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六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

大澤真幸『我々の死者と未来の他者』を読む 

2025-04-09 23:57:04 | 書評

        

 著者の前提は、この国において、未来に関しての悪弊への抵抗、または積極的な提言などの運動が乏しい、つまり、我々に続く世代=未来の他者についての関心が薄いのはなぜだろうということである。
 彼はそれを、基本的には加藤典洋の『敗戦後論』を受ける形で、我々の死者の弔い方(日本300万人、アジア2000万人)の問題へと遡及し、そしてその結果としての我々の未来の他者たちへの関わりを問題にしてゆく。

 彼はその問題を、『鬼滅の刃』や『おしん』、太宰治の『トカトントン』、吉岡隆明と鶴見俊輔の「転向論」への構え方と相違、柳田國男の常民論から司馬遼太郎の描く近代の人物像、さらには村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を題材にしながら論じてゆく。

 それらの検討の中での「我々の死者」の改めての発見、そしてそれによって浮かび上がる「未来の他者」への関心の発起、それが彼の目指すところである。
 果たしてそれが成功したかどうかは正直いってよくわからない。

 加藤典洋以来の問題の整理にはなったし、引かれた例も豊富で面白く、勉強にはなったが、いまの現実の問題は本当にそこなんだろかという疑問が残るし、したがって、私の関心ともいくぶんズレがある読書であった。

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パレスチナ人の女性作家の『とるに足りない細部』を読む。

2025-03-27 16:53:18 | 書評

 パレスチナ人の女性、アダニーヤ・シブリーの小説である。
 私は初見参だが、すでに国際的にも名を成してる人の作品であるという。

          


 小説は一部と二部に分かれている。
 第一部は1948年に設立されたばかりのイスラエル国家を確かなものにするため、今のガザ地区に近いエジプトとの国境付近に配備された小部隊の部隊長の視点から描かれる。
 彼の任務は、そのパトロール範囲内に現れるアラブ人を撃退することにある。

 事件は1949年の8月9日から13日までの4日間に起こったものである。
 炎熱の砂漠のなか、彼らの任務は厳しい。語り手の隊長は、自分の兵舎のベッドで毒蜘蛛に噛まれ、化膿に至る負傷を負う始末だ。

 砂漠での探索はなかなか成果を挙げるのが困難だ。しかしある日、泉のあるオアシスのような場所で、アラブ人の集団と遭遇し、銃撃を浴びせる。アラブ人の集団は武装組織ではなく家族集団で、唯一人の生き残りの少女が捕虜として部隊へ連行される。

 隊長の計らいで、彼女は無事、部隊の給食部門に回されそうだったが、実際にはそうではなかった。彼は隊員たちの集団淫行の対象になったのだ。そして隊長もまた・・・・。

 隊の規律を保つため、彼女は葬られることになる。とどめを刺すために、6発の銃弾が彼女の頭蓋骨を貫通する。

 以上に書かれたことは、そのディティールはともかくフィクションではない。ちゃんと公式の」記録に残されたものだという。

           

 この事件から四分の一世紀後に生まれたパレスチナ人の女性ジャーナリストが、事件のより詳細な事実を求めて、その現場を訪れるのが第二部の内容である。したがって第二部の語り手はこの女性となる。

 彼女はレンタカーを借り、神経質なほど用心を重ね、とてもビクビクしながら運転する。その途中には、いくつもの検問所、あるいはそれに似た箇所があり、私たち読者は、彼女と極度の怯えを共有しながら進んでゆかねばならない。

 それは、とりも直さず、イスラエル国内でパレスチナ人が移動する場合につきまとう不安や恐怖を伝えるものである。

 もうひとつ象徴的なのは、彼女の助手席に置かれた二枚の地図である。一枚は彼女が調査するために必要なかつてのこの地区の地図である。そして今一枚は、最近のこの辺りの地図である。そしてその違いは・・・・、そう、かっての地図にびっしり書き込まれていたパレスチナ人たちの集落や街が新しい地図ではほとんどなくなるか、あっても現在の地名の語源的なものとしてのみ残っているとうことである。

 彼女は、不審者と疑われることを用心深く避け、行きつ戻りつしながら移動するなかで、ついにあのアラブ人の一団が不幸にしてイスラエル軍に遭遇し、あの少女一人を残して皆殺しにあった泉らしき箇所を発見する。そして・・・・。

 これはこの小説の終焉近くの一節である。
 「・・・・その時、広大な景色の真ん中に立つ兵士の集団が目に留まる。私の方を見ながら黙って立っている。突然、激しい熱波が私を襲い、体から汗が吹き出し始める。落ち着け。緊張は事態の流れを変えはしない。・・・・」

 ここから12,3行で小説は終わる。

 あえて書かなかったが、この小説、一部にも二部にもかなり執拗に犬が登場する。日本語で言うところの「権力の犬」などいう意味合いをもたされた存在でもない。にも関わらず、折に触れて登場し、それなりの存在感を示す。
 人間が織りなす国家や民族、戦争といったものから切断された「他者」そのもの象徴的具現なのだろか。よくわからない。

 この書は、日本での発刊こそ昨年だが、書かれたのは2017年だから今回のガザ虐殺には直接関連しない。しかし、パレスチナ人たちがシオニストユダヤ人の侵略の中で、どのような抑圧のなかで、そしてこの書が示すように、死と隣接する境遇のなかで生きなければならないのかをよく示してる。

 「とるに足りない細部」はもちろん反語である。
 その「とるに足りない」ものどもの累積はすでに四分の三世紀に及び、この二年間のガザ地区のみに限っても、すでに5万人の死者を生み出してるのだから。


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読書録「ピアノを尋ねて」(クオ・チャンシェン)を読む

2025-03-21 02:11:41 | 書評

        

 作者は台湾の郭強生(クオ・チャンシェン)。
 主人公は、子供の頃から天才ピアニストといわれながらも、ピアニストになれず(ならず?)、ピアノの調律師として生きる男性。ただし、性的指向としてはゲイ。

 舞台が音楽のそれであるから、ピアノのスタインウェイやヤマハが登場するし、シューベルトやラフマニノフといった作曲家も登場する。
 ピアニストとしては、ライブを嫌い、スタジオ録音しかしなかったグレン・グールドと、逆に、スタジオ録音を嫌い、ライブ盤が多いリヒテルが対照的に登場したりする。
 また、独自の物語をもったフジコ・ヘミングも登場する。
 それはまた同時に、孤独のうちに老いてゆく自分との対比の話でもある。

 原題は「尋琴者」であるが、この琴がピアノであることはいうまでもない。
 ただし、中国語の「琴」=キンは、「情」=キンにも通じ、ピアノを求める者は、同時に情を求める者にも通じる仕掛けになっている。
 愛情、友情、同情、劣情、欲情・・・・あるいは誰かへの情念。

 ピアノは、主人公にとって原罪であるとともに他者とをつなぐ救いでもあると訳者解説はいう。
 だから彼は、ニューヨークのピアノの墓場で、それらが焼かれてゆく炎を目前にして我を失う。
 それはまた、自身の孤独と老いを徹底して彼に知らしめる一幕でもあった。

 亡くなったリヒテル記念館に置かれたスタンウェイ・・・・、一度はそれを弾こうとした彼はそれをやめる。そして小説は以下の一文で終わる。それはまた、リヒテルのスタンウェイへであると共に、自分への言い聞かせでもあるようだ。

 「静かに眠らせておけばいい。身をひるがえした私は、来たときと同じような茫々たる雪景色の中へと足を踏み出した。」

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アメリカは今? 前嶋和弘『キャンセルカルチャー』を読む

2025-03-01 15:09:28 | 書評
 
       
 本書のタイトルは『キャンセルカルチャー』となっていますが、キャンセルカルチャーそのものというより、それ以降、アメリカで起こってる凄まじい分断の様相を描いています。
 発行は2022年秋で、バイデン時代になりますが、読み進めるうちに、昨秋の選挙結果に見られるように、トランプが復活してくる背景が見えてきます。もちろん著者がそれを予告しているわけではないのですが、そこに描かれている状況は、なるほど、トランプ復活も無理ないなと思わせるものがあるのです。
 
 実は私、いま印刷所で形をなそうとしている所属の同人誌に、それと関連することを書いたのですが、この書を読んでいたらもっと深堀りしたことが書けたのにと悔やんでいます。
 
 キャンセルカルチャーは、これまである種の権威や評価をもっていた特定の人物や団体、あるいは事柄が、実は好ましくないものであったことをSNSや各種メディアで糾弾し、その評価をくつがえしたりするもので、それはしばしばその過去にまで遡ります。
 例えば、現在の黒人差別への糾弾が150年以上前の南北戦争の南軍のリー将軍の銅像などの撤去に及んだり、さらには、1776年の独立当時のジェファーソンなどの「英雄」が実は奴隷所有者であったことが暴露されたりもします。
 
 もちろんこれらは、現実の#MeToo運動やBLM(ブラック・ライヴズ・マター)に連動しての過去の反省なのですが、行き過ぎると、中国のかつての文化大革命の紅衛兵のように、貴重な文化財も含む伝統的なものをすべてをぶち壊すことになりかねません。
 
 冒頭に書いたように、この書は、キャンセルカルチャーとそれへのカウンターの中で見えてきたアメリカの分断そのもの具体的に論じていて、そしてそれらは、私がかねてより実感していた今世紀に入ってからのアメリカの分断の深まりを諸方面からの実在のデータを伴って見せてくれるものです。
 
 それらは、昨年の選挙でも問題になった、中絶問題、ワクチン問題、銃規制、BLM 、環境問題、LGBT、移民、などなど多方面にわたり、具体的には民主党支持者と共和党支持者との闘争として現れています。
 それらの問題はしばしば歴史的な遡及を見せ、先に見たように南北戦争や独立時の理念にまで及ぶのです。
 
 さて、こうしたアメリカにおいての分断の激化は、一国的なものでしょうか。どうもそうでもなさそうだというのが上述した同人誌での拙論の記述でした。
 何を根拠にそれをいうかというと、ブレグジット(EUからの離脱)以降のイギリスでの混迷による分断化、先ごろ行われたドイツ連邦議会選挙での移民排斥などを主張する右翼(極右も含むといわれる)政党「ドイツのための選択肢=AfD」が第2党に躍進したこと、フランスにおいてはルペン一族が率いる右翼政党「国民連合(RN)」がやはり無視できない勢力としてその支持を伸ばしていいることなど、ヨーロッパそのものが EUの開かれた欧州という理念を巡って激しい分断にさらされていることが挙げられるのです。
 
 では日本はどうなのか?自公の多数派陥落後の政局において、ポピュリズムが台頭し、その背後には、日本保守党、参政党、つばさの党、石丸の再生の道、NHK党などなどの有象無象や魑魅魍魎が暗躍し始めています。
 彼らがこの国の分断の一方を担うというより、彼らの撹乱により世論が妙に捻じ曲げられて混乱へと至るという図式は昨秋の兵庫県知事選で見られたところで、その余燼は今もなおくすぶっています。
 
 予断を許さないのはこうしたくすぶりの火種や、小規模な放火を楽しむ輩が、前世紀のナチス時代出現に先立つモッブ(政治的ごろつき)のように、本格的な分断を煽るものに成長し、これまでの保革(55年体制のそれ)という分断の溝をさらに決定的に異質なものとして深める可能性を否めないということです。
 
 その意味では、トランプ登場時に、この国ではこれまでの政権党が少数派になったことは、分断への猶予期間を与えられたということになり、良かったのかも知れません。
 しかし、その猶予期間の終わりには・・・・。ん~~?

 この書に戻りましょう。わたしたちがその大統領選においてしか知らないアメリカの激しい分断を、さらに詳しい実情とその歴史的変遷や広がりをとてもわかりやすく適切に教えてくれる書だと思います。
 そして、21世紀が世界的な分断の時代になる可能性をも示唆してくれます。
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24歳で夭逝した詩人、藤田文江全集の刊行によせて

2024-12-13 00:48:03 | 書評
 SNSのMIXI の全盛時代からお付き合いのある畏友・谷口哲郎氏から、文字通り渾身の力作である書籍をいただいた。
 書名は『藤田文江全集』。1908年から33年とわずか24歳の短い人生を駆け抜けたこの詩人は、生前、1冊の詩集(『夜の聲』1933年)を残すのみであった。しかもその詩集の初刷り300部は、彼女の通夜の席に届くという劇的な生涯であった。

 もちろん、今回の全集にはその『夜の聲』はまっさきに収録されているが、その他の彼女の作品や散文、手紙などは、当時発刊されていた各詩誌などさまざまな媒体に発表されていて、このままでは散逸は免れがたいものであった。
 それらを長い年月、全国津々浦々まで足を伸ばし、収集し、一冊の冊子で目にすることができるようにしたのが谷口氏の今回の仕事であった。氏によって集められたそれらの諸資料は、『夜の聲』掲載詩などの2倍以上に達する。
 繰り返しになるがそれらは時代とともに蒐集が困難になり、散逸の危機にあったものであり、その収集復元それ自体が文学史上、詩壇史上の一大功績といわねばならない。

           

 さらには、谷口氏が調査するなかで明らかになってきた彼女の生前、死後のさまざまな痕跡が年譜としてまとめられている。
 彼のそうした緻密な調査の結果のひとつとして、2020年に収録された藤田文江の末妹・林山鈴子さんとのインタビュー記事も興味深い。

 これらすべての作品、資料が、居ながらにして一望できるようになった成果は何度強調してもし足りないほどだ。

 書の後半は、谷口氏による「解説」と題されているが、これはたんに氏が蒐集してきた藤田文江の作品、ないしはそれにまつわる諸資料の説明に終わるのではなく、藤田文江に触発された谷口氏自身の詩壇史への見解、詩論が、一般論ではなく、藤田文江の作品に即して具体的に、しかも熱く語られている。この谷口氏自身の表現への情熱と、藤田のそれとがあるときには互いに融合し、またあるときには格闘し合っているかのようにもつれながら展開される叙述は、もはや通りいっぺんの「解説」にとどまらないことは明らかだ。

 おおよそ100年近く前、この国が戦争へと歩み始めた折に詩作のピークを迎える藤田の詩風を、ひとまずモダニズムと捉えながら、谷口氏はそこにとどまらない藤田の詩の力を見出してゆく。
 圧巻は、藤田の先行者と目される萩原朔太郎の作品、「竹とその哀傷」や「竹」(1917年)と、藤田の「五月の竹林にて」(1932年)を対比させながら、その差異、藤田の側からの脱構築的批判の姿勢、あるいは藤田の詩にある時代そのものへの違和感などを析出してゆくくだりで、果たせるかな1938年に至って「日本主義への回帰」を行うその後の朔太郎を知っている私たちに、藤田の詩に内在する確かな地盤、その言葉の重力のようなものを指し示してくれるにじゅうぶんな記述である。

             

 最後に、その藤田の「五月竹林にて」を紹介してこの小文を終えるが、表記の都合上、その行間表示などは、オリジナルと異なることを許してほしい。

「五月の竹林にて」

白い紙が流れている。
おびただしいその紙が
何処に流れてゆくのか
私には何もわからない。

時折しぶきの様な風が
優しい眼を動かしてすぎる。
月日というものは
この竹林(くに)の何処にもないらしい。
明るい磨いた鏡のような
     *
美しい竹林(せいねん)がにこにこ笑って
立っている。
その青い肉體を
私は愕いてみまもるばかりだ。

たとへ花の様な少女が
これが死んだにしろ
彼はやはりにこにこしてゐるにちがひない。
全く泣くよりも笑ってゐたほうが
お互いの生活は明るくなるのだから。
よしんば窶(やつ)れて
一本の繊維のみになるにしても。
     *
手を叩けば
一せいにふりむく無邪気な林だ。
私は一粒の米のように寂寥である。
過去、現在、未来に
開花し 開花するであらう
悪の華を吊すには
この竹林(くに)はあまりに明るすぎるのだ。
何故天は上にあり
何故土は下にある
何故月は上にあり
何故水は下にある
又、
人は何故蛇の様に孤独を寂しがるのだ
そして又、
夜何故水は月を抱いているのだろう。

       詩集「夜の聲」より
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重信房子の自伝的著書『はたちの時代 60年代と私』を読む

2024-05-03 02:30:20 | 書評

 県図書案の新着の棚にあったので手に取ったのがこの重信房子の『はたちの時代 60年代と私』(2023 太田出版)だ。
 著者は60年代の後半から共産主義者同盟赤軍派の幹部で、パレスチナへ出国し、その地でパレスチナ解放の闘争を進めていたが、密かに日本に帰国していたところを逮捕され、20年の刑を受けて22年に出所している。

          

 その彼女が、まさにタイトル通り20歳ほどで社会的な実践活動に参加し始め、それがどんどん進行し、ついには共産主義者同盟赤軍派として、現在イスラエルによる虐殺行為で問題になっているパレスチナにおもむき、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)との連携のもと、さまざまな活動を展開するのだが、この書ではパレスチナでの闘争に行き着くところまでが書かれている。

 なお赤軍派というと、あのあさま山荘事件や山岳アジトでの仲間殺しの連合赤軍を思い起こすが、彼女はこの連赤派ができる前に出国しており、また連赤の責任者であった森恒夫に対して一貫して批判的であったことからして関係はなかったとしていいだろう。本書の中でもそれは述べられている。

 私はこの書を読むまでは、彼女が展開したその後の激烈な諸闘争からして、若くして革命についての諸文献に接触し、先鋭な理論や実践の方式を身につけたのだと思っていたのだが、それはとんでもない間違いであった。
 商業高校を卒業し(ここは私と同じ)、キッコーマンに就職した彼女の20歳の頃の婚約者は、地域の自民党の実力者の息子だったのであり、当時、それについて彼女自身はなんの抵抗も感じることなく、ごく自然に受け止めていたとうことである。

              

         上のこの書の表紙のイラストのもととなった20歳の頃の写真

 そんな彼女が変貌をみせ始めるのは、教師になるため入学した明治大学の第二部(夜間)でのことであった。入学早々の彼女を襲ったのは、当時、各私大で吹き荒れていた授業料値上げに反対する闘争であった。彼女は一般学生として授業料値上げには反対し、自分が参加していた文系サークルの人たちや反対闘争での仲間との連帯感などなどで一気にいわゆる「左傾化」してゆくことになる。そして、ここからの彼女は、パレスチナ戦線への加入まで、ほぼ一直線にみえてしまう。

 ここで私は、彼女より7歳年長で1950年代後半からいわゆる六〇年安保闘争、そしてその終焉後までを過ごしたほぼ無名の活動家であった私の軌跡との比較検討をしてしまう。彼女に比べ、私はその党派の選択から闘争スタイルや戦術に関し、大いに迷い、つまずき続けた。そんななか、党派闘争がいわゆる「内ゲバ」になり、殺し合いになる寸前でいたたまれなくなり挫折したのだった。

 こうした過程を、彼女はスルッと経過している。おそらくそれは、7年という時差がもたらしたニューレフト内での「常識」の変化によるものだろう。私の頃には素手の押し合いへし合いに過ぎなかった機動隊や敵対党派との攻防戦が、ゲバ棒をはじめとする武器による闘いへと発展し、対権力、対他党派との闘いは生死を賭けたものであることが常識化していたのであろう。

 党派の選択やその戦略戦術を巡って彼女が悩んだ痕跡はほとんどみられない。彼女の変遷は、その周辺の人間関係、その折々の情勢の変化などにより、彼女内部の葛藤がほとんどないままに進んでいるのだ。
 だからこれを読んでいると、情勢の変化や自分の立ち位置について、いちいち内面での葛藤を経由してきた自分がやはり旧型の教養人気質なのだなぁなどと思ってしまうのだ。

              

            中東ベイルートへ渡航する頃の写真

 しかし、おそらくそれらは時代のせいなのだろうと思う。ニューレフトが突出した存在ではなくなり、また行動様式もゲバルト(物理的力の行使)が日常的になっていたからだろう。
 それにしても、いわゆるゲバルトから銃や爆薬を用いての軍事作戦への転換に際しては、どのような理論的・思想的経過を経て自分をそこへと投入できたのか、その経過は知りたいと思った。

 そうした軍事作戦を展開した赤軍派の実際の行動で印象に残るの出来事は三つある。
 ひとつは、当時の北朝鮮を「オルグして」反スタ戦線に取り込むと豪語したよど号のハイジャック組である。彼らの後日談は、オルグするどころか北側の監視下に置かれ、金王朝の手先としていいように利用されたに尽きるようだ。

 もう一つは、京浜安保共闘革命左派と提携し、いわゆる連合赤軍の名のもと、国内での軍事訓練や銃撃戦を挙行した森恒夫らの行動である。
彼らは、例のあさま山荘銃撃事件で軍事的にも終焉を迎えたのだが、その過程での山岳アジトで、12人の仲間を「総括」と称するリンチで殺害に及んでいたことが判明した。そしてこの殺された者のなかには、明治大学に入学以来の重信の親友、遠山美枝子が含まれていた。

 その最後が、重信たちのアラブへ飛んだグループである。彼女らはそこで、先に見たようにパレスチナ解放人民戦線(PFLP)との連携のもと、さまざまな闘争を展開する。その是非の判断もあろうが、今日のイスラエルのパレスチナへの虐殺行為をみるにつけ、パレスチナとの連携は大きな意味があったと思う。
 その点で、森恒夫などときっぱり手を切った(これについても具体的な経過、理論的、思想的際などが具体的の述べられていないのは残念だが)のは正解だったとはいえる。

           
                 現在の彼女
 
 今日の状況にも観られるように、当時、パレスチナへ着目したことには大きな意味がある。パレスチナの事態こそ、長年のキリスト教徒によるユダヤ人差別(その頂点がナチによる絶滅作戦)への贖罪を、自らの犠牲を払うことなく、パレスチナの土地を差し出すことによって逃れた西欧中心主義のもたらした大きな罪過であり、今日の世界の暗部を生み出したものなのだ。

 なお、ハマスのテロルを口実にイスラエル支援を云々する西欧は、自らの犯した歴史的大罪を恥じるべきである。政治・経済・文化などあらゆる面で迫害され、その生きるすべさえあやういパレスチナの民にとってどんな「西欧民主主義的」対応があったというのだ。

 また、西欧の尻馬に乗って、かつて自分たちがナチスによって行われた虐殺行為を、今度は加害者としてパレスチナで行っているイスラエルのシオニストたちには、もはやナチスを批判する資格はない。彼らはナチスを師として、民族殲滅の方法を学んだのである。

 私はこの書を読んで、重信が自らの立場を築くにあたっての思想的・理論的葛藤が述べられていないという不満をもってしまった。
 それについて彼女の娘・重信メイ(PFLPの闘士との間に生まれた子。パレスチナ時代は、その両親の経歴から、イスラエルの機関に襲撃される可能性があるとして極秘裏に育てられたが、現在は日本でジャーナリストとして生活している)によると、房子の生き様は「自分だけにではなく万人、特に虐げられている人たちに対して向けた愛と献身」であり、「最終的には、イデオロギーの枠組みにとらわれた闘争には限界があり、家族、愛、仲間意識、連帯感が革命にとって闘い同様に重要な要素であることを見極めていた」としている。

 なお、重信房子は、この書のあと、本年三月に『パレスチナ解放闘争史 1916-2024』(作品社)を上梓している。

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基礎がないのに読み始め失敗した読書

2024-02-20 01:34:17 | 書評
 
 図書館の新着図書に、佐藤俊樹『社会学の新地平・・・・ウェーバーからルーマンへ』(岩波新書)が出ていたので、借りてきて読んだ・・・・というより開いてみた。
 「社会学の新地平」というのが気になったし、マックス・ウェーバーのものは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のほか短いものを2,3読んでいたものの、もはや内容もうろ覚えだし、ルーマンに至っては社会システム論の展開者ぐらいのことしか知らなかったので、この際その内容を知り得たらということで読もうとしたわけである。

          

 むろん、そんなに簡単に理解できるとは思っていなかったが、まあ、新書だから私のようなド素人にもある程度は吸収できるだろうと思ったのが、結果的には甘かった。

 この書は、社会学に馴染み、マックス・ウエーバーやルーマンを一通り理解してる人たちを対象とし、それに対して著者の新たな視点からの研究成果を述べるというもので、私のような門外漢から見ると、研究者同士の対話のようで、とても歯が立たないのだ。
 とくに、それがなぜ問題なのかの今日的な引っかかりが見いだせず、いきなり専門的な検証の分野に引きずり込まれた感じなのだ。

 改めていうが、これは決して著者の責任でもなんでもない。私が迂闊にも、自分の低レベルな知識で読めると高をくくっていたがゆえの罰ゲームとでもいえる。

 結局、当初の理解の目的は諦めて、斜め読み程度で目について点のみを読んだが、ウエーバーが、上に挙げた書で、プロティスタンティズムに依る質実倹約や消費抑制で一旦得た利益を次の流通過程に投じ、資本として機能せしめるという私自身の読解に、著者は実証的な検証を加え、ウエーバー自身がそうした機能を追求する商業資本家の当事者であったということを強調する。

 その他、ウエーバーについても、ルーマンについても、緻密な実証的検証が行われているようだ。
 しかし、私のような粗雑な野次馬には高度すぎる恩義であったというべきであろう。

 教訓としては、読書は自分の身の丈に合わせたものでないと身につかないということだった。
 
 ただ副作用として、いろいろ探していいる中で、ルーマンの社会システム論をわりかし平易に解説したネット上の文書を見つけたので、そこで勉強することとする。

   https://liberal-arts-guide.com/social-systems/
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【読書ノート】ですが、まずはAIChatGPTの実験からはじめて・・・・

2024-02-18 01:37:32 | 書評
 読んだのは東浩紀『訂正可能性の哲学』ゲンロン社であり、結構面白かったが、その内容を述べる前に、ちょっとした実験を思いついたので、それを実施してみた。
 それというのは、今流行りのAIChatGPTにそれについて述べさせるということである。

 最初の設問は、「東浩紀『訂正可能性の哲学』とはどんな書ですか?」というものである。それへのAIChatGPTの回答は以下のようであった。

「東浩紀の『訂正可能性の哲学』は、哲学や科学の中で「訂正可能性」という概念に焦点を当てた書籍です。この概念は、我々が持つ知識や理解が常に修正や改善の余地があることを指摘しています。東浩紀は、この訂正可能性が科学や哲学の進歩を可能にする重要な要素であると主張しています。また、この本では、現代の社会や文化における訂正可能性の意義や影響についても論じられています。」

 少し設問を変えてみた。それは、ちょっと突っ込んで「東浩紀の『訂正可能性の哲学』の内容はなんですか?」を問うものであった。
 それへの回答は以下のようであった。

「『訂正可能性の哲学』では、東浩紀が訂正可能性という概念に焦点を当て、その哲学的意味や社会的影響について考察しています。本書では、次のようなテーマが取り上げられています。
1.知識と修正: 科学や哲学における知識の性質について議論し、それらが常に改訂や修正の対象であることを強調します。
2. 訂正可能性の意味: 訂正可能性が我々の知識や理解に与える影響について考えます。新しい情報や理論が出てきたとき、それが我々の以前の知識や理解をどのように変えるかを探求します。
3.科学と訂正可能性: 科学の進歩がどのようにして訂正可能性と関連しているかを考察します。科学理論や仮説が実験や観察によって検証され、修正されるプロセスに焦点を当てます。
4. 社会と文化における訂正可能性: 訂正可能性が社会や文化に与える影響について探求します。特定の信念や慣習が修正されることで、社会や文化がどのように変化するかを考えます。
5.個人的・集団的な学び: 個人や集団が新しい情報や視点を受け入れ、以前の認識を修正するプロセスについて考えます。

 総じて、『訂正可能性の哲学』は、知識や理解が常に改訂される可能性があることを強調し、その影響を深く探求しています。」

        

 以下はそれに対する私の感想というか意見である。
 一口に言って、「フ~ン」と感心した。こんなふうにまとめれば、実際に読んでいない学生たちが授業での小論文などにこれを使いたがることがよく分かるのである。一見、もっともらしいまとめで、特にとんでもない間違いがあるわけではない。

 しかしである、これは実はほとんど何もいってはいないし、一般論にもならない同義反復的な羅列にに終始しているにすぎない。要するに、AI はこの書を具体的に読んではいないし、「訂正可能性」という言葉から連想される単語を並べているに過ぎない。

 「我々が持つ知識や理解が常に修正や改善の余地がある」という回答があるが、こんなことは小学生でも知っているし、誰も否定することはないであろう。
 第二の設問には、1~5まで項目を立てて、さも詳しく答えたかのようであるが、これも1~5まで全くの繰り返しにすぎず、この書の内容とも全く対応していない。

 私は、ある程度東の書を追っかけてきて、もちろんこの書も読んだのだが、上記のAIChatGPTがいうような内容だったら彼はわざわざこの書を書かなかっただろう。
 
 前世紀末、柄谷行人や浅田彰の『批評空間』で論客としてレビューして以来、98年には『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』の単著で華々しくデビューし、以後論述のスタイルや、ゲンロン社創立で自らゲンロン空間の管理を行うなどしながら、『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』(2001)、『一般意志2.0――ルソー、フロイト、グーグル』(2011)、『ゲンロン0――観光客の哲学』(2017)、そして昨秋のこの『訂正可能性の哲学』などなど、まさに自分の思考を各面で「訂正」しながら、その理論を進めてきた(なお、ここに揚げた他にも多くの著作があるが、私がつまみ読み的に読んできたのはこれら)。

 AIChatGPTには、こうした彼の歴史的遍歴や、その都度の状況と彼の論旨の変化が全く反映されていない。
 そしてこれらの遍歴の中で、彼が参照し、思想的に対峙してきた古今東西の思想家たちの存在も全く考察の外である。

 それらは、例えばこの書だけでも、ヴィトゲンシュタイン クリプキ  トクヴィル ハンナ・アーレント ミシェル・フーコー ジャンジャック・ルソー リチャード・ローティー ジョン・ロック  トオマス・ホッブズ ポパー エマニエル・トッド プラトン ヘーゲル ジョージ・オーウェル(順不同)などである。

 そして、これらの思想家たちを参照しながら彼が進めてきたのは、ChatGPTがいうように、「この訂正可能性が科学や哲学の進歩を可能にする重要な要素である」からではない。東のテーマは「科学や哲学の進歩」といった抽象的なものではなく、私たちが現実に暮らしているこの世界において、「友」と「敵」を識別し、闘い合わなければならないのはどうしてか、それを止揚する道はないのかという極めて実践的なものなのである。

 だからそれは、ジャック・デリダの研究を受けて書かれたデビュー作の『存在論的、郵便的』以来の一貫した追求ともいえる。彼はそれを、上に挙げたような先行する思想家たちとの対話を深める中で、まさに自分自身で「訂正可能」な部分を訂正してきたその現時点での成果がこの書といえる。

 思うに、ChatGPTにはなんの志向性もなく、蓄積されたからの情報の抽出以外の能力はない。
 しかし一方、21世紀はこうしたビッグ・データの蓄積に依存した「人工知能民主主義」に依る統治が一般化しつつある。張り巡らされた監視情報網、各個人の嗜好まで分析保存され、「私の心の秘密」などの甘い領域までもがもはやデータ外ではない。

 そして、そうしたビッグ・データから抽出されるある種の「一般意志」によって運営される政治の領域は、それを絶対的な価値基準として全体主義的な統治に至りやすい。実際のところ、そうした国や領域を私たちは知っている。

 この書は、そこへと至らない「訂正可能」な領域をどこに見出してるのだろうか。東が最後に引用するのはトクヴィルの『アメリカの民主主義』とハンナ・アーレントの『革命について』である。
 この両書で共通に語られているのはアメリカ建国時の各領域、各単位での何でもありのミーティングでの熟議の存在である。

 体制内に組織されたものの外部の人びとのミーティングの広がりは、現在なら具体的な集会ではなくとも、ネット上のそれとしても開催可能である。もちろんそれらも、監視管理の対象ではあるが、私たちは、ネット上でもその外部でも、それらをはねのける賢いハッカーであらねばならないが。

 東の書の、もっと忠実な読解を志したのだが、ChatGPTを試みたばかりに肝心の読みについての記述は雑なものになってしまった。
 ただし、今世紀の統治方式として大勢を占めるであろうビッグ・データに依拠した「人工知能民主主義」が、いかに浅薄なデータの集積によっているのかという実例を示し得たのではないかと思っている。

 
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【年初の読書】昭和のはじめの日本を外部の目で見つめる。

2024-01-11 17:14:04 | 書評
        
   *「見知らぬ日本」 グリゴリー・ガウズネル 伊藤愉:訳 共和国

 著者は1906年に現在のモルドヴァに生まれたが、成人をした頃には、17年のロシア革命を経て、ソ連の若者として育った。
 大学卒業後は、詩人、作家、ジャーナリストとして活躍したが、この書は、革命後10年の27(昭和2)年、日本を訪問した若干21歳の彼の日本の見聞録である。
 
 なお、彼はこの折、世界的演出家として知られたソ連のメイエルホリド劇場からの派遣員という肩書で来日しているので、東京、箱根、名古屋、京都、奈良、大阪、そして日本アルプスを巡るという精力的な活動を行っているが、同時に、日本の歌舞伎や人形芝居、それに当時の前衛劇団の演劇などを見て回っている。
 メイエルホリドが歌舞伎の所作などをその演出に取り入れたといわれているが、その折の彼の報告に依るものかもしれない。

 この書の書き出しからまず度肝を抜かれる。敦賀港に上陸した彼は、そこから鉄道で東京へ向かうのだが、その車中での観察を数ページにわたって書き続ける。それ自身も始めて見る光景として面白いのだが、その結果、彼が着いたのは・・・・。彼はそれをサラッとした口調で述べる。
「僕は間違えて東京ではなく下関へ着いてしまった」と。
 そこから彼は、改めて東京へ向かうのである。今でもこの間違いは大きなロスであるが、100年近い前、まるまる一日をフイにしたことになる。しかし、当時のソ連のあの広大な領地からすると、大したことではなかったのかもしれない。

 彼は日本で多彩な人たちに会っている。なかには、私が若い頃まだ存命で各方面で活躍した人たちもいる。
 露文学の米川正夫や芥川龍之介、広津和郎、小山内薫、蔵原惟人、村山知義、千田是也、その他、当時の歌舞伎俳優などなどである。

 私が若い頃読んだ、プロレタリア作家、葉山嘉樹については一章を割き、その著名な作品、「セメント樽の中の手紙」の内容まで詳しく伝えている。
 その他、プロレタリア詩人、井上増吉の詩集「日輪は再び昇る」の中から二篇の詩を紹介している。

 その当時の日本は、まだ大正リベラルの気風が残っていて、アメリカや西洋に憧れるモボやモガがいる一方、左翼気取りの青年たちは、ハンチングにロシア風のコソボロトカやルパシカといったっシャツを着たりしていた。
 しかし、官憲の監視は三〇年代より幾分マシだったとはいえ、すでに結構厳しく、ガウズネル一行にも、尾行がついて回った。
 宝塚市では、サーベルを下げた警官がやってきて、あなたたちに尾行を付けなければいけないのだが、今選挙で忙しくて・・・・と言い訳けに来るような間抜けな場面も登城する。

 日本でガウズネルを案内し、通訳したのは、文中で「ナガタ」と「吉田」であると書いているが、実はこの二人は同じ人物で、杉本良吉だという。彼は杉本のことを高く評価している。
 杉本がいつからメイエルホリドに関心をもち始めたかは知らないが、このガウズネルとの交渉を通じてそれが強化されたことは間違いなかろう。

 ところでこの杉本良吉であるが、私が生まれた一九三八年の一月三日、女優、岡田嘉子とともに樺太でソ連への国境を超えて亡命をする。メイエルホリドを頼ってのことらしい。
 しかしこの頃、ソ連では大粛清の嵐が吹き荒れ、メイエルホリドはスタニスラフスキーなどの社会主義リアリズムの演劇に押され、完全に干されていたのみか、「人民の敵」として糾弾されつつあった。
 そんななかに飛び込んだ杉本は、スターリン直属のGPUの激しい拷問で、自分も、そしてメイエルホリドも反ソのスパイであることを「自白」させられ、自分は翌三九年に、そしてメイエルホリドは四〇年に、銃殺されている。

 ところで、杉本が日本を案内したガウズネルはどうなったのだろうか?
 彼は、帰国し、二九年ではここに紹介した書をソ連で出版し、その他、さまざまな文筆の分野で活躍し、その将来を嘱望されたが、惜しむらくは一九三四年、弱冠二九歳にして病死している。

 しかし、これはある意味で彼にとっては良かったかもしれない。なまじっか長らえていたら、日本で親しんだ杉本が自白を強要され、それに基づきその杉本ばかりか、彼が師と仰いだメイエルホリドも刑場の露と消えるのを目撃せねばならなかったのだから。
 もっともそれ以前に、スターリン派に寝返って、「人民の敵」を抑圧する側に回る可能性もあったのだが、それはあまり考えたくない。

 いずれにしても、この書は私の知らない昭和のはじめの日本を外部からの「新鮮な」目で解釈してくれる刺激的な書であった。
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トルーマン・カポーティの若き日の小説『遠い声、遠い部屋』を読む

2023-11-12 17:02:31 | 書評

 アメリカの現代小説、エルナン・ディアズの『トラスト-絆/わが人生/追憶の記/未来ー』を読んだのは今月はじめで、その感想も述べた。そんな縁があったのかなかったのかよくわからないが、図書館の新着の棚に、トルーマン・カポーティの初期(最初)の長編小説、『遠い声、遠い部屋』が並んでいるのを見かけ、つい借りてきて読んだ。借りてから気がついたのだが、これは従前の河野一郎:訳ではなく、村上春樹の新訳のより、今夏発刊されたものだという。

            

 トルーマン・カポーティ(1924~84年)は1965年に発刊された『冷血』というルポルタージュ文学で知られた作家で、その折、つまり半世紀以上前に私も読んでいるのだが、まさに冷血な殺人事件を、冷血な筆致で描いていた以上の記憶はすっ飛んでいる。確かまだ、わが家のどこかでホコリを被っているはずだから、もう一度読んでもと思っている。

 さて、そのカポーティの初期長編(23歳の作品)だが、読み始めると同時にこれぞ「文芸」作品だと思った。どういうことかというと、文章の「芸」なのである。あえて芸術とはいわない。芸術の定義を巡ってややっこしくなるから。
 彼の文章の芸、または技はすごいと思った。あらゆるものの描写や比喩が、意表を突くように縦横無尽に描かれ、それらが、詩と散文の境界を縫うようにして表現される。村上春樹がこれを訳そうとした気持ちがわかるようだ。とはいえ、ハルキストには叩きのめされそうなほど村上春樹についてはよく知らないのだが。

 主人公はジョエルという13歳の少年である。彼が幼い頃、両親は離婚し、母と育った彼には父の記憶はない。しかし、その母も他界し、叔母に育てられていた彼のもとに、その父からの誘いの手紙が届く。彼はその父に逢うべく、単身でその南部の田舎町を訪れる。その家へたどり着くに前にも出会いがあり、それがこの物語とも関わってくる。

 
         

                 若き日のカポーティ

 父の住む家に着いたジョエルは、父の再婚相手という女性やその従兄弟というランドルフという男性(30代半ば?)に迎えられるが、父親にはなかなか逢わせてもらえない。しかし、ひょんなことから再会は叶うが、その父は寝たっきりで、その意思表示はボールをベッドから落とす以外にはないというありさまだった。

 ジョエルは、その家の窓の外観から、居るはずのない女性の姿を目撃したり、残してきた叔母に宛てた手紙が投函したはずのポストから消えたりする怪奇に見舞われる。
 それでもその間に知り合った隣家の気性の荒い双子の妹と知り合い、ともにでかけたりするが、意志が通じ合っているのかどうかはよくわからない。

 そのうちに、彼を招いたのが父というより、同居しているランドルフであったり、そのランドルフの同性愛志向が次第に明らかになってきたりする。
 かつて、その結婚相手から殺されかかった黒人女性(首に傷跡がある)が、南部では見られない雪を求めてワシントン目指して旅立ったり、さまざまなエピソードがジョエル少年を取り囲むが、やがて彼は、誰もが叶えられぬ夢を抱いてい生きているこの環境から自分は抜け出すべきだと判断するに至る。

 とまあこんな具合で話は進むのだが、それ以降の後半はその風景描写といい、登場人物といい、彼らの挙動といい、そのすべてが現実と夢幻の世界、不条理などがない混ぜになったままの描写で進んでゆく。それらはまるで淵や瀬、激流を行く川下りの小舟に乗り合わせたかのようで、その推進力はカポーティの華麗にして流暢な文体である。
 
 それらの過程は、主人公ジョエルが置かれた特殊な状況(著者、カポーティも子供時代孤児さながらに親戚をたらい回しにされて育ったとか)にもあるが、同時にこれは、私たち一般が少年少女の時代、迷妄のうちに周囲の状況に触れ合いながら、夢を抱いたり、見失ったりする過程をどうくぐり抜けたりするかの詩的にしてかつ幽玄的な描写ともいえる。

        
                晩年のカポーティ

 主人公の少年ジョエルの話は、以下のように閉じられる。
 「彼にはわかっていた。自分が行かなければならないことが。怯えることなく、臆することなく。彼は庭の端で少し歩を止めただけだった。なにかを忘れてきたみたいに、彼は立ち止まって後ろを振り向き、華やぎを欠いた降りゆく暮色を、自分が背後に残してきたその少年の姿を目にした。」
 
 もちろん、「背後に残してきたその少年」とは、そこを去りゆくジョエル自身のことである。
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