六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

最近の食の話題二つ キャベツと弁当

2024-12-20 23:04:13 | よしなしごと

夏場の日照りがいまなお尾を引いているとかで、野菜が高い。やや落ち着いてきたとはいえ、キャベツが一玉400円を超えたりした。
 節約しながら使っていたが、近くのドラッグストアで、やや小玉だが一玉99円のものが!すかさずゲット。もう一玉ぐらいと思ったら、「おひとリ様一個限定」と赤い文字が。五個ぐらい残ったうちから、大きくて巻きがしっかりしたものを買う。
      

 写真がそれだが、この外皮、これぐらいなら捨てはしない。少し湯がけば、焼きそばの具や、野菜炒めのなかでも使える。

最近の弁当。

     

 上から小松菜のゴマ汚し、ニンジン煮付け、京揚げ、鶏もも肉スキ煮、卵焼き。

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今どきの話題二つ 韓国&落葉

2024-12-17 01:30:32 | よしなしごと

【韓国の民主主義】以下は、韓国の今回の事態について、私の友人があるSNSで触れていた記事について、私がつけたコメント。この友人もまた韓国での民主主義機能派。
  =============================
 今回の事態を指して韓国の後進性をいい立てるような叙述に出会うが、これは完全な間違い。韓国では日本と異なり、三権分立がちゃんと機能していて、司法が行政をチェックすることが多いが、日本では安倍夫妻の森友への肩入れ、安倍、萩生田の加計学院問題への介入もお構いなしどころか、民間からの告訴も門前払い。
 
 また韓国では今回のような事態には何十万単位の民衆が国会へ駆けつけ、意思表示をするが、日本でそんなことは1960年にあったっきり。
 日本の民主主義と称するものは、敗戦後、米占領軍によって上から形式的に与えられたもの。それに対して韓国のそれは、戦後の済州島事件やその後の朝鮮戦争、さらにその後の朴正煕、全斗煥などの独裁時代のなかで人民の戦いそのものによって勝ち取ってきたもの。
 
 だから大丈夫とは断定できないが、韓国の政情についてものをいうならば、少なくともそれだけの歴史的経緯を念頭に置いた上にすべきでしょう。

【落葉が遅い】
 いよいよ本格的な冬将軍の到来ですが、一方、長かった夏の影響がまだ見られます。紅葉した木々の落葉が遅いのです。
 以下の写真はそれぞれ私の住まい岐阜市のものですが、公孫樹も樹の下にいくぶんかの洛東が見えるものの、大多数はまだまだ木にしがみついています。
 最後の写真は、私の家にある桜ん坊のなる木ですが、紅葉はしているものの、洛陽はまだほとんどありません。もっと紅葉するはずですから、正月頃が紅葉の見頃になるかも。

     

     
          
       



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【踊り串と飾り包丁】

2024-12-09 14:47:27 | よしなしごと

先般、魚の踊り串について書いたら、調理をする人から意外と反応があったので続きを。
■断っておくが、私は居酒屋業に携わっていたが調理師ではない。だから、一緒に仕事をした板場の作業の見様見真似にすぎない。

フォト


最初はカマス。二尾並んでいるが、手前のほうが魚がよく踊っている。しかしやや問題がある。

フォト


■カマスが焼き上がったもの。問題があるといったのは、斜めに入れた飾り包丁(これ自身、身をほぐして食べやすくする作用がある)が深すぎて、右の方に汚れが出てしまったこと。

■ついでカレイ。魚屋で捌いてもらったのだが、エラの処理など表にも深い傷を残しているのが気になる。

フォト


■焼き上げる。やはりエラの部分が必要以上にえぐれてしまった。

フォト


■クロスに入れた飾り包丁がきれいに焼き上がらなかったのは、魚の鮮度が刺し身になる程度に良かったからで、鮮度の良いカレイは煮ても焼いても飾り包丁のあとは弾けたようになる。実際に身が締まっていて弾けるのだが。

■何やかやいって、両方とも美味かったからまあいいや。
■やはり毎日、串打ちをしていた頃からみると腕は落ちている。頭と尻尾がピンと上がり、胴が膨らんで、全身がもっと踊らねばならないのだが。

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師走!定番料理二題と名古屋駅付近のイルミネーションなど

2024-12-01 01:28:20 | よしなしごと

 カレンダーをめくる。あと一枚。老いの身ながら今年は為すべきこと山積。あと5,60日はほしいところ。

 ここに記したのは11月30日の体験。
 まずはこの時期の定番料理から。
 今季初の赤カブ漬け。目加減の塩ではなかなかカブが赤くなってこないので、少し追い塩。赤くなったところで漬物器から上げた。試食。うん、これならOK.。しばらくは楽しめそう。

      

 ついでおでん。代わり映えのするものは何も入っていないが、私のおでんは出汁が濁らないで澄んだままなのが自慢。

      

 そのためには下ごしらえが。厚揚げ、はんぺん、がんもなど油処理をしたものは湯をくぐらせて油抜きを行う。大根は下茹でが20分、水に流してアクを取っている。こんにゃくの下茹でももちろん。それらを済ませたものを始めて出汁と合わせるが、ここでも決して沸騰はさせない。低温で長時間かけてじっくり味を沁ませる。
 一通り味が沁みたところで火を止めて、一昼夜寝かせる。写真の段階で、味見はしたが、食べるのは翌日。
 偉そうに言ってるが、これは大阪法善寺近くにある著名なおでん屋に居たという板場の直伝。

     

 霜月最終日、名古屋の読書会に出る。岐阜はどんより曇っていたが、名古屋な晴天。
 とはいえ寒いので、できるだけ駅近くの会場への道を、連なる建物を辿って行く。
 そこで見かけたイルミネーション。

          

          
          
 
 読書会、読み進んだのは少しだったが、それに関連した(脱線した?)会話が楽しいし、意外な気づきを含んでいる。参加者の最年少は高校2年生で最年長は私だから、年齢差70歳。
 それだけでいささか刺激的!

 懇親会(二次会)は少人数だったが、それだけに発言機会は多く、話が弾む。
 帰途へ。昔流にいえば夜汽車なのだろうが、哀愁感はない。24時間、それぞれの時間が機能的に位置を与えられて、感傷が入り込む隙がない現代。

      
          これは中央線の列車 私が乗るのは東海道線下り

 帰宅したら、たまたま岐阜へきた息子が立ち寄って届けてくれた柚子が郵便受けいっぱいに溢れていた。

      

 さて、柚子三昧の料理をいろいろ考えるとするか。

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昭和→平成→令和 フィーバーしたあの岐阜の地域の現在

2024-11-24 23:30:26 | よしなしごと

 私は和風の元号を使わないようにしている。昭和ー平成ー令和というあれである。銀行や役場でこれを書かねばならないときには、あえて西暦で書いている。かつては、それではだめだといわれることもあり、いやいや迎合したこともあったが、最近は拒否されることが少なくなったような気がする。

 なぜそれらを忌避するかというと、それが担う恣意性、はっきりいってしまえば天皇の即位・退位との対応に好感が持てないのだ。
 西暦だってキリストの生誕に合わせた恣意的なものではないかといわれるかもしれない。それはたしかにそのとおりだが、遥かに2000年以上遡上する基準値であり、現実的な具体性からは距離感がある。
 こんなことを言い出すのは、とりわけ「昭和」という時代の血生臭さ、天皇制と引き換えに失った多くの生命に思いを馳せるからである。

 私の知り合いに、「皇紀」を用い、旧漢字や旧仮名遣いをする人がいるが、これは神話の神武天皇の即位を紀元とする数え方であり、やはり恣意的であるが、昭和ほど血生臭くはない。彼にいわせれば今年は紀元2684年である。ちなみのこの数え方だと私の生年は紀元2598年になる。

 ただし、私自身はこれを用いることはなく、やはり西暦を用いてる。なぜかというと、それ自身キリスト教世界の恣意的な数え方として広まった年号とはいえ、これだけ世界的に広まっている現在、日本での出来事と国際的なそれとの比較や関連を考える場合、やはり西暦の方が都合がいいからである。

 こんな硬い話をするつもりではなかった。なぜこんなことを書き始めたかというと、最近、平成と令和に関する面白い現場に立ち会ったからである。

 昭和から平成に転じたのは、1989年のことであった。この折、一躍脚光を浴び、全国に知られるようになった地域がわが岐阜県の関市にあった。
 その名は平成地区! そう、偶然、元号と一致したのである。ただし、この地区の読みは「へなり」であって「へいせい」ではなかったが漢字表記は全く同一だった。
 厳密に言うとこの名の集落の住民は、当時、わずか37名であったという。特産物はシイタケ、その原木栽培が行われていた。

 この地区は、県道58号線が走るのみで国道ではないのだが、岐阜市方面から下呂や飛騨地域に斜めに抜ける道としてけっこう交通量が多いところではある。
 世の中には好奇心旺盛な人が多く、元号と同じ地域とは?というので、休日など全国からの訪問者が増えてきたという。臨時の売店などが道端にできたようだが、それでは対応しきれないとして、市などの力入れで、「道の駅平成」が出来上がった。
 同時に、この地域一帯を日本平成村と名付け、女優の三田佳子さんを村長に迎えるなどした。

 平成が当たり前の日常になると前ほどのフィーバーはなくなったが、上に述べた交通流の多さなどから道の駅はまあまあだったようだ。私も、2,3度、利用したことがある。岐阜から飛騨地区へ向かう際、トイレ休憩にちょうどいい場所なのだ。私が立ち寄った際にも、けっこう賑わっていた。
 しかし、この道の駅を中心とした平成地区がもっとも賑わったのが2019年4月30日、平成最後の日であった。双方からやってくる車の列は10キロ以上の渋滞を産み出し、片側1車線の県道58号は完全に麻痺したという。

 さて先般、地域のサークルの人たちと付知峡谷へ紅葉狩りに行った帰途、ここに立ち寄ることとなった。実はこれ、平成が終わってから初めてなのであまりさびれた様子は見たくないなぁという気持ちもあった。しかし、駐車場の車両数を見てもかなりのものだし、降りてみた売店や飲食コーナーの様子もまあまあなようで、なんとなく安心を覚えた。フィーバー時代に比べて、多少それぞれの規模を縮小して適応してきたのかもしれない。

 写真のうち、上のものはメインの建物に「ありがとう!平成時代」の表示があり、それを指差す人もいて、けっこう好感を得ているというか、その遺産をちゃんと継承しているようだ。
 しかし、土地の人たちはたくましい。その証拠が下の写真。
 メインの建物のすぐ脇にあるみたらしやたこ焼き、五平餅を売る別棟には、鮮やかに「だんご屋 令和」と書かれてあった。

 訪れたのが夕刻とあって、このだんご屋、もう閉店だからと半額セールを行っていた。私たち一行の誰かがソフトたこ焼きを買い、みんなに振る舞ってくれた。名前の通り、口中でふうわりと舌に絡み、けっこう美味かった。ビールの相手にぴったしだなと思った。
 
 まあしかし、やはり私が令和という元号をを用いることはないだろう。実のところ、今年が令和何年かも怪しいのだ。
 え?それは元号が云々という問題ではなくてお前の認知機能の問題だろうって・・・・う~ん。

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例外的によく歩いた日 大須観音と相国寺展など

2024-11-15 23:32:42 | よしなしごと

 先般の一日、結果としてよく歩いた。
 私の生活はデタラメで、3日ほど家から一歩も出ないようなこともあり、そんな日の歩数は数百歩ぐらいだろう。
 健康などに配慮し、歩くために歩くことはしない。ただし、どこかへ出た折に、ついでに少し遠回りしてみようかぐらいの気持ちはある。
 しかし、最近それも少なくなったのは、かつての田園地帯がほとんど埋め立てられた建築ラッシュで、数年の間に周辺がすっかり新興住宅地に変貌してしまったせいもある。

         

      
        愛岐県境の木曽川の河川敷はススキが占めていた

 先般の話に戻ろう。午前から名古屋へ出た。
 まずは旧知の出版社を尋ね、R編集長と面談。私の悪巧みについて告白。
 その後、少し歩いたところにある店で昼食を共にする。R氏お勧めの中華料理店は、調理人から接客の女性まですべて中国系の人たちで、接客は少し訛りの入った日本語だが、従業員相互の話はすべて中国語。なんか面白い臨場感がある。

 今日の昼定食から小籠包定食を選ぶ。小籠包に加える麺や飯が選択できる。中華は油のイメージが強いからと考え、あっさりしたものをと塩ラーメンを選ぶ。
 やや小ぶりな塩ラーメンと、セイロで湯気が立つ小籠包が出てくる。どちらもうまい。店のスタッフの中国語がBGMとなって本場感を引き立たせる。

          
 
 ここでR氏と別れて大須へ向かう。次の目的地は「栄」なのだが、最寄りの地下鉄の駅が「大須観音」だからだ。
 地下鉄の駅にまっすぐ向かわず、大須観音の境内に寄り道する。大須は今池に次いでよく来る街だが、いつも東側(地下鉄上前津側)からで、最西部にある大須観音の境内まで来ることは少ない。

      
 
 鳳凰堂のような両翼をもった本殿の朱色は折からの晴天で輝いている。名古屋の街なかの中心部にありながら、不思議と背後に高いビルなどがなく、あまり撮影の邪魔にもならない。
 境内全体のBGMとして読経のテープが流されているが、晴天下の朱塗りの本堂にはさして荘厳な感じはない。外国からの観光客にエキゾチックな雰囲気を演出するサービスにはなるだろう。

          
           大須観音前の何でも屋のような中古品店

 大須観音駅から栄駅へ移動する。目的は愛知県美術館で開催されている「相国寺(しょうこくじ)展」を見るためである。相国寺といわれてもピンとこない方もいるだろうが、傘下に金閣・銀閣を擁するといったらその格や規模に頷かれることと思う。

           
      栄のオアシス21 水色の天井は文字通り水がはられた底である

 室町時代からの古刹だから寺院内の装飾などに優れた美術品があることは当然だが、それに加えて、近代になっての住職が献上されたりした美術品を流出させず、蒐集したことによってそれらがさらに保たれ、現在に至っているという。

      
 
 会場に入った印象は、作品を保護するためかいくぶん落とされた照明のもとに、僧侶の肖像やその書などが並べられ、なんか抹香臭い展示だなぁと思ってしまった。
 しかしやがて、「十八羅漢図」などの極彩色のものが現れるに従い、描かれた対象も多様になり、面白くなってくる。

 展示全体は五章に区切らている。第二章には雪舟が登場。日頃図鑑などで目にする厳然とした筆致とはまた一味違う柔らかいタッチのものもある。
 第三章の目玉は狩野探幽。飛鶴図や花鳥図衝立などが並ぶ。
 
 第四章の中心は伊藤若冲。しかも一〇点以上が。これも図鑑などで見る極彩色のいくぶんエキゾチックな物は少ないが、圧巻は鹿苑寺(金閣寺)大書院障壁画全二六面が現実の部屋を再現するかのように展示されていることである。

           
              若冲の襖絵の一部

 第五章は相国寺の蒐集を中心としたもので、円山応挙の作品などがある。

 これまで述べてきたように、この美術展の見どころは、雪舟、探幽、若冲、応挙など日本画の歴史的ビッグネームが複数の作品を擁して一堂に会している点である。その意味で、私のような深い鑑賞眼をもたないがそれなりに見てみたいというミーハーには好都合であった。

 秋の落日は早い。見終わって外へ出るともう夕闇が迫っている。このまま名古屋で一杯引っかけて帰ろうかとも思ったが、帰宅してからのやや遅い夕食に間に合う時間だと思い、帰途についた。

 JRの列車内で寝てしまい、もう少しで乗り過ごすところだったが、岐阜駅到着で本能的に目覚めて、辛くもセーフ。
 いろいろ歩き回ったのと、美術展というのは距離の割に意外と疲れるので、そのせいだろう。帰宅して歩数計を見たら、12,500歩だった。
 私にとっては例外的歩数で、疲れるはずだと思った。
 









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86歳の誕生日を迎えて超えた二つのこと。

2024-10-26 23:49:28 | よしなしごと

 86歳の誕生日を迎え、こんなはずではなかったといささか戸惑っています。
 私の若い頃、40代50代が老年の入口で、80代などはよく生きているなぁと思うほどの年齢だったからです。それも、80代の後半に差し掛かるなんて・・・・。

 86歳は私にとって二つの意味でエポックメーキングです。そのひとつは亡父の享年を超えたということです。もっとも私は養子のもらわれ子ですから 父との間に遺伝子的なつながりはありません。父はその亡くなる寸前まで、私と同様腰痛の悩みを抱えながらも元気で飛び回っていました。

          


 それが12月の末、その年の業務を終えた段階で、大きな総合病院へ出かけ、まずは腰痛対策のためのコルセットを作ろうと言うことでその採寸を行ったようです。それから 別の階へ移り内科主体の健康診断を行っていたその最中に倒れたと言うことなのです。父は一人で自転車で出かけたものですから、その過程を見ていたものは誰もいません。だから親戚の中には、 父が急に倒れたこと自身が何らかの医療ミスによるのではないかと言う疑念を持ち続けた人もいました。

          


 それから 年が改まり一週間ほど後、 父は集治療室に入ったままそこで亡くなりました。 集中治療室から一般病棟に移されそこで集まった親族一同が嘆き悲しんでいた真っ最中に、いきなり入り口から明るい看護師さんの言葉が聞こえてきました。
 「 〇〇さ~ん、お待ちどおさま~。ご依頼の腰痛用コルセットができましたよ~」
 外科の看護師さんの底抜けに明るい口調に、遺体の脇にいた内科の看護師さんが入口に飛んで行って、外科から来た看護師さんの口を塞ぐようにして遮りました。
 父の容態は、外科の方には全く伝えられていなかったのです。

          

 結局その腰痛用コルセットは私が引き取り、今も時々用いていますが、とてもかさばり重いため、もっぱらこれからの冬用に用い、それ以外はもっと軽便のものを用いています。

 もう一つのエポックメイキングな出来事は、私の連れ合いが亡くなってからおよそ8年が経過したということです。
 それにどんな意味があるかというと、彼女が亡くなった頃の統計的な資料によれば、夫に先立たれた女性は、その後おおよそ17年間生きるが、逆に妻に先立たれた男の方は、平均7年ほどしか生きられないとあったのです。
 にも関わらず、私はこの誕生日でおおよそ8年間、永らえたのです。

     

 私と仲が良かった高校時代の同級生は、70代のはじめに連れ合いに先立てれたのですが、本当にその統計のデータ通り、その約7年後、まだ70年代に後を追ってしまいました。
 その意味では、私はその統計上の平均値を凌駕出来たということです。

 私の連れ合いが亡くなった折、かなり年少のガールフレンドからいわれたことがあります。そのひとつは、朝起きて、いくら面倒でも、トレーナーなど寝間着を来たままでのそのそ過ごさないこと。二つ目は、食事の後、使った器や調理器具をシンクに貯めることなく、すぐ洗うこと。そして三つ目、どんなに淋しくても、昼間っからお酒を飲んだりしないこと。
私はそれらを守ってきました。

     

 上に述べた平均値の7年で亡くなった同級生は、服装や食後の片付けはともかく、よく昼の間に酒を口にしていたようです。「そうでもしなければ淋しくてしょうがないさ」といっていました。

 ところで、私にそう諭した女性ですが、一昨年、病に倒れ急に亡くなってしまいました。
 私が、連れ合いを亡くしてからも七年以上生き延びたのは、その彼女の助言に忠実に従ってきたからではとも思うのです。

 八五歳時の出来事は、K氏を訪ねてヨーロッパを一〇日ほど旅したことです。
 さて、八六歳時の私の目標は漠然としてはあるのですが、これから具体化してゆくつもりです。
 どうか、今後もよろしくお見守りください。

写真は記事の内容とは全く関わりがありません。

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通夜への道・主観的には豊かな粗食・白鷺の舞・大須

2024-10-20 01:43:38 | よしなしごと
 「ちくさ正文館」というのは人文書籍の品ぞろえが良いというので名古屋では知られた存在だったが、昨年7月、惜しまれながら店を閉めた。長年、その店長として頑張ってきた古田一晴氏が、この9日に逝ってしまった。

           

 私がその近くの街、今池で居酒屋をもった70年代のはじめ、何年か後に彼も正文館へやってきてすぐに私の店へ来てくれるようになったから、半世紀ほどの付き合いになる。
 とはいえ、彼は私より14歳下の72歳だから、いささか早い旅立ちだ。
 
      

 11日に行われた通夜に出た。閉店して一年以上経つのに、日本の人文書籍の錚々たる出版社がこぞって花輪を出しているのを見ても、彼の果たした足跡がわかろうというものだ。
 写真は、その通夜の式場へ向かう道すがらの、黄昏行く空と街の様子である。

 今は回復しつつあるが、15日頃から幾分私自身が不調で、買い物へ行くのも億劫で放おっておいたら、17日の昼、在庫が少なく、昼食の取り合わせもままならない。
 在庫の中華麺の乾麺とキャベツ、赤ウインナー、それに薬味のネギだけで作ったラーメンが写真のもの。スープは薄口醤油のさっぱり系。
 こってりしたものを受け付けない心境にあったので、これでもじゅうぶん豊かな昼食になった。

      


 翌18日、近くのクリニックへ薬の処方箋をもらいに。その後、調剤薬局へ寄って目的は果たしたのだが、ここしばらく全く歩いていないことに気づき、「歩くために歩く」ことはほとんどしない私だが、少し遠回りをして帰ることにする。
 なんとなく、水辺が好きだ。水中と水辺の生き物も好きだ。この日も、大したことはない流れが揺らいでいるのを見つけて凝視していたら、50センチほどの鯉が、悠々と流れを下っていった。

 秋の夕べはつるべ落としというが、この日は雲が垂れ込める曇天だっただけに、5時前なのにすっかり黄昏れてしまった。
 川に立ち尽くす白鷺を見つけた。スマホで撮るにはやや距離がと思っていたら、急にこちらをめがけて飛び立った。ラッキーと連続してシャターを押し続けたが、白鷺の方は、スマホを構えた異様な人物に気づいて、羽をいっぱいに広げ急ブレーキを掛けた。
 おかげで今までにない鳥のポーヅを撮ることが出来た。

           

           

           

           

 19日は親戚筋の法要ということで、名古屋は上前津近くの寺院へ午前から出かけた。法要と食事が済んで、大須が祭りをしているというので立ち寄った。
 大須は今、伝統的な大須観音の門前町に加え、IT 関連の店舗が若者を集め、さらに最近は、東南アジアから南米、中近東からの移民や労働者が集まるエスニックな街として、週末や祭日は肩擦り寄せるほどの賑だから、そこへ祭りが加わって歩くのも困難なほどの雑踏だ。
     
         
      
 多少見て歩いたのだが、朝からの法要などで疲れていたのであまり深追いはせず、全体の雰囲気のようなものを味わって早々と引き上げた。

 法要の間、あるいは私が留守にしていた間の岐阜では、結構雨が降ったようだが、持参した傘を開くことなく帰宅できたのは私の悪運の強さか。

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ちょっと不調・・・・といっても寄る年波のせいだが

2024-10-15 17:08:03 | よしなしごと
 
日曜日は家事労働。夏物を片付け、合物に。
これまでのタオルケット2枚、シーツ、布団カバーなど大物の洗濯。
家のある一部の掃除。全部は疲れ切って出来なかった。
よく働いて疲れたはずなのに不眠。睡眠薬を増量しても根付かれず。明け方まで悶々。
翌朝、やはりまともに起きられず。グダグダと体の芯が定まらない。
読書をしてもほんの2〜3ページで目が霞む。
TVでドキュメンタリー系のものを選んで観る。何を見たかもよく覚えていない。
何処かが悪いわけではない。ところ構わず、よだれを垂らして寝込む老域に到達したという自然の成り行き。
ここしばらくブロブも書いていないが、まだ生きておることは生きています。生物学的には・・・・。
 
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名古屋へ出かけて帰ってきただけのなんでもない話

2024-09-24 15:05:05 | よしなしごと
 今月三回目の名古屋行き。
 毎回、行きなれ、見慣れた行程だが、今回は久しぶりに写真を撮ったのでそれを掲載。

         
      
       JR岐阜駅付近の高層ビルと岐阜のランドマーク岐阜城をのある金華山

 今回の目的は読書会。テキストは決まっていて、その場で黙読したあとのディスカッション。
 テキストの内容に関してもだが、今回は、最近ある雑誌の特集を巡って問題になり、「反対声明」まででているトランスジェンダーを巡る問題で話が盛り上がる。

      
      
      
          愛知県との県境木曽川と稲沢駅での貨物列車用機関車

 まだまだこの歳になって知る事柄も多いので勉強になる。そんなに歳とってからそんなこと学んでもということなかれだ。
 あの世へ行って閻魔大王に逢った折、たくさん土産話を持っていった方が、地獄へ回される時間を稼げるというものだ。

      
      
            名古屋駅プラットホームと名古屋駅バスターミナル
 
 え?極楽?そりゃ無理でしょう。この世でさんざん悪行の限りを尽くしてきましたから。
 でも、この世とあの世では、善行・悪行の基準が違うかもしれませんね。う~ん・・・・。

          
          
             名古屋駅前高層ビル群のなかから

 まあ、変な希望とは関わりなく、閻魔様への土産話を増やすのが私の残された人生で出来ることかな。

          
             岐阜へ帰着 駅のバス停付近

 読書会と懇親会を終えて岐阜へ帰り着いたら、肌に心地よいような霧雨が降っていて気持ちよかった。「暑さ・寒さも彼岸まで」という言葉がふとよぎったが、まだまだ油断できない。
 
 電話である訃報が入った。そんなに親しかった人ではない。ただ、それと関連して、自分がどのように死ぬのか、その死に様を少し考えたが、野垂れ死に覚悟の自分には、それ自身考えても無駄だと思った。

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