六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

故郷、伝統の喪失とそれが示唆するものへの私見

2019-07-30 11:54:19 | 日記
 失われたものへの嘆息は年配者の感傷に過ぎないが、同時に特権でもある。
 その理由は二つある。
 ひとつは、その在りし日のまざまざとした生きた像を、若い人たちがいかに想像を凝らしても再現前し得ないその像を、私たちはまざまざとこのマナコに焼き付けているということだ。
 それらの像は、私たちが生きた時代の血肉と関連しているがゆえに、私たちの郷愁を捉えて離さない。

        
                 *1
 もうひとつは、そうした失われたものの後を襲うもののほとんどが、今様の利便性、効率性重視のキッチュな代物に過ぎないということだ。
 田んぼ一反を潰して建てられた数軒の住宅、機能本位で、車二台分の駐車スペースをつけると緑のものを育てるスペースもない。相互に似通っているから、酔っ払って帰ったら、自分の家がわからないなるぐらいだ。
 
 また、広い田んぼを潰してできたドラッグストア。看板のみはゴージャスだが、その実質は大きなプレハブ。
 一定期間やって、ダメならさっと引き上げようという資本投下の論理を絵で描いたような造りなのだ。

        
                 *2
 古い伝統的なもののの新陳代謝一般を嘆いているのではない。先立つ伝統を破壊しながら生み出されるものを否定しようとするものでもない。
 それらが、とてもじゃないが新しい伝統とは無縁な一時的な「消費」の対象でしかないことを嘆いているのだ。
 私たちは今や、その伝統やその土地ならではのアウラと切り離された利便性と効率性のうちに生きている。だからある意味では、はじめっから故郷という観念とは無縁なのかもしれない。

        
                 *3
 私も含めて、かつて人はその伝統とアウラのうちに、つまり故郷のうちに住んでいた。
 そして何らかの形で、故郷を捨て、根無し草(デラシネ)として生きるようとも、それらの人々のうちにおいても、故郷はたとえ否定的な表象としてであれ、何らかの重みを失うことはなかった。

 いま、ドイツはライプチヒに住まう、わがわ若き畏友・小林敏明氏は、文芸誌「文學界」で、「故郷喪失の時代」というエッセイを連載しているが、この八月号で完結し、単行本化を待つという。
 彼の故郷を離れての暮らしは、ゆうにその人生の半分以上に至る。しかし、そのエッセイを読んでいると、そのタイトルにも関わらず、彼自身の望郷の念がひしひしと伝わる箇所が随所にあって、共感することしきりである。

        
                 *4
 「故郷喪失」を思索の対象とした嚆矢はハイデガーであろう。彼はそれを嘆くあまり、その悪しき伝統の復活をナチズムのゲルマン至上主義に見てしまったきらいがあるが、その弟子であったハンナ・アーレントもまた、故郷喪失を問題としていると思う。
 ただし彼女の場合は、ハイデガーのように全体主義的なものと短絡させるのではなく、むしろそうした全体主義の起源のうちに、深い故郷喪失をみてとり、それを人間と世界との関わりの問題として展開している(『全体主義の起源)』。

        
                 *5
 そして、前著に続く彼女の主著のひとつ、『人間の条件』、新訳では『活動的生』の後半で展開してる「世界疎外」の問題は、まさに人間が伝統や歴史と切り離され、それによって自己が「誰」であるかも奪われてゆく様を「大衆社会論」との絡みで論じている。
 したがって、故郷や伝統が失われたあとに来るキッチュなもの、あくまでも合理性や効率性に還元してやまないもの、それこそがやばいものといえる。
 そしてそれは、来たるべきシンギュラリティ(AI が人智を追い越す技術的特異点)において、最終的に人間がAI に置き換えられる基盤を用意するものかもしれないと密かに思っている。

 上から順次、写真の説明をしておこう。
 
 *1は、数年前まで、貸し農園として区画割りされ、この時期になると、ナスやキュウリ、トマトなどが栽培されていたのだが、利用者が減ったのか、貸主がもう貸さなくなったのか、次第の恐ろしいほどに雑草が生い茂っていたのを、とりあえず、草のみを刈って積み上げてある情景。
 今後何になるかはわからない。

 *2、3は個人の畑だがやはり数年前まで、この近辺ではないくらいきれいに耕作され、様々な野菜が作られていた。
 管理していたのは私より若い女性で、通りかかると、「こんにちは」と挨拶を交わす仲だったが、ある時、この写真の奥のこんもりとした部分の柚子の木がたわわに実っていたので、「見事ですねえ」と声をかけたら、「少しおもちになりますか」とのことで、「じゃあ、お言葉に甘えて」ということになった。
 私のつもりでは、畑仕事のついでに、2、3個をもいでくれるものと思っていたのだが、「ちょっと待って下さい」と道路を挟んだ自宅へ行き、ハサミを持ってきて実を取り、袋に入れてかなりをいただくことになった。
 そういえば柚子の木には棘があり、ハサミでなければ容易にもげないのだった。
 後日、私はお礼に絵葉書のようなものをその家のポストに入れておいた。
 それが今や、この有様である。なにかよくないことが起こったのだろう。

 *4、5はそのお宅の庭の部分である。
 ここもかつてはきれいに手入れされたお庭であった。今や、ご覧のような八重葎。もちろん、家も無人であることは間違いない。
 前の畑といい、このご自宅といい、これらを守りながらここで生活をしていたあの品のいい女性のことを思わずにはいられない。
 何らかの事情でここを離れたにしろ、どこかで元気でいてほしいものだ。
 

 







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夏の風物詩、蝉と蜘蛛たちがいなくなる日

2019-07-27 02:27:47 | よしなしごと
 一昨年、わが家では琵琶の木、桑の木などのかなりの大木を諸般の事情で伐採したこともあって、蝉がとまる木が少なくなっている。両方とも樹液が豊富で蝉が好む樹だったと思う。
 しかし、何年も前に地中に産み付けられた幼虫はそんなことは知らないままに育ち、地上に姿を表す。

 昨日の朝、洗濯物を乾しにでたら、地上30センチぐらいの草の先端に何やら茶色いものが。もしかしたら抜け殻と思ってそっと触ってみたら、弾力があってまだ中身が詰まっている。
 この辺りは、上に述べた桑の木があったところだから、そこへよじ登るはずが、あてが外れて草の葉にとまっているのだろう。

        
 いずれにしても、無事に羽化することを願ってそのままにしておいた。
 そして夕刻、それは同じところに止まっていた。触ってみると殻だということがわかる。そして背中の部分には切れ目がくっきり。そう無事羽化したのだ。
 そのうちに近くにある木で鳴き出すだろうと思ったがその確率は二分の一。そう、蝉は雄しか鳴かないからだ。

 そして今日、その近くで何やら気になるものを見つけた。羽の形をしたこれら、私の判断によれば、アブラゼミの羽だ。そして羽だけが散乱しているということは・・・・本体は何ものかに襲われ、食われてしまった可能性があるのだ。
 これが前日羽化したものの羽だとは断定できないが、その可能性はじゅうぶんにある。

        
 そしてさらに、少し離れた箇所で見つけたのが女郎蜘蛛が張り巡らした巣、そしてそれに絡め取られているのはどうやら蝉のようなのだ。
 これら三つの映像が、最初に目撃したものの連続であるとはむろん限らないが、地下で長い年月を過ごした蝉が、地上に出た途端、その生を終えたということはどうやら事実のようだ。

        
 蝉は七年地中にいて、地上に出て七日を過ごすと聞いたが、これはその種類や個体によって差異があり、長いものは地中で一七年過ごすものもいるし、地上での生活を約一ヶ月謳歌するものもいるという。
 
 いずれにしても、私たち地上を生活の場としている者にとっては、地上に出て何日かでその生を終える、あるいは今回の事態のように地上の生活を始めようした途端に不慮の事態に遭遇するということはとても憐れにも思える。
 しかし、蝉にとってみれば、地中での生活は決して無為ではあるまい。そして、それは単に地上に出るためのモラトリアムの期間ではあるまい。それ自体が彼らの生活そのものなのだ。そして地上への登場は、彼らにとっては死にゆくための終活の期間にすぎないのかもしれないのだ。
 そうでも考えないと、その死はあまりにも惨めではないか。

 最後の写真の女郎蜘蛛は、囚われた蝉にとっては憎っくき仇だが、公平にみた場合、その捕獲もまた蜘蛛の生業であり、それを責めることは出来ないのだ。
 それに、この女郎蜘蛛自体がこの辺では希少になりつつある。私がここへ来た半世紀前には、周囲が田んぼで立体的な建造物がなかったせいか、この女郎蜘蛛と、体長が3~4センチもあり、雀の子も捕ると言われた鬼蜘蛛との縄張り争いのような様相で、家の周りは蜘蛛の巣でいっぱいだった。

 鬼蜘蛛は図体はでかいが、まん丸っこくてどこか愛嬌があり、張り巡らした巣の一部を刺激してやると、ツツツとばかりに現れてしばらくその対象を探すのだが、なにもないとわかるとすごすごと引き上げるのだった。
 しかし、この鬼蜘蛛をみなくなってから久しい。
 女郎蜘蛛もうんと減ってしまった。だから、せっかく羽化した蝉を捕らえても、それを責めるわけにはゆかないのだ。

        
 蜘蛛の話になってしまったが、ここで蝉に関するトリヴィアをひとつ。
 蝉の声というのは、この時期の夏の日本を象徴するもので、映画やドラマでも、この鳴き声をバックに流すだけで季節や場所を示すのだが、欧米諸国には蝉は希少で、その鳴き声はおろか、それを見たことすらない人が多いらしいのだ。
 で、日本映画の吹き替えをする際には、この蝉の鳴き声は消されるのだという。欧米の人にとっては、それは季節感などを表すものではなく、たんなるノイズ、もしくは不可解で不快な音色に聞こえるようなのだ。

 そういえば、昨年の8月はじめ、ロンドンに一週間ほど滞在し、ホテル近くのラッセルスクエアの小公園の木陰でよく休息したのだが、大小の樹木が緑なしていたにもかかわらず、いっさい蝉の声は聞かなかった。日本でのロケーションからいえば、蝉時雨があって当然のところだったのに。代わりに、リスがうろちょろしていた。
 バッキンガム近くでの森林公園様の箇所でも、小鳥の声のみで蝉はとんといなかった。

        
        

 私の家では、毎年このこの頃からアブラゼミとニイニイイゼミが鳴きはじめ、夏の終りにはツクツクボウシが鳴いていたのだが、それもたぶん終わってしまうのだろう。
 もう周辺に樹木がある家がなくなり、無機質な今様の住宅が立ち並ぶなか、彼らにここに住めと強要することはできなくなってしまった。
 これは蜘蛛たちにとっても同様である。

【おまけの話】名古屋の友人たちの報告によれば、温暖化等の影響もあって、名古屋は既に北上を続けるクマゼミが多数派になりつつあるようだが、岐阜はそうではない。
 私の仮設では、愛知・岐阜の間にある木曽川がそれをはばんでいるのではないかということだが、それも時間の問題かもしれない。
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映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を観て

2019-07-23 17:51:56 | 映画評論
 図書館といえば、主として文字を中心とした(最近は音楽媒体、映像媒体も取り扱うが)情報を収集し、管理保管し、それを必要とするものに貸与する場所であると考えられる。かくいう私も、その機能には大変お世話になった。文字を経由しての私の知のようなものの大半はこうした図書館のお世話で得たものといえる。 

 映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』は、92の分館を持つというこの巨大図書館の物語である。ただし、その図書館の舞台裏や裏話のようなものを見せる記録映画ではない。もちろん、そうした映像も挿入されるが、それが主体ではなく、むしろこの図書館が、そのバックの共同体においてどのような機能を果たしているのか、あるいは果たそうとしているのか、それについての強い志向性がビンビン伝わてくるスケールの大きな記録映画といえる。

           
 だから冒頭に述べた情報を収集し、管理保管し、貸与供給するといった基本的な機能を超えたところでの話題が多くなる。もちろん、日本の図書館でも講演や展示など各種文化事業を行っているところはかなりある。
 しかし、この図書館はその領域をも超えて更に広く深く問題を追求してゆく。

        
 例えば、PCの操作などに不案内で、ともすれば情報弱者になりがちな市民に対し、PCの貸与供給やその取り扱いの講習などの企画が進められている。
 あるいは、これは日本の図書館でも問題になっているようだが、ホームレスの来館に付いての協議が行われる。ここで感心するのは、彼らの来館をどう規制するかしないかといった「対策」の設定にとどまらず、ホームレスの存在そのものについて行政との連携のうちで考えてゆこうとする視点だ。
 要するに規制対策ではなく、共同体が抱える貧困やその解消の問題としての捉え返しである。

        
 その他児童教育の問題、障がいをもった人への情報提供のあり方などが、スタッフの、あるいは時として利用者や地域住民を交えての熟議によって検討されてゆく。
 その熟議の場は何度も登場する。

        
 後半に至るとさらに問題は大きくなる。
 黒人を始めとする人種差別の問題への切込み、そしてさらには教科書をめぐる歴史修正の問題へと至る。
 ここで興味を引くのは、南部を中心に使われている教科書には、「黒人たちは、仕事を求めてアフリカからやってきました」と述べられているということだ。もちろんここで抜け落ちているのは、奴隷としてつれてこられた彼らの歴史である。

        
 あまりにもひどい改ざん、と笑っていられる場合ではない。私たちの国でも、朝鮮半島からの徴用工や慰安婦をまるで自ら希望した自己責任とする記述がまかり通り、それへの補償を認めないばかりか、それら要求への執拗な嫌がらせのような外交を継続しているではないか。

        
 図書館の問題に戻ろう。この映画に描かれたそれは、冒頭に述べたように図書の貸し借りといったお決まりの守備範囲から、社会問題一般に迫る内容をもっている。
 というか、図書館に関わる問題を対処療法的に考えるのみではなく、その問題の根幹そのものに迫ろうとするとき、図書館はあたかも共同体全体が抱える問題の縮図といった様相を呈し、それら諸問題のネットワークの中枢に位置せざるを得ないかのようである。

        
 ここには確かに、アメリカ社会の抱える諸問題が反映されていてそれ自身が問題であることはいうまでもない。
 しかしだ、あのトランプを抱えるアメリカにありながら、問題可決のための成員の熟議という建国以来の伝統が随所に垣間見られ、その意味では開けへの可能性が確実にあるように思った。
 反面、看板のみの民主主義で、息の詰まるような陰湿な状況のうちにある日本という国の現状は、あまりにも姑息で閉塞感に満ちているといわざるを得ない。

        
 映画を観た日は、参院選の投開票日だった。
 結果は、その陰湿な閉塞感の象徴であるような宰相が率いる与党が、相変わらず重しのようにのしかかる体制が継続するとのこと。ウンザリしている。



 
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学生帽に山盛りになった五〇個のキャラメル!

2019-07-18 17:36:23 | 想い出を掘り起こす
 いちいちうちから出るのは億劫だから、別にその日に済まさなくてもいいものはほっといて、ある程度用件が溜まったら出かけることにしている。
 そんなわけで、行くべきところが四箇所ほど溜まり、ではっと重い腰をあげることとした。家を出る前に、どの順で回ったらロスが少ないか、あるいは先方との時間的折り合いがつきやすいかを計算して順路を決め、車を走らす。

 用件は全部岐阜市内だが、それぞれ別々の方角である。それらをうまくつなぎ合わせて巡回し、最後のところを出てさあ帰路ということになって、はからずも懐かしい地域を通ることになった。しかも、その懐かしさは二重である。

 なぜ二重かというと、この地域には、大垣郊外に疎開する前、私が六歳の1944年の終りまで住んでいたところであり、また、5年間の疎開ぐらしから岐阜へ戻った1950年初めに住み始めたところだからだ。
 両方共に借家であったから、同じところではないが、その隔たりは数百メートルぐらいであった。だからこの地域は、戦前最後と戦後最初の岐阜での生活の場だあったわけだ。

 戦前、私が住んでいた家は、まだ10年ぐらい前まではその風貌を留めたまま残っていたが、流石にいまはない。
 戦後、帰ってきて住んだのは、当時、岐阜市会議員の重鎮といわれた人がお妾さんのために建てた家で、ちょっと小粋な庭があり、歌の文句のように黒板塀越しに見越しの松が覗くような、いま思うとずいぶん風情のある家だった。そこに私たちが住めたということは、何らかの理由でその市会議員とお妾さんが別れたからだろうか。住んでいる当時は、そんな事は考えもしなかった。
 これもいまは建て替えられている。

 この地域で、間に疎開生活を挟んだ幼年時代と少年時代を過ごしたわけだから、この辺りを通りかかると、日頃は忘却の淵に沈んでいる記憶たちが、むくむくと頭をもたげてくる。
 こうして書いていると、ますますそれらの思い出が増殖してきて、何を書いていいのかわからなくなる。
 だから、下に掲げた二枚の写真からの思い出に留めよう。

        
 この写真は、冒頭に述べたいろんな用件を済ませ、むかし住んでいた地域のある交差点で信号待ちをしている車中から撮ったものである。
 場所は、中山道と並行して作られた道路と、加納城の大手町筋が交差するところであり、私の車の前方(南)の突き当りが加納城である。
 
 では、中山道はどこにあるかというと、一枚目の写真で前方の車と私の車の間、明るい色に舗装されているところがそれなのである。
 私が前の車との間隔を空けて止まっているのは、この中山道を走ってくるかもしれない車の邪魔をしないためなのだ。
 ちなみに、私の疎開前の住まいは左手後方であり、疎開地から帰ってきてからのそれはこの右斜め前で、それぞれ距離にして2、300メートルほどのところだった。

 一枚目にも写っているが、二枚目の写真のやや黒っぽい建物、これも当時からは建て替えられたものだが、ここには懐かしい思い出がいっぱいある。この近辺の商店で、最も私が出入りをしていた店がここにあったからだ。
 何屋かというともちろん駄菓子屋である。それ以外に子供が行きつけになる店なんてものはない。「変なもの食べるんじゃないよ」という親のチェックをかいくぐり、小銭を握りしめてよく通った。

        
 駄菓子屋といっても、横丁にある間口の狭いそれとは違ってやや格上だったかもしれない。というのは、写真に見る家の一階部分がすべて店舗だったのだから。
 ただし、その右半分はアイスキャンデーの製造販売で、水色の箱が並ぶ中、モーターからベルトを伝わった機械が回り、あたりには冷却用のアンモニアの匂いが漂っていた。決していい香りではないのだが、それがアイスキャンデーをつくためならばじゅうぶん許容範囲内であった。
 
 こうして製造していたから、自転車に冷蔵の箱を付けて、カランカランとハンドベルを鳴らしてアイスキャンデーを売り歩く人たちもここへ仕入れに来ていて、なかには、私たちの遊び場にしていた広場へ売りに来るオジサンもいた。もちろん、その人からも買ったものだ。

 この店での一番の思い出は、以下のようなものである。
 当時、キャラメルと言えば例の森永の黄色い箱が圧倒的な存在感をもっていた。ただし、私のような庶民の子が日常的に口にすることは出来なかった。森永は、親戚の叔母さんがやってくる際、お土産にくれるものだった。
 日常的に食べていたキャラメルは、森永より格下の中小のメーカーによるもので、パッケージも森永より小さく、したがって一箱の粒数も少なかったが、一人で食べるにはそれで充分だった。

 その上、それらにはおまけやクジなどが付いていて、お得感や射幸心をくすぐるのだった。
 ある日、クジ付きのものを買ったが、さほど期待はしていなかった。友だちがいつか五個おまけというのを当てたとは聞いていたが、それまでかなり買っていた私に僥倖が訪れたことはなかったからだ。
 そんなわけで、無造作にパッケージを開けて同梱のカードを引き出して驚いた。いつになくケバいそのカードには、「特等大当たり!」の文字が踊っていたのだった。
 
 で、特等とはどんな特典かというと、同じキャラメルが五〇個もらえるというもので、店のおばさんが、「おめでとう」といってそれを手渡してくれたのだが、当時は、手軽に使えるビニール袋などはなく、買い物はすべてマイバック(洋服用の木製のハンガーをふたつ、取っ手にし、その下に布製の袋をぶら下げたものが多用されていた。私の亡母もそれを日常的に使っていた)の時代だから、持ち帰る手段がない。

 おばさんが「新聞紙でもあげよか」(当時、小売店では包装紙代わりに新聞紙を使うのは普通だった)といってくれたが、私はふといい案を思い浮かべ、「ううん、いらんよ」といって学生帽を脱ぎ、「ここへ入れて」といった。
 小学生の学生帽にはキャラメル五〇個は多すぎたかもしれない。しかし、山盛りにしてやっと収まった。これがあの森永のサイズだったら決して入らなかっただろう。
 
 零れ落ちそうになるキャラメルの山を上半身で包むようにして抱え込み、うちへもって帰った。
 翌日、登校すると、もうクラスのみんながそれを知っていて、「おい、キャラメルもってきたか」と追っかけ回された。「いや、あれは今月分の俺のおやつだ」としつっこいクラスメイトと、じゃれあうようにしてもつれ合うのだった。

 その年の六月二五日、朝鮮戦争が始まった。

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私の周りから消えてゆくものたちへの惜別の唄

2019-07-04 14:19:36 | 想い出を掘り起こす
 ここ何年もウオッチングしてきた田が今年は耕されない。すわ、耕作放棄かと思いきやオーナーが急死していたという悲劇は少し前に述べた。

        

 その少しあとに気づいたのだが、その他にもう一箇所、私が愛してやまない田が代掻きも済み、田植えをするばかりになっているにもかかわらず、結局稲の姿を見ることなく放置されている。いくら遅場米の産地といっても、もう今年の稲作には間に合わない。

        

 こちらの方は、荒れ放題ではなく整備されているし、水も引かれているのでどうしてこうなったのかはさっぱりわからない。
 この田についての私の執着は、その収穫時、毎年、稲架掛けをして天日干しにするため、私が少年時代を過ごしてきた田園風景を彷彿とさせるからだ。
 ちなみにこの下の2枚の写真は、昨年の10月12日に撮った同じ場所のものである。

        
        

 他にももう一箇所、稲架掛けをする田があったが、ここはもう何年か前埋め立てられ、ドラッグストアの敷地になっている。
 あの美しい稲架掛けがもう身近では見られないのかと思うとつくづく寂しい。

 この寂寞感は、私自身が大きなうねりの中に飲み込まれつつある・・・・あるいは既に飲み込まれてしまったという実感に通じるものがある。
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