このような客観的情報が存在したとして、次に救命の可能性の問題である。まずこの遅れたという10分間に、論点である「処置をしたら助かったのか?」ということの証明が必要とされる。それは「9分目」なら救命できて「11分目」なら助からなかったという証明に等しい。
でもこの境目の証明などできっこない。よく救命手当講習で引き合いに出されるのは、心停止して1分経過するごとに7%ずつ救命率が低下するので10分放置されたら救命不可能であると言われている。これはすべての心疾患の種類を含めたオーバーオールでの率である。
細かくわけてそれぞれの病態でわけたら救命率はいいものもあるし、悪いものもあるのである。今回の傷病者がどのような病態であるかによっても救命率は異なるのである。
どう考えたって医学的にこの10分間の遅れが原因で救命できなかったことを証明するというのは不可能と思うのである。
でもこの境目の証明などできっこない。よく救命手当講習で引き合いに出されるのは、心停止して1分経過するごとに7%ずつ救命率が低下するので10分放置されたら救命不可能であると言われている。これはすべての心疾患の種類を含めたオーバーオールでの率である。
細かくわけてそれぞれの病態でわけたら救命率はいいものもあるし、悪いものもあるのである。今回の傷病者がどのような病態であるかによっても救命率は異なるのである。
どう考えたって医学的にこの10分間の遅れが原因で救命できなかったことを証明するというのは不可能と思うのである。