吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

浅田真央 引退 その2

2017年04月28日 05時41分26秒 | 日記
 彼女はすでに国民的アイドル(という表現がよいかどうかは疑問であるが)になっているので、少しでも批判することが憚られているのであろう。
 なんだか批判といわず批評しただけで周囲から叩かれそうな、そんな周りからの持ち上げられ方をしているようである。
 本人はそのつもりはないであろうが、大げさに言えば周囲から祀り上げられているのかもしれない。

 似たような捉えられ方は長嶋茂雄氏である。国民のヒーローである。みんな好きである、悪く言う人はいない。もし一言でもかれの言動に異を唱えれば周囲から白い目で見られるのである。
 現役時代に球場に見に来た息子を置き忘れて帰ってしまったなどというエピソードは通常の人なら大変なコメントを受けるのであるが、彼ならファンが許してしまうどころか温かい目で見てしまうのである。
 またバッティングを指導する時の表現は「スイングはガーッと、バーっと・・・ガツーンとこう気持ちで叩いて・・」と感覚的な表現であり常人には伝わらない。しかしこの彼の指導に異を唱える人はいない。なんでも許されてしまうのである。

 なんだか今後、浅田真央氏は長嶋さんのような「国民的評価」を受けるようになるかもしれない。でもこれは本人にとってはいいことなのか迷惑なのか不明である。どちらも社会通念から予想されるような等身大の評価を受けていないような気がする。
 ま 有名人は別に等身大の評価を受ける必要もないのだろうけど・・・。

浅田真央 引退 その1

2017年04月27日 06時14分05秒 | 日記
 スケートの浅田真央さんが引退した。しかし自分が26歳の時に人前であんな立派なスピーチなどできたとは思わない。やはり場慣れした有名人なんだろう。
 おそらく大多数の人が「今までよく頑張った。ご苦労さん」と好意的にねぎらいの感情を持っているだろう。自分もファンであり「ご苦労さん、もうゆっくり休んでください」と思う。

 しかしネットで某芸人が、「結局、最後はグダグダで辞めていった」「最後の五輪で潔く引退すればよかった」「一度休養してまた五輪が狙えるほど甘くない」と、辛口のコメントをしたら、あっという間に炎上したとのこと。
 でも確かにアスリートの世界で一度1年休養したらまたトップまで戻れるかどうかは難しい。そこはあの浅田さんならやれると期待値をこめていたが、あそこまでが限界だったであろうと、実はある意味多くの人が思っていたはずである。
 でも「だから、言ったじゃない、あそこで引退していればよかったのに・・・」とは誰も言い出せないような「国民的雰囲気」にもなっているのだ。それくらい温かく彼女が大多数に評価されているのは事実である。
 また自分もそう評価しているが、彼女に対して異を唱える意見は言ってはならないような雰囲気もするようだ。

情報操作? その3

2017年04月26日 06時17分01秒 | 日記
 自分は個人的な心情として、「テニスはしばらく我慢してください。少し待てば改修工事も終了するでしょ?でも切られた桜は翌年からみられなくなりますよね?」と考える。
 でもこれは個人的な意見であり、無作為抽出された市民の大多数の意見がどうなのか知りたいところである。桜よりテニスコート確保が最優先の市民も少なくないであろう。

 だから意向を調べるのにバイアスがかかった母集団でアンケートとれば信用できない結果がおのずから見えてくるのである。
 ということは番組作成者がまず「桜の木をきる、けしからん、やめさせよう」という感覚があって、それで情報の操作、思想誘導を行なったとしか思えないのである。

 このような意見を聞くのにインタビューをするが、インタビューする場所と対象を限定すればいくらでも誘導したい方向へ番組作りができてしまうのが怖いところだと思うのである。

 簡単な理屈である。東京ドームの1塁側スタンドでどの野球チームのファンが何人いるかのアンケートをとってみて、はいジャイアンツファンが圧倒的でした、結論、やはり野球ファンの大多数は巨人が大好きなんですね~・・・ってそんな結果が出るのはあたりまえでしょ? まさに情報操作。

情報操作? その2

2017年04月25日 06時12分07秒 | 日記
 テニスコートでの市民インタビューもとったが、「テニスコート確保はありがたいが伐採するなら考えないといけないですよね」という意見を取り上げていた。テニスする人の全体の意見は不明であった。

 そして画面はまた公園に移り、反対派の市民が公園にいる人にアンケートを取っていた。
 その結果、伐採に反対する人は105人、賛成する人は1人という結果が得られたと報告した。

 アンケートというものは、最初から結果を誘導することができる最も信頼できない情報解釈技法なのである。まずアンケートをとる対象(母集団)に「かたよりがない」ようにしなければならない。
 つまり無作為に抽出された人達にしなくてはならない。この時期、公園にいる人達は桜を見に来ている人がほとんどである。そこでアンケートをとったら「伐採? 反対です」に当然帰結するのである。
 一方テニスコート確保にやっきになっている人たちが沢山いる今後閉鎖予定のテニスコート横でこのアンケートをとったらどうなるであろうか? こちらも結果は見えている。結果の行方は恣意的に誘導できるのである。

情報操作? その1

2017年04月24日 05時46分47秒 | 日記
 この間、TVのニュースでみた。千葉県市川市では市営のテニスコートの改築を行なうためしばらくテニスコートを閉鎖するとのこと。
それで市の公園のほうに一時的にテニスコートを増設するとのことであった。それに伴い公園の30本ある桜の木の10本を伐採するとのことで、市の住民から反対運動がおこっていると。

確かに画面で綺麗な桜の木を映し出され、これが来年から見られなくなりますと言われれば誰しも「伐採? ちょっと待ってよー」ということになる。
桜の木には地域住民から「この木は伐採しないでください」とプラカードがつられている。一時的なコート移転で立派に来年も咲いてくれるであろう桜の木をterminateさせてしまうのは誰しもがもったいないと思うだろう。自分もテニスをしないのでそう思う。

ではテニスをしている人はどうなのであろうか? 桜10本切ってもあと20本残っているからいいだろう、テニスやるほうが大事と思う人もいるであろう。

愚痴

2017年04月22日 05時47分40秒 | 日記
 開業して10年になります。この医療不況の時代になんとかここまでやってこられました。
 父の診療所を継いだときにすべてのシステムを交換して紙カルテから電子カルテを導入しました。もちろん数百万かかりました。
 で、それから10年。ま、細かいところでいろいろ電子カルテには不満、不都合もありますがこのままで行こうと思っていた矢先の話。
 電子カルテの会社が10年以降は「サポートしません」と言ってきたのである。すでにOSはウインドウズXPがサポートされていないことで電子カルテの業務自体もサポートしませんと言っているのである。
 つまり今後は不都合が起こったり、うまく作動しなければ自分で何とかやりなさいということになる。何だか冷たく突き放された感じである。
 でもこんな複雑な電子カルテシステムなど自分で管理できるわけない。結局は向こうの提案する新バージョンに替えるしか手はないのである。
 驚いたのはバージョンアップのつもりでいたらそうではない。システムすべての交換になり、したがって交換費用は初期導入費用と変わりがないのである。

 医療費は削減されて苦しい経済状態の中であっても、医療を取り巻く周辺業界は、容赦ない価格で購入させる状況を作っているようである。辛い・・・。
 電子カルテ導入してもその費用を保険点数で算定できるわけではない。紙カルテの方がまったくコストはかからない。
 でももともと国が医療の電子化を推し進めているのだからなんとか保険点数で電子カルテの加算を大幅に面倒見てくれないかと思う今日この頃である。
 現状を言ってしまえば、「どんどん電子化にしなさいねー、しないと今後紙カルテだと点数請求ができなくなりますよ(収入が入らなくなる)。でも電子カルテにしてもそれにかかる費用は自分たちで全部払ってねー」ということである。

 江戸時代の話を思い出した。幕府の直轄地においておこなわれる治水工事を大名に申し付け、それにかかる費用は幕府からではなく申し付けられた藩がすべてをもつというシステムに似ている。これで請け負わされた藩の経済状況は悪くなり幕府に反逆する蓄えを減らせるという魂胆。

信じませんよ その2

2017年04月21日 06時04分23秒 | 日記
 認知症ではないと診断したが、実は認知症であったため交通事故を起こした時の医師の責任については刑事責任が問われることはないとしている。
 しかし本当かな?と感じる。責任が問われないとのことを行政である「警察庁に確認」したというが、いわゆる被害者が不服を述べる場所は行政ではなく、それは「司法」の場なのである。
 被害者が診断書を書いた医師を被告にしようとすればいくらでもできるのである。いくら警察庁が「医師の責任はない」といっても行政と司法は別のものである。
 いざ司法の裁判になればこの医師の専門性や能力や、診断にいたった診療経過などが根掘り葉掘り、(実績をあげようとする弁護士によって)「アラさがし」されるのである。
 少しでも診断根拠に「曇り」でもあれば、その分について医師の責任が追及される可能性もあるのだ。ここのところは落とし穴である。
 また「刑事責任はない」といっているが「民事責任」については言及されていない。なんのかんのといっても損害を被った者が誰をターゲット(被告)にするかは制限されていない。
 医師というものは許認可権を保有している関係上、免責などというものはありえないと考えていたほうがよい。
 ふぅ、あぶない、あぶない、このニュースにだまされるところだった。

信じませんよ その1

2017年04月20日 06時41分50秒 | 日記
認知症の人の事故「診断の責任は問われず」
------------------------------
〔CBnews〕日医・鈴木常任理事、「警察庁に確認」
CBnews | 2017.03.09 13:10
 日本医師会(日医)の鈴木邦彦常任理事は3月8日の記者会見で、認知症でないと診断された75歳以上の運転者が、事故を起こした後に実際は認知症を患っていたことが判明した場合の診断した医師の責任について言及した。鈴木氏は、医師が良心と医学的な見識に基づいて診断したのであれば、「刑事責任は問われない」との認識を示した。
 12日に施行される改正道路交通法では、認知症対策が強化される。改正前は、75歳以上の運転者は免許証の更新の時だけに、認知機能検査を受けることになっているが、改正後には信号無視などの一定の違反行為をすれば、更新時以外でも臨時認知機能検査を受けなくてはならなくなる。
 また、この臨時の検査によって、「認知症のおそれがある」と判定された人は、臨時適性検査(医師の診断)を受けるか、主治医らによる診断書を提出する必要があり、医師の診断で認知症と判断された場合は免許取り消しなどの対象となる。こうした法改正について医療現場からは、事故を起こした人が認知症を患っていた場合、その人を診断した医師が事故の責任を負わされるのではないかといった懸念の声が上がっている。
 8日の会見で鈴木氏は、認知症でないと診断された運転者が、事故を起こした後に認知症を患っていたことが分かった場合について、「良心と見識に基づき、医学的見地から行った診断によって作成した診断書について、それとは異なる結果が生じたからといって、(診断した医師の)刑事責任が問われることはないことを警察庁に確認している」と述べた。
--------------------------------

えっ? 実話? ほんと? その5

2017年04月19日 05時39分23秒 | 日記
 こんな嘘を平気で書くという目的がわからない。まあ、いい話なので小説や架空の世界としてなら許せるものだとは思うのであるが・・。
 それにしてもつくづくネット情報というものは真偽のほどが明らかではないものだと痛感した。まあ勿論、新聞やTVマスメディアであってもねつ造報道はあるのだし、過去の某新聞の架空報道を根拠に一国の首相が他国に謝罪をしてしまったこともある。
 だからたかがネット情報の真偽云々を言ってもしょうがないだろうとは思うのである。

 昔自分の経験でも小学校の時の道徳の教科書にはたくさんの深イイ話が乗っていた。それで自分の道徳観が植え付けられたと思っているが、あれも実話ではなく創作の世界であったろう。でも悪い話ではない。嘘であっても徳育であれば実話でなくとも許されてもいいのだと思う。

 しかし今回の話であるが、もう少し筆者は文章力を高め、そして現場取材を加えて、「見てきたような嘘」を書いてほしいと思うのである。このようなわざとらしい文脈と貧弱な文章表現であると、気色悪い鳥肌が立つだけで感動などしないのである。残念である。
 中島みゆきの歌ではないが「永遠の嘘をついてくれ」とお願いをしたい。

えっ? 実話? ほんと? その4

2017年04月18日 06時03分37秒 | 日記
 それにもかかわらずその拍手の輪が車内に広がり、ついに全員が拍手した・・なんてことは東京人としてあるのかな?と・・・。
 また車内はぎゅうぎゅう詰めの満員であり手の置きどころも憚られるスペースで全員が拍手と言う状況もありえない。
 状況設定の一つ一つが東京での満員バスの中では起こりえないようなエピソードばかりなのである。

 どだい東京都民はこれほど車内の他の見ず知らずの人達と同調するほど気さくでお節介ではない。運転手の車内アナウンスに、もし乗客が気持ち的に賛同したとしても、東京人の反応はただ黙って聞いているだけで大袈裟なわざとらしい拍手はしない。しかも全員が拍手したなんて・・・まずはありえないのである。

 しかも決定的な「嘘」は16年前とは言え都区内のバス路線は「前乗り(料金先払い) → 後ろ降り」なのである。降りる時に前の乗車口で運転手に料金を払いながら運転手と会話するという状況は絶対ありえないのである。
 これだけの証拠があるので、残念ながらこの話は都区外に住む人の虚構話であるとすぐにわかった。

えっ? 実話? ほんと? その3

2017年04月17日 06時00分09秒 | 日記
 この実話というニュースである。何とも心温まる話でいいなと思いつつも、読み進むにつれて途中から変な違和感を覚え始めた。

 まず16年前の話とは言え、のんびりとした田舎ならまだしも、運転手の「皆さん、この若いお母さんは・・・」というアナウンスを都内のバスの運転手がするかどうかは疑問。
 なぜならあれだけの満員バスならおそらくは運行状況も少し遅延しているかもしれない。最優先は乗客の安全を確保した走行とダイヤ通りの時間管理なのである。
 都内の公共交通機関である。泣いている乳児を連れた母親が降車するというのに、わざわざそれを留めおいてまで一個人の利便性を優先させるとは残念ながら思えないのである。

 もし万が一車内に運転手のアナウンスがあったとしても、都内の乗客ならばまあ無言で聞き流しその流れを黙って享受するのが通常の反応。

 また万が一、いや億が一乗客の一人がそのアナウンスに感動して拍手したとしたらどうであろうか。おそらく他の乗客は「ン? どうしたの、何、拍手なんかしたりして?」とその行動に対して驚きながら冷ややかな視線を送るであろう。

えっ? 実話? ほんと? その2

2017年04月15日 06時24分24秒 | 日記
-----------------------------
 その人は、立っている人の間をかきわけるように前の方に進んできます。その時、私は、子どもの泣き声がだんだん近づいて来ることで泣いた赤ちゃんを抱いているお母さんだなとわかりました。
 そのお母さんが運転手さんの横まで行きお金を払おうとしますと運転手さんは「目的地はどこまでですか?」と聞いています。その女性は気の毒そうに小さな声で「新宿駅まで行きたいのですが子どもが泣くので、ここで降ります」と答えました。すると運転手さんは「ここから新宿駅まで歩いてゆくのは大変です。目的地まで乗っていってください」と、その女性に話しました。
 そして急にマイクのスイッチを入れたかと思うと「皆さん!この若いお母さんは新宿まで行くのですが赤ちゃん泣いて皆さんにご迷惑がかかるのでここで降りるといっています。子どもは小さい時は泣きます。赤ちゃんは泣くのが仕事です。どうぞ皆さん、少しの時間赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて行って下さい」と、言いました。
 私はどうしていいかわからず多分皆もそうだったと思います。ほんの数秒が過ぎた時一人の拍手につられてバスの乗客全員の拍手が返事となったのです。若いお母さんは何度も何度も頭を下げていました。今でもこの光景を思い出しますと目頭が熱くなり、ジーンときます。私のとても大切な心にしみる思い出です。
-------------------------------
(ネットの書き込み文は以上)

えっ? 実話? ほんと? その1

2017年04月14日 06時09分13秒 | 日記
 最近、シェアニュースジャパンというサイトで見つけた【実話】という文章・・。
 以下引用する。
 
------------------------------------ 
 東京にいた、今から16年程前の12月も半ば過ぎたころの話です。私は体調を壊し、週二回中野坂上の病院に通院していました。
 その日は、今にも雪が降り出しそうな空でとても寒い日でした。昼近くになって、病院の診察を終えバス停からいつものようにバスに乗りました。バスは座る席はなく、私は前方の乗降口の反対側に立っていました。車内は暖房が効いていて外の寒さを忘れるほどでした。
 まもなくバスは東京医科大学前に着きそこでは多分病院からの帰りでしょうどっと多くの人が乗あっという間に満員になってしまいました。立ち並ぶ人の熱気と暖房とで先ほどの心地よさは一度になくなってしまいました。
 バスが静かに走り出したとき後方から赤ちゃんの火のついたような泣き声が聞こえました。私には見えませんでしたがギュウギュウ詰めのバスと人の熱気と暖房とで小さな赤ちゃんにとっては苦しく泣く以外方法がなかったのだと思えました。泣き叫ぶ赤ちゃんを乗せてバスは新宿に向い走っていました。バスがバス停に着いた時何人かが降り始めました。最後の人が降りる時、後方から「待ってください 降ります」と若い女の人の声が聞こえました。
--------------------------------------
(明日のその2に続く)

悪魔の証明 その4

2017年04月13日 06時04分26秒 | 日記
 もし「有意差がない」(降圧薬を飲んだA群と、飲まなかったB群の降圧効果に差がない)と出たなら、「この薬は効かない」と考えがちであるが、でもそれは誤りである。医学論文の結論としては「効果があるのかないのかどちらともいえない」という解釈が正しい。逆は真にはならない。効果があることを証明するための統計学的手法を用い、もし有意差が出れば、「薬は効く」と解釈してよい。しかし有意差が出ない場合であるが「薬の効果がない」という仮説の証明をしていないので「効かない」という保証をしてはならないのである。それでは薬が効かないという陰性証明は可能かというと、そのような統計学的手法は存在しないため結局、「ないことの証明」とは不可能であるわけである。
 今回政治の世界の問答で安倍首相が用いた「悪魔の証明」という言葉は、まさに医学論文で有意差が出ない時のおかしやすい思考過程に似ていると感じたのである。でもまあ、「病気がないことを証明」してくれという患者は過去2名のみなのでなんとか切り抜けたが、今後増えたらどうしようか? 陰性証明はとにかく困る。まさに「悪魔の証明」なのである。

悪魔の証明 その3

2017年04月12日 05時43分30秒 | 日記
 まあ「今日中」という言葉さえ除けば、これは悪魔の証明の中では比較的良心的?である。それは銀行側の言う「認知症がない」のだけを確認すればよいのである。
 つまり、この患者さんに、例えば診断のかなり難しい微小早期がんがあろうが、100万人に一人の診断の難しい稀な難病をもっていようがそんなものはすべて無視して、とにかく認知症だけがないことを確認すればよいのである。時間さえあれば頭部MRI検査をして海馬の委縮がなければ「認知症はないでしょうね(他の疾病の有無はわかりませんが)」と言えるのである。
 でもまあ「ちょっと今日中に診ろ」というのは無理難題なのであるが・・・。

 悪魔の証明に近いものとして、医学論文での統計有意差の判断がある。例えばある降圧薬が効くか効かないかの検定である。
 あるA集団に降圧薬を投与し、またB集団には偽薬(どちらの集団にも「降圧薬である」と告げておく)を投与したとする。これでこの2集団における個人個人の血圧変動の平均値をとってその差を統計学的に検定する。もしA(降圧薬の群)の血圧平均値がB(偽薬の群)の平均値より低くて、有意差があれば「この薬は血圧を下げる効果がある」ということになる。しかし・・・。