過日、疎開先の大垣の小学校の同級生だった懐かしい友人(女性)から、折から名古屋で開かれている「棟方志功 祈りと旅」展のチケットをいただきました。
余談ですが、最近女性の方から、こうした粋なプレゼントを頂く機会が多いのです。うれしい限りです。
で、早速、混雑するであろう週末を避けて金曜日にいってきました。
実は棟方志功展、以前にももう少し小さい会場で観たことがあるのですが、今回のものはその出品点数や作品の多彩さでそれをはるかに凌駕するものでした。
とりわけ、その作品には何十メートルに及ぶ壁画などの大作があるのですが、それらは距離を置いて観ることができるロケーションが要求されます。
それらを愛知県美術館はほぼ満たしていたと思います。
もちろん、壁画などは本来これらが置かれている場所とは違ってそのアウラが失われているといえばそれまでですが、まあ、それはないものねだりで、その場へ行く機会も体力もない身には、それらが一堂で観ることができるというのはとても有難いことです。
そうした大作の荘厳ともいえるものがあるかと思うと、一方、ほっとさせるようにまろやかで優しい女人像があったり、岡本かの子や草野心平の詩集につけたモダニズムと土着が融合したような作品があったり、あるいは故郷青森の「ねぶた運行絵巻」のように、名誉市民になった自分自身もそこに描かれているユーモラスな人間鳥獣戯画風(ただし、こちらは極彩色)の長~い絵巻物があったり、その芸業(彼自身の言葉です。芸術とは称さなかったようです)の多彩さにはただただ驚嘆するばかりです。
とくにその彩色ものの色彩は、後半に進むにつれ、郷土青森のねぶたや凧絵の感覚に深く根ざしていることがよくわかります。ゴッホに触発され「わだばゴッホになる!」と郷里を飛び出した彼ですが、その後の柳宗悦や河井寛次郎などの民芸運動との出会いによるものでしょうか、どこかで郷土色を独特にアレンジしながらその芸業に活かしていったようです。
正直にいいますと、これまで私は棟方作品のひとつひとつの個別の作品にはどこかいまひとつ馴染めないものを感じていました。しかし、これだけの芸業の集積には完全に圧倒されました。そしてそれらの作品の海の中から、「ああ、これはいいなぁ」という何点かの作品を見出すことができました。
その意味で私の棟方観を塗り替えるきっかけとなったかもしれません。
ようするに、彼の作品を素直に見ることができるようになったということです。
この歳になった私に、なおかつ新しい出会いや視点変換の機会を与えてくれた小学校の同級生、Sさんに感謝することしきりです。
*この美術展から帰ってTVを見たら、新潟や福島での豪雨災害を報じていました。
早々と梅雨明け宣言をしておいてぐずついた天候が続くと「戻り梅雨」などと名付ける人間の身勝手さはともかく、その災害のひどさには身震いします。
こうした際、いつも、田んぼを見回りに行った老人が行方不明になったり水死したりするケースがあります。今回もそうです。
なにもそんな日に田んぼなど見にゆかなくともと、都会の人たちは思うかもしれません。しかし少年の日々を田園地帯で過ごした私には、そうした「米作る民」の思いがわかるだけにとても切ないのです。
まだカッパなどという洒落たものがなかった頃、田舎の祖父が雨風の激しい中、蓑笠をつけて田んぼの見回りに出かけた記憶がよみがえるのです。
余談ですが、最近女性の方から、こうした粋なプレゼントを頂く機会が多いのです。うれしい限りです。
で、早速、混雑するであろう週末を避けて金曜日にいってきました。
実は棟方志功展、以前にももう少し小さい会場で観たことがあるのですが、今回のものはその出品点数や作品の多彩さでそれをはるかに凌駕するものでした。
とりわけ、その作品には何十メートルに及ぶ壁画などの大作があるのですが、それらは距離を置いて観ることができるロケーションが要求されます。
それらを愛知県美術館はほぼ満たしていたと思います。
もちろん、壁画などは本来これらが置かれている場所とは違ってそのアウラが失われているといえばそれまでですが、まあ、それはないものねだりで、その場へ行く機会も体力もない身には、それらが一堂で観ることができるというのはとても有難いことです。
そうした大作の荘厳ともいえるものがあるかと思うと、一方、ほっとさせるようにまろやかで優しい女人像があったり、岡本かの子や草野心平の詩集につけたモダニズムと土着が融合したような作品があったり、あるいは故郷青森の「ねぶた運行絵巻」のように、名誉市民になった自分自身もそこに描かれているユーモラスな人間鳥獣戯画風(ただし、こちらは極彩色)の長~い絵巻物があったり、その芸業(彼自身の言葉です。芸術とは称さなかったようです)の多彩さにはただただ驚嘆するばかりです。
とくにその彩色ものの色彩は、後半に進むにつれ、郷土青森のねぶたや凧絵の感覚に深く根ざしていることがよくわかります。ゴッホに触発され「わだばゴッホになる!」と郷里を飛び出した彼ですが、その後の柳宗悦や河井寛次郎などの民芸運動との出会いによるものでしょうか、どこかで郷土色を独特にアレンジしながらその芸業に活かしていったようです。
正直にいいますと、これまで私は棟方作品のひとつひとつの個別の作品にはどこかいまひとつ馴染めないものを感じていました。しかし、これだけの芸業の集積には完全に圧倒されました。そしてそれらの作品の海の中から、「ああ、これはいいなぁ」という何点かの作品を見出すことができました。
その意味で私の棟方観を塗り替えるきっかけとなったかもしれません。
ようするに、彼の作品を素直に見ることができるようになったということです。
この歳になった私に、なおかつ新しい出会いや視点変換の機会を与えてくれた小学校の同級生、Sさんに感謝することしきりです。
*この美術展から帰ってTVを見たら、新潟や福島での豪雨災害を報じていました。
早々と梅雨明け宣言をしておいてぐずついた天候が続くと「戻り梅雨」などと名付ける人間の身勝手さはともかく、その災害のひどさには身震いします。
こうした際、いつも、田んぼを見回りに行った老人が行方不明になったり水死したりするケースがあります。今回もそうです。
なにもそんな日に田んぼなど見にゆかなくともと、都会の人たちは思うかもしれません。しかし少年の日々を田園地帯で過ごした私には、そうした「米作る民」の思いがわかるだけにとても切ないのです。
まだカッパなどという洒落たものがなかった頃、田舎の祖父が雨風の激しい中、蓑笠をつけて田んぼの見回りに出かけた記憶がよみがえるのです。