吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

舶来球技と武士道 その6

2013年11月30日 07時46分51秒 | インポート

 このように敗戦後の日本はお行儀の悪い外来文化に、古来の武道の精神性までもが塗り替えられたのである。戦争に負けたのでそれもやむをえないのであろうが、しかし野球は当初からとてもお行儀の悪いスポーツだったのである。日本の「敗者をいたわる」マナーを駆逐しておきながら、いまさらこのお行儀の悪い野球というスポーツの中で、田中投手が「相手をリスペクト」していないなどといわれるのは片腹痛いのである。まるでフルチンの相手から「お前のズボンのチャックが開いている。それは公衆の面前ではマナー違反だ」などと言われているような思いである。あのロペス選手の怒号の映像をみるにつけ米国野球の横暴さに何かとても奇妙な感じがした。日本も「サムライ日本」などと称し古来の精神性をアピールするのであれば、ガッツポーズや派手なパフォーマンスは封印して「こともなげに」振舞うほうが強そうに見えると思うのだが。あの王選手は現役時代、何回四球をなげられようとも、デッドボールを受けようとも、ホームランを打ったときでも淡々とダイヤモンドを回った。そのほうがやはりカッコいいのである。<o:p></o:p>

 


舶来球技と武士道 その5

2013年11月29日 07時05分50秒 | インポート

  戦後日本には米国の野球のパフォーマンスが入ってきた。あの「お行儀の悪い」米国のプロ野球である。ガムやかみ煙草をくちゃくちゃやりながらそれを吐き出す仕草は行儀が悪い。また相手チームを大声で野次るなんてものは行儀が悪いどころの騒ぎではない。また試合中に乱闘騒ぎになるのもとても「相手へのリスペクト」などという感覚からは程遠いものである。元来日本は古来の武道の影響で「相手をいたわるマナー」が大切にされた。しかし敗戦後の日本に、どっとこれら外来文化が流入して、とてもよくないマナーまでが浸透し始めてきたのである。最近では柔道の試合を見ていても試合終了時にきちんとお互いが立礼をするということはない。そして本来であれば立礼で終了するのであって、そのあとお互い歩み寄り握手などするということはありえないのである。これは柔道が国際化するにおいて間違った方向に進んだのである。<o:p></o:p> 


舶来球技と武士道 その4

2013年11月28日 06時42分09秒 | インポート

  小学校の時に警察で少年柔道をやっていた。中学生の先輩で「体落とし」の切れる人がいた。正月の鏡開きの大会では7~8人抜きをしたと記憶している。しかもわずか1分もたたないうちに相手を体落としでふわりと投げ飛ばすのはとても格好良かった。しかしもっと格好よかったのは顔色一つ変えず事も無げに開始線まで戻ってくるのがゾクゾクしたのである。つまり「そうするように」と柔道のマナーとして教えられていたのであろうが、しかしそれは「このぐらいの相手ではなんともないよ」と暗に段違いの実力を示しているようにも見えたのである。後年、勝ってガッツポーズをして喜びを表に出す人はきっと「ようやく何とか勝った」程度の実力であることを自分で白状しているように見えたのである。この時から自分は相手に対するリスペクトと言う意味よりも、ただ単に「このぐらい別に・・・」という意味で、だまって表情変えずに開始線に戻ってくるのが正しいあり方と思っていた。でもまあ目的は違えてもマナーは間違ってはいないのでましである。


舶来球技と武士道 その3

2013年11月27日 06時59分32秒 | インポート

   うちのクリニックに通院しているご高齢の方であるが剣道の高段者である。彼曰く、「昔、若い頃は武術の剣術を教わっていた。それは今のスポーツ剣道とは全く違うものであった。実践的な剣術であり当時の実力者がそのまま現代にいたら、今の全日本の優勝者などだれもかなうものはいない」と。そして武道の試合直後に両手をあげて自分の喜びの感情をあらわすポーズを「みっともない」「なげかわしい」と嘆いていた。ところで、古式の伝統が色濃く残る相撲であるが、やはり横綱朝青龍のガッツポーズは「とんでもない」パフォーマンスとして厳重注意されているのである。結局朝青龍は日本古来の格式美や作法になじむことができず角界を去ることになった。やはり日本古来の武術、武道の根幹をなすものは敗者に対するいたわりの心でありリスペクトなのである。まあ自分も柔道の試合で勝ったときも黙って開始線まで表情を変えずに戻った。実はこれはリスペクトというよりも自分では格好が良かったと思っていたからである。


舶来球技と武士道 その2

2013年11月26日 06時53分39秒 | インポート

  古来日本には、やんごとなき世界における蹴鞠以外は球技たるスポーツはなかったのである。江戸時代、日本には武家社会の影響をもった格技があった。それは剣術であり柔術であり、弓術であり、以後泰平な武家社会になってからは、精神性を重んずる武道に変化してきたのである。武家社会は、例えば憎き政敵であってもきちんとした最後であれば「最後までご立派であった」といって敗者の潔さをよしとしていた。「体面社会」ではあったが「潔さ」は武士道の根幹をなすものであったはずである。以後の日本には古来武道の文化や思想が残っている。それは敗者に対するリスペクトであり、今なお現代まで残っているものである。自分が柔道をはじめたころは小学校時代であるが、試合に勝っても嬉しそうな顔をしたり拳をあげたりしてはいけない、黙って開始線まで戻ってきて静かに勝ち名乗りを受けるよう教えられた。<o:p></o:p> 


舶来球技と武士道 その1

2013年11月25日 06時49分11秒 | インポート

  今季、楽天球団が日本シリーズを制した。お荷物球団と呼ばれながら東北の大震災を契機に一致団結し劇的な優勝を飾った。さてその立役者となった田中投手である。その日本シリーズ何戦目かであるが田中投手は巨人のロペス選手を三振にとった。気合の入った咆哮とガッツポーズを示したらしい。しかしどうもロペス選手はそれが気に食わなかったようである。第6戦目には逆にこの田中投手からホームランを打った。そしてダイヤモンドを周回している最中に田中投手に向けてなにやら罵声を浴びせたのである。それは1回ではなく何回も怒鳴り声をあげていたようなのである。事後の解説では「大リーグでは投手はガッツポーズをとったり雄叫びを上げたりするのはマナー違反である。相手バッターをリスペクトしなければならない」と聞いた。このなんだか不思議なマナーのことを聞いて頭が混乱してきたのである。


ある大物司会者の降板 その7

2013年11月22日 07時20分46秒 | インポート

  彼は息子が仮釈放され自宅に帰っているときに一度だけ会いに行ったと会見で言った。「何といって声をかけたのですか?」という問いに「玄関でただ顔をみて黙って一言もしゃべらずに帰ってきた」と言っていた。もちろん本当かどうかは定かではない。そしてその40分間の記者会見では、泣いたり笑ったり、穏やかになったり怒ったりで記者会見というよりも独壇場の一人芝居だった。そして最後の質問の「息子さんにはなんと言ってあげたいですか?」の答えで、彼は一言、ものすごい形相で、「馬鹿野郎!!」と怒鳴って記者会見は終了した。実際息子に会ったときは「何も言わなかった」のに、である。やはりあの「馬鹿野郎」は眼前のマスメディアに対して言った言葉である。「お前らが騒ぎたてるから俺は番組降りることになった」と確信したのである。自分の中学校にインタビューにきてくれた遠い昔の信頼できる彼のイメージはもう全くない。寂しい限りである。<o:p></o:p> 


ある大物司会者の降板 その6

2013年11月21日 07時04分48秒 | インポート

  それにしても一連の彼の記者会見を見たが、司会職にというか、芸能界に未練たっぷりの様子が手に取るようにみえた。彼はほかにも、地方出身のタレントを集めて、その地域独特の習慣や食べ物を紹介する番組をやっている。これについては「バラエティでもあるし、早い段階からプロデューサーに降板を慰留されているので降りない」と宣言している。しかしながらどうもそのプロデューサー曰く、態度を保留したままであって慰留したという事ではないらしい。つまりこれはどうもかの大物司会者が先に既成事実を作ってしまってこの発表から動かせないようにしたという裏工作のようであった。少しでも芸能界に生き残りをかけての行為なのであろうか? ただおそらくは引退ではなく自粛なのであろう、いずれまた活躍するものと考えられる。ただその後、ラジオの番組で、ある大物歌手の葬儀出席に関して「自分の復活の舞台にふさわしい」などとの発言をしてしまった。自分のことを「しゃべることが天職」とまで言っていた割にはずいぶん幼稚な暴言である。


ある大物司会者の降板 その5

2013年11月20日 07時02分52秒 | インポート

  しかし何とも思わなかったのは彼をバラエティ司会者と思っていたからである。人の目を引いて、時には面白おかしく伝わればいいのである。実際そう感じていたのであの記者会見で「自分は報道に携わる者・・・」と称したことに少々混乱してしまった。自分が中学の時にあった真摯な態度の報道マンではまったくない。「息子が罪を犯しながら報道に携わる者としてこれから番組で事件を伝えるわけにはいかない」といっていたが自分はそうは思わない。述べたように彼が報道に携わっているとは思わないからだ。彼はバラエティ司会者なのであるから別にそのまま仕事を続ければいいのである。なんで自分をここまでのスターに引き上げてもらったバラエティを封印したのかは定かではない。確かに記者会見では彼の本音が見え隠れしているが、マスメディアの追及で失脚せざるを得ない状況に追い込まれたのかもしれない。


ある大物司会者の降板 その4

2013年11月19日 14時39分16秒 | インポート

  それにもかかわらず、くだんの記者会見の席上では自分のことを「報道に生きるものとして・・・」と表した。意外であった。自分がここまできたのはバラエティのおかげであろうがそれをすべて否定したのである。報道バラエティ番組では、事件の書かれたボードの上に小さな紙を貼りキーワードを隠しておき、それを効果音とともにめくりながら見せていくという技法がある。これは彼が考え出したものらしい。今では各局どこででもやっている。これは一つの業績かもしれないが、しかしこの技法が彼をだめにした。この方法を用いると視覚的、聴覚的インパクトがあるので事件内容を前もって十分咀嚼しなくても仕事ができてしまうのである。ただボードの文字を読めば事足りるのである。あとは情感こめてメリハリつけて喋ればなんとなく様にはなるのである。彼のプレゼンを聞いていて「あ 今日はこの原稿読んでいないな。ぶっつけ本番でやっているな」とわかることが多かった。定かではないが昨夜の銀座での豪遊を間接的に感じ取らせるものでもあった。


ある大物司会者の降板 その3

2013年11月18日 06時45分21秒 | インポート

   この大物司会者は昔深夜放送のアナウンサーをしていた。自分が中学生の頃、何かしらの番組で自分の通う中学にインタビューにきたことがあった。いつも聴いている番組のアナウンサーなので嬉々とした。彼は我々子供らの代弁者みたいな感じで頼もしかったし、肩のところに小さな穴の開いたセーターを着ていたので妙に親しみを感じたのである。ところが後年TVのバラエティ番組に進出し、スタジオで視聴者のご婦人と軽妙トークで話すやり取りが受けて一挙にスターになった。このころには彼への親しみはまったくなくなっていた。彼を「報道に生きる人」と思っていたので、なんとも裏切られた気持ちであった。実際、彼がおばさまたちの人気を集めスターになったのは「報道番組」ではなく「バラエティ」なのであるから、どう弁解しても彼はバラエティ司会者なのである。<o:p></o:p> 


ある大物司会者の降板 その2

2013年11月16日 07時02分29秒 | インポート

  しかし芸能界に生きているわけである。顔が売れていて得をしたことは今までたくさんあるだろう。しかし逆に顔が売れていれば己が損をすることもたくさんあったはずである。これは有名税として表裏一体なのである。たとえば今までどんなにたくさんのいい仕事や業績を残した政治家であっても、たった一つのスキャンダルで失脚するのである。その人の業績を評価して「まあこの有能な人は社会に貢献して、これからも必要なひとだからいいじゃないですか」と自分は思うのだが、世の中一般の判断は業績での加点よりもスキャンダルの減点を重くとらえるのが常である。したがって芸能界で顔を売るこの大物司会者も、息子の犯罪とは言えこのスキャンダルで失脚するであろう道筋は見えているのである。まあこの人が番組を降板しても、これが世の中にとってどのような打撃があるのかないのかわからないので自分としてはどちらであろうとかまわないのだが。<o:p></o:p> 


ある大物司会者の降板 その1

2013年11月15日 07時15分13秒 | インポート

  この前、息子が不祥事を起こしたことを理由に、ある大物TV司会者が出演番組のほとんどを降板するという出来事がおきた。彼の記者会見は40分間しゃべりっぱなしである。そして泣いたり、笑ったり、怒鳴ったりで、かなりの感情を露わにしていたようである。しかしどうもパフォーマンスのにおいがした。どことなく舞台の上の一人芝居をみているようだった。本人口にこそ出さぬが全体的な印象としては「自分が番組を降板するのは極めて不本意である」という雰囲気が感じ取れた。そしてその降板するにいたったのはマスコミの報道姿勢にあるようなことがニュアンスとして、あるいは皮肉として感じられたのである。最初の会見では「彼(息子のこと)が自分の息子でなければこんなに騒がれなかったのに・・・」と、いかにも「あんたらマスコミは騒ぎすぎだよ」といわんばかりであった。<o:p></o:p> 


伸びない布製包帯 その4

2013年11月14日 07時39分38秒 | インポート

  結局13年間救命士養成所に通って教鞭をとったが、ようやく最後に改訂7版でテキストの執筆を受け持った。彼らは公務員である。規則どおりに動くことを必要とされている。その彼らを規定する法律を熟知した上でないとテキストなどを書く資格はない。ようやく溜飲をさげた思いであった。もちろん改訂7版には「包帯法」などの記載はなく、一体H3年当時のあの記載は何だったのだろうか思う。 きっと執筆された方の勘違いか、あるいは真夏の夜の夢だったかもしれない。しかしあの伸縮包帯の出現は、世の中を・・・とまではいかないが、自分の周りの世界を少し変えたかもしれない。誰が巻いても、難しい場所にまいても、だれでも同じように固定性よく巻けるのである。技術を必要としなくなるのはよいことである。昔は技術を覚えた職人しかできなかった分野が、機器の進歩でたやすくできるようになるのは医療の進歩としてよいことなのであろう。たかだか包帯一つ伸びるの伸びないというのはたいしたことではない。しかし自分にとっては大きな経験と思い出として残っている。<o:p></o:p> 


伸びない布製包帯 その3

2013年11月13日 07時09分32秒 | インポート

 その中で、なんと! すでに医学部の教科書からも記載はなくなっている内容が書かれていたのである。まあもしかしたら看護学の教科書には残っていたのかもしれないが、あの「包帯法」が執筆されていたのである。巻き方として「環軸帯」だとか「麦穂帯」などが図解されていたが、すでに世の中には伸縮包帯が全盛であり、この執筆内容はまさに「時代のあだ花」としか言いようがなかった。かろうじて自分は外科診療所で育ち、かつ伸びない包帯のことを知っているので、巻き方はうろ覚えであったがなんとか教えることができた。しかし自分以外の別の境遇でそだった教師ではわからなかっただろう。この時「現場で教えることのない医師が救命士の教科書を執筆する」という不条理を嫌というほど味わった。彼らは無責任に執筆すればよい。しかしそれが指定図書となり「試験問題も教科書の中からきちんと出してください」となると、困るのは現場であった。教科書の記載内容には救急隊の現場にそぐわないものがいくらでもあった。その説明やら弁解をするのはいつも現場で教鞭をとるものであった。<o:p></o:p>