吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

電話勧誘 その5

2014年08月30日 06時47分02秒 | インポート

 しかしいったん断ったにもかかわらず、また電話がかかってくるのである。それは1回や2回ではない。最後にはこちらも切れて「もう二度と電話しないでください」と言ったのである。しかしながらそれでも勧誘の電話はくるのである。どうやら勧誘マンがその都度違うのである。顧客名簿が使いまわされているのだろう、何回断っても、何回も電話がかかってくるのである。もしかしたらいくつかの偽名をつかって名乗り、本当は勧誘マンは同一人物であるという推理小説的なカラクリがあるのかもしれぬ。しかしながらついにこの「魔手」に家人が引っかかった。てっきり使用している固定電話会社からの「業務案内」と思ったらしいのだ。うっかり「ハイ」といってしまったのであるが、それに手続きは勧誘マンがいうほど簡単ではなく、切り替え作業も工事業者が入ってなにやらクリニック内で回線変更作業もしていった。そして「安くなる」とは言われたものの、実はほとんど電話料金はかわっていないのである。本当に参ったのである。<o:p></o:p>

 


電話勧誘 その4

2014年08月29日 06時24分07秒 | インポート

 「ちょ、ちょっと待ってください、あなたは電話会社のひとですか?」「はい・・そうですが、なにか?」「今使用しているこの電話の○○○の方ですか?」「・・・いえ、うちはソ○ト○ン○です」「なんでこの電話会社でもないのに回線がかえられるのですか?」・・・・という話がようやく終盤にすすんでから、しかもこちらから無理に話題を変えないと、話をさせてもらえないのである。通信インフラはどうやら一系統の通信回線を細切れにして他業種の会社が参入できるようになったらしい。手続きも煩雑になるし、クリニック内の一系統のインフラに複数各社をいれるのは誤解のもとである。また不通事故の時に複数会社にいろいろ連絡しなければいけないので複雑になる。例えば固定電話は○○会社、携帯は△△会社、インターネットは××会社と分散させておくのはリスクヘッジの面で好ましい。しかし一つの回線に複数の会社を入れるのは複雑で手間をかけるだけである。危なくこの誘いに乗るところであった。「いいえ、結構です。お断りします」といった。<o:p></o:p>

 


電話勧誘 その3

2014年08月28日 05時54分30秒 | インポート

   突然の電話でいきなり本題に入られると、まるで今使っている固定電話の会社からの業務連絡であると勘違いしてしまう。これが手口なのである。回線事業の簡素化か、あるいは顧客サービスか何かできっと通話料が引き下げにでもなったんだろうと思わせるのである。そして変更の手続きは「ごく簡単」であると思わせるのである。「変更するには、お手数ですが簡単な手続き書類の提出が必要になっております」といかにも今使っている電話会社の業務を装っているのである。相手もプロの勧誘マンなのだろう、相手には考える隙を与えずにしゃべり続け、ハイかイイエでこたえさせるような会話形式で話を進めていくのである。このまま「はい、はい、あ、いいですよ」と言っているうちに手続き変更承諾ということになってしまうのである。しかしここまでくると「あれ? なんだか少し変だな?」と感じるのである。<o:p></o:p> 


電話勧誘 その2

2014年08月27日 06時13分02秒 | インポート

   この前の電話は最初から怪しかった。前述のように知らない相手に対してなれなれしい口調にもかかわらず自分の用件をなかなかしゃべらない。これでは知らないおじさんが「お嬢ちゃん、今日はお天気いいね、最近どう? ちょっとお菓子買ってあげようか?」と言っているようなものである。実はきちんとした礼儀正しい電話であれば、初対面(電話であるが)の相手には、自分の名前と素性をいった後で用件を言うはずである。しかも変に友達的な、なれなれしい話し方はしない。使うとしたら「丁寧語」や「謙譲語」であるはずである。このルールを踏襲していないものは最初から怪しいのである。また相手がでたらいきなり本題に入り込むのも怪しい。「あっ、○○です、お宅でお使いの電話料金が引き下げになりましたぁ~、切り替えをお願いしますー。」と突然目の前に気を引きそうな本題をぶら下げるやり方である。<o:p></o:p> 


電話勧誘 その1

2014年08月26日 06時25分59秒 | インポート

    最近、また種々の勧誘電話がよくかかってくる。それは税金対策用のマンションだとか株券だとか先物取引だとか、あるいは広告会社や人材紹介会社など様々である。こんな勧誘電話は過去いやというほどかかってきた。最近ではその勧誘している相手の話しぶりや口調から胡散臭さを判断できるようになった。怪しい勧誘の手口は、まず会社名がカタカナであるとか、英語のアルファベット3文字などというのが要注意である。NTTだとか大手のものなどはわかりやすいが、何の会社かわからないのにただこの3文字をいきなりつきつけてくるのは怪しいのである。ただ有名大手会社の代理店のような会社からの電話であると、自分の代理店の名前を言わずに「あっNTTの(代理店やってます)○○ですが・・・」といきなりの省略形や、「NTTのほうから電話させてもらっています・・・」などと詐称まがいの言い方でくるのでこれまた注意が必要なのである。次にしゃべり方である。「・・・・なんですよぉ~」と語尾のイントネーションを波打たせるしゃべり方の相手はプロの勧誘員である。そしていかにもなれなれしい話し方も危ない。<o:p></o:p> 


うその110番して逃走…「ポリ鬼」17人を家裁送致 その2

2014年08月25日 06時09分50秒 | インポート

   昔、自分は救急隊指導医として大手町にある東京消防庁の司令室に月に1回程度詰めていたことがあった。そこには都内からの全119番通報が入ってきた。救急隊が現場で判断に窮する時に医学的な助言をするのが仕事であった。時に「いたずら119番通報」もあった。電話口で子供などのいたずらであると発覚した場合は厳重に注意された。しかし注意のみにとどまった。この虚偽の119番通報で救急隊が出動している間に、どこかで秒をあらそう急病や火事が発生したなら、それら本当の事例が受けられるはずであった便益は受けられなくなる可能性がある。つまりは警察へのいたずら電話と同じで、人の生命と財産を脅かしていることになるわけであるの。したがって同様にこのいたずら電話というものは厳罰に処せられるべきであると考える。消防での対応は少し優しすぎるのではないかと思ってしまう。電話をかけてきた相手などは簡単に特定できるので捕まえようと思えば簡単なのである。しかしまあ警察なら逮捕権もあるが、消防の場合ではわざわざ警察に連絡して捜査をお願いし・・・というステップを踏まなければならないためいたずら119番通報はことが大きくならないのかもしれない。<o:p></o:p> 


うその110番して逃走…「ポリ鬼」17人を家裁送致 その1

2014年08月23日 06時26分44秒 | インポート

 うその110番通報をして現場にきた警察官からつかまらないように逃げ回る遊びが流行っていたらしい。このような遊びをする若者(であろう)の精神構造を疑う。ただ単に面白いからなのか、あるいは警察に恨みを持っているからなのであろうか? 確かに警察官の不祥事はよく聞く。でも警察官だって人の子であり聖人君子ではない。警察官であっても魔がさすこともあるし出来心でよくないことをしてしまうことだってあるだろう。だからといって「ポリ鬼」という遊びで公務を妨害することの正当化にはならない。家裁送致で厳罰に処せられるということであるが当然である。警察の業務は市民の安全と財産と生活を守ることである。市民は本来その公務に対して最大限の協力すらすべきである。その公務を混乱に陥れるということは警察に対してだけではなく、全市民の安全な生活をも崩壊させかねないことになる。つまり大仰にいえば、健全な全市民に対しての背徳行為といえるだろう。目的があろうとなかろうと、また成人であろうとなかろうとこのような行為は厳罰がよい。<o:p></o:p>

 


学校健診 その4

2014年08月22日 06時17分29秒 | インポート

   また一方では、やたら礼儀正しく背筋が伸びて、きちんとこちらの「ハイ、大きく息をすって~」などという指示にも従ってくれる学童もいる。とてもやりやすく気持ちがよい。このような児童はとてもいい子であり大人からみると可愛げのある子と評価される。でもこれは錯覚なのである。これはただ大人がマスで管理する時にコントロールしやすいということでの評価なのである。とはいうものの、もし今自分がこれら児童を評価する機会が与えられたとしたら、残念ながらこの「錯覚」に幻惑された状態から脱却できない。結局聞き分けのいい可愛げのある児童に高い点数を入れてしまうであろう。大昔の主観的評価法の時代、あるいは減点式評価法では教師に気に入られれば点は高くなる。それは客観的評価に変わってきた現代とはいえ根底に流れるものは同じであると思っている。どうしたって当時の自分なんか自分で見ても可愛くない。当時の小学生の自分を評価するとしたらやはりアウトなのである。人の評価とは難しい。個人評価と集団の管理を混同しないようにしないといけないのだが。<o:p></o:p> 


学校健診 その3

2014年08月21日 05時55分46秒 | インポート

   さて健診をしていると落ち着きがない子や暴れる子や、あるいは逆に変に大人びて聞き分けのいい子もいて様々である。自分の昔はどうかといえば、今考えると、う~ん、どうしたって落ち着きがなく可愛げはなかったはずである。たぶん大人たちからは内心、嫌がられたはずであろう。診察中テレテレ、チャラチャラされたら診察にならない。医者も大人数を診察するのだからサッサとすませたい。手間暇かかる生徒にはイライラするはずである。自分が健診をするようになってはじめて向こう側にいる生徒に数十年前の自分を照らし合わせてつくづく実感した。それにしても昔の教師の一喝は効き目があった。自分もよく怒鳴られたし、よく殴られた。最近では効き目どころかほとんど一喝すらしないようである。「やはり大人はすごい」という畏敬の念というものは、精神構造の未熟な幼い学童では優しくしてもなかなか定着しない。体罰までとはいわないが一喝することも必要と思う。


学校健診 その2

2014年08月20日 05時50分02秒 | インポート

   小1の児童の健診をしながら、ふっと自分が小1のころ、この場所で健診を受けていた光景を思い出した。不思議なのであるがあのころの思い出は、歌の文句じゃないけれど、みんなモノクロなのである(ももクロではない)。木造の校舎で廊下も木製でそこには腐食防止用の黒いオイルが塗られており強烈な機械臭を感じた記憶がある。それら記憶はすべからく白黒の数秒程度のこま切れ動画で覚えているのだ。例えば、ワクチン集団接種も学校でやったが、「痛いのかな? 痛いのやだなぁ」「右端の先生の注射は痛くないってさ」という幾つかの会話で終わっているような数秒の断片的記憶なのである。当時の注射をする手元は覚えているが、もちろん医者の顔なんかモザイクがかかっていて記憶のかけらもない。現在、自分が健診しながら「この子供たちが何十年かあとに、この健診のことをどう覚えているのかな?」と考えたら不思議な気持ちになった。おそらくモノクロの断片的動画で自分の顔もモザイクなんだろう。あっ、いや、こんな健診風景などハナから覚えているわけがないか・・・。<o:p></o:p> 


学校健診 その1

2014年08月19日 05時50分51秒 | インポート

    近隣小学校の校医をしている。ここはウン十年前に自分も入学しお世話になった区立小学校である。今では1学年1クラスで人数も少なく自分が通学していたころとは雲泥の差である。通学路の商店街も昔のような活気がなくほとんどが店じまいしている。まさか今、自分がここで校医をしているとは当時は夢にも思わなかった。以前の校医の先生であるが、近隣でご開業されている先生であったが定年ということで校医をおやめになり、医師会から後任として自分に依頼があったのである。校医の業務であるが年に何回か節目に学校健診がある。数か月前であるが新学期の健診にいってきた。小1と小6では体格も精神構造もまったく異なっている。この6年間というのは人間の変容が著しい時期であると思われる。小6にもなれば大分落ち着きもみられてくるが、小1、小2では学童とはいえまだまだ幼児の延長というような子も多い。<o:p></o:p> 


本日より平常診療

2014年08月18日 06時09分48秒 | インポート

  本日より診療を再開いたします。かなり暑い日も続きましたがいかがお過ごしだったでしょうか?夏休み中に薬切れがないように事前に十分調整してきたつもりでしたが、何人かの患者さんに薬切れということでお電話をいただきました。また急患のお電話もいただきましたが診療できず、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。さて気分も新たに診療再会したしますが、この暑さはいつまで続くのでしょうか?


どっちが危険? その3

2014年08月08日 05時33分59秒 | インポート

    動物実験を用いた研究であれば、母集団となる数を最初からそろえることは可能である。しかしこのような累積数を比較した統計では、最初から母集団を同じ数にそろえることは不可能である。そのためこのような場合はいろいろな検定方法があり、ある種の解析方法用いて母集団数の異なる2群の比較をするのである。そこまでしないと41%のほうが高いからこちらが危険であるという科学的ではない結論がつけられてしまうのである。まあここで科学的とはいったが、とりあえず統計学も確率であるので100%はあり得ない。そこで有意差を言い切るために危険率1%未満という壁を設けている。つまり確実な部分が99%以上あればそれを有意としている。「何だ『100%絶対』ではないのか」と思われるかもしれないが、ただ単に実数のみを比較してどちらが危険であると言い切っているTVの報道よりははるかに信用できる。報道番組もただ字面の数値の比較のみではなくきちんと統計処理をしてからモノを言ってほしいものである。<o:p></o:p> 


どっちが危険? その2

2014年08月07日 06時04分16秒 | インポート

    例えば、A>Bをある実験で証明したとする。次に同様にB>Cも証明したとする。しかしここで「だからA>Cである」と短絡的に結論付けることはできない。これを証明するにはAとCの2群間での実験を行って、それを証明する必要がある。今回の川での死亡41%、海での死亡38%は絶対数をみれば川での死亡の方が多い(のは事実であろう)。しかし2群の数値を比べるには、それぞれ川や海に行った人数(母集団)が同じでないと単純比較はできないのである。極端な例であるが、川に行った人が10万人としうち死亡者数が30人、そして海に行った人が100人で死亡者が20人としよう字面上では川での死亡者数のほうが多いため、この報道番組では「川は危険」となる。しかしすでにお分かりのように死亡割合は川(30/10万人)と海(20/100人)であり、海の方が死亡する確率は高く危険なのは海の方なのである。つまりただ絶対数だけを比較しても、もととなる母集団の数が同じではないとそこからどちらが危険かどうかの結論には到達しないのである。<o:p></o:p>