吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

義は我にあり・・なの? その3

2018年03月31日 05時39分44秒 | 日記
義は我にあり・・なの? その3
 よくTV番組でやる手であるが、盛り場で街頭インタビューしたり、そこでアンケート調査したりする。自分の住む巣鴨の地蔵通りでもよく調査が行われる。しかし・・その母集団の構成は、「おばあちゃんの原宿」というキャッチフレーズから「ほぼ高齢者」「ほぼ年金生活者」の可能性が高い。
 アンケートや統計に用いる母集団の構成は何らかの「傾向(偏り)」があってはならないというのは統計学では常識である。簡単な論理である。大学の数学科の学生が過半数含まれている母集団に、小学生程度の算数の問題を解かせてみて「はい9割以上の人がこの問題正解しています。やはりこの問題は易しいと証明されました」などと結論付ける様なものである。
 母集団には偏りがないことが条件にもかかわらず、このような所でアンケートとって、今回の証人喚問で政府の関与がないと思いますか?などと聞いて「はい9割の方が疑惑は晴れていないと答えています」と結論付けている。しかもTV情報バラエティだと司会者は「国民の9割が疑問を持っています」とこの偏りのある集団の意見を「国民」と称してしまうのだから、これはもう情報操作、思想誘導としか思えないのである。
 別に自分はリベラルに名を借りた左翼でも反日でも安倍派でも右翼でもない。しかし医学(科学的な)論文執筆した人なら、これら結論へ導く論旨の展開には、えっ? それは変でしょと思うことであろう。


義は我にあり・・なの? その2

2018年03月30日 05時36分36秒 | 日記
 戦前は軍国教育を敷き、報道統制をおこない、すべて軍部に有利な情報のみを選択してメディアを統制した。つまりいわば「偏向報道の極み」である。
近年のメディアも右傾、左傾いろいろあるが、でも最近でもこれら偏向報道がなされているような印象である。結局、メディアとは公平・中立というのはありえないのであろうか。社説というものは何かしらの方向性やイデオロギーを示す必要があるのだろうから、公平・中立で事実のみの情報提供では新聞社が成り立たなくなるのであろう。
 TVというメディアははっきりしている。視聴率さえ取れればそれでいいのである(のだろう)。世間の耳目を引くような報道内容にするということに「義」があるのである。
 今の世の中、TVや新聞で、やいのやいの言っても、果たして本当の世論の動向がどうなのか? 今ではSNS時代なので、フィルターのかかった報道内容ではない、実際生の世論の傾向がわかる。もちろんネットは掲示板なので真偽のほどは疑わしい。でも今のメディアの中ではSNSは市民が直接アップした自分の意見なのでいろいろなものはあるが、まだTVや新聞メディアより信用できるのかもしれない。

義は我にあり・・なの? その1

2018年03月29日 05時51分45秒 | 日記
一昨日の佐川さんの証人喚問見ていたけど、あの答弁の仕方を聞いていたら、やっぱり頭のいい人だと思った。まあ弁が立つというのか、野党の質問にはのらりくらりとかわしていたような感じ。挑発にのらずエキサイトせず冷静に言葉を選んでいた。
 「これでは喚問になっていない、肝心なことを答えないので喚問の意味がない」と野党は怒っていたが、まあそれは確かにそうである。喚問後、野党へのインタビューでは「こんな答え方ではますます官邸の疑惑が深まった。国民はみんな納得していない」と言っていたが、そうなの?と思う。それとこれとは別問題じゃないかと・・・。
 今回の証人喚問で本筋解明の証言が得られなかったということは事実だが、でもだから官邸の疑惑が濃厚になったということと因果関係はあるの? なんか論旨の展開がヘンかな? それから国民皆納得していないって国民がみんな官邸からの指示が存在し、それが今回の事件の原因だと思っているのかしらん? 自分の主張を、あたかも国民の総意として持ってくる論理も無理があると感じた。

反日メディア?

2018年03月28日 05時56分45秒 | 日記
 森友問題などをTVでみるにつけ思うことは、TVのメディアはみんな反安倍政権という立ち位置で報道しているように見える。本来、メディアは中立であるべきなのだが、最初から悪者を決め、それを推測させるような情報のみを流しているように思える。
 例えば国会前の「安倍やめろ」のデモはTVで放映された。実際は「安倍頑張れ」のデモ(かどうかわからないがそのような意図の集会)などもあるのだがこれは一切報道されない。なんだか反日メディアの思想誘導にもとれる。SNSをみると結構「安倍政権擁護」の意見も多いのである。むしろ自分がみる範囲ではこちらの方が多いようであるような印象。
 SNS時代になってみるとわかるのだが、メディアが偏向報道しても実際それが本当かどうか、かなり疑わしいと思えるのだ。今回の森友問題では悪者を、籠池氏ではなく、行政ではなく、首相(首相夫人)にしたいというようなメディアの意向が手に取るように見える。
 最近のメディアこそ公正な報道しているのかといいたい。事実は偏ることなく平等に情報として流すべきであろう。特に過去、慰安婦問題で「吉田記者ねつ造報道」が発端で日本国の政治家が謝罪してしまい遺恨を残すことになった。このねつ造が遠因で国益を損ねているのだから当該新聞社は賠償責任があると思っている。
 メディアは中立であるべきだ。

桜の季節 続き

2018年03月27日 06時24分09秒 | 日記
 桜が見事だと思うようになったのは中年以降になった頃からである。
 それ以前は、まあ「桜でしょ? この時期に咲くよね」程度・・・。
 この世界に入ってからは桜の時期だろうと雨が降ろうが雪が降ろうがあまり花鳥風月を肌で感じるという精神構造はなかった。別に揶揄するつもりは毛頭ないが、やはり「蝶よ花よ」という感情は自分の精神状態や生活環境が安定していないとやすらかに愛でようという気持ちにはならないのだと思う。
 別に今でも大混雑の中でシートを敷いて酒盛りをするということは好きではない。しかも昔は「桜の木の下には死体が埋まっている」と半信半疑の時もあった。
 木の芽時から桜の時期は、何故か自殺志願者も多いのだと先輩医師から言われたこともある(実際どうだかは定かではないが)。
 薄明りの夕暮れに桜の花びらがハラハラ舞う光景はなぜかlunaticになるのである。とても大騒ぎできるような感じには自分はなれない。

桜の季節

2018年03月26日 05時58分46秒 | 日記
 桜の季節である。
 どうして日本人はこのソメイヨシノにこれほど思い入れがあるのであろうか? 
 この季節になるとほぼ同じ時期に開花し1週間ほどで散っていく。楽しめる期間はわずかである。この潔さも人気の秘密であろう。それにしても気温の違いで差はあるが、全国ほぼ同時期に一斉に花開くというのは見事としか言いようがない。だから「さくら前線」という単語もあるくらいである。
 どうやら全国にあるソメイヨシノはすべて「兄弟株」というよりももっと血のつながりの濃い「クローン株」なんだそうだ。だから同時期の開花なのであると。

 サクラの開花時期はなんとなくウキウキ、ワクワクする。これはこの時期入学式と重なるという日本人の深層心理に刷り込まれたものであろう。
 でもこの気象の変動から徐々に桜の時期もずれてきているような感じ。
 今年は卒業式のシーズンに重なった。
「卒業式にサクラ」・・・・やっぱりあわない。なんか変である。

送別会

2018年03月24日 05時47分47秒 | 日記
 昨夜は元の職場の仲間と宴会。
 送別の主役は今度大学を退職して一般病院へ就職するDr.。でもこの送別会の出席者の現在の職場をみると全員が別々の職場であり、言われてみれば「送別会」ではなく、ただの宴会だったような・・・。
 しかも送別の主に焼肉の「焼き奉行」までさせてしまつては、主役は誰?ってな話になる。
 まあ久々の大学時代同僚との飲み会だつたので楽しかった。たぶん全員がそれぞれ「利害関係」がないからいいんだろうなと感じている。

 自分の診療所の先代亡父は、昔よく患者さんと飲みに行ったようである。しかも自分が小学校の時はいつも茶の間に知らない訪問者がいて食事したりお酒を飲んだりしていた。
 父は賑やかなのが好きだったこともあるが、今ではなんだか「利害関係」のある付き合いは少し控えたほうがよさそうな時代である。
 森友問題では総理夫人が「ダシ」にされて詐欺事件がすすんだようである。
 人を疑ってかかるのは寂しいことであるが、悪意をもって寄って来る場合もあるので注意が必要なんであろう。

 あっ ま、でも自分には利用されるほどのパワーはないので「ダシ」にもならないし、パワーないから「パワハラ」もできないし・・・。
 

森友問題

2018年03月23日 06時44分07秒 | 日記
 国有地売却に関して首相(あるいは夫人が)口利きをしたかどうか、また公文書改ざんで首相側から指令があったかどうかで国会が空転している。まさに空転である。民主主義の根幹を揺るがす問題だといって、野党もマスメディアも騒ぎ立てている。
 そしてその煽りで国民の意識調査で安倍支持率は低下している。何だか野党とマスメディアの思想誘導にもとれる感じ。何だかどう見てもメディアと野党の最終目標は安倍内閣打倒としか映らない。そしてその先の目的が見えてこない。 
 国会が空転している間に中国や半島の北や南では日本を置き去りにしてなにやらいろいろ事が進んでいる様子。国益がどんどん損なわれているような印象。こんな些末なことをしていて喜ぶのは中国や北と南くらい。
 どうみても野党は国益に損失を与えているとしか思えないのだが。
 ま ひとそれぞれ考え方もあると思うが。

犬好きの思考背景 その4

2018年03月22日 06時40分41秒 | 日記
 もちろん、きちんと躾をしている飼い主もいるし、自分も犬が嫌いと言うわけではない。
 ただこのような思考背景をもつ飼い主のほうにイラッとするのである。自分の子供や飼い犬は可愛いに決まっている。他人である自分がみても可愛いと思う。でも時によりけりである。
 他人に迷惑をかけておいて、「さあ うちの子可愛いでしょう。どうよ、どうよ」と思わせる様な態度がいやなのである。
 散歩中に他人に吠え付いたらまず「犬を叱ること」そして陳謝し早々にリードを引っ張って立ち去ることがマナーである。
 また並列2列のバギーを押して歩道を行く時、もし向こうからすれ違えないでいる歩行者が来たら、自分が立ち止まり道をあけること、そして申し訳なさそうな態度を示し「ドヤ顔」はやめてほしいのである。これは簡単なマナーである。
 でも、どうもこの「うちの子可愛いでしょう症候群」は、他人も皆可愛いと思ってくれているという錯覚で罪悪感がないようなのである。
 本当にこれには困りものである。

犬好きの思考背景 その3

2018年03月20日 05時55分19秒 | 日記
 この状況は、あの時の光景に似ている。目一杯邪魔になる横幅の広い並列2列バギーに双子の乳幼児を乗せて、狭い歩道を、ドヤ顔で押してくる母親に似ている。並列で双子2人の顔を同時に見られるので「あ えっ、何あの双子、かわーいい~!」と言う言葉を通行人から普段頂いているのであろう。
 でもそれは広くだれもが行き交うことのできる舗道なら可である。しかし都内の舗道はすれ違うことができないくらい狭く細いところもある。そこですれ違う時にドヤ顔されてしまうと、やはり「おい狭い都内では並列2列バギーはマナー違反だろ?」と言いたくなる。
 実際幅を取らない直列2列のバギーも売っているのもかかわらず、この「迷惑な」バギーで、しかも「ドヤ顔」で闊歩されるのはイラッとするのである。

 で、実はくだんの犬に吠え付かれても「あらぁ~ごめんなさいねぇ~」とリードを伸ばされる行為(ね、うちの子可愛いでしょう、可愛がってあげてよ、ホラ)は、この母親の「どうよ、うちの双子可愛いでしょ、ホラ見てよ」の思考背景とダブるのである。

犬好きの思考背景 その2

2018年03月19日 06時41分28秒 | 日記
 「あ~ごめんなさいね~」と言う言葉は、謝るための言葉ではなく、どうもなにかのきっかけの言葉じゃないのかとも思えたのである。
 悪いと思ったら、犬を叱るだろう。またリードを引いて足早にこちらから引き離すだろう。でもそんな仕草はまったくなく、むしろこちらにその吠えている犬を近づけようとも思える仕草だったのである。しかもご丁寧に「満面の笑み」なのである。笑顔で謝る人に謝意が本当にあるのであろうか?

 たぶんこれは「あ~ごめんなさいねぇ~(でもうちの子可愛いでしょう? ねっ、ちょっと可愛がってあげてよ)」という意味があるのではと思ってしまった。
 時と場合によっては犬を可愛がることもある。でもこの状況では犬を可愛がるなどという感情よりも、「飼い主さん、ちょっとあなた勘違いしてない?」という気持ちの方が強かったのである。

犬好きの思考背景 その1

2018年03月17日 05時41分11秒 | 日記
 先日、久しぶりにジョグに行った。ちょっと足の筋力低下を自覚していたので、坂道のあるところで「坂道ダッシュ」をしたのである。もう息はゼーゼー、足はプルプルで散々だった。
 坂の上で、両膝に手をついて中腰で「はぁはぁ」息を整えていた所、急に「うう、ウワンワン」と犬に吠え付かれてしまった。びっくりして見てみると、そこには初老の女性が連れた散歩の犬であった。どうも自分が息を整えていた息遣いに反応したようである。
 あまりにも突然だったので「あぁ、なんだぁ~びっくりするなぁ~」と言ったところ、その初老の女性は「ニコニコ満面の笑み」で「あ~ゴメンなさいねぇ~」と発したのである。
 とても謝意のあるような態度ではないのである。犬は尚も吠えながらこちらに向かって飛びかかろうとリードを目一杯引っ張っている。
 でもこの初老の女性はリードを手繰り寄せるつもりは毛頭ないようである。むしろそのリードをこちらに伸ばそうとするようにも見えた。

アンビリバボー その4

2018年03月16日 05時30分40秒 | 日記
 救命されたという感動秘話仕立ての脚色のために「現場にたまたま医療従事者がたくさんいました」・・・それがよかったのであると誤解される可能性である。
 過去20年も前から一般市民が心肺蘇生を行うことで救命率が上がるのだと「市民による心肺蘇生」の啓蒙をおこなってきた。最近ではようやく市民が参加してすこしずつ「心肺蘇生→医療従事者ではなく市民が行うもの」というイメージが定着しつつある。
 ところが今回のこの脚色では「医療従事者がたくさん現場にいたからこそ救命できた」という誤ったイメージを植え付けかねない。これはいままでの心肺蘇生普及の機運に一挙に水を差すものである。この救命されたという感動場面に自分ですら危うく騙されるところであった。
 一般のかたがこれを見たら「やっぱり現場に医療従事者がいないと助からないのよね」「一般市民は心肺蘇生なんてしなくていいのよ」「一般市民が心肺蘇生しても助からないの」「一般市民は心肺蘇生をしちゃだめなのよ」とまで誤解される可能性がある。
 このTV番組はものすごく罪な脚色をしてしまった。番組制作者はとんでもない脚色をしたと猛省しなければいけない。


アンビリバボー その3

2018年03月15日 06時09分56秒 | 日記
 医療従事者が現場に7名も集まったこと、白バイがたまたま現場に居てAEDが届けられたこと、これらがうまくつながったという奇跡は確かに救命に必要だったかもしれない。

 でもこの奇跡によってたまたま助かった・・にしてはいけないのである。現場に集まったのは医療従事者であっても現場で行なえる行為は「一般市民もできる心肺蘇生」である。
 別に医療従事者でなくてはできないものではない。これは市民が普通に行うべきものである。
 そして大会関係車輛が最初に到着した時に持参した救急セットはAEDではなく「救急箱」であったというシステム不備・・・これは許されるべきことではない。
 救命できたことを感動的に脚色してしまったため、陰に隠れた大会のシステム不備である。これはきちんと検証すべきであった。またこのストーリー展開だと「ああ医療従事者がたくさん集まってよかったね」になる。これも誤解の種である。


アンビリバボー その2

2018年03月14日 06時23分42秒 | 日記
 マラソン大会での参加者の心肺停止はこれは一定の確率で起こりうる。これはもうこのマラソン大会ブームになってからすでに明らかな事実である。ということは大会主催者はいかにしてこれら傷病者に遅滞なく(1分遅れれば10%救命率は累積で低下していく)、かつ居合わせた一般市民(ランナー)がすぐに蘇生に参加できる体制を整えて、そしてすぐにAEDが現場に到着できるようなシステムを作っておくことが主催者の義務となる。これなくしては救命は不可能である。

 ということでこのアンビリバボーの脚色はいけないのである。たまたま一人二人とランナーの中から看護師や医師や救命士が集合したというこの「奇跡」が、そして中々AEDが到着しないので白バイの警官に依頼してAEDを探し届けてもらったという「連携」が・・・これらがつながったからこそ救命できたと(事実なのであるが)強調されていた。

 この救命されたという事実をたまたま幸運な出来事が積み重なったという奇跡にしてはいけない。それを脚色して強調してもいけない。視聴者はああ幸運が積み重ならなければ助からなかったと誤解してしまう。
 これがいつどこで傷病者が発生しても、居合わせたひとが救命手当に参加して、すぐ手元にAEDが準備できているような大会システム作りにしなければならない。
 これは美談ではなくシステム不備を糾弾しなければいけないのである。