パソコンを整理していたら、20年ほど前に戯れに書いたSFっぽい短編が出てきた。
いつまでも置いておいても仕方がないから捨ててしまおうと思うが、こんなものでもそれ相当のエネルギーを使っているので、捨てる前にご披露する次第。
なお、短いながら二部構成になっていて今日・明日の二回に分けて連載するが、どちらか片一方のみでも良いし、また、どちらを先に読んでいただいても成り立つように作ってあるのがミソ。
なんていまさらいったって、レトリックのみで作った駄文であることには間違いない。
皆さんに削除していただいて無事成仏できますよう・・・。
時差 六文銭太郎
信号が赤になったので停車した。
すぐ左側に大型トラックが、なぜこんなところで止められるのかと不満をいいたげに車全体を軋ませるようにして止まった。止まりながらもブルンブルンとアクセルをふかし続けるその様子を耳にして、ふと若き日のスピルバーグの映画『激突!』(1971年)が頭をかすめた。
ほとんど毎日さしかかる交差点だが、今日はちょっと様子が違った。
すこし寄り道をしたせいで、いつもとは九〇度違う方向からこの交差点へさしかかったのだった。
正確にいうと、いつもは西の方向からやってきてここで右折をし、つまり南の方へ進むのだが、今日は北の方からやってきて南へ直進しようとしているのだった。
そんなわけで、たった九〇度の違いで毎日見慣れているはずの交差点が、まったく違うように見えるのが面白かった。
信号が変わった。東西が赤になり右折を促す矢印が出た。いつもならこの矢印に従って右折しているはずだった。その右折信号が黄色になった途端、満を持したかのように右側の大型トラックが急発進をした。
「あ、早すぎる」
と思ったとき、まだ間に合うとばかり一台の乗用車がタイヤをきしませながら右折してきた。
「あぶないっ!」
と叫んでいたのだが、そんな叫びが聞こえるはずもなく、また、たとえ聞こえていても何らなす術はなかっただろう。
その時点で乗用車のドライバーもすでに大型トラックが発信していたことを認めたのだろう、急ブレーキの音とともにタイヤが激しく摩擦し、煙が立ち上った。
かえってそれが良くなかったのかもしれない。あまりにも急激なブレーキのため、車は操作の自由を失い、吸い込まれるように大型トラックの前部に突っ込んでいった。
即死事故を思わせるに十分だった。
恐怖と驚愕とがしびれるように全身を走った。
しかし、これほど衝撃を受けたのはその事故の凄惨さだけではなかった。
私は確かに見たのだ。大型トラックに突っ込んでいった乗用車がほかならぬ私自身のものであることを。
そればかりではない。前部がのめり込むように大型トラックに突っ込んだ衝撃で、ドライバーの頭部が不自然にねじれてこちらを向いたのだが、その顔はまごうことなく私自身のものであった。
しかもその顔には、あきらかにこちらの私を認めたような表情があったのだが、おそらくそれが、彼のもちえた最後の意識だっただろう。
打ちのめされて思わず眼を閉じた。どのくらい経過したのかは自分ではわからない。後方からの苛立ったようなクラクションにはじかれて眼を開けると、先に出発した大型トラックはもう交差点を渡り切るところだった。
そしてその交差点のどこにも事故の痕跡などはなかった。
手を上げて、後ろの車に侘びを告げ、慌てて発進した。
しかし、いま見たものはなんだったのだろう。
白昼夢というにはあまりにも鮮明で具体的であり、かつ強烈であった。
そのイメージをを追い払うようにCDのボリュームを大きくした。
マイルス・ディビスのトランペットが、車内の空気を引っ掻き回すように鳴り響いた。
(実際のところ、ここで終わりにしたいところだが、やはりこの続きを語らねばならないのだろう。 明日に続く)
いつまでも置いておいても仕方がないから捨ててしまおうと思うが、こんなものでもそれ相当のエネルギーを使っているので、捨てる前にご披露する次第。
なお、短いながら二部構成になっていて今日・明日の二回に分けて連載するが、どちらか片一方のみでも良いし、また、どちらを先に読んでいただいても成り立つように作ってあるのがミソ。
なんていまさらいったって、レトリックのみで作った駄文であることには間違いない。
皆さんに削除していただいて無事成仏できますよう・・・。
時差 六文銭太郎
信号が赤になったので停車した。
すぐ左側に大型トラックが、なぜこんなところで止められるのかと不満をいいたげに車全体を軋ませるようにして止まった。止まりながらもブルンブルンとアクセルをふかし続けるその様子を耳にして、ふと若き日のスピルバーグの映画『激突!』(1971年)が頭をかすめた。
ほとんど毎日さしかかる交差点だが、今日はちょっと様子が違った。
すこし寄り道をしたせいで、いつもとは九〇度違う方向からこの交差点へさしかかったのだった。
正確にいうと、いつもは西の方向からやってきてここで右折をし、つまり南の方へ進むのだが、今日は北の方からやってきて南へ直進しようとしているのだった。
そんなわけで、たった九〇度の違いで毎日見慣れているはずの交差点が、まったく違うように見えるのが面白かった。
信号が変わった。東西が赤になり右折を促す矢印が出た。いつもならこの矢印に従って右折しているはずだった。その右折信号が黄色になった途端、満を持したかのように右側の大型トラックが急発進をした。
「あ、早すぎる」
と思ったとき、まだ間に合うとばかり一台の乗用車がタイヤをきしませながら右折してきた。
「あぶないっ!」
と叫んでいたのだが、そんな叫びが聞こえるはずもなく、また、たとえ聞こえていても何らなす術はなかっただろう。
その時点で乗用車のドライバーもすでに大型トラックが発信していたことを認めたのだろう、急ブレーキの音とともにタイヤが激しく摩擦し、煙が立ち上った。
かえってそれが良くなかったのかもしれない。あまりにも急激なブレーキのため、車は操作の自由を失い、吸い込まれるように大型トラックの前部に突っ込んでいった。
即死事故を思わせるに十分だった。
恐怖と驚愕とがしびれるように全身を走った。
しかし、これほど衝撃を受けたのはその事故の凄惨さだけではなかった。
私は確かに見たのだ。大型トラックに突っ込んでいった乗用車がほかならぬ私自身のものであることを。
そればかりではない。前部がのめり込むように大型トラックに突っ込んだ衝撃で、ドライバーの頭部が不自然にねじれてこちらを向いたのだが、その顔はまごうことなく私自身のものであった。
しかもその顔には、あきらかにこちらの私を認めたような表情があったのだが、おそらくそれが、彼のもちえた最後の意識だっただろう。
打ちのめされて思わず眼を閉じた。どのくらい経過したのかは自分ではわからない。後方からの苛立ったようなクラクションにはじかれて眼を開けると、先に出発した大型トラックはもう交差点を渡り切るところだった。
そしてその交差点のどこにも事故の痕跡などはなかった。
手を上げて、後ろの車に侘びを告げ、慌てて発進した。
しかし、いま見たものはなんだったのだろう。
白昼夢というにはあまりにも鮮明で具体的であり、かつ強烈であった。
そのイメージをを追い払うようにCDのボリュームを大きくした。
マイルス・ディビスのトランペットが、車内の空気を引っ掻き回すように鳴り響いた。
(実際のところ、ここで終わりにしたいところだが、やはりこの続きを語らねばならないのだろう。 明日に続く)