六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

不安の中で見出す希望、あるいは不安ゆえに見出す希望「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」を観る

2018-02-25 01:37:56 | 映画評論
 「キネ旬」のベストテンに特に権威を感じているわけではない。ただし、映画の好きな人たちがどんな映画に好感をもったかには興味がある。
 昨年はあまり本数を観なかったが、洋画部門では4本がキネ旬のベストテンと一致していたことはすでに述べた(1、2、6、7位)。
 
 邦画部門では、邦画そのものをほとんど観ていなかったこともあって第2位の「花筐/HANAGATAMI」しか観ていなかった。
 その邦画部門で第1位の「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」を再上映しているというので観に行った。タイトルの頭の「映画」は余分だろうと思われるかもしれないが、それも含めてこの映画のタイトルなのだ。

             

 私にすれば、孫のような世代の物語である。
 当初は別々だった女性と男性の生があるところからクロスし始める。女性は看護師であり夜はガールズバーで働いている。男性は、不正規労働者として建設現場で働いている。
 映画の形としてはかなり実験的に見える。映像の焦点が曖昧であったり、画面が三分割されそれにそれぞれの人物が映っていたり、あるいはアニメが挿入されたりする。音楽なども不協和音がうるさくつきまとったり、さほどうまいと思われないロード・ミュージシャンの歌が何度もでてきたり、意味不明の重奏低音が鳴ったりといった具合だ。
 にもかかわらず、内容は極めてリアルな現実をとり扱っている。イタリアのネオリアリズムをも髣髴とさせるほどだ。

             

 ほとんど無駄だとさえ思われる強度で光や音響を放出する渋谷や新宿の都市空間、スマホに飼い慣らされ自分の周辺の空間からさえも疎外された人び、今なお4Kの建設現場で働く非正規労働者と外国人労働者、パチンコ依存症、かつてはインテリと思われる老人の孤独死、そして通奏低音のように背景にある巨大災害や戦争を思わせる不安。
 これはまごうかたなき私たちを取り巻く現実なのだ。
 で、そうした中で、なおかつ私たちが希望を語り、見出しうるとしたら、それはどのようにしてであるか。

             

 主人公たちのセリフの非凡庸さが目立つ。それはこの映画が、最果タヒのベストセラー詩集から得たインスピレーションを実写映画化しているからだ。詩集からの衝撃を脚本化し映像化するという石井裕也監督の意欲的な挑戦が、そのもととなった詩集の尻尾を残している。

             

 通奏低音は不安だと書いた。映画はいつ惨劇で終わってもおかしくはない兆しをはらんだまま進む。事実、部分的な惨劇は何度も生じ続ける。
 しかし最後は、拭いきれない不安定さを抱えながら、ささやかな希望をもって映画は終わる。重ねていうが、不安定さが終わったわけでない。しかし、不安定だからこそ、自分たちを何処かへ繋ぎ止めようとする営為もまた人間の実存のありようなのだ。
 主人公たちがそうしたように、私たちも不安のなかに投げ出されながら、自分が流れ着くべき岸辺へと自分を投企する。

             

 しかし、私たちは依然として不安のうちにあり、いつ惨劇で終止符を打たれるかもわからない。にもかかわらず、ちょっとした契機を足がかりにそうした世界と渡り合う中で、それぞれのささやかな希望を見出して生きているのではないか。
 それがいいとか悪いとかいうことではなく、私たちがしばらくスマホに依存することをやめて、あるいは凡庸な日常のおしゃべりをやめて、四囲を見渡すとき、間違いなく私たちがそのうちにある現実なのだ。

            

 そうした私の屈折した思いや感想はともかく、物語そのものは、決して軽くはない現実を背景にしながら、なおかつそれを乗り越えてゆく若い女性と男性の爽やかな物語といっていい。

            

【余談】この映画ではヒロインやヒーローも含め、登場人物たちがやたらにタバコを吸う。それは私たちが日常に目にする頻度を遥かに上回っている。
 カウリスマキ監督の影響だろうかとも思うが、カウリスマキの映画では登場人物たちの寡黙なありようを補う要素としてタバコが用いられている。
 この映画の場合には必ずしもそうではないが、セリフが詩的言語としてポツネンと語られるとき、その補完物としてタバコが登場するのかもしれない。

 *以下は、予告編ではなく、制作過程を伝える動画。
  https://www.youtube.com/watch?v=OzQoyF1j_xQ
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戦後をリードしてきた俳人、金子兜太さん逝く!

2018-02-21 13:12:36 | ひとを弔う
   


 先般、時事通信社がフライイングでその死去を報じてしまった俳人の金子兜太さん、どうかず~っと嘘のままでいてほしいと思っていたが、とうとう本当になってしまった。
 
 俳句は門外漢の私だが、金子さんの花鳥風月に留めない状況と切り結ぶありようが印象的だった。長年選者を務めていた「朝日俳壇」での金子さんの選ぶ句は、やはりそうした姿勢を反映して面白いものが多かった。
 その選者をこの1月から休まれていたので、復活されることを心待ちにしていたが叶わぬこととなってしまった。
 
 またひとつ、「私たちの時代」が遠のいてゆくようで、寂しくもあり残念でもある。
 合掌。

  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180221/k10011336981000.html
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【私の初体験】「ザショウ」と「大幅変更」 藤村実穂子コンサート

2018-02-19 15:17:47 | 音楽を聴く
 藤村実穂子は国際的なメゾソプラノの歌手である。
 国際的といっても世界の檜舞台で歌ったことがあるとか、たまたま日本人であるために「蝶々夫人」に抜擢されたといったたぐいではない。
 彼女の活動の本拠地は欧米であり、オーストリアのグラーツ(日本でいったら大阪か)歌劇場の専属歌手であったり、バイロイト音楽祭に主役級で9年連続で出演するなど、ヨーロッパ各地でのオペラ出演などその実績には枚挙のいとまもない。
 だから、彼女はむしろ日本でよりも欧米でのほうが知名度が高い。

              

 その彼女が、わざわざ岐阜くんだりまで、私に逢いに来てくれるというのだから、そのコンサートにゆかないわけにはゆかないだろう。会場は岐阜サラマンカホール。
 メゾソプラノのソロコンサートは初めての経験。ソプラノはあるし、大勢の歌手の中にメゾがいたということはあったが、メゾのみははじめて。心躍らせて会場に入った。

 そこで私は、ちょっとした衝撃を受けることとなる。
 まずは入り口で、モギリのお姉さんが「プログラムが一部変更になります」と言いながら渡されたのはいかにも急ごしらえで作られたというモノクロで、ホチキスで綴じられたものだった。
 その内容を当初予定されたものと比べてみる。「一部」なんてものではない。半分がごっそり替っているのだ。私にとって少しショックだったのは、前半2部のマーラーの「亡き子を偲ぶ歌」5曲がすっかり入れ替っていることだった。歌曲に疎い私でも、この曲は知っていて、今回楽しみにしていたのだった。
 後半のマーラーの曲もすっかり入れ替えられていた。

              

 ついで衝撃だったのは、「出演者の体調により、座唱とさせていただきます」の掲示だった。要するに座って歌うということで、これもこの種のコンサートでは初めての経験であった。

 プログラムの変更といい、座唱といい、これらは歌い手の不調をストレートに示しているのではないかとの疑念が。身体が楽器の歌い手、身体の不調はその音楽の不調にほかならないのではないだろうか。
 とんでもないコンサートに来てしまったなという感じより、よし、それならそれで、最後までその表現に付き合ってやろうじゃないかという気になった。

 演奏が始まった。椅子というのはポピュラー歌手などがギターの弾き語りに使う少し高い椅子かなと思ったがそうではなかった。普通にべったり座る椅子で、このホールで演奏するオケのメンバーが坐るものだった。色からすると各パートのチーフが坐る椅子だ。

            

 はっきりいって前半は、これが彼女の本来の歌なのか、それとも不調であることをカバーしているのもかはわかりかねていた。ようするに、まろやかな良い歌声であったにも関わらず、私の主観的な雑念が邪魔をして、彼女の表現を十全に受け取りそこねたのだった。

 だから後半はそうした雑念は捨てて、彼女の表現をあるがままに受け止めようと心に決めた。そうすると、彼女の歌はとても伸びやかにまあるく聞こえ始めたのだ。事実、前半より良かったのではないかと思う。すくなくとも、表現の幅は広がったように思った。
 特に後半2部の、マーラーの「少年の魔法の角笛」よりの5曲は様々な表現を聴くことができてとても良かった。

 でも、正直言って、「出演者の体調云々」と最初にいわれてしまうと、なんだか心配が先に立ってやはり手放しでは楽しめなかった。
 アンコールを催促するような拍手もやめたほうがいいのかもと思ったくらいであったが、それでも拍手をしていると、なんとアンコールは短いが2曲も歌ってくれた。だから、最後は心おきなく拍手をすることができた。

            

 なお、ピアノ伴奏は歌曲伴奏のベテランにしてスペシャリスト、ヴォルフラム・リーガーで、思い入れたっぷりの演奏は視覚的にもそれとわかるものだった。とりわけ、曲の終わりのピアノタッチは繊細を極め、固唾を飲んで最後の一音が鳴るのを待ち、一瞬の間を置いた後、拍手が起こるという有り様だった。

 暮れなぞむ街の灯を見ながらの帰途、まあ、こんなコンサートもかえって記憶に残るかなぁなどと思った次第。
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徳山ダム、90歳からのクラシック、そして「おいしい田舎料理」

2018-02-17 00:48:19 | 日記
 大牧冨士夫さんは私も参加していた文芸同人誌『遊民』の同人で、私のちょうど10年先輩の1928年生まれ、過ぐる戦争の折には、少年通信兵として兵役を経験されている。
 その他、波乱に富んだ経歴をお送りになってきたのだが、私にとって関心が深いのは、現在日本一の貯水量を誇る徳山ダム、歴史と伝統、数々の民俗学的有形無形の資料の宝庫であった徳山村全村を飲み込んでしまった徳山ダム、そのダムの建設に伴い大牧さんは生まれ故郷のその徳山村を追われ、現在は岐阜の郊外にお住まいになっているという事実である。

            

 徳山ダムについてはある種の公憤がある。それはこのダムが膨大な自然と人の営みを犠牲にし、多くの血税を費やしたにも関わらず、それに見合う人びとへの恩恵を何らもたらすことなく、むしろいたずらにその管理維持費を喰う膨大なムダになっていることである。要するにこのダムは典型的な土建屋行政の象徴ともいえる巨大プロジェクトだったのだ。

 さらに、私憤もある。この徳山村を流れる揖斐川上流部は20代後半から30代、40代にかけて私がいれ込んでいた渓流釣りの絶好の漁場であり聖地だった。
 本流、支流、多くの谷に入ってアマゴやイワナと出会うことができた。釣った魚を民宿の囲炉裏で焼いて飲む酒は最高にうまかった。
 徳山ダムはそれらすべてを奪い、貨幣というそれ自身は無味乾燥というほかはない物神を土建屋やそれに連なる政治家の懐にねじ込んだのだった。

               

 だから、そこを追われてきた大牧さんにも特別な思いがある。これまでも大牧さん自身の口から、そして大牧さんが「編集グループ〈SURE〉」から出された『ぼくの家にはむささびが棲んでいたー徳山村の記録』や『ぼくは村の先生だったー村が徳山ダムに沈むまで』を読み、かつての徳山村に想いをよせたりしたものだ。そこには大牧さんの村での生活とともに、徳山村そのものがたんなる背景としてではなく、そこに暮らす人たちとの有機的な繋がり、まさに共に暮す空間としてあったことがよく分かるように描かれていた。

 さて、その大牧さんとの関係だが、昨秋の同人誌終焉以来、メールのやり取りのほか、お目にかかることともなく過ごしてきた。
 で、最近いただいたメールにはクラシック音楽を聴き始めるに初歩的な手立てはなんだろうかという質問が添えられていた。どうやら、これまで、クラシックに馴染む機会がないままにお過ごしになってきたようなのだ。
 それにしても、90歳目前でクラシックにチャレンジとは大した心意気だ。ここはひとつ手伝わねばとおせっかいな私は思った次第。

              

 もちろん私とて、さほど詳しいわけではないので、とりあえず、アマゾンで見つけた5枚組のモーツァルトのアンソロジーのようなCDをお送りし、その後は自分がもっているCDでダブっていたり多分もう聴かないでだろうものをもってお宅へお伺いすることにした。
 
 それが14日のことであった。
 持参したCDは馴染みやすいものとして、ビゼーの「カルメン組曲1・2」「アルルの女組曲1・2」、ヴィヴァルディ「四季」、ドヴォルザーク「九番 新世界より」、チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」、ショスタコーヴィチ「五番 革命」などをお持ちした。
 最後はややハードルが高いかもしれないと思ったが、大牧さんがかつての左翼「青年」であったことをおもんばかったからである。

            

 加えて、私の友人、「浪花の歌う巨人バギやん」こと趙博氏のオリジナルのCDも二枚おもちした。

 温かい陽射しにも恵まれて、お連れ合いのフサエさんともども歓待していただくなかで話が弾んだ。というか、私がひたすら薀蓄を傾けたというべきか。
 この会話の中で、フサエさんの方はお若い頃、「労演」などの催しで、オケなどクラシックに触れていらっしゃったことが判明した。
 趙博氏のCDには笑い転げたり、あるいはしんみりしながら三人で聴いた。

 楽しい時間は過ぎるのが早い。あとは持参したものをゆっくりお聴きいただくことにしてお宅を辞することに。
 
 そうしたら、ずっしりと重いおみやげを頂いてしまった。中身はフサエさんがお育てになった大根が二本(野菜高のこの時期、ありがたい!)、それに、お酒が一本。その名も丸岡城。
 丸岡というのは先般来、豪雪でしばしばニュースにもなった福井県坂井市の一角で、かつては丸岡という独立した町であった。
 
              
 
 このお酒を大牧さんからいただくのにはある意味がある。何を隠そう、大牧さんは知る人ぞ知る中野重治の研究家で、『研究中野重治』(共著)『中野鈴子 付遺稿・私の日暮らし、他』などのご著作があるのだ。
 で、それがなぜ丸岡かというと、その中野重治が生まれ、育った場所こそが丸岡なのである。したがってこの地では、中野重治がらみの催しが結構あり、大牧さんもよくお出掛けになるので、このお酒もその折に求められたものであろう。
 だから、飲む方も心して飲まねばならない。

            

 いただきもののハイライトはそのほかにあった。それは、「お金では決して買えない」フサエさんの手作りの料理。基本的には、フサエさんがその辺歴の中で、特に徳山での暮らしの中で身にお付けになったレシピによる田舎料理である。
 それらを六品も頂いた。はっきりわかるのは梅干しとカブラの漬け物、そして白菜漬けだが、ただし、この白菜漬け、味はキムチ風。それも市販のキムチのようにベチャとした感じではなく、和風のさっぱりした白菜漬けと韓流のキムチ風味が合わさったような味わいでシャキシャキとしてとてもおいしい。

              

 あとは和食とか洋食の概念での区分はつけがたい独特の料理である。素材も調理法もかんたんにはわからない。しかし、これが不思議で珍しく、そしておいしい。これは私がお世辞でいっているのではない。
 フサエさんの料理は、「編集グループ〈SURE〉」から、『フサエさんのおいしい田舎料理』という本で紹介されているほどなのだ。
 
 いらないようなCDでこんなものをいただくなんて、これがまさに「海老で鯛を釣る」だ。
 頂いたもの殆どが保存食で日持ちがする。だから、しばらくはその味を楽しむことができる。

 これを書いていたら、大牧さんから「いまドヴォルザークを聴いています」というメールを頂いた。


【おまけの感動】大牧さんが使っていらっしゃるパソコンは、けっこう大画面のディスクトップ型だが、その壁紙に使っていらっしゃる映像は、かつて住んでいらっしゃった徳山村の、さらにご自分の集落の航空写真だった。
 それをカーソルで指しながら、自分のうちはここ、そして畑はここ、そこへ一輪車を押してゆく行程のつらさや勾配のきつさなどを伺った。
 ここにあった誰それの家はどうしたとか、その子供がどうだとかの大牧さんとフサエさんとの会話は、もう私のついて行けない領域だったが、お二人の望郷の念がひしひしと伝わってきて、感動モノだった。

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アルマーニを着せる「教育」について考える

2018-02-12 10:26:08 | 社会評論
             
 
 東京の泰明小学校が、その標準服にアルマーニというブランド物を選び、その高額さとともにその是非が話題になっている。どういうことなのだろうと当事者の言い分を探していたら、その標準服を採用した件につき、和田利次校長が父兄に向けたという説明文を見つけた。
 http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/07/principalletter_a_23355613/

            
 
 私同様の長ったらしい文章だが、このなかで和田校長は、最近の在校生を見ていると「何のために泰明を選んだのかわからない」といい「言動マナーなどに泰明らしさがない」と嘆き、「生徒の内面を含めて泰明の子らしさを」実現したいとする。「愛校心、スクールアイデンティティ」で生徒を満たし「銀座の小学校」に相応しいものにすべく「ビジュアルアイデンティティ=標準服」を定め、「それを通じてスクールアイデンティティ」を構築したいとというのがその主旨だ。

            

 ところでこの標準服、図で見るように男子で8万円、女子では8.5万円するとある。しかし、子供は成長するから、その段階での買い替えを考えればおそらくその二倍以上には必ずなる。
 金がかかりすぎだとか、なぜアルマーニかなどの批判は当然あるし、私もそう思うが、そうした点を含めて、ここへ至るこの校長の思考の形にとても関心がある。
 
 彼は、泰明らしいスクールアイデンティティを築かねばならないという使命感に燃えている。「泰明らしいスクールアイデンティティ」の内実は詳しく述べられておらず、この校長の頭脳の中で形成された主観的なものだというほかはなが、加えていうならば、教育の目的はスクールアイデンティティなどという不可解なものへと生徒を染めることだと固く信じているようなのが気になる。
 百歩譲って、それが生徒にとって必要な価値であるとしても、それを生徒との対話の中で言葉でもって話されてこそ教育だろうと思うのだが、この人はいささか違う手段をとる。

            

 この校長の選んだ手段はというと、ビジュアルアイデンティティをまず強要し、それを通じてスクールアイデンティティとやらを確立することであった。それこそがアルマーニ採用の理由であり、筋道なのだ。

 ここには何やら悪魔的な統一への意志がある。要するに、個性の違いを前提にしながら、言葉を交わすことによってその個性に応じた生徒たちの有りようを考えようとするのではなく、まずもって外面の統一を通じて内面をも支配しようとする意志だ。
 これは言ってみれば軍隊的志向であり、生徒の主体への働きかけをネグレクトした有無を言わさぬ統一への意志である。要するに外面の統一によって内面をも画一的に支配しようとする意志である。

 私たちは、それについての古典的理論をミシェル・フーコーのうちに見出すことができる。彼は、近代においての刑務所、軍隊、学校の機能につき、その外面の儀式的統一を通じて、国家意識などを内面化するための手段と正当にも喝破している。

 私たちは最近、その最も顕著で醜悪な例を知っている。それは例の森友学園が経営する塚本幼稚園において、園児に揃いの水兵服を着せ、教育勅語を意味のわからないままに朗詠させ、「安倍内閣総理大臣ありがとう」を唱和させるという「教育」である。
 この教育方針に激しく感動した安倍夫妻が公人の枠を超えてこの学園の安倍小学校開設に肩入れしたことが森友問題の核心であることは疑いの余地はない。

            
           
 泰明の校長の方針はこれとまったく同じく、悪魔的なものを含んでいる。悪魔的というのは、統一、支配への意志をあからさまにもっていることであり、しかもそれらを言葉を介在した教育過程を超えて、外部からの強制(ビジュアル・アイデンティティ)でもって実施しようとすることである。

 彼はそれを、「銀座らしさ」という郷土愛を装って語るのだが、愛国心が民衆の素朴な「郷土愛」を土台にして醸成されることを考えると、そうした郷土愛の強制もいささか危険といえる。泰明の子らは、銀座を支えてゆくかもしれないし、また銀座から離れてゆくかもしれない。いずれにしても「銀座愛」などというチマチマっとした視点からではなくそれを相対化して見る視点が養われなければ、そこから出ることも、そこにとどまってそこを支えることも難しいであろう。

郷土愛と愛国心は私のなかではむしろ相入れない。近代国家は、私が愛する農村共同体や町家の共同体を破壊し尽くすことによって生み出された。したがって、私が郷土愛に浸るとき、それは反国家的ならざるを得ないし、逆に愛国主義者になるならば、どこまでも郷土を犠牲に捧げる覚悟を強いられる。

 もうひとつ、この校長には、どうしようもなく無内容なエリート意識がこびりついていて、それが「銀座」だとか「泰明」だとか「スクールアイデンティティ」だとかいったそれらしい記号に憑依し、それらと一体化することによる滅私的な実践が強要されているようにも見える。

            

 まとめていえば、そこには家父長的な価値による支配、統一への意志がギラついていて、ビッグ・ブラザーによる全体主義的支配をも連想させ、とても気味が悪い。
 私にいわせれば、もっとも教育に相応しくない人物なのだが、教育を体制順応型のクローン人間育成と考える向きには好都合な「教育者」ともいえる。ようするに「畜群の育成」(ニーチェ)こそが目指されているのだ。


【付記】
 上を書き終わってからツイッターで見かけたのだが、この人、泰明幼稚園園長も兼任していて、その「園だより」にこんなことも書いている。
 「『やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動か じ』は、山本五十六様のお言葉ですが、本当にそうですね。」
 って、若い方はご存じないがこの山本五十六は真珠湾攻撃の折の連合艦隊司令長官で、往時、軍神と讃えられたひと。幼児教育にわざわざこんな軍人を引用するなんてと思ったら、どうやら、この人「アベとも」でもあるらしい。だから私が直感したように、森友の塚本幼稚園にも通底するのだと納得。
 なお、この幼稚園だより、ほかにも実証抜きの疑似科学的な奇っ怪な叙述がなされている。
 http://www.chuo-tky.ed.jp/~taimei-kg/index.cfm/1,230,c,html/230/20171204-103807.pdf






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【失敗の哲学】もう失敗は許されない・・・けど失敗する私のために

2018-02-10 10:53:58 | よしなしごと
 失敗は許されないというのは一般論ではない。一般的にいえば失敗は取り戻せばいいだけだ。
 若い頃には私も失敗だらけの人生を送ってきた。というか、私の人生、失敗によってできているといってよい。身体のどこを切っても、失敗という血潮が吹き出すほどだ。
 私の人生は失敗の集積であるが、しかし、それを悔やんではいない。なぜなら、そのお陰でそこそこ変化に彩られた人生を送ってきたのだから。
 
 問題はこれからだ。これからというか老いてからの失敗はダメージが大きいし、もはやそれによるマイナスを取り戻すだけのエネルギーもないということだ。

            

 だいいち失敗すればカネがかかる。車をコツンと何かにぶつけても、これくらいはと思っている以上に請求が来る。自損ではなく相手があったりすると負担額は一挙に上昇する。
 下手なところで転んだら寝たっきりになる可能性もある。一昨年私は、階段から落ちて左手を骨折し、2度の入院を余儀なくされた。
 消化器系と呼吸器系の接続を誤って誤嚥などしようものなら、肺炎を誘発し、命に関わる。

 若い頃なら、事故を起こしても懸命に働けばなんとかカバーできる。少々の怪我をしても治りが早い。誤嚥をしてもむせ返るだけで済む。
 老いてからの失敗はそうは行かない。
 息子が会社のカネを使い込んだというので慌てて銀行のATMに駆けつければ、ン百万円という被害に襲われる。
 頑張っても、もうカバーなど出来はしない。年々減り続ける一桁の年金で、どうやって三桁の被害をカバーできるのか。
 だから失敗はもう許されない。

            

 しかしである。失敗はわれら老人の属性であり、しかも、老人が失敗するその属性は日々増してゆくのである。
 減退する記憶力と注意力、世間の情報への疎さ、無知、などなど、失敗の要因は枚挙にいとまがない。
 老いるということは肥大する失敗の温床を自らのうちに抱え込むということなのだ。

 だから、オレオレ詐欺などの特殊詐欺犯が老人を狙うのはまったく正しい。彼らにとって、ことを効率的に進めるためには、老人の存在は不可欠なのだ。
 しかし、老人が一般的には忌避され、特殊詐欺犯によってのみ珍重されるというのはあまりにも悔しいではないか。

 だから、われら老人は失敗しないために注意力を研ぎすませねばならない。失敗をして、「だから老人は」などといわれないためにも。
 しかし、「失敗しなように、失敗しないように」と緊張して生きるのも結構しんどい。悪いことには、ことほどさように緊張していても失敗は容赦なくやってくるのだ。
 ではどうすればいいのか。

            

 認知症は老人を巻き込む否定的な症状と考えられることが多い。しかし、最近はそうばかりではないのではないかと思いはじめている。
 どういうことかというと、認知症は「失敗しないように」という責任主体からの完全な撤退であり、もはやその圏外に自己を置くこととなるからだ。

 失敗とか責任とかいうのは、一応の判断能力をもった主体を前提としている。しかし、その主体が認知症であり主体たる条件を欠落しているとしたらどうだろう。彼は失敗の結果に責任を負うことから除外される。
 もはや失敗を恐れることなく、天真爛漫に振る舞えるのではないか。
 近年、認知症が増加したといわれるのも、実は、そうした老人の自己防衛本能が作用しているのではないだろうか。

 ちょっと小難しい言い方もしたが、これをひらがなでいえば、「ぼけるがかち」ということだ。
 これなら、私にも可能性は開かれている。
 そのための修行なんてあるのかしら。
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破砕・裁断されるものたち  〈貨幣〉の前での〈もの〉と〈ひと〉 

2018-02-06 11:21:33 | 日記
 2月4日付の私の記事は、節分で売れ残った、あるいは売れないと判断された太巻き寿司が、節分当日の午後にはもう破砕機にかけられていることへ言及したものだったが、それについて、ドイツに居る私の友人からメールで以下のような感想が届いた。
 「確かに日本は狂ってますね。
 これも資本主義の行きつく先を暗示しています。
 《要らなくなって裁断》されるのが、寿司ではなくて人間になるときがいつか来るのでしょうか。というか、もう来ているというか。悲しい世の中になってしまいました。
 僕などは一昨日作った豚汁もどきを今日まで食べています。」

 ここには、破砕されるのが寿司ではなく不要な人間というディストピアがイメージされている。しかしこれはありえない話ではない。

            
 
 資本が支配する世界では、貨幣の増殖こそが絶対命令となる。だから、私たちが「食べもの」として認識している太巻き寿司は、資本にとっては貨幣を生み出すための用材に過ぎず、したがってそれが売れないとわかった時点で、それはより低次の貨幣の代替え物、豚の餌へと破砕される。
 ここにはもったいないという感覚などはない。あるとすれば太巻きのままの価格で貨幣と交換できなかったことを惜しむ感覚があるに過ぎない。
 ここではそのもの(この場合は太巻き寿司)への尊厳などはどうでもいいのだ。貨幣との交換のみが目指される。だから資本は、貨幣と交換しやすいものへと常に移動する。

            

 こうした社会では人間もまた資本増殖のための用材となる。大部分の人は、自分の労働力を売って生計を立てている。
 資本はより有利な条件でこの労働力(商品)を買おうとする。だから生涯雇用や年功序列型の資本にとって不合理な労働形態は極力減らしたい。それがここにきて不定期労働者の急増を導いたことはいうまでもない。

 ドイツの友人は、不要になった労働力商品としての人間、資本にとって価値を生み出さなくなった人間について言及している。さすがにまだ、まとめて裁断するには至っていないが、有能な労働力を生み出すためのプロジェクトは国家ぐるみで行われている。
 そのひとつは教育である。大学はいまや企業の求める人材の供給所として固定され、何かと小うるさい文系の学部不要論もでてきている。
 幼児の頃から教育勅語を唱和し、国家への忠誠を誓う小学校の存立に痛く感激し、共感した安倍夫妻が、その小学校の設立に特別の便宜を図ったのが森友学園問題の発端であった。

            
            

 教育のみではない。有能な労働力商品確保のために、人間生活の個人の領域にまで国家が踏み込んでくるのが今日の実情だ。生命過程への干渉は「生政治」と言われたりもする。結婚しない人、子供を産まない女性への非難の本音は、しばしば国会の野次でも登場する。障害のある子を持つ親は、野田聖子のような国会議員でも、税金の無駄遣いと非難される。

 一方で出産の段階での選別は、生前診断の普及とともに、もはや一般化されている。障害を持つ疑いがある子は、胎児の段階で始末され、反面、健全で有能なデザイナーベビーやドナーベビーが奨励される。クローン猿に成功したからには、クローン人間はもう目の前だ。
 「生政治」は、資本にとって有用な労働力商品を確保する機能をいまや公然と担いつつある。かくて、ナチスが道半ばにして果たし得なかった優生学的な人間の選別を、現代社会はそれと知られぬようにすでにして導入しているといえる。

            

 こうして、ドイツの友人がいうところの不要な人間の裁断は、いまのところその生誕での選別に送り返されてはいるのだが、資本増殖にとっての効率や合理性に特化され、インプットされたAIが生産や流通、そしてそれらを総括的に管理する国家部門を支配するとき、その「合理的判断」によっては、人間裁断というディストピアが決して夢想ではないところへと、私たちはさしかかっている。

            

 科学技術がもたらすその成果のみを享受し、その果てにあるディストピアを回避できるほど人類は賢いのだろうか。技術としても欠陥ばかりが目立つ原発の経緯が問われるのもこのレベルにおいてだ。
 近い将来、「豚汁もどき」を三日間も食べ続ける人間は、存続を許されるのだろうか。


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売り場で日の目もみないうちに破砕機に!あゝ、この合理性!

2018-02-04 16:06:59 | 社会評論
 まったくバカげた風習だと思う。いや、風習というか、それに乗じた商戦の問題なのだが。

 昨日、私がいつものスーパーへ着いたのは午後5時半頃だった。例の太巻き寿司が寿司のコーナーにはもちろん、特設コーナーにも仰々しく並べられていた。そればかりではない。鮮魚売り場には持ち帰って巻くための具材が長く切ってセットで並んでいた。

 へそ曲がりな私はそうして騒がれれば騒がれるほどそっぽを向くことにしている。正月過ぎたら直ぐに予約コーナーまで設け、そこまでしてなんでこんなことをと思って余計意固地になる。

            

 だから昨日のスーパーでも、そんなコーナーは見向きもせずに足早に・・・・と行き過ぎたいところだったが、あいにくそのコーナーはそれなりの人だかりがしている。
 だから、見るともなしに売り場を見ると、半端ではない数量が並んでいる。

 時間はもう6時に近い。どうあがいてもこれを売り切ることはないだろう。おそらく、もう少ししたら叩き売りが始まり、それでも残ったら・・・・などと余計なことを考えて通り過ぎた。

 帰宅して、太巻きとはまったく縁のない食事を摂り、ネットに向かって驚いた。もう昨日の20時頃の「朝日デジタル」が、売れ残った太巻きが破砕機で処分される様子を報じているのだ。
 え、もう8時に、これは早すぎるのではと思いながらよく読むと、もうその日の午後から太巻きの破砕作業は始まっているというのだ。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4971858

 読み進んでさらに驚いた。売り場に出て売れ残ったものということではなく、そうした日の目はまったくみないまま、工場から直送されて来たものをその日の午後からすでに処分しているのだという。

 どういうことかというと、それらの工場は、売り場からの追加注文が入るのを見越して余分に造るのだそうだ。そして、その追加注文がありそうかどうかは午後の段階で判明する。したがって一足お先に破砕機にというわけだ。
 完全にできあがっていながら売り場に並ぶことなく運び込まれるものに、急遽製造できるように準備されていたすし飯や具材の原材料も同時に運び込まれるという。

            

 さらに夜半になれば、デパートやスーパー、コンビニから売れ残ったものがどっさり運び込まれることだろう。
 かくしてそれらは破砕されて豚の餌となる運命なのだ。しかし、豚が太巻きを食って幸が来るなどという話は聞いたことがない。所詮彼らはとんかつになる運命なのだから。

 いったいどれほどのパーセンテージがこうした運命を辿るのかは知らない。しかし、わざわざ報じられるところを見ると、そしてその記事内に普段のご飯ものの倍ぐらいとあることからみて相当の量であることは間違いない。
 原材料もだが、それに費やされた労働力や調理のためのエネルギーのロスも馬鹿にはならないだろう。

 しかし、こんなことを心配する私がナイーヴなのだろうとも思う。太巻きを製造したり販売している業界にいわせれば、そんなものはとっくに計算済みなのだということなのだろう。要するに原価のうちで、太巻きを買った人たちがちゃんと支払っているのだ。 
 世界には飢えた人びとが無数にいるのにという指摘だって、そんなものは単なるセンチメンタリズムにすぎないとして一蹴されるだけだろう。

            

 かくしてこの愚は、この風習が続く限り繰り返えされるであろう。最初に述べたように、風習そのものが悪いわけではない。だから、その風習にしたがって、節分に太巻きを齧ろうとする善男善女を非難しようとしているわけでもない。
 
 しかし、最後にいささか意地悪な事実を付け加えるならば、これとて、大阪の一部にそうした風習がある「らしい」ということでコンビニあたりが宣伝し、全国に広まったのはたかだか30年ほど前なのであって、したがってその風習自体が平成生まれの商業イベントにすぎないということも厳然たる事実なのだ。

 さて、次はバレンタインでひと騒ぎだろうが、これはその商品の性質からして、そんなに捨てなくとも済むのではないか。




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この歳になって恥ずかしいことだろうか?洗面台に咲く赤い花!

2018-02-03 00:18:22 | よしなしごと
 今朝はほんとうに驚いた。顔を洗っていたら洗面台に色鮮やかな赤い花が一輪また一輪と次々に咲いてゆく。
 はて面妖な、と思って見るとその赤い花は私の鼻から滴り落ちている紛れもない鼻血。エッ!鼻血なんて子供の頃以来出したことがないのに。しかも止まらない。ありあわせの紙で鼻を包み、ティシュのある場所まで行ってそれを右の鼻に詰め込む。

          

 しかしそれで収まる気配はない。詰め込んだティッシュにジワジワッと血液が溢れるのがわかる。たちまち何枚かのティッシュが鮮血に染まる。
 苦しいときのPC様で「鼻血が出て止まらない その対策は?」でググってみる。
 それは正解だった。というのは子供の頃鼻血が出たときは、仰向けに寝たり、首の後を空手チョップ風に叩いたりしたものだが、そのどれもが誤りだというのだ。
 むしろ、うつむき加減にし、小鼻を10分ほど抑えていると止まるとある。さっそく試す。
 そこには、30分経っても収まらないようなら医療機関へ行けとも書いてあった。

 しかし、今日は前々からの約束で、遠来の友人を迎えることになっている。なんとかこの場で収めたい。10分経った。前のようにダラダラ流れる感じはなくなったが、まだジクジクした感じがある。そこでもう10分試みる。今度は大丈夫そうだが、また出て来るのではないかという不安は拭えない。

            

 右の鼻にティッシュを詰め込み、マスクの内側にティッシュを折りたたんだものを入れてなんとか体裁を整える。
 そうこうするうちに約束の時間が迫ってきたので出かける。あまりマスクをする習慣のない私には、マスクと、内側に挟んだティッシュ、それに右の鼻の穴を塞いだ状態が実に煩わしい。これで左もダメなら窒息死だ。
 なぜ鼻の穴が二つあるのかをこの歳にして身をもって理解し、ありがたいと思った。

 鼻をかむな、水分を控えろ、などの注意事項もあって午前中は神経を使ったが、徐々にそれにも慣れてきた。
 そして昼食。マスクや鼻栓をしていては飯は食えない。朝から食べていないから空腹だ。
 で、全部かなぐり捨てて飯を食う。特に異常はない。
 それで安心して、午後の予定をこなすことができた。

 夕刻、帰宅してから、念のために血圧を測った。上が158とやはり高い。ただし、ちょっと急いで高ぶった状態で測ったので、何度か深呼吸をしてから測り直したら、130-72というまあまあの値に落ち着いた。

            

 ところで、何もしていないのになぜ鼻血がと調べたら、以下の原因が考えられるという。
 アレルギー性鼻炎、高血圧、白血病、肝硬変、血友病などなどだが、どれも怖い。
 で、その対策はというと、「ルチンを採れ」とある。ルチンとはなんぞやというと、「蕎麦、ほうれん草、レバー、なす、トマトなどに豊富に含まれている」とある。
 ん?あいにくどれも在庫がない。あ、蕎麦は乾麺があった。
 でも、明日だな。今日はあるものを食べておこう。

           
 
 ところで、ワインだが、赤はあの今朝の「赤い花」を思い出すからやめておこうかな。
 「赤い花」といえばガルシンの小説。高校時代、今はなき西垣書店という古書店で買って読んだことがある。
 内容はすっかり忘れた。夢野久作の『ドグラ・マグラ』と共通点があったような、なかったような・・・・。
 明日の朝、洗面台に立つのがちょっと不安。
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スメタナの音楽と聴覚障害、そして梅毒

2018-02-02 00:30:36 | 音楽を聴く
 ベドルジフ・スメタナ(1824年3月2日 - 1884年5月12日)はチェコ国民音楽の父と言われている。
 彼の時代のボヘミア(今のチェコ)は、オーストリー=ハンガリー帝国の領土内であり、独立した国家ではなかった。だから、スメタナはその独立を願いながら、音楽の面でそれを表現したといえる。

 ただし、その音楽家としての評価は、チェコとそれ以外のところではいささか違うようで、彼のとりわけ若い最盛期にはチェコではオペラの作曲者として著名だった。しかし今日、例えば私が知っているのは「売られた花嫁」ぐらいである。それとても、あのテンポの早い序曲と、そのストーリーをざっくりと知っているのみで、それを通しでじっくり聴いたことはない(スメタナさん、ごめんなさい)。

            

 私たちがスメタナといわれて想起するのは、交響詩6曲を束ねた「わが祖国」の第2曲「モルダウ」が圧倒的に多いと思う。今から60年前、大学に入学した際、入学式のアトラクションにその大学のオケが演奏してくれたのは、ベートーヴェンの「エグモント序曲」と「モルダウ」だった。
 そんなこともあって、私と同級生だった連れ合いは、クラシックへの造詣はほとんどなかったが、この「モルダウ」だけは亡くなるまで好きだった。

         https://www.youtube.com/watch?v=WvR1Co9rV_Y
         これぞ正統派 ラファエル・クーベリック&チェコフィル

 ついでにいうならば、この「わが祖国」は、「モルダウ」以外にもいい曲が揃っていて、そのラインアップは以下のとおりである。
 第一曲『ヴィシェフラド』高い城
 第二曲『ヴルタヴァ』モルダウ下流はエルベ川
 第三曲『シャールカ』伝説の「乙女戦争』があった谷(女性が奸計をもって男性軍を滅ぼしてしまうという男にとっては怖~いお話
 第四曲『ボヘミアの森と草原から』文字通り
 第五曲『ターボル』南ボヘミア州の古い町
 第六曲『ブラニーク』中央ボヘミア州にある山
 それぞれの曲にボヘミアならでのこだわりやアウラがあるのだが、この際は省略する。

             
                    モルダウ川

 スメタナの曲で、ついで有名なのは、私が今般聴いた、弦楽四重奏曲第一番、同、第二番であろう。
 この哀愁と壮絶感が混じったカルテットは聴きものだと思う。とりわけ、《わが生涯より》と題された一番は、ショスタコーヴィチの第八番に似ていて、彼が自分の生涯をどのように見ていたかが垣間見られる。

 ついでながら、ショスタコの八番は、スターリングラード攻防戦をめぐる音楽としては悲壮すぎるとスターリニスト官僚ジダーノフによって批判され、以後約20年にわたって演奏禁止になったいわくつきの曲である。

               
                歌劇「売られた花嫁」楽譜表紙

 いささか話が逸れたが、「わが祖国」、並びにこの二つの弦楽四重奏に共通するものは何かというとそれらは、彼の死の10年ほど前からの後期の作品であるということと、この時期、彼の耳はほとんど聞こえなくなっており、その程度はベートーヴェンの難聴を遥かに超えて、ほぼすべての音を失っていたということである。

 したがってこれらの音楽は、彼の研ぎ澄まされた音の蓄積のなかから記憶によってのみ引き出され組立てられた音の構成だということになる。
 もちろん、それに彼自身の後半生を迎えた感慨がたっぷりと織り込まれている。

 音楽を聴く場合、そうした状況を知って聴くのと、不要な先入観を排除して音楽そのものを聴くのとどちらがどうかという論議もあろう。
 私の場合は、それと知らずに聴き、ここにあるこの激情のようなものはなんだろうかと改めて伝記的なものを追跡し、改めてその音楽を聴き直した次第である。


            
         ラファエル・クーベリックによる「わが祖国」全曲盤
 
 もうひとつ、彼の伝記的な事実を付け加えておこう。
 この「わが祖国」や二つの弦楽四重奏を作って何年も経過することことなく、彼は梅毒によって狂死したとある。先にふれた聴覚障害もまた梅毒によるものだとする説もある。

 梅毒は、クリストファー・コロンブスの率いた探検隊員がアメリカ上陸時に原住民女性と交わって感染し、ヨーロッパに持ち帰った結果、以後西洋世界に蔓延したとする説がある。

 そしてそれによる著名人の死者は、あまりはっきりしない風評様なものをも混じえると以下に及ぶ(順不同)。
 フランツ・シューベルト ロベルト・シューマン ベドルジフ・スメタナ
 アル・カポネ フリードリッヒ・ニーチェ(?) シラノ・ド・べルジュラック ギ・ド・モーパッサン

 梅毒は性交渉を媒介に伝染することはよく知られているが、必ずしもそうばかりではない。これ以外にも母子感染、輸血血液を介した感染もあるり、母子感染の場合、子供は先天性梅毒となる。

 20世紀の中頃、ペニシリンが普及して以後、梅毒は制御しうる病いになったが、それ以前は不治の病いであった。
 しかし、必ずしも過ぎ去った話でもない。この国では2012年から16年にかけて男女間性交渉による感染が急増し、先進国のなかでは異常に高い数値を示したことがある。ただしその年齢は、男性は25~9歳、女性は20~24歳ということだから、幸いにして私は圏外だ。

 スメタナの晩年の話からとんでもない脱線になってしまった。
 しかし、彼の晩年の音楽は素晴らしい。「モルダウ」を含む「わが祖国」全曲、並びに、弦楽四重奏第一番、第二番はとてもいいと思う。
 いや、大丈夫。その音楽を聴いたからといって、梅毒に感染することは決してない。それよりも現実のあなたの生活のほうがはるかに・・・・(以下自粛)。
 
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