吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

街角あるある その6

2017年10月31日 06時20分42秒 | 日記

●ようやく対向者とすれ違うことができる狭い都区内の歩道をジョギングしていて、イラッとするもの


「ビラ配りのお姉さんにビラを手渡されそうになる時」 

(ま 歩いているのと間違われるほど走るのが遅い自分が悪いのだが、トホホ・・・)

台風

2017年10月30日 05時53分37秒 | 日記
 2週続けての週末台風、皆さんいかがお過ごしだったでしょうか?
 この週末は全国で大雨、強風で、運動会など種々のイベントが中止に追い込まれ「運動の秋」ではなく「台風の秋」になってしまいました。

 ここ十年、夏は酷暑、雨が降ればゲリラ豪雨、また竜巻被害やらが多く台風も一度発生すれば大型が頻発しており、おかしな気象状況が続いています。
 科学的な関連はないと思いますが、度重なる某国の核実験やらミサイル発射できっと地球が怒っているのではないかと本気で思うようになりました。
 あのさかなクンも言っていましたが「海はミサイルのゴミ捨て場じゃない」というのは頷けます。
 世界平和が早く訪れますよう。

インフルエンザ予防接種

2017年10月28日 05時29分26秒 | 日記
 さて今季はインフルエンザワクチンがかなり足りない。そろそろうちでもワクチン接種を開始しているが、いつ在庫が切れることやら・・・。
 毎年なんだか似たような話があるのだが、人によっては接種部位が腫れる人がいる。接種後は揉んだりしないほうがいいし、激しい運動や熱いお風呂にはいると血液循環が良くなるため、発熱したり接種部位が腫れることがある。そのため「赤くなったり痛んだりしたら接種部位を保冷剤で1日3回冷やしてくださいね」とお願いする。
 しかしそれにもかかわらず湿布薬をはったため余計に皮膚が赤くなってくる人もいるのである。なので「湿布薬ダメですよ。氷関係のモノで冷やしてくださいね」とお願いする。

 昨年の話だが、やはり腫れてきたと再来した人がいた。その方曰く
「湿布だめだと聞いたんでひえピタにしたらやっぱりかぶれましたよ」と・・・。
 思わず「これも湿布薬ですよ」といったら「ええっ? ひえピタって湿布薬なんですか? そうとは思いませんでしたよ」と・・・。
 この次から「ひえピタを含む湿布薬すべて」と文言を追加する必要性に迫られている。
 何だか毎年説明文言が増えてくるような気がするのである。

学会出張記

2017年10月27日 05時48分04秒 | 日記
 学会出席のため大阪へ弾丸旅行をした。一昨日の診療終了後、夜の最終便の新幹線で大阪に行った。ほとんど0時前についた。
 そして翌日は早朝セミナーに出席のため朝5時半に起きた。実は朝7時半に始まるセミナーは専門医更新クレジットに必要なものなのである。

 そしていくつか午前中の発表を聞いたらすぐに新幹線に乗り帰京し、午後診から診療を再開した。その日は午前診のみ休診とさせて頂いた。1泊はしたものの「有効大阪滞時間」は6時間程度。慌ただしいとはいえ新幹線でのビールと弁当が最大の楽しみなので至極満足した。
 乗り鉄なのかもしれない。

若狭さん

2017年10月26日 06時11分32秒 | 日記
 今回の衆院選で希望の党から出馬した若狭勝さんが落選した。当初から自民党内で自分の身が危うくなるのを顧みずに小池さんを応援し続けてきた人である。小池さんが逆境にあるときからずっと応援してきたのである。つまり小池人気が出てきてから自分もそれにあやかりたくて後から応援の波に乗ってきた人ではない。

 確かに自民党にしてみれば若狭さんは「裏切者」であり、絶対今回は「若狭を落とせ」と集中砲火を自民党は仕掛けてきたのかもしれない。でも小池さんは若狭さんを守り抜くべきだった。
 
 「若狭と細野は役に立たない」と言って自分が党首になったらしい。でもあの音喜多、上田両議員に対してもそうであるが随分小池さんは義理も人情もない人だと感じた。前回の都知事選では最大限の応援をしてくれた人たちである。

 都民ファースト? それも怪しく感じる。政治はドライな部分が必要なのは分かる。でもそれを有権者に見せてしまったのは最大の敗因である。彼女のシンパはいなくなるだろう。
 時代も手法も違うが田中角栄氏は、ものすごい人望と人間的魅力があった。随分温度差が違うようである。
 
 それにつけても、小池さんは都知事選の時、石原さんの「年増女の厚化粧」で都民を味方にした。今回は「排除します」と言う言葉で都民を敵にしたのである。たった一言でも失言は怖いなと感じた。

最高裁裁判官の是非 その3

2017年10月25日 17時12分30秒 | 日記
 この介護保険申請書の下の方に「介護保険での審査情報を他に提供しても良いという方はサインしてください」と言う欄がある。申請者は何のことか分からん場合が多い。「分からない時にはサインしないことが多い」という人間の心理を利用しているのである。
 ここにサインがないとケアマネにも医療機関にも介護度の情報が通知されないのである。通知されないとこちらは業務上不都合である。

 我々医療機関は個人情報の秘匿義務がもともと刑法や民法レベルの法律で課せられているのである。つまりお役所レベルでの通知文なんかよりもっと重い法律で縛られている。情報漏えいが業務上強く規制されている医師にまで区役所の思惑で情報を提供しないのである。これは個人情報漏えいに関して役人が過剰なまでに反応しており、内心「個人情報はとりあえず誰であれ止めておいた方が安全である」と保身的感覚から意図的に作り上げたチェック方式なのである。
 そうではないと言い張るのであれば、「審査情報の医療機関等への開示を希望されない方はここにチェックを入れてください」という逆の文言に変えるべきである。そうすれば何のことか詳細が分からない人はチェックいれないので、逆に医療機関への情報は増えるはずである。

 今まで情報が医療機関に届かなかった場合、後日家族に確認するとほとんど「え?あそこにサイン? なんだかよく分からなかったので空欄にしました」と言うのである。空欄にさせることで医療機関に情報が行かないようにした文言である。
 つまり情報を外に出したくない側(役所)にすれば好都合なのである。「詳細がよく分からない時は手を付けない(承諾欄にサインしない)」という真理を逆手に取った思想誘導なのである。区の役人の思惑が手に取るように見える。
 この件については介護認定委員をやっている時に指摘し改善要求をだした。でも頑として受け付けなかった。このことも自分が認定委員をやめた原因の一つである。やっぱりずるいと思う。

最高裁裁判官の是非 その2

2017年10月24日 06時45分07秒 | 日記
 このチェック方式の意図は、「よく分からない」という意見層をすべて自分の思ったところへ誘導できる傾向にあるということである。つまり最高裁裁判官を途中で辞めさせるという業務上の手間は手続き上面倒である。じゃあよくわからん人は空欄にしてしまうだろうから、それを是認の意見としてカウントしてしまえばいいのである・・と勘ぐってしまうのである。逆に「裁判官業務継続を是認するかたはチェックせよ」という少しわかりにくい文言にすると、よくわからない人はチェックを入れないので、多くの裁判官が罷免されると思う。つまりこのチェックボックス方式は文言次第で思想誘導できるのである。

 これと似たようなシステムが豊島区の介護保険申請書なのである。介護保険は区レベルでの認定会議がなされ最終的に「介護度:要介護いくつ」と決定される。その結果はケアマネも医師意見書をかいた医療機関でも知りたいのである。
 しかしここで落とし穴があるのだ。どうも役所側の思惑が見え隠れするのは「個人情報の取り扱い」なのである。つまり彼らは介護度などの個人情報はなるべくどこにも出したくないのである。それはその情報を必要とするケアマネや医療機関に対しても・・・なのである。
 個人情報保護などと言われて、なにやら情報管理が必要とされる世の中である。利用者から「情報もらした」などとクレームがつかないよう、それはその情報が必要な所にまで情報提供しない方が安全であるという考えなのである。


最高裁裁判官の是非 その1

2017年10月23日 06時40分43秒 | 日記
 選挙の時に「辞めさせたいと思う裁判官の欄にチェックをいれろ」というシステムがある。事実これはよくわからないのである。つまり情報が足りないところでは、この人を続けさせるかどうかの判断ができないのである。

 選挙前には最高裁裁判官のプロフィールが送られてくるが彼のなした判例などはでていない。ということは仕事内容は新聞などのマスメディアが発した当時もので、常にその時の最高裁判例に気を遣っていないと分からないことになる。

 情報がないと判断できない、だからチェック欄は空欄にしました、と言う人もいる。またこの人には最高裁裁判官を続けてほしいと思って空欄にしている人もいる。

 しかし概ねこのよくわからないという、いわゆる無党派層の意見が大きな力をもつことになる。つまりよくわからないという人の意見をそのまま「是認」ということの意見としてカウントしてしまうことに違和感を覚えるのである。

差別用語 その4

2017年10月21日 06時03分12秒 | 日記
 人を思いやる気持ちとか、助け合いだとかの気持ちは大事である。でも差別をなくしましょう・・という人間の精神病理に踏み込んだ話とは別問題なのである。人がどう考えてしまうのかということについてであるが、差別するということが心の中にも出てこないようにさせる・・というのは無理である。人がどう思うかは人それぞれなのである。
 なので表面上、分裂病が統合失調症にかわり、痴呆症が認知症に変わってもそれはただの表面的な用語変更にすぎず、いずれはそのかわった用語も数十年後には「立派な」差別用語になってしまう可能性が高いのである。根底に差別の気持ちが残り続ける限り、どうやら用語のみが定期的に置き換えられるだけのような気がするのである。

 この前、TVバラエティで保毛男(ほもお)(つまり「ホモの男」)という言葉を使ったら差別用語であると抗議があり番組が謝罪していた。でもいつから「ホモ」が差別用語になったのかも知らないし、今では何といったらよいのか?・・ゲイ? 男性同性愛者? ニューハーフ? オネエ? まったく分からなくなった。でもこれら現行で使用可の言葉も結局、将来「差別用語」になるんじゃないかと思うのであるが。

 今回、昭和30年ころの医師会雑誌でみた『低能児』という医学用語(一般用語だったかもしれないが)、それをみてなんとなく違和感を覚えたのが今回、本項執筆の動機である。あの用語を使った人(医師)には「差別」の意識は全くないことはすでに述べた。でもいつの日か誰かがそれを差別用語だといって使わなくしたのである。 「痴呆」や「分裂病」も医学書に記載されていたのであるから差別用語ではなかったはずである。これもいつの間にか差別用語に仕立て上げたのは、医師ではなく・・・う~ん誰なんだろうか?

差別用語 その3

2017年10月20日 06時07分06秒 | 日記
 自分が医学生の時に習った「分裂病」や「痴呆症」という立派な病名は、ここ20年前くらいに「差別用語」なので「統合失調症」「認知症」に変えられた。でも当時、言葉をかえればどうにかなるのかなと、これこそ違和感を覚えた。
 今では確かに分裂病とか痴呆症とかの病名をきくと古臭いなと感じるようになったが、これは使用頻度や慣れによるものだろう。
 でも言葉いくら変えたって「統合失調症」「認知症」の用語を、市民が差別する時に使うようになれば、これもあと数十年すれば「立派な」差別用語になっていくんじゃないかと思う。そうなるとまたその時代のだれか偉い人が「差別用語なので替えましょう」ということになり、表現上の言葉だけがかえられるだけなんだと思う。

 言葉なんて結局はなんでもいいんだけど、それを使う人がどのような意図で使うのか、そしてその意図での使われ方がmajorityになれば「けしからん、じゃあまた用語を変えよう」ということになる。この世の中から差別がなくなるなんてことはないだろう。
 体面上は差別だめといっても人の心の中では差別や区別はしているんだし、この資本主義の世の中、みんな平等なんてことはありえない。

差別用語 その2

2017年10月19日 06時32分02秒 | 日記
 さてその当時(昭和20年後半)の医師会雑誌の診療こぼれ話などを読んでみると、今では違和感を覚える様な用語が使われている。それは医学用語に限らず、通常、今では使ってはいけないような語句が出てくるのである。あまり強烈ではない用語を一つ例にあげれば、
「・・・時々受診してくる近所の『低能児』がヘラヘラと笑いながら、着物の帯はほとんど解けてはだけた状態で自分に近づいてきた・・・」などという一節があった。

 今なら「精神発達遅滞」とか表現するのであろう。でも当時ではこの表現が当たり前であり、だれも違和感を覚えなかったのであろう。もちろんその文章をすべて読めば、その筆者(医師)がその『低能児』をまったく侮蔑していないことは明らかなのである。その医師は区議会選挙に出るために立会演説会で演説していたら、その『低能児』がその医師を見かけた顔だと思ったのか近寄ってきたので、演説の邪魔になるため「向こうへ行け!」と怒鳴りながら追い払ったというのだ。そしてその医師は、追い払ったことをものすごく「悪いことをした」と後悔しているので、その彼を微塵にも侮蔑していないと分かるのである。

 でもこれを今の世の中の人が読んだらどうなるのであろうか?

差別用語 その1

2017年10月18日 06時03分45秒 | 日記
 昨年医師会のHPに過去の医師会雑誌の1号からアーカイブで参照できるようになった。
 診療の合間に昭和23年の第1号からチョコチョコ読んでいる。当時の世相を反映した医療事情が良く分かるので面白い。
 また医師会員(もちろん医師)の随筆や随想なども収載されているが、これがまた素晴らしい文章なのである。表現力も、描写内容も「え、素人の文章?」と思うくらい格調が高いのである。
 それに比べ自分の品がなく表現力にも乏しい文章では恥ずかしくなるのである。

 いいわけなのであろうが、たぶん当時のメディアはTVやネットはないため「物を書くこと」が唯一の自己表現の手段であったため、優れた表現力を持つ方が沢山おられたのであろう。
 今では400字かくよりも、写真を1枚アップするだけで事足りる場合も多い。となるとやはり当時は文章力がないと相手に伝わらないことから、自然と文章の達人が多かったのだろうと考える。

違うだろぉぉ~~~ その2

2017年10月17日 06時12分09秒 | 日記
 まあ一喝こそしなかったが嫌がるものの手首を押さえつけて、注意深く爪楊枝を破片残すことなく引き抜いた。
 抜いた瞬間、「あ~あ~!!!痛いいいよおおお」と叫び声をあげた。手足をばたつかせている。
 でもそんな痛いわけはない(少なくとも自分で刺した時よりも)。なんだかワンワン騒いでいる。

 その後、引き抜いた後は、同席の2人は「○○ちゃ~ん、痛かったよね。ウンウン、よく頑張ったわね~」と褒めているのか慰めているのか・・・。
 でもあれ? そうかな? もしおとなしく処置を受けていたら「よく頑張った」のであるが、大騒ぎしたんだからぜんぜん頑張ってないでしょう? その言葉は正当な評価ではないと思うけど・・。 

 ちょっと待ってよぉ~、よく頑張ったのはこの私よ。 暴れる中、破片残さず綺麗に抜いた技術評価はないのかなぁ~と、ちょっと私ヽ(`Д´)ノプンプン(笑) 

 何だかな~鳥肌が立つくらい世の中が子供に対して奇妙に優しくなったような気がする。 ・・・ま、いいっか。

違うだろぉぉ~~~ その1

2017年10月16日 06時12分44秒 | 日記
 ちょっと前のことである。小学生が工作用の太く長い爪楊枝にふざけて空手チョップをしたら手に深く刺さってしまい、そのままの状態で来院した。

 痛がって人には触らせない。診ると結構深く刺さっている。そして刺入角度が不自然なので組織内に迷入した先端部分は折れかかっているかもしれない。これは注意深く抜かないと途中で折れて先端が組織内に残ってしまい、これをほじくり返して取ることになると皮膚切開を必要とするので大ごとなのである。
 でもこの学童は触らせようとしないしちょっと暴れるのである。
 就学前の幼児ではなく学童である。ちょっと一喝して一瞬おとなしくなったところで抜こうと目論んだ。

 でも一喝しようとしたら同席の母親と養護の先生が「○○ちゃん、痛いのよね~、ウンウン、つらいね~」だって・・。何だか腫れものでも触るような扱いなのである。

 自分がこのくらいの年齢の時は「馬鹿者、お前は自分が悪いんだろ? 自分で刺したんだから自業自得、少しぐらいの痛みは我慢しろ、今抜いてやる」と言われた。でもそのおかげで自分は「こんなことしたらこんなことになる」と学習した。
 なんだか時代が違うのか? これって何なの?と思ってしまった。

これはアウトでしょう その4

2017年10月14日 05時58分35秒 | 日記
 こんなことで「硬膜外麻酔は危険」などと、もし世間に評価されるならそれはいい迷惑である。これで一般の人が「麻酔は怖い、無痛分娩は命と引き換えだ」と思われても困る。
 麻酔の合併症は一定頻度で必ずおこりうる。でもその合併症を知らない医師によって麻酔をかけられることのほうがもっと怖いのである。麻酔医なら硬膜外麻酔での合併症には対応できる。

 世の中の評価だって変なのである。麻酔医が硬膜外麻酔をして、帝王切開したら「麻酔医がお産を? なんてことするんだ」と言うでしょうに。
 でも産科医がお産の時に無痛分娩と称して硬膜外麻酔をかけて分娩させても「産科医が麻酔を? なんてことするんだ」って言わないのが不思議です。
 どちらの医者も同じこと(麻酔と分娩)をしていています。でも麻酔医はダメで産科医はなぜOKなんでしょうか?

 麻酔という手技を「注射一本」で簡単に、かつ安全に鎮痛できると誤解しています。一般の人は麻酔というものを安易に考えていますよね。これは患者側の誤解も原因でしょう。

 ここ40年以上もこの麻酔に対する一般人の誤解は改まっていないですね。麻酔は外科手技と同様の高度な熟達能力が要求されます。だからこそ大昔から「麻酔科」の標榜だけは厚労省からの許可が必要なのでしょう。