またグルメ番組では、量が多い料理だと「う~ん、この盛りはボリューミーですね」というレポーターも多い。馬鹿な! 英語にはvolumyなどという形容詞はないのである。まったくの造語である。
またどこかのイベント会場で名産野菜を売っているコーナーがあったが、そのコーナー名が「ファーマーズ・マルシェ」と書いてあった。これも英語とフランス語の折衷なので奇妙である。
あるいは平気で擬人化するのも違和感がある。若くて可愛らしいレポーターがたくさんの野菜を目の前にして「まあ、なんとカラフルな野菜たちでしょう!」などと平気で言われると首をかしげてしまう。
でもこの擬人化は「お粥さん」などと昔から使われてもいるのだが不思議とこちらの名称では違和感はない。結局これは自分の慣れの問題なのかも?
また昔からあるいは、何か少し高めの買い物をするときなど(これも女性に多いのだが)、「自分にご褒美」などと自分を第三者的に評価する。
これは何も客観的な評価ではない。ろくに働きもしていないのに何か高い品物を買うことの後ろめたさに対する免罪符として使ってるんじゃないの?と言いたくなる。
それを言ったら自分も「使ってるんじゃないの」は誤りである。正確には「使っているのではないの」が正しいのである。最近キーボードを打つので文字数が少ない方が楽なのである。あ 言い訳にならないですよね? すいません→いや「すみません」でした。
またどこかのイベント会場で名産野菜を売っているコーナーがあったが、そのコーナー名が「ファーマーズ・マルシェ」と書いてあった。これも英語とフランス語の折衷なので奇妙である。
あるいは平気で擬人化するのも違和感がある。若くて可愛らしいレポーターがたくさんの野菜を目の前にして「まあ、なんとカラフルな野菜たちでしょう!」などと平気で言われると首をかしげてしまう。
でもこの擬人化は「お粥さん」などと昔から使われてもいるのだが不思議とこちらの名称では違和感はない。結局これは自分の慣れの問題なのかも?
また昔からあるいは、何か少し高めの買い物をするときなど(これも女性に多いのだが)、「自分にご褒美」などと自分を第三者的に評価する。
これは何も客観的な評価ではない。ろくに働きもしていないのに何か高い品物を買うことの後ろめたさに対する免罪符として使ってるんじゃないの?と言いたくなる。
それを言ったら自分も「使ってるんじゃないの」は誤りである。正確には「使っているのではないの」が正しいのである。最近キーボードを打つので文字数が少ない方が楽なのである。あ 言い訳にならないですよね? すいません→いや「すみません」でした。