毎年この時期に行われる名古屋今池の祭りは、1989年、私が第一回の実行委員長を努めた懐かしい祭りである。そのせいもあって、ほとんど毎年顔を出している。今年も2日目の18日に出かけた。
この祭りは、当時、「今池は雑然としているからダメだ」と言われていたのを逆手に取って、「じゃぁ、その雑然を全部展開して見せようじゃないか」といことで始まっただけあって、街中に広がった多くの会場で、同時多発的に何かが行われえいるという面としての街全体が沸き立つような祭りである。
メイン会場というのは一応あるが、そこだけ観てもこの祭りの良さはわからないだろう。
そんなわけで、私の記載も、私がたまたま歩いた軌跡上で出会ったもので、とても全体像とはいい難いものである。
まずは、恒例の今池プロレスとそのリング上で行われる結婚式。私が行った際には、式も後半で、新郎新婦を囲んでの乾杯シーンと、その後の大観衆に急き立てられてのキッスシーンしか観ることができなかった。
続いて、私の古くからの友人、加代子さんが関わり、その息子さんがリーダーで、お孫さんも参加という「ドラゴンイウバーズ」というキッズバンドの演奏を聴く。この懸命に歌う子どもたちの表情が実にいいのだ。
つい、たくさんの写真を撮ってしまったのでそれらを載せる。
このバンドの録画も撮ったので、載せておく。歌詞をよく聞くと、自分たちが出会ったものすべてに「ありがとう全部」と言っているのが聴き取れる。たとえそれが困難なものであっても、そのおかげで分かってくるものがあるのだと言うわけだ。コロナでさえも。
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こんな売店も。
これは大道芸人のピエロのマジック。
メイン会場の夕刻。地元のバレーボールズの演奏。リーダーは「ライブハウス得三」のオーナーにして今池祭り実行委員長の森田氏(黒いTシャツ)。サックスはゲスト出演者のうつみようこさん。
続いては、この7月に閉店した書店、ちくさ正文館の店長だった古田一晴氏主宰の舞踏や映像などを総合したパフォーマンスから。
最後に、ちょっとだけ覗いた小規模な各種ライブでの映像。みんな楽しそうな表情だ。
いつも来慣れているが、ゆっくり散策するのは久しぶりだ。
新着図書に気になるものがなかったので、借りていた三冊を返し、予め借りる予定の三冊を借りただけなので、時間に余裕ができたのだ。
師走、といっても隠棲のような生活、取り立ててするようなことはないのになぜか気ぜわしいのは、長年染み付いてしまったこの時期の習性なのだろうか。
ただし、同人誌の締め切りを年明けに控えて、いろいろ呻吟していることは事実だ。
にもかかわらずだ、この12月はなぜか、近年にましてあちこちへのお出かけが多いのだ。老い先の短さの自覚が、今のうちに観ておくべきは観ておけと促すのだろうか。
以下は、ひょんなことで出かけることとなった名古屋市内の国際会議場と白鳥公園である。もう20年近く前に一度訪れたことがあるはずなのだが、記憶が飛んでいるので、まあまあ新鮮な気分で観て歩くことができた。
いろいろ説明が必要なのだろうが、上に述べたように、出かけない日は文章と格闘しているので、もう文字はあまり書きたくない。ズボラをして、写真のみを連ねておく。
ユリカモメ なんでこの子たちはこんなふうに並ぶのだろう?
写真はいずれも名古屋市中区伏見界隈の夕刻。
最後のものは、ザ・コンサートホールがある名古屋電気文化会館の前庭のオブジェへの映り込み。ステンの表面への映り込みとリアルな風景とが、複雑にクロスして、そのカオスが面白い。
8月以降に再手術をしておしまいになりそうですが、その行き帰りにここへ立ち寄っています。
少年時代、この近くに住んでいて、この近くの小学校と中学校へ通っていたため、とても懐かしい場所なのです。
樹木とベンチの写真が多いのですが、なんとなくこの図柄が好きなのです。
一見、野趣を殺さない無造作な作りに見えますが、その実よく計算され、隅々にまで神経が行き渡っていることに気付かされます。たまたま雨上がりの新緑ということで、しっとりとした風情がいっそう落ち着いた質量感をもって迫っていました。
もっとじっくり見ていたかったのですが、ここのところの不安定な気候か、またまた一天俄にかき曇りといった状況もあり、取材クルーの次の予定もあって、慌ててそこを辞しました。
どうやらその一帯には、そのあと雹が降ったようです。
また別の季節に訪れてもいい場所ですね。
不幸にして滞在したすべての日は、どんよりとした曇りか小雨で、遠景は全て霞んでいます。望遠で引っ張った風景もくすんでいます。
それが少し残念です。
遠景に影のように見える山々も天辺まで耕かされています。
まさに今なお機能しているマチュピチュを観る思いです。
疲れていて文章がうまく書けません。
とりあえず今言えることは、イデオロギーや思想などは人がプリミティヴに生きている状況については何も記述し得ないということ、そればかりかそれらの思想を必要としない人々にたいしてまで、そこから抽出されたという「歴史の法則」などを提示し続け、それによりその対象化された歴史という怪物がプリミティヴな山の民をも今まさに飲み尽くそうとしているということです。
とりあえずは、賀家湾村周辺の風景を御覧ください。
それら必要な記事は追って載せたいと思います。
(二つのカメラで撮ったため、重複している箇所もあるかと思います)
華やかな観覧船が鵜舟に寄り添うように賑わうまで、こうした下積みの努力があるのです。男たちの躍動感ある労働に、撮っているこちらの胸も弾みました。
女性の出番はこの後です。
各旅館の板場が作った料理を観覧船へと運ぶのです。
レガッタの勝利者のように竿を立てている船は、船頭さんたちをそれぞれの船へと送るものです。他につっかえたりしないようにという知恵でしょうね。