86歳の誕生日を迎え、こんなはずではなかったといささか戸惑っています。
私の若い頃、40代50代が老年の入口で、80代などはよく生きているなぁと思うほどの年齢だったからです。それも、80代の後半に差し掛かるなんて・・・・。
86歳は私にとって二つの意味でエポックメーキングです。そのひとつは亡父の享年を超えたということです。もっとも私は養子のもらわれ子ですから 父との間に遺伝子的なつながりはありません。父はその亡くなる寸前まで、私と同様腰痛の悩みを抱えながらも元気で飛び回っていました。
それが12月の末、その年の業務を終えた段階で、大きな総合病院へ出かけ、まずは腰痛対策のためのコルセットを作ろうと言うことでその採寸を行ったようです。それから 別の階へ移り内科主体の健康診断を行っていたその最中に倒れたと言うことなのです。父は一人で自転車で出かけたものですから、その過程を見ていたものは誰もいません。だから親戚の中には、 父が急に倒れたこと自身が何らかの医療ミスによるのではないかと言う疑念を持ち続けた人もいました。
それから 年が改まり一週間ほど後、 父は集治療室に入ったままそこで亡くなりました。 集中治療室から一般病棟に移されそこで集まった親族一同が嘆き悲しんでいた真っ最中に、いきなり入り口から明るい看護師さんの言葉が聞こえてきました。
「 〇〇さ~ん、お待ちどおさま~。ご依頼の腰痛用コルセットができましたよ~」
外科の看護師さんの底抜けに明るい口調に、遺体の脇にいた内科の看護師さんが入口に飛んで行って、外科から来た看護師さんの口を塞ぐようにして遮りました。
父の容態は、外科の方には全く伝えられていなかったのです。
結局その腰痛用コルセットは私が引き取り、今も時々用いていますが、とてもかさばり重いため、もっぱらこれからの冬用に用い、それ以外はもっと軽便のものを用いています。
もう一つのエポックメイキングな出来事は、私の連れ合いが亡くなってからおよそ8年が経過したということです。
それにどんな意味があるかというと、彼女が亡くなった頃の統計的な資料によれば、夫に先立たれた女性は、その後おおよそ17年間生きるが、逆に妻に先立たれた男の方は、平均7年ほどしか生きられないとあったのです。
にも関わらず、私はこの誕生日でおおよそ8年間、永らえたのです。
私と仲が良かった高校時代の同級生は、70代のはじめに連れ合いに先立てれたのですが、本当にその統計のデータ通り、その約7年後、まだ70年代に後を追ってしまいました。
その意味では、私はその統計上の平均値を凌駕出来たということです。
私の連れ合いが亡くなった折、かなり年少のガールフレンドからいわれたことがあります。そのひとつは、朝起きて、いくら面倒でも、トレーナーなど寝間着を来たままでのそのそ過ごさないこと。二つ目は、食事の後、使った器や調理器具をシンクに貯めることなく、すぐ洗うこと。そして三つ目、どんなに淋しくても、昼間っからお酒を飲んだりしないこと。
私はそれらを守ってきました。
上に述べた平均値の7年で亡くなった同級生は、服装や食後の片付けはともかく、よく昼の間に酒を口にしていたようです。「そうでもしなければ淋しくてしょうがないさ」といっていました。
ところで、私にそう諭した女性ですが、一昨年、病に倒れ急に亡くなってしまいました。
私が、連れ合いを亡くしてからも七年以上生き延びたのは、その彼女の助言に忠実に従ってきたからではとも思うのです。
八五歳時の出来事は、K氏を訪ねてヨーロッパを一〇日ほど旅したことです。
さて、八六歳時の私の目標は漠然としてはあるのですが、これから具体化してゆくつもりです。
どうか、今後もよろしくお見守りください。
*写真は記事の内容とは全く関わりがありません。