六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

いつそうなるかわからないやもめ男の「最後の晩餐」

2022-08-30 15:30:20 | グルメ

 いつも昼餉の紹介をしているが、今回はある日の晩餐を。
 いつ、「最後の晩餐」になるかわからない年齢、かといって毎回心して作っているわけでもない。いつもながらの在庫と相談しながらの手抜き料理。

 左奥はカリモリのぬか漬け。ぬか床はもう20年以上、冷蔵庫の中の大型タッパーで飼っているもの。真面目に撹拌していないので、ちょっと癖があるが、マアマアの味か。

 その右は、ちょっと一品足りないかなと急ごしらえで作った長芋とボロニアソーセージ角切りのドレッシング和え。薬味はネギの小口切り。

 手前右は、ゴーヤとツナ缶(小)のソティ。ゴーヤはさっと湯通ししてから使っている。

 その左は、鶏むね肉のそぎ切りのシャブシャブ風にレタス、玉ねぎ、スパゲティを合わせたサラダ風のもの。見た目より沢山の胸肉が中の方にも入っている。
 胸肉は安価でありがたいが、火を通しすぎると固くなる。そこで、沸騰させないほど(80度ほど?)の湯に薄くそぎ切りにしたものを何十秒かくぐらせて、傍らに用意した氷水に素早くとる。これを丁寧にすると柔らかく、味も染みやすい。
 スパゲティはパスタで食べるときと違い、三等分ぐらいに折って湯がく。
 ソースというかドレッシングはお好みだが、この場合はマヨネーズ少々、ケチャップ隠し味程度、カラシ少々、塩、酢、オリーブオイルを使った。

 動物性たんぱく質が少なくて、若い方にはいささか物足りないかな。
 調理作業時間は30分少々。

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書から目を上げる時 機関車たちは多様で美しい

2022-08-27 16:48:42 | 写真とおしゃべり

 岐阜の養父母のもとへもらわれてきて以来、80年ほど岐阜住まいである。途中、就職し、結婚しての数年間だけ名古屋に住んだことがある。
 しかし、学生時代5年、就職時代10年、居酒屋時代30年は、名古屋へと通っていたことになる。そのせいで、岐阜県民ながら、友人や私的に所属する組織など、人間関係は名古屋が圧倒的に密度が濃い。
 
 だから、居酒屋を辞めてのフリーライター時代も、それを辞めて以降も、名古屋へは月に数回は通っていた。所属する会の会合に出たついでに映画を観るとか、美術展を観るとか、名古屋はある意味、私の栄養源であった。

      

東海道線車中からの木曽川 左が岐阜県 右が愛知  川のなかには台風などで流されてきた大きな流木が こうしたものの下流に土砂が溜まり中洲になることがある 色合いからみるに、もうでき始めている
 
 それが途絶えたのは、このコロナ禍のせいだ。19年以降、私の名古屋訪問は、月1、2回になってしまった。19年以前は、車で出かけることもあったが、いまはもうもっぱらJRを利用している。
 学生時代は、まだ機関車が客車を引っ張っていた。湘南型電車が投入されたのはいつ頃だったのか思い出せない。いまはすべて電車で、岐阜ー名古屋間は快速で18分、普通で25分ほどに短縮された。
 
 名古屋へ出る際は、敢えて普通に乗る。普通は岐阜始発で確実に座れるのと、たいていは読書に費やすので、18分は短すぎるのだ。
 車窓をよぎる景色はほとんど見ない。もう何回も見ていて見飽きているからだ。だから、ひたすら読書。
 
 しかし、そのうち二箇所だけ書から目を上げて観る風景がある。一箇所は愛岐県境の木曽川の鉄橋である。川が好きなのだ。季節によって様相が異なる。この水の下にどんな魚たちがいるのか。水辺のサギたちはどんな魚を狙っているのか。ついでに、若い日に渓流釣りで訪れたこの川の上流部の渓谷に思いを馳せたりする。

 ついで、書から目を上げるのは稲沢駅である。ここはかつて、東の新鶴見、西の吹田と並んでの日本三大操車場で、広い構内で様々な列車の編成が行われていた。今は、そうした作業は殆ど行われず、敷地も縮小に次ぐ縮小でこじんまりしてきたが、いろんな機関車を見ることができるのが楽しい。

 さすがにもう蒸気機関車はないが、電気機関車(E型)やディーゼル機関車(D型)のいろんな機関車に出会うことができる。それら機関車をきちんと整理し、名指しできるほどの鉄チャンではないが、それらを見るのは楽しいし。

      
       この操車場の奥行きを示す写真 これでもかなり縮小された結果
 
 今、JRにしろ私鉄にせよ、売出しの特急列車があり、外面内面ともにその表情は豊かである。それに比べ、今や機関車はほとんど貨物列車を引っ張るのみの地味なものと思われる向きが多い。たしかに比較されればそのとおりだろうが、しかし、機関車にも様々な種類があり、色彩も形状もけっこう豊かなのである。
 とはいえ、それらを同じ場所で比較検討しながら見ることができるのは、稲沢のような大型操車場においてのみだろう。だから私は、ここでは書から目を上げ、今日はどんな機関車があるかなと見回すことにしている。

      

 重複も多いし、遠くに止まっていてうまく撮せないものもあるが、その多様性についてはわかっていただけるだろう。
 書いているうちに、機関車について懐かしい思い出もいろいろ湧いてきたが、長くなるのでまた今度にしよう。

                  

 なお最後に載せた写真は、かつて貨物列車の最後部に連結されていた貨物用車掌車で、その中でもたぶんもっとも小さいヨ8000型の車両である。写真では3連結になっているが、もちろん実際使用時には一両ずつで用いられた。

      
      
      
                 
      
      
       
      
        
         これは機関車ではなくてヨ8000型貨物用車掌車
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【絵日記】葉月、やもめ男の昼餉あれこれ

2022-08-25 01:05:32 | グルメ
 たかが昼餉のために、想を練り、時間をかけて何かを作ろうとは思わない。そのコンセプトはただただ、前日の残り物をどう活かすか。あるいはどうかんたんに、見た目も味も「らしい」ものを作るかだ。
 当然、失敗作もある。それらも含めて、八月分を一挙大公開だ。

      
 昨夕の残りの豚小角煮を使った冷製パスタ。香味野菜のみじん切りが添えてある。赤みがあるのは肉の血ではなく、ソースにマヨネーズ、ケチャップ、ウースターなどを少しずつ使ったので、そのせい。

      
 ボロニアソーセージを使った冷やしうどん。ネギ、大葉、ミョウガの香味野菜に切り海苔とゴマを添えた。

      
       昨夕の残りの牛肉とナス、ミョウガを添えた冷やし蕎麦

      
            ソース控えめな焼きそば

      
 昨夕の残り、豚冷シャブとキュウリの塩もみ、レタスを添えた冷やし中華

      
 ボロニアソーセージと茹でキャベツにネギどっさりの冷や麦をベースにした冷やし麺
 
      
         カレー風味のピラフ。ミョウガの千切り乗せ。

      
 冷やし中華風だが、サラミ風ソーセージが多いのは、賞味期限ギリギリだったから。

 
      
     冷やし山かけウドン。切り海苔の下はネギとミョウガがどっさり。

      
    昨夜の豚もも肉の余りに、ワカメ、レタスをあしらった冷製パスタ。

      
          オーソドックスなソース焼きそば。

      
       冷やし山かけ蕎麦。ミョウガ、ネギ、切り海苔、ゴマ。

      
 昨夕の豚モモ肉の余りに、ミョウガ、レタス、大葉をあしらった冷やし中華。

      
       昨夕炊いたトウモロコシご飯の残り。冷たいままで。

 

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フランス作家の韓国小説? 『ビトナ ソウルの空の下で』を読む

2022-08-23 01:24:36 | 書評

 いつものように、同人誌の締切に追われ、そのための様々な資料を読み漁る合間に、箸休めのようにして小説を読もうと(こんな態度は、小説や文学を愛する人からはひどく軽蔑されるだろうな)、図書館の新着図書コーナーで目についたのがル・クレジオの『ビトナ ソウルの空の下で』であった。 
 

 なぜ、これが目についたかというと、同人誌の次号でまさに朝鮮に関して書こうとしていたことによるが、同時にフランス人の作者が、なぜ韓国を舞台に主人公をはじめ現地の人しか出てこない小説を書くのか、しかも2017年にまず韓国訳が韓国で出版され、翌年、フランス語版が母国で発刊されたのか、それが気になったのである。
 しかもこの作家、こうした「韓国小説」はこれがはじめてではなく、2014年にも韓国南方の島を舞台にした『嵐』という小説を書いているらしい。

 これはまた、借りてきてから知ったのだが、この人、2008年には「ヨーロッパ文明への批判的な視点と詩的な文章が評価され」ノーベル文学賞を受賞しているらしい。

          

 タイトルに出てくる「ビトナ」は18歳の女子学生であるが、彼女は二重の意味において語り手である。ひとつには、この小説が彼女の一人称の語りによって書かれていることによるが、もうひとつには、この小説内において、肉体の不自由な41歳の女性サロメ(本名はキム・セリ)のもとへ行き、彼女のためにいろいろな物語を聞かせるバイトをしているからである。

 こう書くと「千夜一夜物語」のようだが、それとは異なるのは、この語り聞かせの主導権は完全にビトナの方にあり、サロメが待ち焦がれているにもかかわらず、ビトナはマイペースで長い間行かなかったりして、私なんかは、なぜもっと行っていろいろ話してやらないんだと少しイライラしたりする。一回行けば、時間の長短にかかわらず、5万ウオン(約5,000円)が手に入るにもかかわらずである。

 ビトナの事情に関していえば、しつっこいストーカーに付け回されていて部屋までかわるのだが、それでもなお、付け回されることになる。ただし、危害は加えられないようだ。

 ビトナは結局、サロメの症状が悪化して入院し、その死を迎えるまで、前後して途中で中断し、また続けたりしながらも、4つの物語をすることとなる。
 私がもっとも感動したのは、幼い頃、朝鮮戦争の戦火を逃れて母に背負われ川を渡り、南へ逃れてきたチョ・ハンスさんの物語だ。このとき、チョ少年は二羽の伝書鳩をポケットに忍ばせていたが、その後の生活のなかでそれらを飼うことは叶わず、定年退職後、「グッドラック」と名付けられた巨大団地の管理人となり、やっと屋上で何羽かの伝書鳩を飼うことができるようになる。

 チョさんは、これらの鳩たちと、まるで意思疎通ができるかのように訓練に勤しみ、ついにその夢を叶えることができる。その夢とは、チョさんが戦争前に暮らした生まれ故郷(北側)との鳩を通じての交信であった。
 インターネットの時代の鳩を通じての交信、それに至る鳩たちのチョさんの意志を理解し、その故郷の村へたどり着く不思議さ、そこにはなにか快楽のようなものがある。

       

 ビトナは他に三つのまったく違ったシチュエーションの話をサロメにするのだが、気をつけてよく読むと、最初のチョさんのテリトリー、グッドラックとつながっているのがわかる。ただし、それぞれの話の内容には必然的なつながりはなにもない。

 ビトナをしつこく監視していたストーカーの正体も明かされる。その意味で、一見バラバラに放り出されたようなこの小説のひとコマひとコマは、集約されるとはいえるのだが、その集約のされ方は、西洋合理主義の理詰めの決着ではない。

 どこか、必然性の論理を越えた至極ゆったりとした辻褄の合い方、これがこの作家が自国フランスではなく、韓国を舞台とした「韓国小説」として表現したかったものかもしれない。

 なお、私がもっとも心情移入したのは、物語の聞き手サロメであったことをいい添えておこう。自分で物語を紡ぎ出すことができない私は、それを聴くことが大好きなのだ。

 

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東大寺荘園の1200年の耕地が終わるとき

2022-08-21 02:52:46 | 写真とおしゃべり
 私の住む岐阜市の茜部は、その地名を東大寺の荘園、茜部荘に由来するといわれる。歴史に残る年代としては818年の記録があるから1200年の歴史があることになる。
 茜部は、服部が衣服の生産に発するように、当時、高貴な染料とされた茜色のための茜草を生産していたといわれる。
 その後、茜草の生産は終わったようだが、水にも恵まれた耕作地として、米作へと変わったと思われる。いずれにしてもこの地は、記録に残る限り1200年の耕作地であった。

 おおよそ五十数年前、私がこの地へ移住した折、周囲、100メートル四方に建造物はなく、田んぼの中の一軒家であった。しかしその後、高度成長があり、それが頓挫した後も、名古屋へも通勤可能として市街化が進み、ついには、わが家を取り巻く田はすべて消滅するところとなった。

 これはそのうち、とくに私がウオッチングしてきた田で、この終焉には特別な思いがある。重ねていうなら、1200年前、茜草の栽培から始まった農地が、完全に失われたということである。もうこの地で、茜草はおろか、米が作られていたことすら忘れられてしまうだろう。

 ここに載せた写真は、10年前を起点にし、私がウオッチングしてきたものである。もっと多数の写真があるのだが、一定数にとどめた。この田の変遷をご覧いただき、急逝によりその耕作を中断せざるを得なかったあの農夫に心からの弔意を表したい。

         
              2012・5・30 田植え

         
             2013・10・7 稲刈り 1

           
             2013・10・7 稲刈り 2

         
      2014・4・5 まだ蓮華が咲く田の向こうを行く子供みこし

         
             2014・10・20 台風後に倒壊

         
             これは倒壊ではなく風に波打つ稲

       
             耕作者の急逝後次第に荒廃が
       
            稲の穂が混じるのが哀しい
       
           
             大きなゴミを捨てる不埒者が

      
         三年ぶり、買い手がついてコンビニの建設が

      
      
      
     ー
      
     

 もはやここに、茜の荘園以来、1200年の耕地があったことを思いやる人はいないだろう。

 

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クリニックの帰り 単純に田の向こうの建物

2022-08-19 18:04:50 | フォトエッセイ

 しばらく書き込んでいませんでした。
 次回、ちょっとまとまった一大歴史ヒストリーを書きます。
 これは、それまでの繋ぎです。

        

      

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8月6日 ちょっと政治的な二題

2022-08-06 17:07:41 | 社会評論

 
 1959年か60年の原水協(原水爆禁止日本協議会)の全国大会で広島に行った際、当時の革新系は「アメリカの原爆はやばいが、ソ連の原爆はキレイ」というへんてこな論理でアメリカのみを非難する方向に傾いていた。それは違うだろうと学生中心の全国の有志で広島市内を「あらゆる原爆に反対!」と叫んでデモをした。機動隊にボコボコにされ、革新系からはアメリカCIAの手先と非難されたが、もちろん私はアメリカの手先でもスターリニストの手先でもなかった。

 当時の社会党や総評系が、「あらゆる原爆に反対」をやっと掲げ、原水協を脱退し、原水禁(原水爆禁止日本国民会議)を結成したのはそれから数年後だった。
毎年、8月6日になるとその折の思い出が頭をよぎる。原爆ドームの近く、太田川にかかる相生橋の上をデモで通った思い出・・・・。

  

 沖縄県知事選に自民党から立候補を表明している佐喜眞 淳、Wiki に載せられた旧統一教会との関連は以下に及ぶ。

■2014年2月14日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)系の日刊紙「ワシントン・タイムズ」のトーマス・マクデビット会長と宜野湾市役所で面会。普天間基地移設問題について語り合った。
■2016年2月23日、世界日報社の情報サイト「ビューポイント」の単独インタビューに応じ、普天間飛行場の名護市辺野古移設の完了時期が予定より2年延びることについて、「残念でならない。市民の立場からすれば怒り心頭だと思う」と述べた。インタビュー記事は2日後の2月25日に配信された。
■2017年3月26日、統一教会の関連組織「平和大使協議会」は宜野湾市で「日韓トンネル推進沖縄県民会議」の結成大会を開催。同大会に沖縄県議会議員らとともに出席した。
■2019年9月末、市議会の保守系会派「絆クラブ」の4人の市議らと台湾に渡航し、「平和大使協議会」を視察した。9月29日には、桃園市で開かれた統一教会の合同結婚式に参加。既婚の信者カップルを集めた「既成祝福式」に来賓として参加し、ステージ上で「素晴らしいです。私も非常に感動しております」と述べた。
■2020年2月3日から5日にかけて、統一教会の関連組織「天宙平和連合」は韓国高陽市のキンテックスで「ワールドサミット2020」を開催。佐喜眞は韓国に渡航し、同イベントに参加した。
■2021年1月8日、統一教会の関連組織「沖縄県平和大使協議会」が新春の青年フォーラムを開催。同フォーラムで、元知事の仲井真弘多とともに講演を行った。
 
 文中暗紅色で表示したのは、すべて旧統一教会関連、というよりその組織そのもの


【その評価】これだけ揃ったら、その内容からしても、単に関係があったというより、旧統一教会のコアなメンバー、ないしはその組織者クラスと言えるのではないだろうか。
 私の大好きなあの沖縄を、むざむざ、旧統一教会の餌食にしてはならない。

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「あいち2022」ならぬ「なごや2022」の超芸術活動 その1

2022-08-04 11:16:22 | 催しへのお誘い

 「あいちトリエンナーレ2019」というのを覚えていらっしゃるだろうか。ここでの「表現の不自由展」での大村愛知県知事の処置の不適切さをあげつらった河村と高須の脱線コンビが、何十万という偽リコール署名を生み出す格調高き場外乱闘で有名になったあの国際美術展である。

 そういえばと思い出す人も多いだろうが、それと並行して、超芸術家による超芸術活動としての「なごやトリエンナーレ2019」の存在を知る人は少ないだろう。前者の「あいトリ」に対する後者の「なごトリ」であり、数次の超芸術活動を展開した。

     

 トリエンナーレとは三年に一度という意味で、今回はその年に当たる。しかし、主催者側は、三年前のトラブルを想起させるのがマズイと考えたのか、本来は「あいちトリエンナーレ2022」となるところを、「国際芸術祭あいち2022」と名称変更をした。

 この日和見主義は、この催しの知名度を損なう面もあるといわれているが、先に述べた「なごトリ」の方もそれに合わせ、「なごや2022」として、超芸術活動を展開するという。

         

             活動が展開された近くの堀川運河

 その第一回ともいうべき活動が8月3日午後、名古屋国際センタービル前で行われるというので観に行った。午後5時を期して、超芸術家が出現。

 活動内容は、戦時中の空襲警報を鳴らしながらの演説パフォーマンス。その携帯スピーカーが向けられた先は・・・・。そう、6階にある名古屋のアメリカ領事館。

         

 この超芸術活動、動画にも登場するが、警官と私服の公安担当らしき人影も。そう、それが超芸術たる所以。一般的な芸術活動は、力、ないし力への意志を「美のオブラート」に包み表出する。だから力の直接的な表出は一応回避される。しかし、超芸術はそんな回りくどいことはしない。力あるところに力あらしめよだ。

 だから、超芸術にはカウンターたる力=権力が誘導される仕組みになっている。

 限られた空間での、わずか数分のパフォーマンスであったが、そうした超芸術の内包するものが抽出された瞬間であった。

■超芸術活動の動画 

https://www.youtube.com/watch?v=Z9P-lsmbLXw

https://www.youtube.com/shorts/q5oB762TLvw

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イヌワシ・沖縄・ソーキそばとOさん

2022-08-03 11:19:46 | 想い出を掘り起こす
 SNSで20年近く前からお付き合いがあるOさんが、旅の途次、名古屋で一泊されるとのことで、「逢いませんか」とのお誘いが。他ならぬOさんと逢えるのなら、親の葬式以外なら是非と思った。ということは、両親の葬式をとっくに済ませ、あとは自分の葬式だけという私にとっては絶対に外せないということだ。

 もう20年近いお付き合いの中で、彼女と逢うのはこれで三度目だ。
 一度目はもう10年ほど前、今回のような複数の目的地をもった旅の途次、伊吹山でしばしば目撃されるイヌワシを観たいとのことで、岐阜駅で待ち合わせて一路伊吹山へ向かった時だ。
 その折は天候は良かったが、次第に下り坂へ。伊吹山ドライブウェイに差し掛かった折には、下から迫る私たちと、上から迫る雲海とのせめぎあいに。う~ん、残念。イヌワシのビューポイントに到着した折にはすでに雲の波が。
 
 しばらく粘ったが、諦めて滋賀県側の長浜の古い町並みを散策し、もうその頃にはすっかり荒れ模様の琵琶湖を眺めて終わった。

        その折の伊吹山でのOさん 「熊出没」の物騒な警告も

 二度めは、コロナ禍前の2019年秋、三重県のやはりSNS上で20年以上の知り合いのご夫妻共々、沖縄を訪問した折だ 。 
 その折Oさんは、私たちの滞在期間三日間を通じて、アッシー君の役割を果たしてくれ、それまで沖縄観光旅行を拒み続けてきた私の、「行くなら、贖罪を含めた旅に」の要請を組み入れた極めて適切なコースを案内してくれた。もちろん、観光を否定したわけだはなく、それはそれでじゅうぶん楽しんだ。

        19年秋 国頭(くにがみ)村 安田(あだ)での朝の散策

 そして今回の三回目、名古屋にしては珍しく、気温は高いが湿度は低く、しかも適度な風が吹く快適な夏日和の夕刻、彼女と落ち合い、名古屋の中心部を案内した。とはいえ、刻々と変わりゆくこの街自体が私には疎遠であって、適切に案内できたかどうかはまったく自信がない。
 
 この旅の途次、彼女が出会った私以外のマイミクさんたちの歓待ぶりは相当豪華だったはずで、それと張り合おうとしたら私は、「月と兎」の話よろしく、燃え盛る炎のなかにわが身を投じるほかはなく、まあ、あれはあれで世間知らずの老人の精一杯のはからいであったとご容赦願いたい。
 とはいえ、彼女と過ごしたひとときは楽しかった。

 彼女と逢う前日、沖縄から荷物が届いた。彼女の手土産代わりのソーキそばなどの入った荷物だった。冷房嫌いの私は、この時期でもその使用は最小限にし、昼はもっぱら冷たい麺類で済ませているのだが、ソーキそばはそうは行かない。その日は、冷房をギンギンに効かせて、暖かいソーキそばを作った。
 美味しかった。沖縄の味がした。麺に、レトルトにされた豚肉の部位に、沖縄の味があった。

         Oさんからいただき私が再現したソーキそば  
 
 19年の秋の沖縄訪問時、確か、どこかから辺野古への移動の途中だったと思うが、街道筋のぽつんとした一軒家風のソーキそば店におりざさんが案内してくれたことを思い出した。小さな店で、きれいでもなんでもないありふれた田舎のそば屋といった風情だったが、そこの蕎麦が抜群にうまかった。
 今回、送ってもらったそれを私は必死になって再現したのだが、正直いうと、あの折のあのそば屋のものには及ばなかった。これは致し方ないだろう。その地、その地の食い物には、その地でしか味合えない地霊の味のようなものが染み付いているのだから。

 でも、ソーキそばを味わったおかげで、岐阜のムシムシする夏にいながら、沖縄のあのサンゴ礁の鮮やかな海を思い起こすことができた。
 そして、19年秋、沖縄を旅した折の風景や各種戦跡が走馬灯のように巡るのだった。
 Oさん、ありがとう。

 

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フランスで110万部を売ったというゴンクール賞作品『異常』を読む

2022-08-01 02:22:10 | 書評

 ゴンクール賞といえば1903年に始まったフランスの伝統ある文学賞で、日本でいえば
芥川賞に相当するだろうか。かといってその権威などよく知らない私は、それを追っかけたりはしたことがない。
 例外的には、2010年に『地図と領土』でこれをとったミッシェル・ウェルベックをたまたま図書館で手にして気に入り、追っかけのように図書館にある彼の和訳のもの8冊ほどを読んだことがある。

 だから今回、2020年のゴンクールをとったというエルヴェ・ル・テリエの『異常(アノマリー)』を図書館の新刊コーナーで見かけたときも、「フーン、ゴンクール賞ね」と思ったぐらいだったが、念のために「訳者あとがき」を見て驚いた。なんとこの書、昨年末までにフランスで110万部売れたというのだ。もちろん、いわゆる「純文学」で100万部以上とは稀有なことである。
 ならば、一度読んでみようと思い、借りてきた次第。

          

           暗い感じの表紙だが実際にこの色彩

 最初にでてきたのは、「人を殺すのは、たいしたことじゃない。必要なのは、観察し、監視し、熟考することだ」の独白で始まる殺し屋の話である。何だこれは、いわゆるピカレスク(悪漢小説)かと思う。
 しかし、彼の役割はすぐ終わり、次々と別の人物が、そう、11人もの人物が登場する。だが、彼らが全てではない。これは彼らをも含む247人の運命に関する物語なのだ。

 彼らの共通点はなにか。それは2021年3月10日、パリ発のアメリカ、ケネバンク空港(ポートランド郊外)行きエアー・フランス006便(ボーイング787)に乗り合わせたということである。
 事態はこの便が遭遇したことによって生じる。そして、ここから先(本書でいうと第一部の終わりから第二部へ)は、SF的なムードに一変することとなる。

 ネタバレになってしまうが、まあ、大まかに書くとしよう。
 この便は、アメリカ東海岸近くで巨大な積乱雲に遭遇し、きりもみ状態になったり、機体に損傷を負ったりするが、機長マークスの冷静は措置によって無事それを抜け出して着陸に成功する。それはそれでいいだろう。

 問題は、その同じ飛行機が、同じように損傷を受けながら3ヶ月後の6月24日にも積乱雲の中から現れることによる。この二重現象。もちろん、搭乗員や乗客の247名もそのままに。
 ここからの事態はなぜそのようなというSF的な解明(それは可能だろうか?)と同時に、哲学的な問いともなる。人間の自己同一性とはなにか?自分が自分であることの保証は?自己と他者との差異は?時間的差異による自身の差異とそのズレは?etc.etc・・・・。

         フォト

             作家 エルヴェ・ル・テリエ
           
 この小説では、それらを形而上学的に問うのではなく、現実に二重化してしまった人々の問題としては具体的に展開するのだが、もちろん、それらは一定ではない。
 その二重性をどう受け止め、どう解消するのかも11人それぞれでちゃんと書かれている。

 そして、それらが収まれば事態が解消するわけではない。
 なぜなら、それは、この小説の終幕に至って、さらに劇的な展開を見せ、そして衝撃的な展開をみせるからだ。そこは語らないでおこう。

 以上描いたように、この小説は多彩な展開を見せ、読みだしたら止められないし、その結末もまさに「異常」というほかはない。
 
 その他にもこの小説にはいろいろな仕掛けが施されている。20年のゴンクール賞作品だが、事件の舞台は21年の近未来の話であるし、登場人物の一人、作家のミゼルは『異常』というタイトルの小説を書いているという入れ子状態でもある。ちなみに、これもネタバレになるが、このミゼルという作家、最初の飛行機が着いた3月10日から、次の飛行機が着いた6月24日の間に自殺をしてしまっていて、あとから到着したミゼルが、自分が自殺をした現場を訪れるシーンもある。

 とにかく、盛沢山の要素を巧みに配置した作家、エルヴェ・ル・テリエの力量は大したもので、110万部を売り上げるのもわかる気がするが、どうなんだろう、日本だったら直木賞に収まるのではとも思える。決して、その区分けを重視しているのではなく、単にジャンル分けの話なのだが。

【追記】最近のNHKの土曜ドラマ『空白を満たしなさい』で、自殺者が復生し(つまり生き返り)、自己の死に至る過程を点検するという話をやっていたが、一部で重複するように思った。かつて生きていた自己と、復生した自己との同一性と差異、その溝を埋めることはできるのか?自己とはなにか?などなど。

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