六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

iPadの時代に同人誌?そうなんです。

2010-05-29 02:40:55 | 催しへのお誘い
 なにがしか表現活動をしたことのある人で、それを広く知らしめるために同人誌のような媒体に関わり合った人は多いのではないでしょうか。
 奥手の私にはこれまでそうした経験は全くなかったのです。

 しかし、この度、縁あってそれに参画できることとなりました。
 題して『遊民』、<ホモ・ルーデンス>です。

        

 拙文を載せてもらうことも出来ました。
 あまつさえ、美術デザインのまねごとまでさせてもらいました。

 出来上がったものを手にして、自分が手がけたにもかかわらず、思いがけないものがやってきたような戸惑いと恥じらい、そして隠しおおせない喜びとを覚えています。

 あ、問題は中味ですね。
 目次からその一端を拾ってみます。

    出る幕はここか
     ----- 詩人 吉田欣一の私的な回想 ------     大牧冨士夫
  
   「お髭の斎藤さん」と呼ばれて
     -------- 平和を願うボランティアの日々 -------   斎 藤  孝   

    怪人・唐九郎伝説[1]             稲垣喜代志

    一九六〇年六月十五日              伊 藤 幹 彦

    「高度は客観性」とハンナ・アーレント
     ----『エルサレムのアイヒマン』をめぐって---   三 嶋  寛

    小説  枯れたぶどう畑             山下智恵子

 わりかし真面目な雑誌でしょう。
 こんな雑誌でも応援してくれる出版社があって、風媒社という発売元から購入できます。

 〒460-0013
   名古屋市中区上前津 2-9-14   風媒社
  
 アマゾンからも検索できますが、まだ、当該書は載っていないかも知れません。
 もし、ご興味があって入手方法が分からない方は、このブログのコメント欄にその旨お知らせ下さい。

 なお、この雑誌の効用は、ざっと以下のようです。

  家内安全 精力増進 交通安全 食欲増進 健康回復 学力増進 子孫繁栄
  日々好日 一攫千金 栄耀栄華 快刀乱麻 五穀豊穣 主客転倒 笑止千万

 


 

 
      


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おっぱいを揉まれてしまったのです。

2010-05-27 02:41:41 | よしなしごと
 かかりつけの診療所へ行きました。
 特にどこか悪いわけではありません。
 いつものように、睡眠障害の薬と筋肉痛や肩こりの薬をもらいに行ったのです。
 ただ今回は、一つだけ訊ねたいことがありました。

    

 診察室の中ではまず血圧の測定です。
 「今回は少し高いですね。お酒増えてませんか?」
 「いいえ、少し減ってる方です」
 「では少し時間をおいてから計り直しましょう。で、何か変わったことは?」
 ということになり、先ほどの訊ねたいことを話しました。

 それは以下のようなことなのです。
 もう二週間ほど前でしょうか、左胸の乳房の辺りが偶然何かに接触したのです。
 そのとき異様な痛みが走ったのです。
 強くぶつけたという痛みではなく、事実そんなに強くはぶつけなかったので、それはこちらの内面にあるような痛みでした。

 それで気になって左の乳房辺りを触ってみると、やはり痛いのです。
 同じさわり方を右の方でしても何ともないのに、左は明らかに痛いのです。
 そして、左の乳房周辺が右よりもやや張った感じがします。

 一時的なものだろうと思いましたが、少し気になります。
 私の周辺に、乳がんで苦しんでいる人がいることも念頭に浮かびました。

    <photo src="49816008:40013609:l">

 それから二週間、状況は変わりません。
 でもって医師にそれを告げたのです。
 「では前を見せて下さい」
 と医師。前を広げる私。
 「これはどうですか?」
 と、やおら右の乳房辺りをつまみ上げる医師。
 思ったよりも強い触診ですが別に何ともありません。

 「それではこれはどうですか?」
 と、今度は左。右側の時と同じような触診です。
 が、先ほどとは違って明らかに痛いのです。
 「い、いたいです」
 「ではもう一度」
 「痛いです」

 「う~ん、やはり左が少しはれぼったい気がしますね」
 と私の胸を見比べながら医師。
 確認ためにともう一度触られました。

        

 ここまで、敢えて書きませんでしたが、この医師、じつは女性なのです。
 長生きはするものです。
 女性に乳房を揉まれるとは・・・。

 この日の医師の結論です。
 「少し様子を見ましょう。それで治まらないようでしたら、一度マンモグラフィーで検診しましょう」
 マンモグラフィーは、乳がん検診の最新兵器です。

 もちろん私自身には原因も何も分かりません。
 単なる炎症の一種かも知れません。
 あるいは、この間、精神的に不調でしたから、不定愁訴の一種かも知れません。精神的な不安定が肉体的な症状を生み出すという身体言語的な状況もあり得るところです。
 この間の私の自己診断は、更年期障害による情緒不安定ですから、それもありです。
 それともほんとうに乳がんかも知れません。

   
     これは柿の花 花の下には小さな実が 専門用語でガキという
 
 いずれにしても、生きていることは出来事に遭遇することですね。
 女性に乳房を揉まれるなんて、まだ枯れきっていない私には面白い経験でした。

 え?測り直した血圧の方ですか?
 最初よりは下がってはいましたが、やはりやや高かったようです。
  
 

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ある編集者へのメール 『敗北の二十世紀』をめぐって

2010-05-25 15:29:17 | 歴史を考える
 以下のメールは、実際のものに若干手を加えたものです(ほとんど原文)。
 
 一番上の写真は、ネット上の友人、「破レ傘」さんがお見つけになったものの転載です。
 1900年頃、オーストリアのリンツ実業学校でのもので、かのヒトラーとヴィトゲンシュタインが同級生として一緒に収まっている珍しいものです。
 ちなみに、ハイデガーは学校は違いますが(彼は神学校)、この二人と同年です。

 以下で問題になっている時代は、もちろん、彼らが成人してから後のものです。

   

    ================================
 
 この度は、大変お世話になりありがとうございました。
 
 さて、拙文に関連してお勧めいただいた、市村弘正氏の『敗北の二十世紀』、一応読了しました。一応というのは、野暮用などに追われ、あとでもう一度詳しく読み返したいところなどが若干残っているからです。
 拙文では、さらっとだけ触れて詳論しなかった問題、世界喪失(世界疎外)を、市村氏はハンナ・アーレントの提起を軸としながら、同時代的広がりのうちで横断的に検証しているように読みました。

 その検証は同時代の彼我の思想家や詩人、文学者などの「敗北」への対峙を参照しながら行われるのですが、その起点と終結は、冒頭に近い部分と結語部分とのアーレントからの引用によって占められているようです。

           

 「始まりというものは、それ自体すべての終わりに含まれている」と、「きわめて明瞭にひとつの終わりとして現れるものは、われわれがまだその深い意味を把握できていないものの始まりとすることで一層よく理解される」という記述に挟まれたそれぞれの思想家たちの占める位置は、アーレントのそれに時代としては呼応しながらも、また、その差異性をも示しています。

 いずれにしても、たえず要請されている『敗北の二十世紀』の批判的叙述という「始まり」へと呼応し続けないならば、二十世紀の残した問いは二重の敗北として帰結するのではないかという市村氏の開かれた結語が、今なお、この問いが未完のものであることを示しています。

 なお、市村氏の年代史的叙述にとってはそのパーツにしか過ぎないかも知れませんが、私の年代(と一般化できるかどうかはさておき)にとっては、60年安保とそれに続く事態、具体的には浅間山荘へと至る一連の経過とがオーバーラップします。
 当時私は、それらの「敗北」の過程とそこに提起されているものを対象化できないまま、デスペレイトな生活を10年余にわたって送ってきました。「俺らはやったよなぁ」という60年世代や全共闘世代の自己肯定に背を向けながら、あるいは、言葉として語られた「自己否定」にも、なにやら空疎なものを感じながらでした。

  

 80年代から、方向性もないまま勉強を再開しました。とはいえ、誘導灯を待たない暗闇での手探りのようなものでしたから、いってみれば不定愁訴と強迫観念を推進力とした出鱈目なものでした。
 そんな中で出会ったのがアーレントです。

 もちろんアーレントが特効薬などということではなく、彼女が投げかける問い(市村氏がまとめたような側面を含めて)が、私にとって問題を整理して行く上である種の有効性を待ち続けているということです。
 学者ではありませんから、「アーレントを学ぶ」という意識は希薄ですが、上に述べましたように、彼女が参照項として有効である間はつきあって行きたいと思います。

 なお、市村氏の当該書に関わられた編集者としての貴兄のお仕事に敬意を表します。
 いい本を紹介していただきました。
 拙文掲載のものへの細微にわたる暖かいご支援へと共々、感謝致します。

 今後とも、よろしくお願いいたします。

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【ソネット】人工庭園 またはナチュラル・ハイへと

2010-05-24 01:45:53 | ポエムのようなもの
   


     人工庭園には
     人工でないものが散りばめられていて
     それがこの庭園が人工であることを
     顕わにしている

     顕わなものの下には
     いわゆる底辺があって
     凝視や錯視 監視や蔑視などの
     高射砲陣地がある

     だからここを歩くと
     足の裏からしっかり透視される
     尾骶骨とと前頭葉の距離が
     測定され記録される

     人工庭園には魔物はいない
     のっぺらぼうを除いては・・・

       
        名古屋TV塔をよぎるUFO 合成ではありません

映画「空中庭園」ですばらしい映像を見せた豊田利晃、クスリでパクられたあと、やはりナチュラル・ハイは無理なのだろうか?
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「くらやみから牛」のような会話

2010-05-23 01:21:54 | 写真とおしゃべり
   

   


  「くらっ」
    なんて脅さないで下さいよ。
  「くらわすぞっ」
    ってのもお断りです。
  「このぼんくらがっ」
    っていうのも言いすぎでしょう。
  「あんまりくらし向きがよくなさそうだな」
    って、余計なお世話です。
  「おまえなんかとくらくをともにしたくない」
    こっちだってそうですよ。
  「おまえの顔見てるだけで頭がくらくらする」
    じゃぁ、見なけりゃいいでしょう。
  
  「ちょっくら訊くが、俺のことどう思ってる}
    ハイハイ、じゅうぶんクラシックです。

   

       


 写真は、名古屋市東区で見かけた貫禄じゅうぶんの蔵です。

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が、しかし・・・

2010-05-22 14:23:30 | ラブレター
   
 
     が、しかし・・・
       おまえは美しい
     が、しかし・・・
       どうして網戸の内側にいるんだ?

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夜汽車への感傷がクロネコさんへの感傷になってしまうわけ

2010-05-21 03:56:44 | よしなしごと
 雨が上がってもなんか蒸し蒸しするので、窓を開け放って読書などしていました。それに疲れて、今はボーッとしています。
 日付が変わる時間帯には、すぐ前の道路を往来する車の数もうんと減って、時折アクセントを付けるように近づき、去って行きます。

    

 そして代わりに、今までバックグラウンドだった遠くの音がよく聞こえます。
 ざわめくような音は、少し離れた22号線を走る車の音です。こちらの方は深夜でも遠距離トラックなどの往来がかなりあるようです。
 私の部屋は二階ですから、窓を開けているとけっこう遠くの音が拾えます。

    

 22号線よりかなり遠くで、列車の音がします。東海道線を走る夜汽車ですが、その音を耳で追っていると、上り列車か下り列車かもわかります。
 今のは、上りだと思います。

 夜汽車の音に関しては、人の悲喜こもごもを乗せて走るという意味でいささかの感傷に駆られたものですが、それも一昔前の話で、いまや私たちは、その夜汽車にはもうほとんど人が乗っていないことを知ってしまったのです。
 都市間の長距離移動は新幹線の分野で、在来線を走る夜間の旅客列車はもはやほとんどなくなりました。

    

 私が聞いているこの夜汽車の音は、その大半がたぶん、宅配便のコンテナを都市から都市へと運ぶものなのです。
 ですから、この夜汽車に感傷を覚えるとしたら、それはクロネコさんやペリカンさん、あるいはカンガルーさんへの感傷になってしまうわけです。

 でもまあ、考えてみれば、人が乗っていようが動物のロゴを付けた荷物が乗っていようが、夜汽車の音は夜汽車の音、そこそこ感傷をくすぐるものがあります。
 あ、またやってきました。あの音は、木曽川の鉄橋を渡って岐阜方面への下りのようです。けっこう頻繁に行き来しているものだとわかります。

    
 
 話は変わりますが、ヨーロッパなどへ行って、思いっきり鉄道に身をゆだねてみたいものです。
 シベリア鉄道や北米の大陸横断鉄道、オーストラリアの大陸横断鉄道、あるいは、最近中国で開通したチベット鉄道のように、ひたすら荒野を走るものには興味はあるものの、実際に乗るとなると実感は湧きません。
 また、日本の新幹線に類似したただただ早いだけのものにも興味は持てません。

    

 やはり、もう少し変化に富んだ自然や町々が入れ替わり立ち替わり現れるのが好みです。ビュッフェで赤ワインなど傾けながら、雪の頂を赤く染めて暮れなぞむアルプスなど見ることが出来たら、そのまま死んでもいいと思います。


本当は、ここんところ、あとから読んで自分でも胸くそが悪くなるような愚痴っぽい泣き言を書いて来ましたので、それへの自己批判を書くつもりでしたが、しばらく延期します。

 
  

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こんな爽やかな一日なのに・・・

2010-05-16 16:53:14 | よしなしごと
 14日までは快調だったのです。
 それが昨日から心身ともに不調です。

    

 大事な手紙を書いていました。ラブレターではありません。
 一通はお礼状で、これは無事書き上げました。もう一通は、年長の方への詳しい報告を兼ねたもので、資料などに当たったり、慎重に言葉を選んだりして書きました。
 もう少しで書き上げるというところで疲れを覚えました。
 少し横になればと思いました。
 その少しが少しで終わらなかったのです。3時間余も寝てしまったのです。

    

 そんなに疲れてはいなかったはずなのにです。
 まあ、寝てしまったものは仕方がありません。そのぶんまた書き続ければいいのですから。
 しかし、その後がいけません。
 苦労して書き進めてきた文章を他の雑文と誤って削除してしまったのです。

 でも慌てません。そんな時のために外付けのHDを備えていますので、Time Machineで復元させれば済むからです。
 が、です。なんということでしょう。こんな大事なときに外付けHDを接続していなかったのです。
 はじめっから書き直しです。
 夜を徹して書きました。
 それが昨日、15日のことでした。

    
 
 そして今日、久々に快適な気候だというのに身も心もどんよりしています。
 一つには睡眠不足のせいですが、それのみでもなさそうです。
 何もしたくはありません。そうした間隙に自己嫌悪が入り込み私を嘲笑します。

 本当に何もしたくないのです。
 周りの人間にはむろんのこと、動物や植物、花々などにもいっこうに関心が向きません。こうして周辺のものへの関心が次第に薄れていって、本当に老いて行くのだなといった想念のみがリアルに迫ります。

    

 そんな自分を奮い立たせて、一つだけしたことがあります。
 桜ん坊の収穫です。
 例年だと嬉々として摘み取るのに、今年はただおっくうに体を動かしているのみといった感じです。

    

 毎年、初物は母のところへ持って行きました。
 もう、その母もいません。
 あとは、娘が勤めている学童保育の子供たちのおやつにするのみです。
 それら子供たちの笑顔を思い浮かべながらけだるい体を動かして一生懸命採りました。
 その後これを書いています。
 頭痛がします。
 書き終えてアップしたら、中途半端ですがまた横になりたい気分です。
 




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ニッポン、チャチャチャ  私たちの国

2010-05-11 04:07:17 | よしなしごと
 Japan - The Strange Country

    

 日本ってどんな国なのか、日本の中にいる人はあまりわかっていないのかも知れません。
 ここにひとつのレポートがあります。
 これがすべて正しいとはいいません。
 ただ、日本ってどんな国なんだろうと思いをめぐらす参考にはなりそうです。

    http://vimeo.com/9873910


 
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有朋自遠方来 不亦楽

2010-05-10 03:58:52 | 写真とおしゃべり
 まさに、「朋有り、遠方より来たる。亦た楽し からずや」ですね。

    
              金華山中の緑陰
 
 ネットで知り合い、交際が続く友人たちが、愛知県や三重県からわざわざ岐阜まで来てくれました。男女二名ずつです。
 ネット上の友人といっても昨日今日知り合った人たちではありません。もう十年以上前、私が居酒屋をやっていた頃からの知り合いです。そのうちの一人は、ネット以前、まだ彼が学生時代ということですから、三〇年以上前に私の店に来たことがある人です。

    
         斎藤道三、織田信長の居城だった岐阜城

 もちろん、会うのは今日がはじめてではありません。お互いに何度も会って気心を知り合った者同士の関係です。
 それだけに、遠来の友に楽しんでもらえたらとホスト役としてはいろいろ考えあぐねました。しかし、案ずるより産むが易しで、いざ顔をつきあわせて一緒にあちこち行ってみると、なんのことはない、一番楽しい思いをしたのは私ではないかと思うくらい「お役目」など忘れて楽しむことが出来ました。

       
          岐阜城の石垣 平地の城とは石が違う

 この友人たちが来てくれなかったらほとんど行かなかったところへも行きました。そのひとつが金華山頂の岐阜城です。
 若くて子供が小さい頃には、毎年、麓から自分の足で登りました。今回はロープウエイを使う予定でした。しかし、この歳になってからはということで、地元の同年配の友人に相談しました。
 彼曰く、「ゲストは若そうだから大丈夫だが、おまえはロープウエイの駅から山頂までだってきついぞ。膝が笑って恥をかくからやめとけ」との忠告。

    
           天守閣から東南(犬山)方面を臨む

 それでも行きました。
 もし、途中でダウンしたら、「私はここで待っているから、あなたたちでいっといで」というつもりでした。

 結果として、顔は終始笑っていましたが、膝は笑いませんでした。
 私の膝は、かの友人の心配に反して、気むずかしくて容易に笑ったりはしなかったのです。もちろん、同行の友人たちに恵まれて、気分よく体が動いたことにもよります。

       
           板垣死すとも観光客よ来たれ!

 そんはわけで、汗ばむくらいの天候にも恵まれ、初夏の自然と散策を満喫することが出来ました。その後も順調で、結構歩き、うまい酒を酌み交わし、タイムリミットまで楽しむことが出来ました。

 この友人たちとは、おそらく二世代ぐらい年齢差があります。
 でも、それを感じることなく私自身が楽しむことが出来た一日でした。
 まさに「朋有り、遠方より来たる。亦た楽し からずや」でした。
 


       
           奈良の大仏に次ぐ大きさの岐阜大仏




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