六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

身近な黄金郷と忍び寄る陰鬱な風邪

2014-11-30 01:45:55 | 日記
 28日、私の所属する同人誌、「遊民」での同人にして先達で、先ごろ亡くなられた伊藤さんを偲ぶ会を行いました。
 私もその呼びかけ人のひとりとして、会の案内状の作成や発送、葬儀の写真集の作成、当日の会場設営、司会進行のお手伝いと、及ばずながら会の運営を支えさせていただきました。

     

 その甲斐あってか、とてもいい雰囲気の会になったと思います。
 東京や京都からの遠来の方々もいい会だったとおっしゃって下さいましたし、伊藤さんのお連れ合い、美枝子さんも、変に湿っぽくなくてよかったとおっしゃっていただきました。そして、何よりも、亡くなった伊藤さんその人が、こういう形で偲ばれることを望んでいたのではないかと自負しているのです。



 その経緯につては以下のブログとそのコメントをご覧ください。
 http://blogs.yahoo.co.jp/rokumonsendesu/archive/2014/11/29

 さて、一夜明けて29日ですが、どうも気分が優れません。これだけはなんとか成功させようと頑張ってきたのが終わって緊張が緩んだせいでしょうか、どうも風邪気味なのです。喉が痛いし、頭はぼんやりしているし(いつもだろうって?それもあります)、ちょっと悪寒もします。



 しかし、岐阜市内で知人と会う約束が前からあります。
 暖かくして車で出かけました。
 主たる用件は終わり、しばらく話していて、「どこかで紅葉を見ましたか」という話に。
 「いいえ、今年はその時期、山の近くにはゆかなかったもので、せいぜい図書館の南京櫨ぐらいです」と、私。
 「でしたら、車ですぐ行けるところに銀杏の紅葉が素晴らしいところがありますから案内しましょうか」



 といった具合で、着いたのが長良川の北にある雄日ヶ丘公園。
 着いた途端に、「う~ん、ちょっと遅かったかなぁ」と知人。
 しかし、私には十分豪華な銀杏の紅葉の饗宴なのです。
 「一週間ぐらい前だったらもっとゴージャスだったのに」と嘆く知人。



 私はこれで十分とばかりに写真を撮り始めたのですが、そういわれればもう葉をすっかり落とした樹もあちこちに。しかしそのお蔭で、地上は黄金色のじゅうたんを敷き詰めたよう。



 いずれにしても私の疲れを癒やすには十分な光景でした。
 上下左右、黄金色に彩られた風情は、これぞジパング、エルドラドと、たくさん写真を撮ってきました。



 落ち葉としての銀杏が美しさを保つのは、枯れないで地上に落ちるのと同時に、地上に落ちてからも、モミジなどより繊維が丈夫なため、その色形をしばし留めるからだと思います。



 さあ、これで風邪も治ったぞと帰宅したのですが、ソウハイカノオツンツンでやはり風邪らしい症状は顕著です。
 前にもらってあった薬など手持ちのものをネットで検索して効能や副作用を調べ、やたらめったら飲みましたが、果たして効用がありますものやら。
 今のところ一番効き目が明確なのは焼酎のお湯割りです。

   
 
 症状の変化は朝へ持ち越しですが、明ければ日曜日で病院関係はお休み。そういえば、41.5度の高熱で救急車で病院へ担ぎ込まれ、そのまま一週間の入院を余儀なくされたのは昨秋の日曜日でした。

 そんなことには再びなりませんように、神様仏様、その辺の鰯の頭も含めて、よろしくお願いいたします。
 
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切ない現実 映画『レッド・ファミリー』を観る

2014-11-27 00:02:38 | 映画評論
 韓国映画、『レッド・ファミリー』を観た。
 監督はイ・ジュヒョンだが、制作・脚本・編集はキム・ギドクという。

 例によって、これから観る人のためにストーリー展開ののネタバレは避けるが、状況設定は、韓国に派遣された北の工作員たち4人が擬似家族を形成しつつ、その任務を果たす過程で醸し出すさまざまな問題を、なかば喜劇的な設定で、しかし次第にシリアスな状況に至るものして描いたものである。

            

 4人の工作員が形成する家庭は、バリアーに包まれている。そのバリアーは、朝鮮半島の地理的な現状からいえば、南北を分断する38度線といえる。ようするに、彼ら4人とその外部を隔つのは、彼ら4人を囲んでいる38度線そのものなのである。
 したがって彼ら4人は、外部でのありようと、ドアを開けて38度線の北側にいる時とでは、その立場も容貌も、そして人格も豹変する。

 そうした38度線の、もっとも接近した南として、やはり4人からなる隣家の韓国の中流家庭が設定されている。
 最初は工作員たちの一般的な「任務」について描かれていたものが、次第に隣家との関係へと焦点が絞られてゆく。それは工作員たち4人にとっては自分たちの置かれた立場を対象化して考えてゆく契機であるのだが、同時に、工作員たちを支える「理念」が直面する危機の要因でもある。

          

 それがどのように収斂されてゆくのかが、家族というものの問題とともにこの映画の全体を規定してゆく。ようするに南の情況が北の理念を溶かしてゆく太陽と北風のような話といってもいいのだが(そしてそのような評価が多いのだが)、はっきりいってそのようにまとめてしまうのには同意できない。

 この映画は徹頭徹尾、南の価値観、ようするに普遍化された西洋民主主義、ないしは自由主義の立場からのものといえる。だから、北の工作員たちがそのままではありえないということが、ある意味、予定調和的に当初から組み込まれてしまってる。

          
 
 こういったからといって、北の立場を尊重せよとかそれを擁護しようというわけでは全くない。彼我の相対的優劣は一応明らかだからだ。
 どのような意味でも、人間の尊厳を人質にとったような抑圧の体制を擁護するわけにはゆかない。

 しかし、この映画では「愛なき理念」(この映画の前半で、「愛は理念を狂わす」という表現があったと思う)と、隣家の「理念なき愛」、つまりは消費社会への隷属とが対比されている向きもある。

          

 それを念頭に観た場合、サラ金、いじめといった南の家族が抱える消費社会の生み出した問題を解決するのが、南の(家族の)自浄ではなくて北の力(暴力)であることが示唆するものは興味深い。
 ようするにそこでは、消費社会に絡め取られた南の(当然日本もその範疇に入るのだが)抱える問題をも、副次的にではあるが、まな板に乗せられているといっていいだろう。

 実際のところ、映画ではそのへんのところは曖昧なまま、とりあえずは北の工作員たちの理念と愛の葛藤が、「人間らしく」という南=日本=西洋近代主義の価値観でもって止揚されたことになっている。
 しかし、「人間らしく」というのがもっとも漠然とした形容にしかすぎないとしたら、この映画で露呈した問題の在処は、実はエンドレスではないかと思わざるをえない。

          

 そして、そうした混沌が、つまり北の頑なな姿勢と、南のすさまじい発展による無原則なありよう(何度もいうがそれはまた日本のそれでもある)が、局所的、地理的に並置されているのが朝鮮半島であり、したがってこの映画の実際の主人公は、不可視の、それでいて実はどこにでも普遍化している38度線であるともいえる。

 最後の若者二人のシーンは、未来へと託されたかすかな希望を示唆するものであることはいうまでもない。
 
 








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街の紅葉 雨の広小路(名古屋)を歩く

2014-11-25 23:50:42 | 日記
 所属する同人誌の会合を終えた後、地下鉄で一区、栄ー伏見間の広小路通を歩いた。おりからの雨だったが、以外なところの結構あでやかな紅葉があって、目を楽しませてくれた。

           
 歩いたのは、日頃の運動不足の解消のためと、伏見で見る予定の映画の上映スケジュールとの間に余裕があったからだ。



 観た映画は、監督はイ・ジュヒョンだが、制作・脚本・編集はキム・ギドクという『レッド・ファミリー』。



 いろいろ、考えさせられるものであったが、感想などはおって書くかも知れない。
 雨に歩くのも、さほど悪くはない。


  結果として今日の歩行数は7,000歩になった。
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師走選挙の「大義」と民主主義という名の寡頭制

2014-11-24 11:18:25 | 社会評論
 前回の衆議院選挙同様、またしても師走の選挙ですね。
 選挙になると飲食店は暇になるといいます。
 これは事実です。
 候補者やその支援に直接係る人たちは多忙ですから飲み屋で一杯などは疎遠になります。官庁や地方自治体、警察なども多忙になります。
 官庁や地方自治体役所を対象とした飲食店では、すでに忘年会のキャンセルが多発しているということです。
 お歳暮も低調になります。
 下手にものを贈ったり、飲食店に誘ったりしたら、買収と疑われる可能性があるからです。
 選挙になると飲食店が暇になるというのは一般的な事実ですし、私の経験知でもあります。しかもそれが師走ですから、大きな影響があることでしょう。

          

 「大義なき解散」といわれます。解散の大義は何かはさておくとして、現実には、これまで一応機能してきた代議制を一旦ストップし、リセットしようというわけです。
 ところで、この代議制というのはその多数決原理と並んで民主主義の今日的ありようだといわれるのですが本当にそうでしょうか。民主主義(デモクラシー)がその本来の語源からして、民衆(=デモス)の支配あるいは権力(=クラティア)であるとしたら、代議制はほんとうにそうした民衆の支配を可能にするものでしょうか。

          

 歴史的にいえば、専制君主制、寡頭的貴族制、全体主義的支配などを経て、現在は民主主義の時代だといわれています。しかし、今日の代議制は果たして民衆の支配を実現しているかどうかです。
 今日の代議制を支える「自由な」選挙は、マーケッティングとマネージメントに深く侵犯されています。選挙になると広告代理店が多忙になり、各種メディアが活性化します。投票という「消費」がブランド効果やキャンペーンによるイメージ化によって支配されるわけです。

 こうした状況下で行われる選挙での投票に限定される民主主義は、実は民衆の支配による民主主義とは別物の、上にみたような選挙市場に特権的な力をもった階層による寡頭制にすぎないのではないでしょうか。

          

 ではそうした硬直した「擬似」民主主義から脱却することはできないのでしょうか。
 その可能性は公共空間での自由な人々の討論にこそあります。
 それらが保証されないままに、ただ投票行動のみに誘われる現状は民主主義とは無縁なのです。
 「各個人の自由の拡大による公共空間に保証されない政治的代議制は単なるオペレッタ」というのは、ハンナ・アーレントの言葉です。

 翻って現状をみましょう。実は、「公共空間での自由な人々の討論」が部分的限定的ではありますが実現しかかっていたのです。
 いわゆるアベノミクスに対する人々の評価と討論の始まりがそうです。華々しいキャッチコピーや美辞麗句によって包まれたいたその実像がやっと明らかになり始め、それを巡って人々が自由な討議の場につき始めていたのです。各種メディアやネットによってその実像があらわになり、その結果として安倍内閣の支持率が発足以来はじめて50%を切り、次第にその評価が実像に近づきつつあり、さらに論議の輪が広がろうとしていたのでした。

          
 
 その矢先の解散です。
 アベノミクスを中心とした安倍政権の政策の是非を具体的に論議する自由な公共空間がやっと開かれそうなまさにその時点で、そうした論議をを妨げるものとして行われたのが今回の解散なのです。だからそれは「信を問う」という言い分にもかかわらず、そうした論議を予め圧殺しようとする反民主主義的で有害な茶番劇であり、いわゆる政治代表制が実は具体的な民衆の論議を忌避する寡頭支配の一形態にほかならないことを明らかにしたものといえるのです。

          

 しかし、まだ可能性は残されています。野党間の政治提携などという政治力学的方策はともかく、まずはせっかく開かれそうになった安倍政治への自由な討論の場を継承しながら、発言を続けることです。
 そこにこそ、理念や制度ではない運動としての民主主義が存続するのです。

 それを諦めたとき、私たちの行き着く道は二つしかありません。
 完全な政治的アパシーかあるいはテロルがそれです。

 
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埋められた風景たち スーパーへの途上で

2014-11-22 23:21:53 | 日記
  写真は11月22日午後、自宅からスーパーへの道すがらで
 
 午前中は農協へ野菜を仕入れに行ったが、午後はスーパーへ徒歩で野菜以外のものを仕入れに出かける。主夫はなかなか忙しい。

          

 歩き慣れた道だが、時々歳々、風景が代わる。
 春に花をつけた樹が今は紅葉を迎えようとしている。そして、やがて白いものが降るかもしれない。もちろんこれらは、自然自身の営みといっていいだろう。
 春、水が張られた田に、頼りなげに植えられた稲が、夏にはたくましく根を張り葉を伸ばし、やがて黄金の実をつけて頭を垂れる。それらも今や刈り取られて跡形もない。これは人間と自然の共労といっていいだろう。

          

 こうした季節の移り変わりのみではなく、生態系の変動による自然の変化もある。見知らぬ植物が現れたかと思うとあれよあれよという間にその辺に群生したり、民家の庭園に外来種の花が咲き誇り、それが周辺の家々に拡散したりもする。

          

 これらはいわゆる人為によるものだが、そのなかには、移植など人が具体的に関与した結果もあるが、一方、個々の人間は無意識であろうとも、人類総体の営為によって生態系が変化した結果によるものもある。
 地球温暖化など自然環境全体の変化が動植物のありようや、その季節のサイクルをも変える。
 しかし、これらはすでに具体的に指摘されて久しい現在、もはや「無意識の営為」とはいえない段階だろう。

          

 しかしなんといっても、もっともドラスティックな風景の変化は、人間の直接の関与によるものである。ほぼ半世紀、同じ場所に住んでいるとそれがよく分かる。田圃の中に突如出現するマンション、それらがポツリ、ポツリと蔓延するにしたがって、田圃は減り、風景は激変する。
 かつては、うちから見ることができた長良川の花火もいまや音で知るしかない。

          

 メダカや小鮒が戯れていた小川も、コンクリート製のÙ字溝にとって代わられ、しかも田に水を必要としない一年の半分以上は、水のない、したがってもはや川とはいえぬ水の運搬路に成り果てた。

          

 田園地帯から住宅街への変遷に伴って、幾多の商店、飲食店などができたが、その大半は流通の変化などに対応しきれずすでにして終焉を迎えている。
 うちよりもあとに出来、うちよりもはるかに丈夫な鉄筋コンクリートの建物が壊され建て替えられる。

          

 こうして変更される風景は、どんどん上塗りされてゆく絵画のように、もはやその原風景をとどめることはない。私がここへ来たとき目にしたそれらはとっくに考古学的な過去へと沈潜してしまった。

          

 これが歴史というものの、私の周辺での空間的な現れ方であろう。かつて私が目にしたモノたち、そして古層へと埋められてしまったモノたち、それに「昭和」とか「戦後」とか名づけて呼び戻すことを夢想しながら、スーパーへの道を歩くのだった。




 
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晩秋の図書館と私の読書法

2014-11-20 22:47:05 | 写真とおしゃべり
 19日、県立図書館へゆく。
 ここにはなくて越境して他の図書館からの借り入れを申し込んでいる本がなかなか来ないので、カウンターへいって事情を訊く。
 「あなたのお申し込みになった書は当館にとっても必要と判断し、蔵書として購入することになりましたので、ただいま業者に発注しています。もうしばらくお待ちください」とのこと。

          

 これは、私にとっては基礎的な勉強のための本だからさほど急ぎではない。それに、新本をまず第一に手にできるというのも悪くはない。「それではよろしくお願いします」といって引き下がったのだが、こういうところはどのように本を発注するのだろう。アマゾンなら翌日には届くのだが、やはり地元の書店を通じるのだろうか。

          

 借りた本は以下のとおり。
  *ジャック・ランシエール
   『不和あるいは了解なき了解 政治の哲学は可能か』
  *ジャック・ランシエール
   『無知な教師 知性の解放について』
  *著者多数  
   『民主主義は、いま? 不可能な問いへの8つの思想的介入』

          

 最後のものは、G・アガンベン、A・バディウ、D・ベンサイード、W・ブラウン、J=L・ナンシー、J・ランシエール、K・ロス、S・ジジェクの8人による民主主義に対するアンソロジーのようなものである。
 例えば、上の2冊の著者でもあるランシエールは、最後の本では、「民主主義諸国 対 民主主義」という幾分刺激的、かつ挑発的なタイトルの一文を寄せている。「制度としてでも理念としてでもない運動としてのデモクラシー」という彼の所論が透けて見えるような論題である。

          

 断っておくが全部の論者を知っているわけではない。3人については全く知らないし、あとの人についてもおぼろげな輪郭しか持っていないといっていい。

 この三冊に、この間名古屋の書店で買ってきた、『人類が永遠に続くのではないとしたら』(加藤典洋)と『献灯使(けんとうし)』(多和田葉子)の5冊が当面の読書目標だ。
 変な読み方かも知れないが、一冊づつ順に読むことはあまりしない。学生時代のように、午前中これを読んだら午後はあれと時間割のような読み方をする。飽き性なので一冊に絞ると集中力が希薄になり、かえって読みが荒くなる。困った性分だ。

          

 図書館の周りはすっかり紅葉していた。
 私のご贔屓の美術館前の南京ハゼも暗紅色に色づいていた。
 もちろん、この一帯は人の手が入った自然だが、このあたりの雰囲気はやはり好きだ。
 陽が傾くと急に冷え込んでくる。
 慌てて帰途についた。

 『人類が・・・・』は序章を読んだが、そこに出てくるウルリヒ・ベックの『リスク社会』について道草をして調べていて、ずいぶん時間を使ってしまった。むろん無駄ではなかったが。







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宮沢りえ「紙の月」とコンサート 本も買った

2014-11-18 15:36:58 | 日記
 「お前の歳で生意気にブログなんかやっていると、しばらく中断すると、あゝ、あいつもとうとう逝ったかと思われるぞ」と口の悪い友人に言われたのはいつ頃だったろうか。
 たしかにその年令に差しかかっている。昨日も同級生の訃報を聞いた。
 
 しかし、「どっこい生きている」といおうか、「憎まれもの世にはばかる」といおうか、なんとか命脈は保っている。
 一週間以上更新から遠ざかっていたのは、私が所属する団体のブログを開設していたり、しかもその不具合があったため、始めっから作りなおしたりというドジなことをしていたからである。おまけにその開設の案内も出し直しという二重手間だ
 それでその開設をとりあえず五十数名の方にメールしたところ、儀礼的なもの、これを機会に近況報告など、多数のメールが送られてきてその応対に二日程かかってしまった。

 17日は久々に名古屋へ出て、映画とコンサート。両方とも、本当に久しぶりなのだ。

          

 映画は、角田光代原作、吉田大八監督、宮沢りえ主演の『紙の月』。
 「紙の月」という言葉は子供の頃から知っている。アメリカンポピュラーのスタンダードナンバーで、“It’s Only A Paper Moon”をよく聴いていたからだ。
 私たちは誰しも「紙の月=Paper Moon」をもっている。それは多分、ラカンのいう「対象a」のようなものだろう。それは他者から見たらなんでもないものだが、自分にとってはその存在がかかるものでもある。しかしそれは強固でも持続するものでもなく、壊れやすい。
 
 何度も回想される主人公の女学校時代の映像は彼女の「対象a」のありかを示唆している。
 映画について詳しくは語らない。ただ、宮沢りえさんは特異な存在だと思う。彼女の主演の映画はかなり観てきたが、どの映画でもちゃんとその役を演じきっているにもかかわらず、どこかそれが「宮沢りえ」であることが鮮明に残ってしまうのだ。映画を観たあと、私の中にはほかならぬ「宮沢りえを観た」という感が残る。
 『桐島、部活やめるってよ』の吉田監督の演出は手堅い。
 それに脇がその個性を十分に発揮している。

 たしかに幸せは、“It’s Only A Paper Moon”で、手でなぞれば消えてしまうものかもしれない。でも、本物のお月様が入手不可能だとしたら、私たちはいつも「紙の月」を求めざるを得ない。そして彼女はそれを紙の月と半ば知りつつもそれを突き詰めて求めた。

          

 映画からコンサートへの移動の途中、本を2冊買う。
 一冊は私の友人が懸命に読み返しているもので、私自身も読み継いで、意見を交換したいと思っている加藤典洋の評論。もう一冊はしばらく前、日本語論を勉強していてさまざまな示唆を受けた多和田葉子さんの最新の作品集。

 コンサートはゲヴァントハウスの首席チェリスト、ユルンヤーコブ・ティム+名古屋在住のピアニスト、水村さおりによるもの。
 曲目は以下のとおり。
 1)ベートーヴェン 「魔笛」の主題による7つの変奏曲
 2)バッハ 無伴奏チェロ組曲第五番
 3)ベートーヴェン 「魔笛」の主題による12の変奏曲
 4)ブラームス チェロ・ソナタ第一番

            

 プログラムの構成が面白い。1),3)はベートーヴェンのモーツァルトへのオマージュ、そして4)はベートーヴェンのチェロ・ソナタ第五番と同様3楽章の構成で、その第三楽章ではバッハの「フーガの技法」の主題を引用しているという、バッハやベートーヴェンへのオマージュで、全体が繋がっている。かくしてモーツァルトと三Bが連なる構成になっているのだ。

 個人的に面白かったのは3)で、ピアノの出番が多く、ほとんどの変奏で、チェロとピアノがひとこと、みことと囁き交わすようなパートがあって、ベートーヴェンが漫才かコントの台本を書くように、含み笑いでもしながら作曲した痕跡がみてとれてとても楽しかった。
 変奏曲の名人といわれたモーツァルトと、それに引けをとらないベートーヴェンとの「生きた交流」がここにはある。

   https://www.youtube.com/watch?v=3CKhipWXppQ
 

 なお、これらの曲がここまで生き生きしているのは、タミーノやパミーノにではなく、その主題をパパゲーノとパパゲーナにとったからだと思っている。
 大体、「魔笛」というオペラの啓蒙くさい部分は好きではない。その啓蒙からも漏れたパパゲーノやパパゲーナ、それに夜の女王のほうが遥かに魅力的だ。
 終幕、パパゲーノとパパゲーナがたくさんの子宝に囲まれて踊り狂うシーンこそ、次なる啓蒙の時代をも飛び越えて、やがて物言わぬとされた民衆の世界へ至ることが示唆されているかようだ。

 岐阜へ着いたら最終バスで、しかもうちからはすこし遠い路線。なんということだ、バスを降りてしばらくしたら驟雨。幸いさほど雨脚は強くなかったが、しとど濡れて帰宅。
 
 ただし、一日の歩数は8000歩と多分今月最高を稼いだと思う。

 

 
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小春日和の散歩道で

2014-11-11 23:25:31 | 日記
 近くのポストへ郵便を出しに行ったついでに少しだけ歩く。
 ここ2、3日というもの、あまり歩いていない。

 齢を重ねるということは行動半径が狭くなるということでもある。
 車での遠出もあまりしなくなった。
 お陰でガソリンを入れるのは、年に数えるほどだ。
 その数える程ごとに価格が高騰しているので驚いている。

          
             秋の陽光に白さが輝いていた

 自転車も、かつては10キロまでぐらいは平気で利用していたものだが、今ではせいぜい数キロ止まりだ。
 というか乗る機会そのものも減っている。
 それもこれからの寒い季節、さらに減るだろう。

          
           休耕田 草が生えてこないのは農薬で処理?

 徒歩が一番顕著だ。一日1000歩を切る日もある。
 犬を飼っていた頃は、興に任せて結構遠くまで歩いたものだ。
 犬も私も、行くほどに開ける光景を楽しんでいた。

             
                  きらめく疎水

 今日は小春日和で暖かく風もないいい陽気であった。
 こんな日はもっと歩きたいのだが、デスクワークでしなければならないこともあり、ほんの近くをさらっと歩いたにとどまった。
 写真は携帯で撮ったその記録である。

          
             猫の嫉妬 ネコジェラシーの晩秋

 歩きながら「銭形平次」のことを考えていた。
 子供の頃(1940年代末から50年代のはじめ)、小学校の高学年だったが、友達のうちに遊びに行った折など、彼の年の離れたお兄さんがとっていた「オール読物」で読んだのがはじめであった。
 その作者の野村胡堂が、クラシック音楽の評論家、野村あらえびすと同一人物であることを知ったのはもっと後年のことであった。

          
       刈り取られた株からは次世代が やがて鋤き込まれる運命

 この続きは、子供の頃から平次に関して抱いていた疑問ともども、いつかエッセイにでもまとめてみたい。
 「銭形平次」について考えていたら、舟木一夫が歌っていたTVドラマ用の軽快な主題歌に合わせるかのように、足取りも軽くなっていた。
 
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自家製ラーメンと外科医と老いの暗黒?

2014-11-09 01:48:49 | よしなしごと
 午後から従前よりときどき行っていた外科医へゆく決断をする。なぜ決断かは後述するとして、そのために少し早めの昼食を摂る。食事をしてすぐに動くと消化器系が動揺して調子が悪いからだ。

 ラーメンを作る。インスタントではない。
 麺は業務用の生麺、スープは前の晩に作ったつくね団子を煮た折のものを使ったので基本的に鶏風味、それに塩、醤油で辛味を整える。さらにコクをつけるためにごま油を少々。
 具はキャベツにもやしをさっと炒めたもの、そして昨夕の残りのつくね団子を数個。
 あとは小口切りのネギのみ。シンプル・イズ・ベストだ。

 これが意外とうまかった。つくね団子を多目の出汁で煮て、その折のスープを残しておいてそれ使ったのが勝因。

          

 消化器系を十分休ませてから外科医へ。ゆく用件は腰痛。
 もう一年以上前から自覚症状があって、中腰の姿勢が続いたり、炊事などの立ち仕事が長引くと腰に痛みを覚えたのだが、まあこのくらいは歳が歳だから仕方がないだろうと我慢してきた。
 しかしそれがここしばらくでかなり悪化したようで、今は何もしていなくとも痛みを感じるようになってしまった。これはやはりヤバイのではないかと、たとえ気休めでも外科医を訪れることを決断した次第だ。

 そんなわけで、病院の窓口へ。
 「今日は院長先生ではなくて、大学病院からの若い先生ですがいいですか」と窓口で念を押される。
 「またか」という思いが走る。
 実は前回この病院を訪れた際(その時は自転車で転倒し、胸部にかなりの痛みがあった)、同じことを訊かれ、医師の資格があるのなら大して変わりないだろうと、「いいですよ」とその診察を受けたのだった。

 その折の自己診断では、これは肋骨にヒビぐらいはあるだろうと思っていたのだが、そうした私の訴えを単なる老人の不定愁訴と受け止めたのか、レントゲンもとることなく、「あゝ、それは打ち身ですね」と湿布薬を処方されて追い返されたのだった。
 
 しかし、2、3日しても一向に痛みがとれないため、その病院を再訪したら今度は院長が診てくれて、即レントゲン、そして骨折の確認、胸部保護のためのテーピングの帯を支給とトントン拍子に進んで快方へと向かった。
 最初のものは若い医師の明らかな誤診だが、院長が言外にそれを詫びていたのでそれ以上は追求しなかった。

 で、今回もまた「大学病院からの若い先生」というので、私は文字通り腰が引けた。それで窓口で前回の経緯をぶちまけ、そのときの「若い先生」ならこのまま帰ると申し出た。
 窓口の係は、しばらく私のカルテを調べていたが、やがて、「今日の先生はこの前の方ではありません」とのこと。それではせっかく来たことだしと、診てもらうことにした。

 診察室に入ると、やはり頼りなげな若い医師だった。
 腰痛の模様を告げると共に、30年にわたってずーっと立ち仕事をしてきてひどい時には一日12時間以上に及んだことを述べ、したがって、脊椎が損傷を被っているのではないかという自己診断を述べたのだが、どこまでちゃんと聞いてくれたのかは心もとない。

          

 しばらく間があって、傍らの婦長格の看護師さんが、「先生、そういう方のためのコルセットを用意してありますが・・・」と助言。
 「あ、そう、じゃそれと湿布薬を処方しましょう」と若い医師。
 「それではサイズなど確認しますから、◯号室へお回り下さい」と看護師さんの指示。
 場を仕切っているのは完全に彼女。私もその方が安心できる。

 それで支給されたのが写真のコルセット。もちろん対処療法の最たるもので、これをつけていたら良くなるわけではない。しばらくはこれでしのぎながら、その先には車椅子の影がちらつく。
 老いはいろんな方向から私を攻め立てる。今は必死で応戦しているが、そのうちに気持ちが萎えてしまうと、今の段階では想像がつかない暗黒の世界が待っているのかもしれない。

 一生、悟りなどの境地には至るまいと思っている私にとって、そうした老いの暗黒とはどんな世界だろうか。一生、ジタバタして過ごそうとしているのだが、それ自体がどこまで可能なのだろうか。

 私という「主体」は実は「外部」の「虚焦点」のようなものだと現代の哲学はいう。
 たしかにそうだろうと思う。
 しかし、虚であろうがそこに一つの点があるとしたら、それはうつろいゆく「私」という点であり、それもが崩壊してゆくとしたら、私はもとの「外部」へと送り返されるということだろうか。
 
 晩秋だからといって別にセンチメンタルになっているわけではない。
 私はいつだって乾いている、いや乾いていたい、可能な限り・・・。
 


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「侍女たち」(ラス・メニーナス)に描かれたもの、描かれなかったもの

2014-11-07 14:27:50 | よしなしごと
 フーコーがベラスケスの絵画、「侍女たち」(ラス・メニーナス)について書いたものを読む。もう何度も読んだはずだが、読むたびに新鮮で何がしかの啓示がある。
 
 今回はそれに触発されながら、その絵画自身をPCの画面いっぱい拡大して見つめてみた。
 フーコーがこの絵画に注目したのはさすがだ。まずは、画家のベラスケス当人が大きなカンバスを前にこの絵画のなかに登場していることからして、ある種の劇中劇ともいった自己言及性が読み取れる。そして、それによリ、この絵画にはいくつかの屈折や視線の交差が生じることとなる。
 私たち鑑賞者は画家ベラスケスの視線の先にあり、この絵画を見るものであるとともに見られるものとしてこの絵画の一部たることを余儀なくされる。画家ばかりではなく、この絵画に登場するほとんどの人物が私たち観るものの方角に注意を払っていて、その視線の先はどうやらベラスケスの前の大きなカンバスに描かれつつあるものであることがわかる。

        
 
 そしてやがて、代わる代わるこの絵の前に立ついわば不特定多数の私たちが浴びている、画家やそこに描かれてい人々の眼差しの対象は、実は決して私たち自身ではないことがわかる。
 その不在の現前の実体を示すようなそのヒントは絵画のほぼ中央の背景におかれた白い枠の中にある。
 この白枠の長方形は絵画ではない。その周辺のくすんだ色彩のものは絵画だが、この明るいい方形は鏡であり、そこに映しだされたペアーこそが、画家ベラスケスが凝視し、侍女や小人たち、そして中央のこましゃくれたマルガリータ姫たちにとって中心をなしているこの絵のモデル、国王フェリペ四世とその妻である王妃マリアーナなのだ。

 したがって、私たちの視線が発する場所に本来鎮座するのは、この国王夫妻にほかならない。彼らはまさしく、私たちがこの絵を見ている地点に立っている。そして彼らこそがこの絵画の全体を見渡す主体の位置を占めている。したがって背後の鏡に映し出されたものは、その虚焦点のようなものだ。
 
 この錯綜した視線の往還運動の中で、私たちがそこに居座るならばこの絵画はその真の主体と対象を失うし、もし私たちがその場を譲り立ち去るならば、今度はこの絵画を認証する外部の観衆を失うこととなる。
 国王夫妻はこの絵画にとってのかけがえのない中心点としてその内部であるとともに、この絵画の枠にとってはその外部に属することとなる。
 だからそれは私たち鑑賞者の視線とオーバーラップすることができるのだが、にもかかわらず、背後の鏡の存在は国王夫妻の特権性を示すアリバイとなっている。

 だから私たちは国王夫妻であり、そしてそうではなく、そのことによって私たちは画家を始めこの絵に描かれた人物たちから眺められる位置にいて、なおかつ彼らを眺める地点にいる。
 この視線の往還運動は、もし鏡に映された特権者を名指す示唆がないとしたら、悪無限の循環として蒸発するたぐいのものとなるであろう。

 いずれにしてもこの絵画には多くの視線が錯綜している。
 画家、ベラスケスは、国王夫妻を凝視しながらその視線はこの巨大なカンバスへと回帰し、その視線の運動はこの絵画の完成まで続けられるだろう。その他の登場人物は国王夫妻への畏敬の視線を送りながら、同時に画家の手元へも関心をそそられるであろう。
 もうひとつ、この絵画には特権的な視線がある。それはその最も背後で、これらの状況全体を見渡しているかのような扉の向こうの男の視線である。
 彼は、画家も侍女たちも、モデルである国王夫妻も、そして進行中の絵画をも見渡す地点にいる。
 しかしそんな彼も、国王夫妻や私たちからは観られる存在である。
 ただし私たちや国王夫妻は、その巨大なカンバスに描かれつつあるものを観ることは出来ない。

 私が読んだフーコーの文章は、1965年に独立した一文として発表されたものだが、後にその著『言葉と物』の第一章として編入されている。そしてこれを、「古典主義時代の思想における表象の概念の模範例、表象を基礎づけているものの消滅、〈同一者〉である主体そのものの省略」などとしてる。
 「王の不在」は、「神の後退」を表すものであろうとか、主客が宙吊りにされたままの脱中心化は近代の到来を予告するものであろうといった読み方も出来るようである。

 上記の私のそれは、そうしたフーコーの提起に触発されながらも、絵画そのものに接しつつ、私が勝手に繰り広げた感想にすぎない。
 






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