と釘を刺された。そうである。時代はかわったのである。医療とはタダで無尽蔵なのではない。その経済的および人的リソースには限界がある。医療の内容も30年前とは格段に変化している。確かに医療哲学は真理としては正しいのかもしれないが、現実にそれを100%実践してそのまま潰れずに、そして人との摩擦なく続けられるかは疑わしいのである。そこにきて最近の医療系ドラマのシナリオである。最終的には、正しい?医療哲学を押し通す主人公が何となく正しいのであるというように「勘違い」させるシナリオ作りには、どうも自分には胡散臭い道徳的思想誘導を感じてしまうのである。


医療ドラマの功罪 その2

2013年01月21日 06時51分40秒 | インポート

シナリオには話を面白くするようなキャラクターを振り分けた書き方がある。分かりやすい方法は「水戸黄門方式」である。最初から善人と悪人をきちんとわけて、最後には善人が悪人を懲らしめ予定調和で終わるものである。TVの医療系ドラマも多かれ少なかれ同様である。最後は主人公がなんとなく正しくて格好よく終わらせたいのである。そして主人公に正しい医療哲学(まあ正しい医療哲学なんてものも疑わしいのであるが)を実践する医師像を設定し、結局最後にそれが正しいのであるという印象を残すような台本作りになっている。どっこい現実は、そのような正しい医療人として哲学を実践していたらとても成り立たないような医療状況かつ医療経済なのである。自分の父親の時代は、当時の医師会長の力なのであろうが「医者は経営や自分の生活を考えなくともよい。そのかわりにその時間を自己研鑽にあてよ。その時間に患者を診ろ」といわれていたらしい。


医療ドラマの功罪 その1

2013年01月19日 06時47分17秒 | インポート

 最近TVにて医療系のドラマが数多く放映されている。ある程度視聴率でもとれるのであろうか? 大昔は「あ~こんなこと現場ではやらないよなー」という実際とはかけ離れた、つまり医療監修がなされていないシーンが随所に見られた。その時から自分は「まあこれはドラマであり虚構の世界の話であるから、これはこれでいいのだ」と納得していた。ところが最近の医療ドラマはたぶん関係者に医師を絡めているのだろう、結構医療監修がなされている。まあより現実に近くなるからそれもまた否定するものではない。しかしより現実に近くなると各々のシーンを信用する傾向となり、勢いシナリオ内容までも信用してしまう弊害に気がついた。現場シーンが事実と相違なくとも、あくまでシナリオはシナリオであり物語は虚構の世界、つまり「嘘」なのである。どうもこれがゴッチャになって信用してしまう弊害に気がついた。


入管での一コマ その3

2013年01月18日 06時54分04秒 | インポート

それにつけても、あの英会話学校のCMはありえない光景である。まあドラマであるのだから虚構の世界と解釈すればいいのであろう。しかしながらおそらくあれを見て真似する奴も絶対にいるはずである。だとしたらあのCMは罪作りであり人騒がせなシナリオである。いい迷惑である。あの911テロ以来、世界中の空港での入国管理は厳しくなってきた。自分が捕まった時は911事件の前ではあったが、それでも答え方一つで捕まったのである。なおさら現在の状況を鑑みると入管で「俺は新しいことやりにきたんだ」なんて胡散臭いこといえばすぐ捕まるのは目に見えている。CMというのは怖いもので、このように虚構の世界と割り切れればよいが、割り切れないとなるとこの宣伝商品の信頼性も疑ってしまうことになる。自分が広告依頼主であったら、このCM内容のチェック時に絶対NGをだすと思うのだが、この会社の人たちは看過してしまったのであろうか? 何回か外国に行ったことのある人ならば入管でのNGワードくらい知っているはずであるのだが。


入管での一コマ その2

2013年01月17日 06時57分16秒 | インポート

 あきらかにその太った白人係官は「おお、なんてこった、お前、なんてこと言うんだ」という素振りだった。わざとらしいため息をつきながらその係官は「トランク、手荷物すべて開けなさい」といって自分の荷物の中身を全部広げ始めたのである。明らかに自分はとんでもないことを言ったのだと後悔した。そして一応全部調べて危険物がないと判断したのか「この荷物はあそこのコーナーにもっていって荷造りしなさい。この場所は次の入国者が待っているから」と。 といわれても目の前に散逸した荷物を集めてあわただしくその荷造り用コーナーに持っていくには何往復かしなければならなかった。散々な目にあった。どうやら係官には内規でもあったのかもしれない。「観光」といわれたら素通りさせ、それ以外の返事では「荷物を調べよ」とでも通達を受けていたのだろう。しかしながらそのあまり隠し立てされていない「裏技」さえ知ってしまえば、テロリストやら麻薬密輸人も簡単に「観光」といえば素通りできることになる。あまり実効性のある内規とは思えないのであるが・・・。


入管での一コマ その1

2013年01月16日 06時37分45秒 | インポート

 最近テレビのCMで気になったことがある。CC○塾という英会話学校のCMであるが、若手俳優が外国の入管で係官から「滞在の目的は?」と聞かれ「新しいことをしにきた」と答えているシーンである。そこで係官はニコッと笑いながら彼を通すというものである。たぶん今の世の中、というかこれは大昔からそうであろうが、そんな返事をしたら別室に連れて行かれ上から下からすべてを調べられてしまうだろう。自分が昔、厚生省の調査研究事業で米国各都市における病院前救護の調査に派遣された時のことであった。まあ1ヶ月程度の各都市における調査であったので入国目的は「観光」といえばよかったのである。実際、搭乗していた数百人もの入国者はみんな「観光」といってそのまま素通りしていった。しかし自分は馬鹿正直にも「調査研究事業での派遣」といったら、急に係官は両方の手のひらを上に向け天を仰ぎながら頭を左右に振る仕草をはじめたのだった。


常磐線 その4

2013年01月15日 06時23分35秒 | インポート

 そうこうするうちに柏についたので自分はおりたが、あのおっちゃんはまだ乗っていた。どこまでいくのだろうか? バカバカしいヒューマンウォッチングかもしれないが、このおっちゃんはきっと小さい頃からこの常磐線に乗って「正しい大人乗り」を覚えてきたのだろう。ローカル線にはそれぞれの特徴があってしかるべきである。まあ今ではマナーが悪いといわれればそれまでであるが、こんなおっちゃんが残っているのも悪くはない。そういえばかろうじて自分が小学生の頃くらいまでは東海道線にも「大人乗り」する人がたくさんいたと記憶している。昔から東京駅ではお酒や弁当やら冷凍みかんなどを売っていた。陶製の入れ物のお茶もかろうじて覚えている。ビールはリングプル缶ではなかった。列車のボックスシート横の窓の下には小さな作り付けのテーブルがありそのテーブルの縁の下には金属の「コ」の字型の金具がつけられており、これが栓抜きであった。旅行時にはよくジュース瓶の栓を抜いた。これは東海道線の思い出であるが、ローカル線にはそれぞれの特徴があった。ところが今までは画一化して寂しい限りである。