六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

最近の出来事から

2016-09-28 01:34:13 | 社会評論
 最近なかなか記事が書けません。
 ここ暫くの間、SNSなどに載せたものを転載し、お茶を濁しておきます。


病院内での殺人?

           

 もちろん断定はできませんが、横浜の病院での点滴への異物混入事件は、相模原の殺傷事件との関連性が念頭に浮かびます。
 今月始め、たった二日間ですが、入院し、その間、ずーっと何本もの点滴を受けたので、ことさら身にしみます。
 もしこれが、「邪魔物は殺せ」が一般化したものだとするならばこんな怖いことはありません。


「全員立ち上がり長い長い拍手」

            

 私が若い頃読んだソ連や中国での会議の議事録には、文中に、「ここで全議員が立ち上がり長い長い拍手」というのがところどころで出てきました。ナチスと並ぶ全体主義国家の象徴です。
 まさか、日本の国会でそれが実現するとは・・・。あの折の安倍氏の表情は、明らかにここで拍手と促すものでした。
 この大政翼賛会的、かつ全体主義的為政者の促しと議会の側の対応は、私ども年配者にとっては、とてもとても恐ろしいものなのです。



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ベッドシーンがあるバロック・オペラ『ポッペアの戴冠』

2016-09-25 10:11:37 | 日記
 バロック・オペラというのは、ラジオで聴いたり、TVで観たりしたことはあるが、いずれも断片で、通しで、しかもライブでははじめてだ。
 バロック・オペラといっても年代的にはずいぶん幅が広くて、17世紀初頭に始まりヘンデルなどのものも数え入れれば150年ほどになる。今回観たものはクラウディオ・モンテヴェルディの『ポッペアの戴冠』(1642)だからその初期に属する。まだ、ルネッサンス音楽の尻尾が残っているような時代といえる。

            

 鑑賞したのは、9月24日、名古屋市芸術創造センターで、「あいちトリエンナーレ」の協賛催事の一環である。

 題材は暴君といわれたローマの皇帝ネロの時代にとっているが、政治や戦争などの血なまぐさいものではなく、何組かの愛の物語である。
 ネロといえば定冠詞のように「暴君」がつくのだが、このオペラではさして暴虐の限りを尽くすわけではない。それらしいものは以下であろう。
 ひとつは、このオペラの主題となっている部下の騎士長の妻、ポッペアを寝取ってしまうのだが、これとて、ポッペア自身がネロに首ったけで、自分の夫を忌避しているのだから、横恋慕ともいささか異なる。
 もうひとつは自分の邪な恋を諌める哲学者のセネカに自死を命じるのは理不尽だが、これも、ネロと一緒になりたいポッペアの唆かしによるとしたら、主犯はポッペアということになる。

                

 それどころかネロは、自分の愛するポッペアの命を狙った自分の妃、オッターヴィア、彼女に命じられたポッペアの夫・騎士長のオットーネ、そしてそのオットーネを愛するがゆえにかばったドゥルシッラなどを、寛大にも罪一等を減じ、所払いで済ませるのであった。

 さてオペラの方であるが、ロマン派以降のオペラを見慣れている人は、このネロが女性のメゾソプラノによって演じられることにまず驚くであろう。
 これはこの時代、声変わりしない前に歌の上手い男の子を去勢し、ソプラノの高さを男性の声量で歌えるカストラートという歌い手がいたことと関連する。どうやらこれは、教会音楽の歌い手は女人禁制であったという風習から生まれたものらしい。

 この歌劇でも、ネロ役のほか、騎士長のオットーネも原作ではカストラートが歌うことになっているのだが、現在ではカウンターテナーを用いることが多いようで、この公演では弥勒忠史がそれを無難にこなしていた。

 なお、このカストラートの歌い手はその後も続き、私がはじめてモーツァルトの『皇帝ティトの慈悲』を観た折も男姿でソプラノを歌う姿に、宝塚を連想したものであった。

 全三幕だが、一幕がやや冗長かなとも思ったが、ネロとポッペアとのベッドシーンを思わせる箇所もあり、しかもそのあとの歌詞にもはっきりと情事の後を思わせるものがあり、いささかたまげた。
 二幕、三幕は明快に進む。

               

 バックの音楽はヴァイオリンやチェロのほかはリコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロ、テオルボ(リュートによく似た他弦楽器)などで、古楽器を熟知した宇田川貞夫が自らヴィオラ・ダ・ガンバなどを演奏しながらまとめていた。これら古楽器の演奏は、レスタティーヴォ(朗唱)風の歌唱が多いバロック・オペラにとてもフィットしていた。

 歌手では、私としてはドゥルシッラ役の本田美香がいいと思ったのだが、果たせるかな、カーテンコールではひときわ大きな拍手をもらっていた。その次がカウンターテナーの弥勒忠史であった。

               
 
 総じていって、とても面白かった。そして、モンテヴェルディのこのオペラには、その後のオペラの要素がいっぱい詰まっているように思った。たとえば、愛を求めてさまよう小姓は、後のモーツァルトの『フィガロの結婚』のケルビーノの前身であるかのようだし、この歌劇の様式そのものが後のオペラ・セリアの原型であるようにも感じた。

 なお、余談だが、上記の登場人物のうち追放されたオットーネは、後年、ローマ皇帝・オトとして復帰するがその在位はわずか三ヶ月であった。
 また、ネロの恋路を邪魔したという哲学者セネカは、実際にはもっと生き続け、晩年に、ネロの治世を覆そうとする陰謀の一味に加担したとして、ネロに自死を命じられたというのが事実らしい。

 はじめに書いたように、バロック・オペラを通しで鑑賞するのははじめてだから、その優劣など論じる資格はないが、予想以上にとても楽しいひと時であった。




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「なんて間がいいんでしょ」って知っていますか?

2016-09-16 15:04:31 | よしなしごと
             
          写真は内容とは一切関係なし。ピンぼけではなくスリガラスの歩道橋

 先週末、返すべきものもあったので県立図書館へいった。
 それらを返し、新たに2冊ほど借りて、念のため前から申し込んであった図書が来ていないかどうか訊ねた。
 「まだ来ていません。来たらメールを差し上げることになっていますが」
 との返事。そのとおりだから、諦めて帰ってきた。
 で、翌日、メールを開いたら、岐阜県立図書館から、ご依頼の図書、準備ができましたとのこと。
 その時ひらめいたフレーズが、「なんて間が悪いんだろう」という言葉。
 ん?と老いらくのボキャの記憶のストックが点滅する。そうだ。子供の頃、(70年ほど前ですぞ)聞いた歌に、確かエノケン(榎本健一・戦前戦後の喜劇王)のもので「なんて間がいいんでしょ」というのがあったっけ。
 さっそく検索する。エノケンのものは見当たらなかったが、それらしいものはヒット。どうやら、江戸小唄や端唄の影響を受けて明治42、3年(1909~10年)頃にできた歌らしい。

 「間がいい節」とか「間がいいソング」というらしいが、この「間」が現在の語感といささか異なっている。
 いろいろな歌詞で歌われたようだが、代表的なものは次の2つだろう。

 ♪いやだいやだよ ハイカラさんはいやだ 頭のまん中にサザエのつぼ焼き なんて間がいいんでしょ

 「サザエのつぼ焼き」は洋髪を形容したもの。
 そうかと思うとこの歌の自己宣伝のようなものもある。

 ♪酒は正宗 芸者は万竜 唄は流行りの 間がいいソング 何て間がいいんでしょ

 https://www.youtube.com/watch?v=FJUEba_bN2k
 https://www.youtube.com/watch?v=uhSh71E0Zdg
 
 ついでに、この歌へのアンサーソングのような、文字通り「なんて間が悪いんでしょ」という和風の演歌を見つけたので貼り付けておく。

 https://www.youtube.com/watch?v=_72SRRlsJpM

 おまけに私の自作も載せておこう。

 ♪イヤダイヤだよ 歳とるのはイヤだ 頭の真中 五里霧中 なんて間がいいんでしょ

 こんなバカげたことを書いていたら、若い友人の訃報が届いた。
 この春、悪性の腫瘍が見つかったので一年間休業して治療に専念しますというメールが来たばかりなのに。新進気鋭の学者でこれからの業績が期待される人だっただけに、これこそほんとうに「なんて間が悪いんでしょ」だ。
 あまりにも早すぎたMさんに、謹んでご冥福を祈ります!
  (寄る年波で、今年も訃報が続いている。とりわけMさんのように若い前途ある人のそれには胸が痛む)

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【花物語】グローバリゼーションと作られた花々

2016-09-14 11:31:01 | 花便り&花をめぐって
 小学校の高学年の頃、どういうわけか男の子のなかで、花の栽培が流行ったことがあった。もう65年ほど前のことだ。
 当時は借家住まいだったが、幸い、戦争中はサツマイモや野菜を作っていたというわが家の敷地と同じくらい空き地が隣接していて、そこでいろいろな花を育てた。実際のところ、そこの分は借地料を払ってはいなかったのだが、地主が父の知り合いで、当分、使う予定はないから花ぐらいは自由に植えていいよといってくれたのだった。

            

 思いつくままに列記すると、矢車草、貝殻草、コスモス、ホウセンカ、金魚草、百日草、セキチク、水仙、アサガオ、ヒマワリ、菊の仲間(思い出せないものもある)などなどであった。だいたいが育てるのに易しい花々であるし、借地ということもあって木に咲くものは避けていた。
 

            

 花屋さんへ行って袋入りの種を求めて蒔くのだが、うまく育たないものもあった。逆に、たくさん芽が出てそれぞれが育ちすぎるものもあった。そんなときは、それを間引いて、友人のところで余っているものと交換したりした。
 時折は、友だちと花の見せっこをするのだが、上に述べたような事情で、借家のくせに私の花の面積は一番大きかったと思う。まだ、ガーディニングという言葉も知らず、それら全体の配置などもほとんど念頭になかったから、まったく無政府的な植え方だった。
 今ではその配置すら思い出せないが、一つだけ記憶にあるのは、ホウセンカの株がとても多かったので、私の花壇の中央を通る通路の両側に植えたことである。赤、白、ピンクのそれらが、そこを通る者たちの足もとを飾っていて、とても満足した覚えがある。
 
            

 やがて父が岐阜駅の南口近くに自宅を新築し、そこへ移住したが、そこは敷地いっぱいに家が建つような状況で、花づくりをする余地はまったくなかった。同時に、少年の間での花づくりブームも終わりを迎えていたと思う。
 引っ越す際に、地主さんに植えてある花はどうしましょうと訊いたら、いいからそのままでということで済んだ。いくらそこを去るからといって、自ら種を蒔き育てた花々を引っこ抜くのはやはりはばかられた。

            

 ここでも何度も書いたが、野菜に仕入れはもっぱら農協でしているが、上に述べたような経歴があってか、その花売り場でも足を止める。もちろん伝統的な花々もあるが、私が子供の頃には見たことも聞いたこともない花々も多い。
 今年の春、私の畏友が亡くなって、その弔問の際に花束でもと思い、繁華街の花屋さんにいったのだが、その店頭を飾る花々は、見たことがあるぐらいのが僅かにあるほかは、ほとんど知らない花だった。そしてそれらの花々の名前は、ほとんどがカタカタ表記の外来種のようであった。
 農協の花売り場のそれも、そうした趨勢が強まった。伝統的な花々に混じって、外来種のそれがどんどん増えてくる。
 ユリやキクの仲間だとはわかるが、それらは単純に百合や菊ではない。

            

 決して外来種の到来を嘆いているわけではない。日本の伝統種と思われてる桜や梅だって、遠い昔の外来種だったのである。
 グローバリゼーションが加速しつつある現在、花の世界でもそれが急速に増えるだろうことは必然だからだ。心を広くもって、それらを拒むことなく、伝統種同様に愛でてゆきたい。
 共和党の米大統領候補のいうように、外来種到来を防ぐべく、高い塀をめぐらしても、しょせんは無駄な努力なのだから。
 もっとも、どんどん増え続ける新しい花々の名を、老いたる頭脳で収納し切ることはもはや無理だから、今後は興に任せて眺めるだけとしよう。
 人為的な交配や、遺伝子組み換えなどによって生み出されたものもあるだろう。そうした人為性にはいささかの抵抗もあるが、それが可能なのも、もともとその植物に内在していた可能性の発露によるものだと思うことにしよう。





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便利の代償 田んぼウオッチングとのお別れ

2016-09-10 00:56:19 | よしなしごと
 たった2日の入院で帰ってきたら、うちの周りがなんだか騒々しい。
 うちのすぐ真ん前、建築中だったドラッグストアーが開店したのだ。

            

 数人の警備員が来客の車を駐車場へ導入しているのだが、すんなりとは入りきれない車が、路上でもたついている。車は一方からのみではなく、対向車線側から来るのもあってよけいややっこしくなる。
 朝夕以外はそれほど交通量の多くない片側一車線の道路だが、それでも岐阜市の中心部から南へ至る数本の主要道路のうちのひとつで、朝夕は多少の渋滞もあるほどだ。
 だから、昼間の時間帯でも、あまりもたつくと後ろに車が連なる。この店目当てに来た車はいいが、そうではないのは、日頃との違いに驚く。そして気の短いのがクラクションを鳴らす。こういうときのクラクションって、ほんとうに苛ついているのが手に取るようにわかるものだ。
 警備員が必死に謝る。だいたいがいい年のおっさんたち(後で気づいたら女性もいた)だから、ペコペコするのも仕事のうちとはいえ、なんだか気の毒だ。

 しかし、これは序の口で、夕方のラッシュ時はもっと大変だった。両側が渋滞。この時間に車で出る用件はなかったからいいが、わが家の車の出し入れも大変だと思った。
 やはりクラクションが鳴って、警備のおっさんが謝って・・・がしばらく続いた。

 夜になってもなんだかまわりが明るい。ドラッグストアと駐車場の照明が消えない。よくみたら、この店、夜10時までの営業だとのこと。これじゃあもう、星空も拝めないようだ。
 去年まではそこは田んぼだった。たまには白鷺やアマサギが遊びに来たりもした。しかしこれで、私の家から東南方向に見えた田んぼは全滅した。
 あとは北方に見えるのみだが、こちらも、私のうちに隣接する田んぼが埋め立てられ、稲刈りが済む頃、4軒の家が立ち並ぶという。
 私の田んぼウオッチングも、どうやら今年でもって終わりのようだ。

             

 まあ、こうなることはある意味わかっていたことだから致し方ないが、反面、便利になったことは間違いない。日用雑貨のたぐいは全部ここで間に合うし、最近のドラッグストアは鮮魚や生鮮野菜こそないものの、その他の食品も置いている。この店の場合、肉類まで置いている。もちろん、調味料のたぐいもみんな揃っている。
 だから、調理の途中で、「あ、胡椒が切れてた」と気づいたら、ちょいと火を止めて、往復3分もあれば戻ってこられる。

 思えば、ここへ来た半世紀前、周辺全部が田んぼで、その中の一軒家だった。それがどんどん都市化が進み、いまやその最終段階といったところか。
 確かにいろいろと便利にはなった。しかし、それは、自然との生きたふれあいが喪失する過程でもあった。
 もっとも、都心部に住む人はもともとそんなものはないのであり、それを求める人は、時間とお金を割いてしかるべき場所に出掛けてそれを成就していることを考えると、きっといままでが恵まれていたということなのだろう。たぶん。

 開店から2、3日経ったいま、さいわい、初日ほどの交通の混乱はなくなった。この分なら、うちからの車の出し入れもなんとかなりそうだ。

 





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二度目の手術 顛末記あれこれ

2016-09-08 01:41:05 | よしなしごと
 以下は、今年2月に手首を骨折し、それを修正するための手術で埋め込んでいたT字型の金具を取り出す最終段階での手術で、ごく短い2日間の入院のレポート。

予告編と終幕 
 午前9時半、首の付根あたりからの麻酔が始まる。二の腕に電流のような痺れが走り、次第に効き出す。そしてしびれが手先の方へ降りてゆく。
 私は根が素直だから、その辺から意識がもうろうとして眠くなる。
 医師二人が患部の辺で話している。何か日常会話のようなものだ。ただし、どこのラーメンが美味いといった話ではなく、一応医学界などの情報のようだ。
 どこでメスが入ったのかはわからない。その頃は眠りのなかに引きずり込まれていた。
 
 気づくと、二人の会話がフェイド・インしてきて、何やらグイグイと引っ張られるような気がする。
 「縫合ですか?」と、当てずっぽうにいってみる。
 「あ、気づきましたか。そうです」と、医師。
 やがて、包帯という声が聞こえる。
 その辺りは意識がもうろうとしていてよく覚えていない。

 終わった。
 病室へ。自分でベッドに移動できるというのに、「そのまま」と指示され、何人かのナースさんによって「セーノ」とベッドヘ移される。
 
 なんだか、映画の予告編と本編の終幕だけを観たような感じ。

            

丸太ん棒を抱えて
 頭の方の意識は戻ってきたが、左腕は肩から先の感覚がまるっきりない。
 まるで左肩から先は、自分のものではない丸太ん棒をぶら下げている感じだ。
 自分の膝の上に乗せてみる。それも右手で物を移動するようにしなければならない。膝にはどっしりとした重量を感じるが、乗せている方の左腕にはなんの感覚もない。

            

 サイド・テーブルに乗せて写真を撮る。ドサッと乗せた感じでまるで荷物扱いだ。
 私の身体は、意識である前にまず物体であるという当たり前のことを改めて確認する。

            

 そのうちにナースさんがやってきて、そのままではうっ血するからと、ギブスと包帯の手を、天井からの点滴を支える器具からガーゼの紐で吊るされる。絞首刑ならぬ絞手刑だ。

               

 今回の麻酔はとてもよく効いた。12時間たってもまだ二の腕辺りまでしか感覚はない。いつ手が自由になるかを見届けたくて、起きている。
 何もすることがないから、読書が進んだ。本文だけで300ページ、注を加えると400ページの本を持ち込んだが、翌日の退院時までに250ページぐらいを読み進んだ。

『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』
 夜の11時半頃、さすがに手の感覚が戻ってきた。それと同時に傷口あたりがジンジンしはじめた。あまり痛くならないうちにと、ナース・ステーションへ行って、痛め止めをもらい、睡眠薬を一緒に飲む。
 疲れていたせいもあって、まもなく眠りにつく。

 「おーい、おーい」と呼ぶ声に眠りから引き戻される。どうやら、隣室の老婆らしい。「おーい、おーい」が連続して聞こえるがだれも駆けつける者はいない。
 おそらく彼女の毎夜の症状なのだろう。だから、たぶんナース・コールのボタンもはずされているのだろう。それでも、「おーい、おーい」が続く。
 彼女自身もそれが虚しい呼びかけであることをどこかで知っているのかもしれない。具体的な誰かの応答を求めるというより、自分の呼びかけ自体に呼びかけているのかもしれない。生きている証に。

 そんなに大きな声ではないが、気づいてしまった以上なかなか寝付けない。
 ふと、バッハのカンタータ140番『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』BWV140を思い出した。全曲30分余で、私もあまり通しで聞く機会はないが、その第4曲をオルガン用に編曲したもの(いわゆる「シューブラー・コラール集」の第1曲 BWV645)はけっこう耳にする。こちらは数分だから、聴きやすい。
 https://www.youtube.com/watch?v=NHhuyhlSSiA

 私も寝ぼけていて、もう6時頃だからと思い、起きようとしてカーテンを開けたら外は真っ暗。それもそのはず、まだ午前3時。もう一錠睡眠薬を飲んでもう一度眠りにつくが、けっこう時間がかかった。途中覚醒は私の悪癖だ。

七ヶ月間の逗留者たちとミステリー
 翌日、2度の点滴を終えたら退院ということで、それを急かせるようにして終え、午後に退院。
 退院までにもう少しコンパクトな包帯にしてくれるかと期待していたがダメだとのこと。骨から外した金具やネジ釘の穴が開いているから、当分は上の写真のままの、ギブスを入れた状態での包帯だという。
 これは家事に応える。洗い物などの水仕事がはかどらない。困ったものだ。
 今度は10日の通院、その折にいろいろいってみよう。

            

 退院の際に、おみやげを貰った。2月3日の最初の手術以来、私の手首に逗留していた金具と、それを止めたいたネジ釘である。それを術後、洗ってくれたのだ。
 よく見ると、中央のダルマ状の穴を含め、止める穴は11箇所、それに対して、ネジ釘は8本。ひょっとして、あと3本は私の体内に?
 でも、術後にレントゲンを撮っているから、そんなことはないなずだ。
 しかし、のんびりた医師で、「まあ、これぐらいいいだろう」で済ませていたら?
 今度の診察日に、そんなことを尋ねたら、どやされて、メスで切り刻まれるかもしれない。
 「先生、ありがとう」と本当は感謝しているのですよ。
 だからネジの2本や3本残っていても・・・(まだ言ってる。しつっこい!)。

 
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入院前夜と「あいちトリエンナーレ」チラ見の続き

2016-09-05 15:38:09 | 日記
 明日、6日から二日間、今春、骨折をした左腕に埋め込んである金具を摘出する手術のため、入院することになりました。
 同人誌の校正や、入院の準備で、落着いて記事を書くこともできません。
 写真のみ、ズラズラッと載せます。
 
 内容は、前回の「あいちトリエンナーレ チラ見」の続きです。
 たまたま、この前は地下のみ写真を撮った、愛知県芸術文化センター内の一室で行われた会合に出たため、今度は屋上やガラス張りの回廊などのものを撮ってきました。
 それらを載せてお茶を濁します。
 
 一枚だけ(二枚かな?)、作品でないものがありますが、いちいちキャプションを付けなくともわかりますよね。


 急いでいるので、むちゃくちゃアトランダムです。ゴメンチャイ!


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「あいちトリエンナーレ」チラ見のチラ見

2016-09-02 14:53:38 | 日記
                  
 
 いろいろな事情で、名古屋へ出る機会が減ってきた。
 そのせいで、行ける折には、沢山の目的を詰め込む。
 先般も、同人誌の編集会議、観たい映画の鑑賞、今池で週一しか営業していない店へ久々に出かけ「今池人」たちとの歓談、などを組み込み、編集会議と映画の間に、「あいちトリエンナーレ」の愛知県芸術文化センター会場で、観ることができるものをとでかけた。

             
             

 しかし、実際にできた余裕時間は、移動に要するものなどを差し引くと30分足らずで、8階以上の上階でのものを観る時間はとてもない。
 そこで、地下2階のフリーの会場のみを観た。タイトルにいうごとく、チラ見のチラ見というほかはない。
 そんなことだから、内容についてあれこれいう資格もなければ資料もない。

             

 畏友・大野左紀子さんの助言に従って、面白い、楽しい、好き、という基準にのみ従って、駆け足で観た。
 写真はそれらである。
 最後の何枚かの写真、やや薄暗いところにいろいろと陳列してある。それらもだが、移動中に足もとがベコベコしたり、躓きそうな凹凸があったりするので、入り口で椅子にかけているお姉さんに、「この足元の違和感も作品のうちですか?」と尋ねたら、彼女は作家ではないようだったが、即座に、「いいえ、床の設置がうまくゆかなかっただけです」とのこと。

             
             
 
 美術館の本来の床を傷つけないよう、その上に合板の床を貼ったのだが、その寸法取りが悪くてピッタリ収まらず、凹凸ができてしまったらしい。不器用な作家だ。
 内心では、そうした肉体感覚自身が作品の内容だったら面白いのに、と思っていただけにいくぶんがっかりした。

 一番下は、会場から出たところにある、オアシス21という広場に展開されたかなりでかい子供用の遊具である。気のせいか、これも作品っぽく見えた。

             

 もちろん、ほかにもいろいろ面白い企画があちこちの会場に広がっている。
 たぶん、見にゆく時間が取れないだろう。残念だ。

 http://aichitriennale.jp/


【おまけ】同日に行われていた、「第18回にっぽんど真ん中祭り」、通称「どまつり」の踊り手の皆さん。

             
             


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