六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

棄ててしまうSFモドキ 『時差』・1

2012-09-30 15:43:00 | インポート
 パソコンを整理していたら、20年ほど前に戯れに書いたSFっぽい短編が出てきた。
 いつまでも置いておいても仕方がないから捨ててしまおうと思うが、こんなものでもそれ相当のエネルギーを使っているので、捨てる前にご披露する次第。

 なお、短いながら二部構成になっていて今日・明日の二回に分けて連載するが、どちらか片一方のみでも良いし、また、どちらを先に読んでいただいても成り立つように作ってあるのがミソ。
 なんていまさらいったって、レトリックのみで作った駄文であることには間違いない。
 皆さんに削除していただいて無事成仏できますよう・・・。
 

   
            


     時差                  六文銭太郎

 
 信号が赤になったので停車した。
 すぐ左側に大型トラックが、なぜこんなところで止められるのかと不満をいいたげに車全体を軋ませるようにして止まった。止まりながらもブルンブルンとアクセルをふかし続けるその様子を耳にして、ふと若き日のスピルバーグの映画『激突!』(1971年)が頭をかすめた。

 ほとんど毎日さしかかる交差点だが、今日はちょっと様子が違った。
 すこし寄り道をしたせいで、いつもとは九〇度違う方向からこの交差点へさしかかったのだった。
 正確にいうと、いつもは西の方向からやってきてここで右折をし、つまり南の方へ進むのだが、今日は北の方からやってきて南へ直進しようとしているのだった。
 そんなわけで、たった九〇度の違いで毎日見慣れているはずの交差点が、まったく違うように見えるのが面白かった。

 信号が変わった。東西が赤になり右折を促す矢印が出た。いつもならこの矢印に従って右折しているはずだった。その右折信号が黄色になった途端、満を持したかのように右側の大型トラックが急発進をした。
 「あ、早すぎる」
 と思ったとき、まだ間に合うとばかり一台の乗用車がタイヤをきしませながら右折してきた。
 「あぶないっ!」
 と叫んでいたのだが、そんな叫びが聞こえるはずもなく、また、たとえ聞こえていても何らなす術はなかっただろう。

 その時点で乗用車のドライバーもすでに大型トラックが発信していたことを認めたのだろう、急ブレーキの音とともにタイヤが激しく摩擦し、煙が立ち上った。
 かえってそれが良くなかったのかもしれない。あまりにも急激なブレーキのため、車は操作の自由を失い、吸い込まれるように大型トラックの前部に突っ込んでいった。

 即死事故を思わせるに十分だった。
 恐怖と驚愕とがしびれるように全身を走った。
 しかし、これほど衝撃を受けたのはその事故の凄惨さだけではなかった。
 
 私は確かに見たのだ。大型トラックに突っ込んでいった乗用車がほかならぬ私自身のものであることを。
 そればかりではない。前部がのめり込むように大型トラックに突っ込んだ衝撃で、ドライバーの頭部が不自然にねじれてこちらを向いたのだが、その顔はまごうことなく私自身のものであった。
 しかもその顔には、あきらかにこちらの私を認めたような表情があったのだが、おそらくそれが、彼のもちえた最後の意識だっただろう。

 打ちのめされて思わず眼を閉じた。どのくらい経過したのかは自分ではわからない。後方からの苛立ったようなクラクションにはじかれて眼を開けると、先に出発した大型トラックはもう交差点を渡り切るところだった。
 そしてその交差点のどこにも事故の痕跡などはなかった。
 手を上げて、後ろの車に侘びを告げ、慌てて発進した。

 しかし、いま見たものはなんだったのだろう。
 白昼夢というにはあまりにも鮮明で具体的であり、かつ強烈であった。
 そのイメージをを追い払うようにCDのボリュームを大きくした。
 マイルス・ディビスのトランペットが、車内の空気を引っ掻き回すように鳴り響いた。

 (実際のところ、ここで終わりにしたいところだが、やはりこの続きを語らねばならないのだろう。 明日に続く)



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嗚咽するひと キノシタホールと私(終篇)

2012-09-28 00:44:38 | インポート
 写真はいずれもキノシタホールへのイントロ部分です。

 (承前)二番館への思いは、私のもつ単純なノスタルジーもありますが、同時に実用的な意味合いもあるのです。
 そこそこの映画ファンの私は、数年前までは年間、劇場で百本近くを観ていました。ですから、二番館にかかる「名画」の部類はすでにほとんど観てしまっていたのです。
 しかし最近は、そうした追っかけもしんどくなりました。それに一日に三本をはしごするという体力も気力も次第に失われてきました。ですから、観たいなと思うものがあっても見逃すことが多くなってきたのです。
 そんなことでこれからは、こうした二番館にお世話になる機会が増えるだろうと思うのです。

 DVDや録画もまったく観ないわけではないのですが、なんとなく劇場で観るほうがいいのです。録画を見るというのはその作品の時間的な流れに従って観るという緊張感がありません。好きなところで止めて、また帰ってきて観るというのでは監督がある時間的な流れを計算しながら作った作品への冒涜のような気がするのです。
 事実、さあどうなるのだろうかと固唾を飲んで画面を見つめる張り詰めた持続もありませんよね。ですから私のディスクには、録画はしたもののまだ観ていないものがけっこう残っています。

                

 もうひとつ映画館の良さは、他の観衆とともに感動を共有するという場そのもののリアルな質量感にあります。今ではそんなことをしたら叱られますが、昔は鞍馬天狗が杉作を助けに駆けつけるシーンでは拍手が湧いたものでした。
 70年代の活動家たちも、ヤクザ映画で忍従に忍従を重ねた主人公が、ついに堪忍袋の緒を切って殴り込みに行くシーンで拍手を送ったのですが、これはなんとなくルサンチマン(怨恨)が感じられて、鞍馬天狗の時のような開放的なカタルシスとは幾分違うようにも思います。

 20年以上前でしょうか、今のように改装する前のキノシタホールで、私は感動的なシーンを経験しています。
 映画史上、10本のうちに入ると云われた『天井桟敷の人々』(マルセル・カルネ・監督 1945)がこのキノシタホールで上映されたのです。未見だった私は、これを見逃してはと厳しい現役の日程の中、なんとかやりくりして駆けつけたのでした。
 そうした映画にもかかわらず、観客数は数えるほどでした。

             

 映画は期待に十分応えるものでした。今となっては幾分キッチュで通俗的な手法も、その後の映画がそれを模倣し繰り返したがゆえにそうなったのであって、当時においては革新的だったろうことが十分納得できました。昨今の映画を観ていても、いわゆるデジャヴというか既視感のように、あ、このシーンの原型はあの映画にあったなという感じが時々します。
 十分満足してラスト・シーンを迎えようとする頃、私は斜め後ろあたりでただならぬ気配を感じていました。

 その正体は上映が終了し、場内が明るくなって明らかになりました。
 そこには私と同年輩の和服の女性がいて、目頭にハンケチをあて、よよとばかりに泣き崩れていたのです。
 私はそこまで彼女を感動させる映画の力、またそれを全身で受け止める彼女の感受性のようなもの、その双方に感動してしまいました。
 ね、これって録画をひとりで黙々と観るという閉鎖的な空間では決して味わえないものでしょう。

                

 私のキノシタホールの印象はこの思い出とともにあります。
 映画館を出て、彼女が私と同じ方向ではないことを残念に思いながら、でもそのほうが良かったとも思いながら、その後ろ姿を見送りました。
 その折の季節は忘れましたが、陽の傾きかけた夕風に私のいくぶん上気した頬が心地よく感じられたのを今も覚えています。

 ヴィヴァ ! 二番館ですね。
 

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ヴィヴァ! 二番館 ! キノシタホールと私

2012-09-27 01:50:45 | 想い出を掘り起こす
 名古屋は今池の交差点から北へ数分歩くと桜通とクロスするいわゆる内山町交差点の北西の角にキノシタホールという映画館があります。
 「名画専門」を歌い文句にしていますがそれほど気取った堅苦しい館ではありません。
 しちめんどくさい理屈は抜きに、「あ、これは観ておいて損はしないな」という映画を上映してくれるのです。

 封切り館ではありません。いわゆる二番館なのです。
 すでに上映されたものの中からセレクトしたものを上映してくれるのですからハズレは少ないわけです。

              

 若い頃からわりあい二番館はよく利用してきました。
 料金が安かったからです。
 土曜の夜など、オールナイトで3本立て50円などという場末の館もありました。
 この値段なら寝てしまっても惜しくはないとよく利用しました。

 え?いつ頃の話かですか?
 そう、もう半世紀前ですね。
 野良犬のように街をうろつき回っていた私は、疲れるとろくすっぽ看板も見ないでそんな館へ入ったものです。

 大川橋蔵の美男剣士に美空ひばりのお姫様が絡むような映画や、片岡千恵蔵の「いれずみ判官シリーズ」のような映画(バカにしているわけではありません。もっとちゃんと観ておけばよかったと後悔しているのです)が多かったのですが、それらに混じって『貴族の階段』(吉村公三郎・監督)だとか、『豚と軍艦』(今村昌平・監督)だとか思わず居住まいを正すようなものにも出合いました。

 もっとも、それらが場末の映画館で娯楽作品とともに上映されることは何ら奇異なことではなかったのです。今でこそ「お芸術」になってしまった小津安二郎の映画でもごく普通に上映され、人びとの支持を得ていた時代です。黒澤の映画などは「娯楽超大作」だったのです。
 ようするに映画が娯楽として普遍的であり、そのなかで多様性をもっていた時代だったのです。

 ところでこうした場末の映画館などというものは、かつてはどこからかションベンの匂いが漂ってくるようでした。本当にそうなんですよ。
 ポップコーン(映画館で嗅ぐあの匂いは苦手です)なんて洒落たものはない時代で、眠気覚ましの酢昆布を売店で買って(10円だったかな)しゃぶるぐらいでした。
 ですから当時観た映画の記憶は、トイレと酢昆布の匂いとともに脳裏にあるわけです。

             

 さて、キノシタホールに話を戻しましょう。
 今までの前ふりで何がいいたかったかというと、このキノシタホールはおそらく日本でもっともきれいな二番館だということなのです。
 あえて説明はしません。ここに載せた外回りの写真からも想像していただけると思います。
 それでは千客万来かというとそうではありません。一番最近行った折には、私を含めて5人の観客でした。

 このキノシタホール、こんなにきれいになる前にも時折行っているのですがその時だってもちろん(などといってはいけませんね)閑散としていました。
 なのにこんなに立派に改装できるというのは私には謎です。でも謎でもいいのです。いい環境でいい映画を観ることができるというのは至福じゃぁないですか。
 それにここには売店がありませんからポップコーンの匂いもありません。もちろん、ションベン臭さや酢昆布の匂いもありません。

 実は私、ここを一人で切り盛りしている女性の支配人と顔見知りなのです。誤解しないでくださいね。別に宣伝を頼まれたわけではありませんよ。
 彼女と知り合ったのは今池の立ち飲み屋さんでした。たまたま隣り合わせになって、ガッバガッバと威勢よく飲んでいるのが彼女でした。意気投合をして話を聞くと私がよく知っているスナックで働いているとのことです。
 
 ならばということで一度だけその店へ行きました。
 しばらくしてもうその店にはいないということで別のところで出会ったら、このキノシタホールの支配人になっていたという次第なのです。
 もちろん勤務中は、ガッバガッバと威勢よく飲んでいたのとはまったく違う顔つきで仕事をしていますよ。
 そんな彼女を応援するということもあるのですが、そうした二番館そのものを応援したいのです。

 あ、悪癖が出てまたまた長くなりました。この続きはまた明日ね。
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雨上がりの名古屋の街で

2012-09-24 01:59:45 | 写真とおしゃべり
 所要で名古屋へ。私の日頃の心がけのせいで出発時から天候が回復、名古屋へ着いた時には晴天。
 しかし、もはやこの間までの暑さはない。
 目についたものを適当に撮す。
 ただそれだけ。


     
        緑のナイアガラ@オアシス21     コンサート@オアシス21  
     
           青空が見えた !         たくましい琉球朝顔
         
                切り株から新芽が これもたくましい
         
                   孤独あるいは単独者
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やっと秋めいてきた散歩道から

2012-09-22 01:06:04 | 写真とおしゃべり
 野球の投手戦ならともかく、似たような政党の党首選にはいささか食傷気味。
 とはいえ、奴ら(ゴメンあそばせ、私としたことがはしたない)ではなくあの方たちの趨勢によって私たちの運命が左右されるとしたら、やはり目が離せないものがあります。

 しかしながら、いずれにしても醜いものはあまり注視したくないのが人の常、ようやく秋めいてきた自然に親しむべく散歩と洒落こみました。
 一生懸命してるひとには申し訳ないのですが、私め、歩くために歩くというウォーキングとやらいうものには馴染めず、いつもだらだらっとした散歩になってしまうのです。

             

 しかも、なにか面白いものはないかとやたらキョロキョロして歩く怪しいおじ(い)さんで、町中なら空き巣の偵察行と間違えられてもしかたがないのです。
 でもそのおかげで早速綺麗なものを見つけました。
 女郎蜘蛛です。
 至近距離で携帯を向けても決してあたふたとはしません。
 立派な色彩と気品に溢れた虫です。

             

 少しだけ色づき始めた柿です。
 柿の小さいものを「ガキ」というって知っていました?
 じゃぁ、大きいのは? そう「大垣」ですね。

  

 いつも行くっていっても都合のいい時だけで、最近はとんとご無沙汰している歯医者さんちのざくろです。
 今年は当たり年でしょうか、鈴生り状態です。
 実がはじけた頃にまた見たいものです。
 ポップコーンとざくろはやはり弾けていないとね。

     
              


 帰りはたまたま西陽に向かうこととなりました。
 やはりどことなく秋の日差しですね。
 夕日に照らされた雲も、そしてシルエットとなる建物たちも素敵です。
 家に帰り着いたら、せっかく忘れていた投手戦ならぬ党首選のニュースをやっていました。

              

 すっかり陽が落ちた頃、お友達が遊びに来てくれました。
 今年のヤモリ君はけっこうよく出没していて、わが家の周辺のみで数匹の個体を見ています。
 手足の指の先が吸盤状になっていて垂直でも平気なのですが、網戸にもこうして器用にはりつき、しかも素早く動きまわります。
 虫の捕食は本当に瞬きをする暇もないほど早いですね。


一部の方にはお知らせしご心配をお掛けしましたが、私のゴッホ事件、または耳なし芳一事件は、専門医により全治一週間の切り傷であると診断されました。
 ご安心ください。国宝級の美貌は基本的には損なわれませんでした。
 いつまでも、躓いたりよろめいたりせず、真っ直ぐ歩ける年齢ではないことを自覚し、今後とも左右の足を互い違いに確実に出して生き延びてゆく所存です。
 でも、ガラス窓に首から突っ込んだのはやはり怖かった。
 

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律令制度以来の田圃の終焉に立ち会って・・・・・・

2012-09-20 02:18:26 | 歴史を考える
 各地で稲刈りのニュースも聞かれるのですが、この地方では県産米「ハツシモ」の名が示す通り、いわゆる遅場米が主で、やっと穂が垂れ、色づき始めたかなという段階です。

 最初の写真は私の家から徒歩2分ぐらいの田ですが、スズメよけに黒いビニールなどを掲げています。
 ただしこのスズメ、この地方では激減していて、かつては秋になるとどこから湧いたとも知れない何百羽を越える大群がたむろし、うるさくてしょうがなかったのですが、最近は多くてせいぜい二〇羽ほどなのです。

              

 ところで、このブログで「田園まさに荒れなんとす」として紹介してきました昨年まで耕作され、今年から休耕田となり、埋め立てが進んでいる田圃なのですが、昨年の切り株から芽吹いた稲が、手塩をかけた田のものとは多少は違うとはいえ、ちゃんと一丁前に実をつけているのです。
 これは少し哀れを誘います。

              
                 半ば埋め立てられた田で去年の切り株から出た稲です

 文献によればこの地は、奈良時代から東大寺の荘園だったところで、その耕作の歴史は1,300年に及びます。この田の古い歴史を知る由はありませんが、ひょっとしたらその時代からのものであったかも知れません。
 それが今、耕作地としての歴史を終えようとしているのです。

              
                     ほら、ちゃんと実がついているでしょう 

 もちろん、こんなことは日本中で、いや世界中で起きていることです。
 人間は、こうして原野を耕作地に変え、そしてさらにそれを他に転じることを含めて地球を著しく変えてきたのです。
 ですから、私の感傷は単なる懐古趣味にしかすぎないのだろうと思います。
 しかし、律令以来の田の終焉を見届けたという感慨は残るのです。


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「雑然こそ素晴らしい ! 」 今池まつりのレポート

2012-09-18 16:21:30 | 催しへのお誘い
 16、17の両日は今池祭りでした。
 名古屋の今池という街は「雑然としていて駄目だ」というのは行政に委託されたコンサルタントの提言の結論でした。1989年のことです。
 雑然?雑然がなぜ悪いんだ?その雑然をぶっつけてやろうじゃないか・・・というので始まった今池まつりなのですが、今年でもう24回になります。

 
  
  


 嬉しいことに「雑然がなぜ悪い」というコンセプトは今なお生きています。
 これはまさに、電通や博報堂を始めとする広告会社の介入を一切断り、すべてが住民の手作りで運営されていることの賜物だと思います。
 ですから、統制もセレクトもありません、今池と何らかの関連を持つという表現者がこの時とばかりわっと集まります。

     
     

 しこもこの街は、中心になる広場なぞを持たないので、おおよそ10箇所の空き地や公園で、同時多発的、かつゲリラ的にパフォーマンスが展開されるのです。
 どこで何を見るのかは来訪者の選択によります。

        
      

 しまった、あそこであれを見ればよかったということは頻繁に起こります。
 しかしそれが人生で、人生は選択なのです。
 広告会社のガイドに従って「正規」のものを見るのとは一味も二味も違った祭りがここにはあるのです。

          

 ここに載せた写真は、私がセレクトしたパフォーマンスです。
 しかしそれによって、私が見過ごしてしまった数々のもっと面白かったかも知れないパフォーマンスが背後にはあるのだと思います。

          
  
      
 ここには、私がこの街で過ごした30年の歴史と、そこで出会った人びと、別れた人びと、の歴史がぎっしり詰まっています。
 「雑然がなぜ悪い」は当初は負け惜しみだったかも知れませんが、ここにいたってポジティヴな意味を持っていると思います。
 必然性や科学的予測の中に人の生が収斂されてゆくなか、それらをはみ出してゆく、複数性、多様性、偶然性の中にこそ、予測を裏切る面白さ、真の「出来事」があるように思うのです。


  

 かつて今池はエロスに満ちた街でした。現行はそうしたものは不可視です。しかしどこかにそうした「エロスを隠し持った街」ではないかと密かに思っているのです。
 私はこの街に来るといつも密かにつぶやくのです、「雑然がなぜ悪い」、「雑然こそ命 ! 」と。

 
韓国芸能のノリパン農楽隊の写真をたくさん載せました。私が好きだからです。
  他にも理由があります。時節柄、変な連中からの横槍や妨害工作がありはしないかという心配もあったからです。
  しかし、それは杞憂でした。野次ひとつもなく、素晴らしい演技には全員が拍手を送っていました。
  それにこの組織は、まだ冷戦時代の頃、南北の在日の人たち、日本人のいずれをも問わず、半島の芸能を学ぼうとする若者たちが始めたものです。ですから今なお、そのメンバーは混成のままです。
  今から24年前の今池まつりにこのグループが初めて登場した時のことが忘れられません。
  今池は在日のひとが多い街です。
  そしてその頃はまだ在日一世の人がたくさんいたのです。
  そこでこのノリパン農楽隊の演奏が始まるや、そうした人たちが立ち上がり涙しながら共に踊り出したのです。
  「生きているうちにこれが聞けるとは思わなかった」とメンバーの手を固く握り締める人たちもいました。
  涙、涙の演奏になりました。
 
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ソクーロフの長回しではない方の「エルミタージュ」

2012-09-14 14:53:31 | アート
  写真は最初の一枚を除いては開催された名古屋市美術館の周辺のものです。

 鬼才、アレクサンドル・ソクーロフの映画『エルミタージュ幻想』を観たのはもう10年ほど前だろうか。
 この監督、ソ連時代、その作品はほとんど上映禁止であった。
 解禁後撮った「権力者4部作」としてアドルフ・ヒトラーを描いた『モレク神』、ウラジーミル・レーニンを描いた『牡牛座 レーニンの肖像』そして昭和天皇を描いた『太陽』は観ているが、その最終章『ファウスト』は現在各地で上映中なのに名古屋地区は飛ばされているようだ。
 三重の進富座や静岡では上映するのになぜなんだ!
 シネマテークよ、なぜ見送ったのだ!

               

 とまあ思うのだが、書きたいのは映画の話ではない。
 現在名古屋市美術館で開催中の「大エルミタージュ美術館展」を見てきた話だ。
 
 冒頭に述べたソクーロフの映画は、ロマノフ王朝時代のピョートル、ニコライやエカテリーナ、アナスタシアなどなど時代を彩った人々が時空を越えて登場し、その収蔵品なども映し出されるのだが、なんといっても圧巻は90分のこの映画がカット割りなしのワンカットの長回しで撮られていることであった。

               

 イントロから最後の舞踏会が終了して人びとが階段を降りるシーンまで、まったくのカット割りのない映像がどのようにして撮られたのか私には謎だ。
 それは例えば、ルキーノ・ヴィスコンティの『山猫』の冒頭シーン、建物のしかも二階の窓に迫るカメラが、いつの間にかその内部を映し出していた謎をさらに拡大した感があった。

 したがってその折は、まさに「映画」を観ていて、収蔵された作品を鑑賞するいとまはなかった。
 その収蔵作品が来るという。これは行かずばなるまいと出かけた次第である。
 ロマノフ王朝が権勢と財力によって収集した収蔵品の、たぶんほんの一部にしかすぎないものに「大エルミタージュ」と冠するのはいかがなものかという思いもあったが、やはりいってよかったと思う。

               

 端的にいって展示された個々の作品の面白さは無論あるのだが、私のような西洋美術に疎い者にとっては、年代順に展示されその概要がわかりやすく、西洋美術史のおさらいのような意味合いを持つものでもあった。
 ルネッサンスを皮切りにした作品群は、西洋絵画の変遷を十分系統的に示してくれる。

 ただし、バルビゾンや印象派以降の近現代のそれに関してはいささか貧弱である。しかし、それもやむを得ないであろう。
 19世紀末から始まったロマノフ王朝の衰退は、20世紀に至っては完全に打倒されてしまうからである。

               

 私自身の感想からいえば、ルネッサンス期に描かれた人間像が、その後の絵画と比べても、その色彩や明度の面でとても開放的で明るくて、中世のキリスト教権力において否定的に描かれた「原罪」を背負った人間とは異なる人間をそれ自身としてあでやかに表現しているのが印象的だった。

 もちろん、キリスト教の戒律からまったく自由であったわけではなく、題材もまた聖書などからとられていたが、それらの絵画はこれぞわが生=セ・ラ・ヴィを謳歌しているようで奔放で明るかった。

               

 映画『エルミタージュ幻想』ではそのラストシーンにクライマックスがあったのだが、この絵画展においてはその冒頭のルネッサンス期の人間肯定に私は惹かれたのだった。
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寒水(かのみず)初秋のオペレッタ・掛踊り

2012-09-11 03:49:38 | 写真とおしゃべり
 寒水と書いて「かのみず」と読みます。
 現在は平成の大合併で郡上市に併合されてしまいましたが、それ以前は奥明方村の寒水地区で、更にそれ以前は寒水村という独立した村落でした。

 
 文献に残っているだけでも三百年以上前からそこに伝わる、「寒水の掛踊り」というものを見てきました。
 見にゆく前に想像していたものとは、その質量においてはるかに上回る一大オペレッタでした。
 あえてオペレッタと書いたのは、それぞれの役を振り当てられた総勢百三十人からなる大舞踏劇で、しかも出演者は「踊り手」ではなく「役者」と呼ばれているからです。

 

 役者衆は実に多彩で、露払・禰宜・鍵取・御供・出花持・神幟持・悪魔払・薙刀振・音頭・折太鼓・鉦引・ささら摺・田打・大黒・大奴・小奴・地唄頭・踊子・花笠・おかめ・大傘持 そして踊幟持ちなどなどからなります。
 そのほとんどはメイクによるものですが、悪魔払・薙刀振の赤鬼青鬼、大黒そしてオカメなどはそのお面を着けます。

 
 まず役者衆は、それぞれにメーキャップをし、装束を整えて代々世襲の祭り宿「中桁家」(屋号)に集まります。
 そこでは出発の神事とそしてプロローグのような舞(お庭踊り)が披露されます。それらは「音合わせ」とか「拍子そろえ」とかいわれ、本番に備えてのゲネプロのようなものなのでしょうが、単なるリハーサルの域をはるかに越えて、それ自身が十分見応えのある迫力に満ちたものです。

 
 
 しかし、正直にいってこの段階では、「ああ、伝統の舞は美しくも優雅だなぁ」と思っていた私の想念は、本番のクライマックスでの予想もしなかった展開の中で完全に裏切られるのですがこれはまた後で。

 

 ひとしきり踊りが続いたあと、一行は先導の赤鬼に促されて村落の道を進み、踊りが奉納される白山神社へと行進するのですがこれがまた絵になるのです。初秋の田園風景のなかを進む総勢百三十人の行列は、まさに牧歌という他はありません。
 私の写真はその真髄を捉えきってはいませんが、その雰囲気はお分かりいただけるでしょう。

 

 

 こうして一行は白山神社の境内へと到着します。
 半径五十メートルほどの境内の広場で踊りが始まります。
 それぞれの役者が輪になって中桁での踊りを繰り返すようなのですが、その中央には折太鼓3人、鉦引の1人の4人が陣取り、この人たちがここでの主役です。
 この人たちの舞がクライマックスを構成するのですが、赤鬼、青鬼、そして大黒がその舞の間を縦横に駆け回り、いわば道化の役割を果たします。

 

 舞がひとしきり続いたところで、小休止があり。その間に折太鼓3人、鉦引の1人の4人が背中に負った「しない」と呼ばれる花飾りがついた数メートルの高さの飾りを組み合わせます。
 それが終わったあと、再び楽の音が鳴り響き、くみあわされた「しない」がほぐれた途端、このオペレッタのクライマックスが始まります。

 

 普通に舞っていた四人の舞が突然変化するのです。
 彼らは身をかがめ、腰を展開させて「しない」と呼ばれる花飾りを地面に擦り付けます。それを何度も何度も繰り返すのです。
 「しない」に飾り付けられた花飾りがこすれて地に落ちます。
 これを赤鬼、青鬼、そして大黒が奪い合うように飛び交います。
 それがこの烈しい踊りにさらにアクセントを付けます。

 
 
 もう2時間も舞い続けたクライマックスがこれです。
 踊り手の疲労はまさにピークでしょう。
 それでも何度も何度も「しない」を地にこすりつけます。というのは、この時に落ちた花飾りが人びとに幸をもたらすからなのです。
 赤・青の鬼や大黒がそれを奪い合っていたのはそのせいなのです。

 

 あまりの烈しい所作に感動した私は、私の直ぐ目の前で拍子をとっていた羽織袴の老人に語りかけました。
 「これはまた烈しい踊りですね」
 「そうだぞ、とくに太鼓の衆は太鼓が腹や腿にこすれて大変なんじゃ」
 「そうでしょうね」
 「わしも20代の頃に七度ほどやったがあくる日は歩けなんだ」

 この会話がもとになって、「写真を撮るならここに入れ」と間に入れてくれました。反対側から撮っていた人には、唄いのおじさんたちの間に変なのが写っているでしょうが、それが私です。

 

 さしもの烈しい踊りもやがて鎮め歌になり、終りを迎えました。
 偶然でしたが、私が写真を撮っていた近くが百三十人の役者衆の退場の通路でした。
 私は退場する役者たちに拍手を惜しみませんでした。
 しかし、拍手をしていたおかげで、彼らを至近距離で撮れる機会を逃してしまいましたが、彼らが私に与えてくれた感動に比べればさしたることはありません。

 山のようにいた見物衆が引いた境内は寂しいものがあります。
 しかし、夜は夜でまた別の舞が行われるのだといいますが、それを見ることなく寒水を後にしました。

 

 最初に書き忘れましたが、この地のロケーションは、郡上から高山に抜けるせせらぎ街道の明宝地区から更に谷沿いの道を北上する山合の集落です。そして例外なく、若い衆は職を求めて町に出るという過疎化しつつあるところです。
 この地で、総勢百三十人を要する一大オペレッタがいつまで維持できるのでしょう。私が話した古老も、今も町へ出ている人をこの時期だけでも呼び戻してかろうじて維持しているのだといっていました。

 一応、「重要無形民俗文化財」という名称は与えられています。
 しかし、私が写真に収めた子供たちの代にはどうなっているのでしょう。
 この種の祭りは、その些細な多様性の中にこそ面白さがあります。
 集落の実情に即して細事が省略され、骨組みだけ残るときその味わいは半減するでしょう。
 それを惜しむ私の思いは、やはり都市に住む者特有のノスタルジアと、そしてエゴイズムというべきものでしょうか。
 

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道草の穴場 まぼろしの「第2号公園」

2012-09-06 00:56:44 | 写真とおしゃべり
 なぜかわからないが時々立ち寄ってみたいところがあります。
 とはいえ、別にわざわざそこへ行くようなところではありません。
 ついでに、しかも時間に余裕があって、雰囲気が期待できそうな時間帯にだけです。

                 

 私の住むところは県都なのですが、数年前にいわゆる名画座系の映画館がなくなり、それらしいものを観ようと思えば名古屋まで出なければなりません。
 そのうちのひとつの館が「名演小劇場」で、冒頭に述べたのはそこと最寄りの地下鉄の駅「栄」との間にあります。

               

 そこには小さな公園があるのですが、地図には「第2号栄公園」とあります。
 と言うことは「第1号」があるはずなのですが、いろいろ検索しても出て来ません。もちろん「第3号」もありません。前後の連鎖を絶たれたようなとても不思議な公園なのです。

               

 ところで、冒頭に述べたちょっと寄ってみたいのは、この公園も含むのですが、正確にはその公園のすぐ北に隣接する東桜小学校との間の曖昧な一帯なのです。
 そのあたりの昼下がり、出来れば夕方近くのほとんど無人の時間帯がお気に入りです。

                  

 小学生たちが運動場で、思い思いにてんでんばらばらなことを言い合っているのも嫌いではありません。しかしここに関していうならば、都心近くでありながらエア・ポケットのようにふと訪れる無人で静寂な時間、それがたまらないのです。

               

 私自身が日常世界から神隠しに遭って連れてこられたように不思議な気分になります。歩みも動作も自然にゆったりとなります。
 別に哲学者気取りで何かを考えるわけではありません。ただぼんやりとその雰囲気に浸るのみなのです。

               

 そんなことですから、何がそんなにいいのかと問われてもこれと特定して指し示すことはできません。たとえ強いてそれを挙げても、ほかの人々と共有できるようなものでもないような気がします。
 私に固有の心象風景などと気取るつもりはないのですが、なぜか私にはここがいいのです。
 きっとみなさんも、自分に固有のそんな場所をお持ちなのではないでしょうか。

                  
                    これのみ公園から栄への歩道橋

 説明の代わりに何枚かの写真を載せました。
 ちなみにこの写真を撮った日、このエリアで私が出会ったのは、鼻歌を歌いながら自転車を漕いでいったオッサンと、なぜか私の後をついてきた一羽の鳩だけでした。
 

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