失われたものへの嘆息は年配者の感傷に過ぎないが、同時に特権でもある。
その理由は二つある。
ひとつは、その在りし日のまざまざとした生きた像を、若い人たちがいかに想像を凝らしても再現前し得ないその像を、私たちはまざまざとこのマナコに焼き付けているということだ。
それらの像は、私たちが生きた時代の血肉と関連しているがゆえに、私たちの郷愁を捉えて離さない。
*1
もうひとつは、そうした失われたものの後を襲うもののほとんどが、今様の利便性、効率性重視のキッチュな代物に過ぎないということだ。
田んぼ一反を潰して建てられた数軒の住宅、機能本位で、車二台分の駐車スペースをつけると緑のものを育てるスペースもない。相互に似通っているから、酔っ払って帰ったら、自分の家がわからないなるぐらいだ。
また、広い田んぼを潰してできたドラッグストア。看板のみはゴージャスだが、その実質は大きなプレハブ。
一定期間やって、ダメならさっと引き上げようという資本投下の論理を絵で描いたような造りなのだ。
*2
古い伝統的なもののの新陳代謝一般を嘆いているのではない。先立つ伝統を破壊しながら生み出されるものを否定しようとするものでもない。
それらが、とてもじゃないが新しい伝統とは無縁な一時的な「消費」の対象でしかないことを嘆いているのだ。
私たちは今や、その伝統やその土地ならではのアウラと切り離された利便性と効率性のうちに生きている。だからある意味では、はじめっから故郷という観念とは無縁なのかもしれない。
*3
私も含めて、かつて人はその伝統とアウラのうちに、つまり故郷のうちに住んでいた。
そして何らかの形で、故郷を捨て、根無し草(デラシネ)として生きるようとも、それらの人々のうちにおいても、故郷はたとえ否定的な表象としてであれ、何らかの重みを失うことはなかった。
いま、ドイツはライプチヒに住まう、わがわ若き畏友・小林敏明氏は、文芸誌「文學界」で、「故郷喪失の時代」というエッセイを連載しているが、この八月号で完結し、単行本化を待つという。
彼の故郷を離れての暮らしは、ゆうにその人生の半分以上に至る。しかし、そのエッセイを読んでいると、そのタイトルにも関わらず、彼自身の望郷の念がひしひしと伝わる箇所が随所にあって、共感することしきりである。
*4
「故郷喪失」を思索の対象とした嚆矢はハイデガーであろう。彼はそれを嘆くあまり、その悪しき伝統の復活をナチズムのゲルマン至上主義に見てしまったきらいがあるが、その弟子であったハンナ・アーレントもまた、故郷喪失を問題としていると思う。
ただし彼女の場合は、ハイデガーのように全体主義的なものと短絡させるのではなく、むしろそうした全体主義の起源のうちに、深い故郷喪失をみてとり、それを人間と世界との関わりの問題として展開している(『全体主義の起源)』。
*5
そして、前著に続く彼女の主著のひとつ、『人間の条件』、新訳では『活動的生』の後半で展開してる「世界疎外」の問題は、まさに人間が伝統や歴史と切り離され、それによって自己が「誰」であるかも奪われてゆく様を「大衆社会論」との絡みで論じている。
したがって、故郷や伝統が失われたあとに来るキッチュなもの、あくまでも合理性や効率性に還元してやまないもの、それこそがやばいものといえる。
そしてそれは、来たるべきシンギュラリティ(AI が人智を追い越す技術的特異点)において、最終的に人間がAI に置き換えられる基盤を用意するものかもしれないと密かに思っている。
上から順次、写真の説明をしておこう。
*1は、数年前まで、貸し農園として区画割りされ、この時期になると、ナスやキュウリ、トマトなどが栽培されていたのだが、利用者が減ったのか、貸主がもう貸さなくなったのか、次第の恐ろしいほどに雑草が生い茂っていたのを、とりあえず、草のみを刈って積み上げてある情景。
今後何になるかはわからない。
*2、3は個人の畑だがやはり数年前まで、この近辺ではないくらいきれいに耕作され、様々な野菜が作られていた。
管理していたのは私より若い女性で、通りかかると、「こんにちは」と挨拶を交わす仲だったが、ある時、この写真の奥のこんもりとした部分の柚子の木がたわわに実っていたので、「見事ですねえ」と声をかけたら、「少しおもちになりますか」とのことで、「じゃあ、お言葉に甘えて」ということになった。
私のつもりでは、畑仕事のついでに、2、3個をもいでくれるものと思っていたのだが、「ちょっと待って下さい」と道路を挟んだ自宅へ行き、ハサミを持ってきて実を取り、袋に入れてかなりをいただくことになった。
そういえば柚子の木には棘があり、ハサミでなければ容易にもげないのだった。
後日、私はお礼に絵葉書のようなものをその家のポストに入れておいた。
それが今や、この有様である。なにかよくないことが起こったのだろう。
*4、5はそのお宅の庭の部分である。
ここもかつてはきれいに手入れされたお庭であった。今や、ご覧のような八重葎。もちろん、家も無人であることは間違いない。
前の畑といい、このご自宅といい、これらを守りながらここで生活をしていたあの品のいい女性のことを思わずにはいられない。
何らかの事情でここを離れたにしろ、どこかで元気でいてほしいものだ。
その理由は二つある。
ひとつは、その在りし日のまざまざとした生きた像を、若い人たちがいかに想像を凝らしても再現前し得ないその像を、私たちはまざまざとこのマナコに焼き付けているということだ。
それらの像は、私たちが生きた時代の血肉と関連しているがゆえに、私たちの郷愁を捉えて離さない。
*1
もうひとつは、そうした失われたものの後を襲うもののほとんどが、今様の利便性、効率性重視のキッチュな代物に過ぎないということだ。
田んぼ一反を潰して建てられた数軒の住宅、機能本位で、車二台分の駐車スペースをつけると緑のものを育てるスペースもない。相互に似通っているから、酔っ払って帰ったら、自分の家がわからないなるぐらいだ。
また、広い田んぼを潰してできたドラッグストア。看板のみはゴージャスだが、その実質は大きなプレハブ。
一定期間やって、ダメならさっと引き上げようという資本投下の論理を絵で描いたような造りなのだ。
*2
古い伝統的なもののの新陳代謝一般を嘆いているのではない。先立つ伝統を破壊しながら生み出されるものを否定しようとするものでもない。
それらが、とてもじゃないが新しい伝統とは無縁な一時的な「消費」の対象でしかないことを嘆いているのだ。
私たちは今や、その伝統やその土地ならではのアウラと切り離された利便性と効率性のうちに生きている。だからある意味では、はじめっから故郷という観念とは無縁なのかもしれない。
*3
私も含めて、かつて人はその伝統とアウラのうちに、つまり故郷のうちに住んでいた。
そして何らかの形で、故郷を捨て、根無し草(デラシネ)として生きるようとも、それらの人々のうちにおいても、故郷はたとえ否定的な表象としてであれ、何らかの重みを失うことはなかった。
いま、ドイツはライプチヒに住まう、わがわ若き畏友・小林敏明氏は、文芸誌「文學界」で、「故郷喪失の時代」というエッセイを連載しているが、この八月号で完結し、単行本化を待つという。
彼の故郷を離れての暮らしは、ゆうにその人生の半分以上に至る。しかし、そのエッセイを読んでいると、そのタイトルにも関わらず、彼自身の望郷の念がひしひしと伝わる箇所が随所にあって、共感することしきりである。
*4
「故郷喪失」を思索の対象とした嚆矢はハイデガーであろう。彼はそれを嘆くあまり、その悪しき伝統の復活をナチズムのゲルマン至上主義に見てしまったきらいがあるが、その弟子であったハンナ・アーレントもまた、故郷喪失を問題としていると思う。
ただし彼女の場合は、ハイデガーのように全体主義的なものと短絡させるのではなく、むしろそうした全体主義の起源のうちに、深い故郷喪失をみてとり、それを人間と世界との関わりの問題として展開している(『全体主義の起源)』。
*5
そして、前著に続く彼女の主著のひとつ、『人間の条件』、新訳では『活動的生』の後半で展開してる「世界疎外」の問題は、まさに人間が伝統や歴史と切り離され、それによって自己が「誰」であるかも奪われてゆく様を「大衆社会論」との絡みで論じている。
したがって、故郷や伝統が失われたあとに来るキッチュなもの、あくまでも合理性や効率性に還元してやまないもの、それこそがやばいものといえる。
そしてそれは、来たるべきシンギュラリティ(AI が人智を追い越す技術的特異点)において、最終的に人間がAI に置き換えられる基盤を用意するものかもしれないと密かに思っている。
上から順次、写真の説明をしておこう。
*1は、数年前まで、貸し農園として区画割りされ、この時期になると、ナスやキュウリ、トマトなどが栽培されていたのだが、利用者が減ったのか、貸主がもう貸さなくなったのか、次第の恐ろしいほどに雑草が生い茂っていたのを、とりあえず、草のみを刈って積み上げてある情景。
今後何になるかはわからない。
*2、3は個人の畑だがやはり数年前まで、この近辺ではないくらいきれいに耕作され、様々な野菜が作られていた。
管理していたのは私より若い女性で、通りかかると、「こんにちは」と挨拶を交わす仲だったが、ある時、この写真の奥のこんもりとした部分の柚子の木がたわわに実っていたので、「見事ですねえ」と声をかけたら、「少しおもちになりますか」とのことで、「じゃあ、お言葉に甘えて」ということになった。
私のつもりでは、畑仕事のついでに、2、3個をもいでくれるものと思っていたのだが、「ちょっと待って下さい」と道路を挟んだ自宅へ行き、ハサミを持ってきて実を取り、袋に入れてかなりをいただくことになった。
そういえば柚子の木には棘があり、ハサミでなければ容易にもげないのだった。
後日、私はお礼に絵葉書のようなものをその家のポストに入れておいた。
それが今や、この有様である。なにかよくないことが起こったのだろう。
*4、5はそのお宅の庭の部分である。
ここもかつてはきれいに手入れされたお庭であった。今や、ご覧のような八重葎。もちろん、家も無人であることは間違いない。
前の畑といい、このご自宅といい、これらを守りながらここで生活をしていたあの品のいい女性のことを思わずにはいられない。
何らかの事情でここを離れたにしろ、どこかで元気でいてほしいものだ。