吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

運転免許更新 その3

2014年11月29日 05時25分17秒 | 日記
 
 おそらく周囲の車は80km/hくらいで走っていたであろう。全員が「速度超過」なのである。そして自分は前の車を追い抜くため追い越し車線に出たのであるが、そこで後ろから覆面パトカーに「煽られた」ような気になって、まあいわば反射的に危険回避のため速度をあげたのである。そしてすぐに走行車線にもどったのであるが、その時の追い越し車線での速度を計測されたのである。自分は90km/hであり20km/hの速度超過だったそうだ。今まで自分の経験では、どんなに反論しても、絶対に情状酌量して見逃してくれることはない。彼らの仕事は交通違反を未然に防ぐことではなく、「違反者を捕まえること」なのである。違反者を捕まえることが彼らの勤務評定に関連しているのであるからしょうがない。そして彼らがdebateするときに必ず最後に用いるフレーズは「・・・でも事情はどうあれ、あなたは間違いなく違反していますよね? 法規遵守しなかったですよね? 残念ですが違反は違反です」と、原則論に立ち返るのである。

運転免許更新 その2

2014年11月28日 06時01分00秒 | 日記
しばらく周囲の車の流れに併せて走っていたが、前の車が遅いので追い越し車線に入って追い抜こうとした。すると後ろからグレーの車が自分を追い上げてきて、なんとなく「煽られている」ような雰囲気を感じた。なので自分もスピードをあげ横の遅い車を追い抜いた後はまた左の通行車線にもどり、そのグレーの後続車を先に行かせようとした。ところがその後続車は覆面パトカーであったのだ。とたんにサイレンが鳴らされて自分は停車させられた。最初は何で自分が止められたかはわからなかった。「は? どうしましたか?」と聞いたら「速度超過です。前のパトカーまで車検証と免許をもって来てください」と。まったく意外である。まったく速度超過したという感覚はなかった。周囲の流れに乗って運転していた。ただし高速道路からこの道路に入った直後なので制限速度が70km/hということは自覚していなかった。そしてすでに最初から速度超過していたなんてことも気が付いていなかった。

運転免許更新 その1

2014年11月27日 06時41分29秒 | 日記
 11月に運転免許の更新をした。通常なら近場の警察署で行うのだが、今回は江東試験場まで行くことになった。まあでも日曜日も受け付けてくれるので助かった。しかしながら江東試験場まで行くことになったのは、今回4年前に速度違反にて切符を切られたからである。違反者は近場の警察ではなく試験場まで行って長目の講習を受けさせられるのである。実はこの速度違反というのもやむを得ないのである。4年前神奈川県内の高速道路(だと思っていたが)で20km/hの速度超過でつかまった。捕まったその道路は高速道路から直結した「自動車専用道路」であり制限速度は70km/hであった。高速道路からその自動車専用道路に入って、他の車の流れに沿って走っていたのである。おそらく高速道路から入ってきてしばらくは周囲の車は全部、速度超過しているのである。



昨日はもう大変でした

2014年11月26日 05時50分40秒 | 日記
 いやはや昨日はOCNのブログが今月いっぱいで閉鎖されるというので、こちらgooさんのブログサイトに引っ越ししてまいりました。その手続きやら作業やらで面倒でしたね。とにかく開業してからブログをはじめ7年間は診療日には必ず更新してまいりました。こんなにも続いているとは思わなかった。夕方になって一通のメールが届きました。なんと・・・今まで5年間ずっと落選し続けていた東京マラソンの追加抽選での当選通知でした。「はぁ・・・ようやく・・ですかー」という感じ。嬉しいは嬉しいのですが、来年の大会日周辺の日程はすべて決めてしまっているのでその調整が大変です。さてあと3か月を切っています。練習しなくちゃ~(嬉泣)。

閑話休題

2014年11月25日 05時34分45秒 | インポート

 昨日、年末年始の休診ポスターをPCにて作成しました。1か月処方のかたはあと1か月ちょっとで年末になりますのでそろそろ休診の告知は必要ですね。それにしてもついこの間まで「デング熱」が話題だったのが、いつの間にか「インフルエンザ」に変わっています。もう学童ではインフルエンザ罹患者が急増しています。また小児ではインフルエンザでも溶連菌でもない熱発もみられています。さてこれからノロウイルスも流行ってくる季節になりました。毎年同じですがやはり嗽、手洗い、マスクは基本です。注意しましょう。


米国人のいい加減 その5

2014年11月22日 06時34分00秒 | インポート

 試合後彼女は観客からの万雷の拍手とエールを浴びた。いかにも米国的で感動的な場面である。多国籍人種の寄合である米国人にとって、困難に立ち向かうフロンティア・スピリットを持ち出すのは誰しもが納得できる方法論なのである。彼女の試合後のインタビューでは「私は負けない、前に進む」とのコメントも多くの聴衆の感動を呼んだ。つまり米国では病者を含む弱者に対して周りからあらゆる意味での盛り上げやサポートがある。日本では余命いくばくもない1個人選手を試合に出すはずがないし、その1個人選手のために大きな組織の決め事である大会日程をずらすなんてことはない。日本人はすべてにきちんとしているので例外は認めないのである。逆に米国人はで「ルーズ」なのである。試合中、彼女が急変しようと別に「責任はだれが・・・」などとは考えないだろう。また試合日程を変更して他の数あるチームからスケジュール調整などで苦情がでようとも、やはり弱者にはみな協力的になれるほど決まりごとに対しては「ルーズ」なのである。だからやっぱり米国人は「いい加減」な人種とひとくくりにできるのであると確信している。

 


米国人のいい加減 その4

2014年11月21日 05時35分18秒 | インポート

 また先日TVニュースでみたが、米国のある州で脳腫瘍で余命4か月の19歳のバスケットボールの選手のことが話題になっていた。彼女は常に前向きで自分は動けなくなるまで試合にでると宣言し試合を欠場することなく健気にプレイを続けていた。日本人の感覚からすると余命4か月の選手を、いくら本人の強い意志があるとはいえ試合には出さないだろう。日本の場合は、やれ何かあった時の責任はどうするんだとか、寿命を縮めはしないか?とか、試合中の容態急変の場合はその救護体制はどうするのか等、事前に散々の検討がなされ(なされる振りだけの場合もあるが)、そして最後は「前例がない」ということで彼女の出場は認められないのである。一方、この米国での話に戻るが、このバスケ大会の関係者は大会日程を予定の開催日より2週間も早くして「前倒し開催」したのである。そして彼女は試合に出てゴールも決めた。

 


米国人のいい加減 その3

2014年11月20日 05時48分30秒 | インポート

   何とか代理の消防チーフがインタビューを受けてくれて情報収集は何とか可能であった。さて話はかわるがTVで「Youはなにしに日本へ」という番組がある。これは空港に到着した外国人にインタビューして今回の来日の目的を聞き、面白そうであれば密着取材するという内容である。先日の放映であるが、ある米国人女性に密着取材を申し込んだら快くOKが取れた。そして密着当日になりスタッフが現地の待ち合わせの場所で待っていたが一向に来る気配がない。数時間まっても結局現れなかった。特に向こうから連絡もない。それで密着終了となったのである。もちろんこれら個々の事例だけで、あの人種のルツボである米国人を十把一絡げにして「いい加減な人種だ」と言うわけにはいかない。でも我々punctualな日本人からみれば「あいつらいいかげんだ」と思ってしまうのである。 


米国人のいい加減 その2

2014年11月19日 05時53分20秒 | インポート

 LAの大きな病院で消防のメディカルコントロールを統括している救急医と事前に面談する約束を取り付けてあった。到着後、彼の勤務先の病院に電話を入れたところ「本日は出勤していない。たぶんLA消防の統括室だろう」ということで、そちらに連絡を入れた。しかし本日は出勤していないと・・・。電話をきってしばらくしてかけなおしたがやはり不在で詳細不明とのこと。仕方がないので勤務先の病院にまたかけたがらちがあかない。このままこの救急医にインタビューできなければLAの病院前救護の収穫はゼロになる。途方に暮れて、最後はこの医師を紹介してくれた「元上司」に連絡した。事情を話したら彼の秘書が居所を調べるのでそのまま待つように言われた。小一時間でこの秘書から連絡があった。結果、彼は休暇をとってバカンスにでかけているらしいとのこと。以前より約束をしていたにもかかわらずである。ほどなくして彼本人から電話がかかってきた。詫びる言葉もない。こちらは少し嫌味も込めて「インタビュー今日中にできるのか? 今日は忙しいのか?」と聞いた。すると「とても多忙で会えない」と。休暇先からの電話である。忙しいもくそもない。怒りがわくよりも情報収集が全くできなくなることのほうで途方に暮れた。

 


米国人のいい加減 その1

2014年11月18日 06時15分39秒 | インポート

 大学勤務医時代、医局でよく種々の学会開催の当番にあたった。その際、海外からゲストスピーカーを呼んで講演をお願いした。ある時の主幹では欧州人の医師(このようなくくりも適切とは言えないだろうが)を招へいしたが、最初に依頼する時はメールを送るのである。概ね欧州人はこちらがメールを出すとすぐに返事をくれた。これは助かった。都合が悪ければ他を当たればいいのである。ところが米国人にメールを出してもほとんどいつまでも返事が来ないのである。ダメならダメと返事をくれれば助かるのである。こちらも矢継ぎ早の催促は失礼にもなるのである程度日数を置かざるを得ない。あんまり返事が来ないときは何回かメールを出すが大抵3回目くらいにようやく返事が来た。返事が遅れたことを詫びる文面は大抵、ない。ある時のことである。自分は厚労省の科研研究者として米国各病院の救急医や消防署の病院前救護の調査のため1か月ほど米国各都市を出張した。

 


エボラ出血熱疑い その3

2014年11月17日 06時08分00秒 | インポート

   というわけで11月13日、急きょ医師会でエボラに関する講演会があった。現地で治療に当たった医師の講演であった。感染力は空気感染ではなく飛沫感染である。なので結核や麻疹などよりも感染力は強くはないのであるが、しかし接触したり体液が付いたりすれば危ないのである。保健所でも防護服の着用方法のデモンストレーションを後日行いますと保健所職員のかたが言っていた。確かに防護服の着方や感染のゾーン認識は重要である。ただ何となく思ったのであるが、毎日防護服を着て我々は診療するわけではない。もし患者と一般開業医が接触する機会があるとすれば、それは通常診療中に「不意」に接触するのである。そして待合室では必ず、他の無防備な患者の横に座っているのである。やはり感染予防は流行地から帰国した人の自覚に委ねるしか方法はないのである。ちなみに21日間発熱しなければ感染していないし、また感染していても発熱がおきていない潜伏期では人に感染しないそうである。熱がなければいいが3週間は特に行動に注意していただきたい。 


エボラ出血熱疑い その2

2014年11月15日 06時24分44秒 | インポート

 しかしながら税関では、他国を経由したとはいえ、パスポートみればどこからの帰国者なのかはわかるはずである。流行地に滞在していたのであれば、帰国後発熱した場合の注意事項や対応策を本人に告げているはずである。それは保健所に連絡し指定病院を受診する手はずなのであるが、それがどうして一番無防備な開業医に行ってしまったのか不思議である。これはどう考えても本人の認識不足や理解不足によって「まあとりあえず近場で診てもらおうか」という安易な発想による行動であったものと考えられる。一般開業医はとにかく無防備である。患者は待合室で咳などをして痰などが周囲の患者やスタッフに飛沫していた可能性もある。幸い患者は陰性ではあったが「幸い」では済まされないのである。これだけ世の中あげて感染対策指定病院を設定し、事前訓練までしてスタッフの動きや指揮命令系統も統制したシステムを構築してきているのである。しかしそこの施設にはいかず、いとも簡単に一般開業医を受診されてしまうのであれば、とにかく本人の自覚に期待するしかない。でもどんな感染症でも世の中に蔓延するとしたらまず最初の防波堤はやっぱり一般開業医なんだよなぁ~と思う今日この頃である。

 


エボラ出血熱疑い その1

2014年11月14日 06時36分01秒 | インポート

   11月4日、リベリアから他国経由で帰国した男性が国内で発熱したとのことで一般の開業医を受診した。開業医は(おそらく慌てて)確定診断をするためにいろいろと動いたであろう。結局精密検査の結果は陰性であった。しかし多くの問題を残したのである。まずこんなにも簡単にエボラ疑いの患者が一般開業医を受診してしまったことである。我々開業医には何ら感染防御のマニュアルも器材も持たないし、その患者管理のための施設も持たない。開業医に最初に来ないような水際での防御は検疫で発熱していないか、あるいは3週間以内に流行地に行っていないことを確認しているはずである。確かにこの2項目のインタビューだけではザルみたいに目が粗く、網をすりぬけてしまうだろうが、でもしょうがない。要は本人がきちんと申告したかどうかである。おそらくは今回の患者は流行地からの帰国であることを隠していたかもしれない。 


桂小金治さん死去 その2

2014年11月13日 05時48分57秒 | インポート

 突然バケツをひっくり返したような大声で、「いい加減にしろ!」「甘ったれんじゃない!」「親を何だと思っているんだ!」などというセリフがよく使用されたように記憶している。そして雛壇の若者たちを怒鳴りつけて番組が終了するパターンなのである。よくよく考えるとタイミングはまさに水戸黄門と同じで、勧善懲悪、予定調和のドラマ仕立てである。雛壇の風体の悪い若者たちも、小金治さんの時間通りの説教攻撃を予定したかの如く、完全にしらけきった表情か、あるいはニヤニヤして聞いていたりするのである。今考えると、雛壇の若者たちも劇団の役者さんか何かの仕込みであったかもしれず、また小金治さんも「はい、そろそろ怒ってください」のカンペをみせられてから予定されたように突然沸騰したのかもしれない。たぶん台本通りのバラエティをみせられていたのだと思う。彼が本当はあのように突然沸騰する性格なのかどうかも知らないが、そのようなイメージで固まってしまっていた。もちろんそれで売れたのでしょうがないが、でも作られたイメージ通りにTVで振舞うのもたいへんだったと思う。合掌。

 


桂小金治さん死去 その1

2014年11月12日 06時27分03秒 | インポート

  113日に桂小金治さんが亡くなったとのこと。彼の印象は落語家というよりも俳優、司会者、タレントなどの芸能界での印象が強い。特にアフタヌーンショーでの「怒りの小金治」がすごかった。子供時分に時々見る機会があった。たぶん、ふだんは自分は学校なので休みの時かなにかで見たのであろう。でも「怒りの」印象が強かった。スタジオの雛壇には当時「風体の悪い、反体制風な若者たち」が集められ、最初は小金治がいろいろと質問したりインタビューしたりするのである。そして若者は必ず反社会的なコメントをするのである。最初は「ふんふん、そうなんだ~」と相槌を打って、いかにも若者のよき理解者風の態度を示しているのである。ところが放送時間も残り少なくなると、突然怒り出し説教を始めるのである。このパターンは毎回続くのである。まるで水戸黄門の印籠がそろそろ出てくるかなというタイミングと同じなのであった。