「一億総懺悔」に似た状況が流行りつつあるようです。
あっちゃでも、こっちゃでも、それに似た行為が行われようとしています。
まず本家本元を辿ってみましょう。
これは、私がまだみめ麗しき少年の頃(今なお、その面影を宿していることはいうまでもないのですが)、リアルタイムで経験したことなのです。
1945年、敗戦後間もなくして、急に回りの大人たちが、今回の戦争につき「一億総懺悔する必要がある」などといいだしました。
なるほど、私のような小国民をも含めて、みんなが戦意高揚に酔いしれていた挙げ句の果てのこの惨状、国民が等しく懺悔する必要があるだろうと素直に思ったものです。
しかし、この一億総懺悔、あとで知ったところによると、どうもそうした国民の謙虚な自己批判から生まれたものではないらしいのです。
敗戦後二週間の間、誰もがこの戦争についての責任に言及しませんでした。軍部と文民、官僚、企業などが一丸となって、ひたすら、証拠文書の廃棄作業に忙しかったからです。
しかし、やがて、なぜこんな悲惨が生じたのかの糾明の声が挙がりはじめました。
当時、敗戦処理内閣として登場した皇族内閣の首相・東久邇宮は、敗戦二週間後に至って、はじめてその件について口を開きました。
「・・・この際、私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し、懺悔しなければならぬと思ふ、全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる」(1945〔昭和20〕年8月30日付「朝日新聞」)
これを受けて、当の「朝日新聞」をはじめ、各マスコミが一斉に「一億総懺悔」を唱え、それが私のような少年の耳に達するほどの流行語となったのでした。
そうなのです、この言葉は、上から発せられ、マスコミによって広く流布されたものなのです。
敗戦処理のための東久邇宮皇族内閣
しかし、おかしくはないでしょうか。国民が謙虚に、戦争政策にのせられここまで来てしまったことを自己批判するのは分かるとしても、この戦争を先導し、反対勢力への暴虐や処刑をもって国民を黙らせ、各種の戦争政策を強引におこなってきたお上が、いまさらのように「お前らみんな、等しく責任をとれ」というのですから。
さらにそれを得々と流布したマスコミもマスコミです。
彼等は、連日、「敵軍に与えた損害は甚大なり。なお、当方の損害は軽微」という嘘の情報を垂れ流し、戦陣での美談をねつ造し、国民を戦争へと駆り立ていたのですから。
おかげで、今となっては信じられないことですが、国民の大半は、戦況は厳しくなっているとは思ってはいたものの、八月一五日の当日までは、敗けるなどとは思ってもいなかったのです。
一部、聡明な人たちはそれを予感していたのですが、公の席で、「負けるかもしれない」などとつぶやこうものなら、たちまち特攻警察が飛んできて、逮捕され、半殺しの目に遭わされる、あるいは命すら危ういという時代だったのです。
これらを考え合わせると、お上やマスコミと同様に、国民等しく「一億総懺悔せよ」はどう考えてもおかしいといわざるを得ません。
果たせるかな、新聞の投書などに、
「今度の戦争は私たち農民の一向知らない間に始まり、勝っていると信じている間に負けてしまった。私たちのあずかり知らないことに、私たちは懺悔する必要はありますまい。国民を欺いていた背信の人々にこそ、懺悔は必要です」
「戦争当局者が、責任を国民に分配するつもりでの一億総懺悔なら、それは卑怯だと思う」
などの意見が相継いだのでした。
しかし、大筋としては、この一億総懺悔はうやむやの内に承認された形となりました。その結果は、日本人自身の手による戦争責任の追及が皆無であったという事実となって現れたのです。
戦争責任の追及は、すべて連合国や占領軍によって行われたのでした。
こうして、一億総懺悔論は、戦争の責任を国民全体に分配し、真のその在りかを完膚無きまでに隠蔽するという所期の成果を見事に果たしたのでした。
これが、元祖「一億総懺悔」の実状でした。
最初に、今、それが流行りつつあると書きました。
そのひとつは、「ミート・ホープ」の全員馘首宣言です。この会社の従業員たちは、いきなりクビを言い渡されました。中には、再就職もままならない人たちもいるようです。
こんな会社だから、不正に蓄財したものを従業員に分配するとは思えません。もっとも、経営者の奥さんは、8,000万円の退職金をもらって既に退社されているそうですが・・。
つまるところ、経営者のみ、それらを密かに蓄え、多少の刑罰や科料のあと、のうのうと暮らして行けることになるのでしょう。
これもまた、「一億総懺悔」的責任の分配ではないでしょうか。
もうひとつは、社保庁職員の賞与のカットです。
国民が等しく社保庁に不信を持ち、その改革を、あるいは解体を望んでいることは事実です。
しかし、そこで望まれていることは、自分たちの年金への信頼感の回復と同時に、1)社保庁が従来の欠陥システムを放置し、それをチェックしてこなかったこと、2)年金の積み立て分を全く無駄な箱物の建造にあて、結果としてゴミ同然に処分しなけれがならなくなったこと、3)それに群がった議員共への黒い金の環流、などなどの事実を明らかにし、その責任の所在を明確にするとともに、その責任者への処分と失われたものの取り返しなのです。
ですから、社保庁の職員全員おしなべて、一億総懺悔させればよいというものではありません。
ここにもまた、真の責任の隠蔽があるようです。
しかもそれに加えて、ここにはさらに真っ黒な企みがあります。要するに、国民の社保庁批判に乗っかったこうしたパフォーマンスで現政権への批判をかわし、あわよくば参院選で票を上乗せしようという姑息な手段であることが見え見えなのです。
結論です。一億総懺悔的発想は、いつの場合でも、真の責任所在を不明確にし、無辜の民にまでその責任を分配しようとするあざとい方法なのです。
<笑えるオマケ>
文部科学省は、昨年、ミート・ホープの田中社長に対して、「創意工夫功労者賞」を授与していて、今回の事態で、慌ててその取り消しをしようとしているようなのです。
しかし、田中社長がいかに「創意工夫」をこらしたかは、今や私達が広く知るところですし、文部科学省は、その「先見の明」を誇るべきで、取り消しなどすることなく、お役所仕事の典型例として後々まで残すべきではないでしょうか。
あっちゃでも、こっちゃでも、それに似た行為が行われようとしています。
まず本家本元を辿ってみましょう。
これは、私がまだみめ麗しき少年の頃(今なお、その面影を宿していることはいうまでもないのですが)、リアルタイムで経験したことなのです。
1945年、敗戦後間もなくして、急に回りの大人たちが、今回の戦争につき「一億総懺悔する必要がある」などといいだしました。
なるほど、私のような小国民をも含めて、みんなが戦意高揚に酔いしれていた挙げ句の果てのこの惨状、国民が等しく懺悔する必要があるだろうと素直に思ったものです。
しかし、この一億総懺悔、あとで知ったところによると、どうもそうした国民の謙虚な自己批判から生まれたものではないらしいのです。
敗戦後二週間の間、誰もがこの戦争についての責任に言及しませんでした。軍部と文民、官僚、企業などが一丸となって、ひたすら、証拠文書の廃棄作業に忙しかったからです。
しかし、やがて、なぜこんな悲惨が生じたのかの糾明の声が挙がりはじめました。
当時、敗戦処理内閣として登場した皇族内閣の首相・東久邇宮は、敗戦二週間後に至って、はじめてその件について口を開きました。
「・・・この際、私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し、懺悔しなければならぬと思ふ、全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる」(1945〔昭和20〕年8月30日付「朝日新聞」)
これを受けて、当の「朝日新聞」をはじめ、各マスコミが一斉に「一億総懺悔」を唱え、それが私のような少年の耳に達するほどの流行語となったのでした。
そうなのです、この言葉は、上から発せられ、マスコミによって広く流布されたものなのです。
敗戦処理のための東久邇宮皇族内閣
しかし、おかしくはないでしょうか。国民が謙虚に、戦争政策にのせられここまで来てしまったことを自己批判するのは分かるとしても、この戦争を先導し、反対勢力への暴虐や処刑をもって国民を黙らせ、各種の戦争政策を強引におこなってきたお上が、いまさらのように「お前らみんな、等しく責任をとれ」というのですから。
さらにそれを得々と流布したマスコミもマスコミです。
彼等は、連日、「敵軍に与えた損害は甚大なり。なお、当方の損害は軽微」という嘘の情報を垂れ流し、戦陣での美談をねつ造し、国民を戦争へと駆り立ていたのですから。
おかげで、今となっては信じられないことですが、国民の大半は、戦況は厳しくなっているとは思ってはいたものの、八月一五日の当日までは、敗けるなどとは思ってもいなかったのです。
一部、聡明な人たちはそれを予感していたのですが、公の席で、「負けるかもしれない」などとつぶやこうものなら、たちまち特攻警察が飛んできて、逮捕され、半殺しの目に遭わされる、あるいは命すら危ういという時代だったのです。
これらを考え合わせると、お上やマスコミと同様に、国民等しく「一億総懺悔せよ」はどう考えてもおかしいといわざるを得ません。
果たせるかな、新聞の投書などに、
「今度の戦争は私たち農民の一向知らない間に始まり、勝っていると信じている間に負けてしまった。私たちのあずかり知らないことに、私たちは懺悔する必要はありますまい。国民を欺いていた背信の人々にこそ、懺悔は必要です」
「戦争当局者が、責任を国民に分配するつもりでの一億総懺悔なら、それは卑怯だと思う」
などの意見が相継いだのでした。
しかし、大筋としては、この一億総懺悔はうやむやの内に承認された形となりました。その結果は、日本人自身の手による戦争責任の追及が皆無であったという事実となって現れたのです。
戦争責任の追及は、すべて連合国や占領軍によって行われたのでした。
こうして、一億総懺悔論は、戦争の責任を国民全体に分配し、真のその在りかを完膚無きまでに隠蔽するという所期の成果を見事に果たしたのでした。
これが、元祖「一億総懺悔」の実状でした。
最初に、今、それが流行りつつあると書きました。
そのひとつは、「ミート・ホープ」の全員馘首宣言です。この会社の従業員たちは、いきなりクビを言い渡されました。中には、再就職もままならない人たちもいるようです。
こんな会社だから、不正に蓄財したものを従業員に分配するとは思えません。もっとも、経営者の奥さんは、8,000万円の退職金をもらって既に退社されているそうですが・・。
つまるところ、経営者のみ、それらを密かに蓄え、多少の刑罰や科料のあと、のうのうと暮らして行けることになるのでしょう。
これもまた、「一億総懺悔」的責任の分配ではないでしょうか。
もうひとつは、社保庁職員の賞与のカットです。
国民が等しく社保庁に不信を持ち、その改革を、あるいは解体を望んでいることは事実です。
しかし、そこで望まれていることは、自分たちの年金への信頼感の回復と同時に、1)社保庁が従来の欠陥システムを放置し、それをチェックしてこなかったこと、2)年金の積み立て分を全く無駄な箱物の建造にあて、結果としてゴミ同然に処分しなけれがならなくなったこと、3)それに群がった議員共への黒い金の環流、などなどの事実を明らかにし、その責任の所在を明確にするとともに、その責任者への処分と失われたものの取り返しなのです。
ですから、社保庁の職員全員おしなべて、一億総懺悔させればよいというものではありません。
ここにもまた、真の責任の隠蔽があるようです。
しかもそれに加えて、ここにはさらに真っ黒な企みがあります。要するに、国民の社保庁批判に乗っかったこうしたパフォーマンスで現政権への批判をかわし、あわよくば参院選で票を上乗せしようという姑息な手段であることが見え見えなのです。
結論です。一億総懺悔的発想は、いつの場合でも、真の責任所在を不明確にし、無辜の民にまでその責任を分配しようとするあざとい方法なのです。
<笑えるオマケ>
文部科学省は、昨年、ミート・ホープの田中社長に対して、「創意工夫功労者賞」を授与していて、今回の事態で、慌ててその取り消しをしようとしているようなのです。
しかし、田中社長がいかに「創意工夫」をこらしたかは、今や私達が広く知るところですし、文部科学省は、その「先見の明」を誇るべきで、取り消しなどすることなく、お役所仕事の典型例として後々まで残すべきではないでしょうか。