吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

Sochiオリンピック その5

2014年02月28日 05時50分06秒 | インポート

   昔、柔道の斎藤選手(現国士舘大学監督)がオリンピックに出場した時の話である。彼は結局2大会で連続して金メダルを取った。選手団長を仰せつかった2回目のオリンピックでは鬼気迫る試合内容で金メダルをとったのである。受賞後のインタビューで、彼は号泣しながら「ほっとしました。これで日本に帰れます」と語ったのが印象的であった。まあそこまで重圧があったのかと同情的にもなるが、負けて「あ 楽しめました」とニコニコしている選手とは随分違うのだなーとその落差に驚きもする。おそらく斎藤選手は国費をもらっているとかの感覚でこの悲壮なまでの責任感が形成されたわけではない。しかしながら最低限国費をもらっているという責任は、もし試合結果につながらなかった場合、やはりどこかで示してほしいところである。だから「あ 自分は楽しんでやりました」などと個人的世界観に帰結されてしまうと、つい「公費の私的流用」を連想してしまうのである。<o:p></o:p> 


Sochiオリンピック その4

2014年02月27日 05時49分40秒 | インポート

  それでオリンピック選手の場合であるが、これは自分がもらった額よりもはるかに多くの公費をいただいて日本の代表(公人)として赴いているのである。過去自分がいただいた微々たる公費にもあれだけの義務と制約がかかってきているのであるから、当然オリンピック選手にはそれよりもはるかに大きな有形無形の義務と責任がかかってくるはずである。それを負けた選手が「自分が楽しめました」などと笑顔でコメントするのは自分としてもどうも釈然としないのである。国民の期待を背負ってその重圧に負けないように優しい声をかけてあげることは重要である。そしてもし結果が伴わなくても応援する側の国民としてはいたわりの声をかけてあげることは大事である。しかしそれと選手のもっている責任云々とは別問題なのである。オリンピックは国境を越えた人類の交流の場である。それは正しい。その理念は大事である。しかし理念とは別に、現実的には一国の代表として公費を遣い赴くのであるのだから、果たすべき個人的ならぬ公人的責任というものは付きまとうものなのである。<o:p></o:p> 


Sochiオリンピック その3

2014年02月26日 06時41分07秒 | インポート

    たぶん、というかすでに過去に報道されているのであるが、この科研費で飲食したとかの私的流用報道を何回も聞いたことはある。確かに流用の内容によっては私的度が極めて高く「これはヒドイな」と思う場合もあるのは事実である。しかし研究費の使途制限は厳しく、研究用の統計解析につかうパソコン購入といっても認めてもらえなかったり、現地への調査研究へいくのも科研費応募の時に申請しておかないと後からでは認められなかったりで、ほとんど消耗品代くらいしか使途がないようなものであった(当時の自分の科研費での話であるが)。これでは研究費をもらっても使い道がないのと同じであった記憶がある。したがってメディアデバイス百何十個だとかcopy用紙何千枚とかを購入せざるをえなくなるのである(もちろん自分の場合であったが)。中には購入した消耗品を売ってそれを研究半ばで急に生じた調査費用にあてるという話も聞いた。なんだか錬金術みたいであるがこれを私的流用ととられてしまうのだからかなわない。でもこのように公費をいただくことで生じる手かせ・足かせは否応なく個人にかかってくることは世の中の常識なのである。<o:p></o:p> 


Sochiオリンピック その2

2014年02月25日 05時56分19秒 | インポート

  大学勤務医時代、厚労省の科学研究に応募し何度か厚労科研費をもらって研究論文を作成、提出したことがある。自分がもらった科研費の額などは微々たるものである。それでも公費をもらうことはかなりの用途の制限や制約を強いられる。その研究費の使い道はかなり制限されておりあれはダメ、これに使っちゃダメとうるさいのである。そして使途明細を書類にしてこと細かく提出させられるのである。もちろん科研費でウン千万円もの額の研究費をもらっている研究もあるが、自分は「えっ?たったこれだけの額でこんなにうるさく言われるの?」と同情を集めそうな雀の涙なのである。・・・でも、額ではない、要は公費をいただいているものには平等にかかってくる義務と責任なのである。<o:p></o:p> 


Sochiオリンピック その1

2014年02月24日 06時42分40秒 | インポート

   オリンピックが開始されてから、JOC会長の息子であり明治天皇の玄孫でも有名な竹田恒泰氏のコメントが出された。1) メダルを噛むのは品がないのでやめるよう 2) 国歌は黙って聞いているのではなく斉唱するよう 3) 負けた選手は「楽しめました」などとコメントするのはやめるよう等であった。ネット上ではこのコメントに賛否両論らしい。いろいろと個人的には意見のあるところなのでそれはそれでいいのだが、自分としてはこのコメントに全面的に賛成なのである。もちろんオリンピックはスポーツの祭典であり選手の個人的努力の上に成り立っているものである。しかし世界中のどこの国でもこのオリンピックの檜舞台を国威発揚の場とし、国旗を背負っているものとして捉えているのである。しかも選手の個人的たゆまぬ努力で出場できたという事実はあるものの、出場の経費は国費なのである。たとえでわずかでも国費が遣われるのであれば、本人の意思とは無関係に公費を用いる者の責務が発生するのは世の常識なのである。<o:p></o:p> 


電子カルテ その7

2014年02月22日 05時38分47秒 | インポート

   この場合は不当な評価であってもいい結果に転がってくれているのであるが、よく考えれば(よく考えなくても自明の理であるが)、全くその逆のパターンも存在するのである。特に自分が「よしっ、よくこの難しい疾患を早期に診断できた」とか「ああ、今回の創傷の縫合は形成外科レベルでもひけをとらないくらいうまくできた」などという時が危ないのである。患者さんは自分と同じように考えて喜んでくれているとは限らないのである。もしかしたら「こんな変な病気、なんでもっと早く見つけられなかったのか?」とか「傷の仕上がりには到底満足できない」と思っているかもしれない。自分としては今の医療水準として十分良いものが提供できたなどと思っていても、患者さんにとってその専門性をもってご理解頂くのは無理なのである。だから診療の結末と彼らの満足度とは無関係のものであると実感している。今回のPC修理の手際のよさのみで、その係員の能力評価をしてしまったが、もしかしたらそれは実は「不当な評価」であったかもしれない。いやはや難しいものである。<o:p></o:p> 


電子カルテ その6

2014年02月21日 06時12分04秒 | インポート

   患者さんのカルテをみて「うわっ、あの患者さんだ、どうしようかな? 今日はどんな指示を出してきりぬけようかな」と頭を抱えた。診察室に患者さんが入ってきた。おそるおそる「あの~その後如何でしょうか?」と聞いたところ彼は答えた。「先生、いや~あれから先生の指示をしっかり守っていたら、むくみがとれましたよ、ほら」と足を見せた。「さすが、先生だー、実は他の病院でいろいろ薬もらっていたんだが全然効果がなくて、そこでこちらに来たもんですから・・・」と・・・。「ね、あなた、だから最初からこちらに来たほうがいいっていったでしょ」と奥様が横から口を挟んだ。このご夫婦は実に不当に自分を評価してくれている。結果よければすべてよしなのであるが、これこそ誤った評価なのである。患者さんは医療の内容まではわからずに評価をくだしている。面はゆいとは正にこのことである。あっ、これは少し前に流行った言葉で「褒め殺し」というのであろうか?<o:p></o:p> 


電子カルテ その5

2014年02月20日 05時47分14秒 | インポート

   我々も、時々予期せぬところで患者さんに「不当に感謝」されることがある。以前、足のむくみを訴えて外来にきた患者さんを診察した。特に心肥大もなく不整脈もなく心不全兆候もない。また腎機能も悪くないし、電解質異常もない。また下腿の静脈瘤などの血液うっ滞もなさそうである。そして蜂窩織炎などの感染症もない。じゃあ何でむくんでいるんだといわれるとまったく???なのである。あとは訳も分からないので適当に「まあ寝るときは足を高くして休んでください。そして風呂上がりによく足を下から上にマッサージしてみて・・・」とごくありきたりの療養指示を出すにとどまった。薬をだすわけでもないので何か言わないととてもお帰りいただけない雰囲気であった。ちょっと診察しただけじゃその病態がわからない患者さんは結構いる。ごまかしたわけじゃないけど少し気にかかっていた。そしてそれから数週が経過してこの患者さんは再び外来を訪れた。


電子カルテ その4

2014年02月19日 05時55分57秒 | インポート

    患者さんにはおそらく専門的な医療内容はわからないであろう。だから患者さんはこちらの仕事のテキパキとした動きやきちんとした対応といったことで評価されるものと思われる。本来であれば自分の医療技術や医療専門性を吟味してもらったうえで正当に評価してほしいものであるが、まあなかなかそこまでの深い理解で信頼関係が構築されるわけではない。それは自分の場合で言えば今回の係員の手際の良さで、彼を信用してしまった経緯と同じなのである。よくよく考えれば、この評価は実は正当な評価ではなく、ある意味、人物評価の陥りやすい盲点というべきものなのであろう。人間が信用されたり、逆に信用を失ったりするのはきっとほんの些細なことなのかもしれない。しかしいずれにせよ困った時に手際よく仕事がなされると、とにかくありがたいし信頼してしまうものであるのだ。しょうがない。<o:p></o:p> 


電子カルテ その3

2014年02月18日 05時36分23秒 | インポート

 それにしてもカルテ会社から派遣されてきた係員の手際はよかった。もちろんPCに精通していなければ仕事は務まらないはずである。ものの5分くらいでPC本体のハードディスクを抜き取り持参した新しいPCに組み込んで、すぐに立ち上げて使えるようにしてくれた。こちらはPC素人である。自分に知識がないということもあるかもしれないが、その専門的な動きは頼もしく見えた。それにしても自分もこのような動きで診療ができればいいなと感じた。スムーズな動きは傍目で見ていても信用に値する。おそらくこの係員のなした本日の仕事内容はたいした専門性も必要とせずにできたものかもしれない。でも素人からみたらやはり頼もしいのである。おそらく患者さんも自分を見たときに同じような思考過程を辿るかもしれないと思った。<o:p></o:p>

 


電子カルテ その2

2014年02月17日 06時24分05秒 | インポート

  いろいろと電話口で口頭指示を受けた。「まず電源を抜いて起動ボタンを何回も細かく押してください。そのあとに電源をいれて再起動をかけて・・・」 何回か言われるままの操作をした。すると起動画面こそ立ち上がるようになったのであるが、依然ログインすると途端にエラー画面になる。「係員を派遣しますのでお待ちください・・・」と言われた。といったって診療開始まであと30分。これでは確実に間に合わない。途方にくれつつ、ただ待っているのも落ち着かないので先ほど言われた操作を何回か繰り返した。でもやはり同じである。エラー画面が出て正常カルテ画面が落ちてしまう。ところがその操作を繰り返すこと4回目で急にエラー画面が出なくなった。おそるおそる電子カルテの操作をしてもなんとか使えそうである。そんなこんなで診療時間にはなんとかフリーズすることなく間に合ったのである。はらはら操作しつつ診療開始1時間が経過してようやく係りの人が到着した。「あ メモリーの故障ですね、じゃあハードディスクのみ交換して別のPCおいていきますから」とものの数分で交換し立ち上げて帰っていった。外来患者さんを待たすことなく、あっという間の出来事であった。クリニックの診断治療もこのように素早くできればいいと思いつつ、ほっと胸をなでおろした。


電子カルテ その1

2014年02月15日 06時24分02秒 | インポート

    ついこの間、朝の診療時間前に電子カルテを起動させようとしたら、急に立ち上がらなくなった。6年目にして初めてのことである。「急に」といったが実は最近起動するとき不安定であったのであるが、再起動かけると問題なかったのでそのままとしていた。そしてエラーメッセージがでてきたのであるが、「まあまた再起動かければなんとかなるだろう」とタカをくくっていた。何回かはそれで凌げたのであるがついには再起動にても画面には何も映らなくなってしまったのである。そうである。まさにこれがPCの精密機器たる所以なのである。自分用のPCならなんとかリカバリーの方法もあるのだが、電子カルテの情報は極めて大事である。これがパーになったら大事な個人情報の喪失になる。紙のカルテ時代は検索・保管作業こそ大変であるが、PCのようにデータが使えなくなるという不具合はない。ディスプレイ画面は真っ黒であったが、自分の目の前は真っ白になった。すぐに電子カルテ会社に連絡してリカバリー方法を電話で伝えてもらった。なにしろ電子カルテが使えなければ診療できない。これが電子カルテの最大の弱点なのだと今になって気が付いた。<o:p></o:p> 


隣組(個人情報保護) その7

2014年02月14日 05時24分59秒 | インポート

  まあ東京は23区あるのでダブルスタンダードではなく、23スタンダードが存在してもしょうがない、諦めるしかないのであろう。ところで一人の同級生に言われた。「えっ? 以前の介護度をしらないと更新書類が書けない? 吉田ぁ~、そりゃ違うだろう、意見書は過去の状態ではなく現在の状況をきちんと書くのだから、前回の介護度を知っておく必要はまったくないだろ? そんな過去の介護度に引きずられては現状の適切な評価がかえってできなくなるだろ? 前回の介護度知って何の得があるの?」と言われた。そういわれればまさにそのとおりである。まさに目からウロコであった。今まで介護保険課の人といろいろやりとりして何とか情報提供や便宜供与を期待していたのだが、何だか急に阿呆らしくなった。どうやら自分は行政に向けての無駄なエネルギーを遣っていたのである。早々に退散した。<o:p></o:p> 


隣組(個人情報保護) その6

2014年02月13日 06時25分13秒 | インポート

   この話をいろいろ同級生の医師にもメールした。反応はさまざまであった。「文書記載に必要な情報を渡さずに、それがないところで公式書類をかけとは役所もけしからん」と激怒した医師もいた。また別の同級生は「市町村単位で役所の対応が違うんではないの? うちでは情報は教えてくれるよ」というところもあった。確かに自治体によって解釈が異なるかもしれないということは地方行政のいいところ?である。隣の区ではOKでもうちの区はダメなんてものはいろいろありそうである。いい例が医師意見書の書き方である。細かいところのお作法が異なるのである。隣の区の患者さんの意見書をかいたとき「ここは必ず記載してください」とクレームがつけられた項目があったが、うちの区では記載しなくても特になにも言ってこないなどというのもある。つまり区が異なれば役所からのクレームのポイントが違うのである。<o:p></o:p> 


隣組(個人情報保護) その5

2014年02月12日 05時54分00秒 | インポート

  これは別に患者本人が介護度公開を許可しなかったのではない。患者本人が種々の書類に自らサインをしなかっただけの話である。代理人のサインではだめなのだそうだ。しかし一人暮らしの認知症のお年寄りも多い。自分で書類に目を通し納得してからサインできるような方はこの介護保険にはさほど多くはないのではないかとも思う。したがって本人ではなく代理人のサインの場合は、我々医師に対して業務上必要な情報ですら「便宜」を図ってもらえずガツンと封印されたままなのである。担当部署に確認しようとすると「家族に聞いてください」とか「ケアマネージャーが知っていますのでそちらに聞いてください」と鉄壁なまでの個人情報保護なのである。我々医師も法律で厳しく個人情報の秘匿義務が明記されている。まさに警察などの公務に匹敵するものと考えていたが、どうやら役所にとって医師なんぞはそうはとられていないようである。まるで個人情報保護法施行時のビクビクさ加減がしっかりとカブトガニやアンモナイトのように生き残っているような印象である。<o:p></o:p>