吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

所謂、火事場泥棒

2016年04月30日 05時58分31秒 | 日記
 震災後に、他所へ避難した人の空き家に空き巣に入る事件が多数発生している。
 人の不幸に付け込んだ卑劣な事件である。タレントのコロッケは「悪魔の仕業」と評した。
 ビートたけしは「射殺しろ」と過激にコメントした。ビートたけしは昔から毒舌ではあるが、それを笑いに替えてしまう表現力がある。本当に問題となるような辛辣な表現形式は微妙に避けて話をするのが上手である。しかし今回は単刀直入に「射殺しろ」である。今回だけはかなりダイレクトな表現であることに驚いた。それだけみんながこの「火事場泥棒」に対して怒りを感じているのであろう。
 
 東日本大震災では人のいなくなった商店から略奪されることがほとんどなく(本当はどの程度だったのかは定かではないが)、諸外国から「被災地では略奪が当然起こりうるが日本ではそのようなことがない。これは驚異である」と報道された。
 あの時は日本人として形成された社会のモラルに胸を張れたのであるが、今回の熊本地震では一体どうなってしまったのだろうかと残念な気持ちになる。

 最近、目を覆いたくなるようなひどい事件も多い。しかし今回の「震災空き巣」についてはどんな凶悪犯罪よりも気分が悪くなった。

 支援を表明する有名人になんでもかんでも噛みつくネット民は、今回のこの「震災空き巣」には噛みつかないようである。
 偽善でも売名でも何でもいいが支援している人たちに噛みつかないで、この「震災空き巣」にこそ噛みついてくれればいいのにと思うのである。
 あっ、まさか・・・、この噛みつきネット民は震災空き巣団の一味ではないですよね・・? まさかね。

売名行為

2016年04月28日 06時02分07秒 | 日記
 芸能人、有名人が私財をなげうって現地で炊き出ししたり、多額の寄付をしたりすることは東日本大震災の時でもよくおこなわれた。
 歌手の杉良太郎が何度も現地に行って炊き出しする映像はTVでも見てきた。彼はその時にネットで「売名行為」だとか叩かれた。でも彼は「売名でもなんでもいいです。でも支援は続けます」と言っていたらしい。もともと全国的に有名である彼を今更「売名行為」だと揶揄するほうもトンチンカンである。
 
 支援、応援する人には揶揄でなくエールを送るべきであろう。米国では有名人や資産家が支援することでそれが揶揄されることはないらしい。建物がその寄付で建てられたならその寄付者の名前が冠せられた建物名にもなっている。揶揄しているネット民にとってはそれは許されないことなのであろうか?
 今回も種々の有名人が支援、応援、寄付などをしている。どんどん派手にそのことを宣伝してもよいと思う。売名行為?結構である。偽善?結構である。支援することこそ最優先だと思いますが。

 こんなこと書くと「じゃあ、お前は何かしているのか?」と言われそうである。でも支援とは、支援するという意思があって、できる人ができる範囲のことをすればいいのであるから、できない人(しない人)がいても何らせめられるものではないでしょう。
 もっとも自分は有名人ではないのであえて「こんな支援をしました」と表明するつもりもありません。 あしからず。

オスプレイへの非難

2016年04月27日 05時53分00秒 | 日記
 米海兵隊のオスプレイが救援物資を熊本に運搬したようである。例のごとく反日メディアは「政治的実績作り」「オスプレイを持ち出す必要があったのか?」などと否定的な記事を書いている。現在、困っている人を救うのに手段は問わないはずである。この非常時においてそれをとやかく言うのは非常識だと思うのだが。
 また芸能人や有名人が「〇〇万円寄付します」とネットにアップすると「売名行為だ」とか「偽善」、あるいは「寄付するなら黙って隠れてしろ」とかいう意見が出て炎上するらしい。彼らは芸能人であるので目立ってナンボの世界。売名行為でもなんでもいいから多額(多額でなくともよいが)の寄付金だしたらそれはそれで素晴らしいことである。何でpositiveに温かく考えられないのかと疑問に思う。日本人とは感謝の気持ちを忘れない国民だと思っていたのだが。

エコノミー症候群 こんな病気あるの?

2016年04月26日 05時48分13秒 | 日記
 被災地では車の中に寝泊まりして、亡くなって発見された方もいる。狭い車の中で長時間同じ姿勢でいると下肢に静脈血栓をつくりそれが肺につまる病気(肺動脈血栓症)である。
 でもこんな標記のような病名はない。 それを言うなら「エコノミークラス症候群」だろう。

 近年これも「ロングフライト症候群」にしようとか名称変更の動きができているが、それにも逆行するようなマスメディアでの連呼である。このまま「エコノミー症候群」は論外としても「エコノミークラス症候群」で定着されたら恐ろしい。
 もともとは飛行機内での出来事として名前を付けたのであるが、そこからがおかしいのである。結局は「肺動脈血栓症」なのであるからその病名でよかったはずである。
 同じ病気でいくつも病名がつくのは好ましくない。エコノミークラスもロングフライトもいらない。肺動脈血栓症で定着してほしい。

 ところで昨日来た患者さんは「昨日車に長時間乗っていたら気持ちが悪くなった。これは『エコノミー症候群』ではないのか?」と仰る。はぁ? いよいよ誤った病名で定着しそうな勢いである。
 それにしても、患者さん・・あなたはただの「車酔い」なんですけどぉ~。

熊本地震 続き

2016年04月25日 06時14分51秒 | 日記
 TVの情報バラエティ番組は、情報番組ではなく、バラエティ番組なんだそうである。つまり情報そのままの伝達ではなく台本にて脚色されて送り届けられるものであると聞いた。情報の真偽のほどは不確かであってもいいらしい。ということは「これ以上大きな地震はありません」といって、その後に本震が来たとしてもそのコメントに責任はないということになる。
 しかしやはりこのコメントを信じて行動した人には迷惑なことであろう。今回の地震のパターンが普段の地震と異なるのだと言ってしまえばそれまでである。しかしなんだかどうも違和感を覚えるのであるが。

 例えば医療関係者とやらが何かの病気のコメントをしたときに「オイオイ、嘘言うなよ、それは貴方の勝手な思い込みでしょ?」と疑問に感ずることも多い。なんだかコメンテーターとして出てくる「専門家」というのも胡散臭いのである。
 ・・・といいつつ朝や昼の情報バラエティ番組はよく見ている。結局彼らの番組作りの策に見事に自分は嵌っているのであるが。

 さてこれからはツツジの季節ですが、ツツジの花を見ると大学病院に勤務していた時を思い出します。この季節、根津神社ではつつじ祭りが行われていました。ここでの屋台のトムヤムクン・ラーメンが旨かった。ほぼ毎日食べていました。懐かしい。しかし被災地ではまだ十分食料が行き渡らない様子・・・。早く復旧してほしいものです。

熊本地震

2016年04月23日 05時26分46秒 | 日記
 桜の季節も終わりましたとかなんとか季節の挨拶をしていたところ、いきなりの地震です。まだまだ余震も続き救出されていない被災者の方もおられるようです。
 なんとかライフラインの一刻も早い復旧を願っています。

最初の地震直後のTVではいわゆる地震専門家という方がTVで「落ち着いてください。現在起こっているのは余震ですので、最初に来た本震よりも大きなものは来ません。おちついて行動してください」などと言っていた。
しかし翌日の夜中には最初の地震を上回る揺れの地震に襲われたのである。この2回目の地震で倒壊した家屋に挟まれて亡くなられたかたもいる。
この専門家の言ったことは結果的に間違っていたことになる。言うに事欠いて「こちらが本震です」と・・・。しかし、「これより大きな地震はない」ということを聞いて家に戻られ受傷された方がいるとしたら罪なことである。

日清カップヌードルのCM中止

2016年04月22日 06時05分49秒 | 日記
 そのCMとは銅像みたいなビートたけしが学長役で、矢口真里、小林幸子、新垣隆氏、ムツゴロウが先生役を務めて、自虐ネタを繰り出すCMでした。面白く見ていたがわずか1週間で放映中止。なんだか現代のSNS時代は非寛容だと感ずる。
 「ブラックジョークでニヤリとさせてもらった。これもまあ、いいでしょう」的な余裕が感じられないのである。挑戦すれば揶揄される。失敗すれば叩かれる。ネット上では否定的な意見をよくみかけるが、それに同調する拡散速度も速い。そしてその盛り上がりに個人や一企業が負けてしまうのである。
 
 それにしても矢口真里が「危機管理の権威」の准教授として登場し、教壇から「二兎を追うものは一兎をも得ず」と学生に教えるという設定であったが、彼女は「一兎もえていない」のではなく「一兎は得た」のである。ちょっと実状とは異なっているのが微妙なところ。
 新垣氏はゴーストライター作曲事件でカミングアウトしたのだが、自身のキャラクターにそれを織り込み見事に芸能界で有名になった。いわば「勝ち組」である。

 いずれにせよこの世界では失敗転じてとりあえず「這い上がって」きているのである。このCMが放映中止となる理由がよくわからん。配役もシナリオ自体も面白いと思うのであるが・・・。

認知症男性の徘徊 その7

2016年04月21日 05時27分32秒 | 日記
 今回の事例も、おそらくはここの方面本部の事後検証委員会にあがってきているはずである。
 そしてそこでどのような検証結果がでたのかは知らないが、システムを変える必要のある結果がでれば、その結果は東京消防庁MC協議会にあげられてそこで最終判断が仰がれるという流れになるはずである。
 つまり現場で問題が起こった時に、現場の隊員さんを守ってあげることができるかどうかは、情報隠蔽ではなく、すでに行われているであろう事後検証結果も含めた記録開示なのである。

 実はこのようなトラブルから隊員さんを守るためのものがMCである。
 そのために折角つくったシステムであるのだが、これが活用されず「開示しません」と蓋をされたなら、また医学的監修のなされていない病院前救護の時代に逆もどりしてしまうことになる。

 「プライバシーに関わることは開示しない」という文言に拘泥するのもよいが、本質を見据え、もし組織や職員をまもりたいのであれば、口を閉ざすのではなく、情報開示してこれだけ外部の人間をいれてのMCを行っていますよとアピールしたほうがよい。

 MCの中の事後検証という胃に穴が開くような書類検討を3年間もさせられた自分にとってMCというシステムがうまく活用されていないことは寂しい限りである。

認知症男性の徘徊 その6

2016年04月20日 06時00分56秒 | 日記
 プライバシー保護と称してこのまま情報隠蔽することの利点は何もない。ただコンプライアンスを例外なく遵守しましたよという組織の自己満足だけだろう。ここは搬送記録表、不搬送同意書などすべてのこの認知症傷病者に関する記録を提示すべきである。おそれることはない。そのためにメディカルコントロール(MC)という制度をつくったのではないだろうか?
 
 これは15年くらい前に病院前救護(殊に消防救急)において、彼らが現場で判断したり、処置をしたりすることの内容を保証してあげるシステムが作られたのである。自分もその一部でお手伝いさせてもらった。

 つまり彼らの判断や処置の内容は、医学的な監修がなされ質が担保されているのである。詳細は省くが、今回の問題はきちんと方面本部単位で医師による事後検証がなされているはずである。
 
 実は自分も第5方面本部の事後検証担当医として働いていた。彼らが行なった現場での判断、処置内容を逐一検討し、隊員の判断に問題があったのか、あるいはマニュアル通りに業務遂行したが、それはマニュアルの内容が不都合であったのか、またあるいはとりまくシステムに問題があったのかを検討するものである。

認知症男性の徘徊 その5

2016年04月19日 06時11分12秒 | 日記
 我々医師は民法でも刑法でも業務上知りえた人の情報を漏洩してはならないと規定され、そして罰則規定もある。そのような職務にいる我々に対してですら、東京消防庁は「プライバシー漏えい」にあたるので情報は提供できないと、かなりお願いしても門前払いされることが昔よくあった。
 我々にですらこうなのである。そして今回、この認知症傷病者の娘さんという一個人が「父が書いた同意書と救急記録の閲覧」をお願いしたのであるが、たぶん門前払いどころか一笑に付されただろう。

 しかしながら「プライバシー保護云々」よりも今現実に何が起ころうとしているのか、それを東京消防庁の当該事例の責任者は十分に考える必要がある。当該認知症傷病者の搬送するしないをめぐって、今、現場の隊員さんの判断や行動がこの娘さんによって疑われているのである。このまま情報を開示しないと隊員さんを守ることはできないとは考えないのか。プライバシー保護に名を借りた情報隠蔽は余計に疑われると思うのだが。

熊本地震 お見舞い

2016年04月18日 05時57分51秒 | 日記
 今回の熊本地震にて被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。
 まだまだ余震等が続きますが、一刻も早い復興を祈念いたしております。

 昨日、一昨日と大阪で開催されておりました学会に出張してきました。特に大分や熊本在のDr.の発表などでは「すぐに帰郷したいので」という理由で発表の順番が一番最初に繰り上げになっておりました。
 きっとすぐに病院にもどってそのまま院内業務につくのでしょう。発表される本人も気が気ではなく発表どころではないと思います。

 熊本のある病院では病院機能がマヒしそのまま入院患者さんを他県の病院にお願いしたということです。現場の方々のお気持ちはいかばかりかと思われます。

 とにかくまずは二次災害がでないことをお祈り申し上げております。

認知症男性の徘徊 その4

2016年04月15日 05時15分32秒 | 日記
 東京消防庁は、自分が過去救急医療をしていたころもそうであるが、鉄のカーテンと思えるほどの情報統制をしていた。統制というのは絶対外部にはどんな情報でも流さないという姿勢である。
 我々救急医療関係者には患者さんの情報供与をよく求めてくる。しかしこちらから、そのことに関しての事後経過を尋ねても絶対話してくれない。つまり情報共有ではなく「一方通行の情報提供」なのである。当時随分困惑したものである(今では少し改善したかもしれないが)。
 消防庁には当時、仲の良い(と自分は思っていたがきっと自分は嫌がられていただろう)職員は何人もいた。個人的にはみないい人ばかりである。ところが情報拡散の場面になると人が変わったように表情が変わった。

 自分がTV番組に出演した時のことである。心肺蘇生についてのテーマであったが同時に東京消防庁の担当者も出演した。その出演する担当者はもちろんTVで喋るのであるからかなりのエキスパートである。しかし控室にはその担当課の上司もいたのである。後で聞いたら、担当者の番組内で喋る内容が一言一句上司によって事前に検閲されていたのである。当時から部外での発言は随分と統制されていたようである。

認知症男性の徘徊 その3

2016年04月14日 06時25分04秒 | 日記
 救急隊員が現場に出場し、傷病者を搬送するかどうかの判断は、傷病者に意識がなければ医療機関に搬送せざるをえない。
 もしも「搬送の必要はない」と本人が申告し、かつ同意書にもサインができるのであれば不搬送ということになる。
 さてこの事例は認知症の傷病者である。自身の状況・症状判断を的確にできなかったにせよ、現場の隊員が「本人の不搬送希望」を無視して無理やり医療機関に搬送することはできない。

 相手が認知症患者とはいえ、そこまでの自由裁量権は大昔と異なり医師にすらも認められてはいない。ましてや救命士であってもそれをしてしまうと「本人の意向を無視して横暴にも搬送してしまった」とマスメディアから叩かれる世の中なのである。

 本事例では「自分で帰宅できますよ」とまで本人は言ったらしい。そうまで言われてしまえば不搬送であったことはやむを得ないものと捉えるしかないのである。彼らは逐一、救急搬送基準によって動いているのである。基準をこえてまでの自由裁量権は認められていない。

認知症男性の徘徊 その2

2016年04月13日 06時31分52秒 | 日記
 認知症の父親を想う娘さんの気持ちは痛いほど分かる。本人の「不搬送同意書があるので搬送しませんでした」ということには到底納得できないのであろう。

 しかしこれは今回、この患者さんの一連の流れにおける「出口」の部分のエピソードである。
 ここに至るにはいくつものエピソードがあったはずである。「入口」部分ではこの認知症の患者さんはまず自宅で家族が介護することはできなかったのか? いろいろな家庭事情もあったのかもしれない。  きっとこの娘さんは「断腸の思い?」でデイサービスに通所(あるいは毎日通所という形にしてほぼ1か月在所させることもある)させていたのだろう。
 そしてこのデイサービス施設から行方不明になったとのことで、施設での管理上の問題は娘さんは疑問に思わなかったのであろうか? 

 「家庭の事情」や「施設での管理上の問題」などが流れの中にあったはずである。そしてそのあとで、今回の救急隊の不搬送のところに至っているのである。問題点はいくつかあるのであるが何故この「出口」の部分にのみ娘さんがこだわったのか知る由もない。
 救急隊不搬送だけがやり玉に挙がっているようだが、実際の問題はもっと複雑であろう。救急隊不搬送ということだけがスケープゴートにならなければよいが・・・。

認知症男性の徘徊 その1

2016年04月12日 06時25分38秒 | 日記
 この話は以前、このブログでも触れている。以下、4月4日付毎日新聞より抜粋。

 男性は2014年8月19日、横浜市のデイサービス施設から行方不明になり、同21日にJR中野駅近くの路上で倒れているのが見つかったものの、駆けつけた中野消防署の救急隊は搬送せず、同23日に近くの公園で死亡した。東京消防庁は「搬送の必要性はあったが本人が拒否した」として、本人署名の同意書を取り、搬送しなかったことが判明している。男性の遺族は救急記録の閲覧や写しの提供を求めたが、東京消防庁は「死者のプライバシーの保護」などを理由に拒否し、不搬送の根拠とした同意書すら見せなかった。このため男性の長女(52)は個人情報保護条例に基づき開示請求したが、同庁は「あなた(長女)を本人とする情報ではない」として15年7月に却下。却下取り消し請求も東京都が同10月に棄却した。
 東京消防庁の担当者は「他の自治体がいかように扱おうとも死者のプライバシーは守るものだという認識がある。提供した紙が第三者に渡れば死者のプライバシーを傷つけることが想定される」と説明。男性の長女は「父が最後に書いた署名を見たかった。ようやく閲覧できるようにはなったが、なぜ写しを提供できないのか」と憤っている。

 医療問題弁護団副幹事長の五十嵐裕美弁護士は「遺族は身近な人の最期の状況を知る権利があり、医師のカルテは国の指針に基づき提供されている」と指摘。「他の自治体は対応しているのに、都が死者のプライバシーを理由に提供しないのはおかしい。閲覧だけでは書き写しても原本と同じものとは確認できず、裁判などにも使えない」と批判している。