吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

12月29日 今年最終診療日

2017年12月29日 06時30分50秒 | 日記
 本日で今年の診療は終了です。
 来年、平成30年(2018年)は1月4日(木)より9:00より通常診療を開始いたします。ブログ更新も1月4日までお休みします。

 この時期は、インフルエンザや感染性胃腸炎などが流行しております。くれぐれも嗽、手洗いを励行し、また小さなお子さんの吐物や下痢時のトイレ掃除ではディスポ手袋のマスクをするなどして万全を期するようお願いいたします。
 来年も皆さまが健康でありますよう。

今年の出来事

2017年12月28日 06時13分09秒 | 日記
 今年は、父の診療所を引き継ぎ開院10年になりました。10年前に導入した電子カルテ会社が「10年経過したらその後サポートしない」と通知してきましたので、すべて入れ換えることにしました。会社は「更新」と言ってますが、じつは更新ではなくすべて新規からの入れ替えになります。なのでほぼ10年前の費用と同じ額(ウン百万円)。

 でも以前、使えた機能や使い勝手がいくつか悪くなったのでこれには困りました。前より悪くなったら、これは「更新」の意味がないのでそれには「かなり」抵抗しました。
 時にはパワハラ(と言うのか?)に近いくらい、かなりのクレームをつけて「以前より機能が悪化したら更新ではないだろう。更新の意味がない。何とかしてくれ」と譲りませんでした。
 向こうのお決まりのセリフは「セキュリティの関係で」とか「開発部に伝えておきます」とか、一向に自分たちの都合を顧客に押し付ける様な物言いだったので、こっちも本当に怒りました。
 なんとか結局は前の電子カルテとほぼ同じだけの機能にすることができました。粘り勝ちだったですが、こちらもかなり後味が悪い感じでしたね。
 まあ向こうにしてみれば「吉田は、クレーマーだから気を付けろ」と社内で絶対言っているだろうと思います。
 でも前より劣るスペックで新品を売っといて平気な顔しているのは勘違いである・・・と担当者を説教しました。
 
 ああ・・もうこっちだって気持ちよく取引したいよぉ~と思うのですが。
 来年こそ面倒くさいことがありませんように。

日馬富士暴行事件 その後 その4

2017年12月27日 06時32分05秒 | 日記
 この横綱審議委員会のあり方をみていると疑問が多い。まず委員は有識者らしいが相撲について詳しいのか? これついてはやくみつる、デーモン閣下くらいの知識がないと国民は納得しない。横審の委員になるためには協会お手盛りの推薦ではなく筆記試験でもやったらいい。
 いわゆる単なる有識者というものが神事に関連する横綱を審議する能力があるのかは疑わしい。相撲道筆記試験なるものがあって、それに合格したという実力があればこそ納得もする。
 たぶんこの審議委員の選定は相撲協会がいかにも「箔付け」のために各界の実力者?を参入させている感がある。「ああ あの人が委員なら、今回の横審の裁定もしょうがないな」と、その人と利害関係のある組織は納得「せざるを得ない」のである。でもそんな利害関係のない者(自分も含めて)は「俺だって横審できる」と思っているのである。
 また横審の進言には相撲協会に対して強制権、決定権はないとされている。表向きには「横審には決定権はありませんよ(だから任命責任はありませんよ)」という北村委員長の発言であるが、実際は横審が首を縦に振らないと横綱誕生はありえないのだから、事実上、横審には権限があるのである。
 この建前と本音を使い分けにはガッカリした。北村某も「自分の在任中に推挙した横綱ではありませんが、この権威ある横綱審議委員会が推挙したのですからその責任をとって自分は退任いたします」と言えばカッコよかった。そしてそうすることによって横綱の品格が保たれたはずである。
 この横綱の品位を貶めているのはこの委員長の言動である。


日馬富士暴行事件 その後 その3

2017年12月26日 05時57分40秒 | 日記
 もし北村某氏がいう「横綱審議委員会は土俵の上だけの強さしか判断材料がなく、普段の品格や生活態度は見ていない、それを調査する権限もない」というなら横審に横綱の品格や態度だのをコメントする資格は一切ない。
 本来横綱は「別格」であった。それは土俵上の品格だけでなく、普段の生活面における品格や態度も含まれるのである。まさか横綱は土俵上だけ品格があれば私生活はどうでもいいということもなかろう。

 以前も述べたが「責任を取らなくてもいい」という組織などは世の中にはない。横綱審議委員会は、相撲協会は一般社会における「組織」のあり方とは違う・・などとよくまあ自分のことを棚に上げて言えたものだと思う。横綱を審議する権限を持ちながら苦言や好きなことを言うだけ言って「我々には任命責任ありません」と責任のがれする横審委員長の北村某氏には落胆した。
 横審は横丁の小言好きの御隠居が集まったただの親睦組織が、単に相撲協会にくっついているだけだというなら理解できる。それなら好きな事いってください。
 横綱任命の権限を持ちながら、自分の立場を「安全な所」に置いておいて好き勝手な小言だけを言うのはいただけない。

日馬富士暴行事件 その後 その2

2017年12月25日 06時14分52秒 | 日記
 大昔、貴乃花が横綱になることを提案されたとき横綱審議委員会は「盤石な取り組みになるまでもう一場所様子を見たい」と拒否しているのである。そこで貴乃花は大関据え置きのまま、次の場所も優勝して横綱になった経緯がある。それくらい横綱審議委員会の言は重い。

 それなのに今回、この北村某委員長は、報道陣から「日馬富士の任命責任は?」の問いに対して、「我々(横審)は、土俵の上はみているが、私生活まではわからない。品格云々までを調べる手立てもないし調査する権限もない。(なので我々に任命責任などない)」と言い放った。完全に勘違いである。

 今まで、横綱審議委員会というのは、力士を土俵上の強さだけではなく生活の態度や品格もあわせて横綱昇格を判断していたのではないのか?
 こんな発言するということは「横綱になるかどうかの判断はただ土俵の上の強さだけでしているんですよ」ということを自ら公言してしまったことになる。暴言である。もしこれが暴言ではないとするなら明らかな責任逃れか認識不足である。

日馬富士暴行事件 その後 その1

2017年12月22日 06時23分49秒 | 日記
 今回の暴行事件での相撲協会からの処分が決定した。日馬富士は引退したが、暴行を仲裁しなかったその他の横綱達は減給処分であると。
本来は出場停止が妥当と思うのだが、横綱が3人もいなくなくなっては初場所の「入り」も悪くなることは明白。
相撲協会は収入が減ることを回避するため、横綱を減給にして初場所には出場させて入場者を維持したほうが収入の面でよいと判断したのだろう。でも公益法人なので利潤追求は如何なものか?

 さて横綱審議委員会からも、今回の騒動について相撲協会は危機管理の対応が不十分であり、一般社会の組織のありかたとは異なると苦言を呈している。
でもそんなこと審議委員会が言える資格があるのかと感じた。審議委員が何者かは知らない。少なくとも相撲協会から提案された横綱人事を吟味し、昇進を推挙する権限をもっている。「推挙」なので「承認」ではないのであるが、協会はこの推挙がないと横綱になることはないのでほぼ「承認」と思ってよいだろう。
 つまり責任ある立場なのである。しかし・・・。

役者

2017年12月21日 06時18分33秒 | 日記
 最近、TVの情報バラエティ番組では「役者」をよく見る。
 熊本県議会の女性議員のパワハラ問題(自分が提案した政策事業で自分の企業に請け負わせた)について、議会で追及されると普段は県職員を恫喝する姿と打って変わって、ほとんどしゃべらず下を向きほとんど答弁にならない。そして退室するときは急に嗚咽ししゃがみこんで体調不良を装う姿はとてもわざとらしかった。周囲からは「役者やのお~」と声がかかった。

 また松居一代の離婚報告記者会見には100人もの報道陣が参集したが、内容は「自分は勝ちました、やりました、嬉しいです、これから人生の扉が開きました」という今の心境のコメントを芝居がかった身振り手振りで聴かされただけ。「何がどうなってどういう経過で結論は何?」ということは分からずじまい。臭い一人芝居だった。

 そして最後は藤吉久美子の不倫疑惑会見。もう号泣して話にならない。シロだったらなんであんなに泣くのか? あんなに泣いたら疑われるのに。もうあれでクロだと皆思うが、でも夫 太川陽介の記者会見では彼は男をあげた。彼の会見で報道陣もシロクロのそれ以上の追及ができなくなったようである。彼はすごい。
 でも美人が号泣するとなんだか許されてしまうような雰囲気になってしまうのだとか・・・。

 いやはや皆、役者ばかりだ。


野村沙知代さんの死因 その4

2017年12月20日 05時59分02秒 | 日記
 今回、野村さんの死因などきっと分からなかったものと推測される。大体心肺停止で搬入された患者さんの多くはほとんど死因を確定する手立てはない。昔はよくわからないものはすべて「心不全」という死因にしていた。昔の死亡診断書は手続き的に簡単であった。
 しかし最近では「心不全」という死因が認められていないので、病名をつけなければならないのであるが、それが分からないことも多い。たぶん、これも推測であるが「虚血性心不全」という病名は、苦肉の策でつけたのだろうと思われる。虚血性心不全というのは例えば心筋梗塞などのように心筋に血液供給が低下した場合に起こりうる心機能低下である。それが原因での心停止である。
 しかし心停止後から「遡って」この原因が「虚血性」だったのかどうかを判断するのはたぶん不可能である。自分は過去このような場合に散々面倒な思いをした。今回も担当医の苦渋の選択がこの「虚血性心不全」と言う病名にあらわれている。ご苦労様とこの担当医に言いたい。
 そして一つ勉強になった。このような場合は、昔、よく使われていてその後、禁止された「心不全」というオールマイティ病名を、最近ではこの「虚血性心不全」と名前に入れ換えて使ってもいいんだろうなと企んでいるのである。

野村沙知代さんの死因 その3

2017年12月19日 06時01分42秒 | 日記
 それにもかかわらず医師が死亡診断書を書かなければならないことは多い。通常、このような場合はまず警察に連絡する。警察では事件性がなければ「先生、特に事件性がないのでそっち(病院)で診断書かいてくれませんか?」と言われることもある(特に監察医制度のない他県では)。
 東京では、警察が「明日監察医の先生に検死してもらって診断書は観察で書きますので」と言われることも多い。

 今回は、どうやら病院で書かれた様子?だが、死因は「虚血性心不全」と発表された。この診断名をみてピンと来た。現場の先生はたぶんかなり困ったろうなと推察できる。
 大昔、死亡診断書の死因は「心不全」と書かれることが多かった。これはがんの末期でも、心臓病でも、外傷死でも「死ぬときはみんな心不全(心臓が動かなくなる)」なのだからこの病名はオールマイティで使用できた(昔は)。

 ところが、死因統計では心不全と付けた病名はすべて心疾患に分類されるので、この病名にすると日本人の死因統計が不正確になる。そのため厚労省は死因をICD-10という国際分類に準じてこれ以外の病名はつけないようにと言うことにしたのである。


野村沙知代さんの死因 その2

2017年12月18日 06時22分35秒 | 日記
 しかもこの社会的判断というのがしばしばやっかいである。たとえば「息子が到着するまで宣告は待ってください」などと家人にしがみつかれたら、息子さんが到着するまで延々と医学的にすでに効果のない心臓マッサージを続けることになる。
 野村さんは有名人なのできっとこの社会的判断のところでいろいろな「忖度」があったろう。そして診断と言うか死亡原因の判断もきっと大変であったものと思われる。
 死亡宣告後は種々の検査は一切できない。あくまで医療や医療保険は生きている人に対してであり亡くなった方には適用されない。となると亡くなっていないものとして検査をするのであるが、形の上だけでも心マッサージしながらCTなどの検査をしなくてはならないことになる(心マッサージをやめた時点で蘇生終了=死亡になるから)。
 したがってこのように自宅で心停止などと言う場合は、病院搬送されても死因が不明であることがかなり多く、あまり言ってはいけないのかもしれないのが、とにかく面倒なのである。

野村沙知代さんの死因 その1

2017年12月16日 06時35分28秒 | 日記
 元プロ野球監督 野村氏の妻であるタレント沙知代さんが自宅で亡くなった。朝は元気で普通であったのに、急に喋らなくなって運動量が低下し反応がなくなったとのこと。いわゆる突然死に該当するのであろうが高齢でもあり「寿命」的な印象もある。大往生と言えないこともないだろう。

しかしこのような場合困るのは診察(検死)した医師である。既往歴、現病歴でも分かっていればある程度推測もできるが、突然救急車で運び込まれた病院であれば情報が何もないことになる。もし心肺停止であれば心肺蘇生が継続してなされているが、この蘇生を終了する(つまり「御臨終です」と告げることになる)場面をいつにするかの医学的判断が難しいのである。
まあ「死の徴候」が出現していれば蘇生中断の根拠にはなるが、しかし有名人である。医学的判断だけでは動けないであろうことが想像される。

富岡八幡殺人事件

2017年12月15日 05時44分20秒 | 日記
なんともまあ宮司が元宮司である弟に切り殺されるという凄惨な事件が起こった。容疑者である弟は自殺したが、なにやら怪文書か遺書かわからぬものを残している。それには自分の息子を宮司にしなければ「自分は怨霊としてこの世に留まり、阻止した者、およびその者の孫子末代まで祟ってやる」と記しているのである。

 富岡八幡は有名な神社である。そこの宮司、つまり祭司にそう言われれば、通常の一般人に言われるよりもずっと恐ろしいのである。お祓いをしてくれるのが祭祀者であろうが、その者が怨霊になってやるって・・・これはかなり恐怖の脅迫である。しかも自分は自殺しているのだから、計画的であり、しかもこの文面をより一層おどろおどろしくさせているのである。
 この容疑者は、かなり金遣いが荒く、父親から勘当された身である。神職につく者の私生活があれていては問題があろう。
 それが原因で勘当されたことを棚上げにしてなお、関係者を恨むというのは訳が分からない。それにしてもものすごい、おそらく史上最強、空前絶後の脅迫文である。
 こんな話はドラマの世界だけじゃなかったんだ。とにかく気味が悪い。

横綱粗製乱造? その3

2017年12月14日 06時34分01秒 | 日記
 横綱審議委員会なるものがある。このメンバーを見てみると、いわゆる各界の「著名人」「重鎮」と呼ばれるような人達が選出されているようである。どんな基準で選出されるのか知らない。
 でも「えっ、この人が審議委員?」と首をかしげてしまうような人もいる。本当に相撲のこと分かっているの?と疑ってしまう。
 やくみつるやデーモン閣下ぐらい博学でなければ本来、審議委員にはなってはいけない。あの神に近い存在と言われる横綱の資格要件を審議するのだから、審議する人の資格要件もかなり厳しくしなければいけない。
 しかし審議委員の人選も何やら相撲協会の「お手盛り」である感もぬぐえない。

 さてこの委員会での決定には強制権はないが、横綱の推挙や指導などに強い影響力を持つとのこと。横綱って神に近い存在なのに、この委員会で選んでいる(実際は協会が候補をあげ委員会で審議・推挙される形ではある)のであるが、この選出に加担した人達はタダの普通の人でもいいのかと感じてしまう。 
 選ばれている横綱が不祥事起こしたなら、当然審議委員は軒並み引責辞任なりの任命責任をとるべきであろう。責任を取らなくていい役職なんて楽でいい。
 だから横綱審議委員会は相撲協会が「箔」をつけるための傀儡組織だと思う。まったく信用できないのである。

横綱粗製乱造? その2

2017年12月13日 06時29分28秒 | 日記
 今は知らないが、昔は連続優勝か「それに準ずる成績」をおさめたものは横綱になれる・・・という内規があった。それであの北尾は連続準優勝して、横綱 双羽黒になったのである。そしてその後イザコザで廃業したのだが、結局1度も優勝することはなかった。これもかなり甘い横綱昇進内規である。近年の大相撲はあまりにも横綱昇進内規が緩いのかもしれない。

 神事であり、神格化された地位であり、また神であるとまで言われる横綱である。それが協会の収益狙いなのか、次から次へと途切れることなく出現するのは奇妙である。
 ファンも「相撲に横綱がいないとつまらない」などと言うだろうが、それはダメである。神事なのだから面白いとか面白くない・・ではない。横綱はもともと「別格」「抜群」なのである。大相撲協会の客寄せパンダではない。
 横綱の存在を「相撲の神様」などというのであれば、資格要件はもっともっと厳格にすべきである。
 なんだか片方では神事だの神様などと言って持ち上げ、片方では結局集客のパンダにしているようでは相撲協会もダメなのである。

横綱粗製乱造? その1

2017年12月12日 06時07分17秒 | 日記
 本来、相撲の最高位は大関。つまり大関がチャンピオンである。横綱と言うのは、「大関の上にある位(くらい)」と言われるが、上でもなく下でもない「別格」であったはず。なので本来は無理に人を置かなくてもいいポジションである。
 しかし横綱がいないとどうも興業上、収益が上がらないとか、相撲人気が落ちるとかで横綱を置いておきたい協会の思惑も分かる。まずは一般人が「横綱なんてそうそう出現するわけはない。自分が生きているうちに一人でも観られればいいほうだ」・・・くらいの感覚に戻すべく、横綱の資格要件をもっともっと厳しくすべきである。
 相撲協会も相撲を「神事」として捉えるなら資格要件、作法、流儀を重んじて横綱の粗製乱造は慎むべきである。国技として認められているならなおさら、収入よりも神事としての約束事を重要視すべき。
 公益財団法人なんだから横綱を収益源とするのは疑問である。