吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

安倍首相夫人 その2

2017年03月31日 06時37分24秒 | 日記
 あたりまえであるが安倍首相夫人という肩書に仕事がついてくるのである。安倍昭恵さんに仕事ががくるのではなく、また人が群がってくるのでもない。
 これは自分も過去に経験した。昔、大学勤務医の時の直属の上司の話である。彼は当時大学の医局長であったが、毎月かなりの医学雑誌から依頼原稿が山のように来ていた。臨床もバリバリで雑誌の執筆もかなり多く業界では有名であった。その後しばらくして彼は一般病院に移った。

 彼が大学を辞めてからしばらくして何かの会合でその先生と飲んだ。しこたまお互い酔っていたのだが、帰りに駅のホームで電車を待ちながらの彼の言葉が重かった。
「吉田よぉ~、大学時代は山のように毎月きていた依頼原稿が、大学辞めたとたんにパタッ・・・とこなくなった」「自分の実力で依頼されていたのではなく大学のネームバリュー、まあ肩書に仕事がきていたんだなぁ~」と寂しく言った。この言葉は印象的だった。
 自分はその先生には実力があると思っていたし実際そうでもあった。でも世の中からの評価とはその人の実力や、人となりなどとは関係がなかったのだと思い知った。

 昭恵夫人の人と成りは知らない。でも純粋でお嬢様で奔放な方だとメディアで報道されている。もしそんな人なら付け込まれる余地は十分にある。首相夫人としては脇が甘すぎる。

安倍首相夫人 その1

2017年03月30日 05時52分01秒 | 日記
 最近、小学校建設に関して首相夫人が寄付をしたとかしないとかが問題になっている。
 安倍夫人はもともといろいろの所で講演を行っているらしい。自分は安倍さんが総理になる前の、安倍夫人の活動内容については知らない。もともと彼女が「自分は人と人の間に入って色々なことをくっつけるのが仕事である」と言っている。
 確かに活動内容自体は人の輪を広げるということでよろしいことである。しかしそのように人との仲介をできるのは有名人だからなのである。そしてこのようことを仕事としてできるのは「首相夫人」であればこそである。
 表現は悪いが、これがただの隣に住んでいる人の好いおばさんだったら、このような仕事の声はかからない。つまりこのようなお仕事をできるというのは首相夫人という「ネームバリュー」を持っているからなのである。
 しかしこのネームバリューによる特権にはかなり重い責任がついてくるのである。寄付したかどうかは定かではないが寄付行為一つでも首相夫人であれば危険が伴うであろう。

朴槿恵大統領 弾劾 その4

2017年03月29日 05時57分52秒 | 日記
 もし「破棄される」という有様を国際社会が見たら「ああ、この国はお互いの約束を自分の都合で平気で破るんだな」と思うはずである。そうなれば「今後、この国とはお付き合いをしないほうが安全であろう」と信用されなくなってしまうのである。
 つまりこの日韓合意が破棄されるかどうかで彼の国の今後の国益が損なわれるかどうかが決まってくるのである。財閥主導の国家経済とは言われているが、電化製品や自動車産業の発展は目覚ましいものがある。しかし「約束を守らない国」が今後他国との貿易関係の中でどう取引を行なえるかは難しいのではないかと思う。
 
 さて中国もそうであるが1980年あたりから、学校で徹底的に反日教育がなされたらしい。これは内政事情不安の時に「反日」を持ち出し、その時々の国民の意識を国外へそらせるためのツールにするのだそうだ。
 韓国で今後、反日姿勢を示すことが今後の日韓関係に何の得があるのであろうか? 今、日本国内で「反韓三原則 助けない 教えない 関わらない」という主張を聞いている。本当は仲良くしたいのであるが・・。

朴槿恵大統領 弾劾 その3

2017年03月28日 06時26分07秒 | 日記
 国家レベルで政治家が謝ってしまったのである。しかし以後日本の政権では一度たりとも「実はあの謝罪は誤った記事からの事実誤認で謝罪してしまいました。だからあの謝罪は破棄します」とは言っていないのである。
 あの時の日本側の発言は「談話」レベルのことである。国家レベルの重い発言ではないのであるが、それでも一度言ってしまったら終わりなのである。

 ところが今回の日韓合意は政治家が「言ったか言わないかの問題」ではなく、もっと重い「国レベルでの合意」であり約束ごとなのである。そして10億円という保障までついているのである。
 それを向こうの都合で一方的に「破棄します」ということが為政者の口から平気で言えるということが極めて不思議なのである。
 諸外国がそれを見たら一国の信用が失われるであろう。「この国との約束は反故にされる」と評価される。
 諸外国から信用を失うことはどれほどの打撃なのかおそらく彼の国は分かっていると思うのであるが・・・。

朴槿恵大統領 弾劾 その2

2017年03月27日 06時05分54秒 | 日記
 この次の大統領候補は「先の日韓合意を破棄する」と平気で言っている。あれ?こういうことを平気でいっていいのかなと感じるのである。国と国との約束であるがそれを平気で「私は破りますよ」と言っているのである。そしてその破棄宣言を国民はどうやら支持しているようなのである。儒教の国かと思ったら約束は守らなくてもいいらしい。不思議である。
 
 一方日本であるが、過去終戦後に日本は韓国に対して膨大な賠償金を支払った。でも韓国は対戦国ではないのになんで賠償金?とも思うが、まあ過去のことなのでいいであろう。
 でもそれにしてもこれは「以降すべて何の権利主張を日本に対してしませんよ」という合意であり賠償金なのである。
 それにも関わらず日本政府に対してこれまでずっと何かしらの謝罪要求(=補償金)をしてきたのである。
 本来であればその時ですべては終わっているのである。日本側も相手にしなくてもいいのである。にもかかわらず過去に朝日新聞記者のねつ造記事に基づいて、当時、河野談話が、そして当時の村山首相談話が出されてしまった。言ってみれば反日記者に翻弄されたのである。

朴槿恵大統領 弾劾 その1

2017年03月25日 05時41分32秒 | 日記
 この間、朴槿恵大統領の弾劾裁判が、裁判官8人全員の同意を持って成立した。ここに至るまでものすごい勢いのデモには彼の国の人達のパワーを感じる。
 しかしなんとなくここまでの経緯をみると「人民裁判」か「クーデター」みたいな勢いを感じるのである。弾劾推進派の声を聴くと「民主主義の勝利だ」と大声で泣いていた。しかしこれが民主主義というやつなのだろうか?
 さてこうなると60日以内に新大統領の選挙が行われることになるが、次回当選の下馬評が高い候補も何やらものすごい反日主義者らしい。これだけ反日姿勢を強固にして今度は日本から一体何を引きだそうというのであろうか?
 なんだか政治の駆け引きの道具として未来永劫用いられるのかと思うと複雑な思いである。韓国旅行にいく日本人旅行者はずいぶん減ったということである。そりゃそうであろう、これだけ反日姿勢の市民動向がTVで大きく映し出されれば当然「治安は良くない」と思うだろう。誰もそこまでして韓国旅行しようとは思わなくなる。
 むしろ国益を損ねていると思うのだが。

武士(もののふ)の気持ち? その2

2017年03月24日 06時04分29秒 | 日記
 石原さんの都知事時代は確かに自分の姿勢をしっかり示した。靖国参拝し、メディアに「これは公人ですか、私人参拝ですか?」と聞かれ「公人に決まってるだろ。馬鹿なこと聞くな」と一喝した。見ていて気持ちが良かった。また尖閣諸島の問題でも「東京都で購入する」と言い出した。是非はあるものの、ある意味自分の思いと姿勢を貫いたことは潔かったと思われた。
 しかしである。今回の「自分は武士(もののふ)」的発言のあとの責任逃れ、詰め腹回避姿勢はやはり見苦しかった。

 結果的に石原さんは小池さんにターゲット(政敵)にされた。でもこれまで都の行政と議会と知事のどこにも責任を取るものがいないという「共同責任は無責任」体制を明らかにしたのは小池さんの業績である。「誰が責任とるの」のババ抜き合戦ではすでに過去の市場長などは軒並み責任を取らされている。
 次は元都知事と都議の番である。元最高責任者が口で言う「もののふ」らしさは微塵にも感じられなかった。

武士(もののふ)の気持ち? その1

2017年03月23日 06時16分46秒 | 日記
 ちょっと前に石原元都知事がようやく記者会見をひらき豊洲移転問題の質疑を受けた。会見に向かう日に「どのような気持ちか?」と問われて「果し合いに向かう武士の気持ちだ」と答えた。
 それ以前も小池さんに「お逃げにならないで出てきてほしい」と言われて、「俺は逃げているとか、隠れているとか言われるのが一番嫌なんだよ」と言っていた。まさに自分は正々堂々とした武士(もののふ)を宣言しているようなものだ。
 さて一転して、記者会見では「私は知らなかった」「部下に任せていた」「みんなでやったこと」とかなり責任が自分にないような発言を繰り返した。
 「私は武士(もののふ)」というような発言をされたのであれば、万が一、責任がなくても「すべて私の責任です」といって「詰め腹」を切るのが武士の役目であろう。
 昔の武士であればそれをなしたはず。行政の長である元都知事に責任がないということはない。武士ならば潔さが見たかった。

羹に懲りて膾を吹く その5

2017年03月22日 05時30分34秒 | 日記
 しかしながら、今後、この公立病院ではこのようなフレキシブルな対応はしないであろう。おそらく院内での対応は「患者さんの要望にはきちんとすべてに対応するように」などとの通達がでるだろう。
そうなると「緊急性がなく切りがない」患者さんの訴えにまでダラダラとお付き合いすることになり結局、診療業務の停滞を招くことになる。おそらくこの病院では今後「待ち時間がずいぶん増えた」と苦情が出るかもしれない。
今後なすべきことは「患者さんの訴えすべてをきちんと聞いてすべてに対応する」ということではない。大事なことは「患者さんの訴えの中できちんと緊急性をトリアージできるスタッフを育成すること」なのである。

 「刻み海苔ノロ感染事件」に続き、この事件を見て危惧することは、現場に規制をかけるのも良いが、かけ方の方向性を間違えると余計に現場が混乱することになるのである。
 マスメディアの手法も、起こった事件を一般論的な真理で攻撃するにすぎない。「医療従事者は命を守るべき、けしからんどこの病院が悪いの?」という一般論で攻め立てているのである。本来であればanterograde(順行的)に「何故亡くなったのかその深いところにある原因は? 病院職員が対応を断るに至ったその原因は?」と理由を掘り下げて、今後につながる良い提案ができるような形で報道すべきなのである。マスメディアの報道は建設的ではなく、ただの病院批判、職員の個人批判だけで終わっているのが寂しい。

羹に懲りて膾を吹く その4

2017年03月21日 06時18分57秒 | 日記
「1日500人の外来患者では個別の対応はできない」という病院側のコメントも正しい。しかし患者さんの要望や訴えの中で「緊急性」「重要性」の高いものを選択して、そこの部分は逃さずきちんと対応できる能力こそ必要である。
 「個々の要望には対応しない」というマニュアルを四角四面に固持しているとこのような不幸な結果が出る。
 今回亡くなられたパーキンソン病患者さんは、歩行障害は当たり前である。介護タクシーに乗れなければ歩いて帰るしかない。でも4kmなど歩けるはずがない。この患者の「10円貸してくれ」という要望は「緊急シグナル」であったはずである。それに気が付かなかった病院職員は事務職員とは言え医療従事者として失格である。
 対応マニュアル通り患者さんのその他多くの緊急性のない要望には「個々の要望には対応しない」と突っぱねてよい。訴えの中で重要なシグナルだけを見落とさないことが重要である。
 対応マニュアル通りに行うことは組織の規約として、また業務の簡便化として重要であるが医療は接客業ではない。
 本来の目的は生命安全の管理、健康の維持である。「患者個々の要望には応じない」という対応マニュアル(院内の約束事)があったとしてもそれを逸脱してかまわないのは当然である。

羹に懲りて膾を吹く その3

2017年03月18日 06時23分59秒 | 日記
 言いにくいのであるが、これは事実である。それは患者さんの外来における要望や訴えは時に「切りがない」のである。中には緊急で重要な訴えもあるが、概ねその要望の多くは緊急性がないのである。特に高齢の方の話は循環的であり同じ話が冗長的に延々と続くこともある。途中で話を遮ると怒り出したり、「あの病院は話を聞いてくれない」と言われる高齢の方もいるのである。
さてその上で今回の話であるが、今後病院がこれだけマスメディアや市議会から「叩かれれば」、今後は患者さんの冗長的な話に最後まで(患者さんが満足するまで)対応せざるを得ない。すると確かに「1日500人もの外来患者さん」がいると極端であるが外来終了は夜になるかもしれない。当然それだけ待ち時間も長くなるだろう。すると今度は「あそこは午前中から夜まででも患者を外来に待たせておく」という苦情が出てくるのである。そう簡単に対応職員の数を増やすのは「医療費抑制の国策」のもとでは困難である。どうしようもなくなる。

羹に懲りて膾を吹く その2

2017年03月17日 05時45分05秒 | 日記
 やむなくその患者さんは、約4km離れた介護施設まで歩いて帰ろうとしたのであるが途中行方不明となり捜索願が出た。そして先日、途中の草むらで遺体で発見された。凍死であるとのこと。
 さてこの事件であるが、当然世間の批判はこの市立病院の対応に集中している。「きちんと対応してあげれば死ななくて済んだ」「医療機関は命を守るところ。職員がその気持ちをもっていない」などと批判がでている。当然である。
 一方、病院側は「1日500人もの外来患者がいる中で、一人ひとりの個別の要望には応えられない」と述べている。この病院側のコメントは人が亡くなってしまっているという事実の前では説得力がない。マスメディアのフィルターを通してこの事件を見ている第三者であれば「病院とあろうものがとんだ言い訳をしている」としか映らない。

 しかしながらこの病院側のコメントも事実であり真理なのである。

羹に懲りて膾を吹く その1

2017年03月16日 06時16分25秒 | 日記
 前項その2で述べたが、「羹に懲りて膾を吹く」という諺を出した。
 必要なことなのであろうが、起こった事件に対して世の中がそれをけしからんと寄ってたかって攻めると、関連業界への規制が強化される。
 これはこれでいいのであるが、規制が厳しくなりすぎると「厳しくしないでいいところ」にまで規制をかけすぎて逆に業務がはかどらないことが多々あるのである。
 前項の所での結論は、あのような事件があると我々業界では感染性胃腸炎をみたら就業停止の期間を、気持ち的に(根拠なく)数日~1週間延ばすかもしれない。その理由は「医療機関で就業許可されたが実は治っていなかった。職場で感染拡大した。どうしてくれる」という言葉が怖いのである。特に患者さんが飲食業者の場合は治癒期間を延長する可能性が高い。「安全係数」を考慮するからである。

 さて今年の1月の話である。柏市立病院で、通院しているパーキンソン病の患者さんであるが、帰宅時に介護タクシーを呼ぼうとしたがお金がなかったと(病院にきているのにお金がないというのも不思議な話であるが)。そこでタクシーをよぶのに受付に「10円貸してくれと」と頼んだら「個々の依頼には対応していない」と断られたのである。

海苔でノロウイルス感染症 その5

2017年03月15日 05時54分41秒 | 日記
 便中には大量のウイルスがいるので、基本的に下痢を止める治療はだめである。下痢をとめたらウイルスがいつまでも体内に残ることになる。しかし強力な止痢剤つかってもノロの下痢なんて治まるもんじゃない。下痢が続くと体外に大量の水分が失われ脱水になる。この脱水を補正しながら、自然と下痢が治まるのを待つだけというのがノロの治療なのである。
・・・と言いつつもとりあえず軽い止痢剤もうちでは追加しているがなんとなく「気は心」の程度である。

 感染して発症して何が怖いかというととにかくひどい下痢になることである。予備力のない老人、子供こそ時に致命傷になるかもしれないが、健康成人では死ぬようなことはない。しかし感染力はハンパなく強く、一般生活に多大な支障をきたし、また日常生活のみならず、飲食業関係者、関係業界にも多大な悪影響を及ぼすその経済損失効果も甚大なものなのである。
 今回の感染源である「ノロ加工業者」の成した罪は大きい。

海苔でノロウイルス感染症 その4

2017年03月14日 06時09分09秒 | 日記
 なぜ「通常の便」になるまでダメかというと、3~4日で一旦下痢は治まることも多い。しかしこの時点では下痢はおさまったが、腸粘膜はまだ正常になっていない。
 多くの人が「下痢止まった→病気が治った」と勘違いし食事を普通食に戻してしまうのである。すると再度下痢がはじまることがよくあるのだ。
 なので自分は完治の目安を「いつも通りの普通の便がでたら」ということにしている。下痢は止まっても便が全く出ていない期間は完治とみなさない。
 もちろんこれは自分の判断基準であり、他の医療機関での判断基準は知らない。おそらくうちは厳しいほうであると思う。しかしそれでいいと思っている。ノロの感染力は自分も経験したことがあるがハンパではない。
 特に飲食業従事者の感染では「就業禁止期間」を厳しくしないと容易に感染は拡大する。やっかいなことにノロには効く薬がないのである。
 吐物、下痢便の中には大量のウイルスが混入している。これは少なくとも体外に出す必要がある。