吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

駐車監視員 その8

2015年06月30日 06時12分11秒 | 日記
 それからいろいろ考えた。間違いなく「違反は違反」なのである。自分が悪い。それがたとえウンコもらしそうなタクシー運転手さんの車であっても、足腰のわるいお爺ちゃんお婆ちゃんを家の玄関まで介助して送り届けるため、やむなく路駐した介護施設の送迎ワゴンであっても例外なく違反なのである。街のお巡りさんならそのあたりの事情は考慮してくれたかもしれない。一方、駐車監視員は血の通わない冷徹な「標章貼りマシン」であるならそれも否定しない。温情なく冷徹なまで法を施行するというのであればそれはそれでよい。しかしもしそうであるなら徹底してその冷徹さを貫いてくれないとこの監視員たちを尊敬することはできないのである。その後自分が確認したことである。明らかに数十分以上もの違法駐車している車の横を、「何事もない」かのごとく二人並んでその前を通り過ぎていく光景は極めて違和感を覚えるのである。また幹線道路に数台以上違法駐車している車の横を軽やかに、「その光景を見て見ぬふり」をしながら自転車で通り過ぎてしまう光景は、まるで大昔の映画「青い山脈」の銀輪部隊のような爽やかさを覚えるのである。

駐車監視員 その7

2015年06月29日 05時58分55秒 | 日記
 少々、ムッとしたので「駐車時間3分間で、諸手続きに必要なチェックを監視員はできるのか? これは隠れていて駐車した直後に現れ目星をつけていた車を狙い撃ちにするようなものではないか?」と聞いた。もちろんこんなのは理由にもならない。案の定、その中年女性警察官は言った。「さぁ~ね、我々のやっていることじゃないので知りませんよ。そんなこと」と吐き捨てるように言われた。この項のその2でも書いたが、この取り締まりの民間委託は、現場でのトラブルや疑問点について自分たちは責任回避ができるいいシステムである。でも業務委託すれば警察に全く責任はなくなるのかと問いたい。まあでも悪いのは自分である。「でもこんな摘発のやり方はまるで摘発件数のノルマでもあるんでしょうね?」と聞いたが、やはり同様の「さぁ~ね、我々とは関係ないので・・・」と言われた。そして最後にお待ちかねの言葉をいただいた。「でもね、違反は違反なんですよ。そこを十分考えてくださいね」と。しょうがない。

駐車監視員 その6

2015年06月27日 06時06分51秒 | 日記
 3階に上がると、中年の女性警察官が電話をしていた。こちらに目をやると目配せしながら「そこで待て」と促した。なにやら彼女は別件の対応をしていたようである。5分くらい待ったであろうか、彼女は電話を切って「で何、ご用件は?」と聞いた。自分が「出頭するように」と記載があるので来たと告げたら、「あ~はい、で、その車は貴方本人のもので、あなたが運転していたのですか?」と聞いてきた。何のことか分からなかったが「はい、そうです」といったが早いか「じゃあ、結構です。お帰り下さい」と・・・。すこしムッとした。何が何だかわからないので「なんでしょうか、この出頭の用件は?」と聞いたら「駐車違反しても自分は運転していない。自分の車じゃない、人に貸したので知らない」という人が多いので確認のために出頭させているとのこと。なんだか自首したら罪が軽くなるのではなく、自分の罪状を確定させるためのものなのかと思ったらなんと無駄な時間を使われたと力が抜けた。しかも口頭確認だけで調書も作っていない。これで警察業務の確認作業になるのか?

駐車監視員 その5

2015年06月26日 05時56分17秒 | 日記
 私も馬鹿である。「きっと3分という時間の短さは、この足ですぐ出頭すれば取り消してもらえるのかもしれない」という極めて浅はかで、さもしい考えが浮かんだのである。さて所轄署に行った。ここの警察は昔自分が少年柔道をやりにきた馴染みのある警察署である。もっとも何十年もたっているので往時を忍ぶ職員などいない。しかし当時受付で「おっ、柔道の稽古か」と笑顔で迎えてくれた警察官のイメージが今でも残っていたのであるが、それは無残にもその時崩れ去ったのである。「は? はぁ? 何ですか?! ご用件は?」 明らかに局外者の侵入に不快感を表したような警察官の対応であった。まあ自分は違反者なのでしょうがない。「あの~(標章をみせながら)、これにただちに出頭と書いてあったので・・・」 「あ~、それね、それは3階の交通担当がいるからそこで聞いて!」 確かにお客様ではないのは分かっているがぞんざいな対応であった。でもしょうがない。

駐車監視員 その4

2015年06月25日 05時42分49秒 | 日記
 そしてコンビニから出てきて驚いた。わずか数分間の早業で標章が自分の車に貼られていたのである。また別の話であるが以前、タクシーの運転手さんから聞いた話で、運転していたら急に腹痛になって公園のトイレに駆け込んだそうである。そして数分後でてきたらタクシーに駐車違反の標章が貼られていたそうである。また要介護者を送り迎えしている最中の通所施設のマイクロバスも標章が貼られたそうである。これらは全部「法規は法規。違反したあなた方が悪いのです」で片づけられるのであろうか? そんな話を聞いてから自分にもこの「天災」降りかかったのである(私は3分間というだけで酌量の余地はないが)。しかしどう考えても、たった2日の講習と筆記試験だけで、これらモラルを熟成させるだけの教育ができるのかどうか疑わしい。さて、自分の場合であるが標章をみたら「この運転者はただちに所轄警察に出頭のこと」と書いてあった。だからその足ですぐ出頭したところ・・・。

駐車監視員 その3

2015年06月24日 05時25分18秒 | 日記
 実は、数年前の話である。自分もこの標章を貼られたことがある。もちろん駐車違反をした自分が悪いのである。しかし愚痴を言わせてもらうが、片側3車線の幹線道路で自分の駐車が交通渋滞をおこすような原因とはなりえず(つまり自分の行為がたぶん交通に影響を及ぼさないということ)、しかもコンビニにお茶を買いに行ったわずか3分間のできごとであったのである。もちろん違反は違反であり「3分間」などというカップラーメンができる時間であったとしてもそれは情状酌量の言い訳にはならないことは分かっている。しかし標章を貼るまでには、車に運転手がいないこと、場所の記載、証拠写真の撮影、現状の調査などなどを行ったうえで標章を貼ることになる。はたしてその一連の行為が3分でできるのかと疑問に思ってしまう。もしかしたら物陰に潜んでいて、自分が車を駐車させ放置した直後からあらわれその業務に取り掛かればそれは可能であるかもしれない。でもだとしたらモラルを疑う卑劣な業務遂行である。もっともモラルに反するのは自分の駐車違反なので、あくまでこれは自分の愚痴なのである。

駐車監視員 その2

2015年06月23日 06時15分54秒 | 日記
 たしか10年くらい前だと思うが、警察業務から放置駐車の標章(違反ステッカー)貼りが、民間会社に業務委託になったのである。この時自分は思ったのであるが、警察は数ある多忙な業務を軽減することができ、そして標章を貼る際の運転手とのトラブルに関与しなくてもよくなり、そしてなにより、推測であるが天下り先の就職先を確保できたのである(職員で元警察官というものの割合はしらないが)。この監視員の資格をとるのは簡単である。2日間の講習後に試験を受けて合格すればよいのである。とにかく特定法規の元で人を取り締まるという責任の重い資格のわりには随分簡単にとれるものであると思った。また警察官の天下り先と書いたが、「資格がなくとも過去に駐車違反を取り締まったことのある者やその能力があるもの」はこの職に就けるとあるので、いかにも元警察官の受け皿であるということを疑わせるものでもある。

駐車監視員 その1

2015年06月22日 05時31分40秒 | 日記
 5月12日、自分の車に駐車違反のステッカーが貼られたことの腹いせに、監視員をエアガンで撃った容疑で男2人が逮捕された。それにしてもエアガンで撃つなどとは言語道断である。容疑は「公務執行妨害」だそうだが意外であった。彼らは公務員ではなく民間会社で業務委託を受けているのである。それでもどうやら「みなし公務員」ということで業務中は公務員扱いになるそうである。つまり「業務中は公務員で業務中ではない時は民間人」ということになる。とにかく暴力で彼らを攻撃することなど許せることではない。しかしながらその動機は分からないでもないのだ。

横浜市消防局の謝罪会見 その5

2015年06月20日 06時03分37秒 | 日記
 結果的に出場しなかったという事実だけから報道されれば、これは「消防の不手際」と市民に判断されかねない。もう少し報道の扱い方に注意する必要がある。通報者との会話でうまく意思疎通できなかったという事例はいくらでもあり、これに対するマニュアルはすでにいくらでも作成してあるはずである。それをも潜り抜けてしまった今回の意思疎通不良は、また新たなる対応方法の検討が待たれるところである。しかしながら「常習者」の問題も社会的に取り上げなければ片手落ちであり、根本的には何にも解決せず、今後も同様の事故は起こる。社会全体が「タクシーがわりの119通報はやめましょう。誰にでもわかる軽症傷病では不要な119通報はやめましょう」という感覚にまで成熟しないと同様な事例は起こりうるのである。社会全体で119番を大事に育てるという感覚を励起するための建設的報道をマスメディアは心がけるべきである。

横浜市消防局の謝罪会見 その4

2015年06月19日 05時43分34秒 | 日記
 この消防局の迅速な謝罪会見は先手を打ったなと感じた。あとで問題化されていろいろ言われるよりも先に謝罪するというのは行動が早い。ある意味リスクマネジメントの一環であろう。ただしこれは運が悪いことが重なった結果であり、特に誰の責任でもなかったのではないかと思う。TVコメンテーターは「いくら通報常習者とはいえきちんと確認すべきであった」と通信司令員にその責があるような意見をいった。このコメンテーターは司令室の現場を知らない。東京消防庁の場合では1日1万件以上もの通報がある。それが同時に重なることも多い。その中でいかに通報内容だけで重症度や緊急度を推測するには発狂せんばかりの努力と集中力と持続力が必要なのである。その中で、ほとんど緊急性のない「常習者」からの通報は、やはり「オオカミと少年」的な感覚になってしまうのは致し方ないこととも思われる。

横浜市消防局の謝罪会見 その3

2015年06月18日 05時23分03秒 | 日記
 この常習者は「救急ですか?」と聞かれ時に「ハイ」と答えてしまったのである。ハイと言われればまさか通信員も火事の通報とは思わないであろう。そして通信は続けた。 消防:「どうしましたか?」 通報者:「ハジになってしまいました」 消防:「は? 蜂にさされたんですか? それで救急車は必要ですか?」 通報者:「いりません」  このような会話でこの119通報の会話は打ち切られた。 「ハジ」と言うのは「蜂」ではなく「火事」だったのである。そして約15分後、隣家からの通報で現地に救急車ではなく消防車が到着したが、時すでに遅くこの通報者は焼死したとのことであった。この事例が起こって数時間後には、横浜消防局は謝罪会見をすぐに行ったのである。何ともやりきれない思いである。

横浜市消防局の謝罪会見 その2

2015年06月17日 05時51分39秒 | 日記
 この通報した女性は、119通報のいわゆる「常習者」でありここ数年で130回以上も通報していたとのこと。ほとんどが軽症で、中には搬送の必要がない場合も多数あったとのこと。東京でもこれら「常習者」の対応には頭を抱えている問題なのである。最近では増え続ける119通報をなんとかトリアージする試みもみられているが、それでも軽症者や搬送不要者の通報は社会的問題にまで増加しているのである。今回横浜の事例でも、発信電話番号ですぐにいつもの常習者であることが分かったとのこと。ここで、あってはならないことなのであろうが、でも指令通信員の頭には「あ いつものあの人だな」と察知できたであろう。いつものように「また軽症か搬送不要事例なのかな?」とおもってもやむを得ないと思われる。まさに「オオカミと少年」の話し通りなのである。

横浜市消防局の謝罪会見 その1

2015年06月16日 06時09分31秒 | 日記
 5月12日にTVで横浜市消防局の関係者が謝罪会見をひらいた。何のことかと思ってみていたら、火事の出火宅からの119通報であったが出場せず、15分後の隣家からの通報ではじめて消防車が出場したとのこと。この結論だけきいたなら「けしからん!」ということになるだろう。しかしその時の状況を知るにつれ消防局も不運であったと同情せざるを得ない。状況とはこうである。初老の方(60歳女性)の家からの出火だったらしい。通報が本人からあった。消防:「消防です。火事ですか?救急ですか?」 通報者:「*@+¥?>・・・」  消防:「は? 救急ですか?」 通報者:「・・・ハイ」
という会話で始まったとのこと。

6月病? その2

2015年06月15日 05時25分35秒 | 日記
 さてこの6月病の機序であるが、梅雨で気圧が低い、雨が多い、湿度が高いというのが原因だそうである。でも気圧が低いというのは旅客機の機内はだいたい与圧してあるが0.7~0.8気圧程度であるそうだ。これは梅雨で低気圧がやってきたというレベルではないだろう。ということは客室乗務員は年中、6月病になっているはずである。確かに気圧や湿度の変動で体調を崩す人もいるかもしれない。しかし空調のきいた屋内で労働している会社員も多いはずである。ひとそれぞれ労働環境は異なるのであるが、6月のやる気のなさを一まとめにして気候の影響として結論付けるには科学的根拠に欠ける。そればかりでなく、きちんと「6月病」なるカテゴリーまで設けて病気の存在を既成事実のようにしてしまったことに違和感を覚えるのである。あっ、そうか、TVのバラエティ番組でしたよね。そこまで目くじら立てる必要はないですよね。きっと医師ではない台本ライターによる病名の命名でしょうから・・・。

6月病? その1

2015年06月13日 06時19分07秒 | 日記
 昨日、TVのワイドショーで「6月病」なる病気のことが言われていた。ふ~んこんな病気もあるのかという感じである。なんだか昔と比べると、どんどん病気の数は増えてきているようである。もちろん中には教科書に載るほどのものもあろうが、たんに思い付きで病名が冠されるものも多いと思われる。TV的には人の気を引くような派手なキャッチコピーであればいいのだから、その病気が実在しようとしまいと、病名の作者としてはどっちでもいいのである。さてその6月病であるが、体がだるいとか、やる気がおきないとか、何だか新入生の5月病みたいな感じである。5月も6月もやる気が起きないというが、自分は年中やる気はおきていない(笑)。ということはこれは「年がら年中病」と名付けられるのだろうか?