吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

高校野球

2016年07月30日 06時07分41秒 | 日記
 今年も甲子園に向かって地区大会が終盤を迎えている。各地でいろいろなドラマが生まれている。
 注目を浴びている早稲田実業は敗退し甲子園の夢は破れた。また昨年優勝校の東海大相模も敗退した。また審判の判定ミスから試合が中断し没収試合にするか続行するかでもめた試合が広島であった。
 楽天オコエが昨年まで在籍していた関東第一では、今年のキャプテンの逸話が紹介された。
 彼の父は今年心不全で亡くなったそうだが、「甲子園で優勝して来い」と最後のエールを病床から送ったそうである。誰がこのニュースをみても、皆、彼にエールを送りたくなるだろう。

 しかしである。相手チームにだって選手とそれを支える家族には、それなりのエピソードがあるのである。それらは取材されないか、取材されてもボツになって報道されないのである。
 報道も有名校や、有名選手のエピソードのほうが「数字」がとれるのでそちらを優先するだろう。

 でもここまで球児が元気にスポーツを続けられてきた裏には、全員に各々感動的なエピソードがあるはずであると確信している。
 米国人は「Why, Japanese people? 何故たかが高校生の野球に日本人は熱中するのか?」と疑問に思うらしい。
 でも彼らには分かるはずがない。

週刊誌報道 その2

2016年07月29日 05時48分36秒 | 日記
 さて、そのような説明をするのであるが、納得されて薬を続ける方もいるものの、
「でも・・やっぱり薬こわいので替えてください」とお願いされる場合も多い。
 何だかこちらがわざと有害事象のありうる薬を処方したと見られているようで居心地が悪い。

 しかしながら同系列の薬剤を処方することになるが、それらもほとんど同じような有害事象を有するのである。「他の薬に替えても同じような頻度で有害事象はありますよ」とお話ししても「でも替えてほしい」と希望される人もいる。
 
 まあそこまで希望するのであれば別の薬を選択するが、ここまでお話しするのに5分以上はかかっているのである。話がなかなか先に進まない人であれば10分は費やすことになる。外来業務が遅延・停滞しイライラするがやむをえない。

 それよりも今まで患者さんと築き上げてきた(であろうと勘違いしてきた)信頼関係というものが、週刊誌報道というものに簡単に負けてしまっているということで複雑な気持ちになるのである。
 我々医療関係者(というか自分個人)はマスメディアの報道に敵いっこない。

週刊誌報道 その1

2016年07月28日 06時04分57秒 | 日記
 最近、患者さんから「今飲んでいる薬は認知症になるんですか?」とか「ひどい副作用があるんですよね?」とか聞かれることが頻繁にある。
 その出所は週刊誌の報道のようだ。みだしの切り抜きを見せてもらったら結構な種類の薬剤がやり玉にあがっている。
 これは事実かどうかと聞かれれば、「たぶん事実だろう」とこたえる。何故なら「副作用のない薬はない」のである。
 ただ発症するかどうかは頻度の問題である。ほとんど稀のものもあるしやや多くみられるものもある。また有害事象は軽症のこともあるし重症のものもある。飲んでいる人全員という場合もあるが、起こりやすい人もいるし起こりにくい人もいる。これらを事前に認識するのは不可能である。

 有害事象というのは医療にはある一定の確率で必ず伴うものである・・と解釈頂きたいのである。しかし患者さんにとって自分の服用している薬が100%安全であると思いたい気持ちもわかる。

 それにしても何だか面倒な記事がでたなーというのが本音である。

街中ゾンビ化 その2

2016年07月27日 06時03分37秒 | 日記
 とにかく「車に気を付けて歩く」などという当たり前の命題がすでに崩壊しているようである。
 最近では自転車でのスマホ使用ですら禁止されているし、歩きスマホはマナー違反とまで言われている。

 それにもかかわらずこのアプリの配信でマナー違反はますます助長されるであろう。
 管理区域や特定区域では「ここではポケモンGOは禁止」などとお触れが出ているようだが、それを出してしまうと「ここ以外の場所ならOK」と裏返しで理解されるおそれがある。
 そう理解されると「場所さえ守れば歩きスマホはOK」であると世の中の認識が変化する可能性もある。

 古い世代(もう自分もその範疇)には新しい世代の新しいものに対して拒絶感がもともと存在するのかもしれない。でもそれはそれで価値観の相違なので仕方がない。

 どんな世代でも好きなことをするのは否定しない。それ自体をとやかく言うつもりもないし、自分も人から言われたくない。それが自分の基本的スタンスである。

 しかし他人に迷惑をかけるものは、価値観の違いとは無関係であり、これはやめてほしいのである。このまま社会問題になれば条例規制になるはずである。やるなら人に迷惑かけてほしくない。

街中ゾンビ化 その1

2016年07月26日 06時01分04秒 | 日記
 7月22日、なにやらポケモンGOなるアプリが配信された。自分はまったくそれには興味がない。
 その夜、私用があったので車で出かけた。その帰り道、歩道のない住宅街の小路に入ったところ、その一角で「集団」とまでは多くないが、複数人の人達が道路を彷徨っていた所に出っくわした。
 みんな片手にはスマホを持ち、それを覗きこみながら、てんでんばらばらの方向にうろついているのであった。

 昔映画であったゾンビの群れが街中を右往左往している様子に似ていた。とにかく自動車の通行には無頓着なのである。こちらが歩行者を優先させるのは当然なのだが道路の真ん中を彷徨われては困るのである。

 後ろから行っても道をあけてくれない。
 「よい子のみなさん、車道では遊ばないように気を付けましょうね」とか、「歩道のないところでは右側通行で歩きましょうね」などと小学校で習ったことなどは風化しているようである。

 たった半日で、路上は彷徨するするゾンビたちに占領されてしまった。大げさな表現になるが自動車で通行する権利だって認めてほしい。

ある日の情景

2016年07月25日 05時34分29秒 | 日記
 他人の家の敷地に入り繋がれている犬を触って手を噛まれたという高齢女性が来た。
 当院の昼休みの時間帯なのであるがクリニックに入ってきた。
 近隣の〇〇クリニックにいったら「吉田さんの所にいけ」と言われたというので、こちらが休み時間でも診るのが当然であるような態度で来院された。
 創は深くない。たぶん感染は起こさないと思われたので一針のみ縫合し処置を終えた。
さて処置を優先させたので、その後カルテを作ろうという段階での会話である。

「保険証拝見します」  「保険証はない。ずっと持っていない」

「えっ? 医療券か何かお持ちですか? ないと支払いは自費になってしまいますが?」  「医療券ないよ。治療費はそっちから飼い主に請求してよ」

「今、いくらか手持ちありますか?」 「金持っていないよ」

「こちらの会計上、一時的にいくらかでもお立て替え頂かないと・・・」 「一時的でも立て替えるつもりはないよ」

「会計はどうしたらいいのでしょうか?」  「知らないわよ」

「・・・・・」  「じゃあ飼い主に払いに来させればいんでしょ」


と言って帰られてしまった。今後二度と来られなかったとしても、まあ人助けだと思えばいいのである。
まさに疾風のように現れて、疾風のように去っていった。まるで月光仮面のようだ。
 でも少なくとも正義の味方ではなさそうである。

右折矢印信号 その2

2016年07月23日 06時05分01秒 | 日記
 右折可の緑色の矢印が出るときは、むこうから直進する交通は赤のはずである。
 当然、この矢印にそって右折する場合は相対する直進車は交差点に進入してこないので注意する必要はないはずである。
 ところがこの時にバイクが直進・侵入してきたのである。急ブレーキにて間一髪ぶつかるところ回避ができた。
 しかし相手側の通行は「青」だったのである。この珍現象はなんなのか? 

 きっと信号機の故障なのかとも思った。でもここは変形4叉路で複数の通行帯が複雑に交差しているのである。
 そのため右折矢印でも直進車はあるという珍現象がおこったのであろう。

 でも腹が立ってきた。この常識外れの信号機のタイミングはきっと事故を引き起こす原因となるだろう。いままで、事故がなかった(いやすでにあったのかもしれないが)のが不思議である。

 でもこの場合事故を起こしたらどちらが悪いのかは自明の理である。直進優先の原則から言えば自分が前方不注意となる。しかしながら事故にならなくてよかった・・・。
 でもこの信号機のタイミングはなんとかしてほしい!

右折矢印信号 その1

2016年07月22日 05時54分35秒 | 日記
 ついこの間のことである。
 山手通りを板橋方向に向かっていくと中山道(国道17号)に合流する。この合流地点は変形4叉路になっていて、右折をした時に複雑な車線になる。ここで自分は右折をしようと一番右の車線で信号がかわるのを待っていた。
 当然右折する場合、信号が右折の矢印になれば右折する。通常この右折矢印がでれば、向こうから直進してくる交通は赤になって直進車は止まっているはずである。当然である。

 自分はこの矢印を確認して右折をはじめたら、相対する通行から直進するバイクが交差点に進入してきたのである。慌てて自分は急停車をした。相手のバイクも大きく蛇行してこちらの車を避けるように直進していった。
 なんと無謀なバイクであろうか。赤信号で交差点に進入・直進してきたのである。自分はこの走り抜けていったバイクの背中を睨みながらその通行の信号をみたら「青」だったのである。

・・・・・は? これは一体どういうこと?

登山用品 その3

2016年07月21日 06時38分27秒 | 日記
 「あの~、冬に薄手のコンパクト・ダウンを見かけたのですけど、今夏場だから置いてませんよね?」とユニクロで聞いたところ、「いえ、あります。置いていますよ。あの角の棚に・・・」といって案内してくれた。
 嬉しかった。山用のブランド品より価格も1/6~1/7くらいである。まあ安かろう悪かろうでも構わない。軽くて、畳んでかさばらなければ山行の荷物にもならない。またもし機能的に防寒性が劣っていても構わない。3000m級の山や冬山に行くわけではない。

 本来ユニクロは季節的に販売戦略を変えるアパレルである。ここで「夏場なので置いていません」と言われたとしても、それは当然のことである。

 しかし池袋の大手スポーツ店で、しかも登山の専門コーナーで「夏の登山に薄手の防寒具は必要ないので季節柄おかない」というのは違和感がある。
 専門店の店員はアルバイトであっても、その専門性を求めて客は訪れるのであるから、対応もそれなりの返事なければ困る。

 自分のような偏屈男であればいいが、素直な客なら「夏登山に防寒具はいらない」と信じ込んでしまうだろうに。もし海外の高所登山客が来てもこの店員は同じことを言うのであろうか? あの店はたぶん二度と行かない。

登山用品 その2

2016年07月20日 06時18分20秒 | 日記
 2000m越える登山では防寒対策は夏でも当然必要である。
 登山用品店はいわばプロショップである。「夏場に薄手のダウンは必要ない」といわんばかりの若い女性定員のもの言いには疑問に思った。

 実は先週、御徒町にある登山用品も扱う他のスポーツ用品店に行ったのであるが、そこにはこの薄手のコンパクト・ダウンを売っていた。ただブランド品なのでとにかく高かったので買わなかったのだ。

 実際、「夏」なのに他店ではきちんとおいてある。そこで今日、池袋のこの店にきたのである。
 でも「薄手のダウンは季節柄置いていない」というので、しょうがない、その足でユニクロに行った。

 自分は冬場にユニクロで見かけている。でもここは登山用品店ではなく一般洋服店である。この暑い夏場にコンパクト・ダウンなど置いているわけがない。

 おそるおそる店員に聞いてみた。「あの~夏場にダウンなんて置いてないですよね?」・・・。

登山用品 その1

2016年07月19日 06時19分01秒 | 日記
 先日、山用のコンパクトにたためる薄手のダウン・ジャケットを某大手スポーツ用品店(池袋ビ〇ト〇ア)に買いにいった。

 最近、富士山頂上に登る人も増えたので、当然薄手のダウンなどは通年しておいてあるはずである。

 若い女性店員に「コンパクト・ダウンどこですか?」と聞いたら「は?は?何ですか?」と。
 「小さくたためるダウン・ジャケットですよ」と聞き直したら「あ~あれは季節ものですので夏場にはありません」と・・・。

 山の防寒具に季節もなにもないものだけど・・と思いつつも、横目で通常の分厚いダウン・ジャケットが置いてあるコーナーを見つめながら退散した。

 しかし不思議だ。「季節もの」というならこの夏場に厚手のダウンはおいてあるのに、薄手のダウンを置いてないのは理屈に合わない。暑いので厚手のダウンこそ置いてないと言うならまだ理屈は分かるのであるが??

 この若い女性店員はなにを言っているのだろう?

手ぶら

2016年07月16日 06時06分35秒 | 日記
 最近、ケガの方で新患の方が時々お見えになる。
 転倒してケガしたとか、犬に噛まれた・・・などである。

 まあ、現場から受傷直後直接お見えになることもあるが、一度うちに帰ってから、あるいは翌日に来院することも結構多い。
 そのような場合に「手ぶら」でこられることがかなり多いのである。もちろん保険証はお持ちであるが、お薬手帳(あるいは薬そのもの)を持参されないのである。
 たかだかケガ程度なので他院で処方され服用している薬などはケガの治療などには関係ない・・とお考えなのであろうか?

 実はこれが困るのである。抗凝固薬を服用していたら止血縫合でも追加しなければいけないかもしれないし、あるいはこちらから抗菌薬だそうとしてもバッティングする薬をすでに服用していたりするかもしれない。こわいのである。
 とにかく当院初診であれば現在内服している薬剤は明らかにしたいのである。

 それでも、きちんと「〇〇病院で✕✕の治療を受けています。薬は△△と□□を1日何回服用しています」と口頭で答えられればもちろん申し分ない。

 「あ 血圧の薬、ほら、丸い錠剤で真ん中に線が入っているやつだよ」なんて言われてもまったくわからないのである。薬はごまんとある。
 面白いのは「それじゃあわかりませんよ」というと、大抵の患者さんは(え 何で薬の特徴を言っているのに分からないの?)というびっくりとした表情をされることである。

 まあここまで話せる方はまだいいほうである。
 「どんな病気でどこの医療機関にかかっていますか?」と聞いても、「え あ う~んと、なんて病院だったかな? 名前は思い出せないな。病名? え~と知らないなぁ。心臓? 血圧? 肝シボー、チュウセーなんかな? いや、そこの先生はいつも何にも話してくれないんですよ」と・・・。

 そこまで単語がいろいろ出てくるなら、そこの先生は結構お話ししてくれていると思います。
 次回、初診で他院に行くときは、必ずお薬手帳をご持参ください。お願いします。

 
 
 

違和感? その2

2016年07月15日 06時09分25秒 | 日記
 またグルメ番組では、量が多い料理だと「う~ん、この盛りはボリューミーですね」というレポーターも多い。馬鹿な! 英語にはvolumyなどという形容詞はないのである。まったくの造語である。

 またどこかのイベント会場で名産野菜を売っているコーナーがあったが、そのコーナー名が「ファーマーズ・マルシェ」と書いてあった。これも英語とフランス語の折衷なので奇妙である。

 あるいは平気で擬人化するのも違和感がある。若くて可愛らしいレポーターがたくさんの野菜を目の前にして「まあ、なんとカラフルな野菜たちでしょう!」などと平気で言われると首をかしげてしまう。
 でもこの擬人化は「お粥さん」などと昔から使われてもいるのだが不思議とこちらの名称では違和感はない。結局これは自分の慣れの問題なのかも?
 
 また昔からあるいは、何か少し高めの買い物をするときなど(これも女性に多いのだが)、「自分にご褒美」などと自分を第三者的に評価する。
 これは何も客観的な評価ではない。ろくに働きもしていないのに何か高い品物を買うことの後ろめたさに対する免罪符として使ってるんじゃないの?と言いたくなる。 

 それを言ったら自分も「使ってるんじゃないの」は誤りである。正確には「使っているのではないの」が正しいのである。最近キーボードを打つので文字数が少ない方が楽なのである。あ 言い訳にならないですよね? すいません→いや「すみません」でした。

乱入?

2016年07月14日 06時15分29秒 | 日記
 都知事選挙の公示日を迎えた。
 いち早く宇都宮氏が出馬断念を表明した。

 昨日、都内で立候補表明者の公開討論会が行われTV中継がなされた。出演は小池氏、増田氏、鳥越氏、宇都宮氏の4名。

 ところが会場にはマック赤坂氏もおとずれ「自分はなぜ呼ばれないんだ。公選法違反だ」と大暴れしたそうである。そして会場の外につまみ出されたそうであった。そしてニュースの見出しは「乱入」とあり闖入者扱いになっている。

 まだ公示日前であるので公選法に抵触しないだろう。特に法的云々の問題ではなく、出演依頼をしなかったからといって怒るものではない。

 ただ真面目にやっている?本人からすれば「自分は一番はやくから立候補表明しているのに何故呼ばれないんだ」という気持ちも理解できる。
 一方、あの人は呼ばれなくとも不思議ではないということも理解できる(はっきりとした理由はないが)。

 たぶん最初から市民、マスメディア全部ひっくるめて彼を「泡沫候補」と見ているのである。正当か不当かの問題ではないが、全員が「そう」思ってしまっているのだからしょうがない。

 ただ参院選の時の今井絵理子氏のインタビューもしかり、鳥越氏のインタビューでの回答もしかりであるが、「これから政治については勉強する」はがっかりした。
 とりあえず政策の提示もしたが、抽象的でとってつけたようであり、これでは票を入れる判断材料がない。

 これではマック赤坂氏が呼ばれずに鳥越氏が会見に呼ばれた違いは何なのと疑問に感じる。
 ネームバリューと野党統一の推薦を受けたからという理由だけで会見に呼ばれたのであれば何とも寂しい限り・・・。

 何故彼が呼ばれなかったかは、呼ばれなくとも不思議とは思わないが、でもその理由をきちんと述べよと言われてもその答えが見つからないのが奇妙なのである。

違和感? その1

2016年07月13日 05時58分42秒 | 日記
 昔から言葉の使い方だの語句の選択などは何だか学校でも家庭でもうるさく言われてきた。
 若いころは「なんでそんなうるさく言葉の使い方を直されるんだ」とうるさく思った。
 しかし最近人との会話の中では言葉の用法で時に違和感を覚えることがある。

 もっとも言葉は生き物である。生き物だからこそ変わるのは当たり前である。太古の昔から変わらなければ平安時代の「いとをかし」の古文なんて勉強する必要はない。

 「美しい日本語を・・・」なんていうけれど、美しいものを先達が守らないでいたので、どんどん変化していくのじゃあないかと若いころは思っていた。
 要は言語は生き物であり時代の変遷により変化していくのである。「美しい日本語を守る」なんて発想はどこから出てくるのか理解しえない。

 ・・・・とはいうものの、自分が覚えている言語と違う使い方がなされていると極めて違和感を覚えてきたのは最近自分が歳をとった証拠であろう。

 さて、ところで年齢の勘定は1歳、2歳である。最近ではいい大人が「1個、2個」と平気で言っているのには違和感をぬぐいきれない。