昔から言葉の使い方だの語句の選択などは何だか学校でも家庭でもうるさく言われてきた。
若いころは「なんでそんなうるさく言葉の使い方を直されるんだ」とうるさく思った。
しかし最近人との会話の中では言葉の用法で時に違和感を覚えることがある。
もっとも言葉は生き物である。生き物だからこそ変わるのは当たり前である。太古の昔から変わらなければ平安時代の「いとをかし」の古文なんて勉強する必要はない。
「美しい日本語を・・・」なんていうけれど、美しいものを先達が守らないでいたので、どんどん変化していくのじゃあないかと若いころは思っていた。
要は言語は生き物であり時代の変遷により変化していくのである。「美しい日本語を守る」なんて発想はどこから出てくるのか理解しえない。
・・・・とはいうものの、自分が覚えている言語と違う使い方がなされていると極めて違和感を覚えてきたのは最近自分が歳をとった証拠であろう。
さて、ところで年齢の勘定は1歳、2歳である。最近ではいい大人が「1個、2個」と平気で言っているのには違和感をぬぐいきれない。
若いころは「なんでそんなうるさく言葉の使い方を直されるんだ」とうるさく思った。
しかし最近人との会話の中では言葉の用法で時に違和感を覚えることがある。
もっとも言葉は生き物である。生き物だからこそ変わるのは当たり前である。太古の昔から変わらなければ平安時代の「いとをかし」の古文なんて勉強する必要はない。
「美しい日本語を・・・」なんていうけれど、美しいものを先達が守らないでいたので、どんどん変化していくのじゃあないかと若いころは思っていた。
要は言語は生き物であり時代の変遷により変化していくのである。「美しい日本語を守る」なんて発想はどこから出てくるのか理解しえない。
・・・・とはいうものの、自分が覚えている言語と違う使い方がなされていると極めて違和感を覚えてきたのは最近自分が歳をとった証拠であろう。
さて、ところで年齢の勘定は1歳、2歳である。最近ではいい大人が「1個、2個」と平気で言っているのには違和感をぬぐいきれない。