吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

責任の取り方 その3

2016年01月30日 06時27分24秒 | 日記
 その人の世の中への寄与度よりも公序良俗を維持するほうが世の中では評価されると書いた。そのまんま東氏が宮崎県知事時代に「一番怖いのはスキャンダルである。honey trapには気を付けている」といっていた。彼は県知事時代、以前の知事よりも注目を集め業績を上げた。しかしhoney trap一発で失脚することも十分理解していたのである。彼は、あるTV番組で「コンビニのアダルト本は目を向けるとしても3秒以内が限度」といっていた。それ以上、見つめたらスキャンダルになりかねないと、そこまで言っていた。
 さて今回のハーフタレントBと「GスのKみO女。」のボーカルとの不倫事件である。彼は先日、ライブでファンにコメントした。数十秒絶句してから「これからも僕は音楽を作り続けるので~よろしくお願いします」と言った。それに対し観客は大歓声でそれを受け入れた(ように見えた)。・・・ん~ん、まっ、まぁいいっか、とは思ったものの、ここにいた観客は通常の世の中にいる住人ではないのだろう・・・とも感じた。通常の世の中では本来彼は責任をとらなければいけないのである。


責任の取り方 その2

2016年01月29日 06時02分15秒 | 日記
 世の中に対して、生産性に寄与したり公益に利点をもたらしたりする個人の能力、技能は重要なものである。しかし個人にかかる私的な問題はまさに個人的なものであり世の中に与える公益性とは別のものであると自分は考えていた。ところが世の中の個人の処し方とはそうではない。今回の(今回とかいたが、太古の昔から)どんなに優れた業績があろうともこのような私的スキャンダルがあれば失脚するのが(させられる)のが常なのである。つまり世の中の流れとは、いかに業績をあげいかに世の中に寄与したということを評価する加点評価主義ではなく、反社会的、反道徳的な事を一つでも成したら減点していくという減点評価主義なのであると言わざるを得ない。これは理不尽な評価法だと思うのだが、世の中の常識として、「これで」失脚していった有名人、著名人、歴史上の人物は数多いのである。あっ、でもこれを理不尽と思ってはいけないのである。前言撤回・・・。

責任の取り方 その1

2016年01月28日 05時50分37秒 | 日記
 最近の芸能界での出来事。人気女性ハーフタレントBと人気バンド「GスのKみO女。」のボーカルの不倫事件は記憶に新しい。
いつも思うことである。その人の社会に対する貢献度というものは、私生活の個人的問題とは別だと自分は考えている。つまり政治家などで実力があり社会に対してよい仕事をし世の中に貢献している場合は、ぜひその仕事を続けてほしいと思うのである。しかしながら私生活でのスキャンダルというものを一つ起こしただけで問答無用に政治生命に終止符が打たれてしまうのである。
昔の禁煙パイポという禁煙フィルターのTV-CMでは「私はこれでタバコをやめました」にひきつづき「私はこれで(小指をたてて)会社をやめました」と演出されていた。また過去、宇野総理大臣も女性問題で叩かれて総理を辞任するに至った。このCMの会社員や宇野総理がどのように社会に貢献したかは別にして、私生活の問題にもかかわらず仕事(会社)を辞めるということで社会的な責任をとらされるのがどうやら世の中の常なのである。

同級会二次会

2016年01月27日 06時14分02秒 | 日記
 大学時代、自分はバンド活動をしていたが、卒業後はほとんど音楽に触れることなかった。そんなこんなで10年くらい前よりまたチョコチョコと音楽活動も再開したのであるが、それでも個人的に楽しんだり自分で多重録音したりする程度。もちろん一切のステージ活動やらセッションすらなかったのである。
 ついこの間、高校時代の同級会があり参加したが、中にH君という高校時代から凄腕のギタリストがいる。彼は今、女優の根岸季衣のバンド(http://mame-m.sakura.ne.jp/bluesroad/)でギターを弾いているプロである。

 高校時代は彼とはバンドを共にしたことはないので、実は今回が初めての彼とのセッションである。 と、同時に、二次会での流れではあるが自分、卒業後久しぶりのステージということになる。(写真左側がH君)

 今回、unpluggedでアコースティックではあったがバチバチのギターバトルを・・・と言いたいところであるがやはり彼はプロ。レベルが違う。
写真はどうやら自分が歌って(歌わせて頂いて)いるので、おそらくCreamの ”White Room”だろう。
 その他、クロスロードやらスローブルースなどお付き合いさせて頂いた。
 プロとの共演・・・、ムフフ、楽しいひと時であった。

食品廃棄物横流し事件 その4

2016年01月26日 06時29分46秒 | 日記
 つまり医療廃棄物は最終処分場で処理されるまで排出者の責任なんである。途中に介在する業者等に料金を払っても責任はこちらにあるのだそうだ。委託業者や運搬業者が途中でその廃棄物をどこかに違法投棄しても彼らに責任が問われるのか問われないのかよくわからんのであるが、とにかく排出者が免責されるわけではない。そのゴミの中に「吉田クリニック」と分かるものでも入っていたらうちは逮捕されるんだろうと・・・と考えるとぞっとする。まさに信ずるものは馬鹿を見るということになる。行政は産廃業者に随分慮っているのではないかと疑いたくもなる。
 さてそれで今回の食品廃棄物の横流しであるが、食品卸業者ばかり矢面に立っているようである。この廃棄物の廃棄料金をとって、そして今度はそれを食品卸業者に売りつけた「濡れ手に粟」の産廃業者であるが、あまり表面には出てこない。マスメディアのいつもの「夜討ち朝駆け突撃取材」がないようだが、これは遠慮しているのであろうか? 
またそれから最初に廃棄物を出したCoCo壱番屋は何故「排出者責任」を問われないのであろうか? 医療廃棄物の世界であったらCoCo壱番屋は被害者ではなく加害者になるのである。だとしたら食品廃棄物の世界は医療廃棄物の世界よりも随分、甘いなーと思うのである。どちら世界であっても健康被害をもたらすじゃないかと思うのであるのだが。まさに百鬼夜行である。

食品廃棄物横流し事件 その3

2016年01月25日 06時26分56秒 | 日記
 医療廃棄物についての締め付けはこればかりでなくもっと厳しいのである。
 きちんと誰の手を経て医療廃棄物が最終処分場までいったのかを確認する書類(マニフェスト)の管理だけではだめなのである。
 
 実は都の医療廃棄物講習会に何回か参加したが、それだけではなく、実際、「自施設からでた廃棄物が最終処分場にまでいっているかを現場に行って確認すること」と言われた。

 これを聞いて目が点(・_・)になった。唖然である。
 いちいち出した廃棄物に付き添って最終処分場にまでついていけというのだろうか? 

 何だか馬鹿々々しくて質問する気にもなれなかった。こちらは廃棄料金を払い委託業者にお願いをしたのである。通常、料金の授受ととも責任も移譲されるものと思っていたが、この世界ではそうではないということはわかった。そのためマニフェスト制度も導入されているのである。

 しかしそれでもだめで、なおも自分で処分されているかを確認をしなさいというのはどうも納得がいかない。
 これが行政の言う「排出者責任」ということらしいのである。

 何だか、料金をとって不法投棄した業者よりも、ゴミを出した排出者が悪いのであるという印象である。

食品廃棄物横流し事件 その2

2016年01月23日 05時47分36秒 | 日記
 実は医療廃棄物も産廃業者に委託して処理をしてもらっている。
 もちろん針やガラス破片などの危険物や感染性廃棄物があるのでその処理には注意が必要である。

 ずいぶん前であるが、この廃棄物を産廃業者が山の中に放置したり、あるいはそれが問題になると、東南アジアに持って行って捨ててくるという事件が起こったのである。

 そのような事件が続いてから医療廃棄物への締め付けが厳しくなり、きちんと処分場にまで「誰の手を経て」行ったのか、それぞれの受け取り業者が発行する伝票(マニフェスト)を医療機関で管理することが義務付けられたのである。
 
 つまり医療機関が廃棄物を業者にだして、それが運搬業者にわたり、最終処分場につくまでには最低でも3~4枚のマニフェストが発生することになるが、それを集約して管理することになっているのである。

 そして年に1回その廃棄物内容と廃棄量(トン)を記載した書類を作成し6月30日までに都に提出することになっている。つまり我々の世界における廃棄物の扱いはずいぶん厳しいのである。

食品廃棄物横流し事件 その1

2016年01月22日 06時28分36秒 | 日記
 CoCo壱番屋が廃棄した食材を、産業廃棄物業者が廃棄せず食品卸業者に横流しした事件である。現在かなり問題になっているが、この食品卸業者が他社へ転売し、そこがまた他社へ転売するという連鎖を繰り返し、最終的には最終消費者にまで到達している。
 さてこれで今は最初の食品卸業者が盛んに叩かれている。どうやら食品衛生法違反に問われているらしい。でも一番悪いのは廃棄料をCoCo壱番屋からとって、それでその廃棄物を食品卸業者に売りつけた廃棄業者である。
 つまり二重取りしているのである。ところが今回この産廃業者は表立ってあまり出てこないのである。
マスメディアはなぜあまりこの産廃業者の取材をしないのか?
 TVで毎日出てくるのは食品卸業者(Mフーズ)の実質経営者という親爺がいつも囲み取材を受けているものしか見えてこないのである。
 不思議だ。

T先生のこと

2016年01月21日 05時53分30秒 | 日記
 この前の日曜日、内視鏡学会の専門医更新のため更新セミナーに出席した。

 浜松から帰京したのだが東京駅の新幹線ホームはかなりの人出。休日夜のホーム上は行きかう人の多さで目まいがするほど。
 ・・・とそこで、本当にバッタリと昔の同僚の先生と遭遇(こんなことはあり得ないぐらいの確率の低さだと思う)。もしこれが憧れの女性だったら「こんな確率で、また出会えるなんてきっとこれは神様のいたずらなんだと思う。これを機会に僕たちはうまくいくんじゃないかと思うんだけど・・・」なんて言うのだろうが、なんせ相手はむくつけき男性の救急医である。

 彼は、年下であるが自分が尊敬している救急医の一人である。いい意味でオタクなのであるが、オタクこそがその分野のcutting edgeに乗っているわけであり、彼も現在S県の高度救命センターの部長として辣腕をふるっている。

 彼のもう一つの趣味はマツダのミニカー収集である。日本で3本の指に入るくらいであり、すでにショップをひらける位の数を収集しているのだ。

 それで、おそらくは職権乱用wwして、マツダのドクターカーを作成し病院の売店にも置いているらしい(何と売れ行き良好であると)。
 駅の慌ただしいホーム上で彼からその貴重なミニカーをいただいた。

 彼の将来の夢はミニカー屋のオヤジになりたいとのことであるが、それはそれで肩の力が抜けていてとてもいいのである。

 この世界では、ちょっと有名なT坂N樹先生である(どの世界だ?)。

世知辛い世の中? その4

2016年01月20日 06時25分05秒 | 日記

 確かにいまだにAEDの使用方法が校内に浸透していなかったことも問題ではあるが、このような訴訟があると善意の救助者が見ず知らずの傷病者に手を差し伸べるという善意の行為が委縮してしまうだろう。
善行をなした人よりも、見て見ぬふりをしてその場を立ち去ったほうが得であるというのはどう考えてもおかしいと思う。
  
 我々がAEDを市民に普及させようとした15年くらい前であるが、この時すでにいろいろ応急救護者への法的擁護が議論されている。日本版「よきサマリア人法」を成立させなくとも「緊急事務管理」があるので、救護に参加した人は、結果の如何にかかわらず法的に擁護されていると結論がでている。

 それにもかかわらず提訴されてしまうというのは、これは弁護士が自分の功名を目的とした「焚き付け」なのかと勘ぐってしまう。提訴されるだけで一般人の「善意の行為」は委縮する。この事例は後世まで「知らんふりしたもの勝ち」という汚点を残しかねないのである。

 ここ20~30年かけてようやく実りつつある「倒れている人に声をかけて救助する」という機運がこの事例で一挙に萎みかねない。
 救命できなかった方には冥福を祈る。
 では今後どうしたらこのような人を救命できるようになるのかは、自分は「訴訟」という手段ではないと思うのだが・・・。
 つまりは今後より一層の心肺蘇生講習の展開が重要であり、一個人、一施設の落ち度としてペナルティを求めるのはどうも方向が違うのではないかと思う。
 哀しくなる。

世知辛い世の中? その3

2016年01月19日 06時50分45秒 | 日記

『AED使用遅れ大学生死亡 両親が大学側に賠償求め提訴』
AEDがそばにあったのに、使用しなかったため、両親が7800万円の賠償を提訴している。

 これは明らかに宜しくない。
大学構内とはいえ、救助者は一般市民つまり「善意の通行人」である。通りがかりの学生(一般市民)が「善意」で救助に参加し、その過程でAEDを使用するのである。
 善意の通行人がAEDを使用しなかったとして賠償責任を求められたら、だれも救助に参加しない世の中になってしまう。

 大学側が被告となっているらしいが、大学側に学生全員に対しAEDの使い方を指導する義務があるとも思えない。
 また心停止であったとしても、その時にAEDが必要な心電図波形であったかどうかは証拠がない。これは原告側が証明する必要がある。

 AEDがどんな時も有効であり「AEDさえつかえば助かったはず」という考えはAEDが何たるかを知りえていないし、まさに誤解である。

 誤解に基づいた提訴は極めて遺憾と思われる。この担当弁護士こそ、心肺蘇生講習に参加してまずAEDが何たるかを学んだほうが良い。

世知辛い世の中? その2

2016年01月18日 06時00分30秒 | 日記
東日本大震災の時の事例。

『震災救助で消防と和解 津波逃れた後のボート転覆に責任なし』

詳細は不明なるも、救助活動中に被災者のボートが転覆したのを消防の責任と提訴したのであろう。
 この件は、遺族が6000万円の損害賠償を求めたが賠償金を支払われないで和解が成立したそうである。

 これも消防を『救助が義務』として、助けられなかったことを糾弾したのであろうか?
 「助けて当たり前、もし被災者が助からなかったら消防の責任」という考えなのか?
 詳細不明なので正当なコメントは難しい。

世知辛い世の中? その1

2016年01月16日 05時41分29秒 | 日記
 最近ネットで見かけた話・・・。

 『2013年12月に富士山頂付近で起きた滑落事故で、静岡市消防航空隊のヘリコプターによる救助中に落下し、翌日死亡が確認された京都市の特別支援学校 教諭の男性=当時(55)=の遺族が8日までに、救助活動に過失があったなどとして、静岡市に慰謝料など約9170万円の損害賠償を求める訴訟を京都地裁に起こした。静岡市が同日発表した。
 提訴は15年12月1日付。市によると、男性は救助中につり上げ器具が外れ、地上約3mの高さから落下した。消防は再度の救出を試みたが、気流が安定しないなどの理由で断念し、翌日県警に救出された。
 訴状によると、原告側は(1)救助器具の装着が不適切だった、(2)男性をヘリ機内に収容する際の確認が不十分だった、(3)落下後に救助を継続しなかった、などと主張している。
市消防局の事故調査委員会は14年3月、検証の結果「ミスは認知していない」との見解を示した。
 田辺信宏市長は同日、「提訴は誠に遺憾。消防職員はできる限りの救助活動を行ったと認識している」とコメントを出した。第1口頭弁論は2月5日に開かれる。』


原告側は「消防の救助活動は義務」(助けて当然)としてとらえたので提訴したのであろうか? 警察や消防機関の活動は公務であるため救助費用を被災者に請求することはない。彼らは商売で(対価を受けて)救急救助活動をしているのではない。
ただ彼らの身分を一般市民のような「善意の通行人」の括りとして判断されるかどうかは難しい所である。所謂、緊急事務管理が適用されるかがポイントだが・・・。

でもとにかく現場の隊員も自らの救助活動について提訴されたのではやる気をなくすだろう。

秋篠宮さまのスキー旅行 その4

2016年01月15日 06時58分32秒 | 日記
 今ではこんな「オイこら」式の威嚇するような交通規制はないと思うが、当時は何だったのであろうか? この先導者はたぶん地元のスキー学校の指導者でもあったのだろう。高貴な方を警護するという緊張感から怒鳴りまくってしまったのなら理解はできる。しかし高貴な方を警護している自分のことを何か特権階級的な仕事に従事しているというつもりでいたなら、それは大きな勘違いである。また一緒に滑ってきたご学友達も自分に敬意が払われていたと思っていたとしたら、それは哀しいことである。
 有名人の周りで仕事をしていると自分も有名人になったのと勘違いしてしまう。それは自分の患者に有名人や芸能人でもいると、まるで自分が名医になったように錯覚してしまうのと同じであろう。あくまで自分は自分・・なのである。特にうちのクリニックには有名人や芸能人はいないけれど、自分も足元をきっちり見据えて分相応に診療しなければと新年早々感じたのである。

秋篠宮さまのスキー旅行 その3

2016年01月14日 06時18分24秒 | 日記
 宿にかえり、このことを宿の人に話したら、「そういえば陛下(昭和天皇:当時)の2番目のお孫さんが来られているという話を聞きました」と言った。秋篠宮殿下である。
自分が「見学」させられた一群のなかにきっと殿下がいたのである。もちろん顔も知らないしゴーグルをしているので誰が誰だかわからない。「その他大勢」はきっとご学友なのであろう。殿下であればそれでいい。べつにゲレンデを譲ることなど何とも思わないし、むしろ自分は「国民の義務」と思っているくらいだ。
でもご学友に道をゆずる理由はない。彼らは何者なんだといいたい。もし自分が学習院に入って、ご学友になっていれば自分もこの「ゲレンデ規制の栄誉」に服せたのである。このご学友と自分の違いは何なんだと思った(ま、自分の普段の行いからして、とてもご学友にはなれないのは分かっているが)。
また同時に物凄い形相で怒鳴りながらゲレンデを空けろと威嚇したこの先導者は一体何様なんだと今更ながらに疑問に思う。