吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

談志師匠のこと 番外編 その4

2011年12月29日 07時03分31秒 | インポート

 「弟子への理不尽な振る舞いが事実である」ということは本当であろうか? 噺家の世界ではどこまでが洒落でどこからが実話なのか我々のような非業界人には計り知れぬところである。お弟子さんが師匠の理不尽を事実だといっても、これは「師匠ネタ」として洒落で言った可能性もある。一方、あるいは本当は理不尽などという事実はないが、師匠を腐したほうが笑いがとれるということで師匠を理不尽大王に仕立て上げたのかもしれぬ。いずれにせよ同道したこの鞄持ちのお弟子さんは表情を変えずに淡々と師匠の弟子に対する理不尽な行為を延々と話し出した。黙って聞いていると確かに「いじめ」みたいな行為もありそうな内容であるが不思議と陰湿な印象は受けなかった。やはり噺家の世界における洒落話のような感じである。談志師匠もお弟子さんも、ここのところは阿吽の呼吸でつながっているのかもしれない。師匠はやはり落語の世界を地でいった人である。今年の診療も本日までです。師匠の話もこれで終わりにしましょう。(合掌)

 新年は1月4日より診療開始いたします。


談志師匠のこと 番外編 その3

2011年12月28日 06時51分58秒 | インポート

 談志師匠には漫画家のお弟子さんもいる。当時、週刊誌に師匠ネタで漫画が連載されていた。ストーリーとしては毎週、談志師匠の弟子への理不尽ネタが満載であった。私は「あの漫画のネタ話は本当なんですか?」と同道したお弟子さんに聞いた。 また馬鹿な質問をしてしまった。お付の人は口がかたくしっかりしているからこそ鞄持ちに選ばれるのであろう。そんな人が、師匠が弟子に対して理不尽な振る舞いをして半ば楽しんでいるなどという漫画ネタを「あれは実話です」などと言うわけがない。慌てて自分は付け加えた。「すみません失礼な質問して。師匠は2人きりになれば気配りのきく優しい人だと聞いています。あれは漫画ネタで誇張ですよね」 ところがこの言葉が終わりきらないうちにお弟子さんが答えた。「あ~、いやっ、ぜんぶ事実です」 ・・・私は拍子抜けした。


談志師匠のこと 番外編 その2

2011年12月27日 06時38分40秒 | インポート

 「理不尽? はいその通りです」 顔の表情をかえずややうつむき加減で彼ははっきりそう答えた。そのしぐさと応答のタイミングが妙にアンバランスだったので、その間(ま)がおかしかった。(さすがは落語家、微妙な間(ま)で笑わすとはお主できるな)・・・とは言えなかったが、これが彼の芸風なのかもしれないと思った。彼からいろいろ聞いたが、彼は弟子であっても授業料を談志師匠に毎月払っているそうである。たしかにここは「立川流家元」である。立川流は落語協会に属していないので常打ちの寄席や演芸場には入れないそうである。となると自分達で噺の仕事を見つけてこなくてはならない。お茶やお華の免許家元制度のようなシステムなのであろう。このお弟子さんも普段はアルバイトをしているそうである。というかまだまだ落語が本職ではなさそうである。しかも彼は「授業料払っていないと『立川○○』という名前が名乗れないんですよ」と苦笑いした。寡黙な彼だとおもったが、聞けばいろいろと答えてくれた。


談志師匠のこと 番外編 その1

2011年12月26日 06時37分23秒 | インポート

 指導医セミナーの講演に師匠を頼んだ際、カバン持ちで若いお弟子さんが会場に同道した。別室で師匠が自分の教授と談笑している間、控え室でそのお弟子さんと自分は2人になる機会があった。黙ってイスに腰掛けて静かにうつむいている。自分から喋りだすような人ではなさそうだ。若手落語家が寡黙じゃ洒落にならないが、師匠と同道しているので分をわきまえているのだろう。こちらから切り出した。「師匠はいつもあんな調子で人と接するのですか?」 するとお弟子さんは鳩が豆鉄砲食らったような顔で「は? あんな? どんなでしょう?」と答えた。やはり同道させるお弟子さんだけあって口がかたそうだ。「いやぁ、お弟子さんにいろいろ理不尽なことを申し付けたりしますか?」と私は続けた。しかし質問した後で自分はしまったと思った。随分失礼な質問だった。尊敬する師匠に「理不尽」も何もない。ところがお弟子さんはこう答えた・・・。


談志師匠のこと その8

2011年12月24日 06時55分58秒 | インポート

 これだけ師匠のコメントをしておきながら自分は師匠の小噺こそ聴いたことはあるが古典を聴いたことがなかった。亡くなられて数日後、NHKの追悼番組で初めて師匠の「芝浜」を聴いた。延々と古典落語のストーリーが展開されていく。ところが話の流れに抑揚がないため途中で笑ったり唸ったりすることがないのだ。つまり話の展開にメリハリが感じられないのだ。途中「え? これが天才落語家の談志の噺か?」と幾度も思った。ところが不思議だったのは噺の流れに抑揚がなくとも少しも退屈しないのだ。あからさまに惹き込まれていくような感触もなかったが、しかし目の前に夫婦の会話の情景がはっきり浮かんでみえるのだ。そのまま黙ってその映画のような情景をみていた。そして最後に「いや、よそう、また夢になるといけねぇ」という盃を置くくだりで我に帰った。総天然色の映画が終わったような感覚だった。愕然とした。他の噺家にはない、これこそ談志の噺だったのかとゾクゾクした。やはりすごい。天才というのは嘘ではなかろう。


談志師匠のこと その7

2011年12月22日 06時43分06秒 | インポート

 そんな付き合いから、師匠は当時の主任教授の外来にも時々受診するようになった。また医局に教授を訪ね「○○先生(教授のこと)いるぅ~?」と突然くることもあった。教授がいないと教授秘書のHさんに自分の症状と具合を打ち明け、医療スタッフではないがひとしきりHさんに話をきいてもらっては引き上げていった。その時の師匠の姿はとても「破天荒」や「破滅型芸人」というものではなく通常の常識的な患者さんの姿に映ったのである。以前の食道がんの時の記者会見で見せた喫煙パフォーマンスは破天荒さを装ったものであるとこの時初めて確信した。この現代の日常のすべてを落語の洒落で表現しても、実際は常識的な人であったのだろうと思われる。尤も彼にとって「本当は常識人であった」と評されるのは本人の意向に反するものであろう。最後まで洒落で生きていた男と言われたいのだと思う。まあまあとりあえず常識的とは言ってはみたものの、実際、常識的な患者さんなら好き勝手な時間に医局にはズカズカ入り込んで「談志だぁ~」はないだろうけど・・・。


談志師匠のこと その6

2011年12月21日 06時41分34秒 | インポート

 師匠の講演が終わって夜の懇親会までの待ち時間の間、控え室にて自分は昔、師匠の部屋の向かいに住んでいたことを師匠に話した。「おぅよ、何でえ、あん時の先生かい、今まで黙っててあんたも人が悪いな、おう、覚えているよぅ」と。 でも本当は覚えているわけがない。15年も前の話である。しかも自分と師匠は年に数回、顔を合わすかどうかの間柄である。また自分が引っ越したあとは別の人が入居して、やはり朝に時々師匠と顔を合わせているのである。師匠は誰からでも挨拶されるが、それがいつ頃の誰なのかは師匠だっていちいち覚えていられるわけがない。「おいおい、おいらは色んな人から挨拶されるんだ。昔のことまでいちいち覚えてらんないよー、悪いねー」という返事を自分は期待していた。ところが彼の「覚えているよ」という常識的なサービス精神に少々肩透かしを食らったような感じであったのだ。彼に破滅型で破天荒な日常を期待していたのはこちらの身勝手な幻想なのであろう。


談志師匠のこと その5

2011年12月20日 06時36分15秒 | インポート

 その後の話である。昔、自分が勤務していた時の大学病院の主任教授が日光で指導医セミナーを開催することになった。そしてその時、講師として談志師匠を招聘した。師匠のマンションは自分が勤務していた大学病院とは目と鼻の先で歩いて2分のところにある。普段から師匠はよくお見舞いや自分の受診などで院内に出入りしていた。そんな経緯もあってセミナーでの講演をお願いしたのだが、いざ開演してみると小噺の連続である。会場は唸ったり、笑いの渦が巻き起こったりでおおいに盛り上がった。そして夜の懇親会になった。もう「仕事」は終わりなのであるが、自ら買って出てマイクを持ち話術たくみに会場を楽しませてくれた。ところが自分がとても意外に思ったのは昔「俺がかって喋っているのを客が聞いてかってに喜んでいるだけ」と彼が言っていた突っ張ったスタンスではなく、まさに正反対のサービス精神旺盛な師匠がそこにいたことなのである。


談志師匠のこと その4

2011年12月19日 06時37分53秒 | インポート

 こちら側の勝手な妄想ではあるが、談志考において重要な要素は堅苦しい日常を彼が「洒落」という非日常に塗り替える時のその「本気度」なのである。前述のように洒落で政治家を棒に振ったのは「本気度100%」と評価できる。ところが客席で寝ている客に喧嘩を吹っかけたら洒落にならない。「なんだ、寝た子も唸らせる天才落語家じゃなかったのかい?」といわれてもしょうがない。この一件以来、この人の本気度はどこまでが「素」で、どこまでが「演技」なのかと疑いを持つようになってしまったのである。自伝には「俺らのような破天荒な人間は一般社会では生きていけない。落語の世界だからやって行けるんだ」と自らを語っていた。確かに天才漫才師である故横山ヤスシのような破滅型の芸人である。2ツ目の弟子と寿司屋に入ると「おぅい、板さん、今日はこいつに2人前握ってくんな。あ~ただし半人前だからネタはいらねー、シャリだけ握ってくんな」という洒落をかます(本当にシャリだけを食べさせるそうだが)。しかし2人きりになると実に気配りをする人であるという話を聞くと、どうもこの人は本当はすべてが「常識人」であり、世間に対するイメージとして破天荒振りを装っているのでは?と思ってしまうのだ。


談志師匠について その3

2011年12月17日 06時45分10秒 | インポート

 嘘という証拠は、その後に起こった事件である。ある寄席で師匠が高座中、客席で客が寝始めてしまい、それに腹を立てた師匠は寄席からその客を追い出したといった事件があった。訴訟沙汰にまで発展したようだが「自分が勝手に喋っている」というならば客が寝ていて聞いていなくとも腹は立たないはずである。実はこのうらはらの言動をみて、談志師匠の「日常における非日常化の度合」がどのくらいなのか分からなくなったのである。師匠は「俺は会議より酒のほうが大事だ」といって政治の肩書きを棒に振ったのである。これ以上の破滅型芸人はいない。洒落で大きな仕事を失ったのである。これで彼の日常生活のすべてが落語の世界なのであると思っていた。だから「俺ぁ~勝手に喋っているだけなんだ」という洒落で押し通せば納得できたのだ。しかし実は彼の本音は「俺の話を聴かんとはけしからん」という生臭い人間的なものであったと思うのだが、こちらとしては日常を非日常的に染め替えるというヒーロー像に翳りがみえてしまったのである。


談志師匠について その2

2011年12月16日 07時24分29秒 | インポート

 それから自分は転勤となり根津のマンションを引き払ったのでまったく談志師匠と顔をあわせることはなかった。それから10年くらいしただろうか、TVで食道がんの内視鏡手術をしたとの記者会見があった。しかしその場で喫煙するは酒はやめねーよとのコメントをするはで、まさに自分のスタンスを崩さない豪放磊落な態度であった。まあ昔、政治の世界でもその天衣無縫な言動で失脚したくらいである。日常を「隣の八つぁん、熊さん」の調子で貫いていたようなものなので、きっと本人は「失脚」とは思っていなかったろうに。徹子の部屋でのコメントであるが「俺ぁ~別に客を楽しませるために落語やってるんじゃないよ。俺が勝手気ままに喋っているのをたまたまそこにいる客が喜んでくれちゃってるだけなんだろう」といっていた。まあこれは嘘であろう。このコメントも照れ隠しか落語家一流の洒落であると考えられる。


談志師匠について その1

2011年12月15日 07時34分50秒 | インポート

 落語家の立川談志師匠が亡くなった。もちろん談志師匠は私のことなんぞは覚えていないだろうが、自分には少しばかりの接点があった。大学病院勤務時代、一時期、文京区根津のマンションに自分は住んでいた。そのマンションは廊下の両側に各部屋があるような造りであり、談志師匠の部屋は自分の部屋の廊下を挟んだ向かい側にあった。時々自分が外出するときに何回か顔を会わすことがあったが、何回目かに「おはようございます」と声をかけてみた。すると向こうも自分のことを覚えていたかどうかは定かではないが、まあ向かいの部屋のよしみということもあろう「おぅよ、あんたも早いねぇ」と応えてくれた。もちろん対応してくれた表情は笑顔ではない。近づきがたい人を寄せ付けない目線である。わけのわからぬ若造(当時)の自分にいきなり声をかけられれば、アイドル芸能人じゃあるまいし表情もかたくはなろう。そんな関係が2~3年続いた。もちろん2~3年といっても年に数回程度であるし、それ以外で顔を合わすことはなかった。


遠方より・・ その7

2011年12月14日 07時20分15秒 | インポート

 それにしても抗菌薬持続投与というアイデアはどこから出たのであろうか? 特に耳鼻科関係の慢性副鼻腔炎では2~3ヶ月はマクロライドが投与されていることを時々みる。不勉強ではあったが元感染制御医にすれば「目が点」になるような投与法である。確かに副鼻腔は血流が悪く、抗菌薬の濃度が上がりにくいところなので長期に投与したくなる気持ちは分からないでもない。でも全員に2~3ヶ月使用したらやはり耐性菌はでるだろう。このために現在マイコプラズマ肺炎に効く抗菌薬がないとしたら困りものである。あ そうだ医師会の小児医療講演会で話してくれた先生は、小児の咳と鼻汁には抗菌薬ではなく漢方薬をだしているそうである。これなら耐性菌はつくらないが、はたして効き目は? というか顆粒の苦い薬をどうやって飲ませるか? まあ錠剤もないことはないが個数が多くなるので・・・。


遠方より・・ その6

2011年12月13日 07時12分32秒 | インポート

 思い出したがそういえば自分は大学病院時代に「感染症制御医(ICD)」の専門資格をもっていた。救命センターは感染症の宝庫である。どんな感染症にであうかわからない。主に自分の業務はHIVや結核の職員スタッフへの感染対策であった。時々意識不明の患者さんが運び込まれ、実は結核だったとかAIDSだったとか後で判明し、後日職員への感染防御対策をおこなったことがよくあった。今は感染症制御医は資格更新していないのですでにexpireしてしまっているが、今考えたら資格更新のための講習を継続して受講していればよかった。開業したので今からの再取得は絶対に無理である。残念。


遠方より・・ その5

2011年12月12日 07時37分25秒 | インポート

 少し業界ネタで恐縮である。富山の小児科医とも話題になったが抗菌薬の使い方である。慢性副鼻腔炎で長期間、マクロライド系の抗菌薬が延々と処方されていることが最近よくある。これは絶対世の中に耐性菌を作っているだろうなと思っていたが、彼曰く「MICに満たない濃度であれば長期間投与しても耐性菌を作らない(と言った趣旨だったか?)」のだそうだ。半ば煙に巻かれたようであったが、翌々日の医師会の小児医療講演会では、これが原因で今ではクラリスロマイシンは肺炎球菌にほとんど感受性がないといっていた。やっぱり抗菌薬の長期連用は耐性菌をつくったり、菌交代現象を起こすというのは間違いなさそうである。現在マクロライドは百日咳とカンピロバクターの一部にしか効かないのだそうだ。あな恐ろしや。