今回の事故は千葉のクレーン車による幼児衝突事故に引き続いて、おそらく被害者遺族も納得しないものと思われる。もし裁判になれば被害者遺族はてんかん保有者の権利、特に車の運転などを厳密に制限すべきだと主張するであろう。かたや運転手側の弁護士は今回の祇園の交通事故はてんかんとは無関係であると主張するかもしれない。そこで「さあ、鑑定医の先生、発作中のできことですか、どうですか?」と突きつけられることになる。医学的判断なんて今回は無理であろう。あとは司法判断でどこを「落としどころ」にするかである。被害者家族の感情とてんかん保有者の権利擁護の狭間で、今回は裁判員もかなり重い判断が課せられることになる。以前タレントO氏による薬物死亡女性放置裁判では検察側、弁護側のどちらの鑑定医も自分がよく知っている医師である。どちらも昔は一緒にお酒を飲んだ関係である。その二人が司法の現場で戦ったのは複雑である。鑑定医といったって絶対ではない。さてこの事件の顛末はどうなるのか自分は注目している。でもマスコミは最後までは報道しないんだろうなぁ~。
正常な状態のものが運転していて、いきなり猛スピードで人をなぎ倒していくことは尋常なことではない。そのようなことが「発作的」かつ「突然」おこることは通常では考えられないことである。しかしながら状況証拠として、運転手は「てんかん保有者」であったこと、「医者から何度も車の運転を禁止されていたこと」、「最近、発作が頻発していたこと」などを併せると、限りなくそのとき運転手は発作を起こしていたという可能性が高くなる。おそらく医学的な検証が鑑定医によって行なわれるのであろうが自分が担当していなくてよかった。こればかりは状況証拠のみで確実な立証方法がない。運転手の血液から抗痙攣薬が検出されたと報道されたが、とりたててあたりまえのデータでありなんら役に立つものでもない。抗痙攣薬を服用していてもけいれん発作を抑制できないものなんていくらでもある。
某てんかん関連団体としてはてんかん保有者の権利擁護をもとめるため、当然今回の事故は「発作中のものではない」とし、てんかんとは無関係であるためてんかん保有者の権利の制限にならないよう主張する可能性がある。発作中の事故でなければ、通常の状態での交通事故となるためてんかん保有者への制限にはつながらない。しかし被害者遺族にしてみれば運転手も死亡してしまった今では、何らかの「真相究明」を提示しないと納得しないだろう。たまたまてんかんを持病にもつ者が発作を起こしていなかったにせよ、突然の「豹変」で歩行者をなぎ倒して自らも命をたったのである。真相究明はきわめて難しいものになると思われるし医学的な原因の証明はかなり困難であろう。
その後のTV報道で、タクシーの防犯車載カメラがとらえた映像が放映された。暴走する車は電柱に激突して停止した。よく見ると暴走車は前の車の間をたくみにすり抜けるようなハンドルさばきで追い越していた。確かに意識障害があるような運転ではないだろう。この時の状態がてんかんの「発作中か否か」ということできっと争われるであろう。強直性痙攣であれば両足が伸展硬直するので足が突っ張りアクセルから足を離せなくなるため猛スピードで疾走したことは理由がつく。ところが通常の強直性痙攣ならば両足だけでなく両上肢も伸展硬直するので、たくみな「ハンドルさばき」は不可能である。となると「発作中ではない」ということになると、いきなり運転手がパニック状態のようになり突然暴走して人を跳ねていったその原因が分からないのである。ただ痙攣発作もいろいろな発作のパターンがあるので「発作中か否か」なんてのは検証しようがない。
来週からゴールデンウィークが始まります。今年はなんだか、桜の開花もささっと過ぎてしまった感じで春らしい日があまり多くないような気がします。だから、「えっ?もう5月の連休ですか?」と言った感じです。ようやく今週になってそそろそろインフルエンザも終息してきたようですし、花粉症もピークを越えてきたような印象です。さて今日から地元小学校で新学期の健診業務が開始されます。新学期は気持ちも新たになりワクワクしますが、風邪はまだまだ流行っています。お気をつけて。 あっ、ちなみにゴールデンウィークの診療はカレンダーどおりですので5月の1日、2日は診療しております。
病院から禁止されていたにもかかわらず運転をつづけたことはいろいろな事情もあるかもしれない。しかしこれだけの事故を起こしたのであるから今の世の中、誰かが責任をとることになる。遺族の感情の落ち着きどころは、運転手も亡くなってしまったのでおそらく「真相究明」か「再発防止」というところになるであろう。となると運転手の雇用主の労務管理が問題になるか、公安委員会での事故拡大防止策の策定か、あるいは医療機関におけるてんかん保有者の情報通報義務化などが俎上に上がるものと思われる。これは結果的に某てんかん関連団体が意図しない方向への展開になるものとおもわれるが、たぶんしょうがないであろう。今回の事故では亡くなった方が多すぎるのである。しかも医師に止められていた行為(運転)をして起こった事故である。自らを律することができない者がいれば、当然保有者全体を制限することに話が発展するだろう。自分としても不本意ではあるが、遺族感情を察するとそうなるのかもしれない。
今回、てんかん保有者の人権擁護についてのコメントがTVで発表されたがもちろん十分理解できる。ところが今回の事故は8人の方が車にはねられてなくなっている。加害者(という表現は適当かどうか疑問であるが)の人権云々がTVでいわれると、おそらく亡くなった方のご家族は「じゃあ被害者の人権はどうなるのよ」ということになる。最近、司法の場でも、あの「光市母子殺人事件」以来、被害者の人権が擁護されるようになってきた。また一番いけないのはこの運転手が病院で何度も禁止されていたにもかかわらず車を運転していたことである。おそらくこのような事件の後では「被害者の人権擁護」の機運がますます高まり、きっとあらためててんかん患者自体を制限する流れになるのではないだろうか。
TV番組の某コメンテイターが「そこまで危険であり医師が車の運転を制限するなら、事前に公安委員会などに連絡すればよかったのに」と言っていた。この程度の人がコメンテイターをできるなら私にだってできそうである。もし公安委員会にでも事前に通報したら「個人情報保護法」に抵触したとのことでその医療機関はマスコミから格好の餌食にされてしまう。警察などに個人情報を通報ができる場合は限られている。例えば被虐待児を診察したら、その疑いが少しでもあれば「確定でなくても」警察に通報することが医療関係者に義務付けられている。これは多くの亡くなった被虐待児の屍の上で成り立った法律(条例?)である。てんかん患者の人権および個人情報については、その扱いに十分注意を払う必要がある。
きちんと理解しているHIV感染者は、自分の血液を人に及ぼさないよう日常生活で気にかけている。このように理解をして実践している人に対しては、その人、個人を差別してはならない。ところが全員が全員そうではないのである。いくら個人を差別するのではなく他人に健康被害を及ぼす行為のみを制限するといっても、その行為の主体はほかならぬ罹患者個人なのである。罹患者が主体的に自らの行為を律することができなければ、勢い罹患者全体が区別されることになる。今回病院側からの記者会見では「何度も車の運転はやめるように本人に注意しております」と危険性を警告していたコメントがあった。
しかも医療機関をすぐに受診できないので、修学旅行などで飛行機での移動や登山なども制限されるとのこと。特に高所では酸素が薄く過呼吸になりやすいので要注意だそうである。また練習中、発作を起こし人を射る可能性があるので弓道なども禁止だそうである。未成年の集団に対する包括的な管理のため、厳しめな制限がなされている。一般成人の制限とは随分異なるのはもちろんのことである。この事故の報道とあわせて某てんかん関連団体から「制限や区別をするのは疾患そのものであり、てんかんを持つ個人を差別するものではない」とのコメントがなされた。もちろん一般論としてはその通りである。これはHIV感染者の場合も同じで「感染を拡大するような行為を区別・制限するのであって個人を差別しない」という理念と同じなのである。
4月12日、祇園の繁華街で呉服店の店員が運転する軽乗用車が暴走し、運転手含め8名の方が亡くなった。ここは観光地の目抜き通りで観光客も多い。TVの画面を見ていたら、有名なうどん屋の店先のようであり、自分もこの店で何度も食事をしたことがあるので驚いた。暴走車の運転手はどうもてんかんの持病があったとのこと。確かになかなか車の運転を許可するのは判断が難しいものと思われる。自分は学校医をしているが、学校教育の現場ではてんかん発作の頻発している児への制限は結構厳しいものがある。例えば、過呼吸が発作を誘発するので唄や吹奏楽は要注意であり、水泳もマンツーマンで監視できなければ禁止なのである。
いやはや参った。4月13日の朝、TVで緊急速報のテロップが出たので、また地震速報かと思いきや、北がミサイルを打ち上げたと報道された。TV各局も緊急報道に切り替えられて、この経過についての速報が急遽行なわれた。経過としては、発射後1~数分で爆発し結果的には失敗だったらしい。周辺各国に平和のための衛星打ち上げる?とアドバルーンをあげて脅威を与えた結果がこれでは、きっと北の関係者はそろって処罰されるかもしれない。まったく関係者には可哀そうなところである。しかしながらこの失敗は「日本の領土に落ちなくてよかった」ではない。こちらにとっては成功したことよりも逆にものすごい脅威なのである。なにしろ狙ったところに落ちないしどこにいくのか分からない精度の低いものである。予期せぬところで暴発されることのほうがよっぽど怖いのである。
なにやら国際化を視野に入れて大学の新学期が9月に改められるらしいという話を聞いた。まあそれはそれで構わない。しかし「桜の花の下を歩きながら学校の入学式にいった」などという日本古来?からのイメージが定着しているので、なんとなく慣れるまでは秋入学は奇異な感じがするだろう。となると4年後からは就職時期も秋になるのであろうか? 次第に季節感が薄れていくような感じである。桜は日本人にとっては春の到来であり、これから色々なことのスタートを意味する。季節と年間のイベントがリンクしている日本だからこそ意味深いものであると思われる。まあ、桜の時期は天候を含めいろいろ不安定な時期なので平穏を祈っています。「桜の花の満開の下」という小説もありますし・・・。
クリニックの近隣は桜の名所が多い。染井霊園の桜や飛鳥山の桜も有名である。まあ取り立てて自分は見に行くことはないが、それでも患者さんからの観桜の話を聞くのはいいものである。秋の紅葉とならんで春の桜のピンク色は、やはり風物詩なのである。さりとて自分は花より団子か、桜餅のほうがよい。あの塩漬けされた桜葉の香りが餡子の味をひきたてるので好みである。昔はよく葉ごと一緒に食べていたが、最近ではあの葉のスジが葉に挟まるので食べなくなってしまった。時に塩漬けの葉ではなく、葉っぱの形をした緑色のビニールに包まれた桜餅をみると、少しわびしさを覚える。でもまあ今となってはどっちにしろ食べないのだから同じだろうといわれそうであるが。
今年の桜は3月の寒さの影響か、開花が遅れたようだ。しかし4月にはいって1週目であっという間に咲き、東京では4月8日(日)がピークとなった。そして僅か1週間もしないうちにどんどん散り始めており、今年は見ごろの期間が短かったようである。4月になってもポツポツ、インフルエンザの患者さんは来院し、先週も何人か陽性になり、いまだに終息は迎えていない様である。しかもA型とB型どちらもみられており、一体いつまでインフルエンザが続くのかいな?と不思議に思う。何となく今年の春の天候、気温は不順な様子である。今年は桜と風邪と花粉症とインフルエンザが混在しているので変な感じである。