六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

重信房子の自伝的著書『はたちの時代 60年代と私』を読む

2024-05-03 02:30:20 | 書評

 県図書案の新着の棚にあったので手に取ったのがこの重信房子の『はたちの時代 60年代と私』(2023 太田出版)だ。
 著者は60年代の後半から共産主義者同盟赤軍派の幹部で、パレスチナへ出国し、その地でパレスチナ解放の闘争を進めていたが、密かに日本に帰国していたところを逮捕され、20年の刑を受けて22年に出所している。

          

 その彼女が、まさにタイトル通り20歳ほどで社会的な実践活動に参加し始め、それがどんどん進行し、ついには共産主義者同盟赤軍派として、現在イスラエルによる虐殺行為で問題になっているパレスチナにおもむき、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)との連携のもと、さまざまな活動を展開するのだが、この書ではパレスチナでの闘争に行き着くところまでが書かれている。

 なお赤軍派というと、あのあさま山荘事件や山岳アジトでの仲間殺しの連合赤軍を思い起こすが、彼女はこの連赤派ができる前に出国しており、また連赤の責任者であった森恒夫に対して一貫して批判的であったことからして関係はなかったとしていいだろう。本書の中でもそれは述べられている。

 私はこの書を読むまでは、彼女が展開したその後の激烈な諸闘争からして、若くして革命についての諸文献に接触し、先鋭な理論や実践の方式を身につけたのだと思っていたのだが、それはとんでもない間違いであった。
 商業高校を卒業し(ここは私と同じ)、キッコーマンに就職した彼女の20歳の頃の婚約者は、地域の自民党の実力者の息子だったのであり、当時、それについて彼女自身はなんの抵抗も感じることなく、ごく自然に受け止めていたとうことである。

              

         上のこの書の表紙のイラストのもととなった20歳の頃の写真

 そんな彼女が変貌をみせ始めるのは、教師になるため入学した明治大学の第二部(夜間)でのことであった。入学早々の彼女を襲ったのは、当時、各私大で吹き荒れていた授業料値上げに反対する闘争であった。彼女は一般学生として授業料値上げには反対し、自分が参加していた文系サークルの人たちや反対闘争での仲間との連帯感などなどで一気にいわゆる「左傾化」してゆくことになる。そして、ここからの彼女は、パレスチナ戦線への加入まで、ほぼ一直線にみえてしまう。

 ここで私は、彼女より7歳年長で1950年代後半からいわゆる六〇年安保闘争、そしてその終焉後までを過ごしたほぼ無名の活動家であった私の軌跡との比較検討をしてしまう。彼女に比べ、私はその党派の選択から闘争スタイルや戦術に関し、大いに迷い、つまずき続けた。そんななか、党派闘争がいわゆる「内ゲバ」になり、殺し合いになる寸前でいたたまれなくなり挫折したのだった。

 こうした過程を、彼女はスルッと経過している。おそらくそれは、7年という時差がもたらしたニューレフト内での「常識」の変化によるものだろう。私の頃には素手の押し合いへし合いに過ぎなかった機動隊や敵対党派との攻防戦が、ゲバ棒をはじめとする武器による闘いへと発展し、対権力、対他党派との闘いは生死を賭けたものであることが常識化していたのであろう。

 党派の選択やその戦略戦術を巡って彼女が悩んだ痕跡はほとんどみられない。彼女の変遷は、その周辺の人間関係、その折々の情勢の変化などにより、彼女内部の葛藤がほとんどないままに進んでいるのだ。
 だからこれを読んでいると、情勢の変化や自分の立ち位置について、いちいち内面での葛藤を経由してきた自分がやはり旧型の教養人気質なのだなぁなどと思ってしまうのだ。

              

            中東ベイルートへ渡航する頃の写真

 しかし、おそらくそれらは時代のせいなのだろうと思う。ニューレフトが突出した存在ではなくなり、また行動様式もゲバルト(物理的力の行使)が日常的になっていたからだろう。
 それにしても、いわゆるゲバルトから銃や爆薬を用いての軍事作戦への転換に際しては、どのような理論的・思想的経過を経て自分をそこへと投入できたのか、その経過は知りたいと思った。

 そうした軍事作戦を展開した赤軍派の実際の行動で印象に残るの出来事は三つある。
 ひとつは、当時の北朝鮮を「オルグして」反スタ戦線に取り込むと豪語したよど号のハイジャック組である。彼らの後日談は、オルグするどころか北側の監視下に置かれ、金王朝の手先としていいように利用されたに尽きるようだ。

 もう一つは、京浜安保共闘革命左派と提携し、いわゆる連合赤軍の名のもと、国内での軍事訓練や銃撃戦を挙行した森恒夫らの行動である。
彼らは、例のあさま山荘銃撃事件で軍事的にも終焉を迎えたのだが、その過程での山岳アジトで、12人の仲間を「総括」と称するリンチで殺害に及んでいたことが判明した。そしてこの殺された者のなかには、明治大学に入学以来の重信の親友、遠山美枝子が含まれていた。

 その最後が、重信たちのアラブへ飛んだグループである。彼女らはそこで、先に見たようにパレスチナ解放人民戦線(PFLP)との連携のもと、さまざまな闘争を展開する。その是非の判断もあろうが、今日のイスラエルのパレスチナへの虐殺行為をみるにつけ、パレスチナとの連携は大きな意味があったと思う。
 その点で、森恒夫などときっぱり手を切った(これについても具体的な経過、理論的、思想的際などが具体的の述べられていないのは残念だが)のは正解だったとはいえる。

           
                 現在の彼女
 
 今日の状況にも観られるように、当時、パレスチナへ着目したことには大きな意味がある。パレスチナの事態こそ、長年のキリスト教徒によるユダヤ人差別(その頂点がナチによる絶滅作戦)への贖罪を、自らの犠牲を払うことなく、パレスチナの土地を差し出すことによって逃れた西欧中心主義のもたらした大きな罪過であり、今日の世界の暗部を生み出したものなのだ。

 なお、ハマスのテロルを口実にイスラエル支援を云々する西欧は、自らの犯した歴史的大罪を恥じるべきである。政治・経済・文化などあらゆる面で迫害され、その生きるすべさえあやういパレスチナの民にとってどんな「西欧民主主義的」対応があったというのだ。

 また、西欧の尻馬に乗って、かつて自分たちがナチスによって行われた虐殺行為を、今度は加害者としてパレスチナで行っているイスラエルのシオニストたちには、もはやナチスを批判する資格はない。彼らはナチスを師として、民族殲滅の方法を学んだのである。

 私はこの書を読んで、重信が自らの立場を築くにあたっての思想的・理論的葛藤が述べられていないという不満をもってしまった。
 それについて彼女の娘・重信メイ(PFLPの闘士との間に生まれた子。パレスチナ時代は、その両親の経歴から、イスラエルの機関に襲撃される可能性があるとして極秘裏に育てられたが、現在は日本でジャーナリストとして生活している)によると、房子の生き様は「自分だけにではなく万人、特に虐げられている人たちに対して向けた愛と献身」であり、「最終的には、イデオロギーの枠組みにとらわれた闘争には限界があり、家族、愛、仲間意識、連帯感が革命にとって闘い同様に重要な要素であることを見極めていた」としている。

 なお、重信房子は、この書のあと、本年三月に『パレスチナ解放闘争史 1916-2024』(作品社)を上梓している。

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基礎がないのに読み始め失敗した読書

2024-02-20 01:34:17 | 書評
 
 図書館の新着図書に、佐藤俊樹『社会学の新地平・・・・ウェーバーからルーマンへ』(岩波新書)が出ていたので、借りてきて読んだ・・・・というより開いてみた。
 「社会学の新地平」というのが気になったし、マックス・ウェーバーのものは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のほか短いものを2,3読んでいたものの、もはや内容もうろ覚えだし、ルーマンに至っては社会システム論の展開者ぐらいのことしか知らなかったので、この際その内容を知り得たらということで読もうとしたわけである。

          

 むろん、そんなに簡単に理解できるとは思っていなかったが、まあ、新書だから私のようなド素人にもある程度は吸収できるだろうと思ったのが、結果的には甘かった。

 この書は、社会学に馴染み、マックス・ウエーバーやルーマンを一通り理解してる人たちを対象とし、それに対して著者の新たな視点からの研究成果を述べるというもので、私のような門外漢から見ると、研究者同士の対話のようで、とても歯が立たないのだ。
 とくに、それがなぜ問題なのかの今日的な引っかかりが見いだせず、いきなり専門的な検証の分野に引きずり込まれた感じなのだ。

 改めていうが、これは決して著者の責任でもなんでもない。私が迂闊にも、自分の低レベルな知識で読めると高をくくっていたがゆえの罰ゲームとでもいえる。

 結局、当初の理解の目的は諦めて、斜め読み程度で目について点のみを読んだが、ウエーバーが、上に挙げた書で、プロティスタンティズムに依る質実倹約や消費抑制で一旦得た利益を次の流通過程に投じ、資本として機能せしめるという私自身の読解に、著者は実証的な検証を加え、ウエーバー自身がそうした機能を追求する商業資本家の当事者であったということを強調する。

 その他、ウエーバーについても、ルーマンについても、緻密な実証的検証が行われているようだ。
 しかし、私のような粗雑な野次馬には高度すぎる恩義であったというべきであろう。

 教訓としては、読書は自分の身の丈に合わせたものでないと身につかないということだった。
 
 ただ副作用として、いろいろ探していいる中で、ルーマンの社会システム論をわりかし平易に解説したネット上の文書を見つけたので、そこで勉強することとする。

   https://liberal-arts-guide.com/social-systems/
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【読書ノート】ですが、まずはAIChatGPTの実験からはじめて・・・・

2024-02-18 01:37:32 | 書評
 読んだのは東浩紀『訂正可能性の哲学』ゲンロン社であり、結構面白かったが、その内容を述べる前に、ちょっとした実験を思いついたので、それを実施してみた。
 それというのは、今流行りのAIChatGPTにそれについて述べさせるということである。

 最初の設問は、「東浩紀『訂正可能性の哲学』とはどんな書ですか?」というものである。それへのAIChatGPTの回答は以下のようであった。

「東浩紀の『訂正可能性の哲学』は、哲学や科学の中で「訂正可能性」という概念に焦点を当てた書籍です。この概念は、我々が持つ知識や理解が常に修正や改善の余地があることを指摘しています。東浩紀は、この訂正可能性が科学や哲学の進歩を可能にする重要な要素であると主張しています。また、この本では、現代の社会や文化における訂正可能性の意義や影響についても論じられています。」

 少し設問を変えてみた。それは、ちょっと突っ込んで「東浩紀の『訂正可能性の哲学』の内容はなんですか?」を問うものであった。
 それへの回答は以下のようであった。

「『訂正可能性の哲学』では、東浩紀が訂正可能性という概念に焦点を当て、その哲学的意味や社会的影響について考察しています。本書では、次のようなテーマが取り上げられています。
1.知識と修正: 科学や哲学における知識の性質について議論し、それらが常に改訂や修正の対象であることを強調します。
2. 訂正可能性の意味: 訂正可能性が我々の知識や理解に与える影響について考えます。新しい情報や理論が出てきたとき、それが我々の以前の知識や理解をどのように変えるかを探求します。
3.科学と訂正可能性: 科学の進歩がどのようにして訂正可能性と関連しているかを考察します。科学理論や仮説が実験や観察によって検証され、修正されるプロセスに焦点を当てます。
4. 社会と文化における訂正可能性: 訂正可能性が社会や文化に与える影響について探求します。特定の信念や慣習が修正されることで、社会や文化がどのように変化するかを考えます。
5.個人的・集団的な学び: 個人や集団が新しい情報や視点を受け入れ、以前の認識を修正するプロセスについて考えます。

 総じて、『訂正可能性の哲学』は、知識や理解が常に改訂される可能性があることを強調し、その影響を深く探求しています。」

        

 以下はそれに対する私の感想というか意見である。
 一口に言って、「フ~ン」と感心した。こんなふうにまとめれば、実際に読んでいない学生たちが授業での小論文などにこれを使いたがることがよく分かるのである。一見、もっともらしいまとめで、特にとんでもない間違いがあるわけではない。

 しかしである、これは実はほとんど何もいってはいないし、一般論にもならない同義反復的な羅列にに終始しているにすぎない。要するに、AI はこの書を具体的に読んではいないし、「訂正可能性」という言葉から連想される単語を並べているに過ぎない。

 「我々が持つ知識や理解が常に修正や改善の余地がある」という回答があるが、こんなことは小学生でも知っているし、誰も否定することはないであろう。
 第二の設問には、1~5まで項目を立てて、さも詳しく答えたかのようであるが、これも1~5まで全くの繰り返しにすぎず、この書の内容とも全く対応していない。

 私は、ある程度東の書を追っかけてきて、もちろんこの書も読んだのだが、上記のAIChatGPTがいうような内容だったら彼はわざわざこの書を書かなかっただろう。
 
 前世紀末、柄谷行人や浅田彰の『批評空間』で論客としてレビューして以来、98年には『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』の単著で華々しくデビューし、以後論述のスタイルや、ゲンロン社創立で自らゲンロン空間の管理を行うなどしながら、『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』(2001)、『一般意志2.0――ルソー、フロイト、グーグル』(2011)、『ゲンロン0――観光客の哲学』(2017)、そして昨秋のこの『訂正可能性の哲学』などなど、まさに自分の思考を各面で「訂正」しながら、その理論を進めてきた(なお、ここに揚げた他にも多くの著作があるが、私がつまみ読み的に読んできたのはこれら)。

 AIChatGPTには、こうした彼の歴史的遍歴や、その都度の状況と彼の論旨の変化が全く反映されていない。
 そしてこれらの遍歴の中で、彼が参照し、思想的に対峙してきた古今東西の思想家たちの存在も全く考察の外である。

 それらは、例えばこの書だけでも、ヴィトゲンシュタイン クリプキ  トクヴィル ハンナ・アーレント ミシェル・フーコー ジャンジャック・ルソー リチャード・ローティー ジョン・ロック  トオマス・ホッブズ ポパー エマニエル・トッド プラトン ヘーゲル ジョージ・オーウェル(順不同)などである。

 そして、これらの思想家たちを参照しながら彼が進めてきたのは、ChatGPTがいうように、「この訂正可能性が科学や哲学の進歩を可能にする重要な要素である」からではない。東のテーマは「科学や哲学の進歩」といった抽象的なものではなく、私たちが現実に暮らしているこの世界において、「友」と「敵」を識別し、闘い合わなければならないのはどうしてか、それを止揚する道はないのかという極めて実践的なものなのである。

 だからそれは、ジャック・デリダの研究を受けて書かれたデビュー作の『存在論的、郵便的』以来の一貫した追求ともいえる。彼はそれを、上に挙げたような先行する思想家たちとの対話を深める中で、まさに自分自身で「訂正可能」な部分を訂正してきたその現時点での成果がこの書といえる。

 思うに、ChatGPTにはなんの志向性もなく、蓄積されたからの情報の抽出以外の能力はない。
 しかし一方、21世紀はこうしたビッグ・データの蓄積に依存した「人工知能民主主義」に依る統治が一般化しつつある。張り巡らされた監視情報網、各個人の嗜好まで分析保存され、「私の心の秘密」などの甘い領域までもがもはやデータ外ではない。

 そして、そうしたビッグ・データから抽出されるある種の「一般意志」によって運営される政治の領域は、それを絶対的な価値基準として全体主義的な統治に至りやすい。実際のところ、そうした国や領域を私たちは知っている。

 この書は、そこへと至らない「訂正可能」な領域をどこに見出してるのだろうか。東が最後に引用するのはトクヴィルの『アメリカの民主主義』とハンナ・アーレントの『革命について』である。
 この両書で共通に語られているのはアメリカ建国時の各領域、各単位での何でもありのミーティングでの熟議の存在である。

 体制内に組織されたものの外部の人びとのミーティングの広がりは、現在なら具体的な集会ではなくとも、ネット上のそれとしても開催可能である。もちろんそれらも、監視管理の対象ではあるが、私たちは、ネット上でもその外部でも、それらをはねのける賢いハッカーであらねばならないが。

 東の書の、もっと忠実な読解を志したのだが、ChatGPTを試みたばかりに肝心の読みについての記述は雑なものになってしまった。
 ただし、今世紀の統治方式として大勢を占めるであろうビッグ・データに依拠した「人工知能民主主義」が、いかに浅薄なデータの集積によっているのかという実例を示し得たのではないかと思っている。

 
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【年初の読書】昭和のはじめの日本を外部の目で見つめる。

2024-01-11 17:14:04 | 書評
        
   *「見知らぬ日本」 グリゴリー・ガウズネル 伊藤愉:訳 共和国

 著者は1906年に現在のモルドヴァに生まれたが、成人をした頃には、17年のロシア革命を経て、ソ連の若者として育った。
 大学卒業後は、詩人、作家、ジャーナリストとして活躍したが、この書は、革命後10年の27(昭和2)年、日本を訪問した若干21歳の彼の日本の見聞録である。
 
 なお、彼はこの折、世界的演出家として知られたソ連のメイエルホリド劇場からの派遣員という肩書で来日しているので、東京、箱根、名古屋、京都、奈良、大阪、そして日本アルプスを巡るという精力的な活動を行っているが、同時に、日本の歌舞伎や人形芝居、それに当時の前衛劇団の演劇などを見て回っている。
 メイエルホリドが歌舞伎の所作などをその演出に取り入れたといわれているが、その折の彼の報告に依るものかもしれない。

 この書の書き出しからまず度肝を抜かれる。敦賀港に上陸した彼は、そこから鉄道で東京へ向かうのだが、その車中での観察を数ページにわたって書き続ける。それ自身も始めて見る光景として面白いのだが、その結果、彼が着いたのは・・・・。彼はそれをサラッとした口調で述べる。
「僕は間違えて東京ではなく下関へ着いてしまった」と。
 そこから彼は、改めて東京へ向かうのである。今でもこの間違いは大きなロスであるが、100年近い前、まるまる一日をフイにしたことになる。しかし、当時のソ連のあの広大な領地からすると、大したことではなかったのかもしれない。

 彼は日本で多彩な人たちに会っている。なかには、私が若い頃まだ存命で各方面で活躍した人たちもいる。
 露文学の米川正夫や芥川龍之介、広津和郎、小山内薫、蔵原惟人、村山知義、千田是也、その他、当時の歌舞伎俳優などなどである。

 私が若い頃読んだ、プロレタリア作家、葉山嘉樹については一章を割き、その著名な作品、「セメント樽の中の手紙」の内容まで詳しく伝えている。
 その他、プロレタリア詩人、井上増吉の詩集「日輪は再び昇る」の中から二篇の詩を紹介している。

 その当時の日本は、まだ大正リベラルの気風が残っていて、アメリカや西洋に憧れるモボやモガがいる一方、左翼気取りの青年たちは、ハンチングにロシア風のコソボロトカやルパシカといったっシャツを着たりしていた。
 しかし、官憲の監視は三〇年代より幾分マシだったとはいえ、すでに結構厳しく、ガウズネル一行にも、尾行がついて回った。
 宝塚市では、サーベルを下げた警官がやってきて、あなたたちに尾行を付けなければいけないのだが、今選挙で忙しくて・・・・と言い訳けに来るような間抜けな場面も登城する。

 日本でガウズネルを案内し、通訳したのは、文中で「ナガタ」と「吉田」であると書いているが、実はこの二人は同じ人物で、杉本良吉だという。彼は杉本のことを高く評価している。
 杉本がいつからメイエルホリドに関心をもち始めたかは知らないが、このガウズネルとの交渉を通じてそれが強化されたことは間違いなかろう。

 ところでこの杉本良吉であるが、私が生まれた一九三八年の一月三日、女優、岡田嘉子とともに樺太でソ連への国境を超えて亡命をする。メイエルホリドを頼ってのことらしい。
 しかしこの頃、ソ連では大粛清の嵐が吹き荒れ、メイエルホリドはスタニスラフスキーなどの社会主義リアリズムの演劇に押され、完全に干されていたのみか、「人民の敵」として糾弾されつつあった。
 そんななかに飛び込んだ杉本は、スターリン直属のGPUの激しい拷問で、自分も、そしてメイエルホリドも反ソのスパイであることを「自白」させられ、自分は翌三九年に、そしてメイエルホリドは四〇年に、銃殺されている。

 ところで、杉本が日本を案内したガウズネルはどうなったのだろうか?
 彼は、帰国し、二九年ではここに紹介した書をソ連で出版し、その他、さまざまな文筆の分野で活躍し、その将来を嘱望されたが、惜しむらくは一九三四年、弱冠二九歳にして病死している。

 しかし、これはある意味で彼にとっては良かったかもしれない。なまじっか長らえていたら、日本で親しんだ杉本が自白を強要され、それに基づきその杉本ばかりか、彼が師と仰いだメイエルホリドも刑場の露と消えるのを目撃せねばならなかったのだから。
 もっともそれ以前に、スターリン派に寝返って、「人民の敵」を抑圧する側に回る可能性もあったのだが、それはあまり考えたくない。

 いずれにしても、この書は私の知らない昭和のはじめの日本を外部からの「新鮮な」目で解釈してくれる刺激的な書であった。
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トルーマン・カポーティの若き日の小説『遠い声、遠い部屋』を読む

2023-11-12 17:02:31 | 書評

 アメリカの現代小説、エルナン・ディアズの『トラスト-絆/わが人生/追憶の記/未来ー』を読んだのは今月はじめで、その感想も述べた。そんな縁があったのかなかったのかよくわからないが、図書館の新着の棚に、トルーマン・カポーティの初期(最初)の長編小説、『遠い声、遠い部屋』が並んでいるのを見かけ、つい借りてきて読んだ。借りてから気がついたのだが、これは従前の河野一郎:訳ではなく、村上春樹の新訳のより、今夏発刊されたものだという。

            

 トルーマン・カポーティ(1924~84年)は1965年に発刊された『冷血』というルポルタージュ文学で知られた作家で、その折、つまり半世紀以上前に私も読んでいるのだが、まさに冷血な殺人事件を、冷血な筆致で描いていた以上の記憶はすっ飛んでいる。確かまだ、わが家のどこかでホコリを被っているはずだから、もう一度読んでもと思っている。

 さて、そのカポーティの初期長編(23歳の作品)だが、読み始めると同時にこれぞ「文芸」作品だと思った。どういうことかというと、文章の「芸」なのである。あえて芸術とはいわない。芸術の定義を巡ってややっこしくなるから。
 彼の文章の芸、または技はすごいと思った。あらゆるものの描写や比喩が、意表を突くように縦横無尽に描かれ、それらが、詩と散文の境界を縫うようにして表現される。村上春樹がこれを訳そうとした気持ちがわかるようだ。とはいえ、ハルキストには叩きのめされそうなほど村上春樹についてはよく知らないのだが。

 主人公はジョエルという13歳の少年である。彼が幼い頃、両親は離婚し、母と育った彼には父の記憶はない。しかし、その母も他界し、叔母に育てられていた彼のもとに、その父からの誘いの手紙が届く。彼はその父に逢うべく、単身でその南部の田舎町を訪れる。その家へたどり着くに前にも出会いがあり、それがこの物語とも関わってくる。

 
         

                 若き日のカポーティ

 父の住む家に着いたジョエルは、父の再婚相手という女性やその従兄弟というランドルフという男性(30代半ば?)に迎えられるが、父親にはなかなか逢わせてもらえない。しかし、ひょんなことから再会は叶うが、その父は寝たっきりで、その意思表示はボールをベッドから落とす以外にはないというありさまだった。

 ジョエルは、その家の窓の外観から、居るはずのない女性の姿を目撃したり、残してきた叔母に宛てた手紙が投函したはずのポストから消えたりする怪奇に見舞われる。
 それでもその間に知り合った隣家の気性の荒い双子の妹と知り合い、ともにでかけたりするが、意志が通じ合っているのかどうかはよくわからない。

 そのうちに、彼を招いたのが父というより、同居しているランドルフであったり、そのランドルフの同性愛志向が次第に明らかになってきたりする。
 かつて、その結婚相手から殺されかかった黒人女性(首に傷跡がある)が、南部では見られない雪を求めてワシントン目指して旅立ったり、さまざまなエピソードがジョエル少年を取り囲むが、やがて彼は、誰もが叶えられぬ夢を抱いてい生きているこの環境から自分は抜け出すべきだと判断するに至る。

 とまあこんな具合で話は進むのだが、それ以降の後半はその風景描写といい、登場人物といい、彼らの挙動といい、そのすべてが現実と夢幻の世界、不条理などがない混ぜになったままの描写で進んでゆく。それらはまるで淵や瀬、激流を行く川下りの小舟に乗り合わせたかのようで、その推進力はカポーティの華麗にして流暢な文体である。
 
 それらの過程は、主人公ジョエルが置かれた特殊な状況(著者、カポーティも子供時代孤児さながらに親戚をたらい回しにされて育ったとか)にもあるが、同時にこれは、私たち一般が少年少女の時代、迷妄のうちに周囲の状況に触れ合いながら、夢を抱いたり、見失ったりする過程をどうくぐり抜けたりするかの詩的にしてかつ幽玄的な描写ともいえる。

        
                晩年のカポーティ

 主人公の少年ジョエルの話は、以下のように閉じられる。
 「彼にはわかっていた。自分が行かなければならないことが。怯えることなく、臆することなく。彼は庭の端で少し歩を止めただけだった。なにかを忘れてきたみたいに、彼は立ち止まって後ろを振り向き、華やぎを欠いた降りゆく暮色を、自分が背後に残してきたその少年の姿を目にした。」
 
 もちろん、「背後に残してきたその少年」とは、そこを去りゆくジョエル自身のことである。
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アメリカの現代小説『トラスト』を読んで・・・・

2023-11-02 00:17:24 | 書評
 ちょっと面白い構成で書かれた小説である。全体は四部に分かれている。
 その第一部は、それ自身独立した一編の小説をなしていて、それだけでも完結しているといえる。その内容は、1900年代前半、アメリカNYで金融王といわれた男とその妻の物語である。
 
 二人の性格が対照的で面白い。男の方は天才的といわれた数学の才能を持ち、数字との関連にしか興味がなく、その才能が金融での成功をもたらしたとされる。一方女性の方は文学や音楽、絵画などへの深い関わりをもちその享受の才能がある。
 
 そのいわば正反対ともいえる趣向の持ち主がなぜ結びついたのかというと、彼と彼女にはある意味での共通点があったからで、それは二人共自分の興味の対象以外の余分な社交や忖度、外交的辞令などを嫌い、自分のなかに閉じこもりがちだったということである。
 
 それでもって二人はうまくやっていたといえる。夫は金融業界で逆張りのような才能を発揮し、あの1929年の大恐慌においても、世間の悲惨な状況をよそに逆に莫大な利益を上げる。彼はそれらで得た利益を妻の趣味のために惜しみなく提供する。妻の領域はちょっとした画廊や音楽サロンと化し、芸術家やそれを鑑賞する人たちが集うが、彼も彼女もその社交的な付き合いに揉まれることはなく、主要な催しが終了するやサッと自分の領域に引き下がる。
 やがて妻は、芸術家たちを支える財団を創設し、それに夫の名を冠する。いわゆる企業メセナである。

 こんな夫妻であったが、妻は若くして精神にかかわる病に取り憑かれ、その治療を巡って精神分析的な技法と、ショック療法などの物理的治療との葛藤があるなか、ある日壮絶な最後を迎えてこの第一部は終了する。

            
 しかし、この一応完結したと思われる一編の小説は、いわばたたき台にしかすぎず、その後の二部から四部までが続き、500ページ近い長編として形成される。

 第二部は、その夫金融王の手記で、その妻に対する惜別の情を含んだ部分以外には、数理にしか関心のない彼らしいそっけない表現がほとんどで、文学的な要素はあまり含まれない。

 第三部は、この金融王が第一部の小説が事実と異なる誤りであるとして、自分の力でこれに対抗する冊子を編もうとする試みのなかで、彼の口述するところを速記で書き留め、それらを文学的な要素を含んだものとして文章表現をする書き手として採用された若い女性の文章である。

 ただしそれは、その結果出来上がった作品ではなく、それを書く過程ででの金融王と彼女との関係、その推移である。彼女は、その文章表現に関する能力にとどまらず、利発で探究心が旺盛で、金融王の要請範囲を超えて、あるいは彼が禁じた領域にまで触手を伸ばし、とりわけ金融王の妻であった女性の実像への追求を深めてゆく。

 それらが、金融王との触れ合いの時期、並びにその後の彼女の関心の継続にまで至って描かれている。そして、その探求の結果、ついに突き止めた金融王の妻のさほど長くない日記がこの書の第四部をなしている。
 この第四部には、これまでの三部では全く想定できなかった事実がサラッと述べられていて、推理小説のどんでん返しに似た驚愕を誘う。

         
 これがこの書のあらすじであるが、この作者の守備範囲は広く、各方面での造詣の深さが垣間見られる。その一つはもちろん、金融王の活躍の舞台であったNYを中心に世界を対象とした投機や融資などなど金融業界の実態、あるいは大恐慌を含む1900年代前半のその推移などについてである。

 さらには、第三部の代筆ライターの女性の父親をイタリア系アナキストに設定しているのも面白く、金融王との対比、マルクス主義とアナーキズム、トロツキズム、スターリニズム、ナチズムなどなど往年の各党派に関する叙述もかなり確かである。

 もう一つ、金融王の妻が関わり合った芸術家たち、とりわけ20世紀初頭の音楽家たちとの交流に登場するそのビッグネームには驚かされる。
 演奏者側としては、指揮者のブルーノ・ワルターをはじめヴァイオリニストのクライスラー、ハイフェッツ、ピアニストのシュナーベル、ローゼンタール、作曲者としてはブロッホ、ストラヴィンスキー、レスピーギ、ラヴェルなどなどのすべてが彼女との関わりをもったとされる。

 彼女が金融王の名で当時の金額で一万ドルの創設資金を寄贈した現代音楽を支援するコンセプトの「アメリカ作曲家連盟」の理事会のメンバーには、コープランド、プロコフィエフ、バルトーク、ストコフスキー、オネゲルなどが名を連ねている。その他、彼女が直接支援した作曲家のなかには、シェーンベルグ、アルバン・ベルク、ショスタコーヴィチなどが含まれている。事実はいざしらず、虚構の世界での話としても、なんとも豪勢なことである。 

 なお、この書は昨年、エルナン・ディアズの二冊目の長編小説として発表されたものだが、本年23年のピューリッツアー賞・フィクション部門を受賞し、すでに世界34言語での翻訳が決定しているという。


『トラスト -絆/わが人生/追憶の記/未来ー』 エルナン・ディアズ 
                 訳:井上 里   早川書房

 

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村上春樹初体験 最新『街とその不確かな壁』を読む

2023-08-11 10:31:51 | 書評

 村上春樹の小説はほとんど読んだことはない。別に嫌いな訳ではない。好悪を語る以前の問題でとにかく読んでいないのである。
 なぜ読まないのか。それは単純で、あまり人様が騒ぎ立てるものには近寄るまいという反骨精神によるものである。それでも、騒ぎが収まった頃、そっと読んでみるということもあるのだが、彼の場合、ハルキストとかいう人たちが、かつてPCのニュータイプが発売されるや前日から並ぶという儀式まがいのものとほぼ同様の騒ぎを見せたり、ノーベル賞に際しては、まるでプロ野球のドラフト指名候補選手が待機するような集団行動が見られたりで、騒ぎが継続し、彼を読むことはその騒ぎに加担するかのような恥ずかしさを覚えざるを得なかったのだった。

 しかし、村上春樹も70歳を過ぎ、大谷翔平に人気を奪われたのか(んなわけないか)、それともハルキスト自体が老齢化し疲れが出たのか、そんな騒ぎも最近は少し収まったようなのだ。それが証拠に、私がいつもゆく図書館の新刊コーナーに彼の新作があったのである。これまでならそんなことはなかった。刊行と同時に予約が殺到し、それを考慮して図書館側も複数冊を用意して備えるのだが、ちょっと遅れて予約をしても何ヶ月待ちが通例であったという。
 それが、今年の春発刊のものが、図書館の手続きを終えて、借り手の予約もないままに新刊の棚に並んでいたのだ。でもって、それを借りてきた次第。

           

 『街とその不確かな壁』がそれ。著者のあとがきによれば、これは当初、1980年、「街と、その不確かな壁」というやや長い短編小説として雑誌「文學界」に載せたものだが、その際も、それ以降も納得できないまま、彼の書いたものでは唯一単行本化されないままでいたものを、40年を経た2020年からリライトをはじめ、650ページ超の長編に仕上げたものである。
 実際のところ、私自身の年齢もあって、これだけのボリュームのあるものを読むのにはかなり精力を消耗する。

 小説は、実体と影、リアルと夢幻、動と静寂、生と死などの二項対立を背景に、時としてはその対決、矛盾、和解、共存などを描写してゆく。第一部、第二部、第三部(これは短い)からなっていて、二項対立からいえば第二部が実体、リアル、動、生の世界で、第一、第三がその逆といえる。
 しかし、現実にはその相互は固定されておらず、第二部のリアルな世界にも、特定の人にしか交流不可能という幽霊がかなり重要な存在として出現する。

      

 そして、その相互の世界はある種の人たちにとっては行き来が可能なのであって、実際のところこの小説は主人公がふとしたはずみで幻影の世界へ赴き、そこで「夢を読む」図書館に通いながら(第一部)一定期間後そこから現実世界へと帰還し、今度はリアルな図書館(それ自身いくぶん怪しげな図書館ではあるが)に勤務するのだが(第二部)、そこで出会った不思議な少年の失踪と絡んで再び幻影の世界への姿を表し(第三部)そして・・・・というストーリーなのである。

 あ、肝心なことをいい忘れたが、タイトルの「不確かな壁」をもった「街」こそが、この第一部、第三部の舞台となる針を持たない時計台を持った静謐な夢幻といくぶん活力を欠いた静寂な「街」であり、「不確か」とはいえ、通常は乗り越え不可能な城郭都市のような「壁」に囲まれた「街」なのである。
 門はあるのだが、そこにはカフカの「掟の門前」よろしく、いかめしい門番がいて、その行き来を阻み、主人公は当初、その門番によって自分の影を引っ剥がされることによってやっとその街の住人になるのだ。

      

 結局、主人公は、不可能といわれたその街を脱出することによって第二部の「現実の」世界へ至るのだが、その方法は書くまい。実際のところ、第三部においても主人公はこの「街」から脱出を図るのだが、その方法はまた当初と異なっている。
 こうしたパラレルワールドともいえる二つの世界を、主人公は行き来するのだが、それは浄土宗のいう浄土と俗世との往相と還相のようでもある。ただし、どちらが往相でどちらが還相であるかは読者の判断に委ねられるだろう。

 たった一冊の読書で、村上春樹について云々することができるとは思わない。まあしかし、ワンダーランドへの導入とその展開は独特で、村上文学の片鱗に触れた思いがしたことは確かである。

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コロナって何だった? 知念実希人『機械仕掛けの太陽』を読む

2023-05-29 17:37:44 | 書評

 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」、「人の噂も七五日」、「世の中は三日見ぬ間の桜かな」などなど、人の世の移ろいやすさ、それに伴う人びとの忘却の速さを示す言葉は結構ある。
 現在、それを痛感しているのは今月はじめ、2類感染症から5類感染症(一般的なインフルエンザ同様)に引き下げられ、それに伴う規制も大幅に緩和されたいわゆる新型コロナに関する問題である。

           

 この三年半にわたる経過のなかで、親しいものを亡くしたり、大幅な損出を被った人たちには忘れがたいものが残るであろうが、そうではない人々にとってはとっくに過去の出来事としてしまい込まれてしまったのではないか。
 それを促進したのは、これまでの新聞やTVなどのメディアで必ず目にしていた感染者数、死者数などが表示されなくなり、その実態がわからなくなったことによるところが大きい。昨今の表層的なメディア社会では、報道されないこと=なかったことなのである。
 
 もちろん、このまま収束過程が進み、「普通の風邪」になることは好ましいし、周辺を見渡したところ、そんなふうになっているようにも見える。

 しかし一方、新たな感染症が時折、この惑星で発生・繁殖し、グローバルな風に吹かれて瞬く間に蔓延するであろうことは容易に想像しうるところである。
 そうだとすれば、今回の一連の過程を一通り時間の経過に従って整理し振り返ってみてもと思って読んだのが表題の小説である。

       

 2019年秋に始まり、各日付を小見出しとし、時間の経過に従って進むこの小説は、2022年6月6日、ワクチンが普及し、その収束への展望が見え始めるところで終わる。

 主人公は三人。
 一人は大病院の女性医師。
 一人はその病院の看護師(女性)。
 この二人は、その病院のコロナ病棟の担当に専任される。
 もう一人はベテランの町医者。

 この三人は、それぞれ連携をもつ場面はあるのだが、それがメインではない。
 むしろ、三者三様のなかで、コロナ禍と闘うその困難さに焦点が当てられている。

 女医は、小学校への就学前の男の子を抱えるシングルマザーである。その母がその息子を支えてくれるとはいえ、しばらくは息子とは会えない別居生活の中での治療が要請される。

 女性の看護師は、相思相愛と思われる男性と結婚を前提とした同棲生活をしているが、コロナに立ち向かう彼女の決意を理解しない男性から、「そんなのただの風邪だろう」とさっさと医療現場から離れての結婚を迫られている。

 ベテランの開業医は、都市の大病院に勤務する息子から、「自分は医院を継がないよ」と宣告されながら、老骨にむち打ち、まちなかの受け入れの最前線に立っている。

           

 この三人は、初期のとどまるところを知らない感染の拡大、重症者看護の困難、病床や医療機器の不足などなどとたたかわねばならない。それらの過程が緻密に描かれる。

 ワクチン進捗状況や政府の施策などが淡々と記録される。医療関係者の尽力をあざ笑うようなGOtoトラベルキャンペーン、政治家たちの会食・・・・そして三人の肩にのしかかる「家族」の事情。

 それらを日付を追って記録されるこの小説は、それぞれが抱える問題の収束と同時に、冒頭に述べたように、私たちの記憶から薄れつつあるこの間の歴史的事実を整理して残してくれる。
 この作者、やけに医療に詳しいと思ったら、東京慈恵会医科大学卒のれっきとした医学子であった。

           

 なお、この小説にはワクチン否定論者も出てくる。作者はそれに否定的で、テロも匂わせる実力行使には怒りをもってそれを記述している。

 じつは、私のSNS仲間にも一定のワクチン否定論者がいる。ワクチン接種による健康被害が過小評価されているというのだ。たしかにワクチンの否定面も無視できないかもしれない。
 しかし、ワクチンで死んだ人はコロナの死者を上回り、それが隠蔽されているとか、ワクチン接種そのものが某方面の人類抹殺計画であるなどの陰謀論的な色彩を帯びると、やはりついては行けない。

 小説としての評価は私には出来ないが、これを読むうちに、ああそうだった、そんなこともあった、今から考えるとあそこがターニングポイントかなどと思い当たるふしが多々ある。

 本の表紙以外の写真は内容に関係がない私の近影です。

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ノンフィクション的フィクション『クレムリンの魔術師』を読む

2023-05-10 01:24:41 | 書評
 小説である。が、冒頭にはこう述べられている。
「作者は、 事実や実在の人物をもとに自身の体験や創造を交えてこの小説を執筆した。とはいえ、これは紛れもないロシア史である。」

 ようするに、ノンフィクション的フィクションといっていいのだろうか。歴史的人物は殆ど実名で出てくるし、実在の人物はロシアの現実に詳しい人にはすぐそれと特定できるほどの名前で登場する。

         

 「魔術師」はプーチンその人ではない。プーチンをプーチンであらしめた側近の助言者である。失脚してゆく前任者なども出てくるが、 ここでの主人公バディウム・バラノフのモデルは、副首相、大統領府副長官、補佐官などを歴任したウラジスラフ・スルコフらしい。
 2020年にはクレムリンを去って、その後は軟禁状態などの説もあるがよくわからない。

 彼の功績は、ソ連体制崩壊後混乱していたロシアに、国益優先の「主権民主主義」なるイデオロギーを持ち込み、それをもとにプーチン政権を支え、その政権長期化に寄与したことにあるという。
 とりわけ2022年に再開されたウクライナ侵攻の前史、2014年のドンパス地方での武力衝突は彼の画策に依るとされる。

 私達読者は、彼の語りに誘導されて、クレムリンの帝王の身辺で起きるさまざまな出来事、帝王自身の決断の内容などを追体験するかのような立場に立たされるのだが、それがけっして小説用に誇張されたりしたものとは思えず、なるほどとつい頷いてしまうところに彼の想像のたくましさと表現の巧みさがあるように思う。
                  
   右側が主人公バディウム・バラノフのモデルウラジスラフ・スルコフ
  
 小説は、プーチンに重用され、プーチンを支えながらも何らかの原因で突然失脚したりする人物に彩られて進むが、その終盤には22年のウクライナ侵攻を予言するかのようなシーンがでてくる。
 そこでは、主人公がウクライナを訪問し、今回の侵攻でも傭兵として活躍しているであろうバイカー集団「夜の狼」の指導者アレクサンドル・ザルドスタノフと話を交わすのだが、このアレクサンドルとプーチンが2019年に実効支配するクリミア地方で、バイクで並走する写真が残っている。
            
   左側が「夜の狼」指導者、アレクサンドル・ザルドスタノフ 右はプーチン

 ここまで読み、この写真を見るに至って、私の中にあった一つの疑問が氷解した。
 2019年の夏、私はロシア第二の都市、サンクトペテルブルクにいて、ネフスキー大通りをネヴァ河に向かって進み、エルミタージュ美術館(冬宮)の横あたりで、日本でいうなら暴走族が片側三車線ほどを完全に占拠し、疾駆するのを目撃したのだった。警察車両は出ていたが、彼らを規制するのではなく、むしろ歩行者を規制(保護)していた。その様子は下の動画に撮ってきたが、しばらくのデモンストレーションの後、その集団は統制が取れた仕方で去っていった。
 日本では規制の対象になる暴走族が、なぜロシアでは白昼堂々という疑問を持ったのだが、こうしたバイカーの集団疾駆は、ロシアではむしろプーチンの親衛隊として機能していたのだった。動画の途中に見えるバイクの旗は、まさに「夜の狼」のそれであった。

 https://www.youtube.com/watch?v=QgHgdrBMdOY

 話を小説に戻そう。主人公は、その「夜の狼」のリーダー、アレクサンドル・ザルドスタノフにいう。
「( 我々がウクライナで戦う)目的は征服ではなくカオスだ。つまり、オレンジ革命が原因でウクライナは無政府状態になったと理解させることだ。西側諸国に身を委ねると言う過ちを犯した国の末路を認知させる必要がある。すなわちすぐに見捨てられ、荒廃した国を自分たちだけで再建しなければならないと言う現実だ」
「 この戦争が行われているのは、現実ではなく人々の頭の中においてだ。君たちの戦場での活躍は、君たちが制圧した都市の数ではなく征服した脳の数で評価される。征服すべき脳があるのはここではなく、モスクワ、キエフ、ベルリンだ。君たちのおかげで、ロシアの同胞は人生や善悪の闘いに関する勇壮な意義を見いだすことができた。そして彼らはウクライナのナチスや西側諸国の衰退からロシアの価値観を守る人物として皇帝を崇拝するようになった。というのも、祖国に安定と偉大さをもたらしたのはプーチンだと言うことを1990年代のカオスを知らないロシアの若者世代に知らしめる必要があったからだ。」

 ウクライナを離れて彼の言明は続く。
「 ロシアは西側諸国の悪夢だ。19世紀末、西側諸国のインテリは革命を夢見た。だが、彼らは共産主義を語っただけであり、これを実現したのはロシアだった。そしてロシア人は70年間、共産主義社会で暮らしてきた。次に、資本主義の時代がやってきた。資本主義においてもロシアは西側諸国よりもはるかに先進的だった。 1990年代、ロシアほど規制を緩和し、民営化を断行し、起業家の活躍できる余地を確保した国はなかった。こうして規制と制限が撤廃されたロシアでは、無から世界最大の富が築かれた。そしてロシアは西側諸国から与えられた処方箋におとなしく従ったがロシア社会は良くならなかった。」
 ようするに。こうした経由から西洋資本主義とはまた違う道を選んだのがプーチンでありロシアだというのだ。

 私はあえてこれに何かを言おうとは思わない。しかしここには単純な進歩史観や西洋民主主義崇拝のリベラルには見えていないひとつのリアルな歴史があるといっておこう。
 中国も含め、これまでの歴史観や政治観では消化しきれない現実に21世紀は差し掛かりつつあるのだ。

著者 ジュリアーノ・ダ・エンポリ(Giuliano da Empoli)
1973年、イタリア人の父親とスイス人の母親との間にパリで生まれる。ローマ・ラ・サピエンツァ大学を卒業し、パリ政治学院にて政治学で修士号を取得。フィレンツェ市の副市長、そしてイタリア首相のアドバイザーを務めた後、現在はパリ政治学院にて教鞭をとる。

 『クレムリンの魔術師』 ジュリアーノ・ダ・エンポリ:著 林 昌宏:訳 白水社

 

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楽しい寓話の読書 オーウェル『動物農場』 挿絵つき

2023-03-20 02:37:48 | 書評

 いやぁ、面白かった。確か60年ほど前に一度目を通しているはずだが、今回、読み返してみて、こんなに面白かったのかと再確認した。1949年にディストピア小説の最高傑作といわれ、管理社会を描ききった『1984年』を発表した作家、ジョージ・オーウェルがその4年前に書いた寓話風小説『動物農園』だ。
 なぜ読み直したかというと、1966年の吉田健一(戦後の首相、吉田茂の息子)の翻訳が、新しい装丁と楽しい挿絵入りで再刊されたと聞いていたからである。とくに、ヒグチユウコさんの挿絵は的確で楽しい。

          

 物語は、ジョーンズという男の経営する農園で夜な夜な動物たちが集まり、老いたる豚のジイさんから、農園で働く動物たちがいかに人間たちから奴隷労働を強要され、搾取されているのか、そしていつの日かその絆を断ち切らねばならないということを聞くところから始まる。語り終えたジイさんは寿命が尽きて死んでしまうのだが、ちょうどその頃、農場主のジョーンズは諸事情もあって、農場経営も雑になり、酒に入り浸って動物たちに餌を与えることすら怠る様になる。

 そんななか、その待遇に耐えかねた動物たちの反乱が、ジイさん豚の予言通り成功してしまい、動物たちの自治によるコンミューンが成立する。これが表題の「動物農場」である。
 希望に満ちた動物たちの共労生活が始まる。さまざまな提案が検討され、表決によって実施される。が、意見の相違も表面化し、派閥も生じる。派閥の一方は論理的でこの組織の掲げる理想に沿った未来への提言を行うのだが、権謀術策に長けたもう一方の派閥によって、逆に組織の破壊者として追放されてしまう。

       

 それと同時に、動物たちの中に階層化が進み、もっとも知恵があるという豚たちが権力の中枢(官僚)にその座を占める。反逆者として追放されたスノーポールも、それを追放したナポレオンも、ともに豚だった。
 こうして、忠実な豚たちと反抗するものを牙で威嚇する犬たちで周辺を固めたナポレオンの独裁政治が始まり、当初の崇高な理念は次々と改変され、気がつけば動物たちはお題目はともかく、その実質は解放以前と全く変わらぬ状況に置かれていることになる。

 その間に、反逆者と名指された動物たちの大量粛清、労働英雄と称賛された馬の限界を超えた労働の展開、付近の人間経営の農場との協定とその破綻による戦争、協同組合方式から市場経済導入への後戻りなどなどがナポレオン独裁のもとで展開される。
 そして、その動物農園の行方は?ということになる。

 これらが平易に、子どもか読んでも楽しいような挿絵入りの寓話方式で語られる。
 これを、「権力は腐敗する」という一般論の寓話として読んでもじゅうぶん楽しいが、ロシア革命とその後のソ連の辿った歴史として読み返すと一層のリアリティが感じられる。
 独裁者となるナポレオンはもちろんスターリンだし、追放されるスノーポールはトロツキーである。また、それぞれのエピソードは党主体の官僚化、秘密警察GPU(ナポレオンを守る犬たちとして登場)を駆使した大量粛清、ナチスドイツとの条約締結とその破綻による戦争、市場経済の導入による国家資本主義の展開などなどを指し示している。

       

 オーウェルの非凡なところは、世界中のほとんどの左翼がソ連にまだ幻想をもっていた1945年にこれを書いたことである。スターリン独裁化の諸事実が世界に知れ渡ったのは、1956年のソ連共産党第20回大会でのフルシチョフの秘密報告によってだった。
 だから彼は、しばらくは単なる反共主義者だとかトロツキストだとかという中傷非難のうちにあった。しかしこの書は、彼が決してそんな存在ではなかったことを示して余りあるものがある。だからこそ彼は、これを書いた4年後、冒頭で触れた不朽の名作『1984年』を書くことができたのである。
 惜しむらくは、彼オーウェルが1950年、わずか47歳にして結核のためこの世を去ったことだ。

 なお、冒頭にも書いたが、この書を楽しいものにしているのはその装丁やヒグチユウコさんの挿絵によるところが大きい。その線画風の柔らかいタッチの挿絵は、この書の寓話性を一層引き立たせている。
 一日で一気に読み上げる楽しい読書だった。

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