吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

お役所仕事 その1

2011年08月31日 07時16分39秒 | インポート

 東京都の某課から電話があった。実は数日前患者さんの書類を提出していた。その書類に不備があるというのだ。よく聞いてみると、患者さんの検査所見を書く欄があるのだが、ここの記入は任意(書いても書かなくてもよい)であった。しかしたまたま大昔に他院でおこなわれた検査結果を患者さんから聞いていたので「参考までに」「よかれと思って」記入した。ところがここの検査日の何年何月までは書いたのだが最後の「日にち」を書かなかったことが「書類不備」なんだそうだ。もともとはこの欄は「任意」のはずである。日付だって書かなくともよいわけで、もし全く何も書かなければ「書類不備」にはならないわけである。ところが一度かいたら「日にち」まで書かないと書類として不備になるそうである。私のような凡人にはこのような難しい理論は到底理解できなかった。「任意」というのは「備考」とか「参考」のようなプラスアルファ的な解釈だと思っていたのだが、どうやらそうではないようである。実際、大昔の検査日なんて何年何月まであれば十分で、「何日」ということまで知って何になるのであろうか? 彼らにとって書類とは内容云々ではなく「書き方」のお作法遵守のほうが大事なようである。(怒髪天!)


おばさんたちの長話 その2

2011年08月30日 06時18分19秒 | インポート

面白い結果とは「一つの話題に関してコメントして」と限定しているにもかかわらず、女性群ではほとんど全員が付与された話題からどんどんはずれていき、話の内容がコロコロかわって行くことである。ひどい人になると最初から与えられた話題にまったく触れることなく、別の話題で喋りだしたのである。男性群は全員が「付与された話題」についてのみコメントし話に詰まったり、別の話題に入ったりするとそこで自ら終了を宣言した。しかしながら女性群では全員がそのルールを守らずに逸脱して喋り続けたわけである。それぞれNが8例程度の群で有意差をだすことはできないが、それにしてもここに集った女性陣は、話の内容云々よりも「喋り続ける」という作業(行為)に重きを置いていると言わざるをえない。このような女性が2人以上集まれば強力である。これなら井戸端会議は延々と継続できるわけである。


おばさんたちの長話 その1

2011年08月29日 07時05分04秒 | インポート

 テレビのバラエティ番組で面白いものをみた。それは一つの話題についてどれだけ一人で話せるのかを男性と女性に分けてその時間の長さを検証したものであった。目的は「女性は井戸端会議が好きか?」という仮説の検証らしい。インタビューアーは被検者の話に相槌をうつだけで、話題を誘導したり膨らませたりしないという条件の下でおこなわれた。相手には番組の意図を説明していない。話してもらう話題は「AKB48」とか「韓流ドラマ」とか、また「原発問題」などの硬いものまであった。部屋にはインタビューアーと被検者二人きりで周りから話題についての雑音が入らないようにし自分の知りえている知識のみで語ってもらった。結果は想像通り男性群の平均時間より女性群の平均時間のほうがはるかに長かった。そして面白い結果が得られた。


諦めなければ夢はかなう?

2011年08月27日 05時57分09秒 | インポート

なでしこジャパンが世界一になった。素晴らしい事である。今回も「あきらめなかったからこそ夢がかなった」という言葉を幾度となくTVのコメンテイター等から聞いた。話は変わるが、昔、アントニオ猪木の体力が落ちてきた頃、盛んにプロレス界では世代交代が囁かれていた。NO2の藤波と頂上決戦となったが、テレビ朝日のアナウンサーが「猪木さん、今日負けたら引退ですか?」と聴いたところ「戦う前から負けることを考えるバカがいるか」と思い切りビンタされた。確かに最初から負けるつもりでやれば必ず負ける(勝てるわけない)。これは真理である。しかしその逆の「あきらめないからこそ勝った、夢がかなった」というのは真にならない。それは試合に出場する全てのチームが夢をあきらめていないからである。みんな勝つつもりで必死にやっている。勝ったチームは土壇場で実力が出せたかどうかと運がよかったかどうかである。「あきらめないからこそ夢がかなった」というのは、勝った者の後付けコメントとしての感動語句にすぎない。一昔前よりこの言葉が使われだした頃、この言葉を聞くたびに「う~ん感動ありがとう」と、お約束のように感動したものだ。しかしよく考えてみると上記の矛盾点に気がついたのである。今ではこの言葉を聞くたびに「お約束」を強要されているようで居心地が悪くなる。選手たちは、この言葉よりももっと泥臭い現実に埋没して戦っているのである。


確かにそういえば・・ 番外編その4

2011年08月26日 06時52分43秒 | インポート

 A教授とは学会を通じて面識もあり一緒に会食したこともある。彼の発表内容をTVでみていたが思考背景が同じであることに我が意を得たりという感じであった。その後、着々とAEDは市中に普及し、マラソン大会で発症した心肺停止も救命されるようになった。実はこのマラソン大会でAEDを装備してコースを巡回するシステムを日本に定着させたのはK大学の救急医である T教授の努力からである。まさにタレントの松村邦洋氏が心室細動から生還したのは「奇跡」の生還ではなく、「狙い通り」の生還なのである。現在スポーツジムやプールなどにもAEDが配備されることが多くなった。プロのサッカーなどのスポーツチームには高血圧、糖尿病、高脂血症などを抱えたハイリスクな選手はおそらくいない。だから彼らにAEDを携行させるかどうかは異論があるところである。しかしながら今一層、全国津々浦々にAEDを普及させるためには、マスメディアでの発表は「心筋梗塞」ではなく「心室細動」にしてほしかったのである。残念である。えっ、うちにAEDですか? もちろんありますよ(笑)。


確かにそういえば・・ 番外編その3

2011年08月25日 07時26分14秒 | インポート

 確かに心筋梗塞の場合、発症直後ではなく数時間後であるならば心室細動が起こることも珍しくはない。そうであるなら、なおさら「心筋梗塞」ではなく「心室細動」とメディア発表してほしかった。

 過去に皇族の方がスカッシュ競技中に意識不明に陥った。この時も今回同様、胸痛で七転八倒することなく、胸部不快感から直後に心停止に陥った。この時搬送されたKO大学救急部のA教授は病名を「心室細動」と発表した。この背景には救急医の願いがこめられている。心室細動に遅滞なくAEDを施行することで、患者の社会復帰はある程度の確率で可能なのである。ところが当時AEDはまだ日本には普及しておらず、結局彼は残念な結果に終わったのだ。A教授は心室細動の原因が何であってもそんなことはどうでもよく、むしろAEDが普及することで救命できうる「心室細動」という存在を広く知らしめたかったのである。


確かにそういえば・・ 番外編その2

2011年08月24日 06時58分44秒 | インポート

 糖尿病合併のない心筋梗塞では、若年者の急性発症の場合、通常強い胸痛や胸部の締め付け感など激しい症状を訴える。よって発症直後からしばらくの時間は激しい胸の痛みを訴えるはずである。ところが松田選手の場合は練習中に激しい胸痛を訴えて七転八倒したという話は聞かない。胸痛ではなく胸部「不快感」を訴え「ヤバイ、ヤバイ」といいながら直後に意識がなくなったようである。つまり心筋梗塞が先行してそこから心停止したというよりも、いきなり心室細動が出現したというほうが正しそうな経過である。労作時の発作ではあるがQT延長症候群やブルガダ症候群などを元々持っており、そこから心室細動を急に起こしたというほうがエピソード的に正しそうである。まあ主治医がTVで心筋梗塞といっているので今回は本当にそうなのかもしれないが、それにしても視聴者の前面に大きく「心筋梗塞」という病名が出てしまった。何故「心室細動」と発表されなかったのかが残念に思われる。


確かにそういえば・・ 番外編その1

2011年08月23日 06時37分30秒 | インポート

 ついこの間、サッカーの松田選手が練習中に心肺停止に陥り、治療の甲斐なく亡くなった。マスメディアの発表では「心筋梗塞」といわれているが自分の見解はちょっと異なる。まあ自分の目で診察していないのであくまでも推論の域を出ないが、たぶん心肺停止の直接原因は突然の致死性不整脈の「心室細動」と考える。まず年齢的、身体的に考えて心筋梗塞は起こりがたい。

頑強なスポーツマンで普段の運動量も並大抵ではない若者が、過去のメディカルチェックに引っかからないような「心筋梗塞準備状態」であり、それが急に発症するとはとても思えないのだ。通常は心筋梗塞を起こしやすい高脂血症、高血圧、肥満、喫煙など(ハイリスク)があって徐々に動脈硬化が進み冠状動脈の狭窄が進行し心筋梗塞を発症するというのが通常のパターンである。ハイリスクであるならば、それこそ前もって分かっていてもよさそうである。しかしとても松田選手がハイリスクグループには入っているとは思われない(喫煙はしていたらしいが)。

(後日談であるが、ネットでは病院収容後「心臓カテーテルをやって冠状動脈の狭窄箇所を拡げた」とあるので心筋梗塞というのは本当のようであるが、しかしやはりあの年齢のアスリートでは考えがたい原因である)


確かにそういえば・・ その6

2011年08月22日 06時39分42秒 | インポート

 今では心肺蘇生法講習も全国展開し、全国の医師や救急医療病院や救急隊員での「共通言語」になった。「倒れている人を見かけたらすぐに救急車を呼ぶ」という約束事もかなり普及している。市民、医療関係者、救急隊員の三者間で共通言語になることが重要だったのである。当時は医療従事者内でも心肺蘇生法を知らない人もかなり多かった。しかし最近ではこれによって救命され社会復帰している人もかなりの数に登る。市民マラソン大会中に卒倒した参加者が救命されるという事例も増えてきた。横須賀海軍病院での講習受講当時「なんで倒れている人を見たらイコール救急車を呼ぶのか? 大げさな」と思った自分も、今ではそれがちっとも「大げさ」なことではなくなり、またそうすることで救命率も向上しているという事実に驚いている。これでいいのだ。


確かにそういえば・・ その5

2011年08月20日 06時59分54秒 | インポート

 その患者さんは夜中に激しい胸痛発作に見舞われ意識不明に陥った。救急車で搬送されてきた時はかなり厳しい状態であった。まさに「心臓発作の否定」及び「食べ過ぎのせいだ」という患者さんの表現は、当時横須賀海軍病院の講習で学んだものとまったく同じであった。奥様からは「なんで押さえつけてでも心電図をとってくれなかったんですか?」と嫌味をいわれた。しかし嫌がる大の大人をおさえつけて心電図をとることが可能であったのだろうかと疑問にも思った。熱血医療ドラマなら「あなたの命を救いたいんだ! 黙って心電図とらせなさい!」とでも言うのだろうが、そんなのは虚構の世界である。現実でそんなことやったら患者さんから訴えられるか、あるいは「暴走医療! ヒーロー気取りの若手医師」などとマスコミから格好の餌食にされる。こちらからは返事をしなかったが自分も相当後味が悪かった。恨まれようと感謝されようと医療とは結果がすべてなのである。


確かにそういえば・・ その4

2011年08月19日 06時49分47秒 | インポート

 確かに今回の患者さんも自分の胸痛が心臓発作であることを否定した。20年以上も前に習ったことが今になって確認されたというか、あるいは当時の米国の病院前救護のカリキュラムが進んでいたというか・・・。

そういえば救命センター勤務時代の話を思い出した。某行政機関の方が救急外来に「胃のもたれと違和感」でやってきた。下の先生が診て「どうも消化器の所見がないんですけど心電図とりますか?」と上申してきた。上腹部の腹痛の鑑別診断には「心筋梗塞」も入っている。「それはちょっと危ない、心電図とって下さい」と伝えた。しばらくしてその先生がもどってきた。「いやぁ~、かなり心臓発作のおそれがあるからと心電図をすすめたのですが『大げさな、私は今夜食べすぎただけだ! 胃薬を出してくれればそれでいいんだ!』といって帰ってしまいました」と・・・。本人が拒否したらおさえつけて心電図をとるわけにはいかない。しかも帰ってしまったのならもうどうにもならない・・・。ところが不安は的中した。


確かにそういえば・・ その3

2011年08月18日 06時41分05秒 | インポート

 胸痛を訴えた時、多くの場合まず「自分のこの症状は心臓の発作ではない」と否定すると教えられた。え~本当かなぁと思ったが、どうもこの反応はどうもそのようである。通常の外来で少しでも胸が痛いと「先生、私は心筋梗塞でしょう。この痛みはそうに違いない」という笑顔の患者も沢山いる。しかしこのような患者で心臓発作であったためしはない。逆に本当に苦しくて痛い場合は心臓発作ではないと否定するという思考過程は何となく理解できる。その後今まで心臓発作の患者をみたがこの訴えは当たっているようだ。一方、怖いのは糖尿病の併存である。この場合確かに典型的な症状が出にくく見落としがちなのでやっかいである。心臓発作の症状は当時の日本の教科書にはただ「胸痛」「胸部圧迫感」などと漠然と書かれているだけでちっとも臨場感がないし痛みの状況が伝わってこない。実際の現場ではあまり役にたたないのである。


確かにそういえば・・ その2

2011年08月17日 08時08分42秒 | インポート

 胸痛を訴える人がいたらすぐに座らせて安静にし、ニトログリセリンを持っていたら1錠服用させ、5分後軽快しないならもう1錠服用させる。そしてそれでもだめならすぐに救急車を呼ぶと教わった。また糖尿病を持っている人は症状をあまり訴えないので胸部不快感程度であってもすぐに救急車を呼ぶべきであるとのことであった。当時の自分の医療常識からしたら「過剰判断」の部分も大きいと感じた。しかも当時の日本の医療機関では、とても対応できないような救急医療システムである。そしてこれまた奇妙に思ったことであるが心臓発作の患者が現場でまず自分の症状をどう表現するかということであった。


確かにそういえば・・ その1

2011年08月16日 06時34分26秒 | インポート

 先日、労作性狭心症の患者さんのことを書いた。胸痛発作時に患者さんに「狭心症かもしれませんね」と告げると患者さんは「ええっ? 違いますよ。最近ストレスが多いのでそのせいでしょう」と私の虚血性心疾患の診断を否定した。 どうも患者さんは心臓発作の場合、それを否定する傾向があるという。

大昔のことを思い出した。当時勤めていた病院からの派遣で、エクスターンとして横須賀海軍病院に3日間の心肺蘇生の指導者養成講習を受けにいったことがある。当時は国内で「居合わせた人が現場で心肺蘇生をする」という時代ではなく、むしろ倒れている人は「餅は餅屋」で救急車がくるまで「触ったらいかん」という時代だった。その講習の内容には心肺蘇生だけではなく「突然の心臓発作への対応」についても盛り込まれていた。心臓発作後に急死する人を如何に救えるかというコンセプトである。受講して内容的には当時の日本の医療システムからはかなり乖離したものであり、これは米国のシステムなので日本にはそぐわないなと感じた。まあところが今ではすっかり日本の病院前救護にこのシステムは定着しており隔世の感がある。


診療再開

2011年08月15日 06時35分47秒 | インポート

本日より通常診療を再開いたします。

夏季休暇中は特に遠出もいたしませんでした。結局、書類の整理や役所からの電話応対やらで完全オフという感じではありませんでした。

さて今週も猛暑が続くようです。日本の夏って昔はこんなに暑くはなかったと思いますが、やはり何かが異常なんでしょう。月並みですが熱中症にご注意ください。