六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

最近の食べ物レポート おでん・昼麺・弁当・外食

2023-11-28 17:47:43 | 写真とおしゃべり

寒くなったらこれ!今季初の定番あったか料理=おでん。
 右側はスーパーで買った既成の詰め合わせ。左側、人参、大根、こんにゃく、キャベツは新たに仕込んだもの。
 コンセプトは「出汁を濁らせない」。そのためにはまずひとつははんぺんなどの油ものは一度湯通しをして油切りをする、大根、こんにゃくなども予め下茹でをしてアクを出さない。さらには、グラグラ沸騰させずにゆっくり味を沁ませる、などが必要。

        

 はじめての試みはキャベツ。細いキャベツロール風だが中身はない。ただキャベツの葉を巻いただけ。実はこの日、キャベツを買った。普通、キャベツは外側の色濃く硬そうな葉も付いていて、その硬そうな葉をその場に設えてあるゴミ箱に剥がし捨てて来る人も多い。貧乏性の私は、特に汚くはない外皮はそれを付けたまま持ち帰ることが多い。
 その外皮を3~4枚、剥がして下茹でにし、それを巻いて爪楊枝で止めたのがこれ。これが結構うまい。柔らかく味が沁み、甘みも出ている。他の具材の合間に食べると、箸休め風の気分転換にもなる。

以下はいつもの昼麺物語。 

        

 まずは睡眠不良で食欲がないときに作った青菜野菜のみのきしめん。多めの柚子を添えて食べた。

        

 次は味噌煮込みうどん。動物性タンパクにとウインナーが入っているところがご愛嬌。

        

 これは白菜と牛肉の肉うどん。牛は前日の夕餉の余り物。賞味期限当日で半額になっていたものを焼いて食べた。

        

 名古屋めしの一種にあんかけスパがあることは知っていたが、外食で食したことはない。まあその言葉からだけでなんとかなるだろうと残り物の野菜に適当に味付けし、あんを作りぶっかけた。賞味期限のソフトサラミがあったのでそれも乗っける。
 その付け合せがワカメと豆腐の赤だしとはなんといういい加減さ。

        

 豚肉と白菜、しめじのあんかけそば。寒い時期のあんかけは最後まで冷めずに食することができる。

         これも豚こまと白菜だがあんはなしのうどん。ネギと柚子の薬味を効かせた。

        
 白菜、キャベツ、モヤシとバナエイ海老のソティをあしらった醤油ラーメン。

        
最近のお弁当。左から、なた豆、にんじん、柔らかはんぺん、バナエイ海老のソティ、卵焼き。上のラーメンはこの折の残りの海老を使ったもの。

        
番外外食編。先般、写真展を観に名古屋にでた折の帰途、夕方になった。久々の名古屋だし、感動的な写真展のあとだし、加えてここしばらく苦しんだ睡眠障害も落ち着いたことだし・・・・といったところでちょっと贅沢でもと思ったが、適度な情報もないし、それを求めて疲れた足を引きずるのもと思ったところ、フト目についたのが栄地下街の「早くて安くてうまい」酒津屋。
 むかしっからある店で、随分前には、お会計の段になると親父が5つ玉のそろばんで計算し、腹当の丼がけをレジ代わりに、お札を投げ込み、お釣りも取り出していた。

           
 食べたのはマグロ刺(トンボかキハダ さっくりした切りと盛りだが鮮度は良かった)、〆鯖(まだ身が赤いのがいい 私の次に頼んだ人には「今日はもうおしまいです」とのことで危うくセーフ)、おでん三点盛り。飲んだのは日本酒冷や、「可(べし)」と「男山」各一杯。「酔鯨」も飲みたかったが、岐阜までの帰路も考えストップ。これで2,400円ほど。
 これが私の「ちょっと贅沢」の中味。でも満足。
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校下の文化祭を観る 私も出品

2023-11-26 16:25:21 | フォトエッセイ

 今日は校下の文化祭。農協の野菜売り場へいった帰りに寄る。

        
 ちょうど着いたら、フォークダンスのグループが予定のレパートリーを終えて、今度は一般観客も交えてということで私もお誘いを受けたが、腰痛がぶったまげて寝たっきりになるかもと辞退申し上げた。

            
           

 他に、手芸、俳句、習字などを観て歩く。

        

       
       
           
 私が参加しているのは写真の部。出品したのは今年5月、垂井町で撮った祭礼のもの。題して、「子ども歌舞伎@垂井町」。

 こうしたごちゃごちゃっとした催しってなんか和やかで懐かしいものがある。
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【写真集】晩秋の長良川と雄日ケ丘公園の紅・黄葉

2023-11-25 16:08:26 | 写真集
 義弟の三回忌法要が岐阜グランドホテルで行われたので参列。帰途、今秋はほとんど外出してなかったので、あまり秋を味わっていないことに鑑み、近くの長良川と、少し上流の雄日ケ丘公園へと足を伸ばす。 
 以下そこで撮ってきた写真をアトランダムで載せる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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動く写真=映画と動かない写真を観たという話

2023-11-24 00:03:40 | 写真とおしゃべり

 11月21日、久々の名古屋行き。なにか会合があってではなく私の単独行。「朝日」の夕刊がなくなって、文化欄、特に映画欄がなくなり映画鑑賞の指針をなくしたと嘆く私に、時折「中日新聞」の映画欄をわざわざ切り抜いて送ってくれるI さん(女性)の記事に触発され、久々にスクリーンで映画をと思った。 
 と同時に、そのI さんが同封してくれたチケットで愛知県美術館で開催中の「YASUI NAKAJI PHOTOGRAPHS 安井仲治写真展」を観るためでった。

          

        
 後者が主体であったので、映画の方は私の選択のなかでは第三候補ぐらいだったが、上映時間の都合がいいものにした。
 作品は『法廷遊戯』。私の好みとはちょっと違うかなと思ったが観ている間は飽きさせなかった。司法試験を受け、法曹界を目指す学生たちが、まさに遊戯として始めた模擬裁判が、時間とともに現実性を帯び、何年後かのそれは実際の殺人事件となる。

        
        
 
 その事件を巡る真実が二転三転する法廷ミステリーと言うか心理劇というか、それらを通じて世間並みには一定の結論に達する。しかし、それは、実は・・・・。
 真実を追求する清義(永瀬廉)と施設以来のその幼馴染美齢(杉咲花)がダブル主演だが、杉咲花の表情での演技がなかなかのもの。監督は深川栄洋。
 やはり私の中では第三候補だった。

            


 愛知県美術館での安井仲治写真展の方は、ドストライクに感動した。
 1903~42年の短い生涯を写真の表現に捧げた人である。記録としてのそれではなく、美的表現としての写真。

        

 100年以上前、デジカメはもちろんその前の銀塩カメラなどの現像や焼付け技法も発展途上だった頃、彼自身、ライカの35ミリカメラを手にしたのはその晩年であった。もちろんすべての写真がモノクロである。

            
            

 そうした技術上のハンディをものともせず、彼は果敢に写真の美的表現に挑戦してゆく。当時の最新の絵画界のシュールリアリズムを写真の世界でも実現してゆく。
               

          

 また、どんな対象を撮すのかによってその写真家の現実で立ち位置がわかるが、例えば人物像にしても、着飾った上流社会の人たちのポートレイトなどはない。ほとんどすべてが市井の庶民の老若男女で、上半身裸で働く労働者なども多い。
 さらには、メーデーをシリーズで撮り、検束者なども撮っている。その晩年は、日中戦争が始まり、すべてが軍事色に塗られてゆくのだが、それらに乗せられた形跡はない。
 なぜか白衣の傷痍軍人シリーズがあるのだが、私は1931年、逮捕検束され獄中死した反戦川柳人・鶴彬(川柳界の小林多喜二ともいわれた)の作品を連想した。例えば、「手と足をもいだ丸太にしてかへし」などである。

            
           
 当初予想したより、はるかに豊かな展示会であった。そのうえ良かったのは、写真の展示会だけあって、特定の撮影禁止以外の作品はすべて撮影が許されていたことである。だから、展示されたもののうち、数十枚を撮してきた。そのすべてを載せると、展示会の営業防蟻になるので、ここには一部の写真のみを載せるが、会が終了する27日以降に、それらを載せようと思っている。

         
         
 そんなこともあって、一時間ほどを予定していた鑑賞時間が、2時間近くに及んだ。
 その後についても報告しようと思うのだがいつもながらで長すぎるので、機会を改める。
 I さんのお陰で充実した一日になった。改めてお礼をいいたい。
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三日連続、こんな物もらっちゃった!

2023-11-19 17:22:53 | 写真とおしゃべり
 三日続けて人様からものをいただくなんて、よほど私に人徳があるやに誤解される方もいらっしゃるかもしれない。しかし、それは誤解だ。私は嘘つきの見栄っ張りで、その上に歳にもよらぬ我利我利亡者である。
 
 この最後の我利我利亡者たることが人様の同情を呼んで、哀れみの施しをいただけるのかもしれない。
 
【その1】
 あるSNSで親しくしていただいている方(女性)から、まさにこの時期の品々をご恵贈いただいた。このTさん、質「量」ともに食通で、季節感にも敏感で、まさに彼女らしい選択だ。
 写真でご覧のように、日野菜、むべ、柚子、銀杏で、いずれも秋・秋・秋・秋だ。柚子と銀杏はもちろん皆さんご存知だろう。

        
 日野菜は地方野菜で、産地は滋賀県蒲生郡日野町である。その色彩と美味が珍重され、京料理の素材として用いられたりしたが、他ではあまり知られていない。ただし、隣県の岐阜や三重ではかつては八百屋などで時折出回ったりした。私もそこで知った。しかし、食材がスーパーに一元化されるなかで、すっかり見かけなくなってしまった。

 ちょっと見、形状は大根のようだが、蕪の仲間。レシピはやはり、切り漬け、糠漬けなど漬物が主体でそれが美味しい。ステーキ風に焼くなどもあるようだが、近年取って付けたようなもので、あまり興味はない。

 むべはあけびの一種で、食べ方はあけびと同様、種子のまわりの甘味を味わう。山の香がする。

        
        

 銀杏はいろいろ用途が広い。そのまま焼いても、実を取り出してなにかの具や銀杏ご飯にしたりだ。

 さて、日野菜であるがけっこう大きいのを6本もいただいたので、切りづけと糠漬けの両方を楽しみたいと思っている。

 Tさん、ほんとうにありがとう。
【その2】 
 この前、秋の味覚を貰ったばかりなのに、今度は信州、越後、出雲のいずれも蕎麦の名産地の揃い踏みのようなセットを頂いた。
 
 いただいたのは、私が大学入学時からの友人(女性)で、指折り数えれば67年のお付き合い、この歳になってみれば幼馴染のようなものだ。
 ちょっとしたことをして差し上げたことへの返礼であろうが、それが過分なことにかえって恐縮している。

        
 いわゆる通ではないし、さほどこだわりはないが、蕎麦は好きだ。かつて足まめな頃、うまいラーメン屋ができたと聞いてもあえていったりはしなかったが、うまい蕎麦屋がと聞くと車ででかけたりしたこともある。
 いまでも外出の折など、蕎麦屋でちょっとしたツマミで酒を汲み、その後、蕎麦を手繰ったりしている。

 いただいた蕎麦のそれぞれの産地の違い、私の粗雑な舌で識別できるかどうかはおぼつかないが、結果はともあれ、蕎麦を手繰っている間は幸せなんだからそれでよかろう。
 いずれにしてもYさん、ほんとうにありがとう。お互い、いつまでも元気で、親交の記録が伸ばせればと思っている。
 
【その3】
 いただいたのはその日とれとれの日本海の鮮魚。親しくしていただいている釣り名人が、その釣行の帰途にわざわざ立ち寄って分けてくれたのだから間違いない。

        

 最初いただいたのは、ウマヅラハギ2尾とアジ3尾。独り身ではこれで十分というのを、せっかくだからこれもと50センチ余のヒラマサも1尾。「こんなに食べられません」というと、冷凍保存の解凍分も美味しいからとのこと。こんなとれとれを冷凍するのはもったいない気がするが、そのお言葉に甘えてこれもいただく。

 これらの魚をどう処理したのかを、後日談も添えて書いておこう。

        

 アジ3尾は三枚におろし、皮を剥いで香味野菜、生姜の千切りをあわせてたたきにした。ちょうど、小型のかぼすがあったので、この搾り汁と醤油、味醂を追わせてポン酢とした。

 ウマヅラハギ1尾は三枚におろし、片身は刺身に、片身はソティ風にして弁当のおかずに入れた。
 なおカワハギの刺しには、ヒラマサをさばいた折の切身の一部と合わせ盛り合わせた。そして肝を潰し醤油と少々の味醂と合わせて肝造り風にした。

        
        
        

 さてヒラマサの方だが、頭と尻尾は除き、カマを外し、本体を3枚におろすのだが、狭い調理場と小さなまな板で苦労した。その上、これだけの大きさだと出刃を押したり引いたりするのに体力を要する。
 しかし、思ったよりきれいにおろすことができた。それらのごく一部を上に述べたように刺しに回したが、そのほとんどを切り身にして冷凍保存した。

             
        

 さて残ったウマヅラハギの1尾だが、皮を剥いで(皮を剥ぐには角風の背びれを除き、口先を切って剥くとむかし板場に教わった)ちゃんと肝が残るように肚を取り除き、煮付けにした。
 新鮮な魚たちを刺しにすれば美味しいことはもちろんだが、この煮付けの美味しさは想像以上だった。スーパーの魚売り場で、時折本ハギを買ってきて煮付けにすることがあるが、そして一般的にはウマヅラハギより本ハギのほうが美味いといわれるが、このウマズラはそんな一般論をこえて美味かった。やはり鮮度だろう。

        
       

 カワハギの類は骨からの身離れがよくて食べやすい。きれいに食べることができた。ここまで食べれば、この魚も成仏できるだろう。

 海無し県の岐阜にいて、これだけ新鮮で美味い魚にありついているのはそんなに居まいと、誰にともなく叫んでみたい気もする。

 

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待てば海路の日和あり 生活者の唄 (付)廣澤虎造

2023-11-17 16:32:40 | よしなしごと
 洗濯をしたが岐阜地方の午前中は雨残りでどんよりした空が重い。近くのコインランドリーへもっていって乾燥だけとも思ったが、濡れた洗濯物は重くて腰にこたえる。
 一時間予報を見たら午後は晴れとあったのでそれを待って乾す。予報通り晴天になりホッと。まさに「待てば海路の日和あり」だ。
 
 
 私が「待てば海路の日和あり」という言葉をおぼえたのは小学生の頃で、その教材(?)はラジオで聴いた二代目廣澤虎造の浪曲「石松三十石船道中」でだった。
 
 戦後間もない頃で、まだTVもなく、夜の娯楽といえば落語や浪曲を大人たちに混じって聴く以外になかった。だから、浪曲の古典などは未だにいろいろ思い出す。
 
 いま聞き返してみると、虎造の節と語り、それに音曲師の三味と合いの手が絶妙である。
 
 
 ところで、「待てば海路の日和あり」はその7分42秒辺りから、そしておなじみの「馬鹿な死ななきゃ治らない」は24分16秒辺りにある。
 
 この後者は差別語になるのかなぁ。
 
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平々凡々 日常茶飯事の唄

2023-11-14 11:13:38 | 写真とおしゃべり

 最近の季節の変動はとても鋭角的でデグラデーションの期間が少ないので、戸惑い慌てることが多い。この間夏物を片付けたばかりのように思うのだが、もう冬支度だ。そんな中でも、生活は続く。

       

       

 先般、赤かぶを買ってきたのでそれを切り漬けにしたと述べた。それが漬かったようなのでタッパーに移して保存。心配した塩加減、途中で微調整したがまあまあの出来上がり。

       

 小春日和というのだろう、この時期にしては陽射しも強く、おまけに微風もあって洗濯物がよく乾きそうだ(写真に撮るならもっときちんと乾せ!←自分)。あえて逆光で撮った。この方が陽射しが強調されるかと思って。

       

 菊が開花した。わが家の小さな庭の片隅で、いつ頃からか住み着いたもので、手入れなどしたこともない。この前、岐阜公園で観た菊花展のそれらとは比べようもないが、こうした質素で平凡な咲き方も捨てたものではない。

       

 最後に昼麺をひとつ。山かけ蕎麦である。麺の上は長芋、すりごま、ネギはこまかいみじん切り、切り海苔。ワサビは長芋に混入済み。この段階では出汁が少ないが、写真撮影後、沸騰した出汁を山芋の上からぶっかけ、全部を撹拌して食べた。

 

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トルーマン・カポーティの若き日の小説『遠い声、遠い部屋』を読む

2023-11-12 17:02:31 | 書評

 アメリカの現代小説、エルナン・ディアズの『トラスト-絆/わが人生/追憶の記/未来ー』を読んだのは今月はじめで、その感想も述べた。そんな縁があったのかなかったのかよくわからないが、図書館の新着の棚に、トルーマン・カポーティの初期(最初)の長編小説、『遠い声、遠い部屋』が並んでいるのを見かけ、つい借りてきて読んだ。借りてから気がついたのだが、これは従前の河野一郎:訳ではなく、村上春樹の新訳のより、今夏発刊されたものだという。

            

 トルーマン・カポーティ(1924~84年)は1965年に発刊された『冷血』というルポルタージュ文学で知られた作家で、その折、つまり半世紀以上前に私も読んでいるのだが、まさに冷血な殺人事件を、冷血な筆致で描いていた以上の記憶はすっ飛んでいる。確かまだ、わが家のどこかでホコリを被っているはずだから、もう一度読んでもと思っている。

 さて、そのカポーティの初期長編(23歳の作品)だが、読み始めると同時にこれぞ「文芸」作品だと思った。どういうことかというと、文章の「芸」なのである。あえて芸術とはいわない。芸術の定義を巡ってややっこしくなるから。
 彼の文章の芸、または技はすごいと思った。あらゆるものの描写や比喩が、意表を突くように縦横無尽に描かれ、それらが、詩と散文の境界を縫うようにして表現される。村上春樹がこれを訳そうとした気持ちがわかるようだ。とはいえ、ハルキストには叩きのめされそうなほど村上春樹についてはよく知らないのだが。

 主人公はジョエルという13歳の少年である。彼が幼い頃、両親は離婚し、母と育った彼には父の記憶はない。しかし、その母も他界し、叔母に育てられていた彼のもとに、その父からの誘いの手紙が届く。彼はその父に逢うべく、単身でその南部の田舎町を訪れる。その家へたどり着くに前にも出会いがあり、それがこの物語とも関わってくる。

 
         

                 若き日のカポーティ

 父の住む家に着いたジョエルは、父の再婚相手という女性やその従兄弟というランドルフという男性(30代半ば?)に迎えられるが、父親にはなかなか逢わせてもらえない。しかし、ひょんなことから再会は叶うが、その父は寝たっきりで、その意思表示はボールをベッドから落とす以外にはないというありさまだった。

 ジョエルは、その家の窓の外観から、居るはずのない女性の姿を目撃したり、残してきた叔母に宛てた手紙が投函したはずのポストから消えたりする怪奇に見舞われる。
 それでもその間に知り合った隣家の気性の荒い双子の妹と知り合い、ともにでかけたりするが、意志が通じ合っているのかどうかはよくわからない。

 そのうちに、彼を招いたのが父というより、同居しているランドルフであったり、そのランドルフの同性愛志向が次第に明らかになってきたりする。
 かつて、その結婚相手から殺されかかった黒人女性(首に傷跡がある)が、南部では見られない雪を求めてワシントン目指して旅立ったり、さまざまなエピソードがジョエル少年を取り囲むが、やがて彼は、誰もが叶えられぬ夢を抱いてい生きているこの環境から自分は抜け出すべきだと判断するに至る。

 とまあこんな具合で話は進むのだが、それ以降の後半はその風景描写といい、登場人物といい、彼らの挙動といい、そのすべてが現実と夢幻の世界、不条理などがない混ぜになったままの描写で進んでゆく。それらはまるで淵や瀬、激流を行く川下りの小舟に乗り合わせたかのようで、その推進力はカポーティの華麗にして流暢な文体である。
 
 それらの過程は、主人公ジョエルが置かれた特殊な状況(著者、カポーティも子供時代孤児さながらに親戚をたらい回しにされて育ったとか)にもあるが、同時にこれは、私たち一般が少年少女の時代、迷妄のうちに周囲の状況に触れ合いながら、夢を抱いたり、見失ったりする過程をどうくぐり抜けたりするかの詩的にしてかつ幽玄的な描写ともいえる。

        
                晩年のカポーティ

 主人公の少年ジョエルの話は、以下のように閉じられる。
 「彼にはわかっていた。自分が行かなければならないことが。怯えることなく、臆することなく。彼は庭の端で少し歩を止めただけだった。なにかを忘れてきたみたいに、彼は立ち止まって後ろを振り向き、華やぎを欠いた降りゆく暮色を、自分が背後に残してきたその少年の姿を目にした。」
 
 もちろん、「背後に残してきたその少年」とは、そこを去りゆくジョエル自身のことである。
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やってきた初冬の雰囲気あれこれ 脱線気味

2023-11-10 16:59:25 | 写真とおしゃべり

 11月も10日の声を聞くと、この間までの夏日が嘘のように初冬の気配が。この前、夏物を片付けたばかりのような気がするが、そろそろ冬物を出さねばなるまい。

 農協の野菜市場も、白菜や蕪など冬野菜が顔を見せ始めた。小ぶりの白菜(150円)などいろいろ買ってきたが、赤かぶ(5珠130円)や柚子(小珠8個100円)も買ってきたので、切漬けに。柚子、鷹の爪、昆布も混じえた。塩加減はまったくの勘。うまく行きますように。

        

 以前の記録を見ていたら、3年前の今日、やはり農協で赤かぶをゲットして漬けている。何やかや言いながら、ここ何年かでは季節の変動は似たようなものだと実感。


        

 おまけの写真ひとつ目は最近作った弁当。ほうれん草バター風味、里芋、柔らか厚揚げマヨネーズ風味煮、鶏もも肉あっさり煮、卵焼き。

        

 ふたつ目は昼餉の余り物パスタ。取ってつけたように水菜が乗っているのは、出来上がってから野菜が足りない感じだったので、文字通り「とってつけた」から。パスタにワカメと豆腐のおすましなんてところが私のチャランポランなところ。

【おまけのおまけ】上の記事とは関係ないが、ここには書いていなかったから・・・・。ただし、秋から初冬へは共通している。いずれも、先般、名古屋から旧知の友人夫妻が来てくれたので、ともに岐阜市北部へでかけた際の話。

        

        

 名古屋から来てくれた旧知のご夫妻ともども、久々の岐阜公園へ。折から恒例の菊花祭をやっていて、「千輪の部」というところへ差し掛かる。白と黄色の菊が傘状にきれいに整えられている。

 それにしても千輪とは大げさで「白髪三千丈」の類かなと思って見ていたら、一緒に見ていた三人組の女性の一人が、「これって実際には240ぐらいだけど、一本の茎からなのよ」と教えてくれた。

        

 え?まさか?と思って根元を覗いてみたらほんとうに茎は一本。しかも、普通の菊と同様、決して太い茎ではない。それをこのように咲かせる技術に感服する。同時にそれを教えてくれた女性にも。
 
「私もやってみたけど、うまく行かなかったの」とはその女性の弁。何事にもその道のスキルがあって、それを心得ているとその鑑賞の眼もまた豊かになることをあらためて知った次第。

         

【長良川立冬】10月15日で鵜飼も終了し、役目を終えた遊覧船たちは船溜まりに停留。南側から北岸を。左は長良橋。右上は岐阜市の最高峰百々ヶ峰。ピーカンの立冬風景。

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「ぎふ信長まつり」・・・・昨年との鮮やかな対比のなかで

2023-11-06 17:27:17 | フォトエッセイ
 日曜日、会合のため名古屋へ。JR岐阜駅までバスで出る。
 なんか駅周辺が騒然としている。何だこれはと思ったら、今日は「ぎふ信長まつ」りの最終日だって。

        

 そういえば去年の今頃、騎乗姿の信長に扮したキムタクが岐阜の中心街を練り歩くというので大騒ぎをしていたことを思い出した。その人出は岐阜市の人口を上回る六〇数万人で、経済効果はン億円などといわれたものだ。

            
岐阜名菓「鮎菓子」のゆるキャラ 頭ももっているのも鮎菓子 腰のかごは鮎漁のものか

 今年の信長役は一般公募でがくんと地味になったせいもあって事前の報道もあまりなく、私自身もこの日外出しなかったら祭りのことなど全く知らないままにすぎたかもしれない。
 まあ、知ってたからといって今さらそのために外出することもないのだが。去年なんか、下手に出かけたら人混みに押しつぶされそうだとかえって外出を控えたほどだ。

            
        岐阜駅北広場 右上は緋色のマントを羽織った信長の金の像

 乗車する列車の時間が許す範囲で写真を撮り、名古屋へ出発。
 名古屋では、所定の会合に夕方まで出席し、その後、ちょっとした補習授業(二次会)に出て、八時半頃には岐阜駅に帰着。
 昼の喧騒は嘘のように静まり返った駅周辺であった。
        
 

 

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